いま振り返る、Nikon FEとの運命的な出会い。

Nikon FE, Ai 50/1.8

皆さんは、最初に手にしたカメラは何だろうか?。僕はこのNikon FE。正確にいうとそれ以前にデジタルカメラは数台経験していたけど、“今の僕”があるという意味においては、このフィルムカメラのFEが始まりといってもいいだろう。それくらい、このカメラとの出会いが僕のライフスタイルに大きく影響を与えた。

デジカメを一度いわゆる断捨離してRICOH GRだけで過ごしていた時に、たぶん日々眺めていたTwitterの影響もあったのか、ふと中古カメラコーナーに立ち寄ったんだよね。中古カメラとはいえ、どれも数万円はするなかで、このFEはたしか一万円もしなかったんじゃないだろうか。しかもレンズも付いてショーケースの中に鎮座していた。けれど貧乏くさく置かれていたんじゃなくて、僕にはその端正ないかにもフィルムカメラらしい佇まいがとても格好良く見えたんだよね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

ブラックとシルバーがバランスよく配されたデザインはとてもカメラらしく、垂直に描かれたNikonの旧ロゴ、いかにもメカニカルな各種ダイヤル、あと匂いというのかな、僕が生まれて育ってきた昭和の香りをプンプンと放ち、一気に気持ちが引き込まれていくのがわかった。となれば躊躇する値段でもないし、連れて帰ってみようと。そこから始まったんだよね、時間の流れ方が変わる生活が。

Nikon FE, Ai 50/1.8

だって、こんな自転車のありふれた部品を撮るだけでも楽しいんだよ。そんなカメラないよね、普通(笑)。僕のFEは値段のわりに外観はすこぶる美しいけど、ファインダーの中はそれなりにゴミなんかもあって最新カメラと比べるとお世辞にも快適とは言えない。けれど、それも含めて楽しいんだ、このFEのファインダーを通して記憶する世界はね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

シャッターレバーもいかにもレトロな形で、こんなので写真が撮れるんだろうかと最初は思ったもんなあ。ジーっと巻き上げてシャッターを切ると、これまたなんともレトロで頼りないシャッター音を奏でる(笑)。もうね、癒しの世界とはこういうものを言うんだろなというくらい、このデジタルハイテク時代にあって新鮮な撮影体験だった。

Nikon FE, Ai 50/1.8

心配してた露出合わせもAEの絞り優先撮影ができるFEならまったく分からないわけじゃない。いま思うとかなり開放気味だったとは思うけど、シャッタースピードのことまでは理解できていなくても撮影自体は普通にできた。どちらかというとマニュアルフォーカスのほうがどぎまぎしたかな。

Nikon FE, Ai 50/1.8

購入したのが金曜日の夜だったから、土曜日の朝、一本だけお店で詰めてもらっていた24枚撮りの業務用100で夢中で撮った。家の近くの公園とか何の変哲もないありふれた光景たち。それでも僕には満足だった。というか、その体験したことのないフィルム撮影の味わい深さに感動しきりで、結局その週末は近くのホームセンターでフィルムを買い足して、まだちゃんと撮れているか分からない試し撮りに数本のフィルムを費やした。

Nikon FE, Ai 50/1.8

そして週末が終わりフィルムを初めて現像に出すことになるんだけど、この現像あがりを待つまでの時間も何ともいえずワクワク、ドキドキしてたなあ。もうね、恥ずかしいけど中学の頃の恋模様のようなあのドキドキ感だから(笑)。あんな心境は二度と経験できないと思ってたけど、こんなオヤジになってもできるんだよね、フィルムカメラなら。

Nikon FE, Ai 50/1.8

最初の現像はまだデータ化とかの仕組みもよく分かっていなかったから、全枚数プリントを頼んだんだよね。これがまた良かったのかもしれない。現像からあがってきた写真たちをお店の人が「写真の仕上がりを確認してください」とレジで促してくらたんだけど、そのプリント写真を見た時の衝撃は今でも忘れない。「なんだ、この美しい写真たちは!これ、本当に僕があの古くさいカメラで撮ったものなのか?!」と本当にしばらく言葉を失ったから。

Nikon FE, Ai 50/1.8

以降、僕がフィルムNikonのブラックシップ機、F2やF6、フィルムライカの原点IIIaやM3、ローライフレックスやローライ35を手にしていったわけだけど、もうこれはすべてNikon FEとの衝撃的な出会いがあったからこそ。さらに新鮮だったのは、このフィルム体験がもう一度“マニュアルライクなデジタル”との再会まで導いてくれて、Nikon DfやLeica M-P(typ240)までもが今では日々の相棒になった。

気がついたら世間から“沼”と言われそうなくらいの数のカメラに囲まれたおじさん人生になったけど、いま僕は青春を謳歌している。フィルムカメラたちは僕が生まれ育った昭和の頃の何かも感じさせてくれるからね、そういう意味でも青春を取り戻している感覚があるのかもしれない。人にはそれぞれ人生の中でいくつかの転機があると思うんだけど、僕にはこのFEとの出会いがその大きなひとつであることは間違いない。フィルムという記憶メディアがいつまで楽しめるのかは分からないけど、使えるかぎりは僕の青春も終わらない。いい歳してほんといいものに巡り会わせてもらった。人生がとても豊かなものになった。

考えてみると、街中で一眼レフを構えたことがない。その理由のようなもの。

Nikon F6, Ai AF 50/1.4D, FUJIFILM 業務用100

理由なんてそんな大げさなものではないんだけど、これだけ街撮りスナップしていてまったくといっていいほど一眼レフを持ち出していないのは普通なのか、それともめずらしいことなのか、ちょっと気になったんだよね。

思えば、デジタルもフィルムも僕が最初に手にしたのは一眼レフだ。デジタルはNikon D5300、フィルムはNikon FE、デジタルは今ではNikon Dfになったけど完全に週末用で、週末に家族と出かけた先でたまたま街中を背景に撮ることはあるけど、街撮りスナップは一度も経験がない。フィルムのほうも一眼レフは、FE以外にNikon F2とF6があるけど、こちらも古い町並みをリバーサルなんか詰めて撮りに行くことはあるんだけど、やっぱり街撮りスナップはない。

僕の街撮りスナップは平日、仕事鞄に入れている比較的コンパクトなカメラで撮っているというせいでもあるんだけど、そもそも一眼レフを平日に持ち出すのが厳しいと思ったからRICOH GRやKonica C35をサブカメラとしてわりと早くに購入したんで、以来なんとなく一眼レフは週末用で街中を離れた場所で撮るようになったんだよね。Leica M3も購入当初は週末用だったんだけど、Leica IIIaを平日の仕事鞄に入れて持ち出すようになってから、M3もすっかり平日の街撮りカメラになった。そうすると唯一、一眼レフだけが街撮りに使っていないカメラになるんだよね。

平日に持ち歩くには大きく重いというのが最初の印象だったことは間違いないけど、あの一眼レフの姿を街中で構える勇気みたいなものも持ち合わせていなかったんだろうな。最近でこそLeica M-P typ240でも街撮りスナップするようになったけど、僕がそのためにチョイスしたのは全身ブラックペイントで街中でもそれほど目立たないボディ。M-Pなら街中で構えられても、これが一眼レフとなるとまず街中で今のようにさりげなくスナップを撮ることはやっぱりむすかしいじゃないかとじぶんでは思う。

冷静に考えると、例えばLeica M3とNikon F2の間にそれほどボディの大きさの差があるかというと、それほどはない。けれど、シャッター音しかり、レンズの迫力しかり、そのボディサイズ以上に両者にはスナップ用カメラとしての存在感に大きな差がある気がする。それでも、Twitterなんかを見ていると大ぶりな一眼レフで街撮りスナップをしてあるであろう人は少なくないように思えるし、実際、撮れる写真の精密さとかボケの迫力なんかでいえば 、一眼レフもまたおもしろいのかもと思ったりするけど、やはり僕にはその勇気は今のところない。

けれど、やっぱりそこは勇気の問題なのかな。二眼レフやハッセルなんかで街撮りスナップしている人もいるし(僕は街中で実際に見かけたことはないけど)、もともとオールマイティーな一眼レフだけですべての写真を撮っている人だってたくさんいる。たしかにスナップにはレンジファインダーやミラーレスが向いていると言われることもあるけど、要は撮る人次第なんだよね、カメラは。これだけ書いたり考えたりしても、まだ一眼レフを街中に持ち出すイメージはないけど、仕事鞄に入れさえすれば少し状況は変わるのかなとも思ったり。一度、忍ばせてみるか。

撮った後すぐ現像できるデジタルもいいもんです。僕とNikon Dfの散歩カメラ。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

現像といっても特にレタッチするわけでもなく撮って出しだから、さらに手軽なわけなんだけどね。今日は平日のオフで朝からゆっくりできるから、愛犬と少し長めの散歩に出かけたんだ。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

このブログでもよく触れるけど、愛犬との散歩道は特に毎日変わりばえしない光景でもあるから、フィルムを使うのは少しもったいないかなと思い、僕はある日デジタルのNikon Dfを手に入れた。これがね、いいんだよね、デジタルだけど緩やかでアナログな時間が流れる感覚。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

変わりばえしない道といっても、退屈なわけじゃないんだ。比較的自然の豊かな場所に住んでいるから、季節の移り変わりは常に感じることができる。緑の色や、その季節の草花の色、そこに刺す四季折々の光、そういう微妙な変化をすくい取るのに、カメラとの散歩はけっこう楽しい。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

今の季節はなんといっても紫陽花が綺麗かな。よく見るとどの紫陽花も微妙に色や形が違っていて、ちょっと人間の顔くらいどれも様子が違う。そういう変化は、カメラのファインダーを通して見つめないとなかなか気づかない変化かもしれないね。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

そうそう、今朝はピクチャーコントロールは「風景」で撮った。Nikon機でいうピクチャーコントロールとは、FUJIFILM機でいうフィルムシミュレーションのような撮影ポジションのこと。ふだんはこのピクチャーコントロール、「スタンダード」で撮ることが多いけど、今朝は朝の光がまぶしく美しかったから気分として「風景」をチョイスしてみた。スタンダードよりわずかに鮮やかかな。ビビッドまでいかない中間的鮮やかさ。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

これもブログによく書くことだけど、やんちゃな愛犬と一緒の時はオートフォーカス撮影が楽だ。片手でひょいと撮れるからね。朝の光ならけっこう開放気味に絞りを開けたままで固定して撮れるし、現行レンズである50/1.8Gだけど開放付近はそれなりに癖のある描写でなかなか味わい深い。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition
Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

このAF-S 50/1.8Gというレンズは、Nikonの単焦点レンズの中ではいわゆる撒き餌レンズといわれてとても安く手に入れることができるんだけど、僕は数年前に一眼レフを始めた頃から使っていることもあって(このレンズは2代目でDf用のSpecial Editionだけど)、もうなんというか肌の一部のようにしっくりくる。マクロのようには寄れないけど、その距離を少し置いた撮影感覚もむしろいい。

Nikon Df, AF-S 50/1.8 Special Edition

カメラはどちらかといえばフィルムが好きなんだけど、今はデジタルも同じくらい好きかな。デジタルはもう一台、よく使うLeica M-P typ240がある。DfもM-Pも撮影する時の気分は実にフィルムライクだし、もう僕の中にはあまりフィルムカメラとデジタルカメラの境界線はない。むしろ、その使い勝手の幅の広さを楽しんでいる。そして、こうして撮った後にすぐ写真を眺めながらブログをすぐ書くというデジタルならではの楽しみも謳歌している。まだ午前10時を過ぎたところ。さて、今日はどう穏やかに過ごそうか。

Nikon DfとLeica M-P typ240というデジタル。

Leica M-P typ240, Elmar M 50/3.5

僕のデジタルのメイン機は、このLeica M-P typ240と、下の写真のNikon Dfだ。M-Pはレンジファインダー、Dfは一眼レフだから、撮るシチュエーションによって使い分けてはいるけど、僕の中では「違い」よりも「同じ」という共通項のほうが肝心だったりする。

それは、どちらもフィルムライクに撮れる、ということ。

僕は過去に一度、Nikon D750などデジカメをほぼすべて手放したことがある。RICOH GRだけは手元に残してあったけど、もう二度とデジタル一眼レフや本格的デジカメを手にすることはないだろうと思っていた。けれど、ある日、ふとしたことからフィルムカメラであるNikon FEを手にしたことで、ふたたびカメラ熱に目覚めることになる。その延長線上でふたたびたどり着いたデジタル機が、このNikon DfとLeica M-P typ240なんだ。

Nikon Df, Ai 35/2.8

まあ、やっぱりデジタルよりフィルムが好きなのは間違いなくて、できれば四六時中フィルムで撮りたいというのはあるんだけど、デジタル機があると何かとカメラライフが広がることもまた事実。そう考えて僕がチョイスしたのが、この2台のデジタル機だった。

手にしてどうだったかというと、それは間違いなく良かったと思う。まず、どちらのカメラも僕がフィルムカメラで使っているレンズたちを装着することができる。そういう意味ではM-PとDfは僕にとってオールドレンズをデジタルで楽しむための母艦ボディ。そして、M-PもDfも、操作性はフィルムライカやフィルムニコンとほぼ同じ。フィルムカメラからこの2台に持ち替えても違和感はまったく無いと言っていい。そう、この2台のデジタルを手にしたことで、僕の中のフィルムとデジタルの境界線はいい意味で曖昧になったというか、気にならなくなった。

フィルムカメラだけに没頭するという道もあったと思うけど、僕はこうしてある意味幸運なデジタル機との出会いに恵まれた。そして、おもしろいことに、この2台のデジタル機を楽しむことでよりカメラへの興味が増し、その後さらにフィルムカメラが好きになって、二眼レフのRolleiflex StandardやGakkenflex、コンパクトのRollei35を手に入れることになる。フィルムのおかげでデジタルが好きになり、デジタルのおかげでさらにフィルムが好きになったんだ。おもしろいよね、ほんとそう思う。

フィルムは近ごろブームとは言われるけど、フィルムはじわじわと販売終了の銘柄が増え、フィルムカメラのほうもついにキヤノンEOS-1vが販売終了でフィルムカメラ販売の80年の幕を下ろすなど、だんだんと楽しめる幅が狭まっていることもまた事実。そんなフィルムからデジタルへ世の中がシフトしているこの真っ只中で、フィルムとデジタルの両方を楽しめる究極のありようが、このデジタル機でフィルムライクな感覚を味わうことかもしれないと僕は最近感じている。

とはいえ、フィルムへの興味は尽きなくてね。あいかわらずフィルムカメラを持ち歩き、フィルム現像ラボとの間を日々往復している。フィルム売り場や現像カウンター、中古カメラ店の店員さんなんかともすっかり馴染みの仲になり、カメラ談義なんかしながら過ごす日々は、とても味わい深くて、僕の日々のエネルギーになっていたりする。カメラと過ごす楽しさでいえば、このフィルムとデジタルが共存する時代がずっと続けばいいのにと心底思う。実はフィルムはこの世から絶対無くならないという確信みたいなものも僕の中には実はあるんだけど、さてどうだろうね。新しいものもいい、古いものもいい、でも新しいものと古いもののハイブリッドな感覚はさらにおもしろい、そんなことを思う2018年のアーリーサマーである。

そういえば最近、ポジで撮ってないなあ。ブローニーで撮ってみるかなあ。

Nikon F6, 24-85VR, Fujichrome Velvia100

この写真は、Nikon F6にポジフィルム、いわゆるリバーサルフィルムのフジクロームVelvia100を入れて撮ったもの。iPhoneのカメラロールに保存してある過去写真を眺めてたら、ふと目に止まって、あ、やっぱりポジの写真の風合いはいいなと。

過去にリバーサルフィルム3本(Velvia100、Velvia50、Provia100F)を撮り比べしたことがあるんだけど、どれもいいなと思いつつ、いちばんしっくりきたのがこのVelvia100だった。この日は晴れた一日で、日陰の部分はこうして黒くなりがちだけど、初めてVelvia100で撮った時は雨あがりの曇り空でね、それもまたしっとり感が増して、一発でリバーサルフィルムに魅了されたことを覚えている。

以来、家には必ずVelvia100のストックが数本あってね、いつでも持ち出せるんたけど、なんとなく特別な時のフィルムとして取っておこう、みたいな感覚があって、ふだんの散歩カメラや街撮りスナップには使ってこなかった。あと現像もラボから外注になって10日間ほどかかるから、ついつい手早く現像できるカラーネガを多用してしまう。

けど、リバーサルフィルムで撮った写真をあらためて眺めてみると、なにげないふだんの光景のほうが合うんじゃないかと思えてくる。一見爽やかに見えるんだけど、どこか影があったり湿りっけを感じる路地裏とか、風を感じるあぜ道とかね、そういう光景の記憶にリバーサルフィルムは実はしっくりくるんじゃないかとね。

そういえば、中判を始めた頃にリバーサルで撮ることをすすめられたことがあったな。立体感がきわだつブローニーのリバーサルを現像し、ライドボックスにのせてルーペで見るとそれはそれは美しいと。そうだ、次にリバーサルで撮る時は、ローライフレックス・スタンダードで撮ってみようかな。現像代もフィルム代もネガフィルムと変わらなかった気がする。そう考えると、まだまだ未体験の機材の組み合わせはたくさんある。しばらくカメラやレンズを買い足すのはお休みにして、フィルムをいろいろ試してみること、再開してみようかな。フィルムが選べる今のうちににね。

デジタルな現代だからこそ、フィルムがいる。

Nikon F2, Auto 50/1.4, Fujifilm 業務用100

みんながそうかは分からないけど、僕にはそうだ。週のうち五日間はたぶん普通の人より多めのデジタルな環境に囲まれて生きている。その延長線上でいえばデジタルな趣味があってもよさそうだけど、僕の趣味とはどれもアナログ的だ。

ロードバイク、スイミング、ランニング、そしてフィルムカメラ。どれもが風や土、水、緑を全身で感じることがベースだ。カメラについてはデジタルでも撮るけど、その触れ方はアナログなカメラの延長線上にある。つまり、ふだんのデジタルと反作用するアナログなことが、なんとか僕の生き方のバランスをとってくれている。

デジタルな世界で溺れないようにアナログでバランスをとる。このことは言うほど単純でも無いし、軽い話ではない。決して大げさではなく、人間が生きる根源的なバランスの話なんじゃないかと思う。世の中、万物は表と裏、光と影、正と悪といった相反するものがバランスをとりあって成立している。そんなことを思うようになって久しいけど、今では何をするにもそのことが脳裏にある。

僕もいい歳なんで年代のせいかなと思うところもあるけど、世の中が曲がりなりにもフィルムカメラ人気などと聞くと、若い人だって潜在的にデジタルばかりの世の中でなんとか相反する要素をじぶんにとりこんで、この世の中を必死に泳ぎ切ろうと思ってるんじゃないかと思う。必死というよりは、もっと無意識なものか。デジタルを敵視するんじゃなくて、デジタルと軽やかに同居するかたちでアナログなものと上手に暮らす。そのためにフィルムカメラというのはとても自然体でフィットする。

何もかもがデジタルデータでくっきりはっきりするんじゃなくて、あえてくっきりはっきりしていない曖昧なもの、不便なもの、面倒くさいものを混ぜる、しなやかに。平日のオフの日にめいっぱいクラシックカメラのことをインプットしようとしているじぶんがいて、ふとそんなことを思った。

雨の日曜日なんで、今週末の散歩カメラの写真を整理しよう。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

きょうはしっとり雨模様の日曜日。昨日は初夏らしく晴れてローライフレックス・スタンダードやローライ35も持ち出して楽しんだんだけど、現像はまだ先なんで、きょうは朝晩の散歩でデジタルで撮った写真だけアップしておこう。なんてことない日常だけど、シャッターを切れるよろこび。以下、写真だけだけど、よかったら。

Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

しかし、こうしてみてもよく懲りずに同じような近所の写真を撮り続けてるなと思う。まあポリシーとかがあるわけでもなく、シャッターを切りたい気持ちに素直にこたえてるだけなんだけどね。撮るクスリ、みたいなね。

Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まあでもシンプルな写真ばかりなんで、Leica typ240やNikon Dfの写りなんかの参考にはしてもらえるのかもしれない。さて、ひととおりアップしたんで、あとはゆっくり過ごす雨の日曜日としようかな。みんなも、よい日曜日を。

本当はカメラは3台くらいを深く使いたいんたけどな。

Nikon F2, Nikon FE

いわゆるカメラ好きという人たちは、一体何台くらいのカメラを所有してるのかな。気がつくといま僕は12台のカメラを所有している。コレクションしてるつもりは全くないんたけど、「あのカメラを確かめたい」という気持ちに従ってきたら、そういう台数になってしまっていた。

いい写真を撮ろう、そのためにカメラの癖を深くつかんで極めていこうというのであれば、本当は3台くらいのカメラを頻繁に使い回すのがいいんだうなとは思う。ただ、いざ3台に絞ろうとしてもこれが相当難しい。

一眼レフはやはり一台は持っておいたほうがいい、となるとデジタルとフィルム両方になるし、MFもよければAEやAFもあったほうがいいということになる。街中でスナップを撮るからレンジファインダーもあったほうがいいし、そうなるとこれもまたコンパクト重視、静粛性重視、はたまたデジタルもということになる。雨の日はラフに使い倒せるカメラもあったほうがいいし、時にはほぼオートで撮れるコンパクトもデジタルとフィルムであったほうがいい。そうそう、オールドレンズ用カメラもいるだろう、二眼レフで撮りたい時もやっぱりあるよな…とか考えると、意外と12台は適正なんじゃないかと思えてくる笑。

いま所有している12台は、フィルム機7台にデジタル機5台。以前はフィルムがメインでデジタルはサブみたいな意識があったけど、いまはそこに境界線はない。あるとすれば単に撮るシチュエーション別やそれに必要な機能の差くらいの感覚。フィルム機のほうが数が多いからずっと大事に使いたいけど、フィルムの入手がいつまで普通にできるかは少々怪しくなってきているから、使う時は少し厳かな気持ちで撮っているじぶんがいる。

一方でデジタルのほうも、現行モデルでなくなると、電子基板部品の調達が困難になっていずれ使えなくなる。そう考えるとデジタル機もけっこう儚い気持ちで撮っていたりする。12台は一見数があるように見えて、使えなくなる時は一気にやってくる気もしている。だから3台ほどに絞り込まないじぶんもいるのかなと。その日の出かけ先、その日のシチュエーション、その日の天気、その日の動きやすさ、そんなことをその日の朝に想像しながら、その日のカメラを一、二台選ぶ行為はイマジネーションも働いてかなり気持ちいい。そういう日がこれから何年続けられるか分からないし、これから手放すカメラなんかも出てくるんだろうけど、好奇心や維持力が続く限りはいくつかのカメラたちと日々を着替える感覚を楽しみ続けたいな。と、写真の神様に祈ったりしながら。

きょうは一日、三台のカメラと。さて、あしたは。

Nikon F2, Auto 50/1.4

まず朝の愛犬との散歩に連れ出したのがNikon F2とAuto 50/1.4。犬と暮らしていると必ず朝晩散歩をするんで、こうして確実にカメラを一台持ち出すことになる。犬のリードを片手で持ってるから、片手で撮れるAF機を持ち出すことが多いけど、できればMFで撮りたいという気持ちも強くて、たまにこうして機械式カメラを持ち出す。休みの日の朝の静かな住宅街にF2の甲高いシャッター音が響く。そして、少し強めのミラーショックと共に頭蓋骨に響いて目が覚める。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

散歩から帰ると身支度をして、午前中のうちにロードバイクで軽く朝を流す。相棒はコンパクトなバルナックライカ IIIaだ。昨日もロードバイクで出かけた時に背中に積んでいたんだけど一枚も撮らず帰宅したんで、今日こそはとロードバイクを停めて辺りの初夏の緑と共に数枚シャッターを切った。あいかわらず元気のいいシャッター感覚。Nikon F2ほどではないけど、この IIIaのメリハリのあるシャッター感覚もどこか冒険用カメラのような雰囲気があって、街撮りだけじゃなくこうして野山にも持ち出す。

Nikon Df, Ai 35/2.8

そして一日を締めくくる夕方の愛犬との散歩には、Nikon DfとオールドニッコールAi 35/2.8を連れ出した。デジタル一眼レフではあるけど積極的にMFで撮りたいと思わせるDfというカメラはとても貴重な存在だ。僕がDfを手に入れたのは昨年の秋だけど、このDfが登場したのは2014年で発売から四年になる。それでも独特のカメラゆえにニコンのフルサイズ一眼レフカメラの現行ライナップモデルとして今も古さを感じさせないカメラ。というか、そもそも往年のフィルムニコンを復活させたようなモデルだから古くなりようがないところも僕は気に入っている。

というわけで今日は一日で三台のカメラを連れ出すことができて、なかなかメンテナンス日和となった。少し前のポストにも書いたけど、カメラは使うことが最大のメンテナンスだから、一日に複数台のカメラを持ち出せた時はなかなか満足感が高い。カメラは物理的には一台あれば事足りるけど、こうして出かける際に複数台のカメラの中から連れ出すカメラを選ぶ行為はとてもたのしい。レンズの組み合わせも考えたら、かなりのバリエーションを堪能できるしね。さて、明日は三連休の最終日。ほんとは中判のRolleiflex Standardを連れ出したいところだけど、まだ初回の試し撮りの現像あがりも確認できていないから、ひとまず他のカメラの出番かな。カメラやレンズ。趣味としては最高の道具=アイテムだと思う。

僕の虫眼鏡が帰ってきた。お散歩レンズ AF-S Micro 60/2.8G

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

実は以前、一度手放したレンズなんだけど、なんだろうね、ふとまた手にしたくなって僕の手元に帰ってきた。AF-S Micro Nikkor 60/2.8G ED、ニコンのフルサイズ用マクロ(ニコンはマイクロだね)レンズ、もちろん普通に単焦点レンズとして使える万能レンズだ。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

あいにくの雨というか、マクロレンズ的にはラッキーな雨というか、久しぶりに60/2.8GをNikon Dfにつけて散歩カメラしてきた。最初は愛犬と出かけたんだけどね、いくらAFといってもこの薄いピントを合わせるのは至難の業でなので、一度帰宅してから一人で再び外へ出てみた。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

今でこそ街のスナップ写真なんかを撮ってるけど、初めて一眼レフを買った頃は週末に家の近所を散歩がてら撮ることが多かったから、この60/2.8も散歩レンズとして購入したんだよね。その頃の思いや感触が蘇ってきた数十分だった。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

何を撮るわけでもないんだけどね、こうして散歩の道端のなんてことない写真を撮るのにいいんだよね、マクロレンズは。僕的には虫眼鏡を持ち歩いてあちこち観察しながら歩くのがおもしろいというかね。なにせいつもの散歩道だから、辺りにそれほど驚くような光景があるわけじゃない。でも、つぶさに目を向ければ、小さな世界には四季の変化があったりする。それが垣間見れる楽しさがマクロレンズにはある。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

撮る姿勢も自ずと低い姿勢になるというか、虫眼鏡を持った少年目線になる。それもまたいい。散歩がてら写真を撮りたいけど、辺りにフォトジェニックな景色もないから…という人はマクロレンズを一本持つと、なんてことないいつもの道でもシャッターを切る楽しみを得られるんじゃないかな。虫眼鏡で見る世界はなかなか劇的だから。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

この60/2.8はニコンの上位レンズに施されているナノクリスタルレンズであるにもかかわらず値段はリーズナブルで、手ぶれ補正こそ付いていないけどMFに慣れた人ならなんら問題はないと思う。AFも瞬時にピタっと決まるから微調整は手元で前後に動かす感じ。知らず知らずのうちに息を止めて撮ってるから、酸欠にはなるけどね笑。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

僕はAF単焦点は50/1.8GのSpecial Editionも持ってるけど、どうかしたらこの60/2.8G一本でもいいかもしれないね。他の人のレビューなんかにも書かれてるけど、このレンズはシャープなんだけとカリカリじゃない、いわるゆ空気までも写るというように評価される一本。登場からもう数年経つと思うんだけど、その実力はなかなかのもんだと僕も思う。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

考えてみると、Dfを手に入れたことで、以前D750時代に持っていたレンズを軒並み買い直してるようなところがある。50/1.8G、70-300VR、標準レンズは24-120/4から24-85VRに変わったけど、60/2.8Gも再び。DfはもともとフィルムニコンのNikon F2で使っているオールドレンズをデジタルでも試したくて購入したんだけど、Dfがデジタル一眼レフカメラとしても優秀だから、こうしてAFレンズも自然とまた揃ってきちゃったんだろうな。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

カメラもレンズもなんだか増えちゃったなというのが正直なところなんだけど、しばらくはいろいろ使い試してみて、いずれ「これが僕だ」という三台程度のボディと数本のレンズに絞り込めだらなと。以前、僕はいわゆる断捨離っぽく手持ちのカメラたちを一気に手放したことがあるんだけど、今回はもう少しゆっくりじぶんのリズムに合うカメラたちを厳選していけたらいいかなと考えている。

Nikon Df, Micro Nikkor 60/2.8G

というわけで、散歩レンズとして、また常用の単焦点レンズとしてもおすすめのAF-S Micro 60/2.8G、新しいレンズではないけど、一本持っておくにはなかなかいいかなと再確認した感じかな。雨があがったらマジックアワーの時間帯にもまた連れ出してやりたいな。なんてことない道端を虫眼鏡でのぞいては、世界を再発見する、みたいなね。