カメラはなんだっていいじゃん、というのはどこかある。

RICOH GR, GR Lens 28/2.8

これには少し補足がいるけど。カメラを操る楽しみは置いといて、できあがる写真においての話。

写真が好きな人ってのは、ある意味超越してる人だから、カメラがなんだっていい写真を撮ってしまう。正確にいうとたぶん、カメラがなんであろうが、そのカメラの性能や特長にいちばんあった方法論やまなざしで撮ってしまう、ということなんだろうなと思う。そういう人はカメラが写ルンですであろうが、センサーの小さいコンデジだろうが、距離計のないフィルムコンパクトだろうが、極端なことをいえば古いスマホカメラであろうが、ドキッとする写真を撮ることができる。半分想像で書いてるけど、たぶん間違ってはいないと思う。そういう人は僕なんかとまなざしが全然違っていて、撮ろうと思う対象も違うし、撮りたいと思う瞬間もきっと違う。四角い写真の中に何か絵を収めようとかそういう次元じゃなくて、そこに時間とかストーリー、人生観とか生きざまみたいなものを封じ込めてるんだと思う。違うかな、いや、言葉にするからダメなのかな。もっと言葉にできないものだ、きっと。

だから、そういう意味ではカメラなんてなんだっていいんだ、本当は。ただね、カメラを操って撮る楽しみというのは別にあるし、カメラが変わるとその性能や特長に合わせて撮り方が変わるのもまた事実だから、そう考えるとカメラにこだわるのは自然なことだし、カメラの性能があがればそれ以前は撮れなかったような写真が撮れることになる。でも、カメラが撮らせる写真より、たとえカメラがなんでもハートに追随させて(カメラに調子にのらせて、かな)撮っちゃう人のほうが、やるなあと思うし、できあがるものも強い気がするんだな。この話に結論はない。僕がなんとなく思ってることを記憶として綴ってるだけ。どうでもいい話かもしれないけど、どうでもよくない話というわけで。

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ノンエフェクトで撮ったほうがGRらしい。

RICOH GR, GR Lens 28/2.8

僕のGRの撮り方が変わった。RICOH GRは個性的なエフェクト機能を使って撮ることができ、それが面白みでもあるんだけど、このエフェクトを近ごろ使わなくなった。いわゆる素のモードで撮りだしたのである。

RICOH GR, GR Lens 28/2.8

きっかけはやはりフィルムカメラやデジイチの存在。そもそもこうしたカメラで撮る時、僕はレタッチは一切しない、いわゆるJPEG撮って出しなんだけど、加えてここ最近はレンズが本来持つ性能をいろいろ試していることもあり、だったらGRもGRレンズの素の性能を楽しもうと考えたわけである。

RICOH GR, GR Lens 28/2.8

結果は、ものすごくいいし、楽しい。GRレンズの綿密な描写は本来素晴らしいと言われるけど、エフェクトで撮るのをやめるとそれが如実に分かる。写真がまさにリアルになる感覚といえばいいだろうか。空をはじめ、空気が変わる。GRのカタログは解説コピーはほんのわずかで、ほぼ大写しの作例写真で構成されているのが印象的だけど、あの写真たちもエフェクト無しの素のGRレンズの描写で、あの質感がいいなと考えていたんだけど、やっとというか、フィルターの呪縛みたいなものから脱却できた気がする。なんでもそうだけど、素のままこそ、そのモノの性能を最も高く露わにできる。最近、特にそう思っている。

僕がGRのポジフィルム調でずっと撮っていたのは、そういうことなのかな。

RICOH GR, GR Lens 28mm

最近はGR Lensの素のポテンシャルを確かめたくてエフェクトなしで撮ってるけど、三年ほど前にRICOH GRを手に入れて以来、撮る時は好んで搭載エフェクト機能の「ポジフィルム調」か「白黒」で撮ってきた。カラーで撮る時はほぼポジフィルム調。ポジフィルムのことはよく分かってなかったけど、とにかくその質感が好きだった。

その知りもしないポジフィルムの雰囲気を好んで使ってきた僕の嗜好みたいなのが、今回、本当のポジフィルムを使ってみて腑に落ちた気がした。そして、Twitterの中である人からポジフィルムで撮った写真を見て、僕の撮りたい世界観にポジフィルムは合ってるかもしれないと声をかけてくれた。そうなのか、そうかもと。そうして過去を思い起こすと、このGRのポジフィルム調でずっと撮ってきたことに思い至った。

Nikon F6, 50/1.4D, FUJI FILM Velvia100

この写真が実際にポジフィルムで撮ったうちの一枚だけど、いちばん上のGRのポジフィルム調で撮ったものとどこか質感が似てるでしょ。もちろん本家本元のポジフィルムのほうがその描写は素晴らしいわけだけど、なかなかどうしてGRのほうも雰囲気は出てる。あのデジカメで撮ったどこかソリッド過ぎて人間味を感じづらい画像と比べると、やっぱりポジフィルムないしポジフィルム調には体温みたいなものがある。さて、溢れる現像量にデジタル比率を増やそうと考えてる現在なわけだけど、このポジフィルムとの向き合い方をどうするか。なかなか悩ましいのである。

RICOH GRの最高性能は、街角でのさりげなさ。

カメラを持ち始めた頃と比べたら、それでもずいぶんと街中でカメラを取り出して構えられるようにはなったけど、それでもなかなか難しいよね、街角スナップって。その難しさは、撮影テクニックというよりカメラを構える難しさ。だから僕はGR。ほぼノーファインダーでサッと撮る。仮にまわりの人が撮影してることに気づいても何事もなかったかのように見過ごしてくれるいい意味での存在感を消す感じ。何でも目立てばいいってもんじゃない。大人はね、さりげなくだよ、GR。

RICOH GRで慣れ親しんだ28mmを、フィルム一眼レフでも。

週末撮ったフィルムの現像受取でキタムラに立ち寄った際に、ここのところ気になっていた画角28mmのMFレンズを購入した。28mmの世界は初めてではない。半年前にフィルムカメラを始めるまでは、約一年間ほどGRだけで写真を撮っていて、35mm換算で28mmのGRは嫌というほどスナップを撮りまくったおなじみの画角でもある。そんな慣れ親しんだ画角だから、フィルムカメラでもそろそろあの広角の目で撮ってみたいと心のどこかで思っていたのかもしれない。

購入したのはAi Nikkor 28mm/F2.8。Auto Nikkorの広角レンズと見比べてどちらにするか悩んだりもしたんだけど、最終的には僕の手持ちのNikon機すべてで使えるAi Nikkorにした。僕の所有するNikon機はNikon FE、Nikon F2、そしてデジタルのNikon D300の三台。Auto NikkorだとF2でしか使えないけど、Ai Nikkorならデジタル一眼レフであるD300でも使用できる。D300はAPS-Cなんで35mm換算だと42mm程度の画角になるが、それも含めておもしろい画角だなと思った。

28mmという画角は慣れるまでちょっと時間がかかる。少なくとも僕はそうで、GRで撮り始めた頃は正直苦手意識があった。とにかく思った以上に周囲のものが写り込むんだよね。標準レンズといわれる50mmに慣れていると、28mmは”広大”。それは同じく広角といわれる35mmの比じゃない。でも慣れてくると、これくらいスパンスパンとスナップが撮れる画角もないと思えてくる。それはたぶん、上下左右にいろんなものが写り込む分、そこにシーンというかストーリーを想起しやすいからじゃないかと思うんだけど、どうだろう。

フィルムを始めてからは、レンズは50mmと35mm、あとフィルムコンパクトの38mmで撮り続けてきた。そこからさらなる変化を楽しむとするなら、広角に行くか、望遠に行くかという選択肢があるけど、僕はまず広角に行ってみたいと思った。それはGRで見続けていた28mmの世界を懐かしむ感情もあるかもしれない。でもGRと一眼レフが決定的に違うのは”ファインダーの有無”。28mmの世界をファインダーを通して見てみたいという好奇心が、僕を突き動かした。この週末が楽しみになってきた。カメラの楽しみはやっぱり尽きないのである。

デジカメはレンズを替えたけど、フィルムはカメラを替える。

これは僕だけかな、どうかな。以前、デジカメを使ってた時はボディは数台持ってたけど、常用していたのはNikon D750で、週末ごとに替えていたのはレンズだった。ある時は50mm単焦点、ある時は標準ズーム、ある時は望遠ズーム、ある時はマクロ。そうやってレンズを交換することで写真の違いや気分転換を楽しんでた。

それと比べると、フィルムカメラを始めてからは、レンズを替えるんじゃなくて、ボディを替えて楽しんでるじぶんがいる。そういえば、ひとつのボディに基本、レンズはひとつだけ装着したままにしていて、あまり交換用のレンズが欲しいとも思わない。近いうちにNikon F3を迎え入れようとしているんだけど、そうすると僕のボディバリエーションの使い方はたぶんこうなる。

平日の慌ただしい中での街撮りスナップはKonica C35/38mm。週末ゆっくりかまえてダイナミックに撮りたい時はNikon F2/50mm。ゆっくりかまえて、でも静かにしっかりと写真に収めたい時はLeica M3/50mm。しっかり撮りたいんだけど、家族旅行とか俊敏に撮ることもある時はNikon F3/35mm。あと、Runとかロードバイクに乗せてガシガシ使う時はNikon FEシルバーボディ/50mm。望遠ズームを連れ出す時はNikon FEブラックボディ/70-210。すべてのサブ機に、おさえとしてデジタルのRICOH GRだ。

どうだろう、これなら複数台カメラがあっても満遍なくすべてのボディを使ってあげられそうな気がする。まあでも、その時々の気分によってもっと自由度高くボディを持ち替えるんだろうけど、これ以上増やすとカメラケースにお飾りのボディが出てきそうだから、適度に使いまわせるボディ種類と数をイメージし始めているじぶんがいる。でも、レンズを替えるんじゃなくてボディを持ち替えたいという欲求が強いのは、やっぱりフィルムカメラにはボディそれぞれに個性と味があるからだろうね。そういう意味ではデジカメ時代のレンズ沼とは違ってボディ沼であって、いや沼ではなくてボディ愛なんだろうね。

鞄の中にはいつも2つのコンパクトカメラが入っている。RICOH GR × KONICA C35

少々鞄は重くはなるんだけど、それでも”撮りたい”と思った時に持ち歩いていなくて後悔することが何度かあったから、いまは常にこの2つのコンパクトカメラと平日の日常を動いている。

日中はほとんどフィルムコンパクトのKonica C35。やっぱりできればフィルムの質感で撮りたいというのがあるから、夕刻ギリギリまではC35で撮る。フィルムの感度は100だから屋内や夕景は得意ではないけど、しっかりかまえて撮ればまあいけるかな。

そんな屋内や夕刻以降の場面ではRICOH GRの出番になる。撮るのはスナップが多いからモノクロで撮ることがほとんどかな。フィルムで撮る時がカラーだから、その反動でモノクロで撮りたくなるというのもある。あと、GRだとその場で写真が確認できるんで、そのままリアルタイムでSNSやブログに写真をあげることもできる。

そんな2つのカメラのいいところを掛け合わせると、撮りたい!と思った時に、とても自由度高く撮ることができるから、今はとてもこの2つのカメラと過ごすことが気に入っている。Twitterの中にも同じような組み合わせのスナップ用カメラを持ち歩いている人がいて、あ、気分はこん感じなのかなと思ったり。そんな写真たちはTwitterやInstagramに置いているので、このブログ同様のぞいてみてもらえるとうれしいな。さて、週の真ん中の水曜日、もうひと頑張りだ。

朝晩はRICOH GR、日中はKONICA C35。いまのところ。

今朝はひさしぶりにGRで撮ったスナップをTwitterに連投した。昨夜、いつもよりはやく眠りについた分、今朝は4:30amくらいに目が覚めて、夜明けの街を散歩カメラしてきたものだ。僕はふだんはフィルムで撮ることが増えたけど、常用の感度100のフィルムだと朝晩の太陽光は露出不足かなと思い、こうして朝晩出かける時はGRのほうが確実だ。そんな使い分けから、いまは朝晩はGR、日中はC35という使い方に落ち着いてきた。

RICOH GRはデフォルトでいくつかのエフェクトがある。僕が好んで使うのは「白黒」と「ポジフィルム調」。フィルムカメラで撮るようになってからは、GRで撮る時もフィルムをどこか意識していて「ポジフィルム調」を選択することが多い。アンダー気味でもしっかり描写してくれるところは、さすがデジタル、さすがGRといったところ。あとはとにかくGRだとヒュンヒュン撮れるということ。プログラムモードでノーファインダー気味にどんどん撮れる。28mmの広角も撮りやすさを後押しする。

一方で日中はもっぱらフィルムコンパクトのKonica C35で撮るのが最近の僕のパターンだ。感度100でも日中ならヘキサノン(テッサー型レンズ)は実にいい感じで街の表情を記憶してくれる。フィルム交換も簡単だから、立ち止まって気軽にフィルムチェンジができる。そして、朝晩のGRとは違って、日中は少しオーバー気味にあがることを意識している。実際はプログラムAEだから絞りとシャッタースピードはカメラまかせだけど、現像に出すと決してゆるふわではない、ほどよい落ち着きのある明るめの写真があがってくる。C35の特性か、それともラボの仕上げのせいか、実にほどよい風合いが気に入っている。カメラは何でもいいとも言えるけど、こうして使い分けるのもまた楽しい。さて、金曜日の午後、そろそろ脳が週末に向けてソワソワし始めている。

忙しい時のほうが写真を撮りたくなる。そういう効能を持ち合わせてるんだろうね。

きょうはあまり写真を撮らなかった。朝、パン屋で行く時にカメラは持ち出したのだけど、あまり撮ることはなかった。撮る気がしなかったとかそういうことではなくて、僕の場合は忙しい時ほど写真を撮りたくなるから、今朝はその逆でかなりゆったりとした気持ちだったのかもしれない。

先週は心も体もどこか忙しくて、そうすると合間合間にシャッターを切って一度時間を止めたくなるんだよね。うまく言えないけど、写真を撮るということは僕にとっては心を落ち着かせることでもあるんだ。だから、これだけ長続きしているのかもしれない。

そうやって考えると趣味があるというのはとてもたいせつで、カメラとかスイムとかロードバイクとか、張りつめた心を少し溶かしてくれるモノだったり時間を持つというのは、仕事と同じくらい人生ではセットだ。若い頃はそんなことを考える余裕もなかったけど、いまはそう思う、心から。

みんな、生きてる以上は何かしらのストレスやプレッシャーと日々を過ごす。どんなに強いひとでもそんな時間だらけだったら何かが折れる。だから、ひとそれぞれ何かバランスをとるものを探す。そういう写真でいう光と影みたいなものを手繰りながら、ひとは走り続けてるんだよね。写真にはいろいろそのひとが滲み出るというけど、そりゃ滲み出るよね、その写真を撮る前後の事柄がたくさん作用して撮るわけだから。そして、そういう日常の気持ちの気配みたいなものが写りこんだ写真が僕は好きだな。

花の色気にはやっぱり吸い寄せられる。

デジタル一眼レフを使っていた頃に比べれば撮影する頻度は減ったけど、あいかわらず僕は花にどこか吸い寄せられる。写真はGRの47mmクロップで撮ったもの。GRでもこれくらいはマクロっぽく撮れるからサブカメラとしてはやっぱり重宝する。花の魅力とは何なんだろうね。綺麗とかそういうものではない。どちらかというともっと妖艶で危険というか卑猥な感じすら僕はする。でもそこが本能に訴える。形、色、艶、どれをとってもやはり生き物が持つあの独特の危うさみたいなものを花は放つ。そういう生き物だけに、真夏のかんかん照りの太陽光線の降り注ぐ季節になると自然は陰に隠れる。だから、今が花たちの最も色気がピークの季節なんじゃないかと花を撮るようになって考えるようになった。花を撮ることは一見平凡に思えるかもしれないけど、僕はこの色気みたいなのは、宇宙の例えば木星の表面をアップで撮るのと同じくらいクラクラする世界と同じものだと考えている。