アレモコレモさんの真似をして、欲しいものを素直に少し書いてみた。

Leica Standard

買いたいじゃなくて、くれるなら欲しいという話だから、気楽に書けるという解釈で。そうだなあ、まずはこのライカ・スタンダードのブラックペイントだな。以前カメラ屋で見かけて思わず触らせてもらい、写真を撮らせてもらったという笑。IIIaを購入した直後だったからとても買う気までは至らなかったんだけど、よく言われることで「中古カメラは出会った時が買い時」という言葉の通り、次回訪れた時はもう無くなってた。以来、どこのカメラ屋へ行っても心のどこかでこいつを探してるじぶんがいる。

あとは、Rolleiflex 3.5F(または3.5E)クセノターかな。これは欲しいというよりずっと憧れ。川内倫子さんの使用するカメラという意味で、なんか僕の中で聖域なんだな。手にしたいような、いや手にしちゃいけないような、そんな存在。

それから、気になっているといえばContax I型のブラックペイント。あの四角シカクしたボディ。いい感じにペイントが剥がれて真鍮が浮き出たボディは、もう写りとか分からなくてもただただいいなと思う。車でいえばMINIじゃなくてFIAT Pandaのカクカク具合。あの直線的美学はライカにはない味だと思う。

あとね、単純にNikon Z6とRICOH GRiiiはいいと思う。登場を待ってる人は絶対買っちゃえと思う。Zは初号機ならではの熱量を感じるし、GRはこの期に及んで小さくしてきたからやるなあRICOHって思う。カメラは作り手の意思みたいなものがモロに滲み出るプロダクトだからね。この2つにはそれを感じる。

それと、いつもなんとなく意識して見てるのは、やっぱりNikon FとF3かな。僕は最終的にF2アイレベルを選んだけど、最後の最後までFとF2、F3は比較しまくったからね。その時にふれた手触りが今でも忘れられないんだろうね。

そうそう、ミノルタ機も気にはなる。SRTシリーズだっけ、あれにロッコールというのはなんともクールなイメージ。所有してる人のイメージとして、変にカメラをアピールせずに、ほんとにカメラとか写真を静かに愛してる感じがする。そういう意味では稀有なカメラなんじゃないかな。私見ではあるけど。

最後は、Leica R6.2。機械式の一眼レフ機。ライカはM3をもう一台欲しいと少し狂った感情を持った時期もあるんだけど笑、その予算が仮にあれば先にこいつかなあ。ズミクロン つけて、クタクタになったR6.2を首からぶら下げて都市や荒野へ出る。なんとも最高じゃないか。

いやあ、妄想も悪くないね笑。もうカメラは増やさないと一応じぶんに課してるから、こうして書くだけなら大丈夫。買わなくても、カメラ屋に通って眺める価値はあるこんなカメラたち。それにしてもこのライカ・スタンダード、やっぱりたまらないオーラあるな。

デジタルこそマニュアルで撮ったほうがたのしい。

Leica M-P typ240, Industar-61 55/2.8

僕の場合、まず前提としてフィルムで撮るのがたのしい、ということがあるんだけどね。それは、いい意味で手がかかるということ。フィルムを選ぶたのしみ、フィルムを装填するプロセス、露出を決めるたのしみ、そしてフィルムを巻き戻し、現像する(僕はラボへ出すけど、その待つ間だってたのしい)たのしみ。できあがる写真の素晴らしさもだけど、フィルムカメラに魅せられる人々は、手のかかるプロセスをたのしんでるんだろうね。いつ故障するか分からない少し古いイタ車を可愛いがるような感じに近いかな。

それと比べると、デジカメは便利でランニングコストもそれほどかからないけど、手がかからな過ぎる。どうかしたらほぼフルオートで美しい写真が撮れてしまう。それはそれでいいことなんだけど、たのしいかといえば微妙かなと。瞬間を逃すことのできないプロカメラマンならともかく、割とゆっくり撮ることができるアマチュアカメラマンにとって、撮るという行為は何も急がないし、カメラをじぶんなりに攻略するのがたのしいんじゃなかったっけと。僕だけかな、こんな暇人めいたことを言ってるのは笑。

でも、ある時からデジカメをフィルムカメラ的に、つまり撮る所作というかプロセスをたのしむようになってから、僕の中のカメラとの向き合いが少し変わった。デジカメをもっと手のかかる子として扱ってみることで、デジカメの撮影プロセスにも味を見出すことができるようになったんだ。いちばん手っ取り早いのは、デジカメをマニュアルで撮ること。ラティチュードのひろいフィルムと比べるとデジカメは露出にかなり正確さを求められるけど、これもフィルムカメラを経た人であれば、ゲーム感覚くらいでけっこう無理なくたのしめるはず。絞り、シャッタースピード、ピント、感度、どれもフィルムカメラと同じ作法で撮れば、実はかなりおもしろいことに僕は気づけた。これは大きかったなあ。

まあデジカメはその時々の先進テクノロジーの塊だから、その恩恵を存分に生かして写真を撮ることは正しいし、それが価格に見合う価値でもあるわけだけど、試しに手持ちのデジカメをマニュアルで試してみてほしいなあ。意外とカメラの忘れていた本質的たのしみを感じとることができるかもしれないし、撮影する時間の流れ方が変わると思う。つまり、ちょっと人生の流れ方が変わる。僕はそう思う。

手荒く扱えるカメラを何台か持っておくといいよね。

RICOH 500 Deluxe, RIKENON 45/2.4

僕にとってはこのRICOH 500 Deluxeもそうかな。フードまで全身艶かしいスチールで覆われたボディはいかにもハードに使えそうだし、僕もこれならガシガシ街へ連れ出して使えそうと思って手に入れてるから、やれ必要以上に大事に取り扱わなきゃとかそういう気にはならない。

これがさすがにLeica M3やLeica M-P typ240あたりだと、いかにも精密機械といった佇まいであることもあって、ラフには使ってもガシガシと無造作に使うには多少気がひける。埃とか雨とか、そういう状況下からは最低限守ってやらないとカメラとして長持ちさせられない気がするのだ。実際はそんなヤワじゃないんだろうけど、なんとなく気分的にね。

僕は出張なんかも比較的多いから、旅行鞄の中なんかにカメラを入れて、鞄をコロコロと地面に転がして移動したりするんだけど、そういう時はガシガシ使えるカメラの出番だ。そうだなあ、僕の中でそういう出番のカメラとしては、このRICOH 500 DeluxeにKonica C35、Bessa-L、Retina typ117、Rollei35、PEN EE-2あたりがコンパクトさも含めてそうかな。デジタルだとRICOH GR、Leica X2、オールドレンズ機としてはFUJIFILM X-E2なんかがそうだ。

このあたりのカメラなら、鞄に入れずとも一日中、首から下げたり、ハンドストラップで手に持ったまま移動しても気にならない。つまり、少しぶつけてもいいし、あちこちに置いて底が擦れても別にかまわない。それよりも機動性重視と思えるカメラたちだ。価格的な価値ということでも特になく、そのカメラたちのパーソナリティによるところが大きいと思う。本当はね、ブラックペイントのLeica M-Pをもっと酷使して真鍮が見えるくらい使い古したいんだけど、余計な振動だけは与えないようにそこは少し気を使ってる。

RICOH 500 Deluxe, RIKENON 45/2.4, Fujifilm 業務用100
RICOH 500 Deluxe, RIKENON 45/2.4

このRICOH 500 Deluxeは最近手に入れたばかりで、一度家の近所で試し撮りしてみたんだけど、想像以上にキレのある描写で手ごたえを得たんで、こんどはいよいよ街撮りスナップに連れ出したいなと。このワイルドな見た目のトリガー巻き上げも、やっぱり速写が似合う街中向きだ。僕は新しいカメラを手に入れた時は、内部の油を滑らかにする意味でけっこう集中して使ってみる。RICOH 500 Deluxeもフィルム数本を立て続けて使って、本当の意味での試し撮りを終え、本調子へ持っていきたい。それにしても、この金属の塊のカッコよさよ。カメラは見た目がとても大切だ。撮影者をソノ気にさせるという意味においてね。

 

週末の朝は、愛犬と一眼レフと森へ。

Nikon Df, 50/1.8G

10月中旬の土曜日の朝、あまりにも適温で気持ちいいので、庭にアウトドアチェアを出して、いまこのブログを書いている。平日5日間、仕事に走り抜けてきたご褒美と思って、ありがたくこの至福の時間をいただく。

僕とカメラの付き合い方でいうと、平日はいつも仕事鞄の中には何かしらのカメラが入っているが、速写で街撮りスナップができるようにレンジファインダー機かフィルムコンパクト機がほとんどだ。一枚も撮れないほど忙しかったりするのだけど、それでもカメラを持ち歩いていることは精神的にどこか救われるところがあって、移動中のワンシーンをスナップするのが束の間の安らぎだったりする。

だから、仕事から開放された週末はとにかくのんびりしたいと思う。職場からかなり離れた郊外の家の近所で過ごす週末は、どこか隠れ家にとどまっているかのようで、精神的にはとても心落ち着く。僕なりのオンとオフのバランスをとってるライフスタイル。土のある場所でオフを過ごしたいと思うのは、幼い頃に育った環境もあるんだと思う。

そういうわけで、週末はとにかくまったり過ごしたいわけである。風の音や、葉の揺れる音、大地の枯れ草を踏みしめる足音なんかに静かに耳をすませながら、腕時計を外して過ごすのがいい。相棒は、愛犬と一眼レフだ。平日のノーファインダーな速写とは打って変わって、週末はじっくりファインダーの中の濃密な世界をのぞきながら、辺りに少し響きわたるレフ機のシャッター音を楽しむ。これが、たまらない。

そういう意味では、愛犬にも感謝してる。彼のおかげで眠い朝もなんとか起きだして、早朝の少しドラマティックな光が差し込む自然の中へ繰り出すことができるからね。カメラはNikon Dfであることが多い。このカメラは、ほんとまさにこういう写真ライフを送るためにあるカメラなんじゃないかと思う。一枚一枚じっくり撮る。ダイヤルをカチカチまわしながら、ゆっくり、まったり。僕を癒してくれるこの使い勝手こそ、Dfというカメラの最高性能だと思ってる。

Nikon Df, 50/1.8G
Nikon Df, 50/1.8G

みんな人それぞれ、じぶんを癒したり、頑張ったしぶんへご褒美をあげる方法がある。僕の場合は、週末にこんな癒しの時間というご褒美だ。そして、今は季節もそんな僕にご褒美をくれる。暑くもなく寒くもない抜群の適温のなかで、庭にアウトドアチェアをだして、お日さまと土の匂いを感じながらブログを書く。そして、目をつぶってあれこれ考えごとをする。上空高くには飛行機が飛び去るがその音も心地いい。そろそろ眠くなってきた。昼寝でもするか、風と。

 

カメラはもうこれ以上はいらないと思ってる。それより時間が欲しいんだ。

Leica M3

僕はカメラが好きだ。写真そのものと同じか、それ以上だ。だから、気をつけてはいるものの、魅力的なカメラをみつけるとついつい手を伸ばしてしまう。おかげでここ最近は毎週末、試し撮りしてるような気分だ。それはそれで楽しいんだけど、そんなカメラより大事だなと思うのが「時間」だ。

もちろん、カメラといる時間は最高の部類に入るわけだけど、人生は案外忙しい。仕事もあれば、家族もあるし、映画も見たければ、本だって読みたい。だから、カメラを人生の主役にするわけにはいかないんだ笑。僕にとってカメラは最高の脇役であって、カメラに振り回されるのはちょっと目指している人生と違う。

だから、カメラはもうこれ以上はいらない。ほんとだよ笑。昨日はNikon FEをある人へ譲った。カメラを増やすことより減らすことに舵を切ったんだ。じぶんではそのつもり。かといって無理やり減らすのもなんか目的がすり替わっちゃうんで、あくまで自然体でカメラを減らし、人生を少し濃くしたいんだ。

できるかな笑。いや、できるようにするんだ。人生は長いようであっという間だからね。カメラとの時間を減らすというわけじゃないよ。カメラとの時間をむしろ濃くするために、時間を大切にするんだ。手持ちのカメラで体験していないシーンがまだたくさんあるからね。というわけで、記憶カメラはまだまだ続く。ジワジワ、濃さをめざしてね。

じぶんの常識をぶっ壊そう。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

言うほど簡単じゃないんだな、これ、かなり意識しないと。僕、これかなり確信あるんだけど、にんげんはどうしてもマンネリする動物だから。時間がたてばたつほどどうしても居心地のいい場所を自然と見つけてしまう、そして知らず識らずのうちにそこに居座ってしまう。すると、にんげんの体の中の血流が止まるようなもんだから、そっと居心地よく大人しくしているようで、実は体や頭にいろいろ支障をきたす。だって、血流が止まってるんだからね。だから、僕らはなんとしても変化を取り入れていかないといけない。それは些細なことでいいんだ。いつもと違う道を帰る。いつもと違う靴を選ぶ。いつもと違う人とやりとりして、いつもと違うカメラやレンズを選ぶ。そうして、凝り固まったじぶんに風穴を開けるんだ。新しい何かが入り込む隙をつくる。ポリシーとしてじぶんを変えないみたいなことは一見クールなんだけど、僕は“常に変えようとすることを変えない”ほうが、数段、数倍クールだと思う。じぶんメモとして。

ライカは目測、僕はほぼそうなった。

Leica M-P typ240, Summilux 50/1.4 2nd

僕の腕前があがったから目測になった、というわけではない。そのほうが楽にスナップできるからである。僕はライカを4台持っている。バルナックIIIa、M3、コンデジX2、M型デジタルのM-P typ240。そのうち特にこのほぼ目測機に値するのが、IIIaとM-Pだ。

IIIaはそもそも二重像を合わせるファインダーが見づらいんで、よほど手前のモノにピントを正確に合わせたい時以外は距離用ファインダーはのぞかない。その隣にある画角用の50mmファインダーは見るけどチラ見程度で、あとは大抵無限遠かF値を絞って撮るから、まあ極端にピントをはずした写真にはならない。

M-Pのほうは、ファインダーは素晴らしく美しいんで見たくなるところだけど、こちらもピント合わせ自体は先に距離を固定しておいて、それが大体合ってるかどうかの確認用にファインダーをチラ見する程度だ。結局、スナップを撮るのはほんと一瞬の連続だから、いちいちファインダーを丁寧にのぞいてる時間がないのである。1m、1.5m、2m、3m、5m、7m、10m、そして無限遠、大体撮る時にどれかの距離に固定して歩き始めることが多い。もしくは、歩きながら被写体を見つけては構える前に目測で距離を合わせてしまう。撮る時はファインダーをチラ見してシャッターを押すだけ。これがとにかく楽なんだな、スナップの場合。最初からそういう思想で撮っているわけではなく、いつのまにかそんな風に撮るようになっていた。じぶんにとっていちばん楽な撮り方として落ち着いてきたのがその所作というわけだ。

じゃあ、その他のライカはどうかというと、X2はそもそもAF機なんでピント合わせはカメラ任せ。M3はなんで目測じゃないの?ということになるけど、これは単に僕がM3のファインダーをのぞきたいと思ってることが大きくて、あのおそらく世界一美しいであろうファインダーを撮るたびに眺めるのが単に好きなのである。なんかあまり説得力のない理由だけど、それが本当のところなのである。

まあでも、そんなM3も速写スナップシーンでは往々にして目測になることも少なくない。IIIaとM-Pでずいぶん目測慣れしたことも大きくて、あまり頭の中で深く考えなくても大体の距離は目測で刻めるようになった。あと、その他のカメラもRollei35やBessa-Lが目測専用機なんで、じぶんでも意識していなかったけどいつのまにか目測慣れしたんだろうね。

まあ、レンズを絞ればどこでもピントは合うから、そういう撮り方でもいいんだろうけど、僕の場合は割と絞り開放付近で撮るのが好きなんで、そうすると撮るたびに目測で細かに距離を刻み直す必要もあって、なんとなく1m単位で目測によって距離を刻んでいく撮り方になった。最近はそれが一眼レフにもひろがっていって、愛犬との散歩の時なんかは片手しか使えない事が多いんで、一眼レフでもピント固定で目測で撮っていることが多い。それもこれもきっかけはやはりライカなのである。まあ目測で撮るけど、目測が得意で正確なわけじゃないから、ピントは甘々の写真が少なくないけど、それもまた愛嬌というか許せる範囲になっている。ライカ使いの人たちがみんなそうなのかは分からないけど、まあこれも一人のライカユーザーの撮り方の一例ということで。さて、明日のカメラ〈Leica M3, Summicron 50/2 1st 〉を仕事鞄に入れて眠りにつくとしよう。

基本、何処へ行くにもカメラが一緒なんだよね。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5, Velvia100

僕はカメラが趣味ではあるけど、こと撮影するということに関していえば、それほどカメラに振り回されてはいない。要は撮影のために時間を割いているというよりは、じぶんの普通の生活行動にいつもカメラを持ち歩いてるというのが正直なところなんだ。もちろん、今日は撮ろう!と撮影目的で出かけることもあるけど、大抵はカメラは僕の同伴者みたいなもんなんだ。だから、撮る写真は自ずとごくごく普通のスナップ写真になる。散歩道の道端だったり、街中の片隅だったり。自慢できるような写真は一枚もないのが自慢だ笑。けれど、そんな無理しないカメラ生活がいいのか、まったくカメラに飽きないし、けっこうカメラやレンズはたくさんあるんだけど、常に使い回しできていたりする。そんな僕だから、同じような嗜好の人の写真に惹かれるのか、どうだ!みたいな絶景写真や、レタッチ追い込みました!みたいな写真には正直あまり引き込まれることはない。もっと普通で、でもその撮影者のふとした思いみたいなものが垣間見れる写真に惹かれる。こういうのは本気で写真やってます!みたいな人からはアレかもしれないけど、まあそれが僕とカメラのほどよい距離感だったりする。たぶん、仕事が何かしら企てることを良しとする世界だから、プライベートな時くらい一切企てとは無縁の、無心みたいなモノを欲するんじゃないかと思うけど、それも本当のところは僕にも分からない。そうだなあ、最初に何かを規定してカメラを動かしてるよりは、カメラを動かした結果、何かが浮かび上がったり形を成していくのを見てみたい、というのが近いかな。どうかな。おぼろげながらだけど、そんなことを考えながら、来る日も来る日も僕のいくところにはカメラが一緒についてくる。それが僕とカメラの関係性だ。

デジカメをマニュアルで撮って楽しもう、という話。

Nikon Df, 43-86/3.5

土曜日の朝、まだ台風らしい突風がおさまらず愛犬と散歩へ出かけられずにいるんで、もう一本ブログを書いておこかなと。今朝はそうだな、デジカメの話。というのも、昨日、職場に新しくやってきた若者とそんな話をしていたので。

その彼は、いまムクムクとフィルムカメラを始めたい熱があったまってきていて、聞くとNikon F3を検討しているという。これまではデジカメをやっていたというので、そのノリで絞り優先AEで撮れるF3はたしかにとっつきやすいかもしれない。だけど露出をゼロから学ぶなら機械式カメラでマニュアル撮影から始めたほうがいいのになあなどと思いながら、「デジカメは絞り優先とかで撮ってたの?」と聞くと、「いえ!マニュアルで撮ってました!」と。

え?マニュアルで撮ってたの?デジカメなのに?…えらい!と笑。僕なんかデジイチを始めた頃はもうほんと露出とそれを調節する絞りやシャッタースピードのことはあまり無頓着で、それでもなんとなくはまともに撮れるもんだから、もうほとんど絞り優先AEか各種撮影ポジション(予め用意されたスポーツシーンとか夕日とか夜景とかのアレです)で撮ってたんだよね。それがこの若者は、しっかり露出を楽しんでデジカメを使いこなしてたとは。だったらフィルムカメラは基礎から機械式カメラを使う必要もなくて、最初から名機Nikon F3でいいし、センスいい選択と思ったんだよね。

最近、ほんとフィルムカメラで撮る若い人たちのセンスの良さは素晴らしいなあと思っていて、それって何が作用してるのかなあと素朴に考えてたんだけど、あ、このマニュアル意識とか「あえて、手間やプロセスを楽しむマインド」かもと思ったんだよね。スマホカメラで撮ればいいところを現像が必要な写ルンですで撮ったり、フィルムカメラのチョイスだってNikon FM2やPentax SP、Olympus OM-1といった機械式カメラを好んでフィルムで撮る若者も多い。若い人たちの方が、今のミドル世代の人たちより、クラフトマインドが豊かなんじゃないかと、ふと思った。

僕はフィルムカメラで撮るようになって露出のおもしろさを知り、だったらそれはデジカメでも楽しめるんじゃないかと、一度はすべて手放していたデジカメを再び楽しむようになった。選んだのはマニュアルで撮ることを積極的に楽しみたくなるNikon DfやLeica M型デジタル。もちろん絞り優先AEで楽ちん撮影もできるけど、僕は割とマニュアルを楽しんでる。体感露出ゲームを楽しんでるようなところもあって、パッと目の前に現れた光景の露出を頭の中で考え、それで撮れた写真を見ては「お、ビンゴ!」とか「んー、まだまだだな僕は」とか露出の腕前を確かめたりしてる。

ハイテクでいろんな機能のあるデジカメをそんなフィルムカメラのようなシンプルな使い方で利用するのはもったいない?かもしれないけど、カメラに撮ってもらうんじゃなくて、カメラを操ってじぶんとカメラの共同作業で写真を撮るということでいえば、マニュアル撮影はやっぱりおもしろいし、デジカメでMFのオールドレンズを装着したり、マニュアルモードで撮影するのはなかなかクリエイティブで楽しいもんです。世の中はデジタル時代真っ盛りだし、コスト的にもフィルムよりデジタルで撮りたい人ならば、マニュアルモード撮影をしてみてはどうだろう。なかなか新鮮でカメラとの向き合い方が広がると思うなあ。

台風が過ぎ去るまで、おもちゃ箱のようなカメラの写真たちを眺めてる。

僕の部屋の愛しきカメラたち

なんだか毎週末が連休で、毎週末台風が来ているような気もするけど、まあこうして部屋で台風が過ぎ去るのを待つ間、カメラを眺めたり、過去の写真なんかを整理するのも悪くない。というか、僕の場合はカメラたちが子どもの頃のおもちゃのように好きなんで、むしろ撮影に出かけるのと同じくらい楽しかったりする。

最近は少し恥ずかしくてもはやカメラやレンズの所有台数を言うのもやめようと思ってるんだけど笑、わりとたくさんの機材たちが僕の部屋に所狭しと並んでいる。カメラは外へ持ち出して使ってやることが最大のメンテナンスだけど、なかなか使いきれない数にもなってきたんで、たまに部屋の中に数台を出して並べては、眺めたり、磨いたり、空シャッターを切ったりしている。それだけで楽しいんだ、とても。

男子たるもの、こういうメカものにはめっぽう弱い。ヴィンテージものも好きだし、そういうルーツに想いを馳せるのもまた楽しい。そういう意味では子どもの頃に遊んでたスーパーカーのミニカーのおもちゃなんかをガーッと部屋に広げて遊んでいるのと大して変わらない。成長していないなあとも思うけど、まあそんなことが日々のがんばるエネルギーになってるんで、家族にも許してもらおうと勝手に思ってる。さて、風が弱まったら愛犬とカメラと散歩へ行こうか。