音楽を聴くように、写真を撮ろう。

Nikon FE, Ai-S 50/1.8

僕は基本、どこへ行くにもカメラが一緒だ。仕事へ行く時も、愛犬と散歩へ出かける時も、自転車に乗ってパン屋へ向かう時も、ロードバイクで駆け抜ける時も、常に何からしらのカメラを首から下げたりバッグの中に入れて持ち出している。だから、撮る写真もいたって平凡な日常だ。何気ない移動時間の一コマだったり、道端の花だったり、少し気になった街角だったり。そうだな、家族や知人の写真以外は、誰かのためには撮っていない、じぶんが心地いいために撮っている。それでもこうして毎日カメラと過ごしているのは、シャッターを切るという行為が好きだからだと思う。シャッター音を聴いている。ちょうど音楽を何気なく聴いて過ごしているように。写真のほうにこだわる人間だったら、ただシャッターを切るだけでは満足できないと思うんだけど、幸い僕はシャッターさえ切っていれば心地いい人間なので、それはもしかしたら凄くカメラのある人生としては好都合なタイプかもしれない。カメラはいいよ、そばで眺めてるだけでもこんなに絵になる道具を他に知らないし、それで実用品としても日々役に立つんだから、単にアートとして捉えるだけじゃもったいない。特にハッとするような写真じゃなくたってどんどんシャッターを切ったほうがいい。だって、音楽を聴くようなもんだから。僕はそういうフランクな側面のカメラがとても好きだ。

じぶんのカメラも、みんなのカメラも、一日中眺めていたいくらいだ。

Rolleiflex Standard, Nikon Df

僕はTwitterやInstagramもやってるけどホームベースはこのブログだ。それでも他のSNSをのぞくのは、まさにみんなのフィルムライクなカメラたちを眺めたいから。

ライカなひと、OM-1なひと、ローライなひと、コニカなひと、みんな思い思いに愛機があって、その愛をたっぷり注ぎ込んで愛機の写真をアップしたりしてくれる。それを眺めるのがほんと心地いいし、日々の楽しみなんだ。僕は写真を撮ること、いや正確に言えばシャッターを切ることが好きだけど、機材だって写真という記憶の一部だと思ってるんで(以前、写真家の林ナツミさんがそのようなことを仰っていた)、写真と同じかそれ以上に機材たちが好きだ。小っ恥ずかしいけど恋と言ってもいい。恋してる時のあのまわりが見えなくなる感じ。カメラたちを眺めてる時はそんななんだよなあ。

だから、中古カメラ屋にもよく行く。もちろん現像したりフィルム買ったり行く理由は他にもあるんだけど、行けばほぼ100%ショーケースを見て行く。あのクラシカルなカメラたちが所狭しと並べられたショーケースの中はもうおもちゃ箱のようにキラキラして見える。あまりに魅惑的でちょいちょい手にして、その度に心打たれて、また一つまた一つと愛機が増えていくわけだけど笑、それでも最新の新品のカメラを買うよりはずいぶん安く手に入るカメラたちだから、大人の散財の仕方としては悪くないんじゃないかと思ったり。いや、言い訳か笑。

あとね、そのカメラたちのルーツを知るのが好きなんだ。僕は初号機好きなところがあって、それもカメラのルーツ好きだから、開発者の渾身の夢が詰まった初号機にどこかそそられる。初号機より改良が加えられていったモノの方がきっと使い勝手は洗練されてるんだろうけど、事カメラに関してだけは僕は不便な方、手間のかかる方へとなんか行ってしまうんだな。単純に古いもの、ヴィンテージなものが好きな世代なのかな。あー、ほんと、誰がクラシックカメラ博物館とかつくってくれないかな。できれば混み合っていなくて、珈琲飲みながら一日中カメラたちを眺めていられる博物館。僕は時間さえあれば入り浸って大人しくしてる自信ある笑。そんなことを妄想しながら、きょうもまたじぶんのカメラやみんなのカメラを懲りずに眺めている。

一眼レフは“良き時代”が詰まったカメラ。

Olympus OM-1N, Zuiko 50/1.4, Fujifilm 業務用100

いま、僕の手元に再び一眼レフが増えている。フィルム時代のカメラたちだ。もともとはニコンの一眼レフばかりを持っていたんだけどね。Nikon FE、F2、F6、そこに最近、他メーカーのカメラたちが加わった。Asahi Pentax SP、Olympus OM-1N、そして昨日手に入れたKonica FSだ。何故にそんな一眼レフが増えているのか。じぶんなりに思うのは、ミラーレスの時代がやってこようとしているのを感じで、待てよ、一眼レフは過去のものになるのか。一眼レフの良さとは本来何なのか。今一度、一眼レフのルーツとやらを感じてみよう…そんな風な気持ちが僕の中にどこかあって、機械式の一眼レフばかりここのところ増えてるんだ。

まあ、理由を述べるとするならそういうことで、実際はお店にふらりと立ち寄ると、直感でビビっと欲しくなるカメラが現れてるということではあるんだけどね。でも、一眼レフというカメラの良さはやっぱりあって。僕の場合だと「じっくり、ゆっくり、ファインダーの中の濃密な世界をシューティングするよろこび」とでも言おうか。平日は街中で速写的にレンジファインダーでスナップしてることが多いんだけど、それと比べると僕にとっての一眼レフは週末にゆっくりと一緒に過ごすカメラ。自然を撮ったり、古い町並みを撮ったり、家族のイベントを撮ったりするカメラ。時間の流れ方がとでも緩やかな時のカメラなんだ。

もちろん、プロも多用する本格的カメラだから、本来は速写も優秀だし、レンズの充実さ、その撮れる写真の本格さにおいても一眼レフは決して緩いカメラではないんだけど、僕の場合だとそういうことでね。一眼レフと向き合う時間はなにかとでも心地いい時間が流れていく。それはたぶん、フィルム時代の一眼レフが持つ余裕というか、その一眼レフが最も光り輝いていた時代の豊かさがぎっしりと凝縮された良さみたいなものがあるんだと思う。単に写真を撮るだけじゃなくて、そういう「良い時代」を感じながら写真を楽しむというのが一眼レフにはあるんじゃないかな。

ミラーレスの台頭で、デジタル一眼レフは今後は趣味性の強いカメラになっていくかもしれない。ちょうど今、僕らがフィルム時代の一眼レフを趣味的に味わっているようにね。それは少し寂しくもあるけど、逆に一眼レフは無くならないとも言える。あの一眼レフならではの高揚感みたいなものはやっぱり濃いから、ミラーレスのスマートさに慣れたら、むしろ時に無性に一眼レフのあの所作に立ち返りたいと思うんじゃないかと。まあ電気を使うカメラだから、フィルム時代の一眼レフのように何十年も趣味の道具として楽しむのは難しいかもしれないけど、でも必ず触りたくなると思うんだよね、僕でいえばDfとかD300にね。そんな日本の古き良き時代の豊かさがめいっぱい詰まった一眼レフを、僕はいま存分に味わっておこうと考えている。重いし、大きいし、シャッター音も元気すぎるような一眼レフだけど、そこが良いんだよなあ、とか唸りながら、ね。

カメラ選びはいつも直感だけど、じぶんの嗜好性が読み取れておもしろい。Konica FSとの出会い。

Konica FS, Hexanon 52/1.8

また新しい(古いか笑)カメラがやってきた。何処へ向かってるのかは聞かないてほしいんだけど。じぶんでも良く分かっていないから笑。というのも、僕の場合はカメラを選ぶ時はいつも直感。さして計画性はない。カメラ屋をのぞいては、その時目の前に現れたカメラへ運命みたいなものを感じたら、お金によほどの無理がないかぎり連れて帰る。

もちろん実用品として使いたいから、分かる範囲であれこれ個体をチェックしたり店員さんと完動品具合を品定めはする。でも結局のところは実際にフィルムを詰めて試し撮りしてみないと分からないから、そういう意味でも直感に頼って購入を決めるしかない。でも不思議なことに、直感で購入して失敗したということはこれまで記憶にない。運がいいのか、いちおう見る目ができてきているのかは分からないけど。いや、購入するお店が良いのかもしれないけど。

昨晩、直感で選んだのはKonica FSという小西六コニカが国内で初めて送り出したフィルム一眼レフ機だ。少し調べてみたところ、登場は1960年頃かな。Nikon Fと同じ頃。それまで海外向けに販売していたKonica Fの構造を廉価版的にシンプルにして、日本で登場したらしい。FSのFはフレックス、Sはスタンダードの意味みたいだね。そんなことはカメラ屋さんとの会話の中で初めて耳にするわけで、カメラをショーケースで見つけた時にはほぼ無知識。つまり直感で「あ、いいな」と手にとるわけである。ほぼ迷いなくね。

シャッター幕のコパルスクエアのロゴがまた泣ける。

この子の場合はもうほんと見た目。なんだ、この深い艶のある黒塗りは!という直感。そして、見たことのないKONICAのロゴタイプ(涙文字っていうのかな)と、いかにもレトロで少しアンバランスなラインのボディに惹かれる。店員さんに声をかけて触らせてもらう。と、想像したよりずいぶん元気に動く各部の状態に少し驚く。シャッタースピードは全速OK、背面を開けたフィルム室も綺麗で、コパルのロゴとさくらカラーのロゴが綺麗な状態で見て取れる。んー、いいなと。

問題があるとするならファインダーだったけど、まあ見れないことはない。店員さんとこのまま使い倒すか、それとも修理屋さんで上部を分解して清掃してもらうかとか話したんだけど、まあ直すというよりは使い倒すコンディションだろうなと。レンズもクモリがありそうだし、そこは試し撮りしてみてから、ファインダーとレンズの清掃を判断しようと思った。僕にしてはなかなか不安のあるほうのカメラ&レンズの購入だけど、それでも購入に踏み切らせるチャーミングさがこのカメラにはあった。まさに直感なんだなあ。

それと、コニカへの愛着というのもあった。すっとフィルムコンパクトのKonica C35を使ってきてるから、レンズのヘキサノンには凄くいい印象がある。コニカのシンプルで丈夫な造りにもどこか安心感がある。それと、どの中古カメラ屋の店員さんと話しても、かつてのコニカの素晴らしさの話は良く聞く。このKonica FSも店員さんは嬉しそうに、縦走りフォーカルプレーンシャッターであること、それがコパル製で初期はロゴがシャッター幕に印字されてること、当時はコニカFマウントといい口径がやたら小さいことなんかを説明してくれて、そういう店員さんの本音的なおすすめ感も僕の直感を後押しした。

それでもそこそこ迷ってはいたんだけど、最後はこのピアノブラックとも言える艶やかな存在感に、もうきっとこの店以外では絶対出会わないだろうなと思い、気持ちを決めて連れて帰ることにした。帰ってからも、やたらボディを眺めては空シャッターを切ったり、各部のボタンなどが何の調整なのかを確かめたりしながらカチャカチャやる。このカメラを探る時間もまた楽しい。そう、なんにせよ楽しいわけだから、それだけでもお金を払って手にする価値は十分にある。あとは写ることを祈るばかりだけど、まあちゃんと写らなくても、それなりに写ってくれれば十分かなと。きょうは金曜日。きょうを頑張れば明日から三連休、FSとの試し撮りのひとときが待っていると思えば、まあ辛い仕事も頑張れたりするのである。ありがたい趣味だなとほんと思う。

Nikon Z7にさわって、カメラは確実にミラーレスになると悟った。

Nikon Z7

現像出しのついでに、全国の都市部のキタムラに配備されているNikon Z7のデモ機にさわらせてもらった。さすが店員さんもしっかりメリットを熟知されていて、ひとしきり近未来のカメラ談義もできた。やはりカメラ屋で過ごす時間はたのしい。

で、そのZ7だけど、カタログやネット記事なんかで見るよりも、実物ははるかに良い。まず見た目は精悍。大口径のレンズ部は迫力あるし、その大きさゆえにえぐられたペンタ部がデザイン的にも立体的で、こういう良さは3次元で実物を見ないとなかなか分からない。で、ミラーレスだからもちろん薄く軽いわけだけど、それでも迫力あるデザインになっているのはやはりNikonのなせる技ではないだろうか。

とはいえグリップ部はしっかり構成されていて、このカメラが単にコンパクトなミラーレスとして設計されたのではなく、一眼レフ上級機と遜色ない本格的ハイアマチュアカメラに仕上げられていることを物語る。最も驚いたのはファインダーかな。ミラーレスだからEVFなわけだけど、これが僕的にはまったく光学ファインダーのようで違和感がなかった。パーツとしては他社と共通だったりするとことだけど、そこはNikon、他社製品より倍率を上げて、しかもとんでもなく光学ファインダー的に仕上げてある。あまりカメラに詳しくない人がファインダーをのぞいたら、これが電子ファインダーとは思わないんじゃないかな。このへんのカメラの作り込みの迫力はさすがNikonが他社より何枚か上をいくと思う。

シャッター音も適度に手ごたえがあって気持ちいい。まったく無音にもできるし、その中間の設定もある。つまりシーンにあわせて使い分けられる。このへんは一眼レフにはできない芸当だ。シャッターフィールもすこぶる軽快で気持ちいい。通常だと5コマ/秒くらいだったかな。ここもハイスピードにすると9コマ/秒という高速連写が可能だ。スペック的には「どうにでも使える、応える」という最新スペックカメラの無言の迫力みたいなものを感じる。

つまり、もうカメラはこれでいい。重たい一眼レフを持たなくても本格的シューティングは可能なんだ。この感触を目の当たりにしてみて、これは確実にカメラは一眼レフからミラーレスへと変わり、一眼レフは趣味的カメラへとポジションを変えていく、そう確信した。お店には同じくCanonから発表されたEOS Rのデモ機はなかったが、こうして各社が一斉にフルサイズミラーレスを出してきたことで、世の中は一気にミラーレスへと流れていくと思う。

まあ気になることがあるとしたら値段だろうか。仮にマウントアダプターを使って手持ちのFマウントレンズを使うとしても、カメラ本体とマウントアダプターだけでも40万円を超えてくる。スペックダウンしたZ6でも30万円を超えてくることを考えると、さすがにカメラビギナーには一気に流れにくい価格だけど、Canon EOS Rなら30万円を切ってくる。価格戦略的にはCanonに軍配が上がりそうだけど、どうだろう。

さて、僕はというと、今のところZ6やZ7の購入の予定はない。デジカメは一眼レフならNikon Dfがあるし、元祖ミラーレス的といえばLeica M-P typ240がある。これらのカメラを手放すならZシリーズも視野に入ってくるかもしれないけど、今はDfもM-Pも相当気に入ってるから、それらを手放してまではZシリーズを手に入れようとは考えていない。でもお金的に余裕のある人や、ちょうどカメラの買い替えどきの人はやっぱり買いじゃないかな。いつの時代も初号機というのはやはりそそられるところ。開発者たちが注ぎ込んだ熱量が違うから、そういう意味でも手にする価値は十分あると思う。

というわけで、もうすぐ発売になるNikon Z7をさわってみた感想のポスト。いやあ、ついに来たね、良くも悪くも次のカメラの時代が。そんな予感が強烈にした。カメラという道具だけはさわってみない分からないもの。そして、さわれば何もかも分かるというエモーショナルなアイテムでもあるから。

フィルムで撮ることは、フィルム産業を支えることでもある。

Olympus OM-1N, Zuiko 50/1.4, Fujifilm 業務用100

前提としてはもちろんじぶんが楽しいからフィルムで撮ってるわけだけど、心の中では「こうしてフィルムで撮ることで、フィルム産業を支えるんだ」という気持ちがどこかある。考えてみると、これだけデジタル全盛の世の中で、いまだにフィルムで写真を撮れることは奇跡のようなもので、いまや国内唯一のフィルムメーカー富士フイルムにすれば、いつフィルムの幕を閉じてもおかしくない。企業の利益だけを優先すれば当たり前のことだ。けれど富士フイルムはまだなんとかフィルムを世の中には流通させてくれている。そこにはもうほんと、感謝しかない。

だから僕はフィルムの中でも富士フイルムを使うことを意識している。世界に目を向ければ富士フイルム以外にもまだフィルムを生産して流通してくれているメーカーはあるけど、日本国内にかぎっていえば、富士フイルムがフィルム生産を終了すれば、おそらく現像ラボも含めてさまざまなフィルム産業プレイヤーの人々が同じく幕を下ろしていくだろう。つまり一気にフィルム産業が消滅するんじゃないかと思う。それはほんと悲しいことだし、個人的にも社会的にも何か人生にとても重要なことを失う気さえする。だから僕は富士フイルムを使う。

そして、富士フイルムで撮った写真をこうしてブログやSNSでフィルム名や機材名入りでポストする。ハッシュタグ「#fujifilm」という文言も付けるようにした。僕ごときがこんなことをした程度でフィルム産業の存続にどれほどの影響を与えられるかは分からない。というか冷静に考えれば僕一人じゃ焼け石に水のようなもがきかもしれない。でも仮に僕のような人間が1000人ほどいれば、世の中に少しフィルムの風を吹かせることができるんじゃないかとも思える。それならば、しぶとくやってみようじゃないかと。

フィルムカメラも好きだし、中古カメラ屋も好きだし、フィルムの匂いや形も好きで、現像ラボのお店も好き。故障したカメラを直してくれる職人さんたちも好きだし、フィルムカメラがあることで生き生きと写真を語る人たちも好き。そんなフィルム産業の裾野が無くなってしまうのはあまりに惜しいから、僕はきょうもフィルムカメラて撮り、フィルムの良さみたいなものを一人でも多くの人に語りかける。小さなことだけど、じぶんの中では割と大きな試みで、それはじわりじわりとわずかずつだけど、なにか効いてる手ごたえもある。あまり堅苦しくは考えたくないけど、このフィルム産業を支えるという気概みたいなものは、フィルム撮影を楽しみつつも、常に忘れたくないなと思っている。

最後に手元に残したい3台は、決まってはいる。

Leica M3

結論からいうと、それはフィルム機のLeica IIIaとLeica M3、そしてサブにデジタル機のLeica M-P、計3台だ。この3台があれば、すべての実用的シーンは事足りる。レンズも決めてある。IIIaにはエルマー、M3にはズミクロン 、M-Pにはズミルックスだ。それだけでいい。さまざまなタイプのカメラを使ってきて思うことだから、少なくともじぶんの使用範囲でいえば確かだと思う。

小型軽量のコンパクト機としてはLeica IIIaがあれば、驚くほど守備範囲広く使えるだろう。そして、本格的に撮ろうと思えばじっくりでも速写でもLeica M3があればまったく問題ない。僕の気持ちとしてはフィルムで撮れるうちはできるだけフィルム機を使いたいから、実質この2台がメインカメラということになる。けれどフィルムではままならないシチュエーションもある。そこでM3とほぼ同じ感覚で使えるLeica M-Pがあれば、それで十分すぎるカバーができる。ライカとはことごとく究極のカメラシステムを構築していると分かる。

けれど、今すぐこの3台にしたいかといえば答えはノーだ。なぜなら、今は幸運なことにフィルムがまだ使える。せっかくフィルムが使えるなら、今のうちにフィルム時代を彩ったさまざまなカメラたちを使っておきたい。体験しておきたい。フィルムコンパクトだって、広角専用機だって、一眼レフだって、二眼レフだって。オールドレンズだって、ライカ製にかぎらず、せっかくだからミラーレス機なんかに装着して、時空を超えた楽しみ方を味わっておきたい。だから、フィルムカメラの黎明期から現代のデジカメまで、カメラの綴った歴史をなぞるようにさまざまなカメラとの時間を今は大切にしたい。僕はそう思う。

僕が最後に手元に残すであろう、Leica IIIa、Leica M3、そしてLeica M-P。この3台に絞り込む日がいつになるのかは分からない。でも、よほどの故障や直せない事情がないかぎり、最終的にはこの3台になるだろうという予感はかなり強くイメージできるようになった。けれど、そう思えるようになったからこそ、その3台に絞り込むまでの間、できるだけ多くの他のカメラたちも堪能しておきたいとも思えるようになった。今はとにかく自然体で、このフィルムとかデジタルの両方を奇跡的に楽しめる時間を謳歌する。それが僕の今のカメラとの向き合いの心境なんだ。

Leica X2はやっぱりEVF無しで速写バルナック的に使うことに。

Leica X2, Leica IIIa

僕がライカをこよなく愛するのは、コンパクトで持ち出しやすく、しかも目の前に現れた光景をサッと速写するのにとても向いているカメラだから。造りの良さとかブランドらしさとかも無くはないけど、いちばんは究極のスナップシューターだから。そう考えると、後付けで装着していた外付けEVFはやっぱり外して使おうかなと考えるようになった。

外付けEVF装着時のX2のシルエット

外付けEVFを外すと1枚目の写真のように、ほぼバルナックサイズ。いや、横サイズでいえばバルナックより小さくなる。僕がもともとX2に惚れ込んだのもこのバルナックサイズであったこと。僕はバルナックもこのサイズが気に入っていて外付けファインダーはつけていないし、そもそもファインダーだってあまり見ない。速写する際はファインダーは画角確認するのにチラ見する程度。だったら、X2も背面モニターをチラ見する程度で十分かなと。

Leica X2

購入してから、じふんなりに外付けEVFの有無でいろいろスナップして確かめてたんだけど、僕にはどうやら外付けEVFは不要かなと。まったく要らないわけじゃなくて、常用としては速写コンパクト機としては不要で、どうしても正確に撮りたい時はEVFを付ける、そんな運用でいいんじゃないかと思ってる。外付けEVFはデジタルのtyp240機にも使えるから、機材としては保有し続けておこうかなと。

Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH
Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH
Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH

あと、X2の写りのほうだけど、これは換算約35mmのスナップ機としては実に軽快で気持ちいい。特にモノクロがいい。ライカというブランドはほんとにフィルムライカらしさのこだわりはデジタルの今でも徹底してる。僕はフィルムライカも使うけど、フィルムライカとデジタルライカの間にそれほど違和感は感じない。そういうフィルムライカファンの気持ちや好みを、デジタルライカはJPEGセッティングでちゃんとカバーしている。僕はJPEGでしか撮らないから、僕のようなJPEG派の人にもデジタルライカはおすすめだ。

Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH
Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH
Leica X2, Elmarit 24/2.8 ASPH

さてEVFをつけずに使うとなると、同じく背面モニターで撮るスナップシューターという意味ではRICOH GRも所有しているわけだけど、広角系のコンデジとしては似通った二台ではあるけど、やはり写りの質感は違うなと思っていて。ソリッドなGRの描写に対して、X2のElmaritが記憶する描写はどこかマイルドさが混じる。そこがフィルムライカから受け継いだ強さと優しさの同居なのかなと思っていて、当面はこの二台を共にスナップシューターとして使い分けていこうと考えている。カメラはスペックだけ見れば同じようなモノはいくつもあるけど、写りはすべて違う。写りとは撮影フィーリングもその一部、僕はそんな風に考えている。

ドキドキしたいなら、フィルムカメラがいいよ。

Rolleiflex Standard, Olympus OM-1N

だって普通、買ったモノが正常に使用できるかどうか分からないモノなんてなかなか無い。けれど、フィルムカメラはそれが前提。まず新品のフィルムカメラはほぼ無いから中古カメラを選ぶわけで、そうすると外観や動作確認はできても、実際にフィルムを入れて撮り、現像してみないと実用品かどうかは分からない。まずここで最初のドキドキがある。僕は今日なんかも手に入れたばかりのOM-1Nの初の試し撮りをし、その撮影感覚には感激したものの、それは操作の話であって、写真がきちんと撮れているかどうかはまだ分からないのである。凄いよね、数万円も出して買ったものが、使用した後も写真機として使えるものかどうか分からないんだから。

仮に試し撮りでちゃんと現像ができても、フィルムカメラなら毎回ドキドキで、それは永遠だ。だって、デジカメのように撮ったその場で写真を確認することができない。背面モニターなんて無い。あるのは、頭の中に何となく思い描いた被写体の残像であり、写真が仕上がった時のイメージだけ。フィルムカメラはシャッターを切ってフィルムを撮り終えたらラボへ現像を出して最速でも一時間はあがりを待つことになる。つまり、撮った後、現像があがるまでの間、どんな写真があがってくるのだろうとひたすらドキドキが続くのである。こんなモノって他にあるだろうか。

露出合わせだってドキドキだ。機械式カメラを選んだら、基本、操作はすべてマニュアルで、デジカメのようにカメラがオートでやってくれることは何一つ無い。絞りも、シャッタースピードも自分でら決めなきゃいけないし、選ぶフィルムの感度の違いで写真の雰囲気もけっこう変わる。そのフィルム自体もいろんな種類があるから、基本はじぶんでいろんなパターンで撮って経験を積んでいかないと、撮れる写真のイメージも、それに必要な露出や構図の決定も毎回ドキドキの連続だ。

つまりよほどの百戦錬磨のプロでないかぎり、シャッターを切った瞬間にその写真がいいかどうかなんてほぼ分からない。シャッターは切ったものの、何らかのミスで写真が一枚も撮れていないことだって意外とあったりする。これだけハイテクで失敗の無い現代でも、フィルムカメラだけはいい意味で分からないことだらけ、そういうリスクも含めて実にフィルムカメラはドキドキが終わることは無い。それはもう、一生試し撮りみたいな生活なんだ。

ちょっと笑いが出るくらいドキドキばかりのフィルムカメラ。便利かといえば不便なモノかもしれないけど、不便がダメかといえば、それは決して不安とは違う。心配でドキドキするんじゃなくて、期待でドキドキできる、不確かさこそがいちばんの楽しみであり、フィルムカメラにはその要素が色濃くまだ残ってるんだ。そして極め付けは、記憶メディアであるフィルムがいつまでこの世で使い続けられるかも分からない。けれど、これにしたって逆に言えば、今しか体験できないフィルム撮影を体感しているドキドキがある。どうかな、呆れるくらいドキドキできそうだよね。

僕はさまざまなフィルムカメラでそれなりに量を撮るようになってるけど、いまだにそんな初々しいようなドキドキを毎日感じまくってる。このドキドキはきっと終わりはないんだ。スマホのカメラがあればいつでもどこでも写真は撮れるし、デジカメを持っていれば失敗を心配せず本格的撮影体験もできる。でも、ここまで書いてきたようなドキドキは無い。趣味でやるカメラだとしたらドキドキしないとおもしろくない。だから、僕は断然フィルムカメラをすすめるのである。

とはいえ、フィルムカメラってフィルム代や現像代とかコストもかかるじゃないですか!とか言われそうだけど、そのコスト感覚すらもドキドキの毎日と言えるんじゃないだろうか。僕はもうそんな感じだ。フィルムで撮っては、あまりに夢中で撮りすぎて、現像に出す段で少しあたふたする場面も。それでもこれだけフィルムカメラで撮り続けてしまうのは、あのドキドキの日々を経験したら、ちょっとやそっとではカメラをやめる気にはならない。カメラ沼やレンズ沼とか言うけど、真の沼はあのドキドキから抜けられなくなるってことなんじゃないかと思ってる。

現代のデジカメを買うにしても、そのブランドのフィルム時代のルーツを知るのは有益かもしれないね。

Olympus OM-1N, G.Zuiko Auto-S 50/1.4, 純正フード

写真はフィルム時代のオリンパス一眼レフ OM-1Nなんだけど、現代のデジカメ OM-Dシリーズへ随所に伝統が受け継がれているのが分かる。そのブランドのめざす理想のカメラのあり方は時代を経ても揺るがないところがあるんだよね。変えたほうがいいもの、そして変えてはならないもの、そういうことを大切にしているブランドが、かつてのファンもいまだに虜にし、新しいファンもしっかり創造している気がする。

ニコンならかつてはNikon F、いまはNikon Dシリーズであり、注目のフルサイズミラーレスZマウントシリーズ。きょうは大阪でファンミーティング2018が開催されてるようだけど、Twitterなんか見てても単にスペックだけじゃなくてその各部の造り込みや触れた感触なんかは「やっぱりNikonが他社より一枚も二枚も上手」という書き込みも目にする。それはフィルム時代から積み重ねてきた何かなんだろうね。揺るがない何かであり、ユーザーからの期待に対する約束。素晴らしいよね。

ライカだってそう。良くも悪くも世界にレンジファインダー開発を諦めさせ、世界を一眼レフ開発へと転換させたLeica M3の登場。以来、現在のM10-Pまでその理想のカメラに対するポリシーはほぼ何も変わらない。僕もそうだけど、ライカファンはフィルムもデジタルも分け隔てなくシームレスに楽しんでいる。というか、フィルム時代のライカの何かを現代のライカにもストレートにのぞんでいるんだよね。そこまで「我々とは何者か」が突き抜けてると、その本物感は現代の新しいファンづくりにも十分すぎるくらいインパクトを持つ。「そのブランドの志が好き」というのは、機能を超えて強いよね。

そういう意味でも、現行のデジカメを購入する時は、かつてのフィルム時代のモデルのルーツみたいなものを探るとおもしろいと思う。できればフィルム機を実際に手に入れて、そのブランドの何かをエモーショナルに体感したほうが分かりいいと思うけど、コストもかかることだからネットなんかでルーツの記事を調べるだけでもいい。そうしてカメラの歴史を知ることは単に写真機だけのことではなく、時代の転換を目の当たりにするおもしろさもある。カメラは何処へ行くのか、そして写真とはどんな風に世界を写し出して行くのか。そんなことを考えるだけでもワクワクする。人に歴史アリと同様に、カメラやブランドにも歴史アリなんだよね。