カメラにとって存在感の希薄さは最大のメリットになる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

カメラとは不思議な道具で、所有者にしてみれば思い入れはとても強く、そのデザインやヒストリーに並々ならぬ想いを馳せる。でも、撮られるヒトやシーンにとってみれば、むしろその存在は希薄であればあるほどいい。家族を撮るにしても、街中でスナップを撮るにしても、ポートレートを撮る時もそうなのかな。カメラなんて相手に気づかれないほど存在を無かったことにするくらいのほうがいい。そこには所有者と撮られるシーンの間に驚くほどのギャップが存在する。そこがまたおもしろかったりするんだけどね。

僕がスナップで使うカメラはレンジファインダー。撮られるヒトからすれば、いわゆる報道カメラのようなゴツい一眼レフじゃなくて、どうかしたらコンデジみたいなものだから、一瞬目を向けられてもいい感じで無視してもらえる存在感の希薄さがある。撮ってる僕にしてみれば、ファインダーの中にちらりと見えるまぶしい光景にハッとしたり、その操作性の精密さに心の中で唸ってたりするんだけど、そんなことは相手にしてみれば知ったこっちゃない。その知らない、興味もない関係性が街の素顔を切り取るにはとても都合がいいんだ。

カメラも僕もまるでこの世に存在していないように、街の雑踏の中に紛れ込み、溶け込んで、もっと言えば透明人間であるくらいの消え方がいい。決してこっそり撮るわけじゃなくて、こちらも撮るヒトたちの存在が希薄になるように街の空気をつかむことに神経をそそぐ。存在感の希薄さはお互い様のような関係性。そういうところがスナップのおもしろさなんだろうなと最近感じるようになった。

明日からしばらくまた出張に出る。もちろんカメラも一緒だ。これまでならGRとKonica C35の出番だけど、今夜はLeica IIIaにILFORD XP2 400をフィルムカットして詰めている。バルナックでモノクロ、初めての体験だ。いつもC35とカラーネガで撮り慣れた街が、どんな風に姿を変えるのか。そして、バルナックに少し慣れてきた僕はフィルムコンパクトのように存在を消せるのか。そんなことを考えながらそろそろ眠りにつこうとしている。カメラのこと、写真のことを考えるのは、実に人間くさいプロセスだ。だから終わりがないし、答えもない。ただ撮ることでしか気づけない。だから、おもしろい、無限にね。

レンジファインダーが僕の写真観を変えてくれたことは間違いない。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この場合、レンジファインダーとはLeica M3とLeica IIIaのことであり、写真観とはスナップシューティング観ということである。変化の大きなきっかけになったのは、バルナックライカIIIaと沈胴式Elmar50/3.5を手に入れたことだと思う。そのあまりにも薄くコンパクトなボディに軽く衝撃を受け、平日の仕事鞄の中の相棒がKonica C35からIIIaへと変わった。

IIIaを日々持ち出して街の雑踏の中のスナップを撮り始めると、そのミラーショックのないレンジファインダーなら息を止めさえすれば夕刻や夜間のネオンライトでもシャッターが切れることを知る。そして、50mmという難しい焦点距離が僕の足を前後にもう数歩だけ前後させる。そして、その感覚をもう一台のレンジファインダーでも確かめたくて、Leica M3も平日の街スナップに連れ出すようになった。つまり、一週間の7日間のうち実に5日間もレンジファインダーと過ごすようになったんだ。これだけ時間の過ごし方が変われば、スナップのある日常の写真観も変わって当然だった。

思えばカメラを始めた当初はデジイチで週末に自然を撮ることが楽しみだった。そこにRICOH GRが加わり、スナップというものを撮ることの楽しみを覚えた。フィルムカメラを始めた時も一眼レフだったから、週末は一眼レフで撮ることが多く、所有カメラの割合も一眼レフが多かった。レンジファインダーはその合間に撮るような割合でしか無かった。それが、ほぼレンジファインダーとの時間へと変わったのである。じぶんの中に少し、いや割と鮮明に、これからの残りの人生におけるカメラとスナップとの向き合い方が見えてきた気がした。

ライカというカメラはとかく高価さやブランド感、使い倒すカメラというより骨董品のように飾り眺めるカメラと見られがちかもしれないけど、僕の中ではライカこそ日々外へ持ち出して何気ない街の光景を撮り倒すカメラだと知った。僕にはそう思えた、それもかなり強烈に。このじぶんが受けた本能的で官能的な感覚を頼りに、もう少しこの道を掘っていきたい、いや人生の残り時間はそこを可能なかぎり掘り探る時間に当てたい、そう思えるようになった。たかがスナップだけど、人生はそのスナップの縮図であり、されどスナップだ。ライカとスナップ、羅針盤がそこにはあった。

僕の写真にテーマはない。強いてあげれば「片隅の記憶」。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

InstagramやTwitterで他の人の写真なんか見てると、ほんとみんな上手いなあと思うし、ちょっとゾクっとする写真を撮る人たちは何かしらテーマみたいなものの存在を感じる。それからすると、僕の写真は控えめに言っても失敗写真が混ざり合ってまさに雑多、テーマらしいテーマも実際無い。でも、ちょっと考えてみた。探せばなんかあるんじゃないかと。テーマらしきものが。で、ふと思ったのが

「片隅の記憶」

まあ記憶の片隅にあるもの、でもいいんだけど、要は記憶のメインのものではない写真たち、ということ。考えてみると、僕が写真を撮っている時というのは、ふと空いた時間なんだ。空いていない時間、つまり記憶のメインになるような瞬間はその場の空気を楽しんでるから、カメラなんて構えていない。カメラを構えるのは、メインではない時間なんだ。だから、じぶんの写真のことを強いてあげれば「ほんの片隅の記憶」ということになるなと。

でも、それはメインじゃないから寂しい話かというと、そういうわけでもなくて、放っておいたら数日後にはすっかり忘れて消えてなくなりそうな記憶の片隅の事象を、こうやってスナップにおさめておけば、後から写真を見た時に記憶として思い返すことはできる。その時の天気とか気温、音や風、フレームの外の光景なんかをじんわりと思い返すことができる。それは凄くはないけど、意外と素晴らしいことなんじゃないかと思ってる。

まあ強いてあげればという話であって、実際はシャッターを切るのが好きだからもっと無意識にスナップしてるんだけどね。でも、じぶんを客観視した時にそういう気分みたいなものはどこかあるな、という話。最近、Leica IIIaを手に入れてから、夜の街もフィルムでスナップするようになった。夜の街なんてフィルムの感度で撮れるはずがないという先入観があって、これまではほとんど夜間はコンデジのRICOH GRで主にモノクロで撮ったきたんだけど、カラーネガフィルムで撮る街は僕の想像を超えて美しかったし、人間っぽかった。

息を止めさえすれば、ミラーショックのないレンジファインダーなら夜もシャッターが切れる。このことが週末用になっていたLeica M3までも平日のスナップ用カメラとして持ち出すに至った。夜のカラー写真が増えてますます雑多でノンテーマ感が増してるようにも思うけど、これが僕のその時々の片隅の記憶だから、そこは少々ボケていようが、構図が不安定であろうが、どんどんブログやSNSにポストしていこうと考えている。IIIaとM3を持って街の中へ埋もれ、それこそ街の片隅でじぶんの片隅の記憶を撮る。その先に何かあるわけでもなんでもないけど、僕のリズムとしては今、とても気持ちがいいんだ。

Leica M3を惚れ直した夜。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

ここ二週間ほどは手に入れたばかりのバルナックライカIIIaの試し撮りに集中していたんだけど、そうするとレンジファインダーで街撮りする魅力を再認識して、だったらLeica M3も連れ出したいと無性に思うようになった。で、金曜日の夜、仕事鞄の中に忍ばせていたM3を取り出して、夜の街を徘徊してみた。結論から言うと、めちゃくちゃ気持ちよかった。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

何が気持ちいいって、世界がまぶしいんだ、素晴らしく。バルナックとM3の最大の違いはファインダー。ふたつ窓がひとつになり、大きく、明るく、クリアになったファインダー越しの世界は、ほんとキラキラと輝いてた。この世界を見たら、どんなカメラも霞んでしまう、そんな至宝のファインダーがM3の最大のポイントだ。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

M3のファインダーはほぼ等倍の大きさで実像をとらえる。なので、両目を開けてファインダーをのぞくことができ、そのガラスの中に美しい50mmブライトフレームと二重像が折り重なった景色がまさに浮かび上がる。夜のネオンに照らされた街でこのファインダーの中の世界を見てしまうと、もうなんと言うか映画の世界の中にでもいるような気分になる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この世界を知ってしまうと、もうM3からは離れられない。いくつかのカメラを所有したとしても、必ずかのカメラに舞い戻ってくる。そんなカメラレパートリーの中の要のような存在なんだ。にゅるりと絶妙な感触のダブルストロークを巻き上げ、雑踏のガヤに打ち消されてほぼ無音のシャッター音は、まさに夜の街に潜むハンターのような気分を堪能させてくれる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

こんな素晴らしいカメラが1954年に世に生まれたとはにわかに信じがたいけど、だからこそM3は今もライカのカメラの王様とも言わんばかりに君臨するのである。フォルムを含めたコンパクトさやチャーミングさでいえばバルナックライカの存在感が際立つけど、カメラと写真の精密性でいえばM3がその何倍も上を行く。まさに本質を追求する玄人好みのカメラと言えるだろう。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この至宝のM3とファインダーが使えるかぎり、僕はデジタルライカには行かないだろうな。そんなことを再確認する夜にもなった。世の中には時を重ねて圧倒的に性能が高くなっていく進化ばかりではない。このM型ライカのように、最初に登場したM3を超えられずにいる進化というのもある、そんなことを証明するかのように今も輝き続ける生きた伝説、それがLeica M3という唯一無二のカメラなんだ。

バルナックの対比としてのライカM3。

Leica M3, Planar T*2/50

バルナックライカIIIaの試し撮りもフィルム4〜5本になった。そうして連日バルナックばかり使っていると、ある衝動が沸き起こることもちょっと分かってきた。それは、M3も使いたくなるということだ。もちろん、バルナックがなくてもM3で写真を撮っていたわけなんだけど、その時のM3をチョイスする気持ちとは少し異なる。単にM3が使いたいというよりは「バルナックの対比としてのM3」を確かめたくなるんだ。

バルナックを使い始めると、いくつかM3との違いに気づく。まず、フィルムカットの有無、スプールのフィルム差し込みの深さ、シャッタースピードダイヤルの感触、シャッター巻き上げからシャッターを切るまでの所作、シャッター音の違い、そのショックの違い、そして二つの窓と一つの窓の違い、フィルムを巻き上げる時にかかるストレスの違いetc. 実にいろんなところが似ているようで異なる。バルナックを使っていると、そうした違いが脳裏や手に蘇り、思わずM3に持ち替えたくなるんだ。

それは進化の差なのか、それとも製品コンセプトの差なのか、製造技術の差なのか、時代のトレンドの差なのか、そういうことをバルナックとM3の対比として確かめたくなるんだよね。あと、単純にバルナックを使い続けてると、その後継であるM3がとんでもなく進化して登場したであろうことが如実に分かる。バルナックが良くも悪くも懐古的機械の挙動を見せるとするならば、M3はいくつか時代を飛び越えたんじゃないかというくらい、精密で、静かで、滑らかで、まるで現代のカメラのようにまったく破綻のない挙動を示す。こんな完璧な機械が1954年には誕生していたと思うと、ドイツの、ライカの機械工学の高度さを嫌というほど感じずにはいられないのである。

バルナック時代には日本のカメラメーカーからもコピー的製品がいくつも生まれていたが、このM3が登場した瞬間に白旗をあげ、違う土俵である一眼レフで勝負に出たというのも頷ける話だなと思える。その当のライカでさえ、M3を超えるクオリティの製品をその後は出せていないとも言われるくらいだから、それはもうカメラ好きじゃなくても手に持った瞬間に分かる超オーバークオリティの凄みなんだろうね。以前にも書いたけど、僕はお店でたまたまM3をさわってしまい、ファインダーをのぞきダブルストロークを巻き上げた後、シャッターをそっと切った瞬間、それまで味わったことのない本能的な衝撃を受け、思わず連れて帰ってしまった人間だ。

小型で洒落たフォルムを持つバルナックの佇まいと比べると、少し大きくなり無機質なデザインとなったM3は、質実剛健で一見面白みに欠けるように見えるかもしれないけど、これはこれで僕にはとてもクールだ。バルナックに入っているフィルムを現像に出したら、今度はM3にフィルムを入れて、仕事用の鞄に入れて連れ出したいなと思っている。今度はたぶん、M3で撮りながらバルナックのことが頭によぎるんだろうけどね。この二台はどちらかではなく、セットなのかもしれない。

いっそフィルムライカ、はじめよう。

Leica M3, Leica IIIa

フィルムカメラに興味がある人の多くはスナップ写真に興味があるということなんじゃないかと思うけど、どうだろう。もしそうだとしたら、レンジファインダーという選択はかなりおすすめだ。軽量コンパクトでミラーショックもなくシャッター音も比較的静か。街の中に溶け込んでスナップシューティングに没頭できる。世の中にはいろんなカメラがあるけど、レンジファインダーは紛れもなく軽快なスナップシューティングのために生まれてきたカメラだと思う。

となれば、一気にライカという選択肢が現実味を帯びてくる。フィルムカメラを始めようかという人がいきなりライカというのは如何なものかと思うかもしれないけど、ライカは確かに圧倒的なクオリティとデザインフォルムを纏った名機ではあるけど、幸福なことに現代では十分手の届く価格帯で巡り会うことができる。フィルムカメラを何台か所有した暁にフィルムライカにたどり着く、その複数台のカメラやレンズ代があれば余裕でバルナックライカと沈胴式エルマーが手に入るだろうし、レンズがあればM3だって射程圏内に入ってくる。

僕はいくつかのカメラを所有した暁にフィルムライカにたどり着いた方だけど、その僕が経験者として語るとするならば、いっそ最初からフィルムライカに行ったほうがいい。ライカがその誕生から100年が近づいている中で、今もこれだけ愛されているのは単にブランド力だけの問題じゃない。そこには、スナップシューティングを考え尽くした当時のバルナック氏ほか匠たちの火傷しそうな熱い思いが込められている。それは、ある意味カメラ生誕のすべてが詰まっていると言ってもいい。このカメラを触ることで、カメラの歴史や存在理由が理屈抜きに伝わってくる。たくさんのカメラを所有するのもアリだけど、僕はいっそバルナックライカとM型ライカの原点M3を所有して、その世界を深掘りしてみるのも相当アリなんじゃないかと思う。

僕は人生の半分を超えたような遅い歳にフィルムライカに出会った。考えてみると人生は長いようで短い。その日々の中で何かを深めようと思うと、実はそれほど時間はないんだと近ごろつくづく思う。だとするなら、何事も深く楽しもうと思えば始めるのは早い時期であるほうがいい。若ければ若いほど、このフィルムライカに触れて、一枚でも多く撮り、その35mmフィルムカメラを生み出した世界を堪能し尽くしてみたほうがいいと思うんだ。どうだろう、飛躍しすぎた考え方だろうか。でも、僕がもし数十年前に戻れるなら、この二台のフィルムライカを手にすることから写真を始めたいなと思う。すべてを、この二台の原点から。

機械式のライカたちがもたらしてくれる、週末のまったりした時間について。

Leica M3+Planar T*2/50, Leica IIIa+Elmar 50/3.5

じぶんでも想像してなかったなあ、フィルムライカがこうして二台、わが家にやってくることになるとは。カメラを始めた頃に耳にしたライカという名称はじぶんとは関係のない世界のモノと思っていたし、意識すらしたこともなかったように思う。フィルムカメラを始めた時も手頃なNikon FEとフィルムコンパクトのKonica C35を手にしただけで十分満足していたし、不満なんてひとつもなかった。でも、ある日、ふとLeica M3に直にふれる機会があり、理屈抜きでその質感にハートを撃ち抜かれ(古めかしい表現だけど、それが素直にいちばんしっくりくる)、以来、僕の週末に機械式カメラとのひとときが加わることになった。

機械式カメラとは、電気を一切使わないフルメカニカルシャッターのカメラのこと。電気を使わないから、いわゆるオート撮影はできない。写真を撮るには露出(絞り値とシャッタースピードの組合せ)を決めて撮る必要があるわけだけど、電気を使うカメラはこの調整を電気で自動的にやってくれる。あと光を取り込んで画像を作り出すカメラは、ISO感度というものが存在するけど、最近のデジタルカメラは驚くほどの高感度性能を持ち、暗所でもわずかな光を取り込んで自在に写真を撮ることができる。でも、機械式カメラはそうはいかない。予め決まった感度のフィルムを入れたら、その感度をもとに撮れる範囲で露出を試行錯誤して撮る必要がある。つまり、今のカメラと比べるとずいぶん面倒くさい操作をじぶんでやって写真を撮る必要がある。この世の中で数少ない「電気を必要としない機械」の生き残りなのである。

そんな時代に取り残されたような、恐竜のようなカメラのどこがいいのか。僕もそんな風に思う一人だった。けれど、そんな理屈を吹っ飛ばしてくれたのが、ライカの機械式カメラ〈Leica M3〉だったのである。僕のM3は1955年製、ちょっと感覚が麻痺しそうな年代だけど、それもそのはず、60年以上前に作られたカメラだから普通に考えたら「そんな大昔のカメラが使い物になるのか?」と目を疑うことだろう。ところが、使えるのである。しかも、電気を使うハイテク機械に余裕をぶっかますように、精密で知的な操作感と写りを提供してくれるのである。何なんだ、この奇跡のようなカメラは。それが、僕のM3に抱いた偽らない感想だったのである。

そのM3よりさらに古く、時は1939年により送り出されたのが、僕のもう一つの機械式ライカ、Leica IIIaである。クラシックカメラ通の人たちの間ではバルナックライカと呼ばれる型のカメラ。M3と比べると、もう見た目からして明らかにレトロを地で行く懐古的ルックスと操作感。こんなものでまともな写真なんか撮れるはずがないときっと誰もが思う。レトロな置物、つまりアンティークなインテリアですか?といった趣なわけだけど、これもまたまったく現役のカメラの中のカメラなのである。フィルムカメラに馴染みのない人がこのブログを読むと、何をいかれたことを言ってるんだ、このブログの著書は、ということになるんだろうけど、ごめん僕はいたって冷静にこのブログ記事を書いている。正真正銘、このバルナックライカも今なお最高の撮影感覚をもたらしてくれるカメラなのである。

M3を手にして以来、僕はもうこれ以上素晴らしい機械式カメラとは出会うはずもないとずっと考えていた。つまり、最初で最後のライカだったはずなんだ。けれど、今思うとM3はこのIIIaに引き合わせてくれる結び手のようなカメラだったのかもしれない。M3がもたらしてくれた、他のカメラにはない最上の癒しが、じぶんでも気がつかないうちに、そのさらにルーツであるバルナックライカへの興味、欲求と言った方がいいだろうか、そういう気持ちをジワジワと僕の中に芽生えさせてきたのかもしれない。

機械式のライカたち、とひとくくりに言いつつも、実際に手にして撮影した感覚でいえば、この二つのライカは意外と感触が異なる。M3は未だにこのM3を超えるライカはないと言われるほど、時代を超越した驚くほどのオーバークオリティで、撮る者の度肝を抜く。冷静沈着、実にクールな大人のカメラとでも言えばいいだろうか。対してバルナックIIIaはもっと野生的で肉食的とでも言おうか。このバルナックライカを持ってひとたび外に出れば、そこら中が冒険の大地になったような独特の軽快感を味あわせてくれる。意外にもこの二つのライカは、対照的と言ってもいいくらい別物だたりもするのである。

つまり、クールに過ごしたい時も、アドベンチャー的に過ごしたい時も、この二台のライカがあれば、デジタル時代の喧騒におさらばらして、実に芳醇な時間の経過を味わい、時空を超えた大人の少年的時間を過ごすことができるのである。いや、言葉で表現するのはむずかしい。これはもう、ごめん、手にしてもらうしか説明はむずかしいかもしれない。M3もIIIaも趣味のアイテムとしては決して安いとはいえないかもしれない。でも最新のカメラに比べればずいぶん割安で、途轍もない造り込みの世界を堪能することができる。そんなプロダクトはもはやこの世には存在しないと思う。しかも、それは骨董品じゃなくて、写真を撮るというとても実用的に使っていけるモノなんだ。

その使用感やスペックなんかは過去記事や他の方が書いた詳細ネット記事なんかを参考にしてもらうとして、ここではとにかくこの機械式ライカたちがもたらしてくれる感情、それらがある日常や週末の気分を少しでも伝えられたらなと思って書き始めた。まるで伝え切れたとは思わないけど、読んでくれた人がいるとするなら、その人の人生を豊かにするきっかけになったらうれしいなと思う。IIIaにいたってはまだ手に入れたはがりで、フィルムの現像もこれから。約80年前のカメラで果たしてきちんと写真が撮れているかの確認はこれからではあるけど、僕は今日このIIIaで初めて街中で試し撮りスナップを体験し、このIIIaはM3と同様、僕の人生の友になると確信したんで、このブログに「僕の機械式のライカたち」として記憶を残しておこうと思った。

人生は一度きりだ。しかも、その週末は実はそれほど多くない。だったら、他人から見たら少し馬鹿馬鹿しく思われるようなことでも、没頭してみるのも悪くないんじゃないか。僕はそういう思いをこの二台の機械式ライカたちに気づかせてもらったような気がしている。誰かの参考になるかな、いやかなり独りよがりの記事になっちゃったかな。いずれにしても、これが僕の今日という日の素直な気分なのである。

iPhoneはいつも持ち歩ける写真アルバムでもある。

Leica M3, Planar T*2/50, Kodak Ektar100

電車やバスに乗るとほとんどの人がスマホをいじったりしていて、それはあまり素敵な光景ではないかもしれないけど、それでもいいなと思うことがあるとするなら、いつでもどこでも過去写真に気軽にアクセスできること。僕の場合だと、iPhoneのカメラロールにデジイチやフィルムカメラで撮った写真も保存してあるから、少し空き時間があれば気軽に過去写真を眺めることができる。

いまは写真データをクラウドに保存してるから、写真アルバムを持ち歩くというより、大量の写真倉庫ごと移動しているくらいのインパクトが実はあるのかもしれない。フィルム写真もプリントを常に持ち歩くのはたいへんだけど、こうしてデータ化してiPhoneに入れておけば、好きな時に写真を眺めながら少し空想チックなひとときを楽しむことができる。

写真はいいよね。おぼろげな記憶も写真でたどれば、音が聞こえてくるくらいその時の情景を鮮明に思い出すことができる。スマホカメラで撮った写真もいいけど、カメラで撮った写真ならその撮影シチュエーションまで蘇るところがあってけっこう感慨深い。僕のiPhone=iCloudには今、フィルム写真だけでも3000枚近くあるんじゃないかな。じぶんでいいなと思う写真はお気に入りに入れてるけど、基本フィルムで撮った写真はすべてデータを保存してある。失敗写真も含めて眺めたくなるのがフィルムの不思議なところで、そういう写真を眺めていると「次は同じようなシチュエーションならこう撮ろう」みたいなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。

まあ、いつまでもため続けるわけにもいかないから、いずれ写真整理が必要だとは思ってるんだけど、できればカメラで撮った写真はすべて持ち歩いておきたいという思いもあり、iCloudの容量をさらに増やそうかなと検討しているところである。そういう風にお金をかけてでも、過去写真を常に持ち歩けることっていうのはけっこう素晴らしいことだと思うんだけど、どうだろう。

古いカメラがいいなと思うのは、シンプルに奥深いこと。

Leica M3, Planar T*2/50

僕の場合は、デジイチの中でも機能的にシンプルであろうNikon Dfすら、メニュー画面の中の機能をほぼ使いきれていない。これすべて理解して使いこなしてる人がいるとするなら、それも凄いよなあと思ったりしてるくらい。もちろん、プロの人は極限までカメラの機能を引き出そうとするのだろうから、それでいえば最新のデジイチでも機能が足りないくらいかもしれないけど、僕のような面倒くさがりのただの写真愛好家には、あんなに機能があっても正直チンプンカンプンだし、そんなものをいじってる暇があったら、限られた週末の時間に一枚でも多くのシャッターを切りたいと思うんだな。

それに比べると、昔のカメラは実にシンプルでいい。感度はフィルムを入れたらいじりようがないし、機械式カメラにいたっては露出補正もない。ただ絞りとシャッタースピードを体感露出で合わせて、あとはピントを見てシャッターを押すだけ。このシンプルさが実に気持ちいいのである。けれど、シンプルな中にも露出を決めるゲーム的な要素や、その場で確認できない写りを想像してのレンズ調整、あとフィルム選びや現像の補正の方向とか、実は奥深い。このシンプルな中に掘り進んでいける深さみたいなのがいいんだよね。

カメラやレンズ、フィルムの「癖」みたいなものを追いかけ続ける楽しさとでもいえばいいだろうか。撮った写真をある種強引に撮りたい絵に近づけることはせずに、そのカメラの癖を最大限理解して、それを逆手にとって撮りたい絵を紡ぎ出すような感覚。そういうところに、じぶんとカメラとの共同作業で写真を生み出す楽しがあるような気がする。まあ、写真の楽しみ方は人それぞれだから、ハイテク機能をディープに突き詰める撮り方があっていいし、逆にほぼすべてオートで撮る楽しみがあってもいい。要はじぶんの楽しみたいスタイルのカメラと出会い、そのカメラとコツコツと対話して撮り続けることが大事、いや大事とかそんな大袈裟なことじゃなくて、ただただ楽しいということかな。この複雑な世の中で、オフタイムの時くらい複雑なものから解放されたいからね。

さて、週末だ。撮ろう。

Leica M3, ZEISS Planar T*2/50, Fuji業務用100

長いような短いような一週間が終わり、今週も金曜日の夜を迎えている。ちょっと物欲に惹かれてカメラ屋をのぞいたものの、カメラを買いたいんじゃなくて、カメラで撮りたいことに気がつき、無事手ぶらで店を後にして、週末にカメラに触れられる歓びをかみしめたりしてる。

そういえば今週末は息子がいない。サッカークラブの遠征で家を留守にするんだけど、年に何度かこういう息子のいない日がある。これまでだとポッカリ空白のできる週末だったけど、今は愛犬がいて、カメラがある。子離れと同時に、父も少しだけ青春みたいなことを楽しめる。誰に感謝すればいいのか分からないけど、ありがたいことだなあとか考える。

さて、明日のカメラはどうしよう。まだ暗い時間に愛犬に起こされたら、まずはNikon Dfで愛犬と散歩に出動だな。そうこうしていたら辺りが明るくなるだろうから、一度家に戻ってフィルムカメラに持ち替えて、再び出動かな。そうだな、カメラはたぶん、Leica M3かNikon F2。機械式カメラで撮りたい気分だ。フィルムは…その時の気分だけど、定番のFuji業務用100かILFORD XP2 400。紅葉がずいぶんと落ち着いていたら、モノクロでもいいかなと。

ついでだから日曜日のことも妄想。前日が機械式カメラだったとするなら、この日はオートフォーカスのNikon F6かな。フィルムはFuji業務用100か、曇天ならリバーサル。そうそう、もし雨ならNikon FEに明るめのレンズという手もある。だいたい、そんなところかな、今週のプランは。楽しいよね、そういう撮影プランみたいなこと考えるのってね。で、そんなことを考えてると、カメラはこれ以上増やしても使いきれないなということにも気づく。物欲より写欲がたいせつ。まあつべこべ言わず、撮ろう、じぶん。

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