最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

可愛いというより、綺麗だと思った。PEN EE-2との遭遇。

Olympus PEN EE-2

Twitterにも少し書いたんだけど、今日いつものように週末のフィルムたちを現像に出したついでに中古カメラのショーケースをのぞいてみたら、この子と目が合ったんだよね。僕はPENのバリエーションのことはあまり詳しくないんだけど、この子は直感的にハッとした。少し大げさに言えば、運命のようなそういう種類の遭遇。

クラシカルカメラをやってると、PENというのは頻繁に目にするし、もっとはやく何かしらのPENを手にしていてもおかしくないんだけど、個体と価格のバランスというか、これぞというPENに今まで出会えていなかったんだろうね。カメラを十数台手にする中で、これまでPENは手にする機会がなかった。そんな中、ふと訪れたこの子との出会い。まあ、運命としか言いようがないんだよなあ。

Olympus PEN EE-2

この子はショーケースでも端の方にあってね。どこか照れ屋なような感じ。でもABランクで割と綺麗でね。端っこにいてもちょっと目立つ子っているじゃない? この子はそんな感じだった。ショーケースから出してもらって触ったら、もうなんというか買うことは決めてた。しばらくあれこれ触ってみたけど、結局は撮ってみないと完動品かどうかは確かめる術もなく、店員さんと「AB品だから大丈夫じゃないか」とか大らかな会話をして、連れて帰ることにした笑。

その場でネットでレビュー記事なんかも検索してみたんだけど、あまり時間もなかったし、なんというかいつもの僕の購入法だけど、直感を信じて購入した。その場で業務用100を詰めてね、移動中の街をあまり操作も分からないなりにシャッターを切ってみたんだけど、まあ感覚としてはとにかくフィルムが減らない。ハーフカメラってこんな時間の流れ方するのかと、急いでるじぶんが馬鹿らしくなるというか、そういうところあるよねハーフカメラって。

72枚まであるPEN EE-2のフィルムカウンター

けっこう頑張ってシャッター切ってみたけど、いま十数枚くらいかな。いやあ長いぞ、これ撮り終わるの笑。ちゃんと写るかどうかも分からないので試し撮りしてるわけだけど、試し撮りで72枚って、もうちょっと笑いが出る感じというか、それ自体がとてもおもしろいよね。手持ちでいいハンドストラップもなかったから、とりあえず三角金具だけ買って取り付けてみた。ストラップはゆっくり探したいけど、これ、意外とショルダーストラップがカッコいいかもなとか思ってる。

まあ、レンズのこともこらから調べる感じだし、作例にいたってはまだまだ現像出しも先だし、このブログにはほぼ機能のことは書けていないんだけど、この子との遭遇の感覚を記しておきたいと思ったので。PEN EE-2、これも米谷さんのデザインなのかな。一見チャーミング系に見えるんだけど、僕はもうちょいカッコいい系というか、美人系、クールだと思った。さて、ハーフゆえの縦構図のファインダーが心地よくて、ぜんぶ縦で撮ってるけど、どんな現像になることやら。そういえば、キタムラで聞いたら、現像時にハーフはインデックスは無いとのこと。スキャニングは二枚一組であがってくるそう。それも含めて楽しみだなあ、現像出し。頼むから写っておいてくれ、PEN EE-2。

まっしぐら、がいい。スナップでもカメラでも、なんでも。

Voigtlander Bessa-L, Snapshot-Skopar 25/4, 業務用100

僕はたぶん「まっしぐら」なモノやコト、ひとが好きなんだろうな。まっしぐらというのは、周囲に惑わされることなく、じぶんが思うLoveなコトに夢中な姿。そういうひとの撮るスナップが好きだし、そこに映し出される作為的でない感情というかピュアなエネルギーが好き。

にんげんは、あまり周囲から見られることを意識しすぎると、このピュアな核みたいなことを見失う。そうやってフラフラしている人々を見ると、まっしぐらなひとたちが一段ときわだってカッコよく見える。僕にとっても数人いるんだ。そんな風にまっしぐらでとてもカッコよくカメラやスナップ、生き方と向き合う魅力的に見えるひと。

僕はまだまだそんな域にはないわけだけど、上手いとか下手とか、強いとか弱いとか、目立つとか地味とかそういうことを超えて、まっしぐらでいたいなと思う。カメラとの向き合いも、撮るスナップも、そしてこうして向き合うブログも。余計なものを排除して、シンプルに、じぶんがいちばん初めに抱いた感情のスタート地点から、まっしぐらに。

そして、ライカを取り巻く気分転換のサブカメラたち。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

(気分的には前回の記事の続き)そして思うのは、ライカが中心にあった時に、まわりいるサブカメラたち。まあサブというとちょっとニュアンスは違うんだけど、ライカを持ち出せないシチュエーションや、ライカでは撮れない味、ライカから気分転換を図る時に使うカメラたちっていうイメージかな。

例えばそれは、この写真にあるブローニー、二眼レフのRolleiflex Standardであり、例えば50mmライカでは撮れない広角専用機としてのVoigtlander Bessa-L。あと、出張先なんかにはフィルムコンパクトのKonica C35、夜間も撮るようならじぶんで露出を決められるRollei35であり、デジタルならRICOH GR、とかね。そうやって考えると、じぶんの中にも複数台あるカメラの楽しみ方のイメージが無理なローテーションじゃなく思い浮かぶ。まあ、撮ってる時はどれもメインカメラではあるんだけどね。すべてのカメラが揃った時の役割の違いみたいなものとしてね。

そこで悩むのが一眼レフたちなんだ。僕の所有しているカメラでいえばフィルム/デジタルの複数台のFマウント機たちと、Pentax SPかな。プロダクトとしても好きだし、そのダイナミックな撮れ味も独特、何よりNikon機は僕がカメラを始めた頃からの付き合いだから思い入れも強いんだけど、こうしてレンジファインダー中心のカメラライフになってくると、所有数も多い一眼レフ機たちはなかなか満足ゆく頻度でも使いきれない。それでもたまに味わう気分転換カメラとして、また望遠とか実用性重視の備えとしての機材として持ち続けるのがいいのか、そんなことをふと考えたりしている。じぶんに合ったカメラと出会うためにいろいろと買い試してきたカメラやレンズだけど、そろそろ人生を共にするカメラを絞り込んでいこうと思い始めていることもあって、いまライカをあらためて試している感じかな。まだまだ途中経過なんだけど、今の思考プロセスの記憶として。

エルマー、ズミクロン、ズミルックスで撮ってみて思うのは、それぞれ必要だということ。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

これはもう完全なる僕の主観なわけだけど、50mmのレンズを好んで使う僕がライカの古きレンズたちをひと通り揃えてみて思うことであってね、正解だとかそういうことではまったくないんだけど、エルマー、ズミクロン、ズミルックスは50mmライカの世界を代表するレンズでもあるから、そのことには触れておこうと。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まずエルマーなんだけど、これはひとことでいえば「影のある端正」ということになるだろうか。ライカレンズの最初期の銘柄でf値は3.5だから、いわゆるボケなどを期待するレンズではない。だから撮る意識もおのずと光景を切り取ることが主眼になる。それもシンプルに。僕の感覚はそうだ。なんというか清々しい世界を描こうというより、少し影のある世界を描写したいと思わせるレンズ、そんな気がする。けれど、静かなんだけどその中に狂気のような強さがある。いろんなレンズを使っても結局エルマーに戻ってくるというのは、人間が内に秘めた孤独性みたいなものの真理の証というか、とても分かる気がする。どうだろう。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

そして、ズミルックス。これはもう僕の中ではとにかく華やぎを持つレンズという印象が強い。どんなにシックなシチュエーションで撮ってもそこに華やかさを持ち込んでくるとでも言えばいいだろうか。そこにはネーミング通り「最高の光」という、光をふんだんに取り込むことで写真を作り上げるズミルックス流の写真の仕立て方がやっぱりあると思う。ズミルックスだけはとにかく開放よりで撮りたいと僕は思う。f1.4、特別なノクチルックスをのぞけばライカで最も明るいレンズであるその開放値を使わない手はない。僕はもともとボケは好きで、それで一眼レフでカメラを始めたところがあるけど、このズミルックスとの出会いがライカを一眼レフ以上のカメラへと押し上げ、夜スナップへと僕を導いた、ちょっと特別なレンズといっていいだろう。このレンズに出会わなかったら、僕はここまでライカにのめり込んでいなかっただろうと思う。

Leica M-P, Summicron 50/2 1st
Leica M-P, Summicron 50/2 1st

最後がズミクロンだ。順番通り、手に入れたのもズミクロンがいちばん最後なんで、まだズミクロンが何かと言えるほど量も撮りきれていない。ひとつ前のブログ記事には始めて試し撮りした印象を少し書いてはみたけど、まだまだこのレンズについては未知数だ。けれど、一般的に言われる力強さはこの一枚にも見て取れると思う。f3.5のエルマーとf1.4のズミルックスの間に位置するズミクロン。つまりエルマーの静かさや端正さと、ズミルックスの光をふんだんにすくい取る華やぎの両面を持ち備えている気がする。そんなことを普通にやるとどっちつかずの描写になりそうだけど、そんな屁理屈を吹き飛ばす強さがこのレンズにはある気がする。それはそうだ、実際には孤高の性能を誇るLeica M3の標準レンズとして当時のありったけの技術を注いで作られたレンズだから、最高を形にしたレンズであることは間違いない。

つまり、同じ50mmのレンズでも、僕程度の知識しかない単なるカメラ愛好家でも、この3つのレンズにはそれぞれ差であり味つけのレイヤーが存在し、それは代わりがきくとかそういう問題を超越して、それぞれ3つが同居して存在する意味とか意義を強烈に唱えている気がする。僕も最初はエルマーひと筋で行こうとか考えていたんだけど、それをズミルックスがいい意味で壊してくれ、最後はズミクロンが3つ存在する価値のトドメを刺してきた。カメラやレンズは深く突き詰めるという意味では所有する数は少ないほうが濃密だ。しかし、この3つのレンズだけは、それだけの種類があることを見過ごすことはむずかしいと今は思える。ここに来てようやく、ライカのレンズのことを熟考する機会が僕に訪れている。いろいろ書いたけど、ここからが始まりのような気が強烈にしている。

デジタルライカと初代ズミクロン、60年越しの出会いになるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

それにしても違和感のない、実にしっくり組み合わせだ。Leica M-P typ240とSummicron 50/2 1st 固定鏡胴 後期型、ズミクロンが登場してから実に60年越しのM-Pとの共演といえるのかな。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕のズミクロンは沈胴しない固定鏡胴タイプで、手持ちのエルマーが沈胴式だから、ズミクロンは初代でも固定鏡胴が欲しかった。中古カメラ店で何度もtyp240とM型フィルムライカに装着してその佇まいを確認し、最後は「うん、これだ」と確信して購入した。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

もともとズミクロン1stを手に入れようと考えたのは、Leica M3用にと思ったから。この夏、僕はふとLeica M3のことをあらためて惚れ直すに至り、M3を生涯使い倒すのであれば、やはり当時M3とセットで売られていた標準レンズといっていいズミクロンをつけてやるべきじゃないか、そう思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

物理的に言えば50/2というレンズはPlanar T*2/50ZMを持っていたから必要ないんだけど、そこはやはりライカで確かめたかったというのかな。ElmarとSummiluxは持っているんだけど、その間を埋めるf2のレンズもライカのオールドレンズで確かめたかった。僕の中でライカのオールドレンズに魅せられてきた結果だと思う。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

フィルムで撮る前に、まずズミクロンの性格みたいなものを掴みたかったから、デジタルライカM-P typ240に装着して、愛犬の散歩と共に試し撮りへ出かけてみた。エルマーとズミルックスとどう違うのか、同じf2のプラナーとどう違うのか、そんなことを考えながら、ひとまずは辺りをいろいろ撮ってみた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まあ僕の目にそれらの違いを語れる能力があるかというと無いわけだけど、感覚的なことでいえば、ズミクロンは「試されるレンズ」だと思った。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕的にいえばズミクロンは見事にエルマーとズミルックスの中間的世界だと感じた。エルマーの奥深さ、そしてズミルックスの華やかさ、その両者のよさを中間的に持ち合わせているレンズ。でも逆にいえば、どっちつかずのバランスのとれすぎた描写になる。エルマーとズミルックスで撮ってきた僕には第一印象としてそう感じられた。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

これは僕がエルマーとズミルックスの描写がそれぞれ好きすぎるからそう思うんだろうけど、ズミクロンを最初から手にした人であれば、このバランスのいい描写はまさに代表的レンズの風格を堪能できる一本だろうと思う。現代的レンズであるZMプラナーと比べても「癖のあるボケの余韻」は分かりやすくオールドレンズ の良さを堪能できる。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

でも、もっといえば「ズミクロンは簡単じゃないレンズ」じゃないかと思った。ひとまず試し撮りの第一印象としてこうして感想を言葉にはしているものの、たかだか試し撮り程度では語れない奥深さを持ち備えているレンズ、それこそがこのズミクロンの真骨頂じゃないかと。時間をかけてじっくりとその実力を絞り出していく楽しみがあるレンズ。それこそが僕が初代ズミクロンに感じた魔性のような魅力だ。

Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

まずはデジタルライカで試してみたけど、このズミクロンの真髄はやはりM3につけてからが真の快楽なんだろうな。僕がこの初代ズミクロンの購入を決めた最後の押しは、このフードITDOOをつけてM3に装着してみた姿に惚れ込んだからに他ならない。この佇まいは、撮れる写真云々の前から撮り手にパッションを与えてくれる。

Leica M3, Summicron 50/2 1st

やばい艶かしさ。ズミクロンはやはりM3のために生まれたレンズ。当時のライカ開発陣の美学や気迫がプンプン漂ってくる。バルナックとエルマーの組み合わせと同じ種類の、ひとかたまりで圧倒してくる究極の機能美のようなもの。僕にとってカメラとはデザインの美しさも最大の要素、固定鏡胴のズミクロンはそこも軽々と撃ち抜いてきた。やるな、ライカ。人生を共にする価値がこのレンズにはある。

今日ちょっと確信したけど、僕はLeica M3とKonica C35がやっぱり好きだな。

Konica C35, Leica M3 + Carl Zeiss Planar T*2/50ZM

なんていうんだろうな、初恋の人たちというのかな。僕のフィルムカメラ人生のルーツ的2台、Leica M3とKonica C35。この二つのカメラのことをあらためていいな、と感じた日だった。

特別なことがあったわけじゃない、両親に会うのにKonica C35を持ち出し、ふと目の前の街並みをサッとC35で撮り、あ、いいな、この感じ、と。なにかを思い出すように撮ったその感触が、帰宅してからLeica M3を手に取らせた。しかも、レンズは僕がM3を手に入れた時からずっとつけていたCarl Zeiss Planar、この組み合わせがいいなと、目と手、脳が思い出したんだよね、何かをね。

夕方の愛犬との散歩は、この2台を持って出かけた。なんてことないいつもの散歩道を撮った。とても心地よかった。言葉にするのはむずかしいけど、あ、この感触だと思った。素のガラスのファインダーの中にフレームが現れて、サッと辺りを切り取っていく感覚。いつのまにかいろんなレンズやカメラが僕の元へ集まったけど、きょうははっきりとこの2台の、この飾らない撮り味が好きだなと確信した。

そうやって考えると、僕はフィルムを始めた初期に、この2台に出会ったことは大きかったんだろうなと思う。正直あまりこの2台のことは知らないまま、中古カメラ店で手に触れて直感的に手に入れたカメラたちだけど、その後手に入れたいろんなカメラたちがある中で、こうしてあらためてフィルムカメラを始めた頃の2台のことを好きだなと再確認できるのは、けっこう幸せなことなんじゃないかと思う。

じぶんにとって特別なカメラが少しずつだけど分かってきた気がしている。あと2、3台かな、かすかに絞り込まれている感覚があるけど、そこは急がず、じぶんが心の底から人生という貴重な時間を共にするカメラたちを選りすぐっていきたいと思ったりしている。手持ちのカメラたちをじっくり試した先にある、僕の記憶カメラのひとつの到達点としてね。

これはコレクションではない。僕の好奇心の歴史だ。

Nikon F6, 50/1.4D

僕は過去に一度、手持ちのカメラやレンズをほぼすべて(RICOH GRのみ残して)手放した経験がある。その反動からか、Nikon FEで本格的カメラを再開してからは、新しいカメラを手に入れても手持ちのカメラを手放せずにいる。コレクションしているつもりはない。ただ、愛着があってか手放せずにいる。以下は、の軌跡であり、僕のささやかな歴史だ。

RICOH GR

1台目はRICOH GR。僕の手持ちのカメラの中でいちばん長い付き合いのカメラ。ある時期は来る日も来る日もこのGRだけで撮ってた。GR Lensは恐ろしく優秀で精密。広角28mm、縦位置構図など、GRが僕の基礎を作ったと言っても過言ではない。

Nikon FE, Ai-S 50/1.8

2台目はNikon FE。このフィルムカメラが僕に再びカメラの楽しさを教えてくれたことは間違いない。外観は綺麗だけど、ファインダーの中はけっこうゴミがあったりもする。でも、シャッターフィールとできあがりの写真が、古いことや程度はそんな大したことではないと気づかせてくれた。

Konica C35

3台目はKonica C35。昭和の大衆的カメラ普及を支えたフィルムコンパクトカメラ。操作はピントを合わせるだけのほぼオートだけど、オートで恐ろしく味のある写真を作り出してくれる。今は亡き小西六コニカの傑作レンズ、ヘキサノンは素晴らしいの一言に尽きる。

Leica M3, Planar T*2:50 ZM

4台目はLeica M3。この頃からカメラを手に入れる感覚が麻痺し始める。でも店頭でM3に触れた時の衝撃は忘れない。恐ろしく滑らかなシャッター巻き上げ、恐ろしく静かなシャッター音、このカメラがキング・オブ・カメラ、キング・オブ・ライカと言われる所以が強烈に分かった。

Nikon FE Black Body

5台目は黒のNikon FE。週末に家の近所のカメラ屋でたまたま見かけて、数千円だったから救出して持ち帰ったもの。すでにシルバーボディのFEを持っていたから、50mmと35mmのレンズをそれぞれつけて、焦点距離ごとに2台のFEを使い分けてた。今は残念ながら動いていないけど、手放さずに手元にある。

Nikon F2, Auto 50/1.4

6台目はNikon F2。この頃、NikonのF一桁機が欲しかったんでF、F2、F3を触り比べしていたんだけど、最後は機械式のNikon最終モデルが欲しくてF2にした。その堅牢性と艶のあるデザインはなんとも言えない機能美を放つ。このF2が僕の中のNikonを特別なものにした。

Nikon D300, Ai-S 50/1.8

7台目はNikon D300。フィルムカメラで露出を合わせて撮る楽しさを覚え、もう一度デジタル一眼レフをマニュアルで楽しみ直してみたいと思い、フィルム感覚の低画素で撮れるD300を中古で手にする。10年前の製品とは思えない高品質の作りに驚嘆する。さすがDX(APS-C)機のフラッグシップ機だと思い知らされる。

Nikon Df

8台目はNikon Df。D300で完全にマニュアル感覚で撮るデジイチの魅力に目覚め、じぶんの中で最後のNikonの新品購入だと位置づけて購入。フィルムニコンで使っていたオールドニッコールたちが使える世界はたまらなく楽しかった。このDfでデジタルへの偏見みたいなものは無くなった。

Nikon F6

9台目はNikon F6。フィルムとデジイチの融合みたいなものが、僕にF6を手に取らせた。その手に持った時の言いようのない凄みと品質、例えようのない美しいシャッター音に、僕は完全に魅せられた。その正確な露出計からリバーサルフィルムで撮るようになったのもF6のおかげ。本当に化け物のような一級品カメラである。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

10台目はLeica IIIa。Nikon F6で打ち止めだと思っていたカメラ欲がこのバルナックライカの購入と共に一気にまた扉が開いた。最初に手にしたバルナックはIIIfだったけど、ひょんなことから二日後にIIIaに交換。このバルナックを手にしたことで、街撮りスナップという好奇心が開花したように思う。すでに持っていたM3とは異なるその感覚に、ライカ=スナップカメラという認識ができあがる。

Leica M-P typ240

11台目はLeica M-P typ240。ついにスナップ欲はデジタルライカに飛び火する。ライカマークの赤バッジを廃したブラックペイントのM-Pはこれぞ究極のスナップシューターという感動があった。このM-Pを手にしてからオールドレンズにもハマっていくことになる。

FUJIFILM X-E2

12台目はFUJIFILM X-E2。Leica M-Pとオールドレンズの楽しみを雨の日にも味わいたいと思い、ひと世代前のミラーレス機とロシアンレンズたちを手に入れる。これが雨用と言わず楽しかった。Industar-61 L/D 55/2.8も手に入れるなど、すっかりオールドレンズの世界に魅せられていった。

Rolleiflex Standard

13台目はRolleiflex Standard。オールドレンズで撮る味は二眼レフ、それも赤窓時代の120フィルムの原点、スタンダードに行き着く。初のブローニーだけど、ブローニーということより二眼レフを上から眺めるファインダーで撮る行為に興味があった。そのファインダーの中の絵本のような世界は圧巻だった。

Gakken Flex

14台目は学研フレックス。これも立派なカメラということで、僕の中ではなかなか思い入れのある一台。おなじみ学研の大人の科学の付録だけど、これをじぶんの手で組み立てて試し撮りに出てみた時の感激は今も忘れない。写りは決して良いとは言い難いけど、そんなものを超越した楽しさがこのカメラにはある。

Rollei35

15台目はRollei35。これは間違いなくRolleiflex Standardの影響だ。スタンダードと同じTessarのレンズがついた最初期のRollei35が欲しかった。それまで街撮りコンパクトはKonica C35だったけど、露出を合わせて撮るRollei35の魅力が、僕には心地よく思えるようになっていた。

Asahi Pentax SP, SMC Takumar 55/1.8

16台目はAsahi Pentax SP。何を思ったのか、サッカーW杯で日本代表が勝ったらカメラ買うとTwitterでつぶやいたところ、まさかの勝利。これもまた縁だと悟り、前々から気になっていたPentax SPとTakumarを手にすることになる。それにしてもこの写りの良さにはシビれた。ここ最近で最もヒットだったカメラ&レンズになった。

Leica X2

17台目はLeica X2。これは夏用カメラが欲しかった。夏でも汗なんかを気にせずフットワーク軽く持ち出せる街撮りスナップカメラ、そう想像した時に頭に思い浮かんだのはバルナックライカ。あのサイズ感でデジタルでヒュンヒュン撮れればと考えたら、このX2にたどり着いた。外付けEVFをつけるとX2は俄然カメラらしい撮影フィールに変身する。

というのが、僕のこれまでのカメラの軌跡だ。ほんとにじぶんではコレクションしてるつもりはまったくなくて、ただただ流れに身を任せて好奇心に耳を傾けていたら、ここまでいつのまにかやってきたという感覚だ。新しいカメラを迎えるたびに、手持ちのカメラのどれかを手放そうと思ったことは何度もあるんだけど、なんというか愛着みたいなものがすべてのカメラを手元に残させたという感覚だろうか。

この先があるのか、それともここで終わりなのか、じぶんでも分からない。でも、こうして振り返ると、どのカメラにもその時のじぶんの心境にフィットした思い入れのようなものがあり、なかなか手放すことができていない。実は今、もう一台欲しいカメラがある。さすがにそれを手に入れるとなると、どれかは手放す必要があると思案中なのだが。さて、どうなることやら。

カメラを難しいものにしたくない、という気持ちはどっかある。

Nikon F6, 50/1.4D

もともとこのブログはカメラのことを書こうと思って始めたんじゃなくて、「カメラを通して見る記憶の数々を記していこう」と書き始めたもの。だから、僕自身、カメラのことは詳しくないし、写真の腕もあるわけじゃない。そんな僕とこのブログではあるだけど、だんだんとじぶんの想像を超えてカメラに魅せられていく日々となり、近ごろはカメラのことについて書く機会が増えた。

それはなんとなく僕のようにカメラに詳しくない人でもカメラは気軽に楽しめるんだぞ、ということを伝えられる場になればなという思いがある。実際、カメラはプロの写真家も使う道具だから突き詰めていくと機能も所作も奥が深い。けれど、それを必要とするのはほんのひと握りの人であって、多くの人にとってはカメラの基本的機能さえわかれば実にシンプルでフランクに写真を撮ることができる。というか、いいカメラになればなるほどビギナーやアマチュアにやさしい大きな包容力がある。

例えばNikon F6は見た目も性能もゴツいけど、単に写真を撮るというこに関していえばほぼすべてがオートでシャッターボタンを押すだけで驚くほど満足のゆく写真が撮れる。フィルムカメラの原点であり35mmフィルムカメラの原点であるバルナック型ライカやM型ライカも、その撮影所作は驚くほどシンプルで、変な操作に惑わされず写真を撮ることにまっすぐ集中することができる。

近ごろのデジタルだって、M型デジタルのLeica M-P typ240は想像以上に機能も少なく、街中でサッとスナップを撮るのにも必要以上に躊躇することなく写真が撮れる。一見面倒に見えるクラシカルな二眼レフだって、撮ってみればその操作のステップが拍子抜けするくらいシンプルで、あ、もっとはやく出会っておけばよかった、みたいなフレンドリーさへの感動がある。そんな、実はカメラは僕らアマチュアの写真好きビギナーにも優しいんだということがブログを通して伝えられたらなと思うんだな。

しかもカメラはシチュエーションにも優しい。何も絶景やモデルさんを撮らなくても、撮る楽しみということでいえば、カメラさえ持ち歩いておけば辺り一面が被写体になる。僕にはこのカメラの一面も構えることなくとてもリラックスして向き合えて、心底カメラに出会えてよかったなと思っている。そうして日々を楽にユニークなものにしてくれたカメラたちだから、なかなか所有カメラをどれも手放せずにいる笑。けれど、たまにいつもと違うカメラを持ち出してこうしてブログにそのカメラのある暮らしの気分みたいなものを綴るのもまた僕自身の気分転換や癒しになる。そんなことを感じながら、コツコツとだけど難しくないカメラのブログを書いている。

日々のカメラ、週末のロードバイク。僕は生きかえる。

Specialized Roubaix SL4 Sport, Fujifilm X-E2 + Jupiter-8 50/2

6月最後の土曜日の朝、激しかった雨が奇跡的にあがり、2時間程度なら持ちそうな空の色を確認して、僕はロードバイクを持ち出した。月末はプールも休館日のため、この体の鈍った感じを取り去るにはロードバイクに乗るしかないように思えた。

いつもの通り、車と並走せずに済む川沿いの道まではそろりそろりとロードバイクを走らせる。ママチャリと同じくらいのスピードだが、公道はいつもこんなペース。自転車のF1カーとも言われるロードバイクはあまりに軽量すぎるため、車の多い道や歩行者が行き交う道ではスピードが出過ぎるし、ビンディングシューズでペダルと固定された足は、急な停止には向かない。つまり、人や車のいない道で高速で走れる場所でしかロードバイクのポテンシャルは引き出せないし、自転車道が整備されていない日本の道路ではほとんどの場合、ロードバイクの本質を楽しむことはむずかしい。

だから、僕の場合はロードバイクのポテンシャルが引き出せない道路では、ママチャリと変わらない乗り方しかしない。僕の知人でロードバイクやトライアスロン(TTバイク)をやってる人間は、車にロードバイクを積んで移動し、安全な場所に着いたらようやくロードバイクにまたがりハイパフォーマンスを楽しむ。ロードバイクのポテンシャルを高次元で引き出せる乗り方をした時の爽快感はたまらないものがある。無心になれたり、記憶が蘇ったり、肉体が風と同化したり、想像を超えた多幸感に包まれる。そして、そこまで力を出し尽くした後の疲労感は、何者にも変えがたいほど心地いい。

現代はどんなにしなやかに仕事をしようと思っても、かなりのストレスと疲労感にさいなまれるけど、それでもなんとかまた翌週がんばれるのは、僕にとっては週末のこのロードバイクのおかげだ。このロードバイクが僕の主に肉体的な疲労感をリセットしてくれるとするならば、脳的なリラックスをもたらしてくれるのがカメラ。毎日わずかずつでもシャッターを切れるよろこびは、他のものでは代わりがきかない。

人間には、じぶんを解放することができる何かがいる。僕の場合なら、それはカメラでありロードバイクだ。Runや水泳もするけど、道具と戯れることが僕はどうやら好きなようで、その意味ではカメラとロードバイクは脳と肉体をリセットしたり高めたりするのにとても合っている。そして、カメラとロードバイクは相性もいい。きょうはロードバイクで走る背中にミラーレスカメラFujifilm X-E2を乗せていて、休憩がてら何枚か道中のスナップを楽しんだ。ロードバイクに乗る時は大抵、なんらかのカメラはいつも一緒だし、逆にカメラを楽しみたいからロードバイクに乗って出かけることもある。決してこけることのない安全な乗り方をすれば、どんなカメラでもこうしてロードバイクと少し遠出の散歩カメラ的スナップが楽しめる。

僕はカメラもロードバイクも楽しむ時は大抵ソロ、つまりひとりだ。仕事も家庭も常に誰かと動いている中で、ひとりになれる時間は貴重だし、じぶんのペースみたいなものを取り戻せるところがある。今の目の前のことだけでなく、昨日のことを考えたり、明日のこと、数年後のこととかいろんなことが頭の中をめぐる。そうした脳のゆらぎみたいなものに、カメラとロードバイクはとても心地よく刺激を与えてくれる。子どもの頃は永遠と思えたゆるやかな時間の流れも、この歳になると加速度的に慌ただしく過ぎていく。そういう日々と週末に、少しだけじぶんらしいペースの時間を。趣味とは遊びだけじゃなくて、じぶんらしさを確認する大切な時間でもあるんだ。