そこはやっぱり、安いカメラやレンズで高いカメラの写真たちを凌駕したほうがカッコいいじゃん。

Konica FS, Hexanon 52/1.8

そこはまあ誤解のないように言っておくと、それなりに高い価格のカメラやレンズは当然それなりに良いモノであるという前提なんだけどね。でも、なんというか、弱いと思われてるモノが強いと思われてるモノを打ち負かす感じって理屈抜きに気持ちいいじゃん!と。カメラやレンズもできればそうありたいとか思うんだよね、男子たるもの笑。

例えばこのKonica FS。先日、銀座レモン社で購入したものだけど、レンズもついて1万円を少し超えるくらいの値段しかしない。ライカならどんなに安くてもバルナックのボディで3万円、エルマーのレンズが4万円ほどするかな、Konica FSが五、六個買えてしまう。じゃあ、Konica FSの写りがバルナックライカの1/5くらいの質しか得られないかといえばそんなことはないわけで、写真の出来上がりの差に比べて機材の差はそれほどないことが分かる。じゃあ、やってやろうじゃないか、打倒ライカ!とか僕は思ったりするのである。いや、僕はライカユーザーでもあるから、この場合の打倒ライカ!は、じぶんの所有するカメラ間の競争だったりするんだけどね。

レンズだって、僕は安いレンズも好んで探して使う。ロシアンレンズのJupiter-8やIndustar-61、あとCarl Zeiss Jena MC Pancolar 50/1.8とかね。このあたりはどれも1万円以内か少し超えるくらいの値段で手に入る。世の中には名玉と呼ばれる高価なオールドレンズや最新の現行レンズがあるわけだけど、財布の懐事情以上に、こういう言わば劣勢なレンズで最新のレンズの写りを凌駕したら、こんな気持ちのいいことはないんじゃないだろうか。僕はそれらのオールドレンズの味もさることながら、こういう反逆精神みたいなものを常に心のどこかに思い描いて機材を選んでいるところがあると思う。

だからといって、それを誰かに声高にアピールするわけでもないんだけど、まあじぶんとの闘いみたいなね笑。世間の評判に流されないように、じぶんがいいとかカッコいいと思うモノサシを持って生きていたいと思うんだな。僕らの世代の人たちは少なからずそういう価値観があるように思うけど、どうだろう。考えてみると、フィルムカメラで撮るということ全般についても言えるかな。世の中の最新テクノロジーで作られたカメラやレンズより、ある意味時代遅れとも言えるフィルムやフィルムカメラで撮る快楽。そこには、単に古き良き時代を礼賛するだけじゃなくて、誰が見でも一見劣るであろう性能の道具で強者を打ち負かすヴィンテージフリークたちの軽やかな反抗心みたいなものもきっとあると思うな。

まあ本題である写真の良し悪しを置いといて機材の話だけに終始しちゃったけど、道具選びというのはそういう心の高ぶりにも大きく影響を与えることができるモノということで、少しふれてみた。とはいえ、単に反骨精神だけじゃなくて、僕が最近手に入れたカメラたちは軒並み素晴らしい写りを披露してくれている。Kodak Retina、Voigtlander Bessa-L、Olympus OM-1に、PEN ER-2。いやあ、面白いくらい大物食いができるようないい写りを僕らに提供してくれる。これもまた、過去の偉大な開発者たちの反骨精神というか意地が混じり合ったおかげなんじゃないかと思ってる。さあ、カメラを持って世の中をひっくり返しに行こう。高額なカメラたちを心の中で驚嘆させるために。

ハーフサイズカメラを持って街を駆けぬけよう。PEN EE-2のすすめ。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

土曜日の朝、台風の前兆かもうパラパラと雨が降り始めてるんで、いTunesのユーミンを聴きながらブログを書き始めたところ。ここ最近ちょっとカメラが増え気味で毎週試し撮り〜現像を繰り返してるんだけど、きょうはハーフサイズカメラ PEN EE-2の話。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5

ちょっと脇に比較する大きさのものがないんで伝えづらいけど、このPEN EE-2、僕が持っているカメラの中でもいちばん軽い部類になる。いちばん小さく軽いのはRollei35だけど、その次にコンパクトなんじゃないかな。Konica C35よりは小さいと思う。もうそれだけで独特の存在感を放つ。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

で、独特なのは撮れる写真も。ハーフサイズだから、普通の35mmカラーネガをこんな風に「2コマ1フレーム」で撮れる。36枚撮りフィルムなら合計72枚の写真が撮れるわけだけど、僕は今のところ、この2コマ1フレームのハーフサイズカメラ独特の仕上がりが気に入っている。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

前回の初現像でこの独特の2コマ1フレームを見た時に軽い衝撃を受けて、今回は2枚が同居することを少し意識しながら撮ってみた。といっても夢中で撮ってると二枚一組の写真の組み合わせを覚えたりはしていないから、一枚ごとに強弱をつけて撮っているというのが近いかな。近くと遠くとか、地面と空とか、明るい所と暗い所とか。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

まあでもどうだろう、ハーフサイズと聞くとなんだか写りはフルサイズに劣るイメージがあったけど、こうして現像あがりを見てみると、なかなか精巧な写りをする。Zuikoレンズはダテじゃないなあとしみじみ思う。このZuikoレンズは一眼レフのOlympus OM-1Nにも50/1.4がついてるんだけど、やっぱりなかなかの味のある描写をしてくれる。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

しかもこれ、シャッター押すだけなんだよね。露出合わせしなくていいだけじゃなくて、ピントすら合わせる必要がない。まさに写ルンです的楽チンさ。だから、撮影は画角に集中できるというか、街をフレーミングしながら歩く楽しみがあると思うんだ。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

今回は2回目の撮影でもあったから、だんだんとPEN EE-2で撮るリズムやコツみたいなものも掴めてきて、初回の試し撮りは実にヒュンヒュンと気持ちよく撮れた気がする。こうなると意外と72枚なんてあっという間に撮れてしまう。あ、僕だけかな、そんなにシャッター切れちゃうのは笑。

Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100
Olympus PEN EE-2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

もちろんトリミングすればこうして一枚ずつの写真として楽しむこともできる。ちなみに僕が現像してるカメラのキタムラさんであれば、インデックスが出ない以外はなんら普通のカラーネガと同じ要領で現像とスキャニングが頼める。

このPEN EE-2はシンプルであることが真骨頂。だから、いわゆる一眼レフなど本格的カメラのようにシャッターフィーリングやファインダーの美しさが特段あるわけではないけど、その分、とにかく驚くほど軽快にスナップを撮り続けることができる。レンズは優秀だし、秀逸なボディデザインもきっと街中では絵になる。まるで雑誌の見開き撮影を楽しむかのように、街中を72枚駆け抜けるスナップ。僕は全力でおすすめするけど、どうだろう。

Konica FSの試し撮りはしばらく続く。

Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100

つまり、まだじぶんの中で試し撮りを終えたという感覚がないのである。先週手に入れたKonica国内初のフィルム一眼レフ Konica FSの試し撮りのこと。写ることは確認できたし、コニカオレンジと言われる暖色系の色ノリの素晴らしさは分かった気がする一方、ピントの甘さを久しぶりに感じるところもあって、それが機材のせいなのか、僕の技術のせいなのかがいまいちはっきりとは分からない。だから、もっと撮ってそのあたりを明らかにしたいと思っているところなんだ。

Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100

それでも、Konica FSの試し撮りの感想を聞かれたとするなら、それはそれはエキサイティングでおもしろかった、ということになる。見た目のレトロさとは打って変わり、写りはなかなかモダンさを感じるのである。

Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100

ボディの秀逸さもあるんだろうけど、やっぱりレンズの影響が大きいのかな。明らかにNikonともPentaxともOlympusとも違う、Konicaだけから滲み出る写真の世界というのは明らかにあって、同じ一眼レフでもこうしていくつかのブランドを保有したくなる理由もそこにある。

Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100

どうかなあ、ふだんの僕の写真を知ってる人なら、NikonやLeica、Olympusなんかとも異なるテイストで、やっぱり同じヘキサノンのKonica C35の写りに似ていることが分かるんじゃないかと思うけど、どうだろう。

Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8, Fujifilm 業務用100
Konica FS, Hexanon 52/1.8

まああまりこの時点で知ったかぶって写真の有り様を綴るのは嘘っぽいというか、変に印象を固定化しちゃうので、言葉の説明はこれくらいにして、ただただ写真の質感でこのKonica FSの何かを感じとってもらえたらなと思う。とにかくもう少し撮り続けてみる。詳しい話はその後で。そんな不思議な興味をそそられるカメラなのである。それだけでも手に入れた価値がある。やっぱりカメラ選びは直感が大切だ。

音楽を聴くように、写真を撮ろう。

Nikon FE, Ai-S 50/1.8

僕は基本、どこへ行くにもカメラが一緒だ。仕事へ行く時も、愛犬と散歩へ出かける時も、自転車に乗ってパン屋へ向かう時も、ロードバイクで駆け抜ける時も、常に何からしらのカメラを首から下げたりバッグの中に入れて持ち出している。だから、撮る写真もいたって平凡な日常だ。何気ない移動時間の一コマだったり、道端の花だったり、少し気になった街角だったり。そうだな、家族や知人の写真以外は、誰かのためには撮っていない、じぶんが心地いいために撮っている。それでもこうして毎日カメラと過ごしているのは、シャッターを切るという行為が好きだからだと思う。シャッター音を聴いている。ちょうど音楽を何気なく聴いて過ごしているように。写真のほうにこだわる人間だったら、ただシャッターを切るだけでは満足できないと思うんだけど、幸い僕はシャッターさえ切っていれば心地いい人間なので、それはもしかしたら凄くカメラのある人生としては好都合なタイプかもしれない。カメラはいいよ、そばで眺めてるだけでもこんなに絵になる道具を他に知らないし、それで実用品としても日々役に立つんだから、単にアートとして捉えるだけじゃもったいない。特にハッとするような写真じゃなくたってどんどんシャッターを切ったほうがいい。だって、音楽を聴くようなもんだから。僕はそういうフランクな側面のカメラがとても好きだ。

一眼レフは“良き時代”が詰まったカメラ。

Olympus OM-1N, Zuiko 50/1.4, Fujifilm 業務用100

いま、僕の手元に再び一眼レフが増えている。フィルム時代のカメラたちだ。もともとはニコンの一眼レフばかりを持っていたんだけどね。Nikon FE、F2、F6、そこに最近、他メーカーのカメラたちが加わった。Asahi Pentax SP、Olympus OM-1N、そして昨日手に入れたKonica FSだ。何故にそんな一眼レフが増えているのか。じぶんなりに思うのは、ミラーレスの時代がやってこようとしているのを感じで、待てよ、一眼レフは過去のものになるのか。一眼レフの良さとは本来何なのか。今一度、一眼レフのルーツとやらを感じてみよう…そんな風な気持ちが僕の中にどこかあって、機械式の一眼レフばかりここのところ増えてるんだ。

まあ、理由を述べるとするならそういうことで、実際はお店にふらりと立ち寄ると、直感でビビっと欲しくなるカメラが現れてるということではあるんだけどね。でも、一眼レフというカメラの良さはやっぱりあって。僕の場合だと「じっくり、ゆっくり、ファインダーの中の濃密な世界をシューティングするよろこび」とでも言おうか。平日は街中で速写的にレンジファインダーでスナップしてることが多いんだけど、それと比べると僕にとっての一眼レフは週末にゆっくりと一緒に過ごすカメラ。自然を撮ったり、古い町並みを撮ったり、家族のイベントを撮ったりするカメラ。時間の流れ方がとでも緩やかな時のカメラなんだ。

もちろん、プロも多用する本格的カメラだから、本来は速写も優秀だし、レンズの充実さ、その撮れる写真の本格さにおいても一眼レフは決して緩いカメラではないんだけど、僕の場合だとそういうことでね。一眼レフと向き合う時間はなにかとでも心地いい時間が流れていく。それはたぶん、フィルム時代の一眼レフが持つ余裕というか、その一眼レフが最も光り輝いていた時代の豊かさがぎっしりと凝縮された良さみたいなものがあるんだと思う。単に写真を撮るだけじゃなくて、そういう「良い時代」を感じながら写真を楽しむというのが一眼レフにはあるんじゃないかな。

ミラーレスの台頭で、デジタル一眼レフは今後は趣味性の強いカメラになっていくかもしれない。ちょうど今、僕らがフィルム時代の一眼レフを趣味的に味わっているようにね。それは少し寂しくもあるけど、逆に一眼レフは無くならないとも言える。あの一眼レフならではの高揚感みたいなものはやっぱり濃いから、ミラーレスのスマートさに慣れたら、むしろ時に無性に一眼レフのあの所作に立ち返りたいと思うんじゃないかと。まあ電気を使うカメラだから、フィルム時代の一眼レフのように何十年も趣味の道具として楽しむのは難しいかもしれないけど、でも必ず触りたくなると思うんだよね、僕でいえばDfとかD300にね。そんな日本の古き良き時代の豊かさがめいっぱい詰まった一眼レフを、僕はいま存分に味わっておこうと考えている。重いし、大きいし、シャッター音も元気すぎるような一眼レフだけど、そこが良いんだよなあ、とか唸りながら、ね。

カメラ選びはいつも直感だけど、じぶんの嗜好性が読み取れておもしろい。Konica FSとの出会い。

Konica FS, Hexanon 52/1.8

また新しい(古いか笑)カメラがやってきた。何処へ向かってるのかは聞かないてほしいんだけど。じぶんでも良く分かっていないから笑。というのも、僕の場合はカメラを選ぶ時はいつも直感。さして計画性はない。カメラ屋をのぞいては、その時目の前に現れたカメラへ運命みたいなものを感じたら、お金によほどの無理がないかぎり連れて帰る。

もちろん実用品として使いたいから、分かる範囲であれこれ個体をチェックしたり店員さんと完動品具合を品定めはする。でも結局のところは実際にフィルムを詰めて試し撮りしてみないと分からないから、そういう意味でも直感に頼って購入を決めるしかない。でも不思議なことに、直感で購入して失敗したということはこれまで記憶にない。運がいいのか、いちおう見る目ができてきているのかは分からないけど。いや、購入するお店が良いのかもしれないけど。

昨晩、直感で選んだのはKonica FSという小西六コニカが国内で初めて送り出したフィルム一眼レフ機だ。少し調べてみたところ、登場は1960年頃かな。Nikon Fと同じ頃。それまで海外向けに販売していたKonica Fの構造を廉価版的にシンプルにして、日本で登場したらしい。FSのFはフレックス、Sはスタンダードの意味みたいだね。そんなことはカメラ屋さんとの会話の中で初めて耳にするわけで、カメラをショーケースで見つけた時にはほぼ無知識。つまり直感で「あ、いいな」と手にとるわけである。ほぼ迷いなくね。

シャッター幕のコパルスクエアのロゴがまた泣ける。

この子の場合はもうほんと見た目。なんだ、この深い艶のある黒塗りは!という直感。そして、見たことのないKONICAのロゴタイプ(涙文字っていうのかな)と、いかにもレトロで少しアンバランスなラインのボディに惹かれる。店員さんに声をかけて触らせてもらう。と、想像したよりずいぶん元気に動く各部の状態に少し驚く。シャッタースピードは全速OK、背面を開けたフィルム室も綺麗で、コパルのロゴとさくらカラーのロゴが綺麗な状態で見て取れる。んー、いいなと。

問題があるとするならファインダーだったけど、まあ見れないことはない。店員さんとこのまま使い倒すか、それとも修理屋さんで上部を分解して清掃してもらうかとか話したんだけど、まあ直すというよりは使い倒すコンディションだろうなと。レンズもクモリがありそうだし、そこは試し撮りしてみてから、ファインダーとレンズの清掃を判断しようと思った。僕にしてはなかなか不安のあるほうのカメラ&レンズの購入だけど、それでも購入に踏み切らせるチャーミングさがこのカメラにはあった。まさに直感なんだなあ。

それと、コニカへの愛着というのもあった。すっとフィルムコンパクトのKonica C35を使ってきてるから、レンズのヘキサノンには凄くいい印象がある。コニカのシンプルで丈夫な造りにもどこか安心感がある。それと、どの中古カメラ屋の店員さんと話しても、かつてのコニカの素晴らしさの話は良く聞く。このKonica FSも店員さんは嬉しそうに、縦走りフォーカルプレーンシャッターであること、それがコパル製で初期はロゴがシャッター幕に印字されてること、当時はコニカFマウントといい口径がやたら小さいことなんかを説明してくれて、そういう店員さんの本音的なおすすめ感も僕の直感を後押しした。

それでもそこそこ迷ってはいたんだけど、最後はこのピアノブラックとも言える艶やかな存在感に、もうきっとこの店以外では絶対出会わないだろうなと思い、気持ちを決めて連れて帰ることにした。帰ってからも、やたらボディを眺めては空シャッターを切ったり、各部のボタンなどが何の調整なのかを確かめたりしながらカチャカチャやる。このカメラを探る時間もまた楽しい。そう、なんにせよ楽しいわけだから、それだけでもお金を払って手にする価値は十分にある。あとは写ることを祈るばかりだけど、まあちゃんと写らなくても、それなりに写ってくれれば十分かなと。きょうは金曜日。きょうを頑張れば明日から三連休、FSとの試し撮りのひとときが待っていると思えば、まあ辛い仕事も頑張れたりするのである。ありがたい趣味だなとほんと思う。

フィルムで撮ることは、フィルム産業を支えることでもある。

Olympus OM-1N, Zuiko 50/1.4, Fujifilm 業務用100

前提としてはもちろんじぶんが楽しいからフィルムで撮ってるわけだけど、心の中では「こうしてフィルムで撮ることで、フィルム産業を支えるんだ」という気持ちがどこかある。考えてみると、これだけデジタル全盛の世の中で、いまだにフィルムで写真を撮れることは奇跡のようなもので、いまや国内唯一のフィルムメーカー富士フイルムにすれば、いつフィルムの幕を閉じてもおかしくない。企業の利益だけを優先すれば当たり前のことだ。けれど富士フイルムはまだなんとかフィルムを世の中には流通させてくれている。そこにはもうほんと、感謝しかない。

だから僕はフィルムの中でも富士フイルムを使うことを意識している。世界に目を向ければ富士フイルム以外にもまだフィルムを生産して流通してくれているメーカーはあるけど、日本国内にかぎっていえば、富士フイルムがフィルム生産を終了すれば、おそらく現像ラボも含めてさまざまなフィルム産業プレイヤーの人々が同じく幕を下ろしていくだろう。つまり一気にフィルム産業が消滅するんじゃないかと思う。それはほんと悲しいことだし、個人的にも社会的にも何か人生にとても重要なことを失う気さえする。だから僕は富士フイルムを使う。

そして、富士フイルムで撮った写真をこうしてブログやSNSでフィルム名や機材名入りでポストする。ハッシュタグ「#fujifilm」という文言も付けるようにした。僕ごときがこんなことをした程度でフィルム産業の存続にどれほどの影響を与えられるかは分からない。というか冷静に考えれば僕一人じゃ焼け石に水のようなもがきかもしれない。でも仮に僕のような人間が1000人ほどいれば、世の中に少しフィルムの風を吹かせることができるんじゃないかとも思える。それならば、しぶとくやってみようじゃないかと。

フィルムカメラも好きだし、中古カメラ屋も好きだし、フィルムの匂いや形も好きで、現像ラボのお店も好き。故障したカメラを直してくれる職人さんたちも好きだし、フィルムカメラがあることで生き生きと写真を語る人たちも好き。そんなフィルム産業の裾野が無くなってしまうのはあまりに惜しいから、僕はきょうもフィルムカメラて撮り、フィルムの良さみたいなものを一人でも多くの人に語りかける。小さなことだけど、じぶんの中では割と大きな試みで、それはじわりじわりとわずかずつだけど、なにか効いてる手ごたえもある。あまり堅苦しくは考えたくないけど、このフィルム産業を支えるという気概みたいなものは、フィルム撮影を楽しみつつも、常に忘れたくないなと思っている。

最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

ドキドキしたいなら、フィルムカメラがいいよ。

Rolleiflex Standard, Olympus OM-1N

だって普通、買ったモノが正常に使用できるかどうか分からないモノなんてなかなか無い。けれど、フィルムカメラはそれが前提。まず新品のフィルムカメラはほぼ無いから中古カメラを選ぶわけで、そうすると外観や動作確認はできても、実際にフィルムを入れて撮り、現像してみないと実用品かどうかは分からない。まずここで最初のドキドキがある。僕は今日なんかも手に入れたばかりのOM-1Nの初の試し撮りをし、その撮影感覚には感激したものの、それは操作の話であって、写真がきちんと撮れているかどうかはまだ分からないのである。凄いよね、数万円も出して買ったものが、使用した後も写真機として使えるものかどうか分からないんだから。

仮に試し撮りでちゃんと現像ができても、フィルムカメラなら毎回ドキドキで、それは永遠だ。だって、デジカメのように撮ったその場で写真を確認することができない。背面モニターなんて無い。あるのは、頭の中に何となく思い描いた被写体の残像であり、写真が仕上がった時のイメージだけ。フィルムカメラはシャッターを切ってフィルムを撮り終えたらラボへ現像を出して最速でも一時間はあがりを待つことになる。つまり、撮った後、現像があがるまでの間、どんな写真があがってくるのだろうとひたすらドキドキが続くのである。こんなモノって他にあるだろうか。

露出合わせだってドキドキだ。機械式カメラを選んだら、基本、操作はすべてマニュアルで、デジカメのようにカメラがオートでやってくれることは何一つ無い。絞りも、シャッタースピードも自分でら決めなきゃいけないし、選ぶフィルムの感度の違いで写真の雰囲気もけっこう変わる。そのフィルム自体もいろんな種類があるから、基本はじぶんでいろんなパターンで撮って経験を積んでいかないと、撮れる写真のイメージも、それに必要な露出や構図の決定も毎回ドキドキの連続だ。

つまりよほどの百戦錬磨のプロでないかぎり、シャッターを切った瞬間にその写真がいいかどうかなんてほぼ分からない。シャッターは切ったものの、何らかのミスで写真が一枚も撮れていないことだって意外とあったりする。これだけハイテクで失敗の無い現代でも、フィルムカメラだけはいい意味で分からないことだらけ、そういうリスクも含めて実にフィルムカメラはドキドキが終わることは無い。それはもう、一生試し撮りみたいな生活なんだ。

ちょっと笑いが出るくらいドキドキばかりのフィルムカメラ。便利かといえば不便なモノかもしれないけど、不便がダメかといえば、それは決して不安とは違う。心配でドキドキするんじゃなくて、期待でドキドキできる、不確かさこそがいちばんの楽しみであり、フィルムカメラにはその要素が色濃くまだ残ってるんだ。そして極め付けは、記憶メディアであるフィルムがいつまでこの世で使い続けられるかも分からない。けれど、これにしたって逆に言えば、今しか体験できないフィルム撮影を体感しているドキドキがある。どうかな、呆れるくらいドキドキできそうだよね。

僕はさまざまなフィルムカメラでそれなりに量を撮るようになってるけど、いまだにそんな初々しいようなドキドキを毎日感じまくってる。このドキドキはきっと終わりはないんだ。スマホのカメラがあればいつでもどこでも写真は撮れるし、デジカメを持っていれば失敗を心配せず本格的撮影体験もできる。でも、ここまで書いてきたようなドキドキは無い。趣味でやるカメラだとしたらドキドキしないとおもしろくない。だから、僕は断然フィルムカメラをすすめるのである。

とはいえ、フィルムカメラってフィルム代や現像代とかコストもかかるじゃないですか!とか言われそうだけど、そのコスト感覚すらもドキドキの毎日と言えるんじゃないだろうか。僕はもうそんな感じだ。フィルムで撮っては、あまりに夢中で撮りすぎて、現像に出す段で少しあたふたする場面も。それでもこれだけフィルムカメラで撮り続けてしまうのは、あのドキドキの日々を経験したら、ちょっとやそっとではカメラをやめる気にはならない。カメラ沼やレンズ沼とか言うけど、真の沼はあのドキドキから抜けられなくなるってことなんじゃないかと思ってる。

現代のデジカメを買うにしても、そのブランドのフィルム時代のルーツを知るのは有益かもしれないね。

Olympus OM-1N, G.Zuiko Auto-S 50/1.4, 純正フード

写真はフィルム時代のオリンパス一眼レフ OM-1Nなんだけど、現代のデジカメ OM-Dシリーズへ随所に伝統が受け継がれているのが分かる。そのブランドのめざす理想のカメラのあり方は時代を経ても揺るがないところがあるんだよね。変えたほうがいいもの、そして変えてはならないもの、そういうことを大切にしているブランドが、かつてのファンもいまだに虜にし、新しいファンもしっかり創造している気がする。

ニコンならかつてはNikon F、いまはNikon Dシリーズであり、注目のフルサイズミラーレスZマウントシリーズ。きょうは大阪でファンミーティング2018が開催されてるようだけど、Twitterなんか見てても単にスペックだけじゃなくてその各部の造り込みや触れた感触なんかは「やっぱりNikonが他社より一枚も二枚も上手」という書き込みも目にする。それはフィルム時代から積み重ねてきた何かなんだろうね。揺るがない何かであり、ユーザーからの期待に対する約束。素晴らしいよね。

ライカだってそう。良くも悪くも世界にレンジファインダー開発を諦めさせ、世界を一眼レフ開発へと転換させたLeica M3の登場。以来、現在のM10-Pまでその理想のカメラに対するポリシーはほぼ何も変わらない。僕もそうだけど、ライカファンはフィルムもデジタルも分け隔てなくシームレスに楽しんでいる。というか、フィルム時代のライカの何かを現代のライカにもストレートにのぞんでいるんだよね。そこまで「我々とは何者か」が突き抜けてると、その本物感は現代の新しいファンづくりにも十分すぎるくらいインパクトを持つ。「そのブランドの志が好き」というのは、機能を超えて強いよね。

そういう意味でも、現行のデジカメを購入する時は、かつてのフィルム時代のモデルのルーツみたいなものを探るとおもしろいと思う。できればフィルム機を実際に手に入れて、そのブランドの何かをエモーショナルに体感したほうが分かりいいと思うけど、コストもかかることだからネットなんかでルーツの記事を調べるだけでもいい。そうしてカメラの歴史を知ることは単に写真機だけのことではなく、時代の転換を目の当たりにするおもしろさもある。カメラは何処へ行くのか、そして写真とはどんな風に世界を写し出して行くのか。そんなことを考えるだけでもワクワクする。人に歴史アリと同様に、カメラやブランドにも歴史アリなんだよね。