ライカとツァイスの組み合わせが生みだす写り。

Nikon F2, Konica C35。撮影はLeica M3, ZEISS Planar T*2/50 ZM、Fuji業務用100

僕が所有するLeica M3にはライカ製のレンズではなく、ZEISS Planar T*2/50 ZMがついている。過去のブログにも書いたけど、M3ボディを購入した時にたまたまいいライカ製レンズが在庫に無く、店員さんに他におすすめのレンズがないかと尋ねたらすすめられたMマウントレンズ。そういう意味ではたまたま巡り合ったレンズなんだけど、カメラやレンズに詳しくない僕でもツァイスだのプラナーだのという言葉は聞き覚えがあり、何より装着した時の雰囲気が何やらクールで、値段もかなり抑えられたし、縁あってボディに装着したまま持ち帰ったものだ。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

以来、Leica M3で撮る時は、レンズは常にこのZEISS Planar T*2/50。もうなんかからだの一部のようになってきたんで、今となってはエルマーなんかもあまり目に入らない。僕にとってライカの写りとは、このM3とPlanarが描き出す世界のことなんだ。そうやって撮り続けるうちに分かったのは、ボディというよりPlanar効果だと思うんだけどど、カリッとシャープな描写をすること。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

いい意味で、僕が当初思い描いていたいわゆるフィルムライカの写りよりはかなりシャープな印象がある。このZEISSブランドのレンズは現代的レンズでもあるから、なんというかクラシックなボディにモダンなレンズが組み合わさった効果とも言えるんだろうか。僕にはその世界がとても新鮮で、すっかりこの組み合わせに魅せられたのである。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

とはいえ、この組み合わせにEktar100やFuji PRO400Hなどを入れると、またその写りはいい具合に揺らいで変化する。撮るたびにいつも新鮮だったりするんだ。世界のカメラとレンズをリードしてきたドイツの二台ブランドの共演はダテじゃない?笑。ライカ製のエルマーは、生きてるうちに一度は試してみたいとも思うけど、いまはPlanarに恋してるんで、いつかIIIfを手に入れた時のお楽しみかな。

真冬に撮影に持ち出すなら、電子部品に頼るF6より機械式のF2のほうがいいのかな。

電気を一切使用しないフルメカニカルシャッター機Nikon F2

きょうは修理から戻ってきたNikon F6を使ってあげたくて、愛犬との散歩に連れ出してみた。電子基板をいくつか交換したF6は快調で気持ちのいいシャッターフィールを楽しめたんだけど、帰り道に11月末の冷たい風をあびながらふと考えた。真冬になったら、極寒の冷気の下だと電子部品で動くF6じゃなくて、電気を一切使わないF2を持ち出したほうがいいのかなと。

何かの記事で見たのかな、F3以降の電子式カメラだとあまりの寒さに電子部品が耐えきれず、時としてカメラが動かなくなるみたいなことが書かれていた気がする。その点、機械式のFやF2はそうした過酷な状況下でもしっかり作動して撮影を敢行することができる、といったような話もよく耳にする。真実は分からないけど、たしかに印象としてはそうかなと。修理に出していたF6の故障もまさに電源が入らなくなるいかにも電気系の故障だったから、大事を見て極寒の冷気の中では使用を控えたほうがいいのかなって。

たしかにF2は植村スペシャルがあったというくらいだから、極限の寒さの中でもタフに使い続けられるイメージがある。それと比べるとF5まではバリバリの報道プロ機であったF一桁機だけど、F6はアマチュア使用にも目を向けたといわれるカメラ。使いやすさは向上したけど、タフさも同時にマイルドになっているかもしれない。憶測だけど、F6を安心して使い続けることを考えれば、極寒の季節はF2メインで使ったほうがいいのかなと、ふと思ったんだ。そのあたり、真相はどうなんだろうね。

F2に触ったことがある人は分かると思うけど、あの手応えとして伝わってくる堅牢性は凄みすら感じるレベル。F3以降のフラッグシップ機がどこか精密すぎて乱暴に扱えない印象があるのと比べると、FやF2は少々乱暴に扱ってもちょっとやそっとでは壊れないような感覚がなんとなくある。僕のF2はそれなりに傷なんかもあるから、今でも大切に使おうとは意識はしているものの、けっこうラフに使い倒している。そういう扱いが似合うカメラでもあるんだよね。

フィルムカメラを始めて以来、初めての過酷な夏は経験したものの、極寒の冬はまだ未経験。冬の入り口の今でもけっこうな寒さだから、零度近くなる真冬はそれなりにカメラにも厳しい環境になるだろうと考えると、ここはF6は暖かい日だけにして、真冬のメインはF2にしたほうが無難ではあるんだろうね。AFのF6が使えなくなるとすると、冬の愛犬との散歩は片手で楽に撮るわけにはいかなくなるけど、それはそれでF2を楽に使いこなすコツをつかむいい機会になるかもしれない。と、ここまで書いてきて、じゃあデジタルのDfも極寒の季節には持ち出せないのか?というと、そんなこともなさそうだなと。ちょっとそのあたり、いろいろ調べてみよう。真冬が訪れる前の今のうちに。

自然と生きる。カメラがあるとなお味わい深いものになる。

Nikon Df, 50/1.8G

どちらかというと僕は街中が嫌いだ。苦手というほうが近いかな。人を避けて、人のペースにはまって歩くのが苦だし、一瞬きらびやかな空間にハッとはするけど、しばらくいるとひどく疲れる。もちろん、仕事をするにおいては街中へ出社する必要もあるし、それを避けては生きていけない。でも、それがオンなら、オフは自然のそばにいたい。少し歩けば天然色の景色が眺められ、聞こえてくる音もアコースティックで静かな自然の音たち、空が広くて、じぶんのペースでゆっくり歩ける空間。時代がずいぶんとテクノロジーの進化しているのなら、やがてテレワークなんかも当たり前になるかもしれないね。人間が週に5日も人混みの喧騒の中にいると疲れすぎる気がするから。

そうそう、その自然と生きる時間をより豊かにするなら、カメラがあるといい。自然の移ろいを感じながら、ファインダーをのぞいてその光景を記憶する。望遠鏡をのぞくような観察ともいえるし、後から写真を眺めては、こんな色をしていたのかとか気づきがあったり。そのゆっくりなペースをさらに趣のあるものにしてくれる。僕は漠然とだけどそんな日々がいいなと、いまの環境を選んで暮らしている。それほど熟考して決めたわけじゃないけど、むしろ直感で決めたのがよかったのか、とてもじぶんの人生に合っている。まあ、住めば都というから、どこでどう暮らしてもその状況を愛おしく思うのかもしれないけどね。明日は祝日、秋色の大地もたぶんクライマックスあたりだ。また、カメラを持って愛犬と散歩へ出かけよう。じぶんのペースを大事にして。

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レンジファインダーに魅せられてる人の気持ちは分かるんだよなあ。あの、派手さはないけどジワジワと惹かれていく感じ。

Leica M3, Planar T*2/50

一眼レフのように分かりやすく気持ちを高揚させるのとは少し異なる、なかなか言葉に言い表せない魅せられ方。レンジファインダー機に惹かれるありようのことである。

フィルムカメラにおいても一眼レフがキング・オブ・カメラな空気はやっぱりある。けれど、一定の数だけ根強いレンジファインダーファンがいるのもまた事実である。あのなんとも言えない出しゃばらない感じが、普段着的にさらっと写真を撮る人たちの気持ちを、静かではあるけど強く鷲掴みにする。僕もそういうところに魅せられた一人かもしれない。

一度でもレンジファインダーをのぞいたことがある人なら、あの、アレ?って思う感覚を持ったことがあるに違いない。それは、例えばM3のファインダーのようにあまりにも美しいその様子に心を打たれるものでもあったり、そうではなくフィルムコンパクトのファインダーなんかをのぞいて、そのあまりに普通な光景に驚くというようなことも含めて。

僕はNikonの一眼レフたちは大好きだけど、そこにまったく異質な存在としてこのLeica M3が君臨するんだ。君臨するといったら高圧的か。もっと普段着みたいな、その存在があまりに普通で心地よすぎて、あえて強くは意識しないあの感じに近いかな。うーん、このニュアンスを言葉にするのはやっぱりむずかしいな。もし興味を持ってもらえたなら、ここから先は実物を触ってもらうしかない。あの儚い感じを、その目で、その手で確かめてもらうしか。この時代にあって、なかなかの新鮮さで感動が押し寄せてくるよ。

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思い出に残る基準って何なんだろうね。僕はけっこう些細なことを覚えている。

Nikon Df, 50/1.8G

思い出ってくらいだから、本当はどこかへ旅行に行ったとか、派手な体験をしたとか、いかにも思い出づくりっぽいことが記憶として残ってるほうがソレっぽいんだろうけど、僕の場合はけっこう断片的な些細なシーンをいくつも思い出として覚えている気がする。

学校の廊下から見た窓の外の雷とか、通学路の川の淵とか、小さい頃に見ていた夕日が沈む様子とか。どれもイベント性とかはない普通の記憶。そういう意味では、思い出はつくるもんじゃなくて、残るものなんだろうね。無理して思い出をつくろうとするんじゃなくて、その瞬間瞬間を感じる。そこに何かしらのじぶんの感性が合うと、結果として思い出に残る。

写真も同じかもしれないね。僕は何か仰々しい写真より、ふつうの日常のワンシーンを切り取った写真にいつも惹かれる。実を言うと東京カメラ部のような写真は苦手だ。何かこう手が加えられたような写真は思い出とは違うからなのかな。まあ、写真の解釈は人それぞれでいいと思ってるので、あくまで僕の個人的な写真観。思い出のありようと写真の存在についての話でした。さて、きょうも長い一日になりそうだ。

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Nikon社からF6が帰ってきた。久しぶりに聴くシャッター音がたまらない。

Nikon F6, 50/1.4D

Nikon社に修理で里帰りしていたF6が帰ってきた。自室でひと通り眺めたあと、50/1.4Dを装着して空シャッターを切ってみる。そう、この音だ。Nikon開発陣が箱の中に響くあらゆる音にもこだわったといわれるF6のシャッター音は、ちょっとやられる音色なんだ。平日の夜なんだけど、無性に撮りたい気持ちにかられる。明日は仕事をエスケープして朝から撮影に出かけたいところだけど、そこをグッとこらえて週末を待つとする。

で、そのF6なんだけど、故障の症状は電源消失だった。僕は中古でF6を購入したんだけど、多少傷はあったものの程度はよくて、三週末ほど快調に撮影を楽しんでいたんだけど、ある日フィルムを入れて裏蓋を閉じたら、普通なら自動でフィルムを巻き上げるんだけど、その日はまったく反応がなかった。電池がないのかなと新しいものに交換したんだけど、それでも反応なし。よく見ると電源オフでも表示される液晶に何も表示がされない。「ん?きたかな。」と、F6によくあると言われる電源消失のことを思い出す。F6では多くの人が経験しているトラブルらしい。電池を何度も入れ替えたりともがいてみたけどF6は静まり返ったまま。さすがに電気系のトラブルはどうしようもない。幸いキタムラの保証期間だったから修理に出したら、基板交換だろうとNikon社への里帰りとなる。

故障に陥った時はさすがに凹むんだけど、考えようによっては保証期間のうちにしっかり部品交換なんかはしておいたほうがいいと思い直し、無事修理から帰ってくることを願い、待ち望んでいた。いくつかの基板とその他部品を交換したとの記述があり、スイッチを入れると元気に電源が復活した。嬉しかったな。だって、ここ最近で最も感慨深いカメラとの出会いだったから。

あらためてF6にさわってみると、このカメラが他のものとは違うことを再認識する。手の中に吸い付くようにしっくり収まる手ごたえ、各部の操作系ボタン類の絶妙な配置、そのフラッグシップらしい内に秘めた迫力、やっぱりたまらないものがあるなと。F6のあの気持ちいいシャッターフィールを思い出すために数回、空シャッターを切る。電源も快調だ。装着した50/1.4DのAFの動作感触も実に気持ちいい。各部のたしかな動きが、なんとも精密に作られた製品であることを無言の迫力で伝えてくる。

連写も試す。このフィーリングも最高だ。フィルムというアナログなものを詰めるカメラなんだけど、現代のデジタル一眼レフを思わせるハイテクな動きをする。そのフィルムのよさとデジタルのよさを併せ持ったF6の操作感覚は、ちょっと他には見当たらないんじゃないかというくらい官能的かつ上質だ。僕が所有する機械式カメラのF2とは正反対の電子構造のカメラ。それだけに常に電子部品系統の故障は覚悟がいるわけだけど、現行販売機種でもあるF6ならひとまず当面は修理が可能だ。せっかく縁あって手にしたお気に入りの一台だから、なんとかメンテナンスを施しながら末永く使っていきたいなと。あらためてその貴重さを感じとった2週間だった。

そのF6の帰還を祝して、リバーサルフィルムVelvia100を2本買い足した。自宅にもリバーサルの買い置きがいくつかあるんだけど、これで当面F6とリバーサルが織りなすあの独特の世界を楽しむことができる。ずっとこのフィーリングを堪能し続けたいから、大事に使いたいと思う一方で、適度に使ってやることこぞが最上のメンテナンスでもあるから、とにかく撮ろうと思う。この唯一無二の最高のシャッター音を耳元で聴きながら。

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デジタルで撮ることは、フィルムで撮ることの妥協ではない。

Nikon Df, 50/1.8G

僕はフィルムで写真を撮ることが好きだ。撮る機械であるフィルムカメラの味わい深さも含めて、いいモノ・コトに巡り会えたなと思っている。

でも、ここにきてひとつの現象が生まれている。デジタルで撮ることもフィルムと同じくらい好きになりつつあるということ。フィルムとデジタルの境目がなくなりつつあるともいえるけど、もう少し正確にいうと、あえてフィルムとデジタルの差異を楽しみ始めた、という感覚のほうが強いかもしれない。

フィルム好きだと、デジタルで撮ることはとかく「フィルムで撮れない時の妥協」と受け取られがちかもしれないけど、そういうことではないんだ。フィルムにはフィルム特有のよさがあるのと同じように、デジタルにもデジタルにしか撮れないような代わりのきかないよさがある。そのことに気がつきつつあるんだ。

フィルムか?デジタルか?そんなことはどうでもいい。ひとつ言えるのは、フィルムでもデジタルでも楽しむことができれば、これまでできなかったことがいくつもできるようになる。写真やカメラを2倍、いやそれ以上楽しめるようになる、そんな風に考え始めた。

人生の時間はそれほど長くはない。その限られた時間をフィルムに特化してみる、デジタルに特化してみる、少数精鋭のカメラに特化してみるなどなど、楽しみ方はいろいろだけど、フィルムとデジタルの両方を楽しみ尽くしてみるというのもまた、ひとつの選択だと思う。いまはそれが謳歌できる幸福な時代なんだ。

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Nikon Dfとヨンサンハチロクのマニュアル撮影の多幸感は素晴らしかったよ。

Nikon Df, 43-86/3.5

今朝はなんだかデジタルで撮りたい、マニュアルで撮りたいという思いがずっとあって、Nikon Dfにオールドニッコールの標準ズーム43-86mm f/3.5をつけて散歩カメラに出てみた。結論から言うと、めちゃくちゃ楽しかった。

Nikon Df, 43-86/3.5

通称ヨンサンハチロク、このレンズはNikonが送り出した国産初の標準ズームレンズで、なるべく高価にならないように、そして何より軽量に仕上げるために、当時かなりシンプルな構造で世に送り出された。だから、言う人によっては“使えないレンズ”とか言われるけど、そのファジーな撮り味に魅せられるファンも多い。僕は完全に後者だ。かなり好きなのである。

Nikon Df, 43-86/3.5

そう、僕にとってはオールドレンズらしい曖昧さというか、写りすぎない感じがたまらないんだ。明らかにデジタル用に作られた現代のレンズとは違う、なんというか威張らない感じ。それはこのレンズのキャラクターとも被るんだけど、カメラが撮るんでもレンズが撮るんでもなくて僕が撮る、そういう楽しみを提供してくれるレンズなんだ。

Nikon Df, 43-86/3.5

まあ、僕の撮影の腕前のほうは置いといてもらって笑、どこかフィルムを思わせる柔らかさがあるように見えないだろうか。不思議だよね、この時代のレンズたちは。だってカメラは現代のフルサイズ一眼レフなのに、どことなくとはいえフィルムっぽく感じるというのは何なんだろうね。

Nikon Df, 43-86/3.5

ヨンサンハチロクは文字通り焦点距離が43mm〜86mmまで2倍しかないのだけど、意外とこの2倍の振り幅は散歩レンズには頼もしい。標準域から中望遠域までということになるわけだけど、僕は絞り開放付近の癖を楽しむ派だから、43mmは積極的に使う。そして、その43mmという焦点距離が絶妙なんだな。

Nikon Df, 43-86/3.5

数値的には標準の50mmより7mm広いだけなんだけど、その差はけっこう大きい。フィルムコンパクトを使う人なんかは分かるかもしれないけど、僕が所有するKonica C35なんかは38mmでどちらかというとそういう画角に近いんだ。つまりスナップ中のスナップの焦点距離のレンズ群。50mmよりリアルなんだ。

Nikon Df, 43-86/3.5

そうかと思えば、ひとたびズームすれば85mmのポートレート域まで凝視できる。まさに、なんというか人間の視界の中を行ったり来たりできるレンズといえばいいだろうか。このレンズがどこか人間くさいのは、この絶妙な焦点距離にあるのかもしれない。

Nikon Df, 43-86/3.5

あとは、なんといってもマニュアルフォーカスであるということ。カメラはDfだったからAE/絞り優先で撮れるんだけど、僕はカメラのほうのセッティングもマニュアルにして、まさにフルマニュアル撮影を楽しんだ。そうしたくなるんだな、ヨンサンハチロクをつけてると。

Nikon Df, 43-86/3.5

その分、露出は甘くなるんだけどね、僕の場合笑。でも、いいの、それでもこうしてカメラとレンズに撮られるんじゃなくて、それらをじぶんで操ってカメラやレンズと共同作業で写真を紡ぎ出す感じが楽しいんだ。だって、散歩カメラは撮れる写真より撮る行為が楽しいわけだからね、少なくとも僕の場合は。

Nikon Df, 43-86/3.5

そのフルマニュアル撮影がほんと楽しすぎてね。実はフィルムでも撮ろうとフィルムライカとフィルムも一本だけカメラバッグに忍ばせていたんだけど、あまりにDfとヨンサンハチロクて撮るのがおもしろくて、結局フィルムの出番はなかったんだ。フィルム好きの僕にしては相当めずらしいこと。

Nikon Df, 43-86/3.5

そういう意味では、失敗も含めて楽しいんだな、ヨンサンハチロクは。このレンズは数千円で買える。いやあ、大人の散財の仕方としては素晴らしくコストパフォーマンスにもすぐれた一品。なにかとお金のかかるカメラ趣味と思われがちだけど、こんなコストでも楽しめることをもっと多くの人に知ってほしいな。

Nikon Df, 43-86/3.5

あとはね、こうしたオールドニッコールのレンズたちがほぼすべて使えるNikon Dfが僕はとても気に入っている。つい最近手に入れたばかりなんだけど、世は最新で最強の一眼レフD850の発売に沸いていたわけだけど、僕はそこには目もくれず、このDfを購入した。もう三年ほど前の製品になるのかな、僕は新品を購入したけど中古もあるから当時よりは安く手に入るんじゃないかな。

Nikon Df, 43-86/3.5

というわけで、Dfとヨンサンハチロクのマニュアル撮影の楽しさと、その写真たちを一気に載せてみた。やっぱりいいね、カメラは。まさにいろんな楽しみ方をアレンジできて、そして毎回いろんな新鮮な発見がある。こんな懐の深い趣味はなかなかないんじゃないかな。

Nikon Df, 43-86/3.5

僕は、つい先日はフィルムカメラのNikon FEにも装着して楽しんだけど、もちろんフィルムカメラとの相性はさらによくておもしろい。こんなカジュアルで、でも恐ろしく楽しめるMF標準ズームレンズを一本持っておくのはなかなかおすすめです。あ、Df同様に、その佇まいもなかなかレトロでかっこいいよ。

Nikon Df, 43-86/3.5

こうして写真たちを見るとマニュアル撮影らしく、なんか味が出すぎてるところはあるけど笑、そこにネットを検索すればもっと詳しい使用感と素敵な作例があると思うんで、そちらを参考にしてください。僕のブログでは、その気分みたいなものを伝えられればな、ということで。では、カメラたちとよい週末を☺︎

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最近いちだんと縦構図の写真にハマっている。無意識にだけどね。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, Fuji PRO400h

Twitterは縦構図の写真とは相性がよくなくて、たぶんいろんないい縦構図写真を見逃してるような気がする。Instagramはアプリを使えば縦構図全体の入った写真をポストできるんだけどね。なので、やっぱり写真をそのままのポストするのはブログが向いている。

RICOH GR, GR Lens 28/2.8

で、本題の縦構図の話だけど、一年半前くらいまで僕はどちらかというと縦構図が苦手だった。iPhoneカメラなら普通に撮れていた構図がカメラになるとなぜかむずかしい。それがGRを多用するようになって一気に解消された。そして今ではむしろ縦構図のほうが多い。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, Fuji PRO400h

じぶんでも上手く説明がつかない不思議な現象なんだけど、振り返るとGRというカメラが縦に構えやすかったのと、広角の縦構図が気持ちよかったからじゃないかと思う。それまで一眼レフのカメラを縦に構えるとファインダーの中の絵がアンバランスに見えたんだよね。それがスクエアな形のGRを構えることで解消されたんじゃないかと。

Nikon Df, 50/1.8G

今ではRICOH GRはもちろん、Nikon DfでもF2でも、Leica M3でもKonica C35でも、カメラを問わずジャンジャン縦構図でスナップを撮りまくっている。家族の写真さえも縦構図が増えたから、もはや僕のスタンダードな構図は横じゃなくて縦かもしれない。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, Fuji PRO400h

そうやって縦で撮ることをカラダが覚えると、自然と縦構図に合う光景を探したりしているじぶんがいる。これ、けっこう大事なことで、それまで横構図で見ていた世界が縦構図も加わって「視界=世界が倍に広がる」みたいなところがある気がするんだ。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji 業務用100

それと、縦構図の写真を後から振り返ると、横構図に比べてどこかリアリティが増す気がする。横構図はなんというか「絵」としてのバランスを見て撮っている写真であるのに対し、縦構図はもっとそのリアルな実情を撮っているような感覚といえばいいだろうか。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, Fuji PRO400h

今をシェアするスマホカメラの縦構図の写真の影響もあるのかな、縦構図とはそういうリアルさを持っている気がする。カメラとか写真というのはほんと奥が深くて、この構図が縦であるか横であるかだけでも、何時間か語り合えそうな奥深さがある。それで、やれレンズがとか、フィルムサイズがとか言いだせば、それは沼ともとられかねない深さがあるのは当たり前とも言える。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji PRO400h

今思うと、このブログの中でも縦構図の写真だけ検索して抜き出せるようにしとけばよかったかなとか思いながら、だったら一度、縦構図の写真ばかりを載せたポストをしてみようと思い立ち、少し縦構図をピックアップしてみた。それでもほんと、ほんの一部の写真。僕はこれまで何枚の縦構図を撮ってきたのか、そしてこれから何枚の縦構図を撮るのか、考えるだけでも気が遠くなるくらい。もっと割合も増える気がするな、縦構図。

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フィルムカメラを持って、あの頃へ行こう。

Nikon F6, 24-85VR, Velvia50

にんげんはバランスをとる生きものである。だから、これだけ猛スピードの日常を生きてると、それとバランスをとろうとスローなものを求める。そういう時にフィルムカメラはいい。フィルムの匂い、フィルムを装填する音、シャッターを巻き上げる感触、どれもが日常にひと呼吸おいてくれる。

ビル群や路地裏を撮るのも楽しいけど、僕にとってバランスをとるということは、少しにんげんらしい場所に帰ること。山でもいい、海でもいい、にんげんがにんげんらしくいられるところへと自然と足が向かう。フィルムカメラを持つと、ちょっとあの頃に戻れそうな光景が見たくなるんだ。

今週もあっという間に金曜夜。今週も振り落とされそうなスピード感を感じる一週間だったけど、明日から二日間、フィルムカメラやフィルムライクなデジイチに触れられると思うと、こころはホッとする。カメラは写真を撮る道具だけど、フィルムカメラとなるとその魅力は道具を超えてこころに作用する。さて、今週末は何撮ろう、バランスを保つために。

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