ライカM3とは、

Leica M3, Summicron 50 1st

僕ごときがライカのしかもM3を語る資格も力量もないけど、あらためて少し書いてみようと思った。というのも、今朝Twitterで「こんどのM10-Dには巻き上げレバーがついているらしい」という記事を見かけたからだ。

現代も脈々と受け継がれるM型ライカの元祖、M3。その造りはすべてにおいて驚嘆のレベルだ。その前までのモデル、バルナックライカも素晴らしいが、そこからさらに圧倒的進化をとげて現代のカメラの普遍的なスタイルを世の中に強烈に打ち込んだのは、間違いなくこのM3であり、フィルムカメラでおなじみのあの巻き上げレバーもM3が発明した。

のぞいた瞬間にその美しさに誰もがハッとするであろうファインダーや、かすかな音で囁くようにそっと景色を切り取るシャッター音も素晴らしいが、この世界初の巻き上げレバーの感触もとんでもなく素晴らしい。僕のM3は初期型のダブルストロークだが、精密機械の緻密さながら、あのなんとも言えない人間味のあるニュリュリとしたレバーの手ごたえは、僕が触ってきたカメラの中では間違いなく他を圧倒的に引き離したナンバーワンだ。M3に触れた人の多くが、実は最も心打たれて購入する理由はあの巻き上げレバーの感触が実は筆頭なんじゃないかとさえ思う。それくらい、M3がタダモノではないことを物語る凄さがあるのである。

こんどのM10-Pはデジタルでありながら、背面モニターを排するだけじゃなく、この巻き上げレバーを復活させるのだとしたら、あのM3の巻き上げレバーの「感触」までも復活するのかと、ふと興奮したのである。M型デジタルがいくら進化したとしても、それは性能面の話であってさすがに感触はハイテク時代らしいソリッドなものであると思ってるんだけど、もしそのデジタル機にあのエモーショナルの塊のような巻き上げレバーの感触が戻ってくるとしたら、これこそアナログとデジタルのハイブリッドであって、撮る歓びが間違いなく異次元へとシフトする。そんな言いようのない興奮を僕は感じたのである。

ライカというブランドは凄いことしてくるなと。ライカという企業がクレイジーで凄いのか、それともポルシェ911と同じで、あまりにも初代の完成度が究極すぎて、それを超えられない呪縛に苛まれ続けている結果なのか、それは分からない。けれど、M型フィルムライカをやってきた人間であれば、どんなセールストークよりも巻き上げレバーが復活することの意味は計り知れないだろう。

ライカでいうM3とは、ポルシェでいう911。僕はBMW乗りなんでポルシェのことは分からないが、空冷ポルシェ時代のあの何者にも超えられない孤高の凄みは分かる。ライカがフィルムライクに撮りたいファンたちへ送り出すモデルに巻き上げレバーを復活させようとしているなら、それは一目おかざるを得ない。デジタル時代に機能的には必要のない巻き上げレバーを復活させてきたライカ、果たしてその役割はどういう意味を持たせてくるのか。そして、その感触はあの時代の必要とされた機能美の結果と比べてどうチューニングされてくるのか。そこに、ライカの本気度を確かめる目を持って、その登場を楽しみに待ってみたいと思う。ライカM3とは、という話ではなくなった気もするけど、最新のライカを考えることは、ライカM3を考えることなのである。

カメラはもうこれ以上はいらないと思ってる。それより時間が欲しいんだ。

Leica M3

僕はカメラが好きだ。写真そのものと同じか、それ以上だ。だから、気をつけてはいるものの、魅力的なカメラをみつけるとついつい手を伸ばしてしまう。おかげでここ最近は毎週末、試し撮りしてるような気分だ。それはそれで楽しいんだけど、そんなカメラより大事だなと思うのが「時間」だ。

もちろん、カメラといる時間は最高の部類に入るわけだけど、人生は案外忙しい。仕事もあれば、家族もあるし、映画も見たければ、本だって読みたい。だから、カメラを人生の主役にするわけにはいかないんだ笑。僕にとってカメラは最高の脇役であって、カメラに振り回されるのはちょっと目指している人生と違う。

だから、カメラはもうこれ以上はいらない。ほんとだよ笑。昨日はNikon FEをある人へ譲った。カメラを増やすことより減らすことに舵を切ったんだ。じぶんではそのつもり。かといって無理やり減らすのもなんか目的がすり替わっちゃうんで、あくまで自然体でカメラを減らし、人生を少し濃くしたいんだ。

できるかな笑。いや、できるようにするんだ。人生は長いようであっという間だからね。カメラとの時間を減らすというわけじゃないよ。カメラとの時間をむしろ濃くするために、時間を大切にするんだ。手持ちのカメラで体験していないシーンがまだたくさんあるからね。というわけで、記憶カメラはまだまだ続く。ジワジワ、濃さをめざしてね。

ライカは目測、僕はほぼそうなった。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕の腕前があがったから目測になった、というわけではない。そのほうが楽にスナップできるからである。僕はライカを4台持っている。バルナックIIIa、M3、コンデジX2、M型デジタルのM-P typ240。そのうち特にこのほぼ目測機に値するのが、IIIaとM-Pだ。

IIIaはそもそも二重像を合わせるファインダーが見づらいんで、よほど手前のモノにピントを正確に合わせたい時以外は距離用ファインダーはのぞかない。その隣にある画角用の50mmファインダーは見るけどチラ見程度で、あとは大抵無限遠かF値を絞って撮るから、まあ極端にピントをはずした写真にはならない。

M-Pのほうは、ファインダーは素晴らしく美しいんで見たくなるところだけど、こちらもピント合わせ自体は先に距離を固定しておいて、それが大体合ってるかどうかの確認用にファインダーをチラ見する程度だ。結局、スナップを撮るのはほんと一瞬の連続だから、いちいちファインダーを丁寧にのぞいてる時間がないのである。1m、1.5m、2m、3m、5m、7m、10m、そして無限遠、大体撮る時にどれかの距離に固定して歩き始めることが多い。もしくは、歩きながら被写体を見つけては構える前に目測で距離を合わせてしまう。撮る時はファインダーをチラ見してシャッターを押すだけ。これがとにかく楽なんだな、スナップの場合。最初からそういう思想で撮っているわけではなく、いつのまにかそんな風に撮るようになっていた。じぶんにとっていちばん楽な撮り方として落ち着いてきたのがその所作というわけだ。

じゃあ、その他のライカはどうかというと、X2はそもそもAF機なんでピント合わせはカメラ任せ。M3はなんで目測じゃないの?ということになるけど、これは単に僕がM3のファインダーをのぞきたいと思ってることが大きくて、あのおそらく世界一美しいであろうファインダーを撮るたびに眺めるのが単に好きなのである。なんかあまり説得力のない理由だけど、それが本当のところなのである。

まあでも、そんなM3も速写スナップシーンでは往々にして目測になることも少なくない。IIIaとM-Pでずいぶん目測慣れしたことも大きくて、あまり頭の中で深く考えなくても大体の距離は目測で刻めるようになった。あと、その他のカメラもRollei35やBessa-Lが目測専用機なんで、じぶんでも意識していなかったけどいつのまにか目測慣れしたんだろうね。

まあ、レンズを絞ればどこでもピントは合うから、そういう撮り方でもいいんだろうけど、僕の場合は割と絞り開放付近で撮るのが好きなんで、そうすると撮るたびに目測で細かに距離を刻み直す必要もあって、なんとなく1m単位で目測によって距離を刻んでいく撮り方になった。最近はそれが一眼レフにもひろがっていって、愛犬との散歩の時なんかは片手しか使えない事が多いんで、一眼レフでもピント固定で目測で撮っていることが多い。それもこれもきっかけはやはりライカなのである。まあ目測で撮るけど、目測が得意で正確なわけじゃないから、ピントは甘々の写真が少なくないけど、それもまた愛嬌というか許せる範囲になっている。ライカ使いの人たちがみんなそうなのかは分からないけど、まあこれも一人のライカユーザーの撮り方の一例ということで。さて、明日のカメラ〈Leica M3, Summicron 50/2 1st 〉を仕事鞄に入れて眠りにつくとしよう。

最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

フィルムライクなカメラ、という趣味。

Rolleiflex Standard etc.

特にポリシーとかあるわけじゃないんだけど、僕の手元に集まってくるカメラやレンズたちに何か共通点があるとしたら「フィルムライクに撮る楽しみ」ということかな。ライカたちしかり、Nikon Dfしかり、Bessa-Lしかり、一見共通項が無さげなカメラたちも僕の中にはそうした好みですべて繋がっている。

フィルムが好きだけどデジタルでも撮る。そこの垣根は無くなった。フィルムとデジタルでは描き出す写真ははっきりと違うけど、そこは違うことを前提に、でもカメラで撮るという行為においてはすべてフィルムライクに楽しめてる。あと意外と大きいのは、デジカメで撮ってもその場で撮れた写真をモニターで確認することはほぼ無いから、自宅に帰ってMacBookにつなぐまでは未現像状態みたいなもの。撮影する時のリズムはフィルムカメラとほぼ一緒、というのが僕のスタイルではある。

でもどうだろう、フィルムライクな写真好きかと言われれば、僕の場合はフィルムライクな“カメラ好き”なんだよね、やはり。クラシカルでヴィンテージ感のあるカメラの佇まいが好きだし、それぞれのカメラが持つ個性ある操作感が好き。あととにかくシャッターを切る行為が大好き。その嗜好性がいろんなカメラたちを「じぶんの目と手で試したい」という好奇心につながり、コレクションしてるわけじゃ決して無いんだけど、いろんなカメラたちが手元に集まってしまうんだな。困ったね笑。

けれど、そういう趣味の人が意外といることがTwitterやブログのコメント欄なんかを見てると分かって、なんかうれしいというか、ちょっとホッとしたり笑。そこは昭和生まれの男たちが抱く共通した何かなんだろうなあと妙に共感したり。

僕は街中のスナップも撮るし、愛犬との散歩でなんてことない草花の写真も撮る。誤解を恐れずにいえば、被写体はなんだっていいみたいなところもある。カメラで撮るという行為がまず楽しみの前提で、その上で家族の思い出を残せたり、都市の景観の移り変わりを記憶できたり、季節の移り変わりを体感できたりと、カメラと写真を二倍で楽しめている感覚がとても心地いいんだ。

カメラというのは、手にするとなんか撮らなきゃと少々気負ってしまうところがあって、僕も最初はなんか撮影計画みたいなことを考えたりしてたけど、今は「撮ろう」ということよりも「いつもカメラを持ち歩いておこう」という気分。持ち歩いておけば自然と数枚ずつ撮るし、後から振り返って写真を見た時も、頭の中に薄っすらとしか残っていない記憶の断片をつなげる役に立つ。そういう意味では、僕はアマチュア“写真”愛好家ではなくて、アマチュア“カメラ”愛好家なのかも。コレクターじゃなくて、シャッターを切るほうの愛好家ではあるけれど。

よく写るけど、写りすぎないやさしさがいい。

Leica M3, Planar T*2/50ZM

やさしいんだよね、フィルムとフィルムカメラはね。デジタル機につけると分かるけど、このコシナのCarl Zeiss Planar T*2/50ZMなんて、とんでもなくクリアでシャープな写りをする。ちょっとリアルすぎるところもあるんだけど、こうしてフィルムを通すと実にいい塩梅の描写になるんだ。

僕が使うレンズでいえば、Elmarなんかもそうかな。デジタルライカに装着して撮るとドキッとするような綿密な描写をするけど、フィルムカメラで撮るとそこに光のやわらかさが注がれ、同じレンズとは思えないやさしい表情をみせる。フィルムカメラにつけることを想定して作られたチューニングなのか、それともそれがその時代の最上の技術だったのか、そのへんのことは現代のしがないアマチュア写真愛好家の僕には分からないけど、フィルムカメラのレンズとして生まれた世界が、こうしてデジタル時代に僕らにやさしさをもたらしてくれることはとても夢のある素晴らしい出来事だと思う。

あと試したいのは初代ズミクロン だけど、こちらはまだデジタルライカにしか装着して撮っていない。本命はLeica M3用に手に入れたものだけど、この猛暑の中でなかなか連れ出したくない気持ちもあり、もう少し気候が良くなるのを待っている。とてもよく写ると言われるオールドレンズ の代表格といっていいSummicron 50/2 1stのフィルム越しの写り。さて、どう僕の心をなでるようなやさしさを垣間見せてくれるのか。いま、いちばんたのしみなことなんだよね。

ライカの可愛さと狂気。

Leica M3, Elmar M 50/3.5

昨夜あたりからTwitterを眺めていると「#バルナックはいいぞ」というハッシュタグと共にカメラ好きたちの思い思いのライカを写した画像が流れてきて、あゝライカ愛されてんなあとつくづく感じた。いや、ライカだけじゃないだろうけど、特にライカは溺愛されてる感じはやはりある。

あれって何なんだろうなと思うわけだけど、カッコいいとか凄みとかそういう正統派のこだわりだけではそういう現象は起きないよなと。そこには少し人間の本能を揺らす要素、僕には「可愛さ」とか「狂気」とかが絶妙にまじってるから人々はやられると思ってる。まあ、僕もそのあたりにやられたクチではあるんだけど笑。

なんというか人間と同じで、美人とか秀才とかそういうものとは異なる部分でいわゆる人気なひとっているよね。凄くクリエイティブかといえばユニークさも持ち合わせていたり、クールに見えて実はチャーミングさが多分に垣間見えたり。なんかそういう部分の、分かりやすいものとは少し違う成分がライカには入っている気がする。じゃなかったら、ひとはあそこまで首ったけになったり、その歓びみたいなものを人々に伝えようとしたりはしない、きっと。

それは、撮れる写真にも感じていて、ライカのボディやレンズで撮れる写真は精巧というより隙がある。でもその隙が人間らしさみたいなものを内包して、見る人、撮る人を魅了する。これが計算されたものならライカの科学はすごいぞと思うけど、それは作られたものというよりは、作り手の愛情みたいなものが滲み出た結果なんじゃないかと思うけど、どうだろう。それが伝染してか、ライカ好きな人たちはとてもピュアだ。決してライカをじぶんのアピールに使ったりはしない。もっと無垢な感じで惚れ、それを人々へ伝えようとしてると思う。そういうブランドはやっぱり強い。ブランドはこしらえるものじゃなくて、結果積み上がるものなんだよなと、あらためて。

デジタルライカと初代ズミクロン、60年越しの出会いになるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

それにしても違和感のない、実にしっくり組み合わせだ。Leica M-P typ240とSummicron 50/2 1st 固定鏡胴 後期型、ズミクロンが登場してから実に60年越しのM-Pとの共演といえるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕のズミクロンは沈胴しない固定鏡胴タイプで、手持ちのエルマーが沈胴式だから、ズミクロンは初代でも固定鏡胴が欲しかった。中古カメラ店で何度もtyp240とM型フィルムライカに装着してその佇まいを確認し、最後は「うん、これだ」と確信して購入した。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

もともとズミクロン1stを手に入れようと考えたのは、Leica M3用にと思ったから。この夏、僕はふとLeica M3のことをあらためて惚れ直すに至り、M3を生涯使い倒すのであれば、やはり当時M3とセットで売られていた標準レンズといっていいズミクロンをつけてやるべきじゃないか、そう思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

物理的に言えば50/2というレンズはPlanar T*2/50ZMを持っていたから必要ないんだけど、そこはやはりライカで確かめたかったというのかな。ElmarとSummiluxは持っているんだけど、その間を埋めるf2のレンズもライカのオールドレンズで確かめたかった。僕の中でライカのオールドレンズに魅せられてきた結果だと思う。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

フィルムで撮る前に、まずズミクロンの性格みたいなものを掴みたかったから、デジタルライカM-P typ240に装着して、愛犬の散歩と共に試し撮りへ出かけてみた。エルマーとズミルックスとどう違うのか、同じf2のプラナーとどう違うのか、そんなことを考えながら、ひとまずは辺りをいろいろ撮ってみた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まあ僕の目にそれらの違いを語れる能力があるかというと無いわけだけど、感覚的なことでいえば、ズミクロンは「試されるレンズ」だと思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕的にいえばズミクロンは見事にエルマーとズミルックスの中間的世界だと感じた。エルマーの奥深さ、そしてズミルックスの華やかさ、その両者のよさを中間的に持ち合わせているレンズ。でも逆にいえば、どっちつかずのバランスのとれすぎた描写になる。エルマーとズミルックスで撮ってきた僕には第一印象としてそう感じられた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

これは僕がエルマーとズミルックスの描写がそれぞれ好きすぎるからそう思うんだろうけど、ズミクロンを最初から手にした人であれば、このバランスのいい描写はまさに代表的レンズの風格を堪能できる一本だろうと思う。現代的レンズであるZMプラナーと比べても「癖のあるボケの余韻」は分かりやすくオールドレンズ の良さを堪能できる。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

でも、もっといえば「ズミクロンは簡単じゃないレンズ」じゃないかと思った。ひとまず試し撮りの第一印象としてこうして感想を言葉にはしているものの、たかだか試し撮り程度では語れない奥深さを持ち備えているレンズ、それこそがこのズミクロンの真骨頂じゃないかと。時間をかけてじっくりとその実力を絞り出していく楽しみがあるレンズ。それこそが僕が初代ズミクロンに感じた魔性のような魅力だ。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まずはデジタルライカで試してみたけど、このズミクロンの真髄はやはりM3につけてからが真の快楽なんだろうな。僕がこの初代ズミクロンの購入を決めた最後の押しは、このフードITDOOをつけてM3に装着してみた姿に惚れ込んだからに他ならない。この佇まいは、撮れる写真云々の前から撮り手にパッションを与えてくれる。

Leica M3, Summicron 50/2 1st

やばい艶かしさ。ズミクロンはやはりM3のために生まれたレンズ。当時のライカ開発陣の美学や気迫がプンプン漂ってくる。バルナックとエルマーの組み合わせと同じ種類の、ひとかたまりで圧倒してくる究極の機能美のようなもの。僕にとってカメラとはデザインの美しさも最大の要素、固定鏡胴のズミクロンはそこも軽々と撃ち抜いてきた。やるな、ライカ。人生を共にする価値がこのレンズにはある。

フィルムがいつまでこの世に存在するのか、というのはカメラ選びのたびに脳によぎる。

Leica M3, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

さっきのポストの続きみたいなところがあるけど。その手ごたえがありつつ絶妙な軽量コンパクトのカメラたちとなると、僕の場合レンジファインダー機が筆頭になってくる。その最たるカメラがLeica M3だったりするわけだけど、こうしたカメラたちを手に入れたり、もしくは今後手元に残していくカメラを考える時、ふと脳によぎるんだな。「ところで、フィルムはいつまでこの世に存在するんだろうか」と。

きょうもTwitterでAgfaのフィルムが最終販売というのを見かけたし、現にAcros100の再開に向けた再検討がなされているとアナウンスもあったとはいえ、国内唯一のフィルムメーカーも年々フィルム扱い品目を減らしていってる現実もある。もちろん、需要が大きく供給を上回るようであればフィルムはビジネス的に無くなることはないんだろうけど、世の流れからいえばデジタル化がますます進むことは否めない。このままいけば、フィルムが永遠にあるというのは考えづらいんだよね、やはり。

そうすると、フィルム機を人生永遠の友にするのはやはりむずかしいのか?とか、かといってデジタル機では何十年も使い続けるのはむずかしいぞ?とか、なかなか手元に残していくカメラ選びというのはむずかしかったりするわけである。僕だけかなあ、そんな風に思うのは。僕はどちらかといえば、これからはカメラを増やすというよりは、最後に残すカメラたちを絞り込んでいくプロセスに入ろうと思ってるんだけど、その時にこの「フィルムはいつまであるのか問題」みたいなものがふとよきるんだよなあ、いつも。

そんなことどうでもいいじゃん!いま楽しめることに集中すればいいだけ!とか言われそうだけど、なかなかそうも割り切れなくてね。だって、カメラは飾るものじゃなくて、使ってなんぼの道具だからね。けれど、この答えのない悩みは常にどこかにあって、カメラをやる以上はずっとこのテーマとは向き合っていくんだろうなと。ネガ、ポジ、ブローニー、ずっと使えればずいぶん悩みは吹っ飛ぶんだけどね。

あらためてM3が好きになった夏休みだった。

Leica M3

Leica M3、このカメラは何なんだろうね。いろんなカメラを手にしても必ずここへ帰ってくるようなこの感覚。ちょっと他のカメラでは感じない何かを、このM3というカメラは持ち合わせている。

ことしの夏休み、僕はふとM3で撮りたいという衝動みたいなものにかられ、連日M3と時間を共にした。あのズシッとくる手の中の収まり具合、あの視界がぐっと開けるクリアなファインダー、小気味いいダブルストローク、チッとささやくシャッター音、フィルムで撮ることを強烈に感じさせるフィルム装填、もうすべてがね、脳によぎったというか、あの感触を思い出したんだよね、僕の写真欲がね。

夏休み最後の夜、まだM3の中には撮りきれなかったフィルムが入りっぱなしだから空シャッターは切れないけど、明日、現像出しするフィルム7本のうち4本はM3で撮ったもの。とても満足感というか幸福感に浸っている。きょうTwitterでふとつぶやいたんだけど、僕は本気で「もう一台、M3を買い足したい」と思い始めている。いまのM3が調子が悪いからじゃなくて、単純に好きすぎて二台のM3にプラナーとエルマーをそれぞれつけて、一日中M3と過ごす日があってもいいんじゃないかと思ったんだ。そんな風に思ったカメラはM3くらいしかない。二台あれば、一台がフィルム入りっぱなしでも、もう一台で空シャッターを切れるしね笑。

あと、M3を連れ出すのに相棒としていいなとあらためて思ったのが、二眼レフのRolleiflex Standard。M3でヒュンヒュン撮るスタイルから呼吸を変える感じとして、あ、スタンダードいいなって。これにデジタルのM-Pがあれば、僕はかなり待たされるとも思った。バルナックIIIaも好きなんだけど、IIIaは僕の中ではもう少し趣味的なカメラというか、やっぱりね、フィルムカットしなくていいM3は速写スナップ機という点でいえば、IIIaよりM3のほうが僕にはフレンドリーだということにも気がついた。些細なことかもしれないけど、そういうことも含めてベースとしてのカメラとしてはM3が実は僕には使いやすい、そんな風にあらためて感じた夏になった。

これはあくまで僕の感覚だからね、バルナックのほうがいいという人もいるだろうし、一眼レフのほうが本格的という人もいるだろう。でも僕がいろんなカメラを手にしてきてあらためて思うのは、「M3に始まり、M3に終わる」的なことだったんだよね。M3、ここがベース。ここを軸足に、時にデジタル、時に二眼レフ、時にコンデジ、時にフィルムコンパクトやフィルム一眼レフ、それがいいんじゃないか。そんな正解めいたカメラとの向き合い方が少し見えてきた。これがこの夏だけのことなのか、それともまだ何か新しい気づきが訪れるのかは分からないけど、ひとつの到達点みたいな思いとしてブログに記憶しておく。2018年、夏。