大人には遊び道具がいる。クラシックカメラとかロードバイクとか。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

遊び道具というのなら子どものころのほうがいるんじゃないかと言われそうたけど、子どもは驚異的にクリエイティブだからね、道具なんかなくても道端のものでどんどん遊びを開発しちゃう。それに比べると、大人はクリエイティブになるための道具がいる。だんだんと社会の中で脱線しないように妙な器用さを身につけてしまう分、そこから束の間とはいえ脱出できる装置というか、非日常へ強力に場面転換してくれる道具。それが僕の場合だと、クラシックカメラであり、ロードバイクなんだ。

カメラはデジタルでもクラシック的なものがいい。見た目に現代の電子デバイスとは異なる世界観を持ち合わせていて、便利さとは逆行するようなマニュアル操作のカメラ。自転車も手軽さよりマニアックな操縦や肉体との向き合いを要求される競技用ロードがいい。いわゆるどちらもあえて不便な道具たち。でも、それが便利な世の中にちょっと背を向ける(向けたい)大人たちには必要なんだ。大人流の反抗期みたいなもんかな笑。

幸い大人になると、若かった頃よりは道具に多少散財できる余裕もある。子どもが大きくなればじぶんの時間も生まれる。知らないことを知らない、好きなもんは好きと言える素直さも出てくる。好奇心に向き合って、じぶんをあえてハマらせていくこともじぶん次第でできる。若さには敵わないけど、大人にはそういう楽しみが待っているという意味では、世の中良くできてるなとも思う。

僕に関していえば、若い頃に遊ぶのが下手くそだったのを、今になってもう一度挑戦し直しているというか、挽回しているというか、道具という場面転換装置を利用して少しパワフルに遊びの時間を作り出してるんだろうな。道具は所詮道具であって、本当の楽しみは道具の先にあるとも言えるけど、道具そのものもなかなか楽しく刺激的なもの。クラシックカメラとロードバイク、僕の人生をなかなかドラマチックにしてくれてると思ってる。ちょっと小っ恥ずかしくはあるけれど。

人が写り込んだ写真を撮るようになったのは。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

たぶんLeica IIIaを手にしてからなんだよね、人が写り込んだスナップ写真を撮るようになったのは。それ以前の僕が撮っていたスナップ写真を知っているTwitterのフォロワーの人なんかは分かるかもしれないけど、以前の僕のスナップにはほぼ人は入っていなかった。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

なんとなくじぶんの中で風景写真を撮るんだと決めていたこともある。いわゆるスナップ問題のアレを意識していたこともあるし、風景を撮るほうが街中でもゆっくりカメラをかまえることができることもあって、ひたすら人の入り込まない写真ばかり撮ってた。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

でも、そんな躊躇みたいなものをLeica IIIaが軽やかに吹き飛ばしてくれた。上手く言えないけど、IIIaがカメラを持って街へ繰り出すことを軽快にしてくれ、人がふつうに入り込んでる写真こそ自然な風景なんじゃないかと思うようになったんだ。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

この記事の写真たちはどれもLeica IIIaとILFORD XP2 で撮ったものばかりだけど、いまではLeica M3でも人のいる風景を撮るし、かつて人のいない風景だけを撮っていたKonica C35でも今は人が入り込むことが多い。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

そうして思うのは、街を撮ることは人を撮ることでもあるということ。人がいることが自然だから、その自然のありようを撮ることが街本来の姿をスナップすることだと感じ始めた。実際、人が写り込むと写真に体温が混じる気がしている。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

でもテーマみたいにしてることがあるとすれば、人を撮るんじゃなくて、あくまで街を撮るということ。人を必要以上にクローズアップするんじゃなくて、僕は人「も」いる街を撮ろう、ということ。撮った後に現像を見て、想像したより人に焦点がいきすぎた写真だった場合は、こうして公開はしない。そんなじぶんの中のものさしというかテーマみたいなもの。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

人がいるから街。そうじゃなかったら、人のいない自然を撮る。僕の写真はその行き来をしている。平日は街中のスナップ、週末は自然の風景のスナップ。どちらも好きだし、どちらも奥が深くてたのしい。この話はあくまで僕のスナップ観で、僕のものさしみたいなものなので、そこはご了承を。けれど、人のいる街はスナップの原点「ありのままの自然な光景」という意味ではたのしいし、豊かだと思う。

スナップライカということでいえば、M3よりIIIaだろうな。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

僕が本格的に街撮りスナップに目覚めたのは、このバルナック型Leica IIIaを手にしてからであるのは間違いない。夜の街を撮るようになったのもこのIIIaからだし、フィルムをいろいろと試行錯誤し始めたのもIIIaで昼夜いろんなシーンを混ぜて撮るようになったからだ。

今でこそM3もデジタルライカM-P(typ240 )も街撮りスナップに連れ出すことは少なくないけど、それもIIIaでライカが街撮りスナップに適していると気がついて、IIIaの延長線上というかバリエーション的に撮っているところがどこかある。つまりIIIaにない性能という意味で、静かに撮りたい時やファインダーをある程度眺めて撮りたい時はM3、少し量を撮りたかったり明暗のあるシーンで撮りたい時はM-P、そんな具合だ。

やはりベストバランスは、IIIaなんだよね。それはもう、このコンパクトさと手に持った時の自由さのようなものに尽きる。IIIaはバルナック型の中でもひときわ小さいボディ。これに沈胴式のElmar 50/3.5を装着した時の持ち歩きやすさは、M3もM型デジタルも敵わない。カメラを常に手に持って歩くのなら別だけど、なにげに鞄の中に入れて常に持ち歩き、撮りたいシーンに遭遇したら片手感覚でサクッと撮る、そんな芸当はいかにもバルナック型ライカの真骨頂だ。

いわゆるコンパクトカメラももちろんスナップシューターとしては優秀たけど、僕の場合だとRollei35やKonica C35で撮る時とLeica IIIaで撮る時とは多少心持ちが違う。携帯性重視ではなくて、あくまで本格的シューティング重視で撮る感覚がIIIaならしっかり堪能できる気がするんだ。街撮りスナップを軽快に楽しみたいけど、M3まで大きく重くなるとちょっと…というひとは、ぜひともバルナック型ライカを手にしてみてほしい。実際に手に持つとこれほど洗練さを感じるクラシックカメラは他にない。その手触りが、はやく街へ連れ出してみたいと強烈に思わせる。IIIaといったバルナックライカは、生粋のスナップライカなんだ。

そう考えると、このIIIaまでのライカの開発に携わったオスカー・バルナックというひとは、単にカメラ製造会社の開発者だったわけじゃなく、ひとりのカメラ愛好家としてとてもリアルに理想的カメラのあり方、使い方、日々持ち歩く時の心地よさを徹底的にイメージして、このカメラにそれらを凝縮して落とし込んだんだろうなというのが強く伝わってくる。その域までいくと、もはやフィルムカットの手間なんていうのは大した問題じゃない。常に肌身離さず持っていたいと思わせる絶妙の大きさとフォルムこそが、このカメラの最高性能であり存在意義なんだということ。そこまで突き詰められたカメラが、後発で出てきたんじゃなくて、35mmフィルムカメラの第一号機としてこの世に登場したことには正直、驚きを隠せない。その後に出てきたカメラたちが未だにバルナック型に敵わないということでもあるんだからね、スナップライカとしてはね。

フィルムのめんどくさいとこが好き。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Fujifilm 業務用100

どう考えたってフィルムで写真を撮る行為はめんどくさいことだと思うんだ。デジカメがあればフィルム代もかからないし、撮ったその場で写真の確認もできる。わざわざラボに現像に出す手間もないし何日も現像あがりを待つ必要もない。けれど、フィルムで撮っちゃうんだ。もちろんフィルムで仕上がるあの独特の空気感のある写真はいい。それが見たくてフィルムで撮っているところはある。でも、僕の場合、フィルムという物体をカメラに装填したり、撮り終えたフィルムを取り出したりする一連の行為が好きなんだな。

フィルムのパトローネの形やデザインもいいし、匂いも好き。フィルムの先を伸ばしてスプールに差し込み、少しフィルムを巻き上げて一枚目をセットする感じもたまらない。いや、僕だけじゃなくて、フィルムで撮る人たちはみんなそこらあたりに魅せられてるんじゃないだろうか。だから、こんだけめんどくさいプロセスがをまた今日も、明日も続けちゃうんだ。あの手触りや匂いを求めて。デジタルだって嫌いじゃないないから撮るんだけど、しばらくデジタルで撮り続けてると、あのフィルムの感触が異様に恋しくなる。実に不思議なモノなんだよね、フィルムとフィルムカメラはね。

フィルムはデジタルに置き換わると言われながら、それでも2018年現在まだ使うことができる。なんだかんだ収益度外視で富士フイルムはいくつかのフィルムを販売し続けてるし、海外に目を向ければまだまだフィルム入手も可能。現像する場所もまだあるし、フィルムカメラのリペアサービスも存在する。これはむしろ奇跡というか、フィルムから離れられない人たちのフィルム愛の結晶だと思うんだ。本能に作用する何か。撮り続けるよ、これだけ心の奥底で歓びが溢れ出るんだからね。

これだけ先進的なカメラがある時代に、どんどん不便なカメラの方へと行っちゃうんだよなあ。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

僕が最初に手にしたカメラはNikon D5300やD750。それまでiPhoneカメラしか知らなかった僕には衝撃的におもしろいカメラで、こんなハイテクの塊のようなカメラがある日本って凄いよなあとか思ってた。ピントもスパッ!スパッと決まって、明るいレンズでじゃんじゃん撮れるし、暗所だってまったく気にせず撮れる。カメラってそういうもんだと思ってた。

ところが初めてフィルムカメラNikon FEを手に入れたあたりから、カメラというものへの関心が少し変わっていく。遠くのものを望遠で撮るみたいな高性能であることを楽しむことから、露出を工夫しながら撮ることや、カメラやレンズの限られた性能の中で制約みたいなものを楽しみながら撮ることのおもしろさに目覚めていった、そんな感じだろうか。これを不便といえばそうなんだけど、不便という言葉はまったく思い描かなかったし、むしろカメラ任せじゃなくて、じぶんでカメラを操って撮ることがどんどん楽しくなっていった。

結果として僕が持っているカメラはどれも、少々手のかかるものばかりになった。それは自然と。デジタル一眼レフは低画素数のNikon D300に、じぶんでカチカチとダイヤル調節して撮るNikon Df、この時代に手ぶれ補正もAFもないLeica M-P、レンズは多くがマニュアルフォーカスだ。フィルムカメラも最初は絞り優先で撮れるNikon FEだったけど、その後フルメカニカルシャッターのNikon F2やLeica M3へ流れ、行き着くところフィルムカットが必要なバルナックライカIIIaや、赤窓をのぞいてじぶんでフィルム一枚目を出すRolleiflex Standardを手にするに至った。

じぶんでは何か古いものをコレクションしているつもりはまったく無くて、ただただシャッターを切る醍醐味を追いかけていったらそこへたどり着いた、そんな感覚なんだよね。終いには今日、大人の科学の付録である組み立て式の二眼レフを3,000円ちょっとで注文した。まったく新しい先進的なカメラやレンズには惹かれることが無くて、世の中的には不便と言われる方へとどんどん行っていることになるのかな。そういえば、少し前に手に入れたFUJIFILMのミラーレスもAFで撮ったことは一度もない笑。いま、こうしてブログを書いていてそんな事実にも気がついたくらいで、そもそもオートで撮るなんて思いもしなかった。

いや、別に懐古主義が楽しいですよとかそんなブログでは無くて、純粋にカメラでシャッターを切ることを楽しんでいたら自然とこう流れてきちゃったんだよね。僕自身はじぶんのことを客観的に見て、別にカメラやレンズが好きというマニアでもないし、そういう知識も全然ない。写真やフィルムのことも詳しくないし、撮る時はいつも直感的だ。強いて言うならシャッターを切ることが好きで、そのシャッターを切るまでの作法みたいなことを楽しんでるところはある。でもほんとそれだけで、その興味を突き詰めていったり、じぶんの目や手で確かめたいと思ったら、そういうカメラやレンズばかりになったんだ。

なんとなく思うのは、機械任せにしたくないんだろうなと。かといってじぶんで何もかもできる腕があるわけでもない。だから、なんというか、カメラと共同作業でシャッターを切るまでカチャカチャと対話するプロセスがちょうどいいんだろうし、そこにカメラに惹かれる理由がある気がする。若い頃はハイテクなものは大好きだったけど、歳をとったことも関係あるのかな。それとも単にハイテクなものにはないローテクの魅力を知らなかっただけなのかな。そのへんはじぶんでも定かじゃないけど、ひとまず今僕はこういう場所にいる。数年前には想像もしなかったような場所だけど、居心地はとてもいい。しかもまだ道半ばだから答えみたいなものが出たわけじゃない。どこへ行くのか、今どの辺なのかもさっぱり分からないけど、これはこれですべて必然な気がしていて、だったらひたすら流されてみようじゃないかと思ったり。不便か、便利か、そういうものさしはすっかり消えた。おもしろいように消えた。

ここのところ週末は1930年代コンビで撮るのが最上の癒し。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

GW前半戦の連休最終日、やっぱり僕はこの二台を連れ出した。Leica IIIaとRolleiflex Standard、共に1930年代でかれこれ80年〜90年前のカメラたちだ。

フィルムカメラを始めるまではたぶん想像もしなかったこと。それは半世紀どころかもうすぐ一世紀になろうかという戦前のカメラをこうして普通に21世紀の2018年に実用品として楽しんでいるということ。フィルムカメラをやっていない人だったら、にわかに信じられないんじゃないかな、100年近く前のカメラを今も素人が使ってるなんて。

Rolleiflex Standard

いや、僕だってフィルムカメラやっていなかったら、そんな大昔のカメラで週末に普通に写真を撮ってるなんて話、信じないから笑。でもご覧の通り、見た目はアンティークショップの置き物のようだけど、撮れるんだなあ、これが。正確にいうと二眼レフのRolleiflex Standardのほうはまだ試し撮りが現像からあがってきていないんで、ちゃんと撮れる代物かどうかは分からない。でもLeica IIIaのほうは元気そのもの。どちらも機械としてはまだまだ現役なんだ。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

カメラをやる人は分かると思うけど、この二つのカメラはもちろんフルメカニカルシャッター、いわゆる電池を使わない機械式カメラだから、電子部品が故障して交換するしかないというような壊れ方はしない。しっかりとした修理職人さんさえいれば、たぶんもう一世紀でも生き続けると思う。問題はフィルムのほうがそこまで生き続けてるかどうかではあるけど。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

でも、このまえ、某カメラ屋さんのフィルム売り場担当の人と立ち話してたんだけど、仮に富士フィルムさんがフィルムから撤退しても、その施設や現像関連機器を必ず誰かが買い取って続いていくのではと。なるほど、かなりリアリティはある。資本の小さな企業が買い取った場合、どうしても施設を維持するのに販売価格は今より高騰するだろうけど、フィルムと現像施設は無くなりはしないだろうと。あと何年か、何十年か。それは分からないけど、僕が現役で働いてる間はぜひ続いてほしいな。その間なら多少のコストは投入できるから。仕事を引退したら、フィルムカメラも引退かな、僕は。財布がまわっていかないから、きっと。だから今が旬なんだ、僕の中のフィルムはね。

きょうは一日、三台のカメラと。さて、あしたは。

Nikon F2, Auto 50/1.4

まず朝の愛犬との散歩に連れ出したのがNikon F2とAuto 50/1.4。犬と暮らしていると必ず朝晩散歩をするんで、こうして確実にカメラを一台持ち出すことになる。犬のリードを片手で持ってるから、片手で撮れるAF機を持ち出すことが多いけど、できればMFで撮りたいという気持ちも強くて、たまにこうして機械式カメラを持ち出す。休みの日の朝の静かな住宅街にF2の甲高いシャッター音が響く。そして、少し強めのミラーショックと共に頭蓋骨に響いて目が覚める。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

散歩から帰ると身支度をして、午前中のうちにロードバイクで軽く朝を流す。相棒はコンパクトなバルナックライカ IIIaだ。昨日もロードバイクで出かけた時に背中に積んでいたんだけど一枚も撮らず帰宅したんで、今日こそはとロードバイクを停めて辺りの初夏の緑と共に数枚シャッターを切った。あいかわらず元気のいいシャッター感覚。Nikon F2ほどではないけど、この IIIaのメリハリのあるシャッター感覚もどこか冒険用カメラのような雰囲気があって、街撮りだけじゃなくこうして野山にも持ち出す。

Nikon Df, Ai 35/2.8

そして一日を締めくくる夕方の愛犬との散歩には、Nikon DfとオールドニッコールAi 35/2.8を連れ出した。デジタル一眼レフではあるけど積極的にMFで撮りたいと思わせるDfというカメラはとても貴重な存在だ。僕がDfを手に入れたのは昨年の秋だけど、このDfが登場したのは2014年で発売から四年になる。それでも独特のカメラゆえにニコンのフルサイズ一眼レフカメラの現行ライナップモデルとして今も古さを感じさせないカメラ。というか、そもそも往年のフィルムニコンを復活させたようなモデルだから古くなりようがないところも僕は気に入っている。

というわけで今日は一日で三台のカメラを連れ出すことができて、なかなかメンテナンス日和となった。少し前のポストにも書いたけど、カメラは使うことが最大のメンテナンスだから、一日に複数台のカメラを持ち出せた時はなかなか満足感が高い。カメラは物理的には一台あれば事足りるけど、こうして出かける際に複数台のカメラの中から連れ出すカメラを選ぶ行為はとてもたのしい。レンズの組み合わせも考えたら、かなりのバリエーションを堪能できるしね。さて、明日は三連休の最終日。ほんとは中判のRolleiflex Standardを連れ出したいところだけど、まだ初回の試し撮りの現像あがりも確認できていないから、ひとまず他のカメラの出番かな。カメラやレンズ。趣味としては最高の道具=アイテムだと思う。

いっそバルナック買うほうがお得かも。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

たまたま見かけたカメラ屋さんのツイートの中でKonica C35の値段が二万円を超えていて、正直すこし驚いた。僕が一年前くらいに買った時の値段はたしか13,000円だったと思う。それもかなりの美品で、まるで新品のような個体だったんだけど。

それでもまだC35は値頃なほうなのかな。Nikon FM2なんかは僕が見かけるお店では45,000円ほどして、これも一年で一万円ほど高騰した気がするし、高級フィルムコンパクトと呼ばれるカメラなんかは10万円を超えてたりする。電子系統が故障したら直らないかもしれないカメラがその値段で人気があるのはかなり驚きなんだけど。

そうやって考えると、もういっそ、ライカでいいんじゃないかと。バルナックライカのIIIaとかIIIf。いまどうだろう、3万円とか4万円で手に入るんじゃないだろうか。レンズも足すと倍の値段になっちゃうかもしれないけど、ロシアンレンズのインダスターとかを装着すれば一万円もしないから、4、5万円あればライカの原点であるバルナックが手にできることになる。機械式だから修理し続ければフィルムがある限りきっと使い続けられる。それで、あの品質を体験できるならそれはもうお得すぎると言っていい。

考えようによっては、ほぼシャッター押すだけのC35のほうが手軽にフィルムを楽しめるとも言えるけど、カメラを操る楽しみでいえば、露出をじぶんで合わせて撮る機械式のバルナックライカは、クラシックカメラの醍醐味を存分に味わえる実はとても貴重な存在。まあ、こればっかりは人それぞれの好みだからあくまで私見なわけだけど、いろいろ高騰するフィルムカメラにおいて、いまバルナックこそコスパに富んだとんでもなくお得な一台なんじゃないかな。

ライカという響きはなんとなく敷居が高い気がするけど、バルナックライカなら世界が夢中になった名機のクオリティを、どうかしたら国産フィルムカメラ並みの価格で手に入れることができる。「いつかはライカじゃなくて、いっそライカ」と思ったりするんだな。どうだろう。

写真は好きだけど、趣味としては「カメラで撮る行為」が好きなんだろうな、僕は。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

思えばNikon D5300でカメラを始めてから、一度断捨離したりフィルムカメラで一眼レフを再開したりで、中判カメラまで来た。さっきローライフレックス・スタンダードのブログを書いていてふと思ったんだけど、まだ現像に出していないのにかなり高揚感というか感動の気持ちがある。これって僕は「カメラで撮るという行為」が好きなんだろうなとあらためて思ったりしたんだよね。

近ごろはフィルムも撮るし、デジタルも撮る。そこに変なこだわりはなくなったし、一眼レフかレンジファインダーかも言うほど僕の中では差はない。ようやくというか、その「カメラで撮るという行為、が好き」ということに行き着いた、そんな気がしている。その上で、できあがる写真まで気にいるものがあがればそれはもうボーナスみたいなもので、カメラを愛したことに対しての写真の神様からのご褒美みたいなもの。小っ恥ずかしいけど、そんなことを思った。

カメラで撮る行為が好き、ということになると、オートで撮れるものより自分でカメラを操って撮るもののほうが行為は濃くなるから、だんだんと機械式のものに惹かれていくのも分かる。だんだんと自分の本性というか、本能が欲する世界がわかっていく感覚は実に気持ちいい。たまに昔の自分のブログを読むと、その自分の好みがだんだんと紐解かれていく前夜みたいな気がして、あ、ブログに記しておいてよかったなと思ったり。結局、自分がいちばん分からないし、ミステリアス。趣味とは、そこを解き明かしていく行為なのかもしれないね。あらためて、いい趣味に出会えてよかったなと思う。とはいえ、できあがる写真もできれば上手くなりたいけど。

バルナックとエルマーは間違いなく発明だ。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

バルナックライカにさわったことのない人は、ぜひ中古カメラ店でさわってみてほしい。そのコンパクトさに軽い衝撃を受けるから。そのバルナックにはレンズ付きならおそらくエルマーが装着されてると思うけど、その組み合わせが驚くほど小さい。なかでも板金ライカと呼ばれるIIIaやIIIbまでのものは、手に持った瞬間に本能がそのコンパクトさに反応する。それでいて、写りも現代においてまったく古くさくない、むしろモダンといっていいんじゃないだろうか。シャープななかに優しさを織り交ぜた描写は“粋”だ。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Lomography100
Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Lomography400
Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

こんな完璧なスナップシューターが1930年代には完成の域にあったとはにわかに信じがたいけど、オスカー・バルナック氏はこれを世に送り出した。そこから35mmフィルムカメラの歴史が始まった。そして、それから90年近く経とうかという現代においても飄々と美しい写真を生み出すこのカメラとレンズは、発明としか言いようがない。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Fujifilm 業務用100
Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Fujifilm 業務用100

なにも絶景ポイントに赴かなくてもいい。ただ、平凡かもしれない毎日をこのバルナックとエルマーで撮るだけでいい。そうすれば、分かる。このカメラとレンズが恐ろしく本物であることが。こんなカメラは後にも先にももう生まれてこないんじゃないかと直感的に思う。さわったことのある人間にしか分からない、とんでもない仕上がりであるこの奇跡のようなカメラ。これが今なら実用品としてまだ十分すぎるくらいの写りを叩き出すんだから、驚嘆の域だよ、まったく。