ライカは目測、僕はほぼそうなった。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕の腕前があがったから目測になった、というわけではない。そのほうが楽にスナップできるからである。僕はライカを4台持っている。バルナックIIIa、M3、コンデジX2、M型デジタルのM-P typ240。そのうち特にこのほぼ目測機に値するのが、IIIaとM-Pだ。

IIIaはそもそも二重像を合わせるファインダーが見づらいんで、よほど手前のモノにピントを正確に合わせたい時以外は距離用ファインダーはのぞかない。その隣にある画角用の50mmファインダーは見るけどチラ見程度で、あとは大抵無限遠かF値を絞って撮るから、まあ極端にピントをはずした写真にはならない。

M-Pのほうは、ファインダーは素晴らしく美しいんで見たくなるところだけど、こちらもピント合わせ自体は先に距離を固定しておいて、それが大体合ってるかどうかの確認用にファインダーをチラ見する程度だ。結局、スナップを撮るのはほんと一瞬の連続だから、いちいちファインダーを丁寧にのぞいてる時間がないのである。1m、1.5m、2m、3m、5m、7m、10m、そして無限遠、大体撮る時にどれかの距離に固定して歩き始めることが多い。もしくは、歩きながら被写体を見つけては構える前に目測で距離を合わせてしまう。撮る時はファインダーをチラ見してシャッターを押すだけ。これがとにかく楽なんだな、スナップの場合。最初からそういう思想で撮っているわけではなく、いつのまにかそんな風に撮るようになっていた。じぶんにとっていちばん楽な撮り方として落ち着いてきたのがその所作というわけだ。

じゃあ、その他のライカはどうかというと、X2はそもそもAF機なんでピント合わせはカメラ任せ。M3はなんで目測じゃないの?ということになるけど、これは単に僕がM3のファインダーをのぞきたいと思ってることが大きくて、あのおそらく世界一美しいであろうファインダーを撮るたびに眺めるのが単に好きなのである。なんかあまり説得力のない理由だけど、それが本当のところなのである。

まあでも、そんなM3も速写スナップシーンでは往々にして目測になることも少なくない。IIIaとM-Pでずいぶん目測慣れしたことも大きくて、あまり頭の中で深く考えなくても大体の距離は目測で刻めるようになった。あと、その他のカメラもRollei35やBessa-Lが目測専用機なんで、じぶんでも意識していなかったけどいつのまにか目測慣れしたんだろうね。

まあ、レンズを絞ればどこでもピントは合うから、そういう撮り方でもいいんだろうけど、僕の場合は割と絞り開放付近で撮るのが好きなんで、そうすると撮るたびに目測で細かに距離を刻み直す必要もあって、なんとなく1m単位で目測によって距離を刻んでいく撮り方になった。最近はそれが一眼レフにもひろがっていって、愛犬との散歩の時なんかは片手しか使えない事が多いんで、一眼レフでもピント固定で目測で撮っていることが多い。それもこれもきっかけはやはりライカなのである。まあ目測で撮るけど、目測が得意で正確なわけじゃないから、ピントは甘々の写真が少なくないけど、それもまた愛嬌というか許せる範囲になっている。ライカ使いの人たちがみんなそうなのかは分からないけど、まあこれも一人のライカユーザーの撮り方の一例ということで。さて、明日のカメラ〈Leica M3, Summicron 50/2 1st 〉を仕事鞄に入れて眠りにつくとしよう。

最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

フィルムライクなカメラ、という趣味。

Rolleiflex Standard etc.

特にポリシーとかあるわけじゃないんだけど、僕の手元に集まってくるカメラやレンズたちに何か共通点があるとしたら「フィルムライクに撮る楽しみ」ということかな。ライカたちしかり、Nikon Dfしかり、Bessa-Lしかり、一見共通項が無さげなカメラたちも僕の中にはそうした好みですべて繋がっている。

フィルムが好きだけどデジタルでも撮る。そこの垣根は無くなった。フィルムとデジタルでは描き出す写真ははっきりと違うけど、そこは違うことを前提に、でもカメラで撮るという行為においてはすべてフィルムライクに楽しめてる。あと意外と大きいのは、デジカメで撮ってもその場で撮れた写真をモニターで確認することはほぼ無いから、自宅に帰ってMacBookにつなぐまでは未現像状態みたいなもの。撮影する時のリズムはフィルムカメラとほぼ一緒、というのが僕のスタイルではある。

でもどうだろう、フィルムライクな写真好きかと言われれば、僕の場合はフィルムライクな“カメラ好き”なんだよね、やはり。クラシカルでヴィンテージ感のあるカメラの佇まいが好きだし、それぞれのカメラが持つ個性ある操作感が好き。あととにかくシャッターを切る行為が大好き。その嗜好性がいろんなカメラたちを「じぶんの目と手で試したい」という好奇心につながり、コレクションしてるわけじゃ決して無いんだけど、いろんなカメラたちが手元に集まってしまうんだな。困ったね笑。

けれど、そういう趣味の人が意外といることがTwitterやブログのコメント欄なんかを見てると分かって、なんかうれしいというか、ちょっとホッとしたり笑。そこは昭和生まれの男たちが抱く共通した何かなんだろうなあと妙に共感したり。

僕は街中のスナップも撮るし、愛犬との散歩でなんてことない草花の写真も撮る。誤解を恐れずにいえば、被写体はなんだっていいみたいなところもある。カメラで撮るという行為がまず楽しみの前提で、その上で家族の思い出を残せたり、都市の景観の移り変わりを記憶できたり、季節の移り変わりを体感できたりと、カメラと写真を二倍で楽しめている感覚がとても心地いいんだ。

カメラというのは、手にするとなんか撮らなきゃと少々気負ってしまうところがあって、僕も最初はなんか撮影計画みたいなことを考えたりしてたけど、今は「撮ろう」ということよりも「いつもカメラを持ち歩いておこう」という気分。持ち歩いておけば自然と数枚ずつ撮るし、後から振り返って写真を見た時も、頭の中に薄っすらとしか残っていない記憶の断片をつなげる役に立つ。そういう意味では、僕はアマチュア“写真”愛好家ではなくて、アマチュア“カメラ”愛好家なのかも。コレクターじゃなくて、シャッターを切るほうの愛好家ではあるけれど。

週明けは現像を2本、ほどよいペースだ。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Velvia100&業務用100

ようやくLeica IIIaの中のフィルムを使いきった。これで昨日撮ったRolleiflex Standardのリバーサルフィルムと合わせて2本の現像を週明けに出すことになる。

フィルムカメラを始めた頃は、とにかくシャッターを切りたかったのと、一日も早くフィルムのコツを掴みたくて、多い時は週に7〜8本の現像を出していたけど、最近はほどよい量に落ち着いてきた。ほどよい、っていうのは僕の中では大事なものさしだ。

ほどよい量に落ち着いたのは、ふだん撮りにデジタルが増えたから。特に代わり映えのしないふだんのスナップはフィルムをガンガン使うのはさすがにもったいない。あと仕事がなかなか忙しくて現像出しや受け取りにラボを頻繁に行き来する余裕もちょっとなかったりで、デジタルにはけっこう助けられてる。

それでもそんな合間を縫うようにこうしてフィルムカメラで写真を撮るのはなかなか癒しだからね。とてもほどよいペースでフィルムを楽しめている実感がいまある。バルナックからフィルムを取り出す所作もあいかわらず厳かで心地いい。きょうはカメラたちを陰干ししてメンテナンスしてあげようと思う。いつまでも長生きしてほしいからね。僕の人生とともにね。

デジタルな日々にフィルムを混ぜる最高。

Rolleiflex Standard, Leica IIIa

それにしても暑かった。暑すぎると人間は少し理性を失うというか、少し撮り歩いてきた笑。あ、現像はまだなんで作例はない、あしからず。僕が気分転換にこの酷暑の中でも持ち出すのは、やっぱりフィルム。そこはね、どこか涼しくなる気がするんだ、不思議だよね。

フィルムを始めて加速した僕のカメラ生活だけど、最近はデジタルで撮ることの方が多い。なかなかフィルムでスナップを撮る暇がないというか、現像ラボを行き来する余裕がなくて、でもデジタルでも全然平気じゃん!というのが、今の僕の気分。Leica M-P, Nikon Df, Fujifilm X-E2に加えて、最近Leica X2も手に入れたんで、デジタルなローテーションでけっこう日々を楽しめている。

Rolleiflex Standard, Fujichrome Velvia100

とはいえね、カメラ生活ばかりじゃなくて仕事の日々のほうもはっきり言ってデジタル漬けなんで、そこはね、やっぱり体が求めるんだよね、たまにフィルムのあの感触をね。ジーコジーコと手で何かを動かし何かを創り出すあの感触。フィルムカメラは雰囲気ある写真の風合いの良さだけじゃなくて、あの機材たちあっての世界なんだよね、やはり。

きょうは久しぶりにローライフレックス・スタンダードを持ち出したけど、まあお約束の失敗としてフィルムチャージを忘れて、また意図しない多重露光を撮ってしまったわけだけど、それも含めていいんだよね、フィルム機材の所作がね。露出計をかざすのも暑苦しかったからぜんぶ体感露出で12枚撮った。暑いんだけど、でもあの絵本の世界の中にいるようなファインダーの絵を見ると、何か心にすーっとそよ風が吹くような感覚があるんだ。ウエストレベルファインダーのあの感動的なひと時は、ぜひ一人でも多くの人に味わってほしい、ほんとうに。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

そしてローライフレックス・スタンダードを連れ出す時は、必ずサブ的にもう一台のカメラを持ち出すんだけど、きょうはこのバルナックLeica IIIa。残りフィルムが入っていたのもあるけど、とにかく軽く軽快だからね。スタンダードのお供としてはこのIIIaかRollei35がいい。ブローニーを12枚撮るとちょっと集中し過ぎるというかいい意味で少し疲れるから、その後に135フィルムでサクサク撮る感覚はまた気持ちいい。

僕のカメラ生活のペースというか型みたいなものが少し定まってきた気がしてるんだけど、基本はデジタル、そしてたまにフィルム。その割合はどうだろう、デジタル7:3フィルムくらいな感じかな。でも心の中の割合的にはデジタル5:5フィルムくらいの感覚があるから、やっぱりフィルムが満たしてくれる影響というのは偉大なんだなと改めて思う。で、これから愛犬の散歩にまたカメラを持ち出して行くんだけどね。我ながら物好きだなと思ったりしながら笑。

フィルムカメラはネット社会に支えられてるところもある、というかデカい。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Lomography400

フィルムカメラの情報を得ようとしたらどうしてるだろうか?。フィルムカメラ屋をのぞくのが一番確実だけど、全国どこでもフィルムカメラ屋がある時代でもない。となると、一番の情報源はなんといってもインターネットの中ということになる。

僕はフィルムカメラの知識はあまりないので、気になるカメラやレンズを見つけたらまずネット検索をかける。今はスマートフォンがあるから、ほんとどこでても検索できる。中古カメラ屋で気になるカメラなんかを見かけても、ひとまずその場でスマートフォンで検索して情報をチェックする。その足で、分からないことは店員さんに質問するかたちだ。

その点、日々のぞいているTwitterの中は、フィルムカメラ情報の宝庫といっていい。僕がフォローしている人やそのリツイートで流れてくるフィルムカメラ情報は、その濃さも信頼性も、どうかしたら中古カメラ屋さんで聞く情報よりも客観的で頼りになる。次に購入したいというカメラを見つけるきっかけも深層心理的にTwitterで見かけたものが少なくないんじゃないかな。

例えば付属品のことや故障のこと、そのカメラの癖なんかも、Twitter上に投げかけるとほぼ誰かが経験談的に教えてくれるし、たとえどんなにレアなカメラ、レンズのことでも、必ずネット上にはなんらかの参考になる記事が置かれているから、ほんと驚く。古いカメラの取説なんかもネット上からダウンロードできたりするしね。

デジタルとアナログは相反するものというよりは、意外と支えあったり上手い具合に共存してるとも言える。デジタル社会に駆逐されつつあるフィルムカメラとはよく言われるフレーズだけど、いや、むしろデジタル技術の進歩、インターネットのおかげで、この時代にあってもフィルムカメラとその情報が流通できてるんだよね。そして、フィルムカメラで検索すると大抵、いつもTwitterでおなじみの方々のブログなんかが検索上位で出てくる笑。なんとも頼もしい世界に僕は生きているのかもしれない。

どうだろう、その情報の密度みたいなものでいえば、デジカメの情報よりフィルムカメラやオールドレンズ の情報のほうが豊富にあるんじゃないかと思える。その数というより、その文書に込められた「愛」みたいなものが情報を豊かにするんだろうね。ある送別仲間に贈るフィルムカメラの情報をネットで調べていて、ふとそんなことを思った。

大人には遊び道具がいる。クラシックカメラとかロードバイクとか。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

遊び道具というのなら子どものころのほうがいるんじゃないかと言われそうたけど、子どもは驚異的にクリエイティブだからね、道具なんかなくても道端のものでどんどん遊びを開発しちゃう。それに比べると、大人はクリエイティブになるための道具がいる。だんだんと社会の中で脱線しないように妙な器用さを身につけてしまう分、そこから束の間とはいえ脱出できる装置というか、非日常へ強力に場面転換してくれる道具。それが僕の場合だと、クラシックカメラであり、ロードバイクなんだ。

カメラはデジタルでもクラシック的なものがいい。見た目に現代の電子デバイスとは異なる世界観を持ち合わせていて、便利さとは逆行するようなマニュアル操作のカメラ。自転車も手軽さよりマニアックな操縦や肉体との向き合いを要求される競技用ロードがいい。いわゆるどちらもあえて不便な道具たち。でも、それが便利な世の中にちょっと背を向ける(向けたい)大人たちには必要なんだ。大人流の反抗期みたいなもんかな笑。

幸い大人になると、若かった頃よりは道具に多少散財できる余裕もある。子どもが大きくなればじぶんの時間も生まれる。知らないことを知らない、好きなもんは好きと言える素直さも出てくる。好奇心に向き合って、じぶんをあえてハマらせていくこともじぶん次第でできる。若さには敵わないけど、大人にはそういう楽しみが待っているという意味では、世の中良くできてるなとも思う。

僕に関していえば、若い頃に遊ぶのが下手くそだったのを、今になってもう一度挑戦し直しているというか、挽回しているというか、道具という場面転換装置を利用して少しパワフルに遊びの時間を作り出してるんだろうな。道具は所詮道具であって、本当の楽しみは道具の先にあるとも言えるけど、道具そのものもなかなか楽しく刺激的なもの。クラシックカメラとロードバイク、僕の人生をなかなかドラマチックにしてくれてると思ってる。ちょっと小っ恥ずかしくはあるけれど。

人が写り込んだ写真を撮るようになったのは。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

たぶんLeica IIIaを手にしてからなんだよね、人が写り込んだスナップ写真を撮るようになったのは。それ以前の僕が撮っていたスナップ写真を知っているTwitterのフォロワーの人なんかは分かるかもしれないけど、以前の僕のスナップにはほぼ人は入っていなかった。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

なんとなくじぶんの中で風景写真を撮るんだと決めていたこともある。いわゆるスナップ問題のアレを意識していたこともあるし、風景を撮るほうが街中でもゆっくりカメラをかまえることができることもあって、ひたすら人の入り込まない写真ばかり撮ってた。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

でも、そんな躊躇みたいなものをLeica IIIaが軽やかに吹き飛ばしてくれた。上手く言えないけど、IIIaがカメラを持って街へ繰り出すことを軽快にしてくれ、人がふつうに入り込んでる写真こそ自然な風景なんじゃないかと思うようになったんだ。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

この記事の写真たちはどれもLeica IIIaとILFORD XP2 で撮ったものばかりだけど、いまではLeica M3でも人のいる風景を撮るし、かつて人のいない風景だけを撮っていたKonica C35でも今は人が入り込むことが多い。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

そうして思うのは、街を撮ることは人を撮ることでもあるということ。人がいることが自然だから、その自然のありようを撮ることが街本来の姿をスナップすることだと感じ始めた。実際、人が写り込むと写真に体温が混じる気がしている。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

でもテーマみたいにしてることがあるとすれば、人を撮るんじゃなくて、あくまで街を撮るということ。人を必要以上にクローズアップするんじゃなくて、僕は人「も」いる街を撮ろう、ということ。撮った後に現像を見て、想像したより人に焦点がいきすぎた写真だった場合は、こうして公開はしない。そんなじぶんの中のものさしというかテーマみたいなもの。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

人がいるから街。そうじゃなかったら、人のいない自然を撮る。僕の写真はその行き来をしている。平日は街中のスナップ、週末は自然の風景のスナップ。どちらも好きだし、どちらも奥が深くてたのしい。この話はあくまで僕のスナップ観で、僕のものさしみたいなものなので、そこはご了承を。けれど、人のいる街はスナップの原点「ありのままの自然な光景」という意味ではたのしいし、豊かだと思う。

スナップライカということでいえば、M3よりIIIaだろうな。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

僕が本格的に街撮りスナップに目覚めたのは、このバルナック型Leica IIIaを手にしてからであるのは間違いない。夜の街を撮るようになったのもこのIIIaからだし、フィルムをいろいろと試行錯誤し始めたのもIIIaで昼夜いろんなシーンを混ぜて撮るようになったからだ。

今でこそM3もデジタルライカM-P(typ240 )も街撮りスナップに連れ出すことは少なくないけど、それもIIIaでライカが街撮りスナップに適していると気がついて、IIIaの延長線上というかバリエーション的に撮っているところがどこかある。つまりIIIaにない性能という意味で、静かに撮りたい時やファインダーをある程度眺めて撮りたい時はM3、少し量を撮りたかったり明暗のあるシーンで撮りたい時はM-P、そんな具合だ。

やはりベストバランスは、IIIaなんだよね。それはもう、このコンパクトさと手に持った時の自由さのようなものに尽きる。IIIaはバルナック型の中でもひときわ小さいボディ。これに沈胴式のElmar 50/3.5を装着した時の持ち歩きやすさは、M3もM型デジタルも敵わない。カメラを常に手に持って歩くのなら別だけど、なにげに鞄の中に入れて常に持ち歩き、撮りたいシーンに遭遇したら片手感覚でサクッと撮る、そんな芸当はいかにもバルナック型ライカの真骨頂だ。

いわゆるコンパクトカメラももちろんスナップシューターとしては優秀たけど、僕の場合だとRollei35やKonica C35で撮る時とLeica IIIaで撮る時とは多少心持ちが違う。携帯性重視ではなくて、あくまで本格的シューティング重視で撮る感覚がIIIaならしっかり堪能できる気がするんだ。街撮りスナップを軽快に楽しみたいけど、M3まで大きく重くなるとちょっと…というひとは、ぜひともバルナック型ライカを手にしてみてほしい。実際に手に持つとこれほど洗練さを感じるクラシックカメラは他にない。その手触りが、はやく街へ連れ出してみたいと強烈に思わせる。IIIaといったバルナックライカは、生粋のスナップライカなんだ。

そう考えると、このIIIaまでのライカの開発に携わったオスカー・バルナックというひとは、単にカメラ製造会社の開発者だったわけじゃなく、ひとりのカメラ愛好家としてとてもリアルに理想的カメラのあり方、使い方、日々持ち歩く時の心地よさを徹底的にイメージして、このカメラにそれらを凝縮して落とし込んだんだろうなというのが強く伝わってくる。その域までいくと、もはやフィルムカットの手間なんていうのは大した問題じゃない。常に肌身離さず持っていたいと思わせる絶妙の大きさとフォルムこそが、このカメラの最高性能であり存在意義なんだということ。そこまで突き詰められたカメラが、後発で出てきたんじゃなくて、35mmフィルムカメラの第一号機としてこの世に登場したことには正直、驚きを隠せない。その後に出てきたカメラたちが未だにバルナック型に敵わないということでもあるんだからね、スナップライカとしてはね。

フィルムのめんどくさいとこが好き。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Fujifilm 業務用100

どう考えたってフィルムで写真を撮る行為はめんどくさいことだと思うんだ。デジカメがあればフィルム代もかからないし、撮ったその場で写真の確認もできる。わざわざラボに現像に出す手間もないし何日も現像あがりを待つ必要もない。けれど、フィルムで撮っちゃうんだ。もちろんフィルムで仕上がるあの独特の空気感のある写真はいい。それが見たくてフィルムで撮っているところはある。でも、僕の場合、フィルムという物体をカメラに装填したり、撮り終えたフィルムを取り出したりする一連の行為が好きなんだな。

フィルムのパトローネの形やデザインもいいし、匂いも好き。フィルムの先を伸ばしてスプールに差し込み、少しフィルムを巻き上げて一枚目をセットする感じもたまらない。いや、僕だけじゃなくて、フィルムで撮る人たちはみんなそこらあたりに魅せられてるんじゃないだろうか。だから、こんだけめんどくさいプロセスがをまた今日も、明日も続けちゃうんだ。あの手触りや匂いを求めて。デジタルだって嫌いじゃないないから撮るんだけど、しばらくデジタルで撮り続けてると、あのフィルムの感触が異様に恋しくなる。実に不思議なモノなんだよね、フィルムとフィルムカメラはね。

フィルムはデジタルに置き換わると言われながら、それでも2018年現在まだ使うことができる。なんだかんだ収益度外視で富士フイルムはいくつかのフィルムを販売し続けてるし、海外に目を向ければまだまだフィルム入手も可能。現像する場所もまだあるし、フィルムカメラのリペアサービスも存在する。これはむしろ奇跡というか、フィルムから離れられない人たちのフィルム愛の結晶だと思うんだ。本能に作用する何か。撮り続けるよ、これだけ心の奥底で歓びが溢れ出るんだからね。