語ろうと思えば語れるけど、語らなくてもいいのが写真でありカメラ。

Leica M-P typ240, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

このブログは「記憶をつづるカメラ」であり「カメラの記憶」でもあるから、カメラのことを書くことも多いんだけど、写真のことはあまり語らない。そもそも語る知識や技術がないこともあるし、何より語ると写真の世界が急に縮こまる気がして。

写真というのは絵を描くことなんかと違って、基本誰でもシャッターを押せば写真を撮ることができる。たから簡単だと言いたいんじゃなくて、誰でも撮れるからその分解釈も広くていいし、とても自由の許される表現だと思うんだ。撮る人、見る人によって無限といっていいくらい広いこの写真のありようを、あえて語ることで狭める必要もない。だから、写真に言葉はいらない、みたいに言われるのはちょっとわかる気がする。

一方でカメラはどうか。これは語ろうと思えばどこまでも語れるよね、こだわりの道具という意味で。けれど、語らなくてもいい。実際、写真は披露してもその機材のことを語らない人はたくさんいる。つまり、カメラや写真がいいなと思うのは、語ろうと思えば語れる楽しさがあるけど、だからといって一言も語らなくても成立するところ。意外とこういうモノ・コトは少ないんじゃないかな。

僕にとっては語ろうと思えばこのブログという場所があるし、言葉少なげで語らないならTwitterやInstagramみたいに、両方のアウトプットを行き来することを楽しんでいる。作品とか展示とかとは無縁だけど、だからといって物足りない感じはなくて、とてもリラックスしてカメラと写真との時間を楽しめている。カメラや写真の本当の奥深さとはそういうことなのかなとか考えている。

Leica M-P〈typ240〉とIndustar-61 55/2.8は、思いのほか相性がよかった。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

やっと来た週末、土曜日の朝、ふとロシアンレンズIndustarを持ち出したくて、M型デジタルのLeica M-P typ240に装着して散歩カメラへ出かけてみた。Industar-61 55/2.8はスクリューマウント=いわゆるLマウントだから、MLリングアダプターを介せばM-Pに簡単に装着可能だ。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

同じロシアンレンズのJupiter-8に比べると開放値もおとなしいf2.8だし55mmという微妙な数値からちょっと地味な印象があるレンズたけど、いやあ、おもしろかった。だからオールドレンズ はやめられない。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

一見控えめに見えるけど芯の強そうな人っているよね。このレンズの描写はまさにそんな感じ。この時代のロシアンレンズたちは、なんというか国家の意地というか、見た目の少々チープな造形からは信じられないようなプライド高い写りをする。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

こんな優秀なレンズが一万円もしなくて手に入るんだから、これは楽しまない手はない。フィルムで楽しんでもいいし、僕みたいにデジタルにマウント経由でかませて楽しんでもいい。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

そして、特筆すべきはその軽さにもある。Industar-61 55/2.8はコンパクトかつ軽量、Summilux 50/1.4 2ndと比べると驚くほど軽やかに持ち出せる。文字盤も暖色系だから配色として新鮮だし、フードをつけた感覚も実に端正でかっこいい。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

最短で1mまでしか寄れないけど、寄れないレンズにすっかり慣れた僕には特に困ることもない。むしろ寄れない制約が脳をクリエイティブにしてくれる。足で画角を探してまわる感覚がいいんだよね。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8
Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

やっぱりいいね、オールドレンズは。2.8のF値も55mmという焦点距離も特に目新しさも特徴もないわけだけど、そんなスペックに背を向けるかのように写りで勝負するロシアンレンズたち。僕がデジタルを楽しめているのは間違いなくオールドレンズ たちのおかげである。

平日のオフ、午後もデジタルで散歩カメラ。僕と愛犬とLeica M-P typ240。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

午前中にデジタルのNikon Dfのことを書いたから、午後はもう一つのデジタル Leica M-P typ240のことも書いておこうかなと。僕の日常的デジカメはほぼこの二台。Dfはほぼ週末用、M-Pは平日の街撮りスナップも撮るし、こうして休みの日に散歩カメラにも持ち出す。そういう意味では、M-Pがいちばん僕といる時間の長いカメラかもしれない。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

このカメラのよさは、なんといっても存在感の希薄さにある。つい先週末に職場の後輩の結婚式に持ち出したんだけど、ライカですねと話しかけてきたのは真横に座っていた少しカメラに詳しい同僚ただ一人だけ。さすがにプロの記録カメラマンたちからは凝視されたけど笑、あとの一般の人たちの多くは特に僕やカメラに視線をやることもなく、ただただ空気のように放っておいてもらえる。これは僕にはすごく大事なこと。街中でスナップするために手に入れたカメラだから、とにかく目立たないことが大事で、ライカの赤バッジが省略されたブラックペイントのM-Pじゃなければ、もしかしたら僕はデジタルライカを手に入れていなかったかもしれない。それくらい「目立たないこと」がこのカメラの最高性能だと思っている。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

それは、何も人の多い場所だけの話じゃなくて、こうして家の近所を散歩カメラする時も、どこか気持ちにホッとする感じをもたらす。散歩ですれ違う人に対しても威圧感がないし、愛犬とじぶんとカメラの時間に没頭できる自由さみたいなものがある。Nikonを首からぶら下げているとたまに話しかけられたり視線を感じたりするけど、M-Pだとまずそんなことはない。M3やIIIaの時もないかな。メーカーロゴがないというのはノーブランドのような自由さがいいよね。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

M-Pの操作や写りに関しては、個人的にはとてもフィルムライクで気に入っている。僕は背面モニターをオフにしてるから、AEで撮る以外はほぼフィルムライカと同じ作法で撮る。撮れる写真も、デジタルなんだけどどこかフィルム的な光と影のすくい取り方をしてくれる。オールドレンズを装着できるのもDf同様、僕には大事な要素だから、そう考えると言うことがないくらい僕のカメラ生活にフィットしてくれている。現代でもフィルムライカファンを裏切らないライカのこうしたこだわりは流石だなと思う。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕はいま、満たされてるのかな。こうしたぞっこんで惚れていられるカメラたちと過ごせてるからか、ここ最近は特に新しいカメラを欲しいという気はない。中古カメラ屋には寄るし、カメラたちを眺めるのは楽しいんだけど、欲しいというところまではいかない。近ごろ忙しいというのもあるけど、いま手にしているカメラたちと少しでも多くの時間、多くの枚数、撮る時間があればそれで満たされている、そんな感覚がある。そういえば、Rolleiflex Standard用に購入したリバーサルフィルムもまだ未使用のままだ。もっともっと撮る時間をひねり出さなくては。僕はいまそんなモードにある。

Nikon DfとLeica M-P typ240というデジタル。

Leica M-P typ240, Elmar M 50/3.5

僕のデジタルのメイン機は、このLeica M-P typ240と、下の写真のNikon Dfだ。M-Pはレンジファインダー、Dfは一眼レフだから、撮るシチュエーションによって使い分けてはいるけど、僕の中では「違い」よりも「同じ」という共通項のほうが肝心だったりする。

それは、どちらもフィルムライクに撮れる、ということ。

僕は過去に一度、Nikon D750などデジカメをほぼすべて手放したことがある。RICOH GRだけは手元に残してあったけど、もう二度とデジタル一眼レフや本格的デジカメを手にすることはないだろうと思っていた。けれど、ある日、ふとしたことからフィルムカメラであるNikon FEを手にしたことで、ふたたびカメラ熱に目覚めることになる。その延長線上でふたたびたどり着いたデジタル機が、このNikon DfとLeica M-P typ240なんだ。

Nikon Df, Ai 35/2.8

まあ、やっぱりデジタルよりフィルムが好きなのは間違いなくて、できれば四六時中フィルムで撮りたいというのはあるんだけど、デジタル機があると何かとカメラライフが広がることもまた事実。そう考えて僕がチョイスしたのが、この2台のデジタル機だった。

手にしてどうだったかというと、それは間違いなく良かったと思う。まず、どちらのカメラも僕がフィルムカメラで使っているレンズたちを装着することができる。そういう意味ではM-PとDfは僕にとってオールドレンズをデジタルで楽しむための母艦ボディ。そして、M-PもDfも、操作性はフィルムライカやフィルムニコンとほぼ同じ。フィルムカメラからこの2台に持ち替えても違和感はまったく無いと言っていい。そう、この2台のデジタルを手にしたことで、僕の中のフィルムとデジタルの境界線はいい意味で曖昧になったというか、気にならなくなった。

フィルムカメラだけに没頭するという道もあったと思うけど、僕はこうしてある意味幸運なデジタル機との出会いに恵まれた。そして、おもしろいことに、この2台のデジタル機を楽しむことでよりカメラへの興味が増し、その後さらにフィルムカメラが好きになって、二眼レフのRolleiflex StandardやGakkenflex、コンパクトのRollei35を手に入れることになる。フィルムのおかげでデジタルが好きになり、デジタルのおかげでさらにフィルムが好きになったんだ。おもしろいよね、ほんとそう思う。

フィルムは近ごろブームとは言われるけど、フィルムはじわじわと販売終了の銘柄が増え、フィルムカメラのほうもついにキヤノンEOS-1vが販売終了でフィルムカメラ販売の80年の幕を下ろすなど、だんだんと楽しめる幅が狭まっていることもまた事実。そんなフィルムからデジタルへ世の中がシフトしているこの真っ只中で、フィルムとデジタルの両方を楽しめる究極のありようが、このデジタル機でフィルムライクな感覚を味わうことかもしれないと僕は最近感じている。

とはいえ、フィルムへの興味は尽きなくてね。あいかわらずフィルムカメラを持ち歩き、フィルム現像ラボとの間を日々往復している。フィルム売り場や現像カウンター、中古カメラ店の店員さんなんかともすっかり馴染みの仲になり、カメラ談義なんかしながら過ごす日々は、とても味わい深くて、僕の日々のエネルギーになっていたりする。カメラと過ごす楽しさでいえば、このフィルムとデジタルが共存する時代がずっと続けばいいのにと心底思う。実はフィルムはこの世から絶対無くならないという確信みたいなものも僕の中には実はあるんだけど、さてどうだろうね。新しいものもいい、古いものもいい、でも新しいものと古いもののハイブリッドな感覚はさらにおもしろい、そんなことを思う2018年のアーリーサマーである。

M-P typ240とズミルックスの週末。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

きょうは朝はNikon F2、昼はRolleiflex StandardとGakkenflex、夕方はLeica M-Pを連れ出すことができて、なかなか脳をよろこばせることができた土曜日だった。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

M-Pに装着したのはSummilux 50/1.4 2nd。なんだかんだいって、いちばん装着率が高いレンズかな。Elmar Mの頻度も高いけど、この第2世代のオールド・ズミルックスはより時空を超える感覚がして気に入っている。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

M-Pのほうはフィルムモードのスムーズ。このふたつの組み合わせが気に入っているというのが正確なところかな。フィルムの質感とは異なるけど、このズミルックスとフィルムモード・スムーズの写し出す世界なら、僕はデジタルであることに不満はまったくない。それくらい気に入っている。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

それは結局、写りすぎないところがいいんだろうと思う。f1.4の開放付近のゆらぎもそうだけど、理屈じゃなくてこのズミルックスとtyp240のフィルムモードが描き出す世界は、どこか魔法がかったところがあるというか、Nikon Dfのデジタル描写とは明らかに違う。技術的に違うというよりは、ライカが追い求める世界の思想が違うんだと思う。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

フィルムライカからライカの世界に入った僕は、実はずっとデジタルライカのことは敬遠していた。フォルムこそM3を踏襲しているけど、所詮デジタルだし、M3やバルナックで得られるあの高揚感は決して体感できないだろうと。それなのにあの法外なコストをかけることがまったく価値観としてイメージがわかなかった。でも、こうして手にして日常使いしている今、ライカが踏襲したのはかつてのフォルムだけじゃなかったと感心している。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ライカは徹底的にフィルムライカユーザーたちの嗜好や期待を裏切らないことを踏襲している。それは現代のボディであれ、かつてのオールドレンズであれ、ライカであればどんな組み合わせでも変わらない、不変の何か。そのためにこの大量生産の時代にあって、驚くほど手間暇をかけてカメラとレンズを紡ぎ出している。そんな気がジリジリと伝わってくるのがライカの本質だと思う。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

フィルムだとかデジタルだとか、そんなことは気にさせない、ライカらしくあることだけを愚直に追いかけた世界。それゆえに、フィルムライカからデジタルライカに持ち替えても違和感はまったくない。むしろ世界が広がる感じがする。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕は最新のM10のことは分からないけど、typ240についていえば、これはもうフィルムを愛した人にはぜひおすすめしたい。フィルムを愛し、フィルムから抜けられず、デジタルを食わず嫌いになっている人にこそぜひおすすめしたい。その手持ちのオールドレンズが再び輝ける世界がここにはある。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

そして、これまでライカと縁がなかった人にもぜひ。高価ではあるけど、ライカが追いかけているのは単にハイブランドというような世界ではなくて、カメラと写真に愚直にこだわった結果、どうしてもコスト高になってしまったピュアでストレートな世界。いろんなものがある程度ビジネスライクにならざるを得ない現代において、これほど無垢なものに触れる機会はなかなかないと思う。

雨の日曜日なんで、今週末の散歩カメラの写真を整理しよう。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

きょうはしっとり雨模様の日曜日。昨日は初夏らしく晴れてローライフレックス・スタンダードやローライ35も持ち出して楽しんだんだけど、現像はまだ先なんで、きょうは朝晩の散歩でデジタルで撮った写真だけアップしておこう。なんてことない日常だけど、シャッターを切れるよろこび。以下、写真だけだけど、よかったら。

Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

しかし、こうしてみてもよく懲りずに同じような近所の写真を撮り続けてるなと思う。まあポリシーとかがあるわけでもなく、シャッターを切りたい気持ちに素直にこたえてるだけなんだけどね。撮るクスリ、みたいなね。

Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まあでもシンプルな写真ばかりなんで、Leica typ240やNikon Dfの写りなんかの参考にはしてもらえるのかもしれない。さて、ひととおりアップしたんで、あとはゆっくり過ごす雨の日曜日としようかな。みんなも、よい日曜日を。

夏を感じた週末ズミルックス。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

この週末は、ローライフレックス・スタンダードとニコンDf、そしてライカM-Pを連れ出すことができた。といっても、どこか絶景を撮影しに行ったわけではなくて、いつもの僕の暮らすエリアを散歩カメラしただけなんだけどね。それでもゆるりと楽しめるのがカメラのいいところだと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それにしても夏のような2日間だった。こんな時はどこか幻想的な写りをしてくれるズミルックス第二世代がいい。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それも開放付近。光のすくい取り方と独特のボケ方はズミルックスというレンズの真骨頂だと思う。カラーでもモノクロでもその幻想的な写りは変わらない。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

やっぱりオールドレンズはいいよね。綺麗に写るとか綿密に写るとかそういうことを超越した世界がある。それはデジタルカメラに装着しても感じる、僕は。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

デジタルライカのJPEGがオールドレンズと相性がいいのも気に入っている。ライカというブランドはたしかにこういうところには手を抜かない。それはバルナックライカ、M3の時代のこだわりともまったく変わらない、ユーザーに対する約束みたいなものなんだろうと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

さて、明日はいよいよ初のブローニーの現像出しだ。計4本、どれもきちんと撮れた感触は無いんだけど、まあこれも一つ一つ慣れていくための第一歩。そういう意味ではとても清々しい気分だ。カメラはいつも僕に新鮮さを注入してくれる。大げさではなくかすかに気づかせてくれる感じ。でも、それがとても心地いいんだ。

世の中が素通りするようなものにファインダーを向けたい、みたいなのはある。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

Tweetするのもいいんだけど、やっぱりブログに記すほうが心落ち着く。文字数をコンパクトに詰め込み過ぎず、ある程度のらりくらり書けるのがいいんだろうな。あと、ひと階層奥の見えない場所でひっそり書いてるというのもいいのかな。

僕は写真もそういうところがあって、たぶん多くの人が見向きもせずに素通りするだろうなみたいな光景に心惹かれるところがある。パワーはないけどエネルギーは感じるみたいな光景。そういうものが好きだ。考えてみると、小さい頃から目立ちたいと思う反面、目立ちたくない、もしくはさりげなく良いみたいなことが心のどこかにあった気がする。とても矛盾するところもあるんだけど、スナップ写真とかブログとかはそういう微妙な塩梅をうまく内包した表現手段なのかもしれない。

とはいえ、それは撮り手の僕が心地よい世界であって、写真を見る人が心地よいものとは違うなという思いもあって、ブログにカメラや写真のことを記す以上、見る人の役に立てるような写真や文書をこしらえる努力をもっとしないとな、という思いも。写真が得意なわけでもなく、かといって緻密な洞察力で詳細を説いた文書が書けるわけでもない。ちょっと困ったなという感じなんだけど、ひとまず撮り続ける、書き続けることしか突破口を感じることができなくて、日々こうしてスナップを撮り、ブログを書いている。撮りながら、書きながら、模索中という感じかな。その思案は楽しくもあるんだけどね。

Nikon DfとLeica M-Pのおかげで、デジタルが身近な存在になった。

Nikon Df, Leica M-P

もっと正確にいうと「デジタルとかフィルムとか気にしなくなった」ということかな。週末もDfとM-Pで近所の散歩道を撮ってたし、平日の今日もM-PにコンパクトはMロッコールをつけて鞄の中に入れている。以前もRICOH GRを鞄の中に入れてたりしたけどコンデジだからね、今のMFカメラを持ち出してるのとは少し感覚が異なる。

フィルムをやってると、どうしてもデジタルのアノ質感が馴染めなくてフィルムカメラ一辺倒になるんだけど、このDfとM-Pがいいのはやはりフィルムカメラライクだということ。Dfには昔のオールドニッコールと呼ばれるレンズたちをつけることができるし、往年のフィルムカメラのように軍艦部にレイアウトされた各種ダイヤルをカチカチ合わせて撮るのは実にレトロ感覚でいい。

M-Pもデジタルであること以外はM3と感覚的には変わらない。こちらも昔のオールドレンズをつけて、絞りやシャッタースピードを合わせて撮る感覚はシンプルで実に気持ちがいい。共に写真の質感までフィルムライクかと言われればそれは違うけど、もともとカメラとかレンズを変えるとそれに合わせて撮り方を変えるのも楽しいのがカメラだったりするから、僕は十分それを楽しめている。

単純に、デジタルも楽しめるとカメラを二倍楽しめるようなところがある。僕の場合だと、ボディのコンパクトさもあるけどM-Pに出会ったことで平日もMFカメラを鞄の中に入れてスナップを撮るようになった。平日の生きてる街を撮るのはなかなか新鮮だという気づきがあったり、カメラはやっぱり持ち歩いてナンボだなと再認識したり、発見が少なくない。物理的にもデジタルなら現像に出す手間もないから、移動のルートもカメラ屋の有無とか気にしなくていい。デジタルの便利さを享受すると、なるほどデジタルもアリだなと素直に思ったりする。

デジタル機は他にもRICOH GR、Fujifilm X-E2、あとNikon D300があるからこれ以上増やす気は無いけど、デジタルのある日常をほんと今、謳歌しているところなのである。機械式カメラのようにずっと直して使い続けるというわけにはいかないだろうけど、それはそれ、今は今。僕はデジタルといい感じで再会できたことに少しばかり感激している。

フィルムよりデジタルのほうが格段にむずかしい。

Leica M-P, M-Rokkor 28/2.8

便利さで言えば、フィルムよりデジタルのほうが何かと良いのかな。それはフィルム代もかからないし、現像するの手間もない。何より画期的だったろうと思うのは、撮ったその場で写真が確認できること。それが無理だったフィルム時代の報道写真撮影や学校なんかの集合写真撮影はとんでもなくプレッシャーのかかる仕事だったろうと思う。便利さならデジタルの圧勝かな。

でも、撮れる写真の仕上がり具合でいえば、フィルムの圧勝なんじゃないかと思う。だって、フィルム時代に万人の大衆的カメラだったKonica C35あたりで写真を撮ると、シャッター押すだけなのにとんでもなくいい雰囲気の写真が撮れるからね。つまり誰でもいい雰囲気の写真が撮れてしまうということ。これ、デジタルで考えるとちょっとむずかしい。もちろん被写体や構図がよければスマホカメラだっていい写真が撮れるけど、ふつうの光景を撮ると生々しさがあって記録写真の域を出ない。同じシチュエーションでフィルムで撮ればたぶんそれは「なんか雰囲気あっていい写真だね」と言われるはずだから。

デジタルは撮り手の力量がモロに写真に出てしまうところがある。エフェクトをかけたりレタッチすれば別だけど、撮ったままの写真ではなかなかフィルムのようには雰囲気を醸し出してはくれない。写真加工フィルターのアプリが人気なのは実にうなづける。だから、露出やカメラの基本を学ぶのにフィルムカメラを経験したほうがいいというのもあるけど、そもそもカメラ初心者こそフィルムで撮ったほうがすぐにいい“雰囲気”の写真が撮れるから、カメラ始めるならフィルムで始めたほうが易しいというのはあると思ってる。

逆にいえば、デジタルて撮るならかなり写真について学んでいかないといけない。撮る際のテクニック的なこともそうだし、撮った後の現像的なこともそう。それ以前に撮るロケーションやシチュエーションにも丹念に意識を持っていく必要がある。フィルムとデジタルの両方で撮るようになって、そんなことをほんと思うんだよな。科学的な視点でもなんでもないんで、あくまで個人的な見解ではあるんだけど。写真は便利にはなっていくだろうけど、雰囲気が易しく撮れるようにはなっていくんだろうか。僕はカメラや記憶メディアのそういう部分での進化が気になっている。