ストリートスナップにはマイクロフォーサーズがあるよ。


Olympus PEN-F, M.Zuiko digital 12/2

ストリートに出てスナップを撮ると、どこか心落ち着く。雑踏にまぎれてシャッターを切り続けてると、なんというか街を浮遊している感じがして実に気持ちがいいんだ。それも、夜がいい。最高なのは雨あがりの路面が少し鏡面化したストリートが最高だ。いつもの街が、道が、少しだけ違う表情をみせる、路面が乾くまでの束の間の時間。それがたまらない。

僕が撮るストリートはたいてい福岡の街か東京の街。ふたつの街には適度に違いがあって、それも僕を飽きさせない。福岡の街はとにかく温かい。人情みたいなものが浮遊している街。どんな風に撮ってもどこかまろやかな空気をはらんでる。一方、東京の街は、どこまでいっても冷たさを感じる。それは嫌な意味じゃなくてクールという意味で。まわりを行き交う人たちが徹底的に他人に感じるあの空気感が、時に激しく心地よかったりする。

そんな街の空気を感じながらスナップを撮るには、とにかく視覚や臭覚に集中できるカメラがいい。いい意味で存在感の希薄なカメラ。僕の場合はマイクロフォーサーズだ。とにかく軽く、薄く、小さくて、僕の手の中で必要以上に主張しない。背面モニターは閉じて、ファインダーすら見ずに、目の前の光景を肉眼で感じ、スパッスパッと辺りを切り取っていく感覚。こんな撮り方の場合、オートフォーカスは実にスムーズで気持ちいい。そう、マイクロフォーサーズは街中で姿を消し、視界の先のストリートを眺め歩くことに集中できるんだ。

肉眼で眺め、その街の匂いを感じながら徘徊するのは実に楽しい。そうして街の鼓動を感じながら撮り歩くと、街の素顔みたいなものが見えてくる感じがしてね。そういう感覚を僕に気づかせてくれたカメラとしては、RICOH GRがあり、Leica M-P typ240があり、フィルムライカがあり、Bessa-Lがあったりするが、最高にストリート向きなのはPEN-Fであると最近、実感する。ひらりひらりと軽い羽のようなマイクロフォーサーズと浮遊する夜のひととき。最高である、ほんとうに。


PEN-Fの最高のデザインは、シャッターフィールかもしれない。


Olympus PEN-F, M.Zuiko digital ED 12/2

僕がなぜここまでPEN-Fに惹かれるかというと、そのなんとも言えないシャッターフィールの気持ちよさにある。PEN-Fはその美しく力強いボディ以上に、シャッターフィールが最上レベルでデザインされているんじゃないかと思うのである。

僕がPEN-Fを激しく意識し始めたきっかけは、お店でたまたま手にとってみた時のシャッターを切った時の感動にある。「え?何、この気持ちよさ?」と本当にゾクッとしたのを覚えている。PEN-Fのボディデザインまで気になり始めたのはその後のことで、最初に僕がやられたデザインはそのシャッターフィールの作り込みだったのである。

このシャッターフィールの気持ちよさは、街中のスナップでさらに磨きがかかる。ジッ!と絶妙のスピード、感触、音でシャッターが切れていく様はスナップにとても心地いいリズムを与える。PEN-Fの設計者は、かつてのフィルム機のPEN-FのオマージュとしてこのデジタルPEN-Fに最高のデザイン性を持ち込んだと思うけど、素晴らしいのはシャッターフィールを含むすべての「感触」にまで徹底的にこだわったことであろう。この五感に訴える領域すべてにこだわったであろう感覚は、Nikon F6の設計に値するんじゃないかと思えるレベルだ。F6ユーザーでもある僕にはそう思えてならない。

エモーショナル性は主観でもある。僕がいいと思う感覚がすべての人にとってたまらない感覚かどうかは分からないが、このPEN-Fというカメラをボディのデザイン性だけで見ているとしたらそれはいい意味で大きく裏切られる。街中で手ブレを一切気にすることなく、ファインダーも手に入れながら最高のリズムでスナップできるコンパクトな本格的カメラは実はそう多くない。しかも、撮り手にシャッターフィールという最高のリズムを与えてくれるPEN-F。明日からまた一週間、仕事の日々が始まるわけだけど、鞄の中にこのPEN-Fを忍ばせて過ごすと思うと、平日五日間もなかなか楽しみだったりする。そういう気持ちを持ち上げてくれる性能こそが、このPEN-Fの最上の魅力なのかもしれない。


そして、急かされる毎日をフィルムカメラでチューニングする。


Nikon F2, Leica M3, Fujifilm業務用100

とにかく毎日が猛スピードだ。デジタル時代は日々おびただしい数の新商品や新サービス、新ビジネスを生み出して、非効率なかつてのあらゆる手法は容赦なく過去のものにされていく。僕が幼かった頃からは格段に便利になったんだろうけど、幸福になったかどうかは分からない。

そんな猛スピードの時代の中を生きる僕たちは、きっとどこか無理をしているだろう。なんとか騙し騙し生きてるけど、たぶんこのスピード社会には人間は本来適応できるようにはできていないと思う。だから、チューニングがいる。癒しを人々が求めるのはそういうことであろうと思う。そして、僕はそれをフィルムカメラで行なっているのかもしれない。

フィルムカメラを使う時は、時間の流れ方が急激に緩やかになる。それは面倒くさいとかそういう種類のものではなく、ほどよく僕らをスローにさせる。手ざわり、手ごたえ、音、匂い、すべてが人間的だ。機械なんだけど人間的、とても不思議な感触かもしれない。数十年前にはハイテクであったろう機械たちが、今はとても人間的。もしかしたら、現代のハイテク機械たちも、数十年後には人間的と思える日が来るのだろうか。それは分からないけど、僕はフィルムカメラをたまに手にとることで、人間を取り戻す。


秋の終わりの散歩カメラ。Nikon Df × 50/1.4D〈20枚〉


Nikon Df, 50/1.4D

11月も中旬になり、秋もそろそろ終盤なので、今朝は少し多めに写真を載せておこうと思う。2018年、秋の終わりの散歩カメラであり、記憶カメラ。

Nikon Df, 50/1.4D

愛犬とともに連れ出したのは、Nikon DfとAi AF 50/1.4D。愛犬との散歩にはAFが便利だけど、少しオールドレンズな気分を味わいたかったから、いつものGレンズからDレンズへ付け替えた。

Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D

世の中はフルサイズミラーレスがちょっとしたブームで賑わっているけど、このNikon Dfはニコンのフルサイズ機では最軽量コンパクト機で、外に持ち出すのにも苦にならない。ゆっくり撮り歩くにはもってこいの一眼レフ機かもしれない。

Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D

Dfといえばそのクラシカルなデザインに目がいきがちだけど、センサーはフラッグシップ機D4と同じもので実にゆとりがあり、シャッターフィールもスパッと決まり実に気持ちいい。まあ特殊なジャンルのカメラだけにメジャーなカメラではないけど、フィルムライクに撮りたいひとにはなかなか魅力的な一台だ。

Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D

レンズは、僕はきょうはAFも効くDレンズを選んだけど、同じくAFの現行Gレンズから、オールドニッコールであるMFのAiレンズや非AiレンズまでほぼすべてのニコンFマウントレンズを装着することができる。愛犬と一緒じゃない時は両手が使えるから、MFレンズをつけてフィルムライクな撮影を僕は楽しんでいる。

Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D

Nikon Dfは見た目はクラシカルだけど現行モデルだから、もちろん現行の標準ズームや望遠レンズも楽しめる。息子のスポーツ行事なんかは望遠シューティングカメラに早変わりだ。そういう意味では、これ一台と数本のレンズがあればカメラライフは十分すぎるくらい満たされるのかもしれない。

Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D
Nikon Df, 50/1.4D

所有カメラが増えるたびに、すべてを使いきれないのと買い替え予算のために何度かDfの売却を考えたこともあるんだけど、こうして使い心地や使い勝手のよさを考えるとなかなか手放せないでいる。ニコンとしてもどうやら後継機は出そうにないし、このまま現行モデルとして生き続けるなら、ずっと所有し続けるのもアリかなとか考えている。そう考えるとほんと独特のポジショニングのカメラだなと思う。最後に手元に残すカメラ選び、まだまだ悩みそうだ。


ピントは大事たけど、絶対じゃない。


Leica M-P Typ240, Summilux 50/1.4 2nd

まあ言い訳ととってもらっても問題ないわけだけど笑。でも、MFで絞り開放で焦点距離50mmとなると、ピントをはずすことはままあるわけで、できればピントは研ぎ澄ましたいと思うけど、それを必要以上に気にしてたらズミルックスでスナップなんか撮れないわけである。僕の場合。

この写真は夜スナップ始めた頃の写真なんで、意図せず盛大にピンボケしてるわけだけど、その描写の揺れみたいなものはAF撮影には無い楽しみでもあり、僕は嫌いじゃない。さすがに今ではこの頃より目測でピントを合わせる感覚は多少身についた気がするけど、スナップ写真の楽しみに意外性という項目があるとするなら、案外この頃のほうがスナップをピュアに楽しめていたのかもしれない。

僕の最近の街撮りスナップはマイクロフォーサーズのOlympus PEN-Fで撮ることが多いけど、AF性能とボディ内手ぶれ補正が強力だから、こうしてブレた写真が撮れる確率はほぼゼロになった。それは構図に集中できるとも言えるけど、意外性という点でいえばMFによるスナップシューティングはやはり魅力だと思う。街中を撮り歩いても汗を気にしなくていい季節になってきたから、そろそろLeica M-Pとズミルックスを街撮りスナップに連れ出そうかな。正確さとは異なるスナップの快楽を求めて。


ズミルックスだけは開放にかぎる。


Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ズミルックスはライカのレンズの中で最も明るい部類に入るレンズ。僕が使っているのはMマウントの50mm f/1.4 第二世代〈2nd〉と呼ばれるもので、ふだんはM型デジタルのLeica M-P typ240に装着していることが多い。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

Mマウントだから僕が持っているフィルムライカのM3にも装着できるわけだけど、それはもうほんと夜のフィルム撮影でどうしても失敗したくない時に持ち出す程度の頻度で、ふだん大体はデジタルのM-Pに付けっ放しにしている。なぜかといえば、やはりこのレンズだけは「開放で撮りたい」と思っているからだ。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

フィルムライカだと僕はシャッタースピードは1/500までしか使わないから、晴れた日だとある程度レンズのf値は絞ることになる。それと比べるとシャッタースピードが1/4000まで稼げるM型デジタルのほうが格段にレンズの絞りを開けることができる。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ズミルックスの語源はまさに「最高の光」。ライカのレンズの描写といえば落ち着いたトーンのものが多い中で、このズミルックスだけは独特の華やぎを持っていると僕は思っていて、その世界を引き出すにはなんといってもf1.4の開放付近で撮ってやりたいと思うのである。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ひとによっては「ズミルックスの開放付近は暴れすぎる」とも言われ、何段か絞ったほうが玄人好みなのかもしれないけど、僕はなんといってもズミルックスだけは開放付近が好き。できれば開放f1.4で撮りたいというこだわりすらある。だから、比較的絞りを開けやすい朝夕の時間帯に好んで持ち出すことが多い。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

たしかに「暴れる」という見方はあるくらい、開放ズミルックスの写す世界は独特だ。ちょっとアメージングなくらいのもので、力強い描写のズミクロンや端正なエルマーとも違う、ズミルックスだけの光の世界がそこには存在する。僕はそう思っている。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

f1.4ともなると相当ボケるから、一般的にはたしかにボケすぎてちょっと気持ちが悪いレンズも少なくないけど、このズミルックスだけはそれが気にならないというか、ボケすぎるくらいボケても破綻しない不思議な描写をする。それはもしかしたら第2世代のズミルックス50が醸し出す世界なのかもしれないけど、この世界を一度味わったらなかなかやみつきになって、ひとはズミルックスから離れられなくなる。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

そう、このレンズは魔性のレンズでもあるんだ。デジタルで撮るとそれでもクリアすぎてクラクラするような描写をみせたりするけど、フィルム開放付近だとそれもマイルドになって、やはりフィルム時代に生まれたレンズだと思わせる相性の良さが感じられる。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

けれど、僕はフィルムのマイルドさをまとっていない、デジタルで撮る時の剥き出しで裸のズミルックスが好きかな。デジタルで撮ることを想定していない時代に作られたレンズがデジタルによって現代のセンサーと混ざり合い、化学変化を起こしたようなこの描写にゾクゾクとするのである。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ここにあげた写真はどれも自然の中のスナップだけど、スナップシューターが代名詞とも言っていいライカだから、もちろん開放ズミルックスは街中でもとても魅力的な威力を発揮する。それはカラーだけじゃなく、モノクロでもちょっと脳が揺らされるようなハッとする写真を創り出す。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ここにあげた写真はどれもすべてズミルックス開放で撮ったもの。まあ僕の腕前はともかくとして、ズミルックスというレンズの開放の独特の世界がなにかしら伝わるのではないかと思う。このレンズは決して安くはない。フィルムライカのM3の程度の良いものが余裕で買えてしまう価格で売られていたりする。価格の割高さでみればズミクロンやエルマーのほうがはるかにコスパはいいけど、この開放の素晴らしさは「ズミルックスだけの特権」なのかもしれない。それほど別物の世界がそこにはある。


写真撮りたい派というより、シャッター切りたい派だから。


Olympus PEN-F, M.Zuiko digital 12/2

誤解を恐れずにいえば、僕の場合はそうだ。僕は「写真を撮る」とか「記録を残す」という以上に「シャッターを切る」という行為が好きなんだ。それをじぶんでも自覚するのは、家の近所の散歩写真を懲りずに撮っていることもそう。愛犬との散歩の時の光景なんか、いつもの見慣れた風景だし、さして毎回撮るほどのものではない。けれど、いつも僕はなんらかのカメラを持って出かけてはシャッターを切る。

しいていえば毎回、写真の実験を楽しんでるようなところはある。カメラやレンズを替えるのはもちろん、ISO感度を変えたり、ホワイトバランスを変えたり、露出をいじったり、光と影をつかまえる角度を変えたり。それで、いつもとどんな風に異なる写真が撮れるんだろうとゲームのように探求してるところはある。けれど、それもこれも大元は「シャッターを切りたい」という欲求があるからで、その光景を写真に収めておきたいというものとは少し異なる。

かといって、別にカメラやレンズをコレクションしてるつもりもないので、カメラ好きかと言われればまあそうではあるけど、それを上回るのが「シャッターを切ることが好き」ということであって、カメラやレンズがある程度増えるのは、「それぞれのシャッターが切れる感触」を確かめたくて、実際に手にして日々実感してるような毎日なんだ。変かな、でも、これが割とリアリティのある僕とカメラの向き合い方。それでたまたまいい写真が撮れたら、それは追加のご褒美みたいなもので、そういう意味で撮れる写真を楽しんでるとこある。この話はもう少し書けそうだけど、続きはまた追い追いということで。


「オリンパスのひと」というのもクリエーションを感じる。


OLYMPUS PEN-F, M.Zuiko digital 12/2

考えてみると、僕の手元にはいつのまにかオリンパス機が3台ある。同じブランドのカメラが3台なんて大したことない数かもしれないけど、ニコンとライカ中心だった僕のカメラ生活からすれば、まったく想定していなかったシナリオと言っていい。

最初のオリンパスはたしかハーフサイズのフィルム機 PEN-EE2だった。そのキュートな佇まいにお店で目があって思わず持ち帰った。ハーフサイズのカメラを持っていなかったこともあり、これは入手の動機としてはまあアリだと思う。

問題は(笑)その次に手に入れたフィルム一眼レフのOM-1Nかな。これはじぶんてもまったく想定外だった。だって一眼レフはニコン機たちが十分あるし、少し前にペンタックスSPもひょんなことから入手していたから、どう考えてもラインナップ的には必要ない。けれど、恋に落ちたんだなあ、オリンパスの端正さに。コンパクトで精巧なそのつくり、そしてPEN-EE2で魅せられつつあったズイコーの写りのせいだと思う。

そして、その先にデジタルPEN-Fがいた。このPEN-F購入の経緯は少し前のブログに書いたけど、まあでもこの先に手に入れた2台のオリンパス機の影響はやっぱり布石になったと思うし、なんというか「オリンパスの姿勢、オリンパスカメラのめざす道」みたいなものに共感したんだろうな、と思う。

オリンパスのカメラは、ニコンやキヤノンといったメジャーブランドと比べると、同じ方向を追いかけても勝ち目はないから、独自の道を導き出し、独自のファンをつくろうとしていると思える。決して大人数ではないかもしれないけど、少数でも濃いファンをつくろうとする姿勢とでも言えばいいだろうか。そこに僕はクリエーション感をビンビンに感じるんだろうと思う。ちょっと不利なツールで巨人たちを凌駕する快感みたいなものと言ってもいい。

実際、Twitterの中を見ても、オリンパスユーザーはやはり少数派に思えるし、デジタルPEN-Fユーザーに至ってはほとんど見かけない笑。でも、だからね、僕がその稀少なユーザーの一人としてこのPEN-Fでありオリンパス機を宣伝しなきゃと妙に使命感もあるんだよね。フィルム時代のオリンパス機はもっとメジャーな印象あるかな。それでもクリエーション感は変わらない。独特の存在感を放つカメラたち。そうだな、「オリンパスのひと」になるというのもいいな。それ自体が創造性がある、うん。


「コンデジ」より「スナップシューター」って呼称のほうが良くね?


Leica X2, 固定レンズ Elmarit 24/2.8 ASPH

この写真のカメラはLeica X2だけど、X2のことじゃなくて「コンデジ」と呼ばれる小型カメラ全般についての話なんだけどね。たしかに「コンパクトデジタルカメラ=コンデジ」で合ってはいるんだけど、これサイズのことしか言ってなくて「何に適したカメラか」ということは言っていないんだよね。だから単純にコンデジって聞くと少しチープなカメラを連想するんだけど、現代のコンデジはチープなんかじゃまったく無くて、むしろ高性能なハイテクカメラ機能をギュッと小型に凝縮した、最もクールなカメラと言うことができるんじゃないかと。そのほうが性能の素晴らしさにフィットしてるなと、ふと思った。

つまり、コンデジじゃなくて、例えば「スナップシューター」と呼んでみるとかね。実際、僕が持っているコンデジと呼ばれるカメラはRICOH GRとLeica X2なんたけど、スナップシューティングという使い勝手や性能でいえば、世の中のあらゆるカメラを凌駕する魅力に満ちている。一昨日、マイクロフォーサーズのPEN-Fの軽量コンパクトな魅力をブログに書いたけど、スナップの持ち出しやすさにかぎっていえば、それをさらに凌駕するのがこの二台の「スナップシューター」なんだ。

とにかく小さい、そして軽い。ついでに言えばファインダーが無い分、突起も少なくて、鞄の中やポケットの中にもするりと収まる。ちなみに僕はきょう出張に出ているんだけど、相棒はこのLeica X2だ。僕の平日の友となった小型のPEN-Fも、さすがに出張先に持ち出すには少し大きいし、何より路上をガタガタと転がして移動するキャリーバッグの中に詰めるには精密機械すぎて気がひける。その点、Leica X2やRICOH GRならもっと無造作にバックの中に入れられるラフさとタフさがある気がする。

そして、GRもX2も当然オートフォーカスだから、街中でサッと構えてヒュンヒュン撮れる。ファインダーはないし、背面モニターも決して見やすいものではないけど、AFが効いている安心感でけっこう乱暴に撮っても後から見るときちんと撮れていたりする。それもそのはずでGRもC2も小型なんだけどセンサーはAPS-Cと贅沢だ。絞り開放付近で撮ればボケのあるスナップもしっかり撮れる。写りの感覚的には一眼レフを持ち歩いているレベルにあるわけだ。一眼レフのサブカメラとして高性能なコンデジと呼ばれるカメラを所有している人も多いと思う。でも、サブにしとくにはもったいない性能が、ことストリートにおいてはあるんだよね、このカメラたちはね。

僕は以前、デジイチなんかを一斉に手放してカメラをGR一台だけにして過ごした時期がある。物足りなくない?と言われそうだけど、これがまったくジレンマはなかった。とにかく身軽で、どこに行くにもGRが一緒で、僕の中にスナップのカタチみたいなものがあるとするなら、それはGRだけで撮りまくった時期に出来上がったものだとさえ思う。ノーファインダーな撮影、縦位置に構える撮り方、モノクロスナップの覚醒、広角スナップの画角感覚、どれをとってもGRがその魅力を気づかせてくれたし、M型ライカにハマりつつもこうしてコンデジのX2をさらに手に入れようと思ったのは、それがコンデジなんじゃなくて「スナップシューター」だったからだ。

世の中の進化がこれだけ「大きかったものが、ハイスペックかつコンパクトになる」という方向にあって、カメラについては何か大きなもののほうが本格的であったり高性能という風潮がまだどこかあるけど、昨今のフルサイズミラーレス時代の到来で、ようやく高性能=コンパクトという流れに向かいつつある気がする。ミラーレスといってもフルサイズならば一眼レフよりは小さいものの、まだまだスナップシューターとしては大きい。むしろ、もっと小さなミラーレス本来の魅力であるマイクロフォーサーズやスナップシューター(コンデジ)たちに日が当たっていると感じるのは僕だけだろうか。なんというか「時代がようやく追いついてきた」という感覚が、スナップシューター(僕にとってはマイクロフォーサーズやコンデジと呼ばれるカメラたち)にはぷんぷん感じるんだよね。そろそろ、センサーのサイズなんかでジャンル分けするのをやめて、使われ方性能でカメラたちを呼び始めたほうがいいんじゃないかな。


ほんの僅かにだけど、ブラックペイントが剥がれてきたのがうれしい。


Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕がM型デジタルの中でM-P typ240を選んだのは、街中でスナップを撮るのにとにかく目立たないフォルムがいいと思ったことが大きい。いや、すべてかもしれない。ライカブランドの証である赤バッジを廃した真っ黒の正面デザインはそれほどまでに重要だ。けれど、もうひとつ大きな要因がある。それが「ブラックペイント」であること。

いわゆるブラッククロームとブラックペイントは違う。ブラックペイントはまさしく「塗り」で、昔のフィルムライカのように真鍮のボディに黒色のペイントが施されている。つまり、どんどん使い古していけば往年のフィルムライカ機のようにやがてペイントが自然と剥がれ、内側から真鍮の地肌が見えてくる。これをじぶんの手でやってみたかった。

とはいえ、現代のブラックペイントだからか、革ケースも何も使わないようにしているのになかなかペイントは丈夫で剥がれてくれない。かといって無理やりペイントが剥がれるような荒い使い方も何か反則技のようでやりたくない。これはもう相当気長に付き合っていくしかないと思っていたんだけど、ここにきてようやく、たった二箇所だけど針穴ほどの小さな部分ではあるけど、ペイントが剥がれ黄金色の真鍮が見えてきたんだ。右手親指の背面グリップの部分と、軍艦部左上の丸くラウンドした角の部分。ほんとに極々小さな黄金色の埃のように見える点ではあるんだけど。

けれど、一度剥がれ出すとそこから剥がれやすさが増していくんじゃないかという期待感はある。こうなってくると単に造形を眺めて楽しむだけでなく、ブラックペイントの剥がれ具合を日々確かめる楽しみができる。僕の場合は古いカメラやレンズの少しやれたヴィンテージ感が好きだし、できればカメラやレンズは古びて見えたほうがかっこいいと思っている。新しいカメラが欲しいというより、いい感じにくたびれた、使い込まれたカメラが欲しい。それもできればじぶんが使い込んだうえでできあがるヴィンテージ感が理想だ。それがほんの、ほんの僅かではあるけど見えてきた。これがたまらずうれしい。

まあ、使い込まれたブラックペイントのクールなフィルムライカと比べるとなんとも綺麗すぎてまだ小っ恥ずかしいのだけど、それでもじぶんがブラックペイントを剥がしたと思うとなかなか感慨深い。ここからどんな風に剥がれ方が進み、加速するのかどうかは分からない。けれど、大きな大きな日々の楽しみがひとつ増えた感じ。M型デジタルもどんどん新しいタイプが発表され続けてるわけだけど、この「ブラックペイントを剥がす」という楽しみにおいては、新登場のライカたちに目が向くこともなく、財政的にもうれしいポイントになっている。

M-Pの鼻先にはオールドレンズ たちが装着されてるんだけど、その年輪と同じような佇まいになったらそれはそれはたまらないと思う。あと何年かかるか分からないし、その時このtyp240が現役で使えるカメラかどうかも分からないけど、僕はとことんこのM-Pを使い倒し、いい年のとり方をしたブラックペイントボディに磨き上げていけたらなと思う。手に吸い付くような相棒になるまで。