あらためてM3が好きになった夏休みだった。

Leica M3

Leica M3、このカメラは何なんだろうね。いろんなカメラを手にしても必ずここへ帰ってくるようなこの感覚。ちょっと他のカメラでは感じない何かを、このM3というカメラは持ち合わせている。

ことしの夏休み、僕はふとM3で撮りたいという衝動みたいなものにかられ、連日M3と時間を共にした。あのズシッとくる手の中の収まり具合、あの視界がぐっと開けるクリアなファインダー、小気味いいダブルストローク、チッとささやくシャッター音、フィルムで撮ることを強烈に感じさせるフィルム装填、もうすべてがね、脳によぎったというか、あの感触を思い出したんだよね、僕の写真欲がね。

夏休み最後の夜、まだM3の中には撮りきれなかったフィルムが入りっぱなしだから空シャッターは切れないけど、明日、現像出しするフィルム7本のうち4本はM3で撮ったもの。とても満足感というか幸福感に浸っている。きょうTwitterでふとつぶやいたんだけど、僕は本気で「もう一台、M3を買い足したい」と思い始めている。いまのM3が調子が悪いからじゃなくて、単純に好きすぎて二台のM3にプラナーとエルマーをそれぞれつけて、一日中M3と過ごす日があってもいいんじゃないかと思ったんだ。そんな風に思ったカメラはM3くらいしかない。二台あれば、一台がフィルム入りっぱなしでも、もう一台で空シャッターを切れるしね笑。

あと、M3を連れ出すのに相棒としていいなとあらためて思ったのが、二眼レフのRolleiflex Standard。M3でヒュンヒュン撮るスタイルから呼吸を変える感じとして、あ、スタンダードいいなって。これにデジタルのM-Pがあれば、僕はかなり待たされるとも思った。バルナックIIIaも好きなんだけど、IIIaは僕の中ではもう少し趣味的なカメラというか、やっぱりね、フィルムカットしなくていいM3は速写スナップ機という点でいえば、IIIaよりM3のほうが僕にはフレンドリーだということにも気がついた。些細なことかもしれないけど、そういうことも含めてベースとしてのカメラとしてはM3が実は僕には使いやすい、そんな風にあらためて感じた夏になった。

これはあくまで僕の感覚だからね、バルナックのほうがいいという人もいるだろうし、一眼レフのほうが本格的という人もいるだろう。でも僕がいろんなカメラを手にしてきてあらためて思うのは、「M3に始まり、M3に終わる」的なことだったんだよね。M3、ここがベース。ここを軸足に、時にデジタル、時に二眼レフ、時にコンデジ、時にフィルムコンパクトやフィルム一眼レフ、それがいいんじゃないか。そんな正解めいたカメラとの向き合い方が少し見えてきた。これがこの夏だけのことなのか、それともまだ何か新しい気づきが訪れるのかは分からないけど、ひとつの到達点みたいな思いとしてブログに記憶しておく。2018年、夏。

今日ちょっと確信したけど、僕はLeica M3とKonica C35がやっぱり好きだな。

Konica C35, Leica M3 + Carl Zeiss Planar T*2/50ZM

なんていうんだろうな、初恋の人たちというのかな。僕のフィルムカメラ人生のルーツ的2台、Leica M3とKonica C35。この二つのカメラのことをあらためていいな、と感じた日だった。

特別なことがあったわけじゃない、両親に会うのにKonica C35を持ち出し、ふと目の前の街並みをサッとC35で撮り、あ、いいな、この感じ、と。なにかを思い出すように撮ったその感触が、帰宅してからLeica M3を手に取らせた。しかも、レンズは僕がM3を手に入れた時からずっとつけていたCarl Zeiss Planar、この組み合わせがいいなと、目と手、脳が思い出したんだよね、何かをね。

夕方の愛犬との散歩は、この2台を持って出かけた。なんてことないいつもの散歩道を撮った。とても心地よかった。言葉にするのはむずかしいけど、あ、この感触だと思った。素のガラスのファインダーの中にフレームが現れて、サッと辺りを切り取っていく感覚。いつのまにかいろんなレンズやカメラが僕の元へ集まったけど、きょうははっきりとこの2台の、この飾らない撮り味が好きだなと確信した。

そうやって考えると、僕はフィルムを始めた初期に、この2台に出会ったことは大きかったんだろうなと思う。正直あまりこの2台のことは知らないまま、中古カメラ店で手に触れて直感的に手に入れたカメラたちだけど、その後手に入れたいろんなカメラたちがある中で、こうしてあらためてフィルムカメラを始めた頃の2台のことを好きだなと再確認できるのは、けっこう幸せなことなんじゃないかと思う。

じぶんにとって特別なカメラが少しずつだけど分かってきた気がしている。あと2、3台かな、かすかに絞り込まれている感覚があるけど、そこは急がず、じぶんが心の底から人生という貴重な時間を共にするカメラたちを選りすぐっていきたいと思ったりしている。手持ちのカメラたちをじっくり試した先にある、僕の記憶カメラのひとつの到達点としてね。

カメラでカメラを撮る、という付録的たのしみ。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

ここ数日、カメラを持って出かける時はできるだけ2台以上持ち出すようにしている。というのも、2台で撮り比べるたのしみはもちろんなんだけど、2台あれば「カメラでカメラを撮る」ことができるからである。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

そんなことしなくてもiPhoneで撮ればいいじゃないか?と言われそうだけど、そう、僕はふだんは愛機たちをiPhoneカメラで撮ってきた。それはそれで十分実用的なんだけど、実用的な写真が撮りたいんじゃなくて記憶的な写真が撮りたいんだな、できれば。

Rolleiflex Standard, 撮影はNikon Df, CZJ MC Pancolar 50/1.8

きょうはRolleiflex StandardとNikon Dfを連れ出したんだけど、ここまでの写真3枚はDfで撮ったもの。やっぱり撮り慣れたカメラで構えて撮ると、どことなく人間っぽいカメラたちの姿を浮かび上がらせることができる、それがいい。この後、Rolleiflex StandardでDfも撮った。リバーサルで撮ったんだけど、どうだろうね笑。

Leica M3, 撮影はLeica M-P typ240 + Summilux 50

これはLeica M3をLeica M-P typ240で撮ったもの。Summiluxは1mまでしか寄れないけど、それがまた客観視するみたいで良かったりする。カメラでカメラを撮ると、やっぱり人間くさいなあ。

Nikon FE, 撮影はNikon F6 + 50/1.4D

この日はNikon FEをF6で撮った。逆も撮ったし、Asahi Pentax SPも持ってたから3台をぐるぐる回して撮りっこみたいなことしてたな笑。公園で撮ってたんだけど、もし誰かに見られてたとしたら、かなり変な人に見えたぢろうな。風景撮ってるんじゃなくて、カメラたちをぐるぐる回して撮ってるおじさんだから笑。

Leica M3, 撮影はRICOH GR

もちろん、カメラを撮ることが目的ってわけではなくて、複数台のカメラでひと通り風景スナップとか撮ってるんだけどね。大抵、組み合わせとしてはフィルムカメラとデジカメの2台。フィルムを1本撮り終えたらデジタルに持ち替える、その繰り返しみたいな撮り比べ。まあ実際はフィルムの写真は現像後のたのしみたから、その日こうしてブログなんかにあげられるのはデジカメのほうの写真のみになるんだけどね。

今週は、撮り終えたフィルムが今のところ4本。現像があがればそのうち何枚かは「カメラでカメラを撮った写真」がまじってると思う(あまり数えたり意識しては撮っていなくて、いつもついで的に撮ってる)。それもまた現像あがりを見るたのしみ。そうして思うのは、僕は写真を撮るのが好きだけど、それと同じがそれ以上にカメラのことが好きで、「カメラを撮る」ことが好きなんだよな。

きょうは一日、M型ライカの日だったな。ブライトフレームで切り取る日。

Leica M-P〈typ240〉, Leica M3

きのうKindleでライカ本を読んだからかな、きょうは朝の愛犬との散歩からM3を連れ出して、一度帰宅してからM-Pを足してから古い町並みを撮りに出かけ、夕方の愛犬との散歩もM-Pと。丸一日、M型ライカと過ごす日となった。

たまにあるんだよね、無性にブライトフレームをのぞいて撮りまくりたくなる瞬間が。それは同じライカでもバルナックやX2じゃなくてM型だし、一眼レフではなくてM型。M型ライカてしか得られない時間であり、撮影感覚。これは言葉で説明するのは少しむずかしい。

そうしていつも思うのは、M3というカメラの素晴らしさ。見た目以上にずしっとくる厳かな重さ。そのボディを手で包み込んだ時のなんともいえない本物感。1950年代に作られたとは思えない美しいファインダーの中の世界。M3で撮る世界は、デジタルライカのM-Pで撮る世界とまったく違和感がない。ちょっとフィルムカメラであることを忘れるくらいだ。

M3でフィルム3本をあっという間に撮り終えて、その後はM-Pで余韻を楽しんだ一日。緩やかな満足感に包まれてきょうが終わる。いい日だったな。さて、仕上げのRunへ出かけよう。

朝陽の中で、機械式カメラたちと深呼吸する。

Leica M3+Elmar M 50/3.5, Nikon F2+Auto 50/1.4

8月の初めの土曜日の朝、無性に機械式カメラのシャッターを切りたくなり、二台のカメラにフィルムをつめて愛犬と散歩へ。やんちゃな愛犬のリードを片手で持ちながらのマニュアル撮影はなかなか大変なんだけど、愛犬がいるからこうして散歩カメラに出かけられる幸福でもあるので、なんとか愛犬をなだめながら撮り歩いてきた。

F2のほうは36枚撮り終えた。なんてことない散歩道、わざわざコストや手間のかかるフィルムで撮る必要があるのかというのはあるんだけど、この場合の撮影は撮りたいものがあるというよりフルメカニカルシャッターを切りたいということが動機だから、僕的には十分満足できる。

F2の少しグニャリと生き物のような感触のフィルムの巻き上げはいかにも人間的だ。そして甲高い金属的なシャッター音が静かな休日の朝の住宅街に響く。いかにもプロ機らしい重厚な手応えは、散歩カメラとはいえヤル気をもたらす。そうして、カメラをM3に持ち替えると、一気に真逆の静寂がおとずれる。フィルムの巻き上げもシャッターフィールもひたすら静かだ。明るくまばゆいファインダーをのぞき、両目をあける。すると景色の中にブライトフレームと花々たちが浮かび上がる。最高だなあと心の中でつぶやく。やっぱりこのフィーリングはフィルムカメラの、機械式カメラだけがもたらしてくれるよろこび。カメラは撮る道具だけど、それを超越した心を満たす何かがあると今朝も感じ取る。

Leica M3というカメラが特別な存在であることは間違いない。

Leica M3, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

カメラやレンズが増えていくと、それと反比例するように「この中からどのカメラが手元に残っていくんだろう」と考える。僕はそうだ。で、いつも思い浮かぶのが、このM3の存在なのである。あの見た目以上にズシリとくる重さ。あの金属であることを忘れさせる生きたしなやかさのフィルム巻き上げの感触。そして、シャッター音というよりはシャッターのささやきとも言えるコトッという響き。1950年代のものとは思えないクリアな光の窓枠を見ているかのようなファインダー。からだの奥底から記憶しているようなあの感触が、時に無性にM3で撮りたいと僕を刺激し、そのたびに底蓋を開けてフィルム装填する独特の儀式へと僕を誘う。僕の手元にはかなりの数のカメラが揃ったけど、その中でも特別なカメラと言われれば、このM3になるんだろうなというのを再確認する。

僕が50mmという焦点距離を好むのも、このM3のせいであることは間違いない。スナップを好む人は比較的、焦点距離35mmをメインとすることが多いと思うけど、M3を使っている以上は、おのずと50mmが日常のフレームになる。同じフィルムライカでも35mmで撮れるM2を手にしていたら僕のカメラ人生はまた少し違ったものになったかもしれないけど、M3を手にしたことはある意味運命だったんだろうと思う。

M3以降、手に入れたカメラたちのほとんどは50mmのレンズをつけている。28mmや35mmのレンズも持ってはいるけど、気持ちよく撮れるのは50mmだし、そこには常に50mmのブライトフレームのアノ感覚がある。とはいえ、理屈的に書くとこうしたいくつかのM3を特別視するポイントがあるけど、実際にはそれらのすべての要素が説明しづらいくらい合わさりあって、特別な存在感とM3で撮りたいという衝動を生み出す。僕は今、いろんなカメラやレンズを試してはいるけど、最終的にはこのM3を核としてバルナックIIIaとデジタルライカM-P〈typ240〉が手元に残るんじゃないかな。つい先日、Bessa-Lを18台目のカメラとして迎え入れたばかりだけど、ここ数日間、ふとそんなことを考えている。衝動買いの反省かもしれないけど笑。

霧雨の今夕は、部屋で空シャッターを愉しむ。

Leica M-P typ240, Leica M3

昨夜、北部九州に特別警報をもたらした大雨は、その後中国地方や関西でも猛威を振るっているというニュースがいくつも飛び込んでくる。自然は大抵大らかで優しいのだけど、時にこうして厳しい姿もみせる。どうかこれ以上荒れずに、おだやかな自然へと戻ることを祈る。

外はその大雨の影響が少し残る空で、わずかに霧雨が舞う。今夕の愛犬の散歩はカメラを持ち出すのを諦めて、足早に帰宅。こんな日は、自室で過去の写真を眺めたり、静かな部屋で空シャッターを切る。幸いLeica M3にはフィルムが入っていなかったから、あのなんとも言えないニュルリとしたダブルストロークのシャッター巻き上げ、チッとかすかに聴こえるシャッター音を愉しむ。

M3のシャッターフィールを愉しんだ後、その21世紀版のLeica M-P typ240も数回シャッターを切ってみる。M3のチッというかすかな音と比べると、キャッチャというような少し元気な音を奏でる。それでもM3と比べれば元気というだけで、街中ではほぼ周囲の音にかき消される程度の音。M3とM-Pは共にボディ前面にライカの赤バッジもないから、こうして見ても実に地味で良い。ただただ控えめな存在感であること。僕が街撮りはほぼライカを選ぶ理由だ。

カメラは写真を撮る道具だけど、外が雨の日にこうしてカメラを眺めたり触れたりするだけでも愉しめるのは、大人の趣味としてはかなりエモーショナルで素敵だ。冷やっとした金属の感触、その金属の角やアールの造り込みを指でなぞる心地よさ、照明に照らされて表情を変えるプロダクトデザインとしての美。どれをとってもまったく飽きることなく、外は雨でも極上の時間を過ごすことができる。僕はこのほかにもいくつかのブランドのカメラを持っているけど、雨の日に眺め、触れるカメラとしての最高な機種はといえばやはり、M型ライカということになる。

「カメラといえば一眼レフ」だった僕の変化。

Leica M3, Planar T*2/50 ZM

過去にも何度か書いてきたんだけど、僕が初めてカメラらしいカメラを手にしたのは、デジタル一眼レフのAPS-C機 Nikon D5300。その後フルサイズのD750へ移行して、すっかりカメラの魅力のトリコになった。購入当時はカメラの知識もほとんどなく、漠然とカメラが欲しいなと思った時には「イコール、一眼レフのこと」としか思い浮かばず、いわゆるコンデジとかではない本格的カメラの世界にほんと感動の日々だった。

たしかこの頃に、何かカメラの知識が身につく本を読みたいと思い、Kindleでたまたま購入したのが、田中長徳さんが書いた2冊の本「カメラは知的な遊びなのだ」とその続編「カメラは詩的な遊びなのだ」。この本の中に、やれ銀塩カメラだのレンジファインダーだのミラーレスだのカメラのジャンルらしき言葉がいくつか出てきて、それでもそれらは亜流で一眼レフこそが主流のカメラなんだと思いながら読んでた記憶がある。

けれど、いま現在の僕はどうかというと、一眼レフはもちろんデジタルもフィルムも所有しているけど、日々の軸足はどこにあるかといえば、レンジファインダーなんだよね。ライカであり、Konica C35であり、Rollei35。いわゆる素通しのガラスのファインダーをのぞいて撮ることがどちらかといえば僕のスタンダードになった。

その要因として最も大きいのは、平日に街中でスナップを撮るようになったこと。そのコンパクトで控えめなシャッター音、そしてほぼ目測だったり、露出セッティングを固定してどんどん素早くシャッターを切りながら歩く感じが、僕のカメラの軸足をどんどんレンジファインダーメインへと移行させていったんだよね。

おもしろかったのは、あれだけ一眼レフこそがカメラの主流だと思っていたのが、フィルムカメラやスナップの世界ではむしろレンジファインダーのほうが主流で、デジタルだってミラーレスのほうがその界隈の人たちの主流だと気がついたこと。これはたぶん、僕がかつてのように週末だけじっくりファインダーをのぞいてシャッターを切る生活を続けてたら、今も「カメラとは一眼レフのこと」と思いま続けたままだと思う、きっと。

一眼レフの漆黒のファインダーの中で獲物を捕らえるような濃厚な撮影感覚は今でも実に楽しくて、豊かな時間でもある。レンズもマクロから望遠ズームまで多彩なんで、息子の学校行事やスポーツ行事なんかの撮影にも一眼レフがあればオールマイティーに写真におさめることができるしね。

けれど、ふだんレンジファインダーで撮るようになってからは、寄れないレンズにも慣れたし、ズームのないMF撮影もふつうになったし、思い出を残すということでいえば息子のアップ寄りの望遠写真より、むしろ50mm前後の焦点距離のレンズで周囲の背景まで写り込んだ写真のほうが、後に思い出を振り返る息子なんかにしてみれば嬉しいんじゃないかと思うようになった。

息子も中学生になり、あまりズームで寄りの様子を撮る世代でもなくなったし、もうしばらく望遠ズームの必要性は学校行事なんかで撮影に適した機材を見極めていきたいとは思ってるんだけど、その結果次第では僕のスタイルは完全に「カメラとはレンジファインダーのこと」へ移行するかもしれない。いま、なんとなくそんな予感がしているのである。

趣味性として二眼レフとフィルム一眼レフの数台は残すとは思うけど、街中でスナップを撮るのも、週末に散歩カメラするのも、家族の写真を撮るのも、いくつかのレンジファインダーですべてをこなす、そんな感覚。どうなのかな、それが自然な流れなのか、それとも少し特殊なことなのかは分からないけど、だんだんと息子も成長し、僕のカメラ観も成長するにしたがって、そんなことをふと考えている。

カメラも自然と増えてきて、意図せず今は15台になり、そろそろ深く使うカメラを絞り込みたいというじぶんもいるし、実際一つひとつのカメラと濃密に過ごす時間も分散されていることも事実。いろんなことが重なってきて、そんなことを考えるようになってるんだろうなと思う。綺麗な写真とか上手い写真を撮るのなら一眼レフが最強の機材であることは変わりないんだろうけど、僕が撮りたいのは上手い写真より、ブレたり甘かったりしながらも魅力的な写真。そういう意味でもレンジファインダーが性に合うようになってきているかもしれない。そんな心境の僕がこの先どう転がっていくのか、楽しみながら観察していきたいと思う。

使わないとカメラじゃない。

Leica M3, Elmar 50/3.5

僕がカメラコレクターならそれは悪いことじゃないんだけど、僕は別にカメラを収集するのが好きなんじゃなくて、カメラで撮る行為が好きなんだよね。Leica M-Pを手に入れたのはその究極で、その時にも手持ちのカメラを整理しようと考えたんだけど、まあしばらくはじぶんがどの程度それだけの数のカメラを使い回せるのかちょっと様子を見てみようと思った。そして、一、二カ月。そろそろ使わない(使えていない)カメラが分かってきた。

ちょうど半分かな、ほぼ使えずにいるカメラたちを中古カメラ屋さんに戻そうかなと思ってる。持っていればまったく使わないわけじゃないだろうけど、この出動頻度の少なさだととても「使ってあげることが最高のメンテナンス」というレベルには満たない。どれもまだまだ現役で元気に撮れるカメラたちだから、僕の部屋で眠ってしまうよりは、誰か若い人たちの手にでもわたり、頻繁に外へ連れ出してもらった方が、きっとカメラも長生きができる。飾り物のカメラとしてではなく、撮影機材としてのカメラとしてね。

どれも思い入れのあるカメラたちだから、ここではどれを残してどれを手放すという具体的なカメラ名は伏せておこうと思う。どれも飽きたとか嫌いになったというわけじゃなくて、単に僕が使いまわせなくなったということだけなんで。幸い、僕の過去のカメラたちの思い出は、このブログの中に詰まってる。カメラを眺める、カメラの思い出に浸るという意味においては、ブログをさかのぼれば時空を共有することができる。その名も「記憶カメラ」だからね。

残そうと思っているカメラはデジタルが3台、フィルムが3台と、ちょうど半分半分。いまの僕のカメラとの向き合い具合を象徴してる割合。デジタルとかフィルムとかじぶんの中に垣根が無くなった証でもあるかな。そのどれもを頻繁に使いまわしたい。意外とありそうで無い、じぶんの時間の相棒としては適度なカメラの数だと思う。これまで出会ってきたカメラは、所有したかったものというより、その写りや性能、手応えを確かめておきたかったものたちだから、そういう意味では人生の中で確かめることができて、ほんとよかった。どれひとつ欠けていても、いまの僕にはたどり着けなかったと思うから。GWが明けたら、一つ一つ中古カメラ屋に里帰りさせようかな。そんなことを考える四月の終わりの夜である。

思い出を残す写真は、フィルムで撮りたくなる。

Leica M3, Summilux 50/1.4, Natura1600

今夜は職場の仲間の送別会ということもあり、飲食店内で撮るためにLeica M3に明るいf1.4のSummilux 50 2ndをつけ、フィルムは高感度のNatura1600をチョイスした。この3つの組み合わせは初じゃないかな。正直、店内で露出計アプリをかざしてみないとシャッタースピードが読めない笑。たぶん、絞りは開放、感度1600ならss1/100以上、つまり手ブレしないくらいのssが稼げるんじゃないかと期待してるんだけど、どうだろう。

そんな風に悩むくらいなら、いつもの平日と同じようにデジタルのLeica M-Pを持ち出せば安心なんじゃないかと思われるかもしれないけど、なんというか、送別会みたいなシチュエーションの時はできればフィルムで思い出を残したいと思うんだよね。気持ちが緩んでグダグダになるかもしれない夜の団体の宴席にM3を持ち込むこと自体も不安ではあるんだけど、それをも勝るのが「思い出=フィルム」という思い。自然とそういう選択になるじぶんがいる。

そういえば昨日、息子と二人で束の間の春休みに出かける時も、バルナックライカを持ち出して、たった一枚だけど息子をフィルムで撮った。物理的にはスマホカメラでもいいんだけど、そこはやはりね、カメラをやる父としてはカメラを選ぶし、フィルムを選ぶんだよね。

フィルムのNatura1600もふだんは感度400〜800あたりを想定して撮るんだけど、今夜は手ブレしたくないから1600想定で、少しだけssを早めにして撮ってみようかと思う。これで失敗したら身もふたもないじゃんというのはあるんだけど、まあブレたとしてもそれも含めて思い出ということで。それにしても、M3に始めてズミルックスを装着してみたけど、なかなか精悍でカッコいいな笑。僕のズミルックスはいわゆる第2世代と呼ばれるオールドレンズ だから、フォルムデザイン的にもM3にはよく似合うと思う。フィルムが余ったら夜のストリートも数枚撮って帰ろう。僕の手持ちのレンズの中では、他と明らかに光のすくい取り方が違うズミルックス。M3がどう料理してくれるのかもすごく楽しみである。