数回、空シャッターを聴いたら、明日のフィルムを入れて眠りにつく。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, ILFORD XP2 400

眠る前の数十分間はたいせつでね。みんな思い思いにじぶんがいちばん落ち着ける時間を過ごしていると思う。僕の場合は、空シャッターを聴きながら明日のフィルムを詰めるという作業、これがなんとも心落ち着く。

バルナックライカは見ての通り、カメラの底蓋を開けて、そこからフィルムを装填する。フィルムライカならではの儀式だけど、バルナックの場合はさらにフィルムの先端を10cmほどカットするという所作も加わる。バルナックを持つまでは、M3のフィルム装填に加えてフィルムカットなんて面倒くさがりな僕にはあり得ないなんて思ってたけど、今じゃそれがいちばん心落ち着く作業だったりするんだから、人も人生も分からないもんだ。

今夜は消灯10分前の長崎ランタンフェスティバルに滑り込めて、心もホクホクしている。バルナックでいつものように?沈胴したまま数枚撮るという事象もあったけど笑、初めてランタンフェスティバルをモノクロフィルムで数枚おさえることができて、それはささやかだけど心地いい夜をもたらしてくれている。明日は朝のうちに思案橋の辺りをILFORD XP2で撮りたいなと思ってる。それだけで心踊るから、カメラはやっぱり欠かせない心の安定剤だなと思う。

このバルナックに出会って僕のカメラ観やスナップ観が少しだけ変わりつつある。この感触が僕の中にまたひとつ新しいシーンを生み出すような気もしている。そんなことも妄想しながら眠りにつくとしよう。明日も忙しい。けれど僕にはカメラがある。

もう一歩踏み込もう、バルナックと。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Lomography400

カメラが小さいとね、心まで軽くなるというか、ふだんより一歩も二歩も前に踏み出て撮ろうという気持ちが自然とわいてくる。僕にとってはバルナックライカIIIaだ。このカメラを手にしてからというもの、格段に街撮りする頻度が増えたし、スナップする楽しみを再認識させてもらった。

カメラを仕事鞄の中に入れて歩いていると、知らず知らずのうちに辺りを物色してる。そう書くと何やら怪しい感じだけど、光と影の交錯する場所や、遠近の重なりがおもしろい場所なんかを無意識に探してる。そして、それは大抵、ボーッと立ち止まってるだけでは撮れないことが多く、少し小道に入ったり、少し中腰になったり、気がついたら一歩、また一歩といつもより踏み込んでいることが多い。踏み込んだからいい写真が撮れるかどうか判断置いといて、とにかく体が無条件反射で前へと足を踏み出させる。おもしろいカメラとは、そういうじぶんが意図しない行動をとらせるカメラなんじゃないかな。

街中でサッと撮るために、露出もピントも固定してることが多いんだけど、それをいじることなく、そのままもう一歩前へ足を踏み出す。そういう写真がじぶんの中に増えてきている気がしてなかなか興味深い。カメラとは単に撮る道具じゃなくて、何かに気づくための道具なのかもしれないね。そういう意味ではできるだけいつも一緒にいて、一枚でも多くの写真を撮ることがいろんな気づきへの第一歩なのかもしれない。今日もカメラの中に使いかけのフィルムを残して、次の場所へ移動している。どんな写真が撮れるかも楽しみだけど、どんな光景に近寄ろうとするのか、そしてどんな気づきをもらえるのか、そんなことを楽しみにしながら。

レンジファインダーが僕の写真観を変えてくれたことは間違いない。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この場合、レンジファインダーとはLeica M3とLeica IIIaのことであり、写真観とはスナップシューティング観ということである。変化の大きなきっかけになったのは、バルナックライカIIIaと沈胴式Elmar50/3.5を手に入れたことだと思う。そのあまりにも薄くコンパクトなボディに軽く衝撃を受け、平日の仕事鞄の中の相棒がKonica C35からIIIaへと変わった。

IIIaを日々持ち出して街の雑踏の中のスナップを撮り始めると、そのミラーショックのないレンジファインダーなら息を止めさえすれば夕刻や夜間のネオンライトでもシャッターが切れることを知る。そして、50mmという難しい焦点距離が僕の足を前後にもう数歩だけ前後させる。そして、その感覚をもう一台のレンジファインダーでも確かめたくて、Leica M3も平日の街スナップに連れ出すようになった。つまり、一週間の7日間のうち実に5日間もレンジファインダーと過ごすようになったんだ。これだけ時間の過ごし方が変われば、スナップのある日常の写真観も変わって当然だった。

思えばカメラを始めた当初はデジイチで週末に自然を撮ることが楽しみだった。そこにRICOH GRが加わり、スナップというものを撮ることの楽しみを覚えた。フィルムカメラを始めた時も一眼レフだったから、週末は一眼レフで撮ることが多く、所有カメラの割合も一眼レフが多かった。レンジファインダーはその合間に撮るような割合でしか無かった。それが、ほぼレンジファインダーとの時間へと変わったのである。じぶんの中に少し、いや割と鮮明に、これからの残りの人生におけるカメラとスナップとの向き合い方が見えてきた気がした。

ライカというカメラはとかく高価さやブランド感、使い倒すカメラというより骨董品のように飾り眺めるカメラと見られがちかもしれないけど、僕の中ではライカこそ日々外へ持ち出して何気ない街の光景を撮り倒すカメラだと知った。僕にはそう思えた、それもかなり強烈に。このじぶんが受けた本能的で官能的な感覚を頼りに、もう少しこの道を掘っていきたい、いや人生の残り時間はそこを可能なかぎり掘り探る時間に当てたい、そう思えるようになった。たかがスナップだけど、人生はそのスナップの縮図であり、されどスナップだ。ライカとスナップ、羅針盤がそこにはあった。

Leica M-Pはスナップシューターなのか否か。

Leica M-P *写真は全てフォトヨドバシから

実は昨日から思案している。Leica M-Pのことである。先週、M3やIIIaを購入したいつものお店で談笑している時に、ふとショーケースにあったLeica M-Pブラックペイントをさわらせてもらった。ファインダーをのぞきシャッターを切らせてもらった。Leicaの赤ロゴを排除した漆黒のボディはカッコいいなとは思ったものの、値段も値段だし、特に欲しいとは思わなかった。その翌日の夜、Leica M3の恐ろしく美しいファインダーでナイトスナップを試み、M3があるかぎり僕はM-Pは必要ないだろうと再確認もした。けれど、ふと昨日からM-Pのことがどこか気になって思案している。それは、

“スナップシューターとしてのM-Pはどれほどのものなのか”

ということ。M-Pのブランド感とかに流されてる気持ちはまったくない。ただ、僕がいまこよなく愛しているLeica IIIaとM3のようにスナップシューターとしての実力があるのか否か、それを確かめようとネットの中なんかを調べている。どうせ検討するならフィルムライカとほぼ同じ薄さになった最新のM10がいいんじゃないかと言われそうだけど、そこは実際にふれたのが値段も現実的な中古のM-Pだったこと、そしてそもそもふれようと思ったのが赤ロゴを排除した漆黒ボディだったからであり、僕の中では両者は比較に当たらない。

Leica M-P & Leica M

正直、数年もすれば使い捨てにならざるを得ない電気を使うデジカメに百万円近いお金を払う気持ちはサラサラない(ユーザーの人はごめんなさい。デジタルライカに限らずカメラ全般に思う個人的な価値観の話です)。いま所有しているデジカメNikon Dfなんかもフィルムカメラで使っているオールドレンズが使えるから購入したわけで、デジカメ単体だったらまず手に入れていないだろう。けれど、そういうことを超越して“レンジファインダーのスナップシューターとしての実力”がフィルムライカたちのように本当にあるのであれば、それは思案するに値すると考えたのである。当然、いま使用しているM3とIIIaのレンズが使えるというのも視野に入れてである。

Leica M-P & Leica M

M-Pの詳しい機能に興味のある人はライカ公式HPなどを見ていただくとして、僕が気にしているポイントは以下の通りだ。まず、ボディは多少太くてもいいから、手の中にしっくり馴染む感覚があること、そしてボディはとにかく控えめな漆黒であること。あとこれは僕にとっては相当重要なことなんだけど、JPEGで十分使えること、これだけである。つまり、フィルムライカで撮るスナップシューティングとかぎりなく同じ感覚があるかどうかだけ、繰り返し思案している。

Leica M-P & Leica M

僕のカメラライフはいくつかの道をたどり、最も気持ちいいのは街撮りスナップだという意識に至った。もし、このLeica M-Pが僕にとってそこに最も近いデジタルのカメラなのであれば、所有するカメラはいっそフィルムカメラのIIIaとM3、そしてデジタルカメラのM-Pの計3台に絞ってもいいとさえ考えている。カメラをこれ以上増やしても僕の人生の時間が増えるわけではないので、とてもじゃないけどすべてのカメラを満足に使い回す自信もない。手元に必要最小限の究極のカメラだけ残したい、というここ最近の断捨離したい気持ちもM-Pのことを考えさせるきっかけになったのかもしれない。

さて、まだ何も決めたわけではない。このLeica M-Pというカメラが僕の生活リズムにおいて本当に真のスナップシューターになり得るのか、IIIaとM3とM-Pがあることによってどんなスナップライフのリズムが生まれるのか、そうしたリアリティのある絵を頭の中でじっくり思案してみたいと考えている。少なくとも談笑レベルではなく、もう一度店員さんと共にM-Pを手にとってじっくり議論することが必要だ。今度は現実的なスナップシューターとしての確認という意味で。

Leica M3を惚れ直した夜。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

ここ二週間ほどは手に入れたばかりのバルナックライカIIIaの試し撮りに集中していたんだけど、そうするとレンジファインダーで街撮りする魅力を再認識して、だったらLeica M3も連れ出したいと無性に思うようになった。で、金曜日の夜、仕事鞄の中に忍ばせていたM3を取り出して、夜の街を徘徊してみた。結論から言うと、めちゃくちゃ気持ちよかった。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

何が気持ちいいって、世界がまぶしいんだ、素晴らしく。バルナックとM3の最大の違いはファインダー。ふたつ窓がひとつになり、大きく、明るく、クリアになったファインダー越しの世界は、ほんとキラキラと輝いてた。この世界を見たら、どんなカメラも霞んでしまう、そんな至宝のファインダーがM3の最大のポイントだ。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

M3のファインダーはほぼ等倍の大きさで実像をとらえる。なので、両目を開けてファインダーをのぞくことができ、そのガラスの中に美しい50mmブライトフレームと二重像が折り重なった景色がまさに浮かび上がる。夜のネオンに照らされた街でこのファインダーの中の世界を見てしまうと、もうなんと言うか映画の世界の中にでもいるような気分になる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この世界を知ってしまうと、もうM3からは離れられない。いくつかのカメラを所有したとしても、必ずかのカメラに舞い戻ってくる。そんなカメラレパートリーの中の要のような存在なんだ。にゅるりと絶妙な感触のダブルストロークを巻き上げ、雑踏のガヤに打ち消されてほぼ無音のシャッター音は、まさに夜の街に潜むハンターのような気分を堪能させてくれる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

こんな素晴らしいカメラが1954年に世に生まれたとはにわかに信じがたいけど、だからこそM3は今もライカのカメラの王様とも言わんばかりに君臨するのである。フォルムを含めたコンパクトさやチャーミングさでいえばバルナックライカの存在感が際立つけど、カメラと写真の精密性でいえばM3がその何倍も上を行く。まさに本質を追求する玄人好みのカメラと言えるだろう。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

この至宝のM3とファインダーが使えるかぎり、僕はデジタルライカには行かないだろうな。そんなことを再確認する夜にもなった。世の中には時を重ねて圧倒的に性能が高くなっていく進化ばかりではない。このM型ライカのように、最初に登場したM3を超えられずにいる進化というのもある、そんなことを証明するかのように今も輝き続ける生きた伝説、それがLeica M3という唯一無二のカメラなんだ。

平日の都市にはレンジファインダー、週末の自然には一眼レフ。

Leica M3, Nikon F2

平日の友にバルナックライカIIIaを加えて2週間ちょっと、少し僕のカメラ生活に変化の兆しが見える。それが、

「平日の街撮りはレンジファインダーで、週末の自然撮りは一眼レフで。」

という変化である。まあ変化というと大げさだけど、これまではどちらかというと「平日はコンパクト(RICOH GRかKonica C35)、週末はNikon一眼レフかLeica M3」というローテーションでカメラたちと過ごしていた。それが想像以上にコンパクトなバルナックライカIIIaを手にしたことで「レンジファインダーならコンパクトで仕事場周辺の街撮りに最適じゃん」とあらためて気づいたんだよね。

ちなみに今日は初めて仕事鞄にLeica M3を入れて出社している。バルナックを収めるインナーバッグにすっぽり入るんで、いつもの通り革のショルダートートに入れて持ち出している。バルナックよりは重いけど、肩から下げるバッグならそれほど苦じゃないなという感覚。フィルムはバルナックとの撮り比べも考えて最近よく使っているLomography400。36枚撮りだからこれ一本で一日は十分だろうと。予備にFuji業務用100も一本鞄に入れている。

考えてみると、Konica C35もレンジファインダーだから、まさに平日や出張の時なんかはC35かIIIaかM3のいずれかをチョイス、街中でサッと取り出してサッと撮ることを楽しむ。一方、週末は家の近所の散歩や家族との行楽とか、ゆっくりじっくり撮れるんでNikonの一眼レフたち(Nikon Df, Nikon D300, Nikon F2, Nikon FE)で撮る。そんなイメージが僕の頭の中で鮮明になってきた。RICOH GRもあるけど、これはもともと万能サブなので、シーンを問わず活躍は続きそう。そんな感じかな。

まあでも、やっぱり、できれば機械式のフィルムカメラで撮りたいというのがある。メインとなるカメラは、Leica IIIa、Leica M3、Nikon F2だね。あとはカメラの機能に助けてほしいシーンもあるから、電気式のカメラをサブで組み合わせるスタイル。これが、いまのところ僕がいちばん心地いいスタイル。フィルムはね、あと何年使い続けられるのかという不安は無くはないけど、逆に今しか使えない貴重な体験だと思ってポジティブに使ってる。どうかしたらフィルム現像まわりのコストでいいデジカメが買えるんじゃない?みたいなところはあるけど、この体験だけはプライスレス、もはや離れられないんだ。まだ元気に働けるうちは、ある程度のコストは趣味に割いて楽しんでいきたい。というわけで金曜日、今日はLeica M3で何枚撮れるかな。

カメラはたいせつだけど、たいせつにしてる場合でもない。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5, Lomography400

カメラは美しいプロダクトだし、それなりに高価だとキズが入るだけで気分も滅入る。僕もかつてはそうだった。でもフィルムカメラをやるようになって少し様子が変わった。“様子が変わった”なんて書くとなんだか他人行儀な言い方だけれど、それくらいじぶんでも無意識に変わったということ。

カメラは外気に晒してなんぼというか、自室の防湿庫に何ヶ月もしまっていてもしょうがない。常に鞄やポケットに突っ込んで持ち歩けばそれなり遣れるし、キズの三つや四つや五つはついて当たり前。たいせつにすればするほどシャッターを切る回数はどうしても減る。飾ること、所有することが目的だったんじゃなくて、そのカメラがあればあんな風やこんな風に撮れるんじゃないかと妄想した気持ちこそたいせつだし、それを実行に移すとなればキズは間違いなく増えてく。そのキズこそ、なんというか友情の証のように最近思うんだよね。

最近僕が手に入れて好んで使っているバルナックライカIIIaは、まさにそんな使い倒してやってキズという年輪が増えていくことがとてもクールに思えるカメラ。キズのないバルナックなんて、ただのアンティークの置き物にしか見えない。でも、使い倒してやるとなんというかいい輝き方をする。そういう酷使することで様になってゆくところこそが、スナップシューター・バルナックの真骨頂だと思うんだ。ジーンズのようなカメラとでも言えばいいだろうか。綺麗なジーンズがちょっと小っ恥ずかしいように、カメラも綺麗すぎるとなんか居心地が悪い。そういう道具たちの本当の幸福みたいなことを思い浮かべながら、僕はできるだけ外気の中にIIIaを連れ出す。

カメラは持ち出してナンボ、撮ってナンボ、場所を選ばず酷使してナンボだとほんと思うんだよね。そう考えると、僕は少しカメラの台数を増やし過ぎたかもしれない。試したい、確かめたい気持ちでまずはある程度台数が増えたわけだけど、ここから使い倒せる台数に絞り込んでいってもいいんじゃないかと思い始めている。飾るカメラはいらない、撮るカメラと、あるようで実はそれほど多くはない人生の時間を濃く過ごしたい。どこへ行くにもたいてい一緒、というカメラを3台か4台程度だろうか。キズが刻める濃い付き合い方としてはそのへんが限界な気がする。なにも手放すことが前提ではないけど、こいつにキズを刻んでいきたいというカメラをそろそろ選びたい、そんなことを最近すこし考え始めている。

1956年生まれのエルマーが写し出す2018年の街角。

Elmar 50/3.5 Red Scale, Leica IIIa

この上の写真のエルマーはまさに沈胴させたところで、ご覧の通りぺったんこの薄っぺらいフォルムになる。まず、これが素晴らしい。IIIaはバルナックが最後に手がけた製品といわれ、IIIc以降のバルナックライカより横2.8mm、縦2mmほど小さい。その小ぶりな板金ボディにこの沈胴式エルマーを装着すると、まさにポケットに入るスナップシューターが完成する。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

その写りのほうだけど、これもまたスナップシューターに恥じない素晴らしいものだった。手に入れてから約二週間、4〜5本のフィルムで撮ってみたけど、しばらく眠っていただろうIIIaとElmarは、撮るたびに油がまわって滑らかに動き出すかのようにハッとする描写を見せてくれた。ボディが1939年製、レンズが1956年製だけど、そんなことを微塵も感じさせないモダンな写りに見えた。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography400

フィルムはいずれもLomoのネガカラー100と400。最初の試し撮りにFuji業務用100を使ったんだけど、少し色のノリ方が暗い気がしたんで、もう少し軽さを出したいなと思い、初めてLomographyのフィルムたちを使ってみたんだけど、これもやはり外国製品同士の相性のよさなのか、すごくライトで軽快なスナップらしい描写になったように思う。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

そういえば、ふだんはFuji業務用100が好きで、その多くはKonica C35かNikon F2、FE、F6といった国産カメラに入れて撮ることが多く、これもまた国産同士の相性がいいってことなのかなとふと思った。日本情緒を撮るなら国産のよさもあるけど、外国製品の組み合わせらしい「陽射しや空気が異なる感じ」というのもたまらないものがあるよね。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

日中に撮る時の露出としては、絞り気味で無限遠固定で撮ることが多くなるけど、それでも上の写真のバイクなんかは手前にピントを置いて撮ってるから、背景のボケも適度に出る。決して明るくないレンズf値3.5だけど、沈胴式エルマーといえば50/3.5といわれる所以が少し分かるような、とてもドラマチックな写りをしてくれる。絞りはレンズ前面にある円形のつまみをフードの中に人差し指を突っ込んで調節。ピントは特徴的なハンドルレバーをやはり人差し指を使ってくるくる動かす。慣れると、これがまた味がある。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

夕刻の街も撮ってみたけど、開放f3.5でも十分に撮れる。この写真は感度100、SSはたぶん1/50くらいかな。撮ってる時は正直、半信半疑でシャッターを切ってたけど、現像があがってきたらけっこう鮮明に撮れてたんで、これでまたエルマーに惚れ直したという感じである。となると夜間も撮ってみたくなる。IIIaとElmar 50/3.5で初のナイトスナップに挑戦である。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

これもまた驚きなんだけど、息を止めてそろりと撮ったら、感度100でもまあまあ撮れてたんだよね。絞りは開放、SSは1/30。これなら昼間に入れた感度100のフィルムのまま夜に突入しても、気合を入れれば、いや息を止めれば、わずかな光を頼りになんとかスナップが撮れる。ミラーショックのないレンジファインダーカメラならではの撮り方かもしれないけどね。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography400

フィルムを感度400に替えて撮ったのが、この暖色のお店の写真。これだけ店内から光が漏れていれば、けっこう光を拾って撮ることができる。これも絞り開放、SS1/30だったかな。シャッタースピードはここからさらにスローシャッターはまだ未挑戦。バルナックライカはスローシャッターはボディ前面の別ダイヤルを操作するんだけど、次回はぜひスローシャッターでIIIaとElmarの実力、フィルムとの相性を確かめてみたい。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Fuji業務用100

あとは雪の写真を。ここから二枚は試し撮りの最初の1〜2本なんでフィルムはFuji業務用100。1枚目はピントを手前に置いて撮ってみたけど、これもじんわりと背景がボケていき、なんとも情緒感のある冬景色を再建してくれた。この雪の写真を見た時に、Lomoで撮ったものも見たくなったんだよね。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Fuji業務用100

こっちの写真は吹雪でもう絞りf8固定、無限遠でとにかくシャッターを押した写真。なんかその壮絶な感じが写真ににじみ出てる気がしないでもないけど笑、この少し滲んだ写りもエルマーらしい描写なんじゃないかと思ってる。どうかしたら、撮影した時期も数十年前に見えるようなところあるもんね。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Lomography100

最後の一枚は、ふたたびLomo100で撮った雪模様。よく見ると降ってる雪が見える。こういう写真が撮れてるのを現像後に見るとほんとうれしいよね。撮ってるその場で写真を確認できないフィルムだけど、それがまた現像までのドキドキした気持ちの高揚につながっている。フィルムがやめられない大きな要素のひとつだったりする。

Elmar 50/3.5, Leica IIIa, Hood:FISON

というわけで、ひと通り試し撮りを終えたんで、一度、沈胴式エルマーの描写をまとめてみた。ひとことでいえば、懐古的想像を裏切る素晴らしい写り、ということになるかな。なんといってもモノクロフィルムが主流の時代のレンズとボディだから、カラーネガフィルムでこれだけモダンに写るというのは、僕には軽い衝撃だった。と同時に、当時のカメラ・レンズ開発の匠たちの技術の高さとか、込められた思いの熱さみたいなものを再確認した。人生にエルマーを。そんなレンズだと思う。

バルナックの対比としてのライカM3。

Leica M3, Planar T*2/50

バルナックライカIIIaの試し撮りもフィルム4〜5本になった。そうして連日バルナックばかり使っていると、ある衝動が沸き起こることもちょっと分かってきた。それは、M3も使いたくなるということだ。もちろん、バルナックがなくてもM3で写真を撮っていたわけなんだけど、その時のM3をチョイスする気持ちとは少し異なる。単にM3が使いたいというよりは「バルナックの対比としてのM3」を確かめたくなるんだ。

バルナックを使い始めると、いくつかM3との違いに気づく。まず、フィルムカットの有無、スプールのフィルム差し込みの深さ、シャッタースピードダイヤルの感触、シャッター巻き上げからシャッターを切るまでの所作、シャッター音の違い、そのショックの違い、そして二つの窓と一つの窓の違い、フィルムを巻き上げる時にかかるストレスの違いetc. 実にいろんなところが似ているようで異なる。バルナックを使っていると、そうした違いが脳裏や手に蘇り、思わずM3に持ち替えたくなるんだ。

それは進化の差なのか、それとも製品コンセプトの差なのか、製造技術の差なのか、時代のトレンドの差なのか、そういうことをバルナックとM3の対比として確かめたくなるんだよね。あと、単純にバルナックを使い続けてると、その後継であるM3がとんでもなく進化して登場したであろうことが如実に分かる。バルナックが良くも悪くも懐古的機械の挙動を見せるとするならば、M3はいくつか時代を飛び越えたんじゃないかというくらい、精密で、静かで、滑らかで、まるで現代のカメラのようにまったく破綻のない挙動を示す。こんな完璧な機械が1954年には誕生していたと思うと、ドイツの、ライカの機械工学の高度さを嫌というほど感じずにはいられないのである。

バルナック時代には日本のカメラメーカーからもコピー的製品がいくつも生まれていたが、このM3が登場した瞬間に白旗をあげ、違う土俵である一眼レフで勝負に出たというのも頷ける話だなと思える。その当のライカでさえ、M3を超えるクオリティの製品をその後は出せていないとも言われるくらいだから、それはもうカメラ好きじゃなくても手に持った瞬間に分かる超オーバークオリティの凄みなんだろうね。以前にも書いたけど、僕はお店でたまたまM3をさわってしまい、ファインダーをのぞきダブルストロークを巻き上げた後、シャッターをそっと切った瞬間、それまで味わったことのない本能的な衝撃を受け、思わず連れて帰ってしまった人間だ。

小型で洒落たフォルムを持つバルナックの佇まいと比べると、少し大きくなり無機質なデザインとなったM3は、質実剛健で一見面白みに欠けるように見えるかもしれないけど、これはこれで僕にはとてもクールだ。バルナックに入っているフィルムを現像に出したら、今度はM3にフィルムを入れて、仕事用の鞄に入れて連れ出したいなと思っている。今度はたぶん、M3で撮りながらバルナックのことが頭によぎるんだろうけどね。この二台はどちらかではなく、セットなのかもしれない。

電気を使うカメラはサブ。メインは機械式カメラ、という発想について。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

すごく意図的にそうしたわけではないけど、自然とそうなった。理由はたぶんシンプルで、電池が切れたり充電ができないとシャッターが切れないカメラはどうしてもそれなりに手がかかるし、時に不安と隣り合わせの撮影になるけど、電気を一切使わない機械式カメラはいつだって安定して使える、ということ。

僕の場合だと、フルメカニカルシャッター機はNikon F2とLeica M3、そして写真のLeica IIIaだ。つまりこの3台がメインカメラ。できればこの3台のいずれかで撮ることが、特にワケありじゃない時の理想だ。

ただ、ワケありの時もある。ボディ内露出計を使って少し正確に撮りたい時はNikon FEを使ったり、オートフォーカスでできるだけ手操作を排除して撮りたい時や露出がシビアなリバーサルフィルムを使う時はNikon F6、街中でプログラムAEでそれこそシャッターを押すだけのKonica C35。いずれもフィルムカメラだけど、露出計を基本に電池を必要とする。

あとは、とにかく量を撮りたい時は完全にデジタルカメラを選ぶことになる。フルサイズのNikon Df、望遠用のAPS-C機Nikon D300、そしてRICOH GRだ。つまり、できればフィルムで撮りたいという思いがあるからデジタルはサブなんだけど、フィルムの中でもいちばん気軽で、しかも頼りにしてるのは、電気を使わない機械式カメラだということ。

ポリシーというほど凝り固まった発想ではないけど、できればそれがじぶんには心地いいからそうしようと心がけていること、そんな感じかな。メインにいくほど古く自動では何もやってくれないカメラになるんだけど、でもこれは理にかなってるというか、フルメカニカルシャッターだと撮れないシチュエーションにおいては電気を使うことで手助けをするということで、そういう意味でもやっぱり電気を使うカメラはスーパーサブなんだなと。

もちろん、失敗のない写真を撮ろうと思えば、少しでもハイテクのカメラを使うのがいいんだろうけど、近ごろの僕は「かつて失敗だと思ってきたような写真も、いまは失敗ではなくリアリティのある写真の中の一部」と思えるようになった。だから、多少ボケたり画角が水平じゃなくても気にならないし、精巧に撮れ過ぎる写真は求めてもいない。そうなると、必然的にシンプルな機械式カメラたちがメインになってくるんだよね。

きょうも雪の中をLeica IIIaを持って少しスナップしてきたけど、ファインダーなんてそれほど当てにならないから、少し絞り気味でピントが合う距離を稼いだら、もうシャッターを押すだけの感覚でどんどん撮れる。そうなると、電池を使わない分、とてもシンプルな写真撮影を楽しむことができる。この先、所有カメラがさらに増えるかどうかはわからないけど、この機械式カメラがメインであることだけは変わらないような気がする。そのためにはフィルムがずっと生き続けることと、クラシックなカメラの修理職人さんらが継承され続けることが頼り。ずっと、この理想的なメインとサブの関係が長続きすればいいな、と思う。