3度目のリバーサル現像は、紅葉だった。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

修理に出していたF6が紅葉に間に合う時期にNikon社から帰ってきたんで、愛犬との散歩がてら、初めてふだんの散歩カメラにリバーサルフィルムで出かけてみた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

リバーサル現像はこれで3度目なんだけど、これまで2回はせっかくのリバーサルフィルムだからと少し車で遠出して撮影してきたんだけど、今回はふだん使いでリバーサルを試したくて、週末のいつもの散歩コースで撮ってみた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

リバーサルフィルムはFUJIのVelvia100。前回、Provia100F、Velvia50、Velvia100と3種類のリバーサルフィルムを試してみたんだけど、それぞれ良さはあったものの、美しさと使いやすさのバランスが最もとれていたのがVelvia100だったんで、数本買い置きしておいたものだ。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

なんてことないふだんの散歩道での撮影だったから、これまで感動してきたようなリバーサルらしい仕上がりが楽しめるかどうか少し不安もあったんだけど、そんな心配は杞憂というか、僕の腕前は置いといて、今回もリバーサルフィルムは僕に軽い衝撃をもたらしてくれた。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

まあ、なにより紅葉とリバーサルフィルムの相性がいいんだろうね。あまりの紅葉の美しさに、愛犬のほうのピントはまったくきていなかったりしてるわけだけど笑、フィルム好きな人たちがよく言う、紅葉はリバーサルフィルムでおさえたいというニュアンスが少しわかった気がする。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

少し暗めのシチュエーションでは露出調整をもう少し明るくしたほうがいいなとか、まだまだリバーサルフィルムのコツみたいなものはつかめていなかったりするけど、それでも撮った本人的には十分満足できる写りで、そのあたりはAF機のNikon F6のおかげかなと思う。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji Velvia100

あとは、レンズはAF 50/1.4Dだったんだけど、本当はもう少し絞ったほうがいいんだろうけど、僕はレンズのクセを楽しみたいんで、今回も開放気味でほとんどの写真を撮り、少しだけこのレンズとリバーサルフィルムの相性みたいなものも感じとることができたように思う。

それにしても、ふだんの散歩道でもリバーサルフィルムは十分魅力的に使えることがわかって、んー、これはまたコストのかさむ世界に突入してしまったなというなんとも言えない複雑な気分なわけだけど笑、ネガフィルムに比べたら僕はまだまだリバーサルフィルムの撮影量は圧倒的に足りないから、そこはもったいぶらず、こうしてたまにふだん使いにもリバーサルフィルムを持ち出しやろうと小さな決心をした2017晩秋となった。リバーサルフィルム、やっぱりこいつは魔性のフィルムだ。

シャッター音の気持ちよさでいえば、Nikon Dfも忘れてはなるまい。

Nikon Dfの軍艦部とシャッターボタン

きょうは一日、フィルムコンパクトのKonica C35で写真を撮ってたんだけど、その反動なのかな、愛犬と夜散歩してる時に、ふと元気のいいシャッター音のカメラで写真を撮りたいという気持ちが込み上げてきた。その時、イメージとして浮かんだのがNikon F2ではなくNikon Dfだったんだよね。じぶんでも少し意外だった。

考えてみると、Nikon Dfというカメラはデジタルなんだけどフィルムカメラ時代のマニュアル感覚で撮れるレトロチックな軍艦部、オールドニッコールなレンズたちが使えるところなんかの特徴が語られがちだけど、何を隠そう、シャッター音とシャッターフィールも実に気持ちいいカメラなのである。低音の締まりの効いた落ち着きあるシャッター音と、ストンと瞬時に振動が収まる感触は、フィルムカメラとは違ったある種の官能さを持ち合わせている。あの感触を一度でも味わうと、やっぱりヤミツキになる何かがあるのである。

そうだなあ、マットな音と振動とでも言えばいいだろうか。F2のような叫びに近い派手なシャッター音ではなくて、もっと上品な収まりのいい音色。その派手さとは違う感触がジワジワと僕の好みを支配していってるようなところがある。それもそのはずで、手持ちのカメラの出動回数とシャッターを切る頻度でいえば、今はNikon Dfがいちばん多いかもしれない。もともとはフィルムカメラで撮れないシチュエーションの補完カメラ的な存在だったかもしれないけど、今やすっかりメインカメラになっていて、たぶんシャッター音を聴きたいカメラとしていちばんに想起したのも、その証だと思う。

まだ火曜日、Nikon Dfで撮れる週末までは三日ほど我慢しなければならないけど、無性にいまNikon Dfで撮りたいという衝動にかられる。部屋の中で空シャッター的に数枚撮ればいいんじゃないかと思うかもしれないけど、あのDfのマットで締まったシャッター音は、外の空気の中で聴くほど空気に包まれて心地いいものになる。だから、やっぱり部屋の中ではなくて外で聴きたい。フィルムカメラ的なフォルムだけど、フィルムカメラとは違う、一種独特のシャッターフィールを感じさせてくれるDfというプロダクト。このカメラを製品化したNikon社の開発陣たちのこだわりは、単に昔を懐かしむことではなくて、唯一無二のカメラを世に送り出したかったんだろうなと今は思う。

僕もDfを購入しようと考えるまでは、Dfはそのデザインばかりに目がいっていたんだけど、同じような印象を抱いてる人は、ぜひ店頭でDfのシャッターフィールを体感してほしい。このDfというカメラが何かの真似事ではないことがはっきりと分かると思う。

撮りたいものがなくても、撮る。上手く言えないけど。

Konica C35, 38/2.8, Fuji業務用100

これはニュアンスちょっとむずかしいんだけど。撮りたくないものを撮る、という意味じゃないよ。特に明確に撮りたいものがない時でも、カメラを持ち出して辺りを撮れば、それはけっこう楽しかったり、気持ちよかったりするよ、という意味。まあ、僕はこればかりなんだけど笑。

朝起きて、さあ今日はあそこを撮りに行こうとか、家族と出かける一日を撮るぞとか、明確に撮りたいものがある時はもちろん撮り甲斐もあって痛快なわけだけど、カメラの凄いところは仮に撮りたいものなんてなくても、カメラを持ち歩いてとにかく撮れば何かが見えてくること。代わり映えのしないいつもの景色がファインダー越しにはやけに新鮮に見えたり、少しだけ遠回りして反対側から見た景色がなかなかフォトジェニックだったり、景色が同じでも好みの光がさす時間帯を発見したり。だから、僕はほぼいつもカメラを持ち歩く。撮りたいものなんかなくても。

作品なんかじゃないからかな、僕の撮る写真は。シャッターを切ることが好きで撮ってたりもするし、そもそも息子の姿を撮りたいとカメラを手にしたから誰に見せるわけでもないし、写真の多くはブログを書くために撮ってるところもあるし、つまりほんとふつうの記憶のカメラなんだ。それでもニヤリとする楽しさを提供してくれるカメラっていうのは実に偉大だなあと思う。まあ、そんな自己流ばかりじゃダメだろうと、最近は昔の偉大な写真家たちの写真を眺めたりもしてるんだけど、特にじぶんの撮る写真に変化があるとは思えない笑。撮りたいものがなくて、とりたてて腕前も上達してるわけでもないのに、それでも撮りたい気持ちだけはある。不思議だよなあ、カメラってものは。

さて、来年は何を深めようか。もしくは、始めようか。

Nikon Df, 50/1.8G

考えてみると、僕はいつも冬の間に新しいことを始めている気がする。新年だからというわけじゃないんだけど、何だろうね、冬はじっと考える時間が多いからかな。

今年の始めのトピックスは何と言ってもフィルムカメラを始めたこと。それまで一年ほどRICOH GRだけで過ごして、何というか爆発したというか、開花したというか、一気にフィルムカメラの世界へのめり込んでいった。ロードバイクで出かける時もGRよりKonica C35を背負って出かけることが増えたし、出張に行く時もフィルムを数本持参することが定番になった。で、じぶんでも予想外だったのは、そのフィルム生活がさらに羽化して、ふたたびデジイチを再開したこと。Nikon D300とNikon Df、なかでもDfは愛犬との散歩カメラなど最も頻度高く持ち出すカメラになった。

さて、冬も本番に入り、あとわずかで新しい年がやってくる。新しいカメラを手に入れる予定は特にない。というか、心のどこかでもっとベクトルの違う何かに出会いたいという思いと、いや今の何かをもっと深めたいという気持ちが交錯してる感じといえばいいだろうか。そうそう、このブログもどこか新しくしたいという思いもあって、今はいろんなことを混ぜて、あえて頭の中をごちゃごちゃにしているところ。僕の場合は何でもそうなんだけど、こうして一旦カオスな状況を作り出して、そこから何かが羽化するのを待つのが楽しみだったりする。ちょっと新鮮な目線もいるなあと、本をたくさん読んだりも。どうかなあ、この冬は何か生まれるかな。

あ、でもね、新しいことを始めることは、何かを捨てることでもある。捨てるというと乱暴だけど、脱ぐとか卒業するとかそんな感じかな。にんげん、誰しも時間は24時間しかないから、何かを足そうとすれば何かを引かないといけない。それは、寂しいことではなくて僕は脱皮みたいなものだと捉えるようになった。時間は永遠ではない、だからこそ思いついたことは可能なら経験しておきたい、今はそんな心持ちかな。さて、これからお風呂読書だ。少しこの冬の羽化の野望など抱きながらね。

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じぶんの所有カメラ。タイプ別にみるとなかなか理にかなってるなと。

Leica M3, Konica C35

今のところ新しいカメラを手に入れる予定はない。というのも、所有カメラをタイプ別に見てみると、けっこうひと通りカバーできていて、あまり埋めたいポジションが見当たらないのである。

①コンデジ/RICOH GR ②デジイチAPS-C/Nikon D300 ③デジイチフルサイズ/Nikon Df ④フィルムコンパクト/Konica C35 ⑤フィルム一眼レフ絞り優先/Nikon FE ⑥フィルム機械式一眼レフ/Nikon F2 ⑦フィルムAF一眼レフ/Nikon F6 ⑧フィルム機械式レンジファインダー/Leica M3

どうだろう。あまり意識して揃えたつもりはないんだけど、いつのまにかこんなラインナップになっていて、考えてみるとなかなかいい具合にカメラのタイプをカバーできてるなと。やれ、Nikon F5がいいなとか、Nikon FM2がいいなとか、カメラ屋で多少気持ちが揺れることがあるんだけど、同じようなカメラはいらないなあと購入には至らない。そうして、ひと通りカメラは揃っていることをいつも再認識するのである。

これ以外にタイプ別で候補にあがるとすれば、ハーフサイズカメラと中判カメラかなあ。それでも強いて挙げればという感じで、特に猛烈に物欲が増す感じはない。まあ、いまのカメラたちが壊れて再生不可能になれば話は別だけど、今のところは今の所有ラインナップで十分すぎるくらいなのである。こうなると、あと向かう先はレンズかフィルム、写真集購入費かな。多少自由になる予算ができたとするなら、ボディ以外のところに費やしたい。時間的にもカメラ云々言ってる時間があれば、撮影する時間に費やしたいしね。それにしても、こうして振り返ってみると、いい具合に撮影領域をカバーできるカメラが揃ったもんだ。ローテーションして出動させる数的にもちょうどいい感じ。一応、考えて購入してるじぶんを褒めてやりたい気分だ笑。

Nikon機が多いのは、やっぱりレンズ資産がFマウントが多いことが大きいかな。Asahi PentaxやContaxがいいなと思った時期もあるけど、レンズのことを考えるとやっぱりNikonがいいなと思い至るところがあって、気がつくとNikon機を意識してるじぶんがいる。まあ、初めて手にしたカメラがNikonだったこともあって、Nikon機が愛おしいと思うのがいちばんではあるんだけど。もし、レンズのマウントが世界共通だったとしたら、FUJI FILMのボディは気になるところかな。カメラという道具だけは、実際に使ってみないとそのよさは確かめられないところがあって、そういう意味ではこれだけタイプ別のカメラを試せたことは、僕のカメラ観の形成には大きかったように思う。というわけで今回は、所有カメラをタイプ別に眺めてみたポストでした。

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フィルムなら、辺りに漂う光をすくい取ってくれる。

Nikon F6, 50/1.4D

フィルムは暗所に弱いから、暗所を撮る時はデジタルで…みたいな思いが僕の中にもどこかあったんだけど、最近は少し違ってきた。技術的なことは詳しくないので感覚的なことで恐縮だけど、フィルムのほうが僅かな光をうまく捉えてくれる気がするんだ。捉えるというより、光をすくい取ってくれるという表現のほうが近い。デジタルだと逆光気味だと黒つぶれしやすいシチュエーションでも、フィルムだと周囲の光を集めて黒つぶれしないように辺りを照らしてくれる、そんな感じ。

フィルムって、そういう意味では全然脆くないというか、逆に頼もしいなと最近すごく思う。フィルムは昔の技術のものでデジタルは最新の技術と捉えると、なにやらフィルムがデジタルより劣ってるみたいに思いがちだけど、そういう単純な比較や優劣はあまり意味がないというか、フィルムとデジタルは異なるもので双方にそれぞれ良さがあるものなんだよね。フィルムはその風合いばかりが取り上げられがちだけど、このフィルムの性質のよさみたいなものにももっとスポットがあたればいいなと思う。

ネガフィルムはラティチュードが広くて、少々の露出間違いでも大きな包容力で写真を仕上げてくれることも、フィルムの頼もしさや強さみたいなものを表しているかもしれないね。僕も機械式カメラを持ち始めた頃は一枚一枚に露出計アプリをかざしていたけど、フィルムのそのアバウトさを受け止めてくれる偉大さに気がついてからは、ほぼ露出計なしで勘で撮っている。でも、ほぼきちんと撮れてるから僕の体感露出の精度も多少は上がっているのかもしれないけどね。フィルムを始める前はあれだけ露出を計って撮るなんて面倒そうと感じていたのがほんと嘘のよう。フィルムと対峙するというより、フィルムと遊び戯れる、そんな感覚が今ではとても楽しい。フィルム未経験の人はぜひそのフィルムのおおらかさみたいなものを感じてみてほしい。たまらない何かがあるよ。

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僕の中の“The Film”、FUJI FILM業務用100。

FUJI FILM業務(記録)用100

正確にはこのパッケージにも書いてある通り「記録用100」なのかもしれないけど、フィルムを始めた頃にまわりの人たちが業務用100と呼んでいたのがあって、僕もいつのまにか「業務用100」と呼んでいる。

過去にも何度かポストしたけど、僕はこの業務用100というフィルムがほんと大好きで、もはや安さという基準を超えて、その撮れ具合が好きだからこのフィルムを常用しているといって間違いない。美しい粒状感で選べばプロ用のPRO400HやEktar100 なんかが好まれるのかもしれないけど、僕はもうちょっとザラっとカラッとしたフィルム感が好きで、いろいろなフィルムを試してみたけど、そこはこの業務用100がいちばんしっくりくる。

あとね、何が好きって、この一色のパッケージデザインが好き。印刷のことを知ってる人なら分かると思うけど、この業務用100はいわゆる一色しか使っていないから印刷代も安い。大量に作られるモノだから、この印刷代の違いはかなり大きなはずで、そのコスト節約が業務用100の安さにもつながっているのは間違いないところ。この白地に緑一色のパッケージが今ではかなり愛おしいくらいの存在で、毎回フィルム交換のたびにジワジワと感動していたりする。なんだったら、日本グッドデザイン賞をあげたいくらいなんだけど、どうだろう笑。

フィルムのことでいえば少し気になることがあって、それは感度400のフィルムが微妙にこの世から姿を消しているところ。FUJIのX-TRA400の生産終了に続いて、AGFA Vista400もどうやら生産終了らしい。僕がいきつけのキタムラには業務用400は置いていないから、けっこう切実な問題なのだ。FUJIのNatura1600の生産終了も聞こえてきた昨今、高感度のフィルムが少しずつ姿を消すのはやっぱりこの先少し心配なんだよね。ふだんは感度100派なんだけど、感度400も地道に購入し続けなくては、と思ったりしている。一日でも長くフィルムを楽しみたいからね。

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フィルムを食べ残さないことについて。

Nikon F6, 50/1.4D。撮影はiPhone

「フィルム」「食べ残さない」…何のこっちゃ?という感じなんだけど、今朝ふと思ったのでブログに記憶を。僕は以前ブログでこんなことを書いた。

「フィルムを無理に使い切らないで、カメラの中に残しておこうと思う」

で、しばらくそんなカメラ生活を続けていたんだけど、昨日かな、チョートクカメラ日記を読んでたら、田中長徳さんが「フィルムは毎回使い切ったほうがいい」と書かれていたのを目にする。チョートクさん的には当たり前に、フィルムを入れっぱなしにして何台かのカメラをローテーションしていたら、もうどれが何を撮ったものか分からなくなるし、それだと現像した際に夏の写真とクリスマスの写真がいっしょになっちゃったりして風情もない…的なことを書かれてたのかな。で、だよなあとこれまた当たり前に反応して、今朝愛犬との散歩カメラに連れ出したF6のフィルムを、散歩が終わる頃にちょうど24枚使い切るように撮っていたところである。

この24枚撮りきるまでをどこか想像しながら撮り歩く感じ、何かに似てるなあと思ったんだけど、それが「白ごはんとおかずをちょうど食べきる、あの調節具合」に似てるなあと思ったわけ。変かな?笑、僕だけかな、こんなこと考えるの?笑笑。でもまあ、なんかゲーム感覚みたいで、「ちょうど使い切る」というのは、なかなかおもしろい要素だと思った。無理やり使い切るというのはアレだけど、そこまでは無理しないんだけど、使い切ることを念頭に撮り歩くと、一枚一枚の被写体選びみたいなものも少し変わってくる。ごはんもフィルムもきれいに食べ残さないほうが気持ちいい、そんなお話です。

フィルムはコストがかかるから、そのあたりの「一枚一枚を無駄にせず撮る」という感覚はやっぱり大事だし、それはちょっとお米を一粒一粒大事にする感覚と似ている。僕が今朝使ったフィルムはFuji業務用100の24枚撮りで一本¥200、現像代とデータ化代を足すと、一本¥1,300くらいだから、フィルム一枚あたりの撮影コストは¥54円くらい。意外と安いとも言えるけど、チリも積もれば何とやらで、できれば大切に使いたい。そんな感覚が僕の中で「ごはん同様、フィルムも食べ残さないことが大切」みたいに思った、そんな日曜日の朝です。

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思い出はあやふやなとこあるから、写真が存在する。

Konica C35, 38/2.8, Fuji業務用100

いまApple Musicがおすすめしてくるずいぶんと懐かしい時代のナンバーを聴いていてふと思ったんだけど、音楽って思い出の道しるべみたいなところがあって、その当時聴いていた音楽でかなり鮮明に蘇るんだよね、当時の思い出たちが。

写真もそういうとこあるよね。写真はアートの側面もあるけど、そこはやっぱり記録であり記憶を封じ込めるもの。幼い頃の写真とか、若い頃の写真、子どもが小さい頃の写真なんかは、でっきるだけたくさんあったほうがいいよね。写真がたくさんあるっていうのは、思い出がたくさんあるということに割と直結する。写真を眺めてると、もうその当時のことが音楽以上にドバドバと脳に流れ込んでくるから。

にんげんの脳は優秀だから、ていねいに紐解いていけばかなりの記憶へたどり着けるけど、写真があればその速度は何倍も何十倍も速くなる。いま、この瞬間のことでいえば、僕は写真を眺めながら当時の音楽なんかも聴いてるから、もうドバドバだよね笑。だからさ、カメラは若ければ若いほど始めといたほうがいい。コストはかかるけど、写真をたっくさん撮っておけば、後にとんでもない宝物になるから。カメラの価値は、その宝物をつくる道具というところにあるんだよね、本当は。

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カメラが故障したら、それはより長生きさせるチャンスかもしれない。

Konica C35とRICOH GR

大事にしているカメラがある日突然、故障などしてしまうとものすごく落ち込んで悲しい気持ちになる。僕もそうだった。過去の故障歴でいうと、Nikon D5300、Nikon D750、Nikon F2、Nikon F6、RICOH GR…こうやって挙げるとかなりの割合で故障してるなとも思う。でも、逆にいえばすべて故障から蘇って手元に帰ってきているとも言える。

すでに手放したD5300とD750は除いて、その他のカメラはすべて修理後に元気に使えていて、当たり前だけど故障直前よりは快調に使えてる気がする。F2も、F6も、GRも、リフレッシュして寿命がずいぶん伸びたんじゃないかというような爽快感があるんだ。F2は保証無しで買ったから修理代もかかったけど、F6とGRは保証期間内だったから修理代は0円だったし、そういう意味では保証期間内に壊れてくれたおかげで、無料で古びた部品をリフレッシュできた。そう考えると、カメラが故障した時は、直せない壊れ方なら致し方ないけど、直せる範囲であればむしろ寿命がのびるチャンスだとも言えるんだよね。そういう故障・修理経験を何度かしてきたから、今では故障はあまり深刻に落ち込まなくなった。

機械である以上、いつかは寿命はくるだろうけど、部品が存在しないとかでない以上、直せて使い続けられる可能性はけっこう高い。そういえば昨日かな、Nikonがメーカーとして部品交換を伴わないものであれば有償だけどマニュアル時代のカメラやレンズの点検を期間限定で受け付けると発表していた。僕がこのニュースを初めて目にした時、これこそ「Nikon 100周年の感謝事業」なのかなと思った。Nikonユーザーの中にはフィルムニコンからのファンが多い。つまり、今のニコン、これからのニコンを考えた時に、このマニュアルカメラ時代のカメラなら直せないことはないから、であれば感謝のしるしとして修理を受け付けてみようと心ある人たちが考えたんじゃないのかなって。カメラは手に入れた時も嬉しいけど、修理から帰ってきた時はもっと嬉しいようなところがあるよね。もう数年いっしょにいられるような「希望」みたいなものが得られる幸福感なんだろうね。まあ、あまりにも頻繁に故障するのはどうかと思うけど、こうして数年に一度故障を修理してリフレッシュする感じというのは、なかなか悪くないものなんだなあ。

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