そして「二眼レフカメラ ワークショップ」も、何度読んでも飽きない保存版。

田中長徳 著  二眼レフカメラ ワークショップ

わが家には田中長徳氏の書いたワークショップと言う名の本が二冊ある。ひとつは「ライカ ワークショップ」で、もうひとつがこの「二眼レフカメラ ワークショップ」だ。主にはローライフレックスのことが書かれているが、そこから派生した外国産や国産の二眼レフのことにもかなりふれているから、ローライフレックス ワークショップではなくて「二眼レフカメラ ワークショップ」ということになる。

田中長徳氏の本を読んだことがある人は分かると思うけど、この本も御多分に洩れずチョートク節が炸裂している。いわゆる「浅いカメラ通」や「神経質なカメラ追求人」なんかの思想はバッサバッサと斬り捨て、真のカメラ人類のあるべき姿を語っていく。僕も浅い人間の一人だが、読んでる時はなにか長徳さん側の熱いカメラ人類になっている気分で読んでしまうから、そういう意味でもこの本は見事なモチベーションアップ本といえる。

長徳さん自身は最初に手に入れたローライは「ローライコード アールデコ」、日本では“金ぴかコード”と呼ばれる名機だ。その後、それを手放し「ローライフレックス スタンダード」に買い換えている。このエピソードが僕には親近感がある。実は僕がローライを最初に意識したのも出張先でのぞいたお店で見かけた金ぴかコードだったからだ。あいにくその金ぴかコードは委託品で、修理しないとそのままでは使えないと店員さんに聞かされ、手に入れるには至らなかった。

それから一、二ヶ月してからのこと、地元のいつもの中古カメラ屋をのぞいた時に程度のいいローライフレックス スタンダードと巡り会うことになる。もともと金ぴかコードに惹かれていたのもそのコンパクトさ。同じようにコンパクトでシンプルなスタンダードは一発で僕の心を鷲掴みにした。いつもの店員さんに全体的なコンディションを見てもらったが、レンズのテッサーをはじめ、どれもが珍しいくらい綺麗な状態だということで、その日のうちにわが家へ連れて帰ることとなった。

金ぴかコードからスタンダードへ。この流れが僕にとっては長徳さんと時空を超えてオーバーラップしたような気がして、妙に親近感を覚えてしまったのだ。田中長徳氏といえばライカ通として有名だけど、この本を読む限りでは、ローライフレックスのことも本気で愛しているように僕には思えた。本の中身はネタバラシになるのでこのへんにしておいて、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。すでに二眼レフを持っている人はますます所有機が愛おしくなるだろうし、これから二眼レフを検討しようとしている人にはなんというか手にする幸福感みたいなものがつかめると思う。

ローライフレックス スタンダードで撮り始めて以来、その書籍なんかも探すんだけど実は意外に少ない。ライカ本やハッセル本はわりとあるんだけど、ローライフレックスをはじめとする二眼レフの本は、僕はこの長徳さんの本と、もう一冊はKindle本で藤田一咲氏が書いた「ローライフレックスの時間」という二冊しかうまく見つけられなかった。もちろんネット上にはレビュー記事や動画もあるんだけど、そのカメラの世界に入り込みたい時は、僕は本がいい。なかでも田中長徳氏の本はとにかく土足でこちらの心に入り込んでくるようなところがあって笑、大いに没頭することができる。カメラは写真を撮る道具だから、いい写真が撮れるのならカメラはなんだっていいというのはあるんだけど、カメラに思い入れがあればさらに写真との人生は濃密になる。それくらい田中長徳氏の本は僕のカメラ人生に決して少なくない影響を与えている。責任をとってほしいくらいの笑。

この時代の機能美というのは洒落ている。Rolleiflex Standard & Rollei35

Rolleiflex Standard, Rollei35

この時代というのは感覚的には1970年以前といったところだろうか。この時代のカメラたちをいくつか所有し、実用品として写真を撮るようになって、本当にその機械としての作り込みの凄さ、そしてその結果研ぎ澄まされたような機能美にいつもいつも魅せられる。

考えてみるとプラスチックが登場したあたりからその品みたいなものとは違う方向へカメラたちは向かい始めたんじゃないかと思う。相当便利で扱いやすく、軽く、さまざまな形に加工しやすくなったんだろうけど、その結果、セクシーさみたいなものは失われていったんじゃないかという気がする。僕はこの当時はカメラをやっていなかったから、リアルなその時代の転換みたいものは分からないんだけど。想像としてね。

ライカにしても、ローライにしても、ニコンにしても、1970年頃までのものは見るからに美しい。金属の艶かしさ、手に持った時の冷やっとした重量感ある手ざわり、そして鈍く光る各パーツ、どれをとってもプロダクトの黄金時代のようなまぶしさを僕は感じる。こういうデザインはデザインしようとしたらあざとくなるから、こうして機能美を突き詰めていった先にたどり着く姿が自然体で美しい。そして、その出しゃばらない感じが実に洒落ている。

復刻したものじゃなくて、当時としては最新鋭だったものが年月を経た結果クラシカルになる。それが本物で本気のデザインが放つセクシーさなんだと思う。現代のプロダクトデザイナーたちは大変だと思う。こんな時代のものたちと比べられながら新しいデザインを創造していかないといけないんだからね。いっそ、カメラらしいデザインを一切脱ぎ捨てて、現代の機能に即した現代の機能美を追求したほうが新しいセクシーさや洒落た世界を作れるのかもしれないね。僕は写真を撮るのは好きだけど、こうしてカメラ自体を撮るのも好きだ。そして、こうして眺めるのも好きだ。うまく言えないけどパワーをもらえるんだよね、眺めてると。降参だよ、まったく。

ブローニーのモノクロ初現像。ありがとう、トイラボさん。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Acros100

今週はじめにローライフレックス・スタンダードで初めてのブローニー現像を体験して、まだその感動の余韻に浸ってる中なんだけど、今度は後追いでトイラボさんに出していたブローニーのモノクロ現像のほうがあがってきた。トイラボさんも初体験、ブローニーのモノクロ現像も初体験、スキャニングデータを受け取るのもメールで初体験と、もう初体験づくしの一週間となった。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Acros100

先に体験したカラー現像もその独特の質感にちょっとした感動だったんだけど、今回のモノクロはさらに輪をかけて「好きだなあ」という世界を僕に見せてくれた。フィルムは今秋に販売終了が発表されている富士フイルム ネオパン ACROS100。僕がよく行くカメラ屋にひとつだけ置いてあったものだ。もしかしたら、僕にとって初体験のACROS100は、僕にとって最後のACROS100になったのかもしれないけど。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Acros100

こうして見ると、モノクロは感慨深い。やっぱりローライフレックス・スタンダードの時代はモノクロが主流の時代だったんだろうからね、そういう歴史の血みたいなものが、このスタンダードとモノクロフィルムの組み合わせの中には宿ってる気がする。写真の中に封じ込めた時間の流れ方がモノクロのほうがよく似合う、という感じかな。どうだろう。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Acros100

全12枚きっちり撮れていたけど、二枚ほど多重露光したものが混じってたかな。この上の写真もそうかな。意図して撮ったものじゃなくて、たぶん僕がフィルム送りを忘れてシャッターを切ってしまったものだけど、不思議とスタンダードで撮る多重露光はどれもいい雰囲気なんだよね笑。僕はこれ、フィルム一本に一、二枚混じる写真の神様からの贈り物だと思ってる。何かが宿ってる気がするんだよね。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Acros100

それにしても「トイラボさん、ありがとう」だ。今回初めてトイラボさんを利用してみたんだけど、フィルムを郵送で発送してから中2日でこうしてメールで写真データを受け取ることができた。いつものラボなら一、二週間はかかるし、スキャニング代も35mmフィルムの倍の料金がかかるところなんだけど、トイラボさんならブログやSNSで使う程度の「ネットサイズ」なら現像代以外はスキャニング代も一切かからない。それでこれだけしっかりデータ化できるのはありがたいし、何よりブローニーを気軽に現像に出そうと思える。トイラボさんにはぜひ頑張ってもらって、一緒にフィルム文化を継承し続けていけたらなとほんとに思った。

Rolleiflex Standard, 撮影はLeica IIIa

これでカラーとモノクロの試し撮りがひと通り終わったローライフレックス・スタンダード。いやもう、気に入ったという他ない。1930年代の赤窓仕様のボディとノンコーティングのテッサーがこれだけの写りを2018年に見せてくれるんだから、それはもうそれだけで感動するし、この時空を超えた歓びのような感情が実に爽快だ。また家にモノクロのブローニーフィルムは4本ある。あの映画のような、絵本の中のようなファインダーの中の絵を想像するだけでゾクゾクする。いいな、カメラはやっぱり。

ブローニー初現像。手がかかる分だけ愛おしい。

Rolleiflex Standard

現像出しから二週間くらいかな、やっと初めてのブローニー現像があがってきた。カメラは古いし、その扱いはぎこちなかったし、ちゃんと撮れてるんだろうかと期待と不安が入り混じる中での対面。それだけに、写真を見たときは嬉しかった。ただひたすら感動した。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

撮影場所はいつもの散歩道だし、僕の腕もこんなだから決して素晴らしい写真なんかじゃないけど、僕からしたらローライフレックス120フィルムの初号機であるスタンダードの操作に四苦八苦しながらも、こうして曲がりなりにも撮れていたことが嬉しいし、奇跡だと思った。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

驚いたのは、ちゃんとブローニーフィルム1本につき12枚ずつ撮れていたこと。ローライフレックス・スタンダードは赤窓を見ながらフィルム送りレバーをまわし一枚目をじぶんでセットしなければいけないんだけど、現代のフィルムはどうも当時より紙が薄いらしく、コマ間が狭くなったり、赤窓から感光したり、11枚しか撮れなかったりと、なかなか微妙でむずかしいと聞いていた。けれど、現像してみると12枚しっかり撮れていた。ほんと、写真の神様に“ありがとう”という気分だった。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

とはいえ、何が良くて何が悪いのかはまだ分からない。撮ってる時の僕はひたすら夢中で、操作ひとつひとつを慎重に行ってはいたけど、あまり覚えていないんだ。ただただ、その幻想的なファインダーの中の絵本のような世界に見惚れていた。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

この「スタンダード」はその後のローライフレックスに比べると、ファインダーは暗いし、フィルム送りとシャッターチャージは別々に行わないといけないし、シャッターボタンも横スライド式で手ブレしやすい。ローライフレックスの中でもいちばん手のかかる子といっていいと思う。でも、手のかかる子のほうが可愛いし、そうして撮れる写真は実に愛おしい。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

でも、手のかかるこの子は、やる子でもある。よく知られるローライフレックス3.5Fや2.8Fと比べるとひとまわり小さく、圧倒的に軽い。そう、より持ち出しやすい軽快なローライフレックスなんだ。そのレトロなデザイン、佇まいと共に、僕がスタンダードに惹かれたポイントはそこだった。ライカでいえばバルナックなんだ。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

そして、真四角写真。Instagramなんかで見慣れたスクエアフォーマットもこうしてじぶんで撮ったものを実際に観見ると、なんともチャーミングでクリエイティブ。6×6の中判に惹かれるひとたちの気持ちがとても分かるなあと。これは、35mmフィルムとは異なる世界、やっぱり絵本の中の世界というか、僕にはとても幻想的に思えた。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

なんだか似たような写真ばかりで恐縮だけど、試し撮りでそのスタンダードの世界に一気にハマり、一気に撮ったので、僕としてはその夢中で一気にシャッターを切り続けた感じが見て取れて、それもまた感慨深い。フィルムはFUJIFILMのPRO160NCなんだけど、このフィルムも好きになった。実はこの後モノクロフィルムも1本撮っていて、それは今日トイラボさんへ現像に出した。これもまた楽しみでならない。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

1930年代の二眼レフとレンズで2018年の今を撮る、その不思議な感覚。フィルムの未来は決して明るいものでないとしたら、なおさらこの世界はせつなく愛おしい。あと何年撮れるか分からないけど、この感触と写真をしっかりと五感で堪能して、その記憶をこのブログに記し続けていきたいと思う。もし、中判を試してみたいなと考えてる人がいたら、ぜひ一緒に楽しみましょう。そして歴史の目撃者になろう。

これだけ先進的なカメラがある時代に、どんどん不便なカメラの方へと行っちゃうんだよなあ。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

僕が最初に手にしたカメラはNikon D5300やD750。それまでiPhoneカメラしか知らなかった僕には衝撃的におもしろいカメラで、こんなハイテクの塊のようなカメラがある日本って凄いよなあとか思ってた。ピントもスパッ!スパッと決まって、明るいレンズでじゃんじゃん撮れるし、暗所だってまったく気にせず撮れる。カメラってそういうもんだと思ってた。

ところが初めてフィルムカメラNikon FEを手に入れたあたりから、カメラというものへの関心が少し変わっていく。遠くのものを望遠で撮るみたいな高性能であることを楽しむことから、露出を工夫しながら撮ることや、カメラやレンズの限られた性能の中で制約みたいなものを楽しみながら撮ることのおもしろさに目覚めていった、そんな感じだろうか。これを不便といえばそうなんだけど、不便という言葉はまったく思い描かなかったし、むしろカメラ任せじゃなくて、じぶんでカメラを操って撮ることがどんどん楽しくなっていった。

結果として僕が持っているカメラはどれも、少々手のかかるものばかりになった。それは自然と。デジタル一眼レフは低画素数のNikon D300に、じぶんでカチカチとダイヤル調節して撮るNikon Df、この時代に手ぶれ補正もAFもないLeica M-P、レンズは多くがマニュアルフォーカスだ。フィルムカメラも最初は絞り優先で撮れるNikon FEだったけど、その後フルメカニカルシャッターのNikon F2やLeica M3へ流れ、行き着くところフィルムカットが必要なバルナックライカIIIaや、赤窓をのぞいてじぶんでフィルム一枚目を出すRolleiflex Standardを手にするに至った。

じぶんでは何か古いものをコレクションしているつもりはまったく無くて、ただただシャッターを切る醍醐味を追いかけていったらそこへたどり着いた、そんな感覚なんだよね。終いには今日、大人の科学の付録である組み立て式の二眼レフを3,000円ちょっとで注文した。まったく新しい先進的なカメラやレンズには惹かれることが無くて、世の中的には不便と言われる方へとどんどん行っていることになるのかな。そういえば、少し前に手に入れたFUJIFILMのミラーレスもAFで撮ったことは一度もない笑。いま、こうしてブログを書いていてそんな事実にも気がついたくらいで、そもそもオートで撮るなんて思いもしなかった。

いや、別に懐古主義が楽しいですよとかそんなブログでは無くて、純粋にカメラでシャッターを切ることを楽しんでいたら自然とこう流れてきちゃったんだよね。僕自身はじぶんのことを客観的に見て、別にカメラやレンズが好きというマニアでもないし、そういう知識も全然ない。写真やフィルムのことも詳しくないし、撮る時はいつも直感的だ。強いて言うならシャッターを切ることが好きで、そのシャッターを切るまでの作法みたいなことを楽しんでるところはある。でもほんとそれだけで、その興味を突き詰めていったり、じぶんの目や手で確かめたいと思ったら、そういうカメラやレンズばかりになったんだ。

なんとなく思うのは、機械任せにしたくないんだろうなと。かといってじぶんで何もかもできる腕があるわけでもない。だから、なんというか、カメラと共同作業でシャッターを切るまでカチャカチャと対話するプロセスがちょうどいいんだろうし、そこにカメラに惹かれる理由がある気がする。若い頃はハイテクなものは大好きだったけど、歳をとったことも関係あるのかな。それとも単にハイテクなものにはないローテクの魅力を知らなかっただけなのかな。そのへんはじぶんでも定かじゃないけど、ひとまず今僕はこういう場所にいる。数年前には想像もしなかったような場所だけど、居心地はとてもいい。しかもまだ道半ばだから答えみたいなものが出たわけじゃない。どこへ行くのか、今どの辺なのかもさっぱり分からないけど、これはこれですべて必然な気がしていて、だったらひたすら流されてみようじゃないかと思ったり。不便か、便利か、そういうものさしはすっかり消えた。おもしろいように消えた。

ここのところ週末は1930年代コンビで撮るのが最上の癒し。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

GW前半戦の連休最終日、やっぱり僕はこの二台を連れ出した。Leica IIIaとRolleiflex Standard、共に1930年代でかれこれ80年〜90年前のカメラたちだ。

フィルムカメラを始めるまではたぶん想像もしなかったこと。それは半世紀どころかもうすぐ一世紀になろうかという戦前のカメラをこうして普通に21世紀の2018年に実用品として楽しんでいるということ。フィルムカメラをやっていない人だったら、にわかに信じられないんじゃないかな、100年近く前のカメラを今も素人が使ってるなんて。

Rolleiflex Standard

いや、僕だってフィルムカメラやっていなかったら、そんな大昔のカメラで週末に普通に写真を撮ってるなんて話、信じないから笑。でもご覧の通り、見た目はアンティークショップの置き物のようだけど、撮れるんだなあ、これが。正確にいうと二眼レフのRolleiflex Standardのほうはまだ試し撮りが現像からあがってきていないんで、ちゃんと撮れる代物かどうかは分からない。でもLeica IIIaのほうは元気そのもの。どちらも機械としてはまだまだ現役なんだ。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

カメラをやる人は分かると思うけど、この二つのカメラはもちろんフルメカニカルシャッター、いわゆる電池を使わない機械式カメラだから、電子部品が故障して交換するしかないというような壊れ方はしない。しっかりとした修理職人さんさえいれば、たぶんもう一世紀でも生き続けると思う。問題はフィルムのほうがそこまで生き続けてるかどうかではあるけど。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

でも、このまえ、某カメラ屋さんのフィルム売り場担当の人と立ち話してたんだけど、仮に富士フィルムさんがフィルムから撤退しても、その施設や現像関連機器を必ず誰かが買い取って続いていくのではと。なるほど、かなりリアリティはある。資本の小さな企業が買い取った場合、どうしても施設を維持するのに販売価格は今より高騰するだろうけど、フィルムと現像施設は無くなりはしないだろうと。あと何年か、何十年か。それは分からないけど、僕が現役で働いてる間はぜひ続いてほしいな。その間なら多少のコストは投入できるから。仕事を引退したら、フィルムカメラも引退かな、僕は。財布がまわっていかないから、きっと。だから今が旬なんだ、僕の中のフィルムはね。

終わりか、始まりか。二眼レフ。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

同じ職場にいちおうカメラ好きの後輩がいて、いつもカメラを手に入れたりするといちおう報告するんだけど、きょうも何気なく二眼レフを手に入れたことを報告してみたんだよね。「ついに最後のピースが埋まった感じ。これでカメラを手に入れるのは終わりだな」とね。

そしたら、その後輩から思いもしない返答が来た。「いやいや、終わりというより、これ始まりじゃないですか絶対」と。え、始まり?何の?その発想は無かった、そんな感じだった。僕は別に茶化したわけじゃなくて、本当に素直に「これで本当に試したいカメラはすべて試した」と思ったからそう報告したんだけど、後輩からするとこらまた素直に「途轍もない始まり感」を感じとったみたいなんだよね。

たぶん、それは「まったく違う次元のものへまた手を出した」というような始まり感に見えたんだろうね。僕にしてみたらバルナックLeica IIIaの延長線上で手にしたつもりのRolleiflex Standardなんだけど、カメラ好きとはいってもデジタルしかやらない後輩なんかから見ると、35mmフィルムカメラの延長線上にはまったく思えない印象なんだろうと思う。そう言われれば、僕もNikon FEでフィルムカメラを始めた頃は二眼レフを使うことになるとは思いもしなかったかもしれない。Rolleiflexにほのかに憧れはあったものの、僕もまた中判カメラであり二眼レフは異次元の世界だと思ってたんだろうね。後輩から「終わりじゃなくて、始まりじゃないですか」と言われるまではそんなこと考えもしなかったんだけど、ふと、なるほどそうかもと。

そこから、後輩にRolleiflex Standard ならではの撮影所作(オートマット式じゃなくて、じぶんで赤窓を見てフィルムの一枚目をセットすることや、フィルム送りとシャッターチャージが別なこと、ピントを合わせるのにルーペを使うことなど)、またスキャニング代がえらく高価なことなんかを話すと、それだけ手間がかかってしかも割高って、それもう完全にやられてる人じゃないですか!と。たしかにやられてるかもしれない笑。でも、手がかかるもののほうが愛おしいとか言うと、納得しつつも苦笑いしてた。すぐ壊れる?昔のイタ車とかを、手をかけて維持してる、そんな感じで見られるんだろうなあ。まあ、ハズレではないけど。

いまのデジカメしか知らない世代だと、仕上がりの写真がよほど特有の良さでもなければ、この手間暇とコストがかかるものをわざわざ使う意味が正直、理解に苦しむ感じなんだろうね。先輩の僕に話を合わせてはくれていたけど、そんなことをふと思った。僕もまだ現像したものを見ていないのに、その撮影所作だけでこれだけ感動しちゃってるのは、やはりカメラ好きにしか分からない感覚なんだろうね。そっか、世間はそんな印象なんだ、ということにあらためて気づいた日なのであった。

ローライスタンダードは、なぜか子供の頃を思い出す遊び道具感がある。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

ローライフレックス・スタンダードを手に入れてから初めての週末。ブローニーフィルムを装填するゆるやかな儀式を行ってから、年甲斐もなく無性にワクワクしながら試し撮りへ出かけた。自転車をこぐ足どりも異様に軽い。新しいカメラを手にした時に込み上げてくるエネルギーみたいなものはあいかわらずだ。

きょうも撮影のみなんで、作例はまだない。でも一昨日1本、きょうは3本ブローニーフィルムを撮り、少し慣れというかじぶん流の作法みたいなものは定まってきたように思う。まず、フィルム装填はもう全然平気になった。赤窓を見ながらフィルム1枚目までレバーを回す作業は小気味いい。赤窓を閉じたらフィルムカウンターを1に手動でリセットする。これも慣れた。

いちばん注意が必要なのがフィルムが多重露光しないように、撮影したら常に次のフィルム送りまでセットで操作しておくこと。これもレバーをストロークさせたらその合図としてレバーを反転させておくことにした。これでフィルム送りしたかどうかの忘却は大丈夫。あとはシャッターチャージして撮るだけだ。きょうはこのルールを設けたからあまり失敗はしていないと思う。

あとは露出合わせだけど、これもきょうはシャッタースピード固定で撮るのがいいなと分かった。どうせスタンダードは1/300までしかないから、無理をしないのであればSSは1/100固定がいい。それで撮る場所の光の差し込み具合で絞りを変えていきながら撮った。これがいちばん楽というか簡単に撮れるんじゃないかな。

それとファインダーだけど、前回は画角を決めたらルーペを出してピントを合わせ、また調整のために画角を確認するという工程を踏んでたんだけど、きょうは画角を軽く確認したらルーペを引き出し、ルーペでピントを合わせたらそのままシャッターを切るようになった。なんだ、顔をルーペに接近するくらい近づけたら画角の四隅まで確認できるんだという気づき。これだけでもずいぶん撮るのが素早くなった気がする。あとはそうだなあ、12枚撮り終えたらフィルム送りレバーを3、4回しか回さなくなったからこれも手早く。フィルムが送り終えると紙が抜ける感触があるから、それでいたずらに何度もフィルム送りレバーを回さなくなった。

どれもちょっとしたことなんだけど、これでずいぶんと撮ることに集中できるようになったんじゃないかな。というわけで、きょうは操作が容易になった分、二眼レフで撮る心地よさをより堪能というか、観察することができた。そうして思うは、二眼レフで撮るのは、実に玩具感があるということ。妙に子供の頃の遊びのような感覚を覚えるんだよね。虫眼鏡をのぞいたりするからかな、とにかく実験装置で遊んでいるような感覚になる。ほら、学研の付録に付いてたアノ玩具で遊ぶ感覚。だから、35mmフィルムカメラに比べて、写真を撮っているというより、写真と遊んでいるという気分がとても強いんだ。ウエストレベルファインダーだから腰を下ろせば地面を撮るのも容易。それをルーペでのぞいて撮るから、土遊びをしていた子供の頃の目線であることも大きいんだろうね。

あとはやっぱり真四角の独自のファインダーかな。これが35mmフィルムで撮っている時とは別物という感触を味あわせてくれる。何かで読んだけど、もともとは曖昧なファインダーゆえにトリミングすることを前提に四角サイズに設計されたらしんだけど、それがそのまま好まれてスクエアで使われてるようになったらしい。たしかに、この真四角で見たままの世界をそのままプリントしたほうがユニークだし、35mmフィルムにはないクリエイティビティがある気がする。そういうことすべてをひっくるめて、35mmフィルムカメラで撮る「写真」とは異なるモノを創造してる感じがおもしろいんだろうね。玩具としての子供心をくすぐられるところもあるけど、独特のファインダーはまるで絵本の中の世界にいるような感覚もある。上手く言えないけど、二眼レフとは記録装置というより、もっとエモーショナルな遊び道具体験なんだ。

この体験は言葉で表現するのはむずかしいな。少しでも興味のある人はぜひ一度体験してみてほしい。国産のものも含めてベーシックな二眼レフはずいぶん手頃な値段で手に入れることができる。フィルム代も現像代も35mmとは特に変わらない。それでこの新鮮な体験ができるのは、僕にはちょっと想像を大きく超えた気づきだったから。あ、もちろん、デジカメユーザーの人でもまったくむずかしくなく馴染むことができると思うよ。いろいろオートではないけど、とにかくシンプルだから。明日もう1本撮ったら週明けに5本をまとめて現像出しかな。一、二週間かかるのかな、でもそのゆったりとしたスピード感もまた子供の頃のゆるやかな時間の流れ方なんじゃないかと思う。

写真は好きだけど、趣味としては「カメラで撮る行為」が好きなんだろうな、僕は。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

思えばNikon D5300でカメラを始めてから、一度断捨離したりフィルムカメラで一眼レフを再開したりで、中判カメラまで来た。さっきローライフレックス・スタンダードのブログを書いていてふと思ったんだけど、まだ現像に出していないのにかなり高揚感というか感動の気持ちがある。これって僕は「カメラで撮るという行為」が好きなんだろうなとあらためて思ったりしたんだよね。

近ごろはフィルムも撮るし、デジタルも撮る。そこに変なこだわりはなくなったし、一眼レフかレンジファインダーかも言うほど僕の中では差はない。ようやくというか、その「カメラで撮るという行為、が好き」ということに行き着いた、そんな気がしている。その上で、できあがる写真まで気にいるものがあがればそれはもうボーナスみたいなもので、カメラを愛したことに対しての写真の神様からのご褒美みたいなもの。小っ恥ずかしいけど、そんなことを思った。

カメラで撮る行為が好き、ということになると、オートで撮れるものより自分でカメラを操って撮るもののほうが行為は濃くなるから、だんだんと機械式のものに惹かれていくのも分かる。だんだんと自分の本性というか、本能が欲する世界がわかっていく感覚は実に気持ちいい。たまに昔の自分のブログを読むと、その自分の好みがだんだんと紐解かれていく前夜みたいな気がして、あ、ブログに記しておいてよかったなと思ったり。結局、自分がいちばん分からないし、ミステリアス。趣味とは、そこを解き明かしていく行為なのかもしれないね。あらためて、いい趣味に出会えてよかったなと思う。とはいえ、できあがる写真もできれば上手くなりたいけど。

ブローニー初体験。きちんと撮れた気は1mmもしないけど、感動した。

Rolleiflex Standard, Fuji PRO160

我が家へやってきた中判二眼レフ、ローライフレックス・スタンダード。もちろん取説なんてないから、ネット記事やYouTubeの海外動画なんかを見ながら、まずはフィルム装填してみようと始めたんだけど、そうすると異常にファインダーの絵が見たくなり、結果一本だけ撮ってみた。もちろん現像はこれからなので、フィルム装填から撮影してみた感触だけ少し書いておきます。

まずフィルム装填。ブローニーフィルム未体験のひとがいちばん不安に思うのは、あの35mmフィルムとは違うなんともプロっぽい形に「素人には無理だろうアレ」と心理的壁みたいなものがあると思う。僕はそうだった。おまけに、ローライフレックスの中でもこのスタンダードはその後のオートマット(フィルム一枚目出しをオートで検出してくれる)仕様のものとは違って、いわゆる「赤窓」というのをのぞきながら自分で一枚目までフィルムを送り、撮影枚数カウンターも1枚目に自分で合わせる必要がある。こうして文章に書いても面倒くさそうだけど、ネット記事や動画を見てもなにやら難しそう。

んー、できるかなと恐る恐る装填を始めてみたんだけど、これが拍子抜けするくらい簡単にできた(ちゃんとできたかどうかは現像があがってみないと分からないけど)。自分でも思うのは、たぶん同じ年代の35mm機械式カメラであるバルナックライカのフィルム装填なんかを経験したから、それほど苦に思わないようになったんだろうなと。古いカメラを触るといつも思うんだけど、何事も実際にやってみると案外楽にできたりするもんだと。きょうはここまてで終わるはずだったんだけど、まあやはりというかファインダーの中の絵が見たくなって少しだけ外へ連れ出してみた。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

僕のローライフレックス・スタンダードには写真のような革ケースが付いていた。僕はふだんはカメラにケースは付けないんだけど、スタンダード本体にはストラップが付いていないんで、ストラップ代わりに革ケースを使うことにした。これまでのオーナーさんが大事に使ってくれたおかげで、革ケースもボディやレンズのコンディションもとてもいい。ありがたい。

フィルムカウンターを1枚目に合わせたものの、フィルム巻きレバーの位置が中途半端な角度で止まっていたんで、これでシャッターを切れば撮れるか不安になり巻きレバーを一度ストロークさせてみる(これで2枚目に送られたかもしれないけど)。で、お店で教わった通りファインダーを開いてまず絞りを決め、シャッタースピードを合わせ、ファインダーで画角を決めたら付属のルーペをせり出させてピントを確認、距離を合わせる。そして、シャッターチャージ。スタンダードはフィルム送りとシャッターチャージが連動していないから、別々に行う必要がある。この場合、フィルム送りを忘れてシャッターチャージだけして撮ってしまうといわゆる多重露光になる。多重露光するにはもってこいの機種とも言える笑。

で、この光景を撮ろうと思って一、二分経ってからようやくシャッターを切る。もっとかかったかな、慣れたら早くなるのかもしれないけど、少なくともバルナックライカのようにはサッとは撮れない。機械式のフィルムカメラにはずいぶん慣れっこのつもりだったけど、この二眼レフの作法は操作レバーの位置とかファインダーの覗き方とか含めてちょっと異体験というか、僕はしばらく使い込まないとサッとは撮れないなと思った。

でも、そもそもサッと撮るカメラじゃないんだろうなと思った。それは単に作法の話だけじゃなくて、ウエストレベルで眺めるファインダーの中の世界の幻想さなんかに見惚れながら過ごすその時間がとても情緒的でいい。急いで撮ることを一瞬忘れる感じとでもいえばいいかな。慌てて撮ろうと思わない。スタンダードのファインダーはたぶんその後のローライフレックスより暗いと思うけど、その曖昧さも含めてとても幻想的な絵を浮かび上がらせる。ルーペで見るとさらにハッとする。この世界にやられるんだろうな、中判クラスタの人たちは、と思った。

そうやって見惚れたり感動したりしながら一瞬時間を忘れて過ごすと、フィルム送りレバーを回したかどうかも忘れてしまう笑。だから、きょうの僕は多重露光したか、それとも撮らずに次の枚数へ送ってしまったか、とにかくきちんとは撮れていないと思う笑。次回への反省としては、シャッターを切ったらとにかくフィルム送りをしておく、これを一連の動作としてルールにしようと思った(参考に拝見したネット記事にもそう書かれた方がいたと思う)。

で、12枚でフィルムは撮り終わる。12枚を超えると枚数カウンターが赤の表示になるから、そこからフィルムを巻ききるんだけど、これがどこまでレバーを回せば巻ききったのかわからなかったから、僕はけっこうな回数巻いたと思う。でも、考えてみると二眼レフの場合(中判はみんなそうかな)、35mmフィルムのように0枚目まで巻き戻すのではなくて、空スプールに巻きつけていってお終いだから、12枚撮り切って赤い表示が出たらたぶんその後は少し巻くだけで巻きつけ終わるんだと思う。

ブローニーフィルム Fuji PRO160

で、裏蓋を開けるとこんな風に空スプールに巻きつけ終わったフィルムが出来上がる。先端についているシールを剥がして封をすれば現像出し用のフィルムの出来上がりだ。そうすると元のブローニーフィルムの空スプールが残ってるから、これを次回撮影するときのフィルム差し込みスプールとして活用する。この繰り返しというわけ。だから、初めて撮る時は空スプールが一本必要になる。カメラを購入した時にもし付属されていなかったらカメラ屋さんに言って空スプールを1つもらっておいたほうがいい。

というわけで、ひとまずフィルム装填から現像出しの前まではやってみたけど、どうかなあ、バルナックライカで初めて撮った時と同じくらい、ちゃんと撮れてる気がしないというか、変なドキドキ感がある。慣れないカメラの持ち方で手ブレもしまくった気がするし、露出やピント合わせも実にぎこちなかったし、まあ素人感満載だった。見た目は綺麗なスタンダードだけど、これも現像してみないと本当のコンディションは分からない。まあでも、初めての二眼レフ体験としては上々の感動があったと思う。きょうはわずかな時間だったから、あとは週末にもう少しじっくりとこいつと過ごしてみたいと思う。まだ中判未体験の人へ、ひと言。これは、この世からなくなる前に目撃しておいたほうがいい世界です、うん。