真冬に撮影に持ち出すなら、電子部品に頼るF6より機械式のF2のほうがいいのかな。

電気を一切使用しないフルメカニカルシャッター機Nikon F2

きょうは修理から戻ってきたNikon F6を使ってあげたくて、愛犬との散歩に連れ出してみた。電子基板をいくつか交換したF6は快調で気持ちのいいシャッターフィールを楽しめたんだけど、帰り道に11月末の冷たい風をあびながらふと考えた。真冬になったら、極寒の冷気の下だと電子部品で動くF6じゃなくて、電気を一切使わないF2を持ち出したほうがいいのかなと。

何かの記事で見たのかな、F3以降の電子式カメラだとあまりの寒さに電子部品が耐えきれず、時としてカメラが動かなくなるみたいなことが書かれていた気がする。その点、機械式のFやF2はそうした過酷な状況下でもしっかり作動して撮影を敢行することができる、といったような話もよく耳にする。真実は分からないけど、たしかに印象としてはそうかなと。修理に出していたF6の故障もまさに電源が入らなくなるいかにも電気系の故障だったから、大事を見て極寒の冷気の中では使用を控えたほうがいいのかなって。

たしかにF2は植村スペシャルがあったというくらいだから、極限の寒さの中でもタフに使い続けられるイメージがある。それと比べるとF5まではバリバリの報道プロ機であったF一桁機だけど、F6はアマチュア使用にも目を向けたといわれるカメラ。使いやすさは向上したけど、タフさも同時にマイルドになっているかもしれない。憶測だけど、F6を安心して使い続けることを考えれば、極寒の季節はF2メインで使ったほうがいいのかなと、ふと思ったんだ。そのあたり、真相はどうなんだろうね。

F2に触ったことがある人は分かると思うけど、あの手応えとして伝わってくる堅牢性は凄みすら感じるレベル。F3以降のフラッグシップ機がどこか精密すぎて乱暴に扱えない印象があるのと比べると、FやF2は少々乱暴に扱ってもちょっとやそっとでは壊れないような感覚がなんとなくある。僕のF2はそれなりに傷なんかもあるから、今でも大切に使おうとは意識はしているものの、けっこうラフに使い倒している。そういう扱いが似合うカメラでもあるんだよね。

フィルムカメラを始めて以来、初めての過酷な夏は経験したものの、極寒の冬はまだ未経験。冬の入り口の今でもけっこうな寒さだから、零度近くなる真冬はそれなりにカメラにも厳しい環境になるだろうと考えると、ここはF6は暖かい日だけにして、真冬のメインはF2にしたほうが無難ではあるんだろうね。AFのF6が使えなくなるとすると、冬の愛犬との散歩は片手で楽に撮るわけにはいかなくなるけど、それはそれでF2を楽に使いこなすコツをつかむいい機会になるかもしれない。と、ここまで書いてきて、じゃあデジタルのDfも極寒の季節には持ち出せないのか?というと、そんなこともなさそうだなと。ちょっとそのあたり、いろいろ調べてみよう。真冬が訪れる前の今のうちに。

自然と生きる。カメラがあるとなお味わい深いものになる。

Nikon Df, 50/1.8G

どちらかというと僕は街中が嫌いだ。苦手というほうが近いかな。人を避けて、人のペースにはまって歩くのが苦だし、一瞬きらびやかな空間にハッとはするけど、しばらくいるとひどく疲れる。もちろん、仕事をするにおいては街中へ出社する必要もあるし、それを避けては生きていけない。でも、それがオンなら、オフは自然のそばにいたい。少し歩けば天然色の景色が眺められ、聞こえてくる音もアコースティックで静かな自然の音たち、空が広くて、じぶんのペースでゆっくり歩ける空間。時代がずいぶんとテクノロジーの進化しているのなら、やがてテレワークなんかも当たり前になるかもしれないね。人間が週に5日も人混みの喧騒の中にいると疲れすぎる気がするから。

そうそう、その自然と生きる時間をより豊かにするなら、カメラがあるといい。自然の移ろいを感じながら、ファインダーをのぞいてその光景を記憶する。望遠鏡をのぞくような観察ともいえるし、後から写真を眺めては、こんな色をしていたのかとか気づきがあったり。そのゆっくりなペースをさらに趣のあるものにしてくれる。僕は漠然とだけどそんな日々がいいなと、いまの環境を選んで暮らしている。それほど熟考して決めたわけじゃないけど、むしろ直感で決めたのがよかったのか、とてもじぶんの人生に合っている。まあ、住めば都というから、どこでどう暮らしてもその状況を愛おしく思うのかもしれないけどね。明日は祝日、秋色の大地もたぶんクライマックスあたりだ。また、カメラを持って愛犬と散歩へ出かけよう。じぶんのペースを大事にして。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

Nikon社からF6が帰ってきた。久しぶりに聴くシャッター音がたまらない。

Nikon F6, 50/1.4D

Nikon社に修理で里帰りしていたF6が帰ってきた。自室でひと通り眺めたあと、50/1.4Dを装着して空シャッターを切ってみる。そう、この音だ。Nikon開発陣が箱の中に響くあらゆる音にもこだわったといわれるF6のシャッター音は、ちょっとやられる音色なんだ。平日の夜なんだけど、無性に撮りたい気持ちにかられる。明日は仕事をエスケープして朝から撮影に出かけたいところだけど、そこをグッとこらえて週末を待つとする。

で、そのF6なんだけど、故障の症状は電源消失だった。僕は中古でF6を購入したんだけど、多少傷はあったものの程度はよくて、三週末ほど快調に撮影を楽しんでいたんだけど、ある日フィルムを入れて裏蓋を閉じたら、普通なら自動でフィルムを巻き上げるんだけど、その日はまったく反応がなかった。電池がないのかなと新しいものに交換したんだけど、それでも反応なし。よく見ると電源オフでも表示される液晶に何も表示がされない。「ん?きたかな。」と、F6によくあると言われる電源消失のことを思い出す。F6では多くの人が経験しているトラブルらしい。電池を何度も入れ替えたりともがいてみたけどF6は静まり返ったまま。さすがに電気系のトラブルはどうしようもない。幸いキタムラの保証期間だったから修理に出したら、基板交換だろうとNikon社への里帰りとなる。

故障に陥った時はさすがに凹むんだけど、考えようによっては保証期間のうちにしっかり部品交換なんかはしておいたほうがいいと思い直し、無事修理から帰ってくることを願い、待ち望んでいた。いくつかの基板とその他部品を交換したとの記述があり、スイッチを入れると元気に電源が復活した。嬉しかったな。だって、ここ最近で最も感慨深いカメラとの出会いだったから。

あらためてF6にさわってみると、このカメラが他のものとは違うことを再認識する。手の中に吸い付くようにしっくり収まる手ごたえ、各部の操作系ボタン類の絶妙な配置、そのフラッグシップらしい内に秘めた迫力、やっぱりたまらないものがあるなと。F6のあの気持ちいいシャッターフィールを思い出すために数回、空シャッターを切る。電源も快調だ。装着した50/1.4DのAFの動作感触も実に気持ちいい。各部のたしかな動きが、なんとも精密に作られた製品であることを無言の迫力で伝えてくる。

連写も試す。このフィーリングも最高だ。フィルムというアナログなものを詰めるカメラなんだけど、現代のデジタル一眼レフを思わせるハイテクな動きをする。そのフィルムのよさとデジタルのよさを併せ持ったF6の操作感覚は、ちょっと他には見当たらないんじゃないかというくらい官能的かつ上質だ。僕が所有する機械式カメラのF2とは正反対の電子構造のカメラ。それだけに常に電子部品系統の故障は覚悟がいるわけだけど、現行販売機種でもあるF6ならひとまず当面は修理が可能だ。せっかく縁あって手にしたお気に入りの一台だから、なんとかメンテナンスを施しながら末永く使っていきたいなと。あらためてその貴重さを感じとった2週間だった。

そのF6の帰還を祝して、リバーサルフィルムVelvia100を2本買い足した。自宅にもリバーサルの買い置きがいくつかあるんだけど、これで当面F6とリバーサルが織りなすあの独特の世界を楽しむことができる。ずっとこのフィーリングを堪能し続けたいから、大事に使いたいと思う一方で、適度に使ってやることこぞが最上のメンテナンスでもあるから、とにかく撮ろうと思う。この唯一無二の最高のシャッター音を耳元で聴きながら。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

Nikon Dfとヨンサンハチロクのマニュアル撮影の多幸感は素晴らしかったよ。

Nikon Df, 43-86/3.5

今朝はなんだかデジタルで撮りたい、マニュアルで撮りたいという思いがずっとあって、Nikon Dfにオールドニッコールの標準ズーム43-86mm f/3.5をつけて散歩カメラに出てみた。結論から言うと、めちゃくちゃ楽しかった。

Nikon Df, 43-86/3.5

通称ヨンサンハチロク、このレンズはNikonが送り出した国産初の標準ズームレンズで、なるべく高価にならないように、そして何より軽量に仕上げるために、当時かなりシンプルな構造で世に送り出された。だから、言う人によっては“使えないレンズ”とか言われるけど、そのファジーな撮り味に魅せられるファンも多い。僕は完全に後者だ。かなり好きなのである。

Nikon Df, 43-86/3.5

そう、僕にとってはオールドレンズらしい曖昧さというか、写りすぎない感じがたまらないんだ。明らかにデジタル用に作られた現代のレンズとは違う、なんというか威張らない感じ。それはこのレンズのキャラクターとも被るんだけど、カメラが撮るんでもレンズが撮るんでもなくて僕が撮る、そういう楽しみを提供してくれるレンズなんだ。

Nikon Df, 43-86/3.5

まあ、僕の撮影の腕前のほうは置いといてもらって笑、どこかフィルムを思わせる柔らかさがあるように見えないだろうか。不思議だよね、この時代のレンズたちは。だってカメラは現代のフルサイズ一眼レフなのに、どことなくとはいえフィルムっぽく感じるというのは何なんだろうね。

Nikon Df, 43-86/3.5

ヨンサンハチロクは文字通り焦点距離が43mm〜86mmまで2倍しかないのだけど、意外とこの2倍の振り幅は散歩レンズには頼もしい。標準域から中望遠域までということになるわけだけど、僕は絞り開放付近の癖を楽しむ派だから、43mmは積極的に使う。そして、その43mmという焦点距離が絶妙なんだな。

Nikon Df, 43-86/3.5

数値的には標準の50mmより7mm広いだけなんだけど、その差はけっこう大きい。フィルムコンパクトを使う人なんかは分かるかもしれないけど、僕が所有するKonica C35なんかは38mmでどちらかというとそういう画角に近いんだ。つまりスナップ中のスナップの焦点距離のレンズ群。50mmよりリアルなんだ。

Nikon Df, 43-86/3.5

そうかと思えば、ひとたびズームすれば85mmのポートレート域まで凝視できる。まさに、なんというか人間の視界の中を行ったり来たりできるレンズといえばいいだろうか。このレンズがどこか人間くさいのは、この絶妙な焦点距離にあるのかもしれない。

Nikon Df, 43-86/3.5

あとは、なんといってもマニュアルフォーカスであるということ。カメラはDfだったからAE/絞り優先で撮れるんだけど、僕はカメラのほうのセッティングもマニュアルにして、まさにフルマニュアル撮影を楽しんだ。そうしたくなるんだな、ヨンサンハチロクをつけてると。

Nikon Df, 43-86/3.5

その分、露出は甘くなるんだけどね、僕の場合笑。でも、いいの、それでもこうしてカメラとレンズに撮られるんじゃなくて、それらをじぶんで操ってカメラやレンズと共同作業で写真を紡ぎ出す感じが楽しいんだ。だって、散歩カメラは撮れる写真より撮る行為が楽しいわけだからね、少なくとも僕の場合は。

Nikon Df, 43-86/3.5

そのフルマニュアル撮影がほんと楽しすぎてね。実はフィルムでも撮ろうとフィルムライカとフィルムも一本だけカメラバッグに忍ばせていたんだけど、あまりにDfとヨンサンハチロクて撮るのがおもしろくて、結局フィルムの出番はなかったんだ。フィルム好きの僕にしては相当めずらしいこと。

Nikon Df, 43-86/3.5

そういう意味では、失敗も含めて楽しいんだな、ヨンサンハチロクは。このレンズは数千円で買える。いやあ、大人の散財の仕方としては素晴らしくコストパフォーマンスにもすぐれた一品。なにかとお金のかかるカメラ趣味と思われがちだけど、こんなコストでも楽しめることをもっと多くの人に知ってほしいな。

Nikon Df, 43-86/3.5

あとはね、こうしたオールドニッコールのレンズたちがほぼすべて使えるNikon Dfが僕はとても気に入っている。つい最近手に入れたばかりなんだけど、世は最新で最強の一眼レフD850の発売に沸いていたわけだけど、僕はそこには目もくれず、このDfを購入した。もう三年ほど前の製品になるのかな、僕は新品を購入したけど中古もあるから当時よりは安く手に入るんじゃないかな。

Nikon Df, 43-86/3.5

というわけで、Dfとヨンサンハチロクのマニュアル撮影の楽しさと、その写真たちを一気に載せてみた。やっぱりいいね、カメラは。まさにいろんな楽しみ方をアレンジできて、そして毎回いろんな新鮮な発見がある。こんな懐の深い趣味はなかなかないんじゃないかな。

Nikon Df, 43-86/3.5

僕は、つい先日はフィルムカメラのNikon FEにも装着して楽しんだけど、もちろんフィルムカメラとの相性はさらによくておもしろい。こんなカジュアルで、でも恐ろしく楽しめるMF標準ズームレンズを一本持っておくのはなかなかおすすめです。あ、Df同様に、その佇まいもなかなかレトロでかっこいいよ。

Nikon Df, 43-86/3.5

こうして写真たちを見るとマニュアル撮影らしく、なんか味が出すぎてるところはあるけど笑、そこにネットを検索すればもっと詳しい使用感と素敵な作例があると思うんで、そちらを参考にしてください。僕のブログでは、その気分みたいなものを伝えられればな、ということで。では、カメラたちとよい週末を☺︎

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

朝の光と影が好きだから、僕のカメラは朝活になる。

Leica M3, Konica C35, Nikon F2

写真は今朝、散歩カメラに連れ出したフィルムカメラたちである。左からLeica M3、Konica C35、Nikon F2。M3とC35がレンジファインダーで、F2が一眼レフ。M3とF2が電気を一切使わないフルメカニカルシャッター(いわゆる機械式カメラ)で、C35はピントを合わせるだけのプログラムEE(ファインダー内に露出計もあり電池を使う)だ。もともときょうは機械式の二台を持ち出してまったり癒し撮影としようと思ってたんだけど、C35にフィルムが入りっぱなしだったことを思い出し、一緒に連れ出すことにした。

僕の朝は早い。今朝は特に午前4時すぎに愛犬のトイレ掃除で起こされ、だったらと五時台に愛犬の散歩を終了。そうして朝の低い太陽光のうちに散歩カメラに出かけていた。朝晩はいわゆるマジックアワーで太陽光が美しく辺りを照らし、僕なんかでも少し雰囲気のある写真が撮れる。僕は特に朝の光が好き。夕方の陽射しも柔らかく好みだけど、だんだん日が暮れると感度の低いフィルムカメラでは撮影できなくなる。それに比べると朝の光はおいしい時間帯が終わっても、ひとまず明るいからそのまま撮ろうと思えば撮れる。その余裕がなんか焦らなくていいんだよね。

昼間の光で見ると少し退屈に見える風景も、朝の斜めからの太陽光でちょっと立体的に見える。そして、良くも悪くもカメラで撮ると想像を裏切る感じの、少し独特の色を放つ写真が撮れたりする。それが期待を裏切ってくれるようで、心地いいんだよね。きょうもそんなおもしろさを堪能しながら、36枚撮りのFUJI  PRO 400Hを途中から20枚程度、あとFUJI 業務用100を2本ほど撮った。撮ったものもいつもとあまり変わりばえしない散歩風景写真だけど、朝の光が体を少し温め、斜めからさす光が穏やかながらも抑揚のある世界を散歩道に浮かび上がらせる。

フィルム2本半といえばフィルムカメラでいえばけっこうな枚数だけど、朝の刻々と変わる光を背景に写真を撮っていると、機械式カメラでもあっという間に撮り終える。時計を見るとまだ10:00すぎで、日曜日をほぼ一日最初から使うことができる。いわば朝活ってやつだね。あと、なんといっても静かな中でカメラ撮影をたのしめる。人を撮りたいと思う反面、人混みはあまり得意ではないから、人っ気のない時間帯の撮影は心安まる。僕にとってカメラで写真を撮るという行為は、パッションというよりはヒーリング、癒しだからありがたい。そうして家族がまだ寝ているうちに家を出て、家族が始動し始めた頃に撮影を終えて家に帰ってくる。このペースも家族想いだ笑。今週もなんだかんだで6本のフィルムを楽しんだ。明日はリバーサルとかEktarの現像受け取りも4本あるから、なかなか財布が悲鳴をあげつつあるけど、まあこれだけ癒してもらってるんだからしょうがない。世の中にはいろんな朝活があると思うけど、この朝の光で写真を撮るという朝活もなかなかクリエイティブでおすすめである。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

地面さえあれば写真は撮れる。

Nikon Df, AF-S 50mm f/1.8G SE

僕がカメラで撮るのは散歩カメラがベースだから、散歩道がいつもそんなに劇的なワケはない笑。たいていカッコいいビル群も無いし、さびれた路地裏もない。クールな交差点もないし、いい感じの線路もない。でも、地面ならある。だから、僕はよく地面を撮る。そのうち本当に地面好きになって、ほんとよく撮るようになった。色や模様のある道とか、緑の芝に刺す朝の光とか、道にデザインを成す枯葉とかね。どうかしたら空や木々より撮るかな。

あ、あとね、僕が地面を撮るようになった要因のひとつは、愛犬と散歩してるからだと思う。毎日、朝晩、必ず愛犬と地面を見下ろしてるからね。これは大きいかもしれない。地面を撮る時間は間違いなく朝晩の斜めに刺す柔らかい光がいい。よく見るとドキッとする色をしてるからね。そういうのは写真に残して、後からゆっくり見直したいと思う。写真は誰かに見せるためにクールに撮るだけじゃない、じぶんが後から思い起こすために記録として撮る。そういうこともあっていいんじゃないかな。完全にインスタ映えしない発想だけど笑。



高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

僕は例外かな。フィルムのおかげでデジタルが好きになった。

Nikon Df, 50/1.8G

フィルムか、デジタルか。むずかしい問題だよね、「どちらか」みたいに語り出すと。僕は上手くいえないけどその両方の間を行き来することが楽しくなったクチだから。強いて言うなら「フィルムとデジタルのハイブリッドを楽しむ方向」へと行ってしまったんだな。変かな。多数派ではない気はするけど。

もともとカメラを始めたのは三、四年ほど前にデジイチを手に入れてから。その後、いろいろ事情もあってデジイチを手放し、GR(デジタル)だけで過ごした後、フィルム一眼レフと出会う。そして露出やカメラを操る楽しさに開眼して、いま再びデジイチを楽しんでいる。つまり、フィルムのおかげでデジタルがもっと好きになったタイプなんだ。いるのかな、こういう人。

フィルムだけを突き詰めるのも楽しいと思うし、実際あの写真の風合いはデジタルではよほどのレタッチを加えないかぎり、出すのはむずかしい。でも一方でフィルム時代には撮れなかったような写真がデジタルの進歩のおかげで撮れるようになった。それを感慨深く思うフィルム時代からのカメラ好きの人もいる。フィルムとデジタルは別物ではあるけど、その差を楽しむこともできるし、僕のようにそれを差と捉えるよりは、フィルムとデジタルをしなやかに行き来しちゃえと思ったりする人間も少なからずいる。

まあ、つまり、フィルムかデジタルかは大した問題じゃない。だって僕らは何もどっちかにしろと誰かに問われてるわけでもない。好きなほうを好きなように楽しめばいい。そうして、フィルムやってる人がデジタルに憧れたり、デジタルやってる人がフィルムに興味を覚えることのほうが、互いに切磋琢磨して、結果的にどちらも、つまりカメラであり写真が盛り上がるからね。

実際、本当にいいなと思う写真は、もう機材のことなんて超越して、フィルムで撮ったかデジタルで撮ったかとか気にもしないくらいその写真の放つ匂いみたいなものに引き込まれるからね。僕はフィルムカメラも好きだけど、それと同じくらいこのデジタルのNikon DfやNikon D300、そしてGR(デジタル)に惚れ込んでる。写真をポストする時も意識して両方をまぶして投稿したりしてるところがある。僕の中の「フィルムとデジタルの間をしなやかに行き来するハイブリッド志向」の実験でもあるんだけどね、というわけで、この話に何か結論めいたものは無いのだけど、どっちもいいよという話というか、提案。要は写真のあり方をひとつでも多くの角度からを楽しんだほうが数段有意義ということなんだ。僕らはフィルムとデジタルを両方楽しめる、とても豊かな時代をいま生きてるわけだからね。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

Nikon D300とAF 50 f/1.4Dの写りは、なかなかビビッドで濃厚だった。

Nikon D300, 50/1.4D

カメラは日々適度に日光の下で使ってやることが最良のメンテナンス。この日はNikon D300を連れ出そうと、初めてAF Nikkor 50mm f/1.4Dをつけて散歩カメラしてみた。

Nikon D300, 50/1.4D

感想としては、とにかく濃厚だなと。D300のほうのピクチャーコントロールはスタンダードだから、もっと落ち着いた色になっておかしくないけど、ご覧の通りまるでビビッドをチョイスしたように濃厚な写りだ。

Nikon D300, 50/1.4D

いや、ビビッドというのとは少し違うか。いつも言葉で表現しようとしてなかなか困るところがあるから、こうして撮った写真を載せるようにしている。ビギナーの僕の写真知識やカメラ知識では写りの差異を正確には表現できない。

Nikon D300, 50/1.4D

D300はもう10年も前に登場したカメラ。しかもAPS-CのDXシリーズフラッグシップモデルだから、いわゆるシーンモードみたいなお手軽設定はない。だから、僕なりに試行錯誤しながらセッティングして撮るんで、ごめん、露出値の記録なんかもない。

Nikon D300, 50/1.4D

この写りがボディのせいなのか、レンズのせいなのか、そのへんはもっと撮りまくって確認していきたい。ただ、はっきり言えるのは現行機のNikon DfとAF-S50/1.8Gの組み合わせの写りとは明らかに違う。そこには何というか、ひと昔前のボディやレンズの誇りみたいなものが感じられる写りなんだ。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

その人の目線が見られるって、なかなか凄くないか、写真。

Nikon Df, 50/1.8G

どこかの映画じゃないけど、体が入れ替わりでもしなければ、他人の目線なんて本来感じたり確かめたりはできない。それをやってのけるのが写真を見ることだとするなら、それは実は相当凄いことだよね。会ったことある人ならまだしも、会ったこともない、性格も分からない、声も聞いたことがない人の写真、すなわち視線であり目線を垣間見ることができるんだ。写真を見ればその人のすべてが分かる、みたいにも言われるけど、それはあながち間違いじゃない。僕はそう思う。

カメラがあってシャッターを押せば写真は誰にでも撮れる。そこだけ考えたら誰が撮ろうと似たような写真があってもよさそうだけど、写真に関して言えば一枚たりとも同じものは生まれない。誰が撮るどの写真も、世界に一枚だけのオリジナルだ。つまり、その人自身だ。写真を見ればその人の精神状態みたいなものまで少し連想できることを考えると、こんなに手軽に出来て、こんなに違いが出るものも珍しい。撮るのも楽しいけど、写真を見るのも楽しいのは、そういう人間が本来持つ、人を観察する生き物の本能が欲する何かなんだろうね。

写真は数多く撮れば少し上達する気もするけど、どうしたって変わらない何かがある。それがその人の生きてきた何かだし、オリジナルということなんだと思う。じぶんではなかなか分からないんだよね、その変わらないオリジナルみたいなのは。それは他人から見たほうが分かるもの。ちょっと人生と似ていて、じぶんのことがいちばん分からない、ということの証なのかもしれない。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。

Nikon F6用の電池「CR123A」はいつも在庫ストックしている。

NIkon F6用電池 CR123A(Panasonic)

家電量販店で買い物したついでに、Nikon F6用の予備電池を購入しておいた。F6は見かけは最新のデジイチと変わらないけど、登場したのが2004年なんで、いわゆる充電バッテリー型の電池ではなく、写真のようなCR123Aというタイプの電池が必要になる。バッテリーパックを付けると単三電池が使えて連写速度や電池の持ちも伸びるようだけど、僕はこのコンパクトはフォルムが気に入ってF6を選んだこともあるから、電池はCR123Aを使っている。

ネットで調べると充電型のCR123A電池タイプもあるみたいだけど、正式な使い方ではなさげ?に見えたので、僕はこの使い捨てのCR123Aを使ってるけど、エコじゃないなあと思いながらも、まあひと昔前の製品だし、電池起点の故障も嫌なんで、このPanasonicのものを使っている。一度に2個使用するんだけど、それでフィルム12〜13本分くらいは撮れるらしい。F6は液晶表示なんかも小型だから電池の持ちはいいようだけど、評判的には電池残量メーターはあまり正確じゃないみたいなんで、F6で撮影に行くときは常に予備バッテリーをカメラバッグに入れている。

というのも、どこにでも売っているタイプの電池じゃないんだよね。僕の場合は毎週立ち寄るカメラのキタムラか、こうして家電量販店に立ち寄った時についでに購入してるんだけど、コンビニとかスーパーには普通に売ってはいないんで、そこは気をつけたいところ。まあ、そんなにCR123Aを使用するカメラを今時そんなに使ってる人はいないか笑。この電池の話はあまり必要とする人は少ないとは思うけど、少数派のあなたのために笑、一応ブログにポストしておきます。

高価買取ならカメラのリサマイ

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。