カメラを難しいものにしたくない、という気持ちはどっかある。

Nikon F6, 50/1.4D

もともとこのブログはカメラのことを書こうと思って始めたんじゃなくて、「カメラを通して見る記憶の数々を記していこう」と書き始めたもの。だから、僕自身、カメラのことは詳しくないし、写真の腕もあるわけじゃない。そんな僕とこのブログではあるだけど、だんだんとじぶんの想像を超えてカメラに魅せられていく日々となり、近ごろはカメラのことについて書く機会が増えた。

それはなんとなく僕のようにカメラに詳しくない人でもカメラは気軽に楽しめるんだぞ、ということを伝えられる場になればなという思いがある。実際、カメラはプロの写真家も使う道具だから突き詰めていくと機能も所作も奥が深い。けれど、それを必要とするのはほんのひと握りの人であって、多くの人にとってはカメラの基本的機能さえわかれば実にシンプルでフランクに写真を撮ることができる。というか、いいカメラになればなるほどビギナーやアマチュアにやさしい大きな包容力がある。

例えばNikon F6は見た目も性能もゴツいけど、単に写真を撮るというこに関していえばほぼすべてがオートでシャッターボタンを押すだけで驚くほど満足のゆく写真が撮れる。フィルムカメラの原点であり35mmフィルムカメラの原点であるバルナック型ライカやM型ライカも、その撮影所作は驚くほどシンプルで、変な操作に惑わされず写真を撮ることにまっすぐ集中することができる。

近ごろのデジタルだって、M型デジタルのLeica M-P typ240は想像以上に機能も少なく、街中でサッとスナップを撮るのにも必要以上に躊躇することなく写真が撮れる。一見面倒に見えるクラシカルな二眼レフだって、撮ってみればその操作のステップが拍子抜けするくらいシンプルで、あ、もっとはやく出会っておけばよかった、みたいなフレンドリーさへの感動がある。そんな、実はカメラは僕らアマチュアの写真好きビギナーにも優しいんだということがブログを通して伝えられたらなと思うんだな。

しかもカメラはシチュエーションにも優しい。何も絶景やモデルさんを撮らなくても、撮る楽しみということでいえば、カメラさえ持ち歩いておけば辺り一面が被写体になる。僕にはこのカメラの一面も構えることなくとてもリラックスして向き合えて、心底カメラに出会えてよかったなと思っている。そうして日々を楽にユニークなものにしてくれたカメラたちだから、なかなか所有カメラをどれも手放せずにいる笑。けれど、たまにいつもと違うカメラを持ち出してこうしてブログにそのカメラのある暮らしの気分みたいなものを綴るのもまた僕自身の気分転換や癒しになる。そんなことを感じながら、コツコツとだけど難しくないカメラのブログを書いている。

日々のカメラ、週末のロードバイク。僕は生きかえる。

Specialized Roubaix SL4 Sport, Fujifilm X-E2 + Jupiter-8 50/2

6月最後の土曜日の朝、激しかった雨が奇跡的にあがり、2時間程度なら持ちそうな空の色を確認して、僕はロードバイクを持ち出した。月末はプールも休館日のため、この体の鈍った感じを取り去るにはロードバイクに乗るしかないように思えた。

いつもの通り、車と並走せずに済む川沿いの道まではそろりそろりとロードバイクを走らせる。ママチャリと同じくらいのスピードだが、公道はいつもこんなペース。自転車のF1カーとも言われるロードバイクはあまりに軽量すぎるため、車の多い道や歩行者が行き交う道ではスピードが出過ぎるし、ビンディングシューズでペダルと固定された足は、急な停止には向かない。つまり、人や車のいない道で高速で走れる場所でしかロードバイクのポテンシャルは引き出せないし、自転車道が整備されていない日本の道路ではほとんどの場合、ロードバイクの本質を楽しむことはむずかしい。

だから、僕の場合はロードバイクのポテンシャルが引き出せない道路では、ママチャリと変わらない乗り方しかしない。僕の知人でロードバイクやトライアスロン(TTバイク)をやってる人間は、車にロードバイクを積んで移動し、安全な場所に着いたらようやくロードバイクにまたがりハイパフォーマンスを楽しむ。ロードバイクのポテンシャルを高次元で引き出せる乗り方をした時の爽快感はたまらないものがある。無心になれたり、記憶が蘇ったり、肉体が風と同化したり、想像を超えた多幸感に包まれる。そして、そこまで力を出し尽くした後の疲労感は、何者にも変えがたいほど心地いい。

現代はどんなにしなやかに仕事をしようと思っても、かなりのストレスと疲労感にさいなまれるけど、それでもなんとかまた翌週がんばれるのは、僕にとっては週末のこのロードバイクのおかげだ。このロードバイクが僕の主に肉体的な疲労感をリセットしてくれるとするならば、脳的なリラックスをもたらしてくれるのがカメラ。毎日わずかずつでもシャッターを切れるよろこびは、他のものでは代わりがきかない。

人間には、じぶんを解放することができる何かがいる。僕の場合なら、それはカメラでありロードバイクだ。Runや水泳もするけど、道具と戯れることが僕はどうやら好きなようで、その意味ではカメラとロードバイクは脳と肉体をリセットしたり高めたりするのにとても合っている。そして、カメラとロードバイクは相性もいい。きょうはロードバイクで走る背中にミラーレスカメラFujifilm X-E2を乗せていて、休憩がてら何枚か道中のスナップを楽しんだ。ロードバイクに乗る時は大抵、なんらかのカメラはいつも一緒だし、逆にカメラを楽しみたいからロードバイクに乗って出かけることもある。決してこけることのない安全な乗り方をすれば、どんなカメラでもこうしてロードバイクと少し遠出の散歩カメラ的スナップが楽しめる。

僕はカメラもロードバイクも楽しむ時は大抵ソロ、つまりひとりだ。仕事も家庭も常に誰かと動いている中で、ひとりになれる時間は貴重だし、じぶんのペースみたいなものを取り戻せるところがある。今の目の前のことだけでなく、昨日のことを考えたり、明日のこと、数年後のこととかいろんなことが頭の中をめぐる。そうした脳のゆらぎみたいなものに、カメラとロードバイクはとても心地よく刺激を与えてくれる。子どもの頃は永遠と思えたゆるやかな時間の流れも、この歳になると加速度的に慌ただしく過ぎていく。そういう日々と週末に、少しだけじぶんらしいペースの時間を。趣味とは遊びだけじゃなくて、じぶんらしさを確認する大切な時間でもあるんだ。

僕は中判がやりたいわけではなかった。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

これは言い方のニュアンスがむずかしいんだけど、僕は中判がやりたくてローライフレックスを手に入れたわけじゃないんだよね。ローライフレックスで撮ってみたかったわけで、それが結果、中判だった、というニュアンスのほうが近いんだ。ローライフレックスを持てば時間の流れ方が変わる気がしたし、ローライフレックスとなら初恋のようなドキドキ感が味わえるんじゃないかと思ったんだ。

近い感情でいえばライカM3への思いがそれにあたると思うけど、それでもM3はさわってみて初めて恋に落ちて、たまらず手に入れたもの。さわる前から恋心を抱いていたローライフレックスとは少し思いが異なる。それは川内倫子さんがローライフレックスで撮っていたという影響もあるけど、やっぱり独特のその存在感に魅せられていたことが大きい。

そんな僕の前に現れたのは、3.5Fでも2.8Fでもなく「ローライフレックス・スタンダード」だった。イメージしていたローライフレックス像よりさらにレトロチックで、軽くコンパクト。備え付けられていたレンズは僕が思い入れのあったテッサー。もう、求める条件がすべて揃ったまさに意中の女性が出現、そんな感覚だった。

とはいえ、飾っておくためのカメラを買う趣味は僕にはなく、実際に撮りに連れ出すことこそが最上の「デート」のようなもの。しかも街中をデートしたいというより、人っ気の少ない場所で静かな語り合いを求めた。このカメラにかぎっては、頻繁に連れ出すことよりも、誰にも邪魔されずデートを楽しめれば、その頻度は少なくても心は大きく満たされる、そんな存在が僕の中のローライフレックスだ。

けれど、撮っている最中のデート時間が楽しいだけではなく、撮れる写真もまた素晴らしいのがローライフレックスの真骨頂。1930年代のカメラとは思えないしっかりとした写りをみせてくれるし、そこに魔法のような何かをふりかけた体温のある写真ができあがる。なんか浮かれた恋話みたいで小っ恥ずかしくもあるけど、これが僕の中に潜むローライフレックスへの感情でありまなざしだ。夜中のポストだから少し照れくさいことをこうして書いてみた。これは僕だけの感情なのか、それとも同じような恋にうなされる人がほかにもいるのか、それは分からないけど、このどうしようもない感情はかなりアリだと思うんだ、人生のエネルギーとしてね。

「カメラといえば一眼レフ」だった僕の変化。

Leica M3, Planar T*2/50 ZM

過去にも何度か書いてきたんだけど、僕が初めてカメラらしいカメラを手にしたのは、デジタル一眼レフのAPS-C機 Nikon D5300。その後フルサイズのD750へ移行して、すっかりカメラの魅力のトリコになった。購入当時はカメラの知識もほとんどなく、漠然とカメラが欲しいなと思った時には「イコール、一眼レフのこと」としか思い浮かばず、いわゆるコンデジとかではない本格的カメラの世界にほんと感動の日々だった。

たしかこの頃に、何かカメラの知識が身につく本を読みたいと思い、Kindleでたまたま購入したのが、田中長徳さんが書いた2冊の本「カメラは知的な遊びなのだ」とその続編「カメラは詩的な遊びなのだ」。この本の中に、やれ銀塩カメラだのレンジファインダーだのミラーレスだのカメラのジャンルらしき言葉がいくつか出てきて、それでもそれらは亜流で一眼レフこそが主流のカメラなんだと思いながら読んでた記憶がある。

けれど、いま現在の僕はどうかというと、一眼レフはもちろんデジタルもフィルムも所有しているけど、日々の軸足はどこにあるかといえば、レンジファインダーなんだよね。ライカであり、Konica C35であり、Rollei35。いわゆる素通しのガラスのファインダーをのぞいて撮ることがどちらかといえば僕のスタンダードになった。

その要因として最も大きいのは、平日に街中でスナップを撮るようになったこと。そのコンパクトで控えめなシャッター音、そしてほぼ目測だったり、露出セッティングを固定してどんどん素早くシャッターを切りながら歩く感じが、僕のカメラの軸足をどんどんレンジファインダーメインへと移行させていったんだよね。

おもしろかったのは、あれだけ一眼レフこそがカメラの主流だと思っていたのが、フィルムカメラやスナップの世界ではむしろレンジファインダーのほうが主流で、デジタルだってミラーレスのほうがその界隈の人たちの主流だと気がついたこと。これはたぶん、僕がかつてのように週末だけじっくりファインダーをのぞいてシャッターを切る生活を続けてたら、今も「カメラとは一眼レフのこと」と思いま続けたままだと思う、きっと。

一眼レフの漆黒のファインダーの中で獲物を捕らえるような濃厚な撮影感覚は今でも実に楽しくて、豊かな時間でもある。レンズもマクロから望遠ズームまで多彩なんで、息子の学校行事やスポーツ行事なんかの撮影にも一眼レフがあればオールマイティーに写真におさめることができるしね。

けれど、ふだんレンジファインダーで撮るようになってからは、寄れないレンズにも慣れたし、ズームのないMF撮影もふつうになったし、思い出を残すということでいえば息子のアップ寄りの望遠写真より、むしろ50mm前後の焦点距離のレンズで周囲の背景まで写り込んだ写真のほうが、後に思い出を振り返る息子なんかにしてみれば嬉しいんじゃないかと思うようになった。

息子も中学生になり、あまりズームで寄りの様子を撮る世代でもなくなったし、もうしばらく望遠ズームの必要性は学校行事なんかで撮影に適した機材を見極めていきたいとは思ってるんだけど、その結果次第では僕のスタイルは完全に「カメラとはレンジファインダーのこと」へ移行するかもしれない。いま、なんとなくそんな予感がしているのである。

趣味性として二眼レフとフィルム一眼レフの数台は残すとは思うけど、街中でスナップを撮るのも、週末に散歩カメラするのも、家族の写真を撮るのも、いくつかのレンジファインダーですべてをこなす、そんな感覚。どうなのかな、それが自然な流れなのか、それとも少し特殊なことなのかは分からないけど、だんだんと息子も成長し、僕のカメラ観も成長するにしたがって、そんなことをふと考えている。

カメラも自然と増えてきて、意図せず今は15台になり、そろそろ深く使うカメラを絞り込みたいというじぶんもいるし、実際一つひとつのカメラと濃密に過ごす時間も分散されていることも事実。いろんなことが重なってきて、そんなことを考えるようになってるんだろうなと思う。綺麗な写真とか上手い写真を撮るのなら一眼レフが最強の機材であることは変わりないんだろうけど、僕が撮りたいのは上手い写真より、ブレたり甘かったりしながらも魅力的な写真。そういう意味でもレンジファインダーが性に合うようになってきているかもしれない。そんな心境の僕がこの先どう転がっていくのか、楽しみながら観察していきたいと思う。

いま振り返る、Nikon FEとの運命的な出会い。

Nikon FE, Ai 50/1.8

皆さんは、最初に手にしたカメラは何だろうか?。僕はこのNikon FE。正確にいうとそれ以前にデジタルカメラは数台経験していたけど、“今の僕”があるという意味においては、このフィルムカメラのFEが始まりといってもいいだろう。それくらい、このカメラとの出会いが僕のライフスタイルに大きく影響を与えた。

デジカメを一度いわゆる断捨離してRICOH GRだけで過ごしていた時に、たぶん日々眺めていたTwitterの影響もあったのか、ふと中古カメラコーナーに立ち寄ったんだよね。中古カメラとはいえ、どれも数万円はするなかで、このFEはたしか一万円もしなかったんじゃないだろうか。しかもレンズも付いてショーケースの中に鎮座していた。けれど貧乏くさく置かれていたんじゃなくて、僕にはその端正ないかにもフィルムカメラらしい佇まいがとても格好良く見えたんだよね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

ブラックとシルバーがバランスよく配されたデザインはとてもカメラらしく、垂直に描かれたNikonの旧ロゴ、いかにもメカニカルな各種ダイヤル、あと匂いというのかな、僕が生まれて育ってきた昭和の香りをプンプンと放ち、一気に気持ちが引き込まれていくのがわかった。となれば躊躇する値段でもないし、連れて帰ってみようと。そこから始まったんだよね、時間の流れ方が変わる生活が。

Nikon FE, Ai 50/1.8

だって、こんな自転車のありふれた部品を撮るだけでも楽しいんだよ。そんなカメラないよね、普通(笑)。僕のFEは値段のわりに外観はすこぶる美しいけど、ファインダーの中はそれなりにゴミなんかもあって最新カメラと比べるとお世辞にも快適とは言えない。けれど、それも含めて楽しいんだ、このFEのファインダーを通して記憶する世界はね。

Nikon FE, Ai 50/1.8

シャッターレバーもいかにもレトロな形で、こんなので写真が撮れるんだろうかと最初は思ったもんなあ。ジーっと巻き上げてシャッターを切ると、これまたなんともレトロで頼りないシャッター音を奏でる(笑)。もうね、癒しの世界とはこういうものを言うんだろなというくらい、このデジタルハイテク時代にあって新鮮な撮影体験だった。

Nikon FE, Ai 50/1.8

心配してた露出合わせもAEの絞り優先撮影ができるFEならまったく分からないわけじゃない。いま思うとかなり開放気味だったとは思うけど、シャッタースピードのことまでは理解できていなくても撮影自体は普通にできた。どちらかというとマニュアルフォーカスのほうがどぎまぎしたかな。

Nikon FE, Ai 50/1.8

購入したのが金曜日の夜だったから、土曜日の朝、一本だけお店で詰めてもらっていた24枚撮りの業務用100で夢中で撮った。家の近くの公園とか何の変哲もないありふれた光景たち。それでも僕には満足だった。というか、その体験したことのないフィルム撮影の味わい深さに感動しきりで、結局その週末は近くのホームセンターでフィルムを買い足して、まだちゃんと撮れているか分からない試し撮りに数本のフィルムを費やした。

Nikon FE, Ai 50/1.8

そして週末が終わりフィルムを初めて現像に出すことになるんだけど、この現像あがりを待つまでの時間も何ともいえずワクワク、ドキドキしてたなあ。もうね、恥ずかしいけど中学の頃の恋模様のようなあのドキドキ感だから(笑)。あんな心境は二度と経験できないと思ってたけど、こんなオヤジになってもできるんだよね、フィルムカメラなら。

Nikon FE, Ai 50/1.8

最初の現像はまだデータ化とかの仕組みもよく分かっていなかったから、全枚数プリントを頼んだんだよね。これがまた良かったのかもしれない。現像からあがってきた写真たちをお店の人が「写真の仕上がりを確認してください」とレジで促してくらたんだけど、そのプリント写真を見た時の衝撃は今でも忘れない。「なんだ、この美しい写真たちは!これ、本当に僕があの古くさいカメラで撮ったものなのか?!」と本当にしばらく言葉を失ったから。

Nikon FE, Ai 50/1.8

以降、僕がフィルムNikonのブラックシップ機、F2やF6、フィルムライカの原点IIIaやM3、ローライフレックスやローライ35を手にしていったわけだけど、もうこれはすべてNikon FEとの衝撃的な出会いがあったからこそ。さらに新鮮だったのは、このフィルム体験がもう一度“マニュアルライクなデジタル”との再会まで導いてくれて、Nikon DfやLeica M-P(typ240)までもが今では日々の相棒になった。

気がついたら世間から“沼”と言われそうなくらいの数のカメラに囲まれたおじさん人生になったけど、いま僕は青春を謳歌している。フィルムカメラたちは僕が生まれ育った昭和の頃の何かも感じさせてくれるからね、そういう意味でも青春を取り戻している感覚があるのかもしれない。人にはそれぞれ人生の中でいくつかの転機があると思うんだけど、僕にはこのFEとの出会いがその大きなひとつであることは間違いない。フィルムという記憶メディアがいつまで楽しめるのかは分からないけど、使えるかぎりは僕の青春も終わらない。いい歳してほんといいものに巡り会わせてもらった。人生がとても豊かなものになった。

大人には遊び道具がいる。クラシックカメラとかロードバイクとか。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

遊び道具というのなら子どものころのほうがいるんじゃないかと言われそうたけど、子どもは驚異的にクリエイティブだからね、道具なんかなくても道端のものでどんどん遊びを開発しちゃう。それに比べると、大人はクリエイティブになるための道具がいる。だんだんと社会の中で脱線しないように妙な器用さを身につけてしまう分、そこから束の間とはいえ脱出できる装置というか、非日常へ強力に場面転換してくれる道具。それが僕の場合だと、クラシックカメラであり、ロードバイクなんだ。

カメラはデジタルでもクラシック的なものがいい。見た目に現代の電子デバイスとは異なる世界観を持ち合わせていて、便利さとは逆行するようなマニュアル操作のカメラ。自転車も手軽さよりマニアックな操縦や肉体との向き合いを要求される競技用ロードがいい。いわゆるどちらもあえて不便な道具たち。でも、それが便利な世の中にちょっと背を向ける(向けたい)大人たちには必要なんだ。大人流の反抗期みたいなもんかな笑。

幸い大人になると、若かった頃よりは道具に多少散財できる余裕もある。子どもが大きくなればじぶんの時間も生まれる。知らないことを知らない、好きなもんは好きと言える素直さも出てくる。好奇心に向き合って、じぶんをあえてハマらせていくこともじぶん次第でできる。若さには敵わないけど、大人にはそういう楽しみが待っているという意味では、世の中良くできてるなとも思う。

僕に関していえば、若い頃に遊ぶのが下手くそだったのを、今になってもう一度挑戦し直しているというか、挽回しているというか、道具という場面転換装置を利用して少しパワフルに遊びの時間を作り出してるんだろうな。道具は所詮道具であって、本当の楽しみは道具の先にあるとも言えるけど、道具そのものもなかなか楽しく刺激的なもの。クラシックカメラとロードバイク、僕の人生をなかなかドラマチックにしてくれてると思ってる。ちょっと小っ恥ずかしくはあるけれど。

考えてみると、街中で一眼レフを構えたことがない。その理由のようなもの。

Nikon F6, Ai AF 50/1.4D, FUJIFILM 業務用100

理由なんてそんな大げさなものではないんだけど、これだけ街撮りスナップしていてまったくといっていいほど一眼レフを持ち出していないのは普通なのか、それともめずらしいことなのか、ちょっと気になったんだよね。

思えば、デジタルもフィルムも僕が最初に手にしたのは一眼レフだ。デジタルはNikon D5300、フィルムはNikon FE、デジタルは今ではNikon Dfになったけど完全に週末用で、週末に家族と出かけた先でたまたま街中を背景に撮ることはあるけど、街撮りスナップは一度も経験がない。フィルムのほうも一眼レフは、FE以外にNikon F2とF6があるけど、こちらも古い町並みをリバーサルなんか詰めて撮りに行くことはあるんだけど、やっぱり街撮りスナップはない。

僕の街撮りスナップは平日、仕事鞄に入れている比較的コンパクトなカメラで撮っているというせいでもあるんだけど、そもそも一眼レフを平日に持ち出すのが厳しいと思ったからRICOH GRやKonica C35をサブカメラとしてわりと早くに購入したんで、以来なんとなく一眼レフは週末用で街中を離れた場所で撮るようになったんだよね。Leica M3も購入当初は週末用だったんだけど、Leica IIIaを平日の仕事鞄に入れて持ち出すようになってから、M3もすっかり平日の街撮りカメラになった。そうすると唯一、一眼レフだけが街撮りに使っていないカメラになるんだよね。

平日に持ち歩くには大きく重いというのが最初の印象だったことは間違いないけど、あの一眼レフの姿を街中で構える勇気みたいなものも持ち合わせていなかったんだろうな。最近でこそLeica M-P typ240でも街撮りスナップするようになったけど、僕がそのためにチョイスしたのは全身ブラックペイントで街中でもそれほど目立たないボディ。M-Pなら街中で構えられても、これが一眼レフとなるとまず街中で今のようにさりげなくスナップを撮ることはやっぱりむすかしいじゃないかとじぶんでは思う。

冷静に考えると、例えばLeica M3とNikon F2の間にそれほどボディの大きさの差があるかというと、それほどはない。けれど、シャッター音しかり、レンズの迫力しかり、そのボディサイズ以上に両者にはスナップ用カメラとしての存在感に大きな差がある気がする。それでも、Twitterなんかを見ていると大ぶりな一眼レフで街撮りスナップをしてあるであろう人は少なくないように思えるし、実際、撮れる写真の精密さとかボケの迫力なんかでいえば 、一眼レフもまたおもしろいのかもと思ったりするけど、やはり僕にはその勇気は今のところない。

けれど、やっぱりそこは勇気の問題なのかな。二眼レフやハッセルなんかで街撮りスナップしている人もいるし(僕は街中で実際に見かけたことはないけど)、もともとオールマイティーな一眼レフだけですべての写真を撮っている人だってたくさんいる。たしかにスナップにはレンジファインダーやミラーレスが向いていると言われることもあるけど、要は撮る人次第なんだよね、カメラは。これだけ書いたり考えたりしても、まだ一眼レフを街中に持ち出すイメージはないけど、仕事鞄に入れさえすれば少し状況は変わるのかなとも思ったり。一度、忍ばせてみるか。

最後に手元に残したいカメラを、時間をかけてゆっくり絞り込んでいく。

Leica M-P typ240,Elmar M 50/3.5

朝の通勤時によく出会うおじさんがいる。僕もおじさんだけど、僕より人生の先輩でお孫さんがいそうなおじさん。仕事を引退しているかどうかは身なりからはよく分からない。でも小綺麗なアウトドア系の服装で自転車にのり、よく道端でカメラを構えてのどかな自然なんかを撮っている。

カメラはなんだろうといつも気になっていたんだけど、昨日すこし注意して見てみたら、どうもレンズはシルバーのジュピター8じゃないかと。ボディははっきりとは分からなかったけどSONYのα7系に見えた。いずれにしてもブラックボディの割とコンパクトなミラーレスだ。

なんだか、あゝいいなと思った。おじさんの年代からするとフィルムカメラ世代だと思うんだけど、ここからは推測だけど、仕事を引退するような歳になると、なかなかフィルム生活を維持するのはむずかしい。金銭的なこともあるし、自宅そばにフィルムを売っているところや現像に出せるところもない。でも、あの頃のカメラのある生活は忘れられない。そんな時に現像しなくていいミラーレスカメラはきっとありがたいし、何より往年のオールドレンズたちも楽しめる。たぶん、そんな感じなんじゃないかなと思った。

僕もあと10年もすれば今の仕事を引退する時が来る。先に書いたおじさんのそうではないかというシチュエーションと同じようになる。そんなことをふと考えると、ミラーレスとオールドレンズの世界はアリだなと思った。まあデジタルなんで機械式のフィルムカメラボディは何十年とは使えないかもしれないけど、オールドレンズで撮るならその都度型落ちの小綺麗なカメラを買い直していけばいい。マニュアルでシャッターを切ることができれば、それはフィルムカメラに慣れたからだにもフレンドリーだ。

まあまだ先の話とはいえ、10年なんかはたぶんあっという間で、やがて僕も仕事をセーブしたり、車に乗らなくなったり、行動範囲が狭くなったりする。そんなシーンのカメラとの過ごし方を考えて、その最後に手元に残すカメラとレンズをこれからじっくり時間をかけて絞り込んでいく。そんなことを感じさせたおじさんのカメラライフとの遭遇だった。あ、おじさんの日常のことはすべて妄想ではあ?だけどね笑。さて、僕の手元にはどんなカメラとレンズが残っていくんだろう。

デジタルな現代だからこそ、フィルムがいる。

Nikon F2, Auto 50/1.4, Fujifilm 業務用100

みんながそうかは分からないけど、僕にはそうだ。週のうち五日間はたぶん普通の人より多めのデジタルな環境に囲まれて生きている。その延長線上でいえばデジタルな趣味があってもよさそうだけど、僕の趣味とはどれもアナログ的だ。

ロードバイク、スイミング、ランニング、そしてフィルムカメラ。どれもが風や土、水、緑を全身で感じることがベースだ。カメラについてはデジタルでも撮るけど、その触れ方はアナログなカメラの延長線上にある。つまり、ふだんのデジタルと反作用するアナログなことが、なんとか僕の生き方のバランスをとってくれている。

デジタルな世界で溺れないようにアナログでバランスをとる。このことは言うほど単純でも無いし、軽い話ではない。決して大げさではなく、人間が生きる根源的なバランスの話なんじゃないかと思う。世の中、万物は表と裏、光と影、正と悪といった相反するものがバランスをとりあって成立している。そんなことを思うようになって久しいけど、今では何をするにもそのことが脳裏にある。

僕もいい歳なんで年代のせいかなと思うところもあるけど、世の中が曲がりなりにもフィルムカメラ人気などと聞くと、若い人だって潜在的にデジタルばかりの世の中でなんとか相反する要素をじぶんにとりこんで、この世の中を必死に泳ぎ切ろうと思ってるんじゃないかと思う。必死というよりは、もっと無意識なものか。デジタルを敵視するんじゃなくて、デジタルと軽やかに同居するかたちでアナログなものと上手に暮らす。そのためにフィルムカメラというのはとても自然体でフィットする。

何もかもがデジタルデータでくっきりはっきりするんじゃなくて、あえてくっきりはっきりしていない曖昧なもの、不便なもの、面倒くさいものを混ぜる、しなやかに。平日のオフの日にめいっぱいクラシックカメラのことをインプットしようとしているじぶんがいて、ふとそんなことを思った。

雨の日曜日なんで、今週末の散歩カメラの写真を整理しよう。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

きょうはしっとり雨模様の日曜日。昨日は初夏らしく晴れてローライフレックス・スタンダードやローライ35も持ち出して楽しんだんだけど、現像はまだ先なんで、きょうは朝晩の散歩でデジタルで撮った写真だけアップしておこう。なんてことない日常だけど、シャッターを切れるよろこび。以下、写真だけだけど、よかったら。

Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Elmar 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

しかし、こうしてみてもよく懲りずに同じような近所の写真を撮り続けてるなと思う。まあポリシーとかがあるわけでもなく、シャッターを切りたい気持ちに素直にこたえてるだけなんだけどね。撮るクスリ、みたいなね。

Nikon Df, 50/1.8G
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5
Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まあでもシンプルな写真ばかりなんで、Leica typ240やNikon Dfの写りなんかの参考にはしてもらえるのかもしれない。さて、ひととおりアップしたんで、あとはゆっくり過ごす雨の日曜日としようかな。みんなも、よい日曜日を。