デジタルよりフィルムがいいというわけじゃないけど、今しか撮れないという儚さはやっぱりある。

Konica C35, 38/2.8, Fuji業務用100

僕は今となってはフィルム派というわけじゃない。デジイチでも撮るし、撮影頻度でいえばNikon Dfで撮ることの方が多いかもしれない。でも、なるべくフィルムで撮ろうとしてるし、こうしてブログやSNSを通じてフィルムのおもしろさをひとりでも多くの人に伝えようと思うのは、

フィルムが今しか撮れないものだから。

正確に言うと、フィルムはなんだかんだで未来まで生き残るかもしれない。それはそれで嬉しいけど、年々シュリンクしていく様子を考えると、このままいけばどうだろう、あと数年、いや十数年くらいの命かもしれない。僕が期待するのはライカの存在で、フィルムライカがあるかぎり、この世からフィルムが無くなることはライカが許さないというか、そういう淡い期待もあるわけだけど、普通に考えたらフィルムの命はそう長くないと考えるほうが無難だろう。

ということは、つまり、この時代を生きている僕らは、デジタルの恩恵を最大限享受しながら、同時にフィルムを体験できる貴重な世代というか、フィルムが使える最後の数十年を生きているのかもしれない。であるなら、このフィルムという写真のルーツをやっぱり体験しておいたほうがいい、そう思うところがどこかあるんだ。フィルムカメラも然り。カメラがこれだけエレクトロニクスでハイテク化しても、その原型はフィルムカメラの構造から。カメラというプロダクトのポテンシャルをはかる意味でも、まだ使えるうちはフィルムカメラも体験しておいたほうがいいと。

フィルムで撮った写真には独特の風合いや趣があると言われるけど、僕はあれ、命が短いものに感じる儚さみたいなところもあると思う。ノスタルジックさは、単に質感の話ではなく、過ぎ去るものへの郷愁でもあるよね、やはり。僕はこれからデジタルの可能性みたいなものもすごく期待してるけど、同時にフィルムがなんとかして撮れる間は、フィルムカメラでも撮り続けたいなと考えている。今後、なんらかのかたちでフィルムが生き延びていけばそれはそれで儲けもん。でも、無くなることを前提というか覚悟して、意を決して撮るというのもどこかある。あいかわらずフィルムコストとのせめぎ合いは続くけど、そこのところはフィルムが無くなるのが先か、僕がフィルムについていけなくなるのが先か、根比べだね。でも、デジタルで撮りつつも、たまにフィルムで渇きを癒す、そんな日々がこれからも続くといいな。

3度目のリバーサル現像は、紅葉だった。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

修理に出していたF6が紅葉に間に合う時期にNikon社から帰ってきたんで、愛犬との散歩がてら、初めてふだんの散歩カメラにリバーサルフィルムで出かけてみた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

リバーサル現像はこれで3度目なんだけど、これまで2回はせっかくのリバーサルフィルムだからと少し車で遠出して撮影してきたんだけど、今回はふだん使いでリバーサルを試したくて、週末のいつもの散歩コースで撮ってみた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

リバーサルフィルムはFUJIのVelvia100。前回、Provia100F、Velvia50、Velvia100と3種類のリバーサルフィルムを試してみたんだけど、それぞれ良さはあったものの、美しさと使いやすさのバランスが最もとれていたのがVelvia100だったんで、数本買い置きしておいたものだ。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

なんてことないふだんの散歩道での撮影だったから、これまで感動してきたようなリバーサルらしい仕上がりが楽しめるかどうか少し不安もあったんだけど、そんな心配は杞憂というか、僕の腕前は置いといて、今回もリバーサルフィルムは僕に軽い衝撃をもたらしてくれた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

まあ、なにより紅葉とリバーサルフィルムの相性がいいんだろうね。あまりの紅葉の美しさに、愛犬のほうのピントはまったくきていなかったりしてるわけだけど笑、フィルム好きな人たちがよく言う、紅葉はリバーサルフィルムでおさえたいというニュアンスが少しわかった気がする。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

少し暗めのシチュエーションでは露出調整をもう少し明るくしたほうがいいなとか、まだまだリバーサルフィルムのコツみたいなものはつかめていなかったりするけど、それでも撮った本人的には十分満足できる写りで、そのあたりはAF機のNikon F6のおかげかなと思う。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

あとは、レンズはAF 50/1.4Dだったんだけど、本当はもう少し絞ったほうがいいんだろうけど、僕はレンズのクセを楽しみたいんで、今回も開放気味でほとんどの写真を撮り、少しだけこのレンズとリバーサルフィルムの相性みたいなものも感じとることができたように思う。

それにしても、ふだんの散歩道でもリバーサルフィルムは十分魅力的に使えることがわかって、んー、これはまたコストのかさむ世界に突入してしまったなというなんとも言えない複雑な気分なわけだけど笑、ネガフィルムに比べたら僕はまだまだリバーサルフィルムの撮影量は圧倒的に足りないから、そこはもったいぶらず、こうしてたまにふだん使いにもリバーサルフィルムを持ち出しやろうと小さな決心をした2017晩秋となった。リバーサルフィルム、やっぱりこいつは魔性のフィルムだ。

撮りたいものがなくても、撮る。上手く言えないけど。

Konica C35, 38/2.8, Fuji業務用100

これはニュアンスちょっとむずかしいんだけど。撮りたくないものを撮る、という意味じゃないよ。特に明確に撮りたいものがない時でも、カメラを持ち出して辺りを撮れば、それはけっこう楽しかったり、気持ちよかったりするよ、という意味。まあ、僕はこればかりなんだけど笑。

朝起きて、さあ今日はあそこを撮りに行こうとか、家族と出かける一日を撮るぞとか、明確に撮りたいものがある時はもちろん撮り甲斐もあって痛快なわけだけど、カメラの凄いところは仮に撮りたいものなんてなくても、カメラを持ち歩いてとにかく撮れば何かが見えてくること。代わり映えのしないいつもの景色がファインダー越しにはやけに新鮮に見えたり、少しだけ遠回りして反対側から見た景色がなかなかフォトジェニックだったり、景色が同じでも好みの光がさす時間帯を発見したり。だから、僕はほぼいつもカメラを持ち歩く。撮りたいものなんかなくても。

作品なんかじゃないからかな、僕の撮る写真は。シャッターを切ることが好きで撮ってたりもするし、そもそも息子の姿を撮りたいとカメラを手にしたから誰に見せるわけでもないし、写真の多くはブログを書くために撮ってるところもあるし、つまりほんとふつうの記憶のカメラなんだ。それでもニヤリとする楽しさを提供してくれるカメラっていうのは実に偉大だなあと思う。まあ、そんな自己流ばかりじゃダメだろうと、最近は昔の偉大な写真家たちの写真を眺めたりもしてるんだけど、特にじぶんの撮る写真に変化があるとは思えない笑。撮りたいものがなくて、とりたてて腕前も上達してるわけでもないのに、それでも撮りたい気持ちだけはある。不思議だよなあ、カメラってものは。

フィルムなら、辺りに漂う光をすくい取ってくれる。

Nikon F6, 50/1.4D

フィルムは暗所に弱いから、暗所を撮る時はデジタルで…みたいな思いが僕の中にもどこかあったんだけど、最近は少し違ってきた。技術的なことは詳しくないので感覚的なことで恐縮だけど、フィルムのほうが僅かな光をうまく捉えてくれる気がするんだ。捉えるというより、光をすくい取ってくれるという表現のほうが近い。デジタルだと逆光気味だと黒つぶれしやすいシチュエーションでも、フィルムだと周囲の光を集めて黒つぶれしないように辺りを照らしてくれる、そんな感じ。

フィルムって、そういう意味では全然脆くないというか、逆に頼もしいなと最近すごく思う。フィルムは昔の技術のものでデジタルは最新の技術と捉えると、なにやらフィルムがデジタルより劣ってるみたいに思いがちだけど、そういう単純な比較や優劣はあまり意味がないというか、フィルムとデジタルは異なるもので双方にそれぞれ良さがあるものなんだよね。フィルムはその風合いばかりが取り上げられがちだけど、このフィルムの性質のよさみたいなものにももっとスポットがあたればいいなと思う。

ネガフィルムはラティチュードが広くて、少々の露出間違いでも大きな包容力で写真を仕上げてくれることも、フィルムの頼もしさや強さみたいなものを表しているかもしれないね。僕も機械式カメラを持ち始めた頃は一枚一枚に露出計アプリをかざしていたけど、フィルムのそのアバウトさを受け止めてくれる偉大さに気がついてからは、ほぼ露出計なしで勘で撮っている。でも、ほぼきちんと撮れてるから僕の体感露出の精度も多少は上がっているのかもしれないけどね。フィルムを始める前はあれだけ露出を計って撮るなんて面倒そうと感じていたのがほんと嘘のよう。フィルムと対峙するというより、フィルムと遊び戯れる、そんな感覚が今ではとても楽しい。フィルム未経験の人はぜひそのフィルムのおおらかさみたいなものを感じてみてほしい。たまらない何かがあるよ。

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フィルムを食べ残さないことについて。

Nikon F6, 50/1.4D。撮影はiPhone

「フィルム」「食べ残さない」…何のこっちゃ?という感じなんだけど、今朝ふと思ったのでブログに記憶を。僕は以前ブログでこんなことを書いた。

「フィルムを無理に使い切らないで、カメラの中に残しておこうと思う」

で、しばらくそんなカメラ生活を続けていたんだけど、昨日かな、チョートクカメラ日記を読んでたら、田中長徳さんが「フィルムは毎回使い切ったほうがいい」と書かれていたのを目にする。チョートクさん的には当たり前に、フィルムを入れっぱなしにして何台かのカメラをローテーションしていたら、もうどれが何を撮ったものか分からなくなるし、それだと現像した際に夏の写真とクリスマスの写真がいっしょになっちゃったりして風情もない…的なことを書かれてたのかな。で、だよなあとこれまた当たり前に反応して、今朝愛犬との散歩カメラに連れ出したF6のフィルムを、散歩が終わる頃にちょうど24枚使い切るように撮っていたところである。

この24枚撮りきるまでをどこか想像しながら撮り歩く感じ、何かに似てるなあと思ったんだけど、それが「白ごはんとおかずをちょうど食べきる、あの調節具合」に似てるなあと思ったわけ。変かな?笑、僕だけかな、こんなこと考えるの?笑笑。でもまあ、なんかゲーム感覚みたいで、「ちょうど使い切る」というのは、なかなかおもしろい要素だと思った。無理やり使い切るというのはアレだけど、そこまでは無理しないんだけど、使い切ることを念頭に撮り歩くと、一枚一枚の被写体選びみたいなものも少し変わってくる。ごはんもフィルムもきれいに食べ残さないほうが気持ちいい、そんなお話です。

フィルムはコストがかかるから、そのあたりの「一枚一枚を無駄にせず撮る」という感覚はやっぱり大事だし、それはちょっとお米を一粒一粒大事にする感覚と似ている。僕が今朝使ったフィルムはFuji業務用100の24枚撮りで一本¥200、現像代とデータ化代を足すと、一本¥1,300くらいだから、フィルム一枚あたりの撮影コストは¥54円くらい。意外と安いとも言えるけど、チリも積もれば何とやらで、できれば大切に使いたい。そんな感覚が僕の中で「ごはん同様、フィルムも食べ残さないことが大切」みたいに思った、そんな日曜日の朝です。

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思い出はあやふやなとこあるから、写真が存在する。

Konica C35, 38/2.8, Fuji業務用100

いまApple Musicがおすすめしてくるずいぶんと懐かしい時代のナンバーを聴いていてふと思ったんだけど、音楽って思い出の道しるべみたいなところがあって、その当時聴いていた音楽でかなり鮮明に蘇るんだよね、当時の思い出たちが。

写真もそういうとこあるよね。写真はアートの側面もあるけど、そこはやっぱり記録であり記憶を封じ込めるもの。幼い頃の写真とか、若い頃の写真、子どもが小さい頃の写真なんかは、でっきるだけたくさんあったほうがいいよね。写真がたくさんあるっていうのは、思い出がたくさんあるということに割と直結する。写真を眺めてると、もうその当時のことが音楽以上にドバドバと脳に流れ込んでくるから。

にんげんの脳は優秀だから、ていねいに紐解いていけばかなりの記憶へたどり着けるけど、写真があればその速度は何倍も何十倍も速くなる。いま、この瞬間のことでいえば、僕は写真を眺めながら当時の音楽なんかも聴いてるから、もうドバドバだよね笑。だからさ、カメラは若ければ若いほど始めといたほうがいい。コストはかかるけど、写真をたっくさん撮っておけば、後にとんでもない宝物になるから。カメラの価値は、その宝物をつくる道具というところにあるんだよね、本当は。

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カメラが故障したら、それはより長生きさせるチャンスかもしれない。

Konica C35とRICOH GR

大事にしているカメラがある日突然、故障などしてしまうとものすごく落ち込んで悲しい気持ちになる。僕もそうだった。過去の故障歴でいうと、Nikon D5300、Nikon D750、Nikon F2、Nikon F6、RICOH GR…こうやって挙げるとかなりの割合で故障してるなとも思う。でも、逆にいえばすべて故障から蘇って手元に帰ってきているとも言える。

すでに手放したD5300とD750は除いて、その他のカメラはすべて修理後に元気に使えていて、当たり前だけど故障直前よりは快調に使えてる気がする。F2も、F6も、GRも、リフレッシュして寿命がずいぶん伸びたんじゃないかというような爽快感があるんだ。F2は保証無しで買ったから修理代もかかったけど、F6とGRは保証期間内だったから修理代は0円だったし、そういう意味では保証期間内に壊れてくれたおかげで、無料で古びた部品をリフレッシュできた。そう考えると、カメラが故障した時は、直せない壊れ方なら致し方ないけど、直せる範囲であればむしろ寿命がのびるチャンスだとも言えるんだよね。そういう故障・修理経験を何度かしてきたから、今では故障はあまり深刻に落ち込まなくなった。

機械である以上、いつかは寿命はくるだろうけど、部品が存在しないとかでない以上、直せて使い続けられる可能性はけっこう高い。そういえば昨日かな、Nikonがメーカーとして部品交換を伴わないものであれば有償だけどマニュアル時代のカメラやレンズの点検を期間限定で受け付けると発表していた。僕がこのニュースを初めて目にした時、これこそ「Nikon 100周年の感謝事業」なのかなと思った。Nikonユーザーの中にはフィルムニコンからのファンが多い。つまり、今のニコン、これからのニコンを考えた時に、このマニュアルカメラ時代のカメラなら直せないことはないから、であれば感謝のしるしとして修理を受け付けてみようと心ある人たちが考えたんじゃないのかなって。カメラは手に入れた時も嬉しいけど、修理から帰ってきた時はもっと嬉しいようなところがあるよね。もう数年いっしょにいられるような「希望」みたいなものが得られる幸福感なんだろうね。まあ、あまりにも頻繁に故障するのはどうかと思うけど、こうして数年に一度故障を修理してリフレッシュする感じというのは、なかなか悪くないものなんだなあ。

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趣味でやるなら、カメラは機能より気分。

Nikon F6, 50/1.4D

カメラを始めて丸3年くらいになるのかな。その間にデジカメからフィルムカメラまで、コンパクトからレンジファインダー、一眼レフまでいろんなカメラに触ってきたけど、これからカメラを始めようとする人へ何か参考になる言葉があるとすれば、このタイトルにある言葉かなって思う。

「カメラは機能より気分」

機能はもちろんたいせつ。高機能なカメラであればあるほど、他のカメラでは撮れなかったものが撮れたり、所有する満足感は高まるかもしれないけど、僕らアマチュアの写真愛好家が楽しむということでいえば、正直そんなたくさんの機能は使いきれない。むしろほとんどの機能は使いきれないままの人のほうが多いんじゃないかな。僕は明らかにそうだな。

高感度で撮影ができるに越したことはないし、シャッタースピードが1/4000もあれば明るいレンズが使えるとかたしかにメリットはある。じゃあ、そんな機能がないといい写真は撮れないかというと、そんなレベルにないクラシックなカメラでみんなバンバンいい写真を撮ってるわけなんだよね。なんでもそうだけど、無きゃ無いで、無いなりに工夫して最善の方法を考えるし、その制約みたいなものがクリエイティブな発想を生み出す源泉になったりする。使いきれない機能を使う前からどうこう悩むよりは、機能なんか分からなくても直感で「このカメラで撮ると自分らしいだろうな」と思えるカメラを手に入れて、その限られた環境の中で試行錯誤しながら撮るほうが楽しいよなって。

カメラに撮らされるという意味ではないけど、にんげん、あるカメラを手にして撮りためていくと、そのカメラで撮れるクセみたいなものがだんだんわかってくるから、そのカメラで撮れるであろう可能性を無意識に探りながら撮るようになる。にんげんはものすごい適応力のある生き物なんだなって実感するわけだけど、そうやって制約の中から想像以上のモノを生み出すことは、最大の達成感だと思うんだよね。だってさ、100万円のカメラで撮られた写真より、一万円のカメラで撮られた写真のほうが明らかに素晴らしいとしたら、そんな痛快なことはないわけだからね。誰かと比べる必要はないけど、そういうことは人のモチベーションとしてはたいせつなことだと思う。

つまり、カメラやレンズなんてなんでもいい。正確にいうと機能なんてどうでもよくて、自分がビビっと感じたカメラ、自分の気分がノレるカメラの性能の範囲内で、試行錯誤しながら撮りまくる、感じまくることが何より大事で、心に健康的なことなんじゃないかな。だって、僕らはプロじゃなく、そういう自由が許されるアマチュアであり趣味人なわけだから。何台かカメラを所有してみて、そういうことを実感している今日この頃である。

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Nikon Dfを手に入れてから、カメラと向き合い方の幅が広がった。

Nikon F2とNikon Df

フィルムカメラに夢中になっていた最中に仲間入りしたデジタル一眼レフNikon Dfだけど、ほんと手に入れてよかったなと思ってる。僕の手持ちのカメラはフィルムカメラが多いけど、最初はそのフィルムカメラたちの隙間を埋める存在だったけど、今はもう少しニュアンスが違っていて、隙間を埋めるというよりはフィルムとデジタルをシームレスに行き来するハブのようなカメラになったし、Dfがあることで最新のカメラ事情やレンズなんかにも関心が向くようになり、なんというかカメラ生活の幅がぐんと広がったように思う。

Nikon Df, 50/1.8G

愛犬と散歩に行く時はAF単焦点レンズの50/1.8Gを装着すれば片手で撮れるし、今の時期のように朝晩が少し暗い時期でもしっかり高感度で撮れるから、時間を問わずカメラ生活を楽しむことができている。

Nikon Df, 43-86/3.5

そして、レンズをオールドニッコールに換えれば、まさにマニュアルライク、フィルムライクにカメラを操る楽しさを味わえる。僕が持っているMFズームの43-86/3.5 通称ヨンサンハチロクは、いつもはフィルムカメラのNikon FEに装着してることが多いけど、こうしてデジタルのDfにもつけて楽しむことができるのは、まさに「不変のFマウント」のおかげだ。

Nikon Df, Ai35/2.8

この写真は初めてDfを連れ出した時に撮ったもので、普段はフィルム機のNikon F2につけていたAi35/2.8をDfにつけて撮ったんだけど、マニュアル撮影の感触が素晴らしく小気味良くて、ジワジワと感動しながら撮っていたのを覚えている。僕の中でデジイチのイメージがはっきりと変わった瞬間でもあった。

Nikon Df, 24-85VR

Dfを手に入れた当初はオールドニッコールの主に単焦点で楽しんでいたけど、そのフルサイズ機らしい高性能さもせっかくだから味わおうとAF標準ズームレンズの24-85VRも加えて、そういう意味でも単焦点からズーム、オールドレンズから現行レンズまでずいぶんと幅広くDfライフを楽しむようになってきた。

Nikon Df, 50/1.8G

僕みたいな「フィルムライクにデジタルを楽しむ」という流れでカメラ選びをする人はそれほど多くないかもしれないけど、すでにフィルムニコンを楽しんでる人にはオールドニッコールをそのまま楽しむデジタル機としてもちろんおすすめだし、これからフィルムカメラを始めようとする人なんかにも、例えばフィルムニコン機を選んで、いずれぜひDfとのシームレスな“フィルデジ”生活を堪能してもらえればなって思う。

Nikon Df, 50/1.8G

僕の撮った写真はあまり上手じゃないんで作例としてはちょっと参考にならないかもしれないけど、Dfで撮ると心なしかフィルムっぽく撮れるような気もするんだよね。何をもってフィルムっぽいというのかとかは理詰めでは説明ができないけど、撮った僕の感覚としてはそういうところもあるところもあるということを付け加えておきたいと思う。いずれにしても、このDfが僕とカメラの関係を大いに広げてくれたことだけは間違いない。カメラ選びとは単に性能選びじゃなくて、もっとエモーショナルなものだよね、やはり。

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KONICA C35で撮ると、日常は意外と平凡じゃない。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

僕の平日のスナップ用カメラは二台、デジタルのRICOH GRとフィルムのKonica C35だ。どちらもじぶんの第2の目のようなカメラで欠かせないんだけど、できればフィルムで撮りたい、つまりできればKonica C35で撮りたいというのが、まずある。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

それは、C35で撮ると、世界が少し平凡じゃなく見える感覚があるから。理由は、そうだな、まずフィルムの風合いというのがあるんだろうけど、そんな簡単じゃないというのもある。上手く言えないけど、焦点距離38mmというのも大きいのかな。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

僕がそもそも好んで使うレンズはどれも焦点距離50mmのものだ。Nikon FEも、F2も、F6も、そしてLeica M3も、すべて常用レンズは50mmの明るいレンズ。といっても50mmが楽だからというのではない。むしろ50mmはむずかしいと思いながらいつも撮っている。それに対して38mmはもっと自然体なんだ。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

無心というか無欲というか、カメラを構えてることを意識しないで撮れるというか。このKonica C35というカメラは昭和の大衆的カメラで、誰もがほぼオートで簡単に撮れるように開発されたカメラ。そこで選ばれた焦点距離が38mm。それはやっぱり関係があると思うんだ。カメラを難しくしない焦点距離とでもいうのかな。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

狭すぎない、かといって広すぎもしない、スナップとしては実に絶妙で自然体な画角なんだろうね。あとはテッサー型レンズHexanonの存在も大きい。Konica C35を見たことがある人は分かると思うけど、あのどちらかというと可愛らしいフォルムからは想像がつかないくらい、実力派のレンズが搭載されてるんだ。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

Konica C35の愛称は“ジャーニーコニカ”なんだけど、よく言ったもんだなあと。たしかに旅に持ち出しやすい手軽なカメラだけど、それは扱いやすさだけじゃなくて、撮れる写真の質にも言えることで、C35で撮ると毎日が旅のように撮れる。それはこのカメラを所有する最大の歓びと言っていい。僕はそれほど多くのカメラを知ってるわけじゃないけど、カメラビギナーの人におすすめのカメラを聞かれたら、このKonica C35を筆頭にあげるかもしれない。いや、カメラクラスタの人にもおすすめするか。それくらい“やるカメラ”なんだ。

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