RICOH GRの最高性能は、街角でのさりげなさ。

カメラを持ち始めた頃と比べたら、それでもずいぶんと街中でカメラを取り出して構えられるようにはなったけど、それでもなかなか難しいよね、街角スナップって。その難しさは、撮影テクニックというよりカメラを構える難しさ。だから僕はGR。ほぼノーファインダーでサッと撮る。仮にまわりの人が撮影してることに気づいても何事もなかったかのように見過ごしてくれるいい意味での存在感を消す感じ。何でも目立てばいいってもんじゃない。大人はね、さりげなくだよ、GR。

RICOH GRで慣れ親しんだ28mmを、フィルム一眼レフでも。

週末撮ったフィルムの現像受取でキタムラに立ち寄った際に、ここのところ気になっていた画角28mmのMFレンズを購入した。28mmの世界は初めてではない。半年前にフィルムカメラを始めるまでは、約一年間ほどGRだけで写真を撮っていて、35mm換算で28mmのGRは嫌というほどスナップを撮りまくったおなじみの画角でもある。そんな慣れ親しんだ画角だから、フィルムカメラでもそろそろあの広角の目で撮ってみたいと心のどこかで思っていたのかもしれない。

購入したのはAi Nikkor 28mm/F2.8。Auto Nikkorの広角レンズと見比べてどちらにするか悩んだりもしたんだけど、最終的には僕の手持ちのNikon機すべてで使えるAi Nikkorにした。僕の所有するNikon機はNikon FE、Nikon F2、そしてデジタルのNikon D300の三台。Auto NikkorだとF2でしか使えないけど、Ai Nikkorならデジタル一眼レフであるD300でも使用できる。D300はAPS-Cなんで35mm換算だと42mm程度の画角になるが、それも含めておもしろい画角だなと思った。

28mmという画角は慣れるまでちょっと時間がかかる。少なくとも僕はそうで、GRで撮り始めた頃は正直苦手意識があった。とにかく思った以上に周囲のものが写り込むんだよね。標準レンズといわれる50mmに慣れていると、28mmは”広大”。それは同じく広角といわれる35mmの比じゃない。でも慣れてくると、これくらいスパンスパンとスナップが撮れる画角もないと思えてくる。それはたぶん、上下左右にいろんなものが写り込む分、そこにシーンというかストーリーを想起しやすいからじゃないかと思うんだけど、どうだろう。

フィルムを始めてからは、レンズは50mmと35mm、あとフィルムコンパクトの38mmで撮り続けてきた。そこからさらなる変化を楽しむとするなら、広角に行くか、望遠に行くかという選択肢があるけど、僕はまず広角に行ってみたいと思った。それはGRで見続けていた28mmの世界を懐かしむ感情もあるかもしれない。でもGRと一眼レフが決定的に違うのは”ファインダーの有無”。28mmの世界をファインダーを通して見てみたいという好奇心が、僕を突き動かした。この週末が楽しみになってきた。カメラの楽しみはやっぱり尽きないのである。

デジカメはレンズを替えたけど、フィルムはカメラを替える。

これは僕だけかな、どうかな。以前、デジカメを使ってた時はボディは数台持ってたけど、常用していたのはNikon D750で、週末ごとに替えていたのはレンズだった。ある時は50mm単焦点、ある時は標準ズーム、ある時は望遠ズーム、ある時はマクロ。そうやってレンズを交換することで写真の違いや気分転換を楽しんでた。

それと比べると、フィルムカメラを始めてからは、レンズを替えるんじゃなくて、ボディを替えて楽しんでるじぶんがいる。そういえば、ひとつのボディに基本、レンズはひとつだけ装着したままにしていて、あまり交換用のレンズが欲しいとも思わない。近いうちにNikon F3を迎え入れようとしているんだけど、そうすると僕のボディバリエーションの使い方はたぶんこうなる。

平日の慌ただしい中での街撮りスナップはKonica C35/38mm。週末ゆっくりかまえてダイナミックに撮りたい時はNikon F2/50mm。ゆっくりかまえて、でも静かにしっかりと写真に収めたい時はLeica M3/50mm。しっかり撮りたいんだけど、家族旅行とか俊敏に撮ることもある時はNikon F3/35mm。あと、Runとかロードバイクに乗せてガシガシ使う時はNikon FEシルバーボディ/50mm。望遠ズームを連れ出す時はNikon FEブラックボディ/70-210。すべてのサブ機に、おさえとしてデジタルのRICOH GRだ。

どうだろう、これなら複数台カメラがあっても満遍なくすべてのボディを使ってあげられそうな気がする。まあでも、その時々の気分によってもっと自由度高くボディを持ち替えるんだろうけど、これ以上増やすとカメラケースにお飾りのボディが出てきそうだから、適度に使いまわせるボディ種類と数をイメージし始めているじぶんがいる。でも、レンズを替えるんじゃなくてボディを持ち替えたいという欲求が強いのは、やっぱりフィルムカメラにはボディそれぞれに個性と味があるからだろうね。そういう意味ではデジカメ時代のレンズ沼とは違ってボディ沼であって、いや沼ではなくてボディ愛なんだろうね。

鞄の中にはいつも2つのコンパクトカメラが入っている。RICOH GR × KONICA C35

少々鞄は重くはなるんだけど、それでも”撮りたい”と思った時に持ち歩いていなくて後悔することが何度かあったから、いまは常にこの2つのコンパクトカメラと平日の日常を動いている。

日中はほとんどフィルムコンパクトのKonica C35。やっぱりできればフィルムの質感で撮りたいというのがあるから、夕刻ギリギリまではC35で撮る。フィルムの感度は100だから屋内や夕景は得意ではないけど、しっかりかまえて撮ればまあいけるかな。

そんな屋内や夕刻以降の場面ではRICOH GRの出番になる。撮るのはスナップが多いからモノクロで撮ることがほとんどかな。フィルムで撮る時がカラーだから、その反動でモノクロで撮りたくなるというのもある。あと、GRだとその場で写真が確認できるんで、そのままリアルタイムでSNSやブログに写真をあげることもできる。

そんな2つのカメラのいいところを掛け合わせると、撮りたい!と思った時に、とても自由度高く撮ることができるから、今はとてもこの2つのカメラと過ごすことが気に入っている。Twitterの中にも同じような組み合わせのスナップ用カメラを持ち歩いている人がいて、あ、気分はこん感じなのかなと思ったり。そんな写真たちはTwitterやInstagramに置いているので、このブログ同様のぞいてみてもらえるとうれしいな。さて、週の真ん中の水曜日、もうひと頑張りだ。

朝晩はRICOH GR、日中はKONICA C35。いまのところ。

今朝はひさしぶりにGRで撮ったスナップをTwitterに連投した。昨夜、いつもよりはやく眠りについた分、今朝は4:30amくらいに目が覚めて、夜明けの街を散歩カメラしてきたものだ。僕はふだんはフィルムで撮ることが増えたけど、常用の感度100のフィルムだと朝晩の太陽光は露出不足かなと思い、こうして朝晩出かける時はGRのほうが確実だ。そんな使い分けから、いまは朝晩はGR、日中はC35という使い方に落ち着いてきた。

RICOH GRはデフォルトでいくつかのエフェクトがある。僕が好んで使うのは「白黒」と「ポジフィルム調」。フィルムカメラで撮るようになってからは、GRで撮る時もフィルムをどこか意識していて「ポジフィルム調」を選択することが多い。アンダー気味でもしっかり描写してくれるところは、さすがデジタル、さすがGRといったところ。あとはとにかくGRだとヒュンヒュン撮れるということ。プログラムモードでノーファインダー気味にどんどん撮れる。28mmの広角も撮りやすさを後押しする。

一方で日中はもっぱらフィルムコンパクトのKonica C35で撮るのが最近の僕のパターンだ。感度100でも日中ならヘキサノン(テッサー型レンズ)は実にいい感じで街の表情を記憶してくれる。フィルム交換も簡単だから、立ち止まって気軽にフィルムチェンジができる。そして、朝晩のGRとは違って、日中は少しオーバー気味にあがることを意識している。実際はプログラムAEだから絞りとシャッタースピードはカメラまかせだけど、現像に出すと決してゆるふわではない、ほどよい落ち着きのある明るめの写真があがってくる。C35の特性か、それともラボの仕上げのせいか、実にほどよい風合いが気に入っている。カメラは何でもいいとも言えるけど、こうして使い分けるのもまた楽しい。さて、金曜日の午後、そろそろ脳が週末に向けてソワソワし始めている。

忙しい時のほうが写真を撮りたくなる。そういう効能を持ち合わせてるんだろうね。

きょうはあまり写真を撮らなかった。朝、パン屋で行く時にカメラは持ち出したのだけど、あまり撮ることはなかった。撮る気がしなかったとかそういうことではなくて、僕の場合は忙しい時ほど写真を撮りたくなるから、今朝はその逆でかなりゆったりとした気持ちだったのかもしれない。

先週は心も体もどこか忙しくて、そうすると合間合間にシャッターを切って一度時間を止めたくなるんだよね。うまく言えないけど、写真を撮るということは僕にとっては心を落ち着かせることでもあるんだ。だから、これだけ長続きしているのかもしれない。

そうやって考えると趣味があるというのはとてもたいせつで、カメラとかスイムとかロードバイクとか、張りつめた心を少し溶かしてくれるモノだったり時間を持つというのは、仕事と同じくらい人生ではセットだ。若い頃はそんなことを考える余裕もなかったけど、いまはそう思う、心から。

みんな、生きてる以上は何かしらのストレスやプレッシャーと日々を過ごす。どんなに強いひとでもそんな時間だらけだったら何かが折れる。だから、ひとそれぞれ何かバランスをとるものを探す。そういう写真でいう光と影みたいなものを手繰りながら、ひとは走り続けてるんだよね。写真にはいろいろそのひとが滲み出るというけど、そりゃ滲み出るよね、その写真を撮る前後の事柄がたくさん作用して撮るわけだから。そして、そういう日常の気持ちの気配みたいなものが写りこんだ写真が僕は好きだな。

花の色気にはやっぱり吸い寄せられる。

デジタル一眼レフを使っていた頃に比べれば撮影する頻度は減ったけど、あいかわらず僕は花にどこか吸い寄せられる。写真はGRの47mmクロップで撮ったもの。GRでもこれくらいはマクロっぽく撮れるからサブカメラとしてはやっぱり重宝する。花の魅力とは何なんだろうね。綺麗とかそういうものではない。どちらかというともっと妖艶で危険というか卑猥な感じすら僕はする。でもそこが本能に訴える。形、色、艶、どれをとってもやはり生き物が持つあの独特の危うさみたいなものを花は放つ。そういう生き物だけに、真夏のかんかん照りの太陽光線の降り注ぐ季節になると自然は陰に隠れる。だから、今が花たちの最も色気がピークの季節なんじゃないかと花を撮るようになって考えるようになった。花を撮ることは一見平凡に思えるかもしれないけど、僕はこの色気みたいなのは、宇宙の例えば木星の表面をアップで撮るのと同じくらいクラクラする世界と同じものだと考えている。

カメラたちを撮るのも趣味のひとつかもしれない。

土曜日の朝、自転車とカメラと散歩に出ている。鳥の声、風の音、たまに飛行機が上空を通過する音、あとはとてもシンプルな情景だ。なんでもない瞬間だけど実に癒される。僕には必要な時間だ。

こうやってベンチに腰掛けてカメラを眺めていると、いつもついついカメラたちを写真に収めてしまう。Leica M3とKonica C35をRICOH GRで撮る。カメラで写真を撮ることが大好きだけど、そのカメラたちをこうして写真に撮ることも同じくらい好きだ。やっぱりカメラというプロダクトに惹かれてるんだろうな、僕は。

お、遠くから中学校のブラスバンドの音が聞こえる。土曜日だけど部活で練習なんだろう。僕の中学時代はスポーツに明け暮れたけど、今度生まれ変わったら文化系の部活でもいいな。音楽もいいけど、写真部があったらNew FM2とか機械式カメラを手に入れてフィルムや露出を一から学ぶ。そうするとちょっと今とは違う人生を歩むに違いない。最終的にはこうして今と同じようにカメラたちとベンチにいるような気はするが笑。

振り落とされそうなスピードの時代だから、立ち止まって写真を撮る。

今週もマッハで金曜日。先週がずいぶん過去に思えるかと思えば昨日のようにも思えたり、ちょっと脳内時計が狂うようなものすごいスピード感で時間が経過しているように思う。カメラはそんな時間を一瞬止めたり巻き戻したりしてくれる。そして何より立ち止まらせてくれる。そんなカメラを鞄に常に入れておけばお守りであり精神安定剤のようになる。きょうも鞄にRICOH GRとKonica C35を入れて、僕は時折立ち止まる。

GRとかフィルムとか、僕が好んで使うモノたちは世の中ではマイナーなんだろうか。

さっき赤城さんがツイートされた日経の記事でリコーが個人向けカメラ事業の縮小、撤退も検討…という文字をみかけた。RICOH GRもPENTAXもピークの10年前と比べると五分の一まで縮小みたいな文字もみかけた。スマートフォンカメラの台頭か…そうだよな、こうして僕はGRを好んで毎日持ち歩いてはスナップを撮ってるけど、身の回りに同じようにGRを使っているひとはスマホのようにはいない。フィルムも僕が意識してる分、それなりに世の中にブームのような気配を感じるけど、これだってスマホのようには数はいない。メジャーかと言われれば圧倒的にマイナーなんだろうな。企業だってビジネスだから、理想とポリシーがあったとしても需要と供給に逆らって孤高のビジネスを続けるのはむずかしい。悩ましいけど、じぶんにできることはなかなか見つからない。とりあえず、今日も撮る、GRとフィルムで。何かの奇跡を祈りながら。