モノクロ気分な日曜日。Leica M-P typ240 × Summilux 50/1.4 2nd


Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

カメラとか写真は不思議なもので、どれかをしばらく使い続けると別のものが使いたくなる。フィルムで撮り続けてたらデジタルで撮りたくなるし、一眼レフで撮り続けてたらレンジファインダーで撮りたくなる。僕の今朝の気分はここのところカラーで撮り続けてたからモノクロで撮りたいと思い、デジタルたちを連れ出した。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

連れ出したのは、Leica M-P typ240とOlympus PEN-F、そしてLeica X2だ。なぜ3台も、ということになるんだけど、どれも残り電池が少なかったから予備で3台持ち出したんだよね。と、この3台の写真をTwitterにポストしたところ、ある人から「フィルムは無いんですね」と言われ、あ、僕はフィルムの人と思われてるんだなと思ったんだけど、実は首からLeica M3もぶら下げていたので、まあ正確に言えば4台と一匹のなかなか賑やかな朝散歩となった。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕はモノクロで撮りたいと思った時はデジタルを持ち出すことが多い。いや、ほとんどそうかな。モノクロフィルムはなかなか現像環境が身近に整っていないんで、撮る時はカラー現像機でC-41現像ができるILFORD XP2 400だけどそれなりに高価なんで、デジタルを持ち出すことのほうが断然多いかな。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕はシャッター切るのが好きで大量に撮るから、特に代わり映えしないいつもの散歩道の光景を撮るのに高価なモノクロフィルムはバンバンは使えない。それからするとデジタルはほんとありがたく、量を気にせずシャッターを切りまくることができる。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕の所有するデジカメたちはどれもモノクロの描写がなかなか良くて、それも大いに気に入っている。Leica M-Pのフィルムモードの白黒はJPEG撮って出し派のために用意されたようないい味の描写を楽しませてくれる。ここにあげている写真たちはすべてM-PとSummilux 50 2ndで撮ったものだけど、どうだろう。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

ここのところはずっとそんなこと書いてるけど、僕の中ではデジタルで撮ることはフィルムで撮ることの妥協ではなくて、ほんとデジタルもフィルムも特に意識せずにシームレスに行き来して撮っている。最新テクノロジーで作られたカメラが面白くないわけは無くて、デジタルにはデジタルの楽しみもある。それを教えてくれたのが最初はRICOH GRであり、Nikon Dfであり、デジタルライカであり、最近手に入れたOlympus PEN-Fだったり。どれもほんとに素晴らしい。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕の場合はフィルムカメラをやったおかげでデジタルが好きになったタイプのにんげんだから、フィルムとかデジタルとか意識せずに楽しめているのかもしれないね。思えば最初はRICOH GRの28mm広角スナップでモノクロに目覚めたんだっけかな。あの精密かつ緻密なモノクロ写真のクールさにゾクゾクした。そこから自然の中でもモノクロ特有の光と影を探してモノクロで撮りだしたんだよね、それまで以上にね。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

そうそう、昨日Twitterで平野勝之監督から「シャッター中毒は貴重」だということと、僕の場合は「視覚の運動」として写真を撮っているように見える、と言っていただいた。僕はほんとシャッターを切る瞬間が大好きで、誤解を恐れずに言えばシャッターが切りたくていつもカメラを持ち歩いている。だから、目の前の光景が平凡でもかまわずシャッターは切る。それが「生きてる」って思う僕の呼吸や瞬きのような行為だ。その時、アナログチックな操作で撮れるフィルムカメラやフィルムライクなデジカメたちはとても心地いい相棒であってくれるんだ。


ところでマイクロフォーサーズってどうなの という問いに対して 僕が思うこと。


OLYMPUS PEN-F, M.Zuiko digital ED 12/2

マイクロフォーサーズと聞いてどんな印象があるだろうか。僕の拙い知識でも、一般的なコンデジよりは大きなセンサーを積んでるとはいえ、フルサイズはおろかAPS-Cより小さなセンサーサイズでどこか本格的ではないライトなカメラ、という印象がある。いや、正確にはあった。今は全然違うのである、その食わず嫌い的な印象とは。

二週間ほど前に僕が初めて手にしたマイクロフォーサーズ機が、上の写真のOLYMPUS PEN-Fだ。このカメラを手にして以来、僕のカメラの見方は大きく変わろうとしている。見た目やシャッターフィールにまず一目惚れして購入したカメラだけど、当たり前だけど今まで気にも留めていなかった故に僕の前を素通りしていたマイクロフォーサーズ関連の情報が目につくようになる。そうすると、だんだんとこのマイクロフォーサーズというカメラが究極のカメラに思えてくるのだ。

僕はカメラをAPS-C機の一眼レフから始めた。その後、フルサイズの一眼レフへ。そしてレンジファインダーへと進展していったので、各種フィルム機と合わせても、ひと通りカメラの種類を経験してきたアマチュア写真愛好家のひとりだ。自慢できるほどの腕も知識もないが、それでもひと通りカメラの種類を経験してきた僕がたどり着いたのがマイクロフォーサーズだったというのは、多少のカメラ選びの参考意見にはなると思う。

まず、センサーサイズ。その写りの芳醇さというか奥行きや余裕みたいなものでいえば、やはりフルサイズが良いという実感はある。けれど、それは撮るシチュエーションにもよるもので、僕の場合でいえば週末なんかに時間をかけてゆっくり撮りたい時はフルサイズ一眼レフのNikon DfやフルサイズレンジファインダーのLeica M-P typ240を好んで持ち出す。けれど、フルサイズとなるとそれなりにボディも重いし、レンズもフルサイズ用となるとなかなかゴツい。フルサイズ機ゆえに作り込みも良いから当然ファインダーの眺めやシャッター音も気持ちいいんだけど、それは僕にはあくまでゆっくり撮れるシチュエーションで喜ばしいものであって、舞台が平日の仕事鞄の中や街中スナップとなると事情が変わる。

僕はM型デジタルのLeica M-P typ240はフィルムライカでのストリートスナップの延長線上で購入したから、もちろん街中スナップにも持ち出すけど、やはりそれなりに重いのである。これはボディが薄くなった最新のM10でもそれほど変わらない意識だろうと思う。そうしてよりコンパクトなLeica X2を手に入れたりするわけだけど、やはりファインダーやレンズ交換式など本格的仕様のカメラで撮りたいという欲求はどこかある。それでいてできるだけ軽量コンパクトなものがいい。そんな良いとこ取りのムシのいいカメラなんてあるのか?となるわけだけど、それがあったのである。マイクロフォーサーズ機である。

潜在的にはそんな究極のバランスのカメラを求めつつ、マイクロフォーサーズなんて意識していないからすぐにそういうカメラ選びの行動に出たわけではない。毎週、数本のフィルムを現像に出したら受け取ったりするのにカメラ屋を訪れてる際に、ほんとに待ち時間に何気なく触れてみたんだよね、PEN-Fに。特に新品のカメラを買う予定もなかったから、ほんとに時間つぶしに触ってみたのが正直なところなんだけど、シャッターを切ってみた時に「なんだこれ、いいじゃん」とハッとしたのが最初なんだよね。実機のフォルムもよく見るととてもクラシカルかつクールな作り込みで、見れば見るほどとても好みであることに気づく。このPEN-Fがマイクロフォーサーズだと意識したのはその後のことだ。

それから何度か同じようにフィルムの現像出しや受け取りでカメラ屋に立ち寄るたびにPEN-Fを触るようになる。買うまでには至らなかったものの、気になるもんだからネット記事でPEN-Fのことをちょこちょこ検索するようになる。Twitterでも検索してみるんだけど、これがなかなかユーザーも少なく、どこかメジャーではない存在みたいなことも分かってくる。結局、三、四回通ったかな、四回目の朝には購入を決めていたじぶんがいた気がする。そうそう、その日の朝にTwitterで赤城さんにレンズキットのM.Zuiko 12/2の購入の是非を相談したりしてね。あ、今思うと、その少し前にCAMERA fanのTwitterアカウントさんが赤城さんのレビュー付きでPEN-Fのことをツイートしていたのも、僕にPEN-Fを意識させたきっかけのひとつだと思う。

でも、いずれにしても、コンデジでもない、フルサイズでもAPS-Cでもない、軽量コンパクトなんだけど本格的撮影フィールのカメラを僕は探し続けていたんだと思う。そこに偶然の出会いで現れたのがマイクロフォーサーズのPEN-F。そして、手に入れたその日から、僕の中の永遠のカメラ探しがどこかひと息つけた、そんな感覚がしたのである。やっとたどり着けたという安堵感であり、幸福感であり到達感みたいなもの。これは言葉で説明するのはほんと難しくて、できればお店で実機を触ってほしいと思う。そして、あらためてカメラに詳しい店員さんにマイクロフォーサーズ機の魅力を聞いてほしいと思う。

かつてフィルム時代にハーフサイズのコンパクトなカメラを作っていたOLYMPUSが現代に送り出す、フルサイズ機よりもAPS-C機よりもさらにコンパクトなマイクロフォーサーズセンサー搭載機。そして、フィルム時代に米谷さんの尋常じゃないこだわりによって神話化したといってもいいオリジナルPEN FやOM-1、PENシリーズのあの作り込みの凄さが現代に宿る21世紀のOLYMPUS機たち。その迫力は手に持った瞬間に電流が走るように感じられると思う。あとね、マイクロフォーサーズはPanasonicと共用しているのもいい。レンズは2社を中心にたくさん選べるし、なんといってもコンパクトなものばかりでコストも安く抑えられている。街中でスナップを撮る僕にしてみれば、もうすべてが理にかなっているという他ない。シチュエーション次第では圧倒的にこのマイクロフォーサーズはトップに躍り出る実力を持ち備えているのである。

そうやってマイクロフォーサーズに対する興味をきちんと持ち始めると、決して多くはないけどネット上なんかでもマイクロフォーサーズの情報が視界に入ってくるようになる。カメラはみんなが持ってるメジャーなものがいいという人には不向きかもしれないけど、あまり人が持っていなくて、それでいて通好みな高次元の実力の持ち主のカメラが欲しいということであれば、僕はこのマイクロフォーサーズ機でありPEN-Fというカメラを俄然激しくおすすめする。OLYMPUSカメラ80周年を機に打ち出してきた、まさに気合の入り方が違う名機。そう、僕には間違いなくこのPEN-Fは名機であり、マイクロフォーサーズというカメラの印象を派手にひっくり返してくれたとんでもなく秀逸なカメラなのである。


PEN-F のち M-P ときどきフィルム。


Leica M-P typ240, Summicron 50/2 1st

僕なりに今、少し意識してるのは、もっとシャッターを切る量を増やしたいということであり、もっともっとファインダーをのぞく瞬間を数多くしたいということ。そう意識すると自然とデジタルカメラで撮る機会が増えてくる。物理的にはフィルムカメラでも量は増やせるけど、そこにはやっぱりコストと現像の手間が付いてくる。幸い、今の僕はデジタルとかフィルムとか必要以上の偏りやこだわりは良い意味で無くなった。だったらデジカメのほうが量は撮れるのである。

先々週に手に入れたミラーレスのOLYMPUS PEN-Fは、僕のそういう嗜好にドンピシャではまってくれた。マイクロフォーサーズならではの軽量コンパクトだけどレンズ交換式で十分本格的にも撮ることができる。しかもファインダーを見ながら。なぜもっと早くこのPEN-Fの存在に気がつかなったのだろうというくらい気に入っている。今のところ、このPEN-Fが平日5日間の仕事鞄の中の主として決まりだ。

そして、週末。ここに収まるのはLEICA  M-P typ240だ。平日の広角PEN-Fに比べて、週末はフルサイズの50mmの世界をゆっくりと堪能する。エルマー、ズミクロン 、ズミルックスの描写をその時々の気候や天候、気分でチョイスし、時にそれぞれのレンズの味を比べる。愛犬との散歩もすっかり目測で撮るからMFでも特に問題はない。というか、平日と比べるとあえて手間をかけてシャッターを切りたいという欲求がある。それにはデジタルライカがうってつけなのである。

そうなると、これも必然としてときどきフィルムで撮りたくなる。ある時はフィルムコンパクト、ある時はレンジファインダー、ある時は一眼レフ。思い立ったらカメラをデジカメからフィルムカメラへ持ち替えるか、デジタルと一緒にフィルムカメラもカメラバッグに忍ばせて持ち出す。これだと変にフィルムを無駄遣いすることもない。というか、フィルムの良さやありがたさを今まで以上に実感するであろうことは容易に想像がつく。僕はいち早く慣れるだめにフィルムも大量に撮ってきたから、じぶん的には次のフェーズに入った、そんな感じだ。

これはあくまで僕のパターンで、僕が現状でしぶんに向いていると思うカメラとの向き合い方だから、おすすめするとかそういうものではない。フィルムで撮りたかったら没頭するのが幸福だし、一方でデジカメならではの高機能を生かした写真を追求するのも楽しいはずだ。それと同じようにフィルムとデジカメをニュートラルにハイブリッドする、ということが僕にはたまたまはまったということ。デジタルとフィルムを行き来する方法論をじぶんなりに見つけた、という感覚なんだ。おもしろいよね、走り続けてるとやがてこうして何らかのスタイルみたいなものが自然と形成される。いま、僕はその流れに身を任せて、とにかくもっとたくさんのシャッターを切り、ファインダーをのぞきたいと考えている。


アレモコレモさんの真似をして、欲しいものを素直に少し書いてみた。


Leica Standard

買いたいじゃなくて、くれるなら欲しいという話だから、気楽に書けるという解釈で。そうだなあ、まずはこのライカ・スタンダードのブラックペイントだな。以前カメラ屋で見かけて思わず触らせてもらい、写真を撮らせてもらったという笑。IIIaを購入した直後だったからとても買う気までは至らなかったんだけど、よく言われることで「中古カメラは出会った時が買い時」という言葉の通り、次回訪れた時はもう無くなってた。以来、どこのカメラ屋へ行っても心のどこかでこいつを探してるじぶんがいる。

あとは、Rolleiflex 3.5F(または3.5E)クセノターかな。これは欲しいというよりずっと憧れ。川内倫子さんの使用するカメラという意味で、なんか僕の中で聖域なんだな。手にしたいような、いや手にしちゃいけないような、そんな存在。

それから、気になっているといえばContax I型のブラックペイント。あの四角シカクしたボディ。いい感じにペイントが剥がれて真鍮が浮き出たボディは、もう写りとか分からなくてもただただいいなと思う。車でいえばMINIじゃなくてFIAT Pandaのカクカク具合。あの直線的美学はライカにはない味だと思う。

あとね、単純にNikon Z6とRICOH GRiiiはいいと思う。登場を待ってる人は絶対買っちゃえと思う。Zは初号機ならではの熱量を感じるし、GRはこの期に及んで小さくしてきたからやるなあRICOHって思う。カメラは作り手の意思みたいなものがモロに滲み出るプロダクトだからね。この2つにはそれを感じる。

それと、いつもなんとなく意識して見てるのは、やっぱりNikon FとF3かな。僕は最終的にF2アイレベルを選んだけど、最後の最後までFとF2、F3は比較しまくったからね。その時にふれた手触りが今でも忘れられないんだろうね。

そうそう、ミノルタ機も気にはなる。SRTシリーズだっけ、あれにロッコールというのはなんともクールなイメージ。所有してる人のイメージとして、変にカメラをアピールせずに、ほんとにカメラとか写真を静かに愛してる感じがする。そういう意味では稀有なカメラなんじゃないかな。私見ではあるけど。

最後は、Leica R6.2。機械式の一眼レフ機。ライカはM3をもう一台欲しいと少し狂った感情を持った時期もあるんだけど笑、その予算が仮にあれば先にこいつかなあ。ズミクロン つけて、クタクタになったR6.2を首からぶら下げて都市や荒野へ出る。なんとも最高じゃないか。

いやあ、妄想も悪くないね笑。もうカメラは増やさないと一応じぶんに課してるから、こうして書くだけなら大丈夫。買わなくても、カメラ屋に通って眺める価値はあるこんなカメラたち。それにしてもこのライカ・スタンダード、やっぱりたまらないオーラあるな。


デジタルこそマニュアルで撮ったほうがたのしい。


Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

僕の場合、まず前提としてフィルムで撮るのがたのしい、ということがあるんだけどね。それは、いい意味で手がかかるということ。フィルムを選ぶたのしみ、フィルムを装填するプロセス、露出を決めるたのしみ、そしてフィルムを巻き戻し、現像する(僕はラボへ出すけど、その待つ間だってたのしい)たのしみ。できあがる写真の素晴らしさもだけど、フィルムカメラに魅せられる人々は、手のかかるプロセスをたのしんでるんだろうね。いつ故障するか分からない少し古いイタ車を可愛いがるような感じに近いかな。

それと比べると、デジカメは便利でランニングコストもそれほどかからないけど、手がかからな過ぎる。どうかしたらほぼフルオートで美しい写真が撮れてしまう。それはそれでいいことなんだけど、たのしいかといえば微妙かなと。瞬間を逃すことのできないプロカメラマンならともかく、割とゆっくり撮ることができるアマチュアカメラマンにとって、撮るという行為は何も急がないし、カメラをじぶんなりに攻略するのがたのしいんじゃなかったっけと。僕だけかな、こんな暇人めいたことを言ってるのは笑。

でも、ある時からデジカメをフィルムカメラ的に、つまり撮る所作というかプロセスをたのしむようになってから、僕の中のカメラとの向き合いが少し変わった。デジカメをもっと手のかかる子として扱ってみることで、デジカメの撮影プロセスにも味を見出すことができるようになったんだ。いちばん手っ取り早いのは、デジカメをマニュアルで撮ること。ラティチュードのひろいフィルムと比べるとデジカメは露出にかなり正確さを求められるけど、これもフィルムカメラを経た人であれば、ゲーム感覚くらいでけっこう無理なくたのしめるはず。絞り、シャッタースピード、ピント、感度、どれもフィルムカメラと同じ作法で撮れば、実はかなりおもしろいことに僕は気づけた。これは大きかったなあ。

まあデジカメはその時々の先進テクノロジーの塊だから、その恩恵を存分に生かして写真を撮ることは正しいし、それが価格に見合う価値でもあるわけだけど、試しに手持ちのデジカメをマニュアルで試してみてほしいなあ。意外とカメラの忘れていた本質的たのしみを感じとることができるかもしれないし、撮影する時間の流れ方が変わると思う。つまり、ちょっと人生の流れ方が変わる。僕はそう思う。


カメラはもうこれ以上はいらないと思ってる。それより時間が欲しいんだ。


Leica M3

僕はカメラが好きだ。写真そのものと同じか、それ以上だ。だから、気をつけてはいるものの、魅力的なカメラをみつけるとついつい手を伸ばしてしまう。おかげでここ最近は毎週末、試し撮りしてるような気分だ。それはそれで楽しいんだけど、そんなカメラより大事だなと思うのが「時間」だ。

もちろん、カメラといる時間は最高の部類に入るわけだけど、人生は案外忙しい。仕事もあれば、家族もあるし、映画も見たければ、本だって読みたい。だから、カメラを人生の主役にするわけにはいかないんだ笑。僕にとってカメラは最高の脇役であって、カメラに振り回されるのはちょっと目指している人生と違う。

だから、カメラはもうこれ以上はいらない。ほんとだよ笑。昨日はNikon FEをある人へ譲った。カメラを増やすことより減らすことに舵を切ったんだ。じぶんではそのつもり。かといって無理やり減らすのもなんか目的がすり替わっちゃうんで、あくまで自然体でカメラを減らし、人生を少し濃くしたいんだ。

できるかな笑。いや、できるようにするんだ。人生は長いようであっという間だからね。カメラとの時間を減らすというわけじゃないよ。カメラとの時間をむしろ濃くするために、時間を大切にするんだ。手持ちのカメラで体験していないシーンがまだたくさんあるからね。というわけで、記憶カメラはまだまだ続く。ジワジワ、濃さをめざしてね。


じぶんの常識をぶっ壊そう。


Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

言うほど簡単じゃないんだな、これ、かなり意識しないと。僕、これかなり確信あるんだけど、にんげんはどうしてもマンネリする動物だから。時間がたてばたつほどどうしても居心地のいい場所を自然と見つけてしまう、そして知らず識らずのうちにそこに居座ってしまう。すると、にんげんの体の中の血流が止まるようなもんだから、そっと居心地よく大人しくしているようで、実は体や頭にいろいろ支障をきたす。だって、血流が止まってるんだからね。だから、僕らはなんとしても変化を取り入れていかないといけない。それは些細なことでいいんだ。いつもと違う道を帰る。いつもと違う靴を選ぶ。いつもと違う人とやりとりして、いつもと違うカメラやレンズを選ぶ。そうして、凝り固まったじぶんに風穴を開けるんだ。新しい何かが入り込む隙をつくる。ポリシーとしてじぶんを変えないみたいなことは一見クールなんだけど、僕は“常に変えようとすることを変えない”ほうが、数段、数倍クールだと思う。じぶんメモとして。


そこはやっぱり、安いカメラやレンズで高いカメラの写真たちを凌駕したほうがカッコいいじゃん。


Konica FS, Hexanon 52/1.8

そこはまあ誤解のないように言っておくと、それなりに高い価格のカメラやレンズは当然それなりに良いモノであるという前提なんだけどね。でも、なんというか、弱いと思われてるモノが強いと思われてるモノを打ち負かす感じって理屈抜きに気持ちいいじゃん!と。カメラやレンズもできればそうありたいとか思うんだよね、男子たるもの笑。

例えばこのKonica FS。先日、銀座レモン社で購入したものだけど、レンズもついて1万円を少し超えるくらいの値段しかしない。ライカならどんなに安くてもバルナックのボディで3万円、エルマーのレンズが4万円ほどするかな、Konica FSが五、六個買えてしまう。じゃあ、Konica FSの写りがバルナックライカの1/5くらいの質しか得られないかといえばそんなことはないわけで、写真の出来上がりの差に比べて機材の差はそれほどないことが分かる。じゃあ、やってやろうじゃないか、打倒ライカ!とか僕は思ったりするのである。いや、僕はライカユーザーでもあるから、この場合の打倒ライカ!は、じぶんの所有するカメラ間の競争だったりするんだけどね。

レンズだって、僕は安いレンズも好んで探して使う。ロシアンレンズのJupiter-8やIndustar-61、あとCarl Zeiss Jena MC Pancolar 50/1.8とかね。このあたりはどれも1万円以内か少し超えるくらいの値段で手に入る。世の中には名玉と呼ばれる高価なオールドレンズや最新の現行レンズがあるわけだけど、財布の懐事情以上に、こういう言わば劣勢なレンズで最新のレンズの写りを凌駕したら、こんな気持ちのいいことはないんじゃないだろうか。僕はそれらのオールドレンズの味もさることながら、こういう反逆精神みたいなものを常に心のどこかに思い描いて機材を選んでいるところがあると思う。

だからといって、それを誰かに声高にアピールするわけでもないんだけど、まあじぶんとの闘いみたいなね笑。世間の評判に流されないように、じぶんがいいとかカッコいいと思うモノサシを持って生きていたいと思うんだな。僕らの世代の人たちは少なからずそういう価値観があるように思うけど、どうだろう。考えてみると、フィルムカメラで撮るということ全般についても言えるかな。世の中の最新テクノロジーで作られたカメラやレンズより、ある意味時代遅れとも言えるフィルムやフィルムカメラで撮る快楽。そこには、単に古き良き時代を礼賛するだけじゃなくて、誰が見でも一見劣るであろう性能の道具で強者を打ち負かすヴィンテージフリークたちの軽やかな反抗心みたいなものもきっとあると思うな。

まあ本題である写真の良し悪しを置いといて機材の話だけに終始しちゃったけど、道具選びというのはそういう心の高ぶりにも大きく影響を与えることができるモノということで、少しふれてみた。とはいえ、単に反骨精神だけじゃなくて、僕が最近手に入れたカメラたちは軒並み素晴らしい写りを披露してくれている。Kodak Retina、Voigtlander Bessa-L、Olympus OM-1に、PEN ER-2。いやあ、面白いくらい大物食いができるようないい写りを僕らに提供してくれる。これもまた、過去の偉大な開発者たちの反骨精神というか意地が混じり合ったおかげなんじゃないかと思ってる。さあ、カメラを持って世の中をひっくり返しに行こう。高額なカメラたちを心の中で驚嘆させるために。


そのカメラの機能より、そのカメラの気分を伝えられたらなと。ブログ「記憶カメラ」。


Olympus PEN-EE2, Zuiko 28/3.5, Fujifilm 業務用100

Twitterでいいねやリツイートしてもらえるのもうれしいけど、やっぱりこのブログに感想コメントを寄せてもらえるのがいちばんうれしくてね。昨日も2件ほどコメントをもらったんだけど、ハード面よりソフト面からカメラを語ってるのがいい、みたいな声をもらって、「あ、思い、届いてるかも」と感じたり。

僕はカメラは好きだけどカメラに詳しいわけじゃない。だけど、カメラのある日常の豊かさみたいなものをもっと伝えられたらなという変な使命感(笑)はなぜかあって、じぶんの言葉で書けるカメラやレンズのことを、自然体で書いてみようといつも思ってる。

カメラの機能は誰が使っても変わらないかもしれないけど、カメラの気分みたいなものは人それぞれだから、それなら僕にも書けるぞと。この広いネットの世界で、そんなものを読んでくれるひとが果たしているのかとか思いながら書き始めたブログだけど、意外と読んでくれるひとがいることはやっぱり励みになるし、素直にうれしい。

稀に「ブログを見てあのカメラを買いました」とか言ってもらえると、フィルムライクなカメラの盛り上がりにちょっぴりだけど関与や貢献した気分がして、それでまた懲りずにブログを書き続ける。スマホカメラでどんどん写真が撮れる時代に、あえてカメラで写真を撮る、それもフィルムライクに撮るというのは、まもはや機能じゃなくて気分がたいせつなんじゃないかなって。僕が感じる気分が、どれほどの人の気分にフィットするのかは分からないけど、懲りずに撮って、懲りずに書き続けるよ。


音楽を聴くように、写真を撮ろう。


Nikon FE, Ai-S 50/1.8

僕は基本、どこへ行くにもカメラが一緒だ。仕事へ行く時も、愛犬と散歩へ出かける時も、自転車に乗ってパン屋へ向かう時も、ロードバイクで駆け抜ける時も、常に何からしらのカメラを首から下げたりバッグの中に入れて持ち出している。だから、撮る写真もいたって平凡な日常だ。何気ない移動時間の一コマだったり、道端の花だったり、少し気になった街角だったり。そうだな、家族や知人の写真以外は、誰かのためには撮っていない、じぶんが心地いいために撮っている。それでもこうして毎日カメラと過ごしているのは、シャッターを切るという行為が好きだからだと思う。シャッター音を聴いている。ちょうど音楽を何気なく聴いて過ごしているように。写真のほうにこだわる人間だったら、ただシャッターを切るだけでは満足できないと思うんだけど、幸い僕はシャッターさえ切っていれば心地いい人間なので、それはもしかしたら凄くカメラのある人生としては好都合なタイプかもしれない。カメラはいいよ、そばで眺めてるだけでもこんなに絵になる道具を他に知らないし、それで実用品としても日々役に立つんだから、単にアートとして捉えるだけじゃもったいない。特にハッとするような写真じゃなくたってどんどんシャッターを切ったほうがいい。だって、音楽を聴くようなもんだから。僕はそういうフランクな側面のカメラがとても好きだ。