基本、何処へ行くにもカメラが一緒なんだよね。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Velvia100

僕はカメラが趣味ではあるけど、こと撮影するということに関していえば、それほどカメラに振り回されてはいない。要は撮影のために時間を割いているというよりは、じぶんの普通の生活行動にいつもカメラを持ち歩いてるというのが正直なところなんだ。もちろん、今日は撮ろう!と撮影目的で出かけることもあるけど、大抵はカメラは僕の同伴者みたいなもんなんだ。だから、撮る写真は自ずとごくごく普通のスナップ写真になる。散歩道の道端だったり、街中の片隅だったり。自慢できるような写真は一枚もないのが自慢だ笑。けれど、そんな無理しないカメラ生活がいいのか、まったくカメラに飽きないし、けっこうカメラやレンズはたくさんあるんだけど、常に使い回しできていたりする。そんな僕だから、同じような嗜好の人の写真に惹かれるのか、どうだ!みたいな絶景写真や、レタッチ追い込みました!みたいな写真には正直あまり引き込まれることはない。もっと普通で、でもその撮影者のふとした思いみたいなものが垣間見れる写真に惹かれる。こういうのは本気で写真やってます!みたいな人からはアレかもしれないけど、まあそれが僕とカメラのほどよい距離感だったりする。たぶん、仕事が何かしら企てることを良しとする世界だから、プライベートな時くらい一切企てとは無縁の、無心みたいなモノを欲するんじゃないかと思うけど、それも本当のところは僕にも分からない。そうだなあ、最初に何かを規定してカメラを動かしてるよりは、カメラを動かした結果、何かが浮かび上がったり形を成していくのを見てみたい、というのが近いかな。どうかな。おぼろげながらだけど、そんなことを考えながら、来る日も来る日も僕のいくところにはカメラが一緒についてくる。それが僕とカメラの関係性だ。

じぶんのカメラも、みんなのカメラも、一日中眺めていたいくらいだ。

Rolleiflex Standard, Nikon Df

僕はTwitterやInstagramもやってるけどホームベースはこのブログだ。それでも他のSNSをのぞくのは、まさにみんなのフィルムライクなカメラたちを眺めたいから。

ライカなひと、OM-1なひと、ローライなひと、コニカなひと、みんな思い思いに愛機があって、その愛をたっぷり注ぎ込んで愛機の写真をアップしたりしてくれる。それを眺めるのがほんと心地いいし、日々の楽しみなんだ。僕は写真を撮ること、いや正確に言えばシャッターを切ることが好きだけど、機材だって写真という記憶の一部だと思ってるんで(以前、写真家の林ナツミさんがそのようなことを仰っていた)、写真と同じかそれ以上に機材たちが好きだ。小っ恥ずかしいけど恋と言ってもいい。恋してる時のあのまわりが見えなくなる感じ。カメラたちを眺めてる時はそんななんだよなあ。

だから、中古カメラ屋にもよく行く。もちろん現像したりフィルム買ったり行く理由は他にもあるんだけど、行けばほぼ100%ショーケースを見て行く。あのクラシカルなカメラたちが所狭しと並べられたショーケースの中はもうおもちゃ箱のようにキラキラして見える。あまりに魅惑的でちょいちょい手にして、その度に心打たれて、また一つまた一つと愛機が増えていくわけだけど笑、それでも最新の新品のカメラを買うよりはずいぶん安く手に入るカメラたちだから、大人の散財の仕方としては悪くないんじゃないかと思ったり。いや、言い訳か笑。

あとね、そのカメラたちのルーツを知るのが好きなんだ。僕は初号機好きなところがあって、それもカメラのルーツ好きだから、開発者の渾身の夢が詰まった初号機にどこかそそられる。初号機より改良が加えられていったモノの方がきっと使い勝手は洗練されてるんだろうけど、事カメラに関してだけは僕は不便な方、手間のかかる方へとなんか行ってしまうんだな。単純に古いもの、ヴィンテージなものが好きな世代なのかな。あー、ほんと、誰がクラシックカメラ博物館とかつくってくれないかな。できれば混み合っていなくて、珈琲飲みながら一日中カメラたちを眺めていられる博物館。僕は時間さえあれば入り浸って大人しくしてる自信ある笑。そんなことを妄想しながら、きょうもまたじぶんのカメラやみんなのカメラを懲りずに眺めている。

ドキドキしたいなら、フィルムカメラがいいよ。

Rolleiflex Standard, Olympus OM-1N

だって普通、買ったモノが正常に使用できるかどうか分からないモノなんてなかなか無い。けれど、フィルムカメラはそれが前提。まず新品のフィルムカメラはほぼ無いから中古カメラを選ぶわけで、そうすると外観や動作確認はできても、実際にフィルムを入れて撮り、現像してみないと実用品かどうかは分からない。まずここで最初のドキドキがある。僕は今日なんかも手に入れたばかりのOM-1Nの初の試し撮りをし、その撮影感覚には感激したものの、それは操作の話であって、写真がきちんと撮れているかどうかはまだ分からないのである。凄いよね、数万円も出して買ったものが、使用した後も写真機として使えるものかどうか分からないんだから。

仮に試し撮りでちゃんと現像ができても、フィルムカメラなら毎回ドキドキで、それは永遠だ。だって、デジカメのように撮ったその場で写真を確認することができない。背面モニターなんて無い。あるのは、頭の中に何となく思い描いた被写体の残像であり、写真が仕上がった時のイメージだけ。フィルムカメラはシャッターを切ってフィルムを撮り終えたらラボへ現像を出して最速でも一時間はあがりを待つことになる。つまり、撮った後、現像があがるまでの間、どんな写真があがってくるのだろうとひたすらドキドキが続くのである。こんなモノって他にあるだろうか。

露出合わせだってドキドキだ。機械式カメラを選んだら、基本、操作はすべてマニュアルで、デジカメのようにカメラがオートでやってくれることは何一つ無い。絞りも、シャッタースピードも自分でら決めなきゃいけないし、選ぶフィルムの感度の違いで写真の雰囲気もけっこう変わる。そのフィルム自体もいろんな種類があるから、基本はじぶんでいろんなパターンで撮って経験を積んでいかないと、撮れる写真のイメージも、それに必要な露出や構図の決定も毎回ドキドキの連続だ。

つまりよほどの百戦錬磨のプロでないかぎり、シャッターを切った瞬間にその写真がいいかどうかなんてほぼ分からない。シャッターは切ったものの、何らかのミスで写真が一枚も撮れていないことだって意外とあったりする。これだけハイテクで失敗の無い現代でも、フィルムカメラだけはいい意味で分からないことだらけ、そういうリスクも含めて実にフィルムカメラはドキドキが終わることは無い。それはもう、一生試し撮りみたいな生活なんだ。

ちょっと笑いが出るくらいドキドキばかりのフィルムカメラ。便利かといえば不便なモノかもしれないけど、不便がダメかといえば、それは決して不安とは違う。心配でドキドキするんじゃなくて、期待でドキドキできる、不確かさこそがいちばんの楽しみであり、フィルムカメラにはその要素が色濃くまだ残ってるんだ。そして極め付けは、記憶メディアであるフィルムがいつまでこの世で使い続けられるかも分からない。けれど、これにしたって逆に言えば、今しか体験できないフィルム撮影を体感しているドキドキがある。どうかな、呆れるくらいドキドキできそうだよね。

僕はさまざまなフィルムカメラでそれなりに量を撮るようになってるけど、いまだにそんな初々しいようなドキドキを毎日感じまくってる。このドキドキはきっと終わりはないんだ。スマホのカメラがあればいつでもどこでも写真は撮れるし、デジカメを持っていれば失敗を心配せず本格的撮影体験もできる。でも、ここまで書いてきたようなドキドキは無い。趣味でやるカメラだとしたらドキドキしないとおもしろくない。だから、僕は断然フィルムカメラをすすめるのである。

とはいえ、フィルムカメラってフィルム代や現像代とかコストもかかるじゃないですか!とか言われそうだけど、そのコスト感覚すらもドキドキの毎日と言えるんじゃないだろうか。僕はもうそんな感じだ。フィルムで撮っては、あまりに夢中で撮りすぎて、現像に出す段で少しあたふたする場面も。それでもこれだけフィルムカメラで撮り続けてしまうのは、あのドキドキの日々を経験したら、ちょっとやそっとではカメラをやめる気にはならない。カメラ沼やレンズ沼とか言うけど、真の沼はあのドキドキから抜けられなくなるってことなんじゃないかと思ってる。

フィルムライクなカメラ、という趣味。

Rolleiflex Standard etc.

特にポリシーとかあるわけじゃないんだけど、僕の手元に集まってくるカメラやレンズたちに何か共通点があるとしたら「フィルムライクに撮る楽しみ」ということかな。ライカたちしかり、Nikon Dfしかり、Bessa-Lしかり、一見共通項が無さげなカメラたちも僕の中にはそうした好みですべて繋がっている。

フィルムが好きだけどデジタルでも撮る。そこの垣根は無くなった。フィルムとデジタルでは描き出す写真ははっきりと違うけど、そこは違うことを前提に、でもカメラで撮るという行為においてはすべてフィルムライクに楽しめてる。あと意外と大きいのは、デジカメで撮ってもその場で撮れた写真をモニターで確認することはほぼ無いから、自宅に帰ってMacBookにつなぐまでは未現像状態みたいなもの。撮影する時のリズムはフィルムカメラとほぼ一緒、というのが僕のスタイルではある。

でもどうだろう、フィルムライクな写真好きかと言われれば、僕の場合はフィルムライクな“カメラ好き”なんだよね、やはり。クラシカルでヴィンテージ感のあるカメラの佇まいが好きだし、それぞれのカメラが持つ個性ある操作感が好き。あととにかくシャッターを切る行為が大好き。その嗜好性がいろんなカメラたちを「じぶんの目と手で試したい」という好奇心につながり、コレクションしてるわけじゃ決して無いんだけど、いろんなカメラたちが手元に集まってしまうんだな。困ったね笑。

けれど、そういう趣味の人が意外といることがTwitterやブログのコメント欄なんかを見てると分かって、なんかうれしいというか、ちょっとホッとしたり笑。そこは昭和生まれの男たちが抱く共通した何かなんだろうなあと妙に共感したり。

僕は街中のスナップも撮るし、愛犬との散歩でなんてことない草花の写真も撮る。誤解を恐れずにいえば、被写体はなんだっていいみたいなところもある。カメラで撮るという行為がまず楽しみの前提で、その上で家族の思い出を残せたり、都市の景観の移り変わりを記憶できたり、季節の移り変わりを体感できたりと、カメラと写真を二倍で楽しめている感覚がとても心地いいんだ。

カメラというのは、手にするとなんか撮らなきゃと少々気負ってしまうところがあって、僕も最初はなんか撮影計画みたいなことを考えたりしてたけど、今は「撮ろう」ということよりも「いつもカメラを持ち歩いておこう」という気分。持ち歩いておけば自然と数枚ずつ撮るし、後から振り返って写真を見た時も、頭の中に薄っすらとしか残っていない記憶の断片をつなげる役に立つ。そういう意味では、僕はアマチュア“写真”愛好家ではなくて、アマチュア“カメラ”愛好家なのかも。コレクターじゃなくて、シャッターを切るほうの愛好家ではあるけれど。

意図しない多重露光というおまけを楽しむ。Rolleiflex Standard

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Velvia100

以前も何度か書いたことがあるんだけど、このRolleiflex Standardという二眼レフカメラは、フィルムチャージとシャッターチャージが別々だから、シャッターを切るときはこの二つのチャージを行わないといけない。でも、現代の簡単な撮影動作に慣れてるとどうしてもフィルムチャージの方を忘れてしまう。そうすると、フィルムは送られていないのに2回目のシャッターを切っちゃうから、この写真のように一枚の写真の中に2つの光景が重なって現像される。これがいわゆる多重露光というもの。(一応、多重露光とは?という人のために少し書いてみた)

多重露光はひとつの表現方法だから、意図的にそうして撮る場合もあるんだけど、僕の場合はこうしてフィルムチャージを忘れてしまうことで、年に何枚か、いや10枚以上かな、多重露光が撮れてしまう。つまり、意図しない多重露光。でもね、現像からあがってきた写真を見た時に多重露光が混ざっていると、それはそれで何かグリコのおまけのようで嬉しかったりもする。2枚の光景を重ねることを意図していない、本当に偶然性の産物だから、僕は写真の神様からの贈り物みたく思ってる。

実は先週手に入れたKodak Retina typ117も同様のシャッター機構で、フィルムチャージとシャッターチャージが別々だから、意図しない多重露光機でもある笑。試し撮りしたフィルム一本の中に早速一枚混じってたからね。Rolleiflex StandardもRetina typ117も共に1930年代のカメラで35mm機の初号機。その後の製品からはこの別々の2つのチャージは必要なくなり、フィルムチャージをしたらそのままシャッターが切れるようにカメラたちは進化していくわけだけど、せっかくこの初号機ならではの2つのチャージ機構のカメラを所有するなら、意図して多重露光を楽しむというのも手かもしれないね。多重露光は記憶という要素にアートが加わった感覚を楽しめる。そうだ、今度はフィルム一本、すべて多重露光で撮ってみようかな。そんなことを考える雨の日曜日の朝。

そして、ライカを取り巻く気分転換のサブカメラたち。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

(気分的には前回の記事の続き)そして思うのは、ライカが中心にあった時に、まわりいるサブカメラたち。まあサブというとちょっとニュアンスは違うんだけど、ライカを持ち出せないシチュエーションや、ライカでは撮れない味、ライカから気分転換を図る時に使うカメラたちっていうイメージかな。

例えばそれは、この写真にあるブローニー、二眼レフのRolleiflex Standardであり、例えば50mmライカでは撮れない広角専用機としてのVoigtlander Bessa-L。あと、出張先なんかにはフィルムコンパクトのKonica C35、夜間も撮るようならじぶんで露出を決められるRollei35であり、デジタルならRICOH GR、とかね。そうやって考えると、じぶんの中にも複数台あるカメラの楽しみ方のイメージが無理なローテーションじゃなく思い浮かぶ。まあ、撮ってる時はどれもメインカメラではあるんだけどね。すべてのカメラが揃った時の役割の違いみたいなものとしてね。

そこで悩むのが一眼レフたちなんだ。僕の所有しているカメラでいえばフィルム/デジタルの複数台のFマウント機たちと、Pentax SPかな。プロダクトとしても好きだし、そのダイナミックな撮れ味も独特、何よりNikon機は僕がカメラを始めた頃からの付き合いだから思い入れも強いんだけど、こうしてレンジファインダー中心のカメラライフになってくると、所有数も多い一眼レフ機たちはなかなか満足ゆく頻度でも使いきれない。それでもたまに味わう気分転換カメラとして、また望遠とか実用性重視の備えとしての機材として持ち続けるのがいいのか、そんなことをふと考えたりしている。じぶんに合ったカメラと出会うためにいろいろと買い試してきたカメラやレンズだけど、そろそろ人生を共にするカメラを絞り込んでいこうと思い始めていることもあって、いまライカをあらためて試している感じかな。まだまだ途中経過なんだけど、今の思考プロセスの記憶として。

カメラでカメラを撮る、という付録的たのしみ。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

ここ数日、カメラを持って出かける時はできるだけ2台以上持ち出すようにしている。というのも、2台で撮り比べるたのしみはもちろんなんだけど、2台あれば「カメラでカメラを撮る」ことができるからである。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

そんなことしなくてもiPhoneで撮ればいいじゃないか?と言われそうだけど、そう、僕はふだんは愛機たちをiPhoneカメラで撮ってきた。それはそれで十分実用的なんだけど、実用的な写真が撮りたいんじゃなくて記憶的な写真が撮りたいんだな、できれば。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

きょうはRolleiflex StandardとNikon Dfを連れ出したんだけど、ここまでの写真3枚はDfで撮ったもの。やっぱり撮り慣れたカメラで構えて撮ると、どことなく人間っぽいカメラたちの姿を浮かび上がらせることができる、それがいい。この後、Rolleiflex StandardでDfも撮った。リバーサルで撮ったんだけど、どうだろうね笑。

Leica M3, 撮影はLeica M-P typ240 + Summilux 50

これはLeica M3をLeica M-P typ240で撮ったもの。Summiluxは1mまでしか寄れないけど、それがまた客観視するみたいで良かったりする。カメラでカメラを撮ると、やっぱり人間くさいなあ。

Nikon FE, 撮影はNikon F6 + 50/1.4D

この日はNikon FEをF6で撮った。逆も撮ったし、Asahi Pentax SPも持ってたから3台をぐるぐる回して撮りっこみたいなことしてたな笑。公園で撮ってたんだけど、もし誰かに見られてたとしたら、かなり変な人に見えたぢろうな。風景撮ってるんじゃなくて、カメラたちをぐるぐる回して撮ってるおじさんだから笑。

Leica M3, 撮影はRICOH GR

もちろん、カメラを撮ることが目的ってわけではなくて、複数台のカメラでひと通り風景スナップとか撮ってるんだけどね。大抵、組み合わせとしてはフィルムカメラとデジカメの2台。フィルムを1本撮り終えたらデジタルに持ち替える、その繰り返しみたいな撮り比べ。まあ実際はフィルムの写真は現像後のたのしみたから、その日こうしてブログなんかにあげられるのはデジカメのほうの写真のみになるんだけどね。

今週は、撮り終えたフィルムが今のところ4本。現像があがればそのうち何枚かは「カメラでカメラを撮った写真」がまじってると思う(あまり数えたり意識しては撮っていなくて、いつもついで的に撮ってる)。それもまた現像あがりを見るたのしみ。そうして思うのは、僕は写真を撮るのが好きだけど、それと同じがそれ以上にカメラのことが好きで、「カメラを撮る」ことが好きなんだよな。

デジタルな日々にフィルムを混ぜる最高。

Rolleiflex Standard, Leica IIIa

それにしても暑かった。暑すぎると人間は少し理性を失うというか、少し撮り歩いてきた笑。あ、現像はまだなんで作例はない、あしからず。僕が気分転換にこの酷暑の中でも持ち出すのは、やっぱりフィルム。そこはね、どこか涼しくなる気がするんだ、不思議だよね。

フィルムを始めて加速した僕のカメラ生活だけど、最近はデジタルで撮ることの方が多い。なかなかフィルムでスナップを撮る暇がないというか、現像ラボを行き来する余裕がなくて、でもデジタルでも全然平気じゃん!というのが、今の僕の気分。Leica M-P, Nikon Df, Fujifilm X-E2に加えて、最近Leica X2も手に入れたんで、デジタルなローテーションでけっこう日々を楽しめている。

Rolleiflex Standard, Fujichrome Velvia100

とはいえね、カメラ生活ばかりじゃなくて仕事の日々のほうもはっきり言ってデジタル漬けなんで、そこはね、やっぱり体が求めるんだよね、たまにフィルムのあの感触をね。ジーコジーコと手で何かを動かし何かを創り出すあの感触。フィルムカメラは雰囲気ある写真の風合いの良さだけじゃなくて、あの機材たちあっての世界なんだよね、やはり。

きょうは久しぶりにローライフレックス・スタンダードを持ち出したけど、まあお約束の失敗としてフィルムチャージを忘れて、また意図しない多重露光を撮ってしまったわけだけど、それも含めていいんだよね、フィルム機材の所作がね。露出計をかざすのも暑苦しかったからぜんぶ体感露出で12枚撮った。暑いんだけど、でもあの絵本の世界の中にいるようなファインダーの絵を見ると、何か心にすーっとそよ風が吹くような感覚があるんだ。ウエストレベルファインダーのあの感動的なひと時は、ぜひ一人でも多くの人に味わってほしい、ほんとうに。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

そしてローライフレックス・スタンダードを連れ出す時は、必ずサブ的にもう一台のカメラを持ち出すんだけど、きょうはこのバルナックLeica IIIa。残りフィルムが入っていたのもあるけど、とにかく軽く軽快だからね。スタンダードのお供としてはこのIIIaかRollei35がいい。ブローニーを12枚撮るとちょっと集中し過ぎるというかいい意味で少し疲れるから、その後に135フィルムでサクサク撮る感覚はまた気持ちいい。

僕のカメラ生活のペースというか型みたいなものが少し定まってきた気がしてるんだけど、基本はデジタル、そしてたまにフィルム。その割合はどうだろう、デジタル7:3フィルムくらいな感じかな。でも心の中の割合的にはデジタル5:5フィルムくらいの感覚があるから、やっぱりフィルムが満たしてくれる影響というのは偉大なんだなと改めて思う。で、これから愛犬の散歩にまたカメラを持ち出して行くんだけどね。我ながら物好きだなと思ったりしながら笑。

僕は中判がやりたいわけではなかった。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

これは言い方のニュアンスがむずかしいんだけど、僕は中判がやりたくてローライフレックスを手に入れたわけじゃないんだよね。ローライフレックスで撮ってみたかったわけで、それが結果、中判だった、というニュアンスのほうが近いんだ。ローライフレックスを持てば時間の流れ方が変わる気がしたし、ローライフレックスとなら初恋のようなドキドキ感が味わえるんじゃないかと思ったんだ。

近い感情でいえばライカM3への思いがそれにあたると思うけど、それでもM3はさわってみて初めて恋に落ちて、たまらず手に入れたもの。さわる前から恋心を抱いていたローライフレックスとは少し思いが異なる。それは川内倫子さんがローライフレックスで撮っていたという影響もあるけど、やっぱり独特のその存在感に魅せられていたことが大きい。

そんな僕の前に現れたのは、3.5Fでも2.8Fでもなく「ローライフレックス・スタンダード」だった。イメージしていたローライフレックス像よりさらにレトロチックで、軽くコンパクト。備え付けられていたレンズは僕が思い入れのあったテッサー。もう、求める条件がすべて揃ったまさに意中の女性が出現、そんな感覚だった。

とはいえ、飾っておくためのカメラを買う趣味は僕にはなく、実際に撮りに連れ出すことこそが最上の「デート」のようなもの。しかも街中をデートしたいというより、人っ気の少ない場所で静かな語り合いを求めた。このカメラにかぎっては、頻繁に連れ出すことよりも、誰にも邪魔されずデートを楽しめれば、その頻度は少なくても心は大きく満たされる、そんな存在が僕の中のローライフレックスだ。

けれど、撮っている最中のデート時間が楽しいだけではなく、撮れる写真もまた素晴らしいのがローライフレックスの真骨頂。1930年代のカメラとは思えないしっかりとした写りをみせてくれるし、そこに魔法のような何かをふりかけた体温のある写真ができあがる。なんか浮かれた恋話みたいで小っ恥ずかしくもあるけど、これが僕の中に潜むローライフレックスへの感情でありまなざしだ。夜中のポストだから少し照れくさいことをこうして書いてみた。これは僕だけの感情なのか、それとも同じような恋にうなされる人がほかにもいるのか、それは分からないけど、このどうしようもない感情はかなりアリだと思うんだ、人生のエネルギーとしてね。

そして「二眼レフカメラ ワークショップ」も、何度読んでも飽きない保存版。

田中長徳 著  二眼レフカメラ ワークショップ

わが家には田中長徳氏の書いたワークショップと言う名の本が二冊ある。ひとつは「ライカ ワークショップ」で、もうひとつがこの「二眼レフカメラ ワークショップ」だ。主にはローライフレックスのことが書かれているが、そこから派生した外国産や国産の二眼レフのことにもかなりふれているから、ローライフレックス ワークショップではなくて「二眼レフカメラ ワークショップ」ということになる。

田中長徳氏の本を読んだことがある人は分かると思うけど、この本も御多分に洩れずチョートク節が炸裂している。いわゆる「浅いカメラ通」や「神経質なカメラ追求人」なんかの思想はバッサバッサと斬り捨て、真のカメラ人類のあるべき姿を語っていく。僕も浅い人間の一人だが、読んでる時はなにか長徳さん側の熱いカメラ人類になっている気分で読んでしまうから、そういう意味でもこの本は見事なモチベーションアップ本といえる。

長徳さん自身は最初に手に入れたローライは「ローライコード アールデコ」、日本では“金ぴかコード”と呼ばれる名機だ。その後、それを手放し「ローライフレックス スタンダード」に買い換えている。このエピソードが僕には親近感がある。実は僕がローライを最初に意識したのも出張先でのぞいたお店で見かけた金ぴかコードだったからだ。あいにくその金ぴかコードは委託品で、修理しないとそのままでは使えないと店員さんに聞かされ、手に入れるには至らなかった。

それから一、二ヶ月してからのこと、地元のいつもの中古カメラ屋をのぞいた時に程度のいいローライフレックス スタンダードと巡り会うことになる。もともと金ぴかコードに惹かれていたのもそのコンパクトさ。同じようにコンパクトでシンプルなスタンダードは一発で僕の心を鷲掴みにした。いつもの店員さんに全体的なコンディションを見てもらったが、レンズのテッサーをはじめ、どれもが珍しいくらい綺麗な状態だということで、その日のうちにわが家へ連れて帰ることとなった。

金ぴかコードからスタンダードへ。この流れが僕にとっては長徳さんと時空を超えてオーバーラップしたような気がして、妙に親近感を覚えてしまったのだ。田中長徳氏といえばライカ通として有名だけど、この本を読む限りでは、ローライフレックスのことも本気で愛しているように僕には思えた。本の中身はネタバラシになるのでこのへんにしておいて、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。すでに二眼レフを持っている人はますます所有機が愛おしくなるだろうし、これから二眼レフを検討しようとしている人にはなんというか手にする幸福感みたいなものがつかめると思う。

ローライフレックス スタンダードで撮り始めて以来、その書籍なんかも探すんだけど実は意外に少ない。ライカ本やハッセル本はわりとあるんだけど、ローライフレックスをはじめとする二眼レフの本は、僕はこの長徳さんの本と、もう一冊はKindle本で藤田一咲氏が書いた「ローライフレックスの時間」という二冊しかうまく見つけられなかった。もちろんネット上にはレビュー記事や動画もあるんだけど、そのカメラの世界に入り込みたい時は、僕は本がいい。なかでも田中長徳氏の本はとにかく土足でこちらの心に入り込んでくるようなところがあって笑、大いに没頭することができる。カメラは写真を撮る道具だから、いい写真が撮れるのならカメラはなんだっていいというのはあるんだけど、カメラに思い入れがあればさらに写真との人生は濃密になる。それくらい田中長徳氏の本は僕のカメラ人生に決して少なくない影響を与えている。責任をとってほしいくらいの笑。