小雨でもフィルムで撮りたいという気持ちは嫌いじゃないないぞ、じぶん。

Nikon FE, FUJI FILM 業務用100

というわけで、雨の日曜日の朝だったけど、愛犬と散歩を済ませた後、ひとり雨の散歩カメラに行ってきた。カメラは雨用のNikon FEブラックボディとRICOH GR。無理やり直したISO感度ダイヤルだけど、ファインダーの中の露出計を見ると感度100のシャッタースピードが出てたから、まあ撮れてるんじゃないかと笑。

そういえば雨模様だし、フィルム感度100なら明るいレンズをつけていったほうがいいなと思いAi 50/1.8にしたんだけど、外でいざ構えてみる小雨でも意外と外は明るくて、ss最大1/1000だとf8まで絞ることに。考えてみると曇り空程度だから、たしかにそれくらいの露出にはなるんだけど、ここのところDfやF6といったss 1/4000〜1/8000のカメラで撮ることが多かったから、僕の体感露出もちょっと感覚がズレてた。やっぱりこうして適度に昔のカメラでマニュアルで撮っておかないとなと思った。

シャッター音好きの僕からすると、Nikon FEのなんとも癒し系の音もけっこう好き。決して高級な音はしない、むしろ現代のカメラに比べるとずいぶん頼りない音だったりするんだけど、それがまた味でね。撮れる写真も心なしかおだやかな写りな気がする。写真の出来はほぼレンズとフィルムに左右されるんだろうけど、FEで撮るといつもFEのおだやかさが写真に滲み出てるように思う。さて、どうなんだろうね。

僕はデジタルも撮るようになったけど、基本はやっぱりフィルムかなと思っていて、そのフィルムカメラの原点が僕にとってはNIkon FEとFUJI FILM業務用100。この組み合わせで撮るとなんか初心に帰る。今週はFEで撮れてよかった。そして、壊れて寂しくしていたFEブラックボディを連れ出せてよかった。どうか、写ってますように。

窓の外から雨の音。今朝は雨用カメラの出番かな。

Nikon FE, Ai 50/1.8

実は壊れていたNikon FEのブラックボディが直ったんだよね。まあ、直ったというより僕が力づくで直ったようにした、というところなんだけど。

以前、Natura 1600で夕景を撮った時にISO感度を普段の100から800とか1600まで上げたら、以降ダイヤルが100まで戻らなくなってたんだよね。何か内部で引っかかっている感じで。裏蓋を開けて内側からどうかできるかなと思ったけど無理で、となるとカメラの内部だから僕にはどうしようもない。修理に出すかといっても元々数千円でカメラ屋の片隅から救出して持ち帰ったカメラだから修理費をかけてまではもったいないなと、もう一台のFEシルバーの修理パーツ用にくらいの気持ちで壊れたまま取っておいたんだよね。

で、数日前にたまたま引っ張り出して、なんとなく力づくで感度ダイヤルを回してみた。どうせ壊れてるんだからと物凄く力づくで笑。そしたら、わずかずつだけどダイヤルが回転し始めて感度100の目盛りまで動いたんだよね。笑ってしまった☺︎。というわけで修理の腕も何もないのだけど、見た目上はいちおう直った。Nikon FEは二台あるから、このブラックボディは元々ガシガシ使う”壊れても平気用”なんで、だったら雨の日に使ってみようかなと。

雨の日はみんなカメラどうしてるのかな。僕はやっぱり雨の日はカメラを持ち出すのは不安で、ライカや一眼レフはまず持ち出すことはない。雨上がりの湿気のある日くらいなら持ち出すこともあるけど、雨の日は大抵GRを持ち出す程度。あ、GRはクロップ47mmで10cm程度まで寄れるからけっこう葉の水滴とか撮るのにも向いてるんだよね。外も暗いからデジタルのほうが向いてるわけなんだけど、でもフィルムでも雨の日を撮りたいなとどこか思ってた。というわけで、この直った?FEブラックを雨用フィルム機として持ち出そうかなと。

レンズはこれもいちばんラフに使い倒しているAi 50/1.8、フィルム感度はさすがに100では光量が足りない気がするけどできればいつもの業務用100で。外で露出計を眺めてみて、念のため400もバッグに忍ばせて。何事も初めてのコトというのは不安半分、期待半分でワクワクするものだ。雨がこのまま止まなかったら、そういう布陣で散歩カメラにしようかなと考える、雨の日曜日の5:28am。

スマホで撮れそうで撮れない写真が撮りたくて、ある日一眼レフが欲しいと思った。

Nikon Df, 50/1.4D

それはつまりボケだったんだよね。でも最初からボケという言葉を知っていたわけではないし、ボケという効果のこともはっきりは認識していなかったと思う。ただただSNSに流れてくる知り合いのクリエーティブの人たちがとにかく奥行きのあるような写真をポストしてくるんで、尋ねてみるとやっぱりスマホカメラじゃないと分かって、そこから一眼レフのことを少し調べ始めたように思う。

で、何かのサイトだったと思うけど、そういう効果を出すなら単焦点レンズがいい、というのを読んで、最初の一眼レフNikon D5300レンズキット(18-140mm)と一緒にAF-S 50/1.8Gを購入したんだ。その時の店員さんが今の馴染みの店員さんで、DfやF6もその店員さんから買ったんだけどね。いろいろと相談できる僕の頼りにしているカメラアドバイザーかな。その店員さんに背景がボケる写真が撮りたいんで、単焦点レンズがいいと聞いたのだけどどれがいいですか?と聞いたら、Gレンズの50/1.4か50/1.8がいいでしょうと勧められ、当時はレンズに4万以上もかける認識なんてまったく無かったから、50/1.8Gを選んだ。その後、一度手放すんだけど、Dfの購入共にスペシャルエディションとして50/1.8Gが帰ってきた。再び僕の常用レンズのひとつとなり、この写真のように散歩カメラで大活躍してくれている。

レンジファインダーやフィルムコンパクトも楽しいけど、スマホカメラでは撮れない写真を味わいたいというなら、やっぱり一眼レフが手っ取り早いんじゃないかな。単焦点レンズは最も安い50/1.8のいわゆる撒き餌レンズと呼ばれる普及レンズで十分。レンズにこだわらなければ、逆に画角や撮影ポジションなんかで工夫しようとするから、その方が写真の腕前も上がるかも。さて、土曜日も夕方に。そろそろ愛犬とカメラと散歩の時間だ。一眼レフをぶら下げて、また日常の何気ない世界を一眼レフで楽しもう。

カメラのための散歩じゃなくて、散歩のためのカメラ。

Nikon F6, 50/1.4D

もちろん、カメラのための散歩もするんだけど、僕の散歩のベースはこの愛犬との散歩。もうほんとやんちゃだから、散歩中もジッとしていない笑。以前飼っていたミニチュア・シュナウザーは割と動きがおとなしかったけど、トイプードルは元気いっぱいなんだ。で、この子と散歩して発散させてあげることが散歩の主だから、カメラはあくまでそっと寄り添う脇役。でも、そのくらいのほうが力を抜いてカメラを楽しめるからちょうどいいんじゃないかとも思ってる。

おかげでAFで撮るようにもなったしね。左手でリードを持ち、右手でカメラを構える。どうだろう、僕の撮るNikon DfとF6の写真の半分くらいは愛犬と一緒にAFで撮ったものじゃないかな。レンズも軽量がいちばん。50/1.8Gと50/1.4Dが定番になってきた。そうそう、50mmはやっぱりいいよね。家の近所を散歩カメラするのには、そんな絶景は広がっていないから、広すぎない、でも狭くもない50mmはちょうどいいし、僕の日常の目線をそのまま切りとれる感覚もある。最近はRunをウォーキングに切り替えて歩くことも多いから、そんな時もウォーキング主体でカメラを肩にぶら下げて歩く。やっぱり50mmで。Nikon FEにAi 50/1.8をつけて歩くことが多いかな。これも楽しいよ、とにかく軽量で軽快だから。というわけで、今日は散歩の話。近ごろ写真に機材情報を入れ始めた話はまたの機会に。

金曜の夜は、空シャッターナイト。

みんなもそうかな。僕の場合は、金曜日に仕事を終えたらほぼまっすぐ家に帰る。愛犬の散歩とかひと通りやることを済ませたら、あとは一人で部屋に入り、カメラケースからカメラを取り出す。Leica M3、Nikon F2、Nikon Dfに、新しく仲間入りしたNikon F6などいくつかのカメラを眺め、手にとり、そして空シャッターを切る。今夜の場合だと、M3の中にはEktar100がまだ残っているし、F2は修理入院中なので、F6とDfの空シャッターを切るということになる。要は撮りたくて撮りたくてたまらない夜ということ。

F6のシャッター音は、僕の中では過去味わったことのない最高に心に響く音色。手と脳に伝わるミラーショックも絶妙に心地よく、空シャッターを切るだけでも心満たされる高揚感がある。一方、DfのほうはF6よりも何段か低音のシャッター音だ。デジタル現行機だけにそのミラーショックも現代的で、これもまた僕の写欲を心地よく刺激してくれる。どちらのシャッター音も僕にとってはいかにもNikonらしい官能的なシャッター音を聴かせてくれるのだ。

金曜日の夜、普通の人なら夜の街へと繰り出して宴に酔いしれるところかもしれないけど、僕にしてみればあまり得意でない酒に思考を奪われるよりも、こうして家路につきカメラたちを手にとりながら週末直前のアイドリングを楽しむほうが数段心踊る。静かな夜だけど、もうあと数時間でカメラを手にして写真を撮ることができる感慨に浸れる熱き時間なんだ。なんだか遠足を前にした子どもみたいな行動かもしれないけど、カメラとはいい歳をした大人をこんなにも本能的にワクワクさせてくれる。さて、夜も更けてきた。あと数回、空シャッターをきって眠りにつこう。あと数時間でカメラと羽ばたける歓びをかみしめながら。

のめり込める趣味があることは、かなり幸福なこと。

人生は長いようで短いし、世界は平和なようでそうではないし、日々の雲行きは晴れが多いようでけっこう嵐だ。そんな日々を仕事や家事だけで乗り切れなんて土台無理だ。僕は若い頃はほんと無趣味だったけど、それは異常なくらい仕事に魅せられてたから。夢中だったから心身の疲れなんて考える暇もなかった。でも歳をとってからこうしてカメラやロードバイクといった趣味に出会った。探してたんだろうな、どこかで。他人に趣味といえる何かを。そうして思うのは、趣味とは仕事や家事を犠牲にしないということ。むしろ、仕事や家事のために積極的に趣味を持ったほうがいい、それものめり込むくらいの。するとさ、心が走り出すんだ、もっと速くと。時間は有限なんだけど、その限られた枠の中でよりたくさんのコトに遭遇したり、経験を増やすことができる。人生とはつまり積み重ねだから、それは多く多彩であるほうがいい。そうして大小あれど達成感みたいなものをたずさえて、また休み明けから頑張る。頑張れる。こどもが元気なのは無我夢中だからだよ、きっと。そして、大人が無我夢中になっちゃいけないとは誰も言っていない。走り出すのも、抑制するのも、じぶんだ。僕は走る、僕らしいペースで。

レンズはまず絞り開放付近で癖を楽しんでみる。

Nikon F6と共に最近手に入れたAi AF Nikkor 50mm f/1.4Dをいろいろ試している。いろいろといっても、いろんな角度からという意味ではなくて、まずは絞り開放付近でいろいろ撮りまくっているという段階。このまえ、誰かがツイートしていたけど、信頼するカメラ修理職人の人が昔言ってた言葉で”レンズは絞るとどれもそう写りは変わらないから、なるべく開放付近で楽しんだほうがおもしろい”みたいなことを言っていてね。その人は以来、フィルム感度は400から100にしてなるべく絞り開放付近を楽しめるように意識しているらしい。

この話には僕も共感して、レンズを手に入れたらなるべく絞り開放付近でそのレンズならではの癖を良くも悪くも堪能してみようかなと。この50/1.4Dは現行の50/1.8Gと比べると作りがシンプルな分、f1.4ではかなりボケがうるさいと聞く。二段ほど絞るとカリッとシャープになるらしいけど、玉ボケは七角形ボケになるとかも聞いていたので、そのあたりをいろいろと試しているところ。

ボディとレンズの組み合わせで試してみたいといえば、あとはF6とDfのレンズを入れ替えて、F6×50/1.8G、Df×50/1.4Dでそれぞれ撮ってみたいかな。MFレンズとDfの組み合わせはひと通り試したけど、AFレンズの楽しみ方というのにも少し興味が出たからね。それもこれもDfとF6のおかげ。ちょうどNikon F2が修理入院したから、しばらくはF6とDfのコンビで手持ちのレンズの絞り開放付近をひと通りまた試してみたい。それにしてもカメラは深い、どこまでも追求していける。沼じゃないよ、探究心だよ笑。

写真は、言葉にならない気分をいろいろ代弁してくれる。

昔読んだ何かの本に、あるアートディレクターの人が「言葉を表現することが苦手だからデザイナーになった」というようなことを言っていた。またある本には「言葉が下手だから、贈ります。」というようなコピーがあったように思う。考えてみると、表現物とは何でも言葉にならないモノ・コトを代弁したり、例えたり、補ったりしてくれること。写真は特にそういうところがあるかもしれない。目の前にひろがる光景をすべて言葉に置き換えて伝えることはむずかしい。あと昔に撮った写真をわざわざ選んで披露することは、そこにその写真をチョイスした見えない言葉がやっぱりある。何か叫びたいし、何か届けたい。そういう言葉の代弁だと思う、写真は。だから、何もカッコいい写真や美しい写真がいいってもんでもない。そこにはらんでいる意味が大事なんだ。

Nikon F6と50/1.4Dの試し撮り、なんか明日が見えた。

この場合の「明日が見えた」というのは2つの意味があってね。ひとつは、やっぱりNikon F6で撮るスナップは深掘り甲斐があるぞという明日、そしてもうひとつは50/1.4Dはやはり二段ほど絞ったほうがいいんだろうなという明日。

この週末に初めて外へ連れ出したNikon F6と50/1.4Dの試し撮り現像データがあがってきた。インデックスで見るとなかなか鮮やかに見えたんだけど、家に帰ってiPadで大きくして見ると粗もけっこう多い。ただし、これは僕の絞り選定と腕が未熟なせいで、そういうことが写真を見ておぼろげながらも分かるようになったことが、明日があるなと。

50/1.4Dはなかなか癖のあるレンズと聞いていたので、とにかく最初の試し撮りは開放付近で撮ってみようと思った。秋桜のクローズアップはちょっと寄り過ぎた感じがするから、次回はもう少し引いたほうがいいなと思ったし、ボケの少々粗い感じを見ると繊細さを求めるなら二段は絞ったほうがよさそう。あと、引きの景色も今回は開放付近で撮ったけど、これも絞ればかなり綿密な写りが楽しめそう、とかね。

でも、なんにしても楽しかった。Nikon F6は素晴らしく僕の感性にフィットした。嘘偽りなく、F6のファインダーをのぞいて、シャッター音を聴いて、その完璧なまでに手になじむ様子を五感で感じ取って、僕はじぶんの中のベストなカメラにたどり着いたとひしひしと感じたから。恥ずかしいけど「F6と生きてゆく」、そう感じたから。

明日が感じられる、というのはいいよね。それは現在が完成ではないという証でもある。この先にどんなワクワクやドキドキが待ち構えているのだろうか、と例えようのない伸びしろを感じる瞬間。カメラや写真はほんとむずかしくて技術も必要だし、僕自身が写真は全然下手くそだから、もう明日があるというのはかなり前向きすぎる言葉ではあるんだけど、それでも楽しい、ひたすら楽しい。そういうことが素直に感じられるのは、なにより幸福なことなんじゃないかと思ったりね。さて、先は長い。僕の人生の中で、何かしらの到達点に行けるかは甚だ怪しいけど、Nikon F6といくつかのレンズとで、いろんな世界を可能な限りノックしてみたいと考えている。

今週の僕のトピックスは、なんといってもNikon F6との出会いだった。

「なんだ、このカメラの尋常じゃないクオリティは…。」 それが、僕がNikon F6を手にして、初めて屋外でシャッターを切った時の大袈裟ではない実感だった。もちろん、このカメラの存在、そしてその品質の噂のようなものは頭にインプット済みであったんだけど、そんな想像を遥かに超える手ごたえをF6は僕に提供してくれた。僕の中で静のキングはLeica M3だけど、動のキングは一気にこのNikon F6がかっさらっていった、そんな衝撃的なデビューだった。

そんなF6に魅せられる僕に嫉妬したのか、F2のシャッター巻き上げがちょっと不調に。嫉妬というとなんだかフィクションのようだけど、意外とそれは当てはまってるんじゃないかと感じていて、往年のカメラの魅力はたまらないものの、このフィルムニコン最後のフラッグシップ機を手にすると、このカメラこそが最後にして最上のフィルムカメラであることを本能的に飲み込まざるを得ない。それくらい別物のカメラなんだ。電池を使うカメラだし、AFや連写性能、フィルムの自動巻きなんかは機械式カメラと比べると軟派というか、カメラ任せにしてどうなの?という感慨が起こりそうなものだけど、そんなものを超越したところにこのF6の到達点はある。正直言って僕の中のフィルムカメラの序列が一気に逆転した、実に大きな転機になった気がする。Nikon FEもF2も変わらず愛おしい相棒であることには変わらないが、その頂点にこのF6が君臨することになった、そんな気がしている。

とはいえ、このF6こそ、大事に扱いすぎるんじゃなくて、まさに普段カメラとして使い倒さないといけない。そのための人間工学にそったフォルムであり、デジイチにまったく引けを取らない現代のフラッグシップ機らしい性能だ。とにかく遠慮は無用、とことん連れ出してその特筆すべきエモーショナルな撮影感覚を五感で堪能しまくりたいと考えている。それにしても、こんなカメラが存在していたとは…なんでも手にとって試してみることだと今回つくづく感じた。多少、高揚感の過ぎるブログ記事になってしまってるけど、これが僕の今の偽りない感情だから、あえて抑えることなくブログに記しておきたいと思う。僕のカメラ観が大きくうねった数日間の記憶として。