まだまだ慣れないライカではあるけれど。

先週手にしたLeica M3で初めての試し撮りをして、現像があがってきた。Nikon FEとの撮り比べも考えて、同じような散歩カメラのコースをたどってみたのだけど、白木蓮の写真で比べると、なんというかLeicaのほうが繊細というか儚いというか、同じフィルムでもやはりニュアンスが違うんだなとあらためて思った。まだまだLeicaは手さぐり状態で、一眼レフに慣れた目にはレンジファインダーの中の光景はぎこちない感覚で眺めているし、なによりフルマニュアルで露出を考えながら撮る行為はおぼつかない。でも、M3の初期型で半世紀以上昔のカメラでこうして曲がりなりにも写真が撮れたことに、少し震えるような感動を覚えている。胸を張ってお見せできる写真はまだまだ少ないけど、これからゆっくり、じっくりM3との時間を積み重ねていきたいと思う。ひとつはっきり言えるのは、撮ってる間はずっと多幸感に包まれているということ。そして、一枚一枚に込める何かが僕の中に宿り始めたということだ。Leicaをいたずらにリスペクトし過ぎるのではなく、道具としてできるだけラフに外へ持ち出し、できるだけ自然体で付き合ってみたいと思う。それがLeicaも、この製品を世に送り出した開発者たちも喜んでくれる使い方なんじゃないか、そんな気がしている。

28mm、モノクロの次は、50mmにしばらくこだわってみる。

僕はここ一年ほどの間、カメラをRICOH GRだけにして広角28mmの世界にじぶんを集中させてきた。そして新年からはモノクロ写真にフォーカスをあてて、じぶんの写真の変化を眺めてきた。強烈にじぶんを縛ってるわけじゃないんだけど、割と不器用な人間だからいくつものことを広げてやるんじゃなくて、ひとつのことにテーマを絞ってしばらくとことん向き合ってみるというのが僕のやり方であり生き方だ。で、28mm→モノクロ→その先に待っていたのはフィルムであり→50mmの世界だった。

意図して50mmを選択したわけじゃないんだけど、いま僕の手元にはNikon FEの50mm/f1.8と、Leica M3の50mm/f2のふたつの50mmが顔をそろえた。週末は主にこのふたつのカメラを持ち出すスタイルがスタートしたけど、カメラを変えようともレンズの中の世界は50mmで変わらない。だったらしばらくの間、この50mmの世界を突き詰めてみようと思った。

単焦点50mmの世界はこれが初めてではない。それこそ初めてデジタルのAPS-C一眼レフを購入する時に一緒に手にした僕の中の初めてのレンズでもあったし、カメラをフルサイズに変えてからは正真正銘の50mmの世界をしばらく楽しんできた。でも、50mmだけにこだわって撮るのは今回が初めてだし、何よりレンジファインダーの50mmと一眼レフの50mmはファインダーの中に見えてくる世界も違う。そんな共通のことも異なることもふたつのカメラの50mmの世界でちょっと突き詰めてみようかなと考えている。

50mmは標準レンズとも言われる。僕の印象では本当に自然な画角だから、レンズが何かを起こしてくれるというより、じぶんが何かを起こさないと写真に変化は現れない、そんな画角だと考えている。でも、それもあくまで現時点の僕の印象。それは本当なのか、それともカメラの本なんかには載っていない何かを僕は発見するのか。そんなことを楽しんでみたいと思っている。さっき、初めてのLeica M3の試し撮りフィルムを現像に出してきた。はたして撮れているのか。またドキドキワクワクの月曜日の日中を過ごしている。

風の音、レンジファインダーのコトン、一眼レフのカシャン。

今朝はLeica M3の試し撮りに出かけてみた。同行したのはNikon FEとRICOH GR、コースは歩いていけるいつもの森の散歩だ。朝の斜めに降り注ぐ太陽光は好きだ。M3で撮る前に僕には儀式がいる。露出計アプリでまず露出を決めることだ。本物の露出計ではなくてiPhoneのアプリだからどこまで正確かはわからないけど、試しにいくつかの場所にあててみると、概ねフィルムの箱に書いている数値に近いからひとまず信用して撮り始める。考えてみるとこんなに真剣に絞り値やシャッタースピードのことを考えて写真を撮ったことがない。試し撮りだから絞り開放気味で撮りたいのだけど。それだとシャッタースピードが追いつかなくて焦ったり。でも、フィルムは露出は割とアバウトでも包容力があるからと、数枚撮ると少しリズムにのってきた。なんとなく感覚的にこの明るさや暗さのシーンならこんな絞りとシャッタースピードかな?などと独り言をつぷやきながらの撮影はなかなかたのしい。試し撮りとしては、前回Nikon FEで撮った場所をなぞるように歩いたから、二台の撮れ味の違いを比べられるかななどと考えながら。

Leica M3のことを少し書くと、まず朝いちばんにフィルムの装填をしたんだけど、少しぎこちない感じではあったけど、思いのほか容易だった。フィルムをボディ下部から忍び込ませるところこそ少しひと手間いるけど、そこまでいけばあとは巻き上げを二回ほどしてあげればフィルムのたるみもなくカウンターは撮影OKの合図になる。あと、ファインダー、これはもうほんと素晴らしい眺め。明るくクリアで大きなファインダーはほぼ肉眼と等倍で、その覗き込んだ世界の美しさに驚かされる。一眼レフは暗闇の中に撮影する部分が濃密に映し出されるけど、レンジファインダーは辺りの景色とファインダーの中の絵が切れ目なく同化する感じだ。片目はファインダーで、片目は見開いて、ふだんのように両目を開いたかたちで撮るのがいいと言われる所以だろう。そして、僕のM3は初期型のダブルストロークだからフィルムをゆっくり二回巻き上げる。ニュルっとしながらもいかにも精密機械といったような感触が気持ちいい。そしてファインダーの中の中央の像の相違を合わせてピントをセットする。この絵が重なる感じもとてもクリアで美しい。あとはシャッターを押すだけ。”コトン”、そんなわずかにシャッター音が鳴る。小さな音でとても繊細な音、いかにもスナップ写真向きの相手を驚かさない音だ。レンジファインダーはKonica C35も持っているけど、シャッター音は”チッ”とやはり静かな音。一眼レフとGRばかりで撮ってきた僕には、このレンジファインダーの音やファインダーの中の絵はけっこう新鮮だ。50mm/f2で1mくらいの寄りから少し離れての光景など、いつくかのシーンを試し撮りした。一言でいえば、とにかく気持ちよかった。

そしてM3で24枚撮りフィルム一本を撮り終えたら、カメラを一眼レフNikon FEに持ち替える。こうして撮り比べてみると、一眼レフのミラーが上下して確実に撮ってるなという感触もとても気持ちがいいことにあらためて気づく。シャッター音は”カシャン”という感覚。手や耳にダイレクトに響いてくる感触はいかにも写真を撮っているという醍醐味を感じさせるし、ファインダーの中の濃密な絵も素敵だ。それにFEは絞り優先オートでも撮れるから、フルマニュアルのM3と比べると少し手を抜いてリラックスして撮れるのも気に入っている。つまり、レンジファインダーも一眼レフもどちらもそれぞれ素晴らしい特性があって、どっちがどうとかではなくて、どちらもとても魅力的なんだ。比べることはできやい、ただひたすらどちらもいい、それが僕の感想だ。

あとは、この二台の並んだ写真を撮ったRICOH GR。これはいかにもデジタルらしい”ジッ”というシャッター音を鳴らすけど、僕はいつもスナップに使ってるからシャッター音はオフに設定している。そして、GRはとにかく手のかからない子だ。ノーファインダーでかまえてシャッターを押すだけと考えていい。だから、いつも僕はかなりの量のスナップを撮る。デジタルだからもちろん何枚撮ってもフィルム代や現像代はかからない。そして、こうしてすぐに撮った写真をデジタルデータとして使える。便利さでいったら間違いなくM3やFE、C35なんかより頼もしいし、APS-Cサイズのセンサーを積んでいて写りも精巧で信頼できる一台だ。そう、GRも僕は体の一部のようなカメラであって、これもフィルムカメラとはとても比べることはできない。なんというか、徹底的に事前に機能なんかを調べたわけでもなく本能や直感で手にした4台のカメラだけど、こうして考えてみるとどれも特徴が異なっていて、どれも必要で使い分けの楽しめる4台だったなと思う。M3はまだ試し撮り初日たがら、この機体がきちんと写真が撮れているかもわからないし、そもそも僕の露出感覚も怪しいのだけど、午後もM3を連れてポタ用自転車で出かけてみようと思う。懲りない男だなあとじぶんでも思うけど、しょうがない。こどもだから笑。

空シャッターの音を聴きながら、週末を待つたのしみ。

金曜日の朝、一度だけ空シャッターを切って自室のケースにしまい、いま仕事場へ向かっている。今週のはじめにわが家へやってきたライカはまだフィルムも入れておらず、試し撮りは明日からの週末がはじめてとなる。

そもそもライカのフィルムの装填も、お店で一応は習ったのだけど、操作方法も含めて自宅でネット記事を見ながらゆっくりやろうと思い、まだフィルムは入れていないままだ。とすると、そっかと、空シャッターを切ってシャッター音はたのしめるなと、はたと気がついた。僕はこれまでフィルムをすべて撮り終わるとすぐに新しいフィルムを入れていたから、いわゆる空シャッターを切って音や感触を味あうということを思いつかなかった。でも、近ごろ読んだライカユーザーの人の本に、しばらくフィルムを入れていない時はフィルム巻き上げ動作と空シャッターを数回切ると機械の維持メンテにもなるし、何よりライカの機械としての精密さを五感で楽しむことができる、みたいなことが書いてあった。そこで、週末までは何度かライカを手に持ち、その手にずしりと馴染む感触や、フィルム巻き上げ動作、繊細なシャッター音なんかを密かに楽しんだ。

ライカの取扱説明を調べると、フィルム交換も日本のフィルムカメラのようには簡単ではないことがわかる。バルナック時代よりは交換しやすくなっているけど、例えば日本のフィルムカメラのように道端で立ったままフィルム交換はむずかしい。少なくともどこかテーブルに腰掛けてゆっくりと行う必要がある。だとすると、ライカ、それもM3時代のものは、一度フィルムを入れたらそれを撮り切るまでで撮影を終える、という使い方になるのかなと。僕が使っているフィルムであれば24枚撮りだから、朝フィルムを入れたら自宅に帰るまでは24枚しか撮らない。でも、だからこそ、一枚一枚を大事に撮る、そんな感覚。

ライカを手にして今のところ思うのは、この「フィルムは撮る前までは装填せずに、ふだんは空シャッターをたのしむ」ということと、「フィルムは基本的に一日に一本までしか撮らない」ということ。試し撮りする前からこんなこと考えてるのもじぶんでも少し呆れているけど、そんな撮らない時間でさえもあれこれ触ったり考えたりできることがライカが愛される理由なのかなと思ったり。きょうは雨の金曜日だけど、明日は晴れるかな。桜がようやく咲いたみたいだから、ライカと初めての散歩カメラができるといいな。いよいよフィルムを入れて。

男性的カメラ、女性的カメラ。

いまの時代に男性的とか女性的とか性別に例えて話すことはナンセンスかもしれないけど、僕の中のひとつの目安というか分かりやすくするための表現例ということで。カメラってまずそのプロダクトの佇まいとして男性的カメラと女性的カメラがある。僕の中ではNikonは男性的、Canonは女性的。僕の持っているカメラで言えばGRは男性的、C35は女性的、M3は男性的かな。で、筆頭にあげたNikonなんだけど、シンプルニコンと呼ばれるNikon FEを持つようになって、そのイメージが逆転し始める。それは、プロダクトのものさしだけじゃなくて撮れ味の印象が加わったから。この写真もそうなんだけど、僕がNikon FEで撮った写真のあがりを見てみると、その色だったり醸し出す空気がなんだか女性的だなと思ったんだ。僕が開放気味で明るめの写真を撮ってしまったからかなとも考えたけど、この写真はF1.8から二段ほど絞って撮ったと思うから、それほどはいわゆるゆるふわ写真なわけでもない。でも、水面の色なんかは瞬間的に”あ、なんか女性的”と思ってしまう。そうやって撮れる写真が女性的と思い始めると、FEというボディそのものも実は女性なんじゃないかと見えてくるから不思議だ。FEはフルマニュアルじゃなくて絞り優先で撮れるから、そういう意味では硬派なカメラじゃないのかもしれないけど、でもボディだけ見たら僕のイメージはずっと男性的に見えていたんだけどね。だからか、Nikon機を持ってる女性はちょっとボーイッシュに見えてカッコいいなとさえ思ってた。でも本当は内面が実は女性的であるNikon機を持ってる女性が素敵に見えていたのかもしれない。といってもFEで撮るのは今はカラーばかり。これがモノクロを撮るようになると印象は男性的にと変わるかもしれないけど、当面はカラーで撮り続けようと考えているから、今は僕にとってはFEを連れ出す時は”デート”という感覚かな。

かたやGRはボディも撮れる写真も僕の中では男性的。ラフでソリッド、時に職人のように緻密な写りを見せるGRの写真は、その歴史からいっても工芸品づくりの匠であったり、デジタル機器のエンジニアのような印象を持ったりする。Leicaもボディに関して言えば同じような印象だけど、まだ試し撮りしていないから、撮れる写真を見ると女性的へと印象が変わるかもしれないけどね。C35はボディも撮れる写真も女性的かな、とにかくチャーミングだ。というわけで、あくまで僕の独断と偏見だけど、カメラを性別で例えてみた。カメラメーカーさんは商品開発の前にターゲットを想定してそもそも男性向けカメラや女性向けカメラを意図的に企画しているとは思うけど、カメラの印象は撮れる写真の質感にも左右されるというお話。こうやってカメラの性別を考えるってことは、カメラってやっぱり人間っぽいからだろうなあとじぶんを考察していたりする。さて、あなたのカメラは例えるなら男性だろうか、女性だろうか。

忘れていたものを思い出させてくれるフィルム。

ひとは、そしてぼくはなぜこんなにフィルムで撮る写真に惹かれるのか。それはたぶんいまを撮りつつも、そこに忘れていた何かが写り込むからだと思う。幼い頃に至近距離で見た天然色、永遠にあるんじゃないかと思ったゆっくりとした時間、フリーハンドで描かれたような光景を構成するものたち。フィルムは強く記憶に働きかけるものなんだなと思う。今週も木曜日。もう少しでフィルムカメラを持って森へ行ける。今週末はLeicaを持って。楽しみだ。仕事もう一踏ん張りがんばろう。

わかったのは、ライカとは手にとってみてはいけないということ。

つくづく僕はじぶんのことが駄目だなあと思った。今朝からその予兆はあった。ほぼ日の写真特集の過去記事を眺めて、ヘキサーやビッグミニの記事に感化されたり、ライカの記事は避けるようにしていたのに特集の中に”ライカがいちばん”という記事を見つけてしまったり。僕はいまフィルムを始めたばかりで一枚でも多くのフィルムを撮るにはフィルム代の投資もけっこういる。実際きょうも五本のフィルムを現像してきたばかりだ。そして、昨夜こそFUJI業務用でうまく節約しながらフィルムライフを楽しむんだと書いた。なのにだ。どうするんだとじぶんのなかで押し問答が続いたけど、コニカC35を購入したお店に立ち寄った僕は、ショーケースから出して手に持たせてもらったんだ。持つだけ、触るだけ、とじぶんに暗示をかけるように、ショーケースから出てくるカメラを見つめていた。そして今、いっしょに帰宅している、ライカM3と。

購入したのは2ストロークのM3と、ツァイス・プラナー50mm/f2。ズミクロン50mmはあいにく先週売れてしまったと言われたけど、このブラックのプラナーもなかなかどうして、たまらない艶っぽさ。レンズを付けた時に、一目惚れだった。手にズシリとくる重みを感じた時に、これは別物だと察した。そしてフィルム巻き上げを2回して、ファインダーをのぞく。え?なんだ、この美しいファインダーの世界は、と本当に息を飲んだ。店員さんはシャッターを切ったみてくださいと言う。そして、シャッターを押す。シャッター音が奏でられた。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、それが僕の体感した感触だった。

フィルムを始めて1ヶ月も満たない男が、まだ満足にNikon FEやKonica C35で写真をまともに撮れない男が手にするカメラじゃないことは重々わかっている。でも、一度でも手で触れたら駄目なんだ、このカメラは。僕はもう新しいカメラは手にしない。レンズはわからないけど、カメラはもうこれで十分過ぎる。縁あって出会ったこの四台のカメラと生きてゆく。貯金をしてから手にするべきカメラを先に手にしたのだから、その分少しでも長い時間、このフィルムカメラとGRと過ごすんだ。そういう決心が鮮明になった日にもなった。大バカ者のブログはきょうはここまでです。あとは撮ります、とにかく。