ここのところ週末は1930年代コンビで撮るのが最上の癒し。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

GW前半戦の連休最終日、やっぱり僕はこの二台を連れ出した。Leica IIIaとRolleiflex Standard、共に1930年代でかれこれ80年〜90年前のカメラたちだ。

フィルムカメラを始めるまではたぶん想像もしなかったこと。それは半世紀どころかもうすぐ一世紀になろうかという戦前のカメラをこうして普通に21世紀の2018年に実用品として楽しんでいるということ。フィルムカメラをやっていない人だったら、にわかに信じられないんじゃないかな、100年近く前のカメラを今も素人が使ってるなんて。

Rolleiflex Standard

いや、僕だってフィルムカメラやっていなかったら、そんな大昔のカメラで週末に普通に写真を撮ってるなんて話、信じないから笑。でもご覧の通り、見た目はアンティークショップの置き物のようだけど、撮れるんだなあ、これが。正確にいうと二眼レフのRolleiflex Standardのほうはまだ試し撮りが現像からあがってきていないんで、ちゃんと撮れる代物かどうかは分からない。でもLeica IIIaのほうは元気そのもの。どちらも機械としてはまだまだ現役なんだ。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

カメラをやる人は分かると思うけど、この二つのカメラはもちろんフルメカニカルシャッター、いわゆる電池を使わない機械式カメラだから、電子部品が故障して交換するしかないというような壊れ方はしない。しっかりとした修理職人さんさえいれば、たぶんもう一世紀でも生き続けると思う。問題はフィルムのほうがそこまで生き続けてるかどうかではあるけど。

Leica IIIa, Rolleiflex Standard

でも、このまえ、某カメラ屋さんのフィルム売り場担当の人と立ち話してたんだけど、仮に富士フィルムさんがフィルムから撤退しても、その施設や現像関連機器を必ず誰かが買い取って続いていくのではと。なるほど、かなりリアリティはある。資本の小さな企業が買い取った場合、どうしても施設を維持するのに販売価格は今より高騰するだろうけど、フィルムと現像施設は無くなりはしないだろうと。あと何年か、何十年か。それは分からないけど、僕が現役で働いてる間はぜひ続いてほしいな。その間なら多少のコストは投入できるから。仕事を引退したら、フィルムカメラも引退かな、僕は。財布がまわっていかないから、きっと。だから今が旬なんだ、僕の中のフィルムはね。

きょうは一日、三台のカメラと。さて、あしたは。

Nikon F2, Auto 50/1.4

まず朝の愛犬との散歩に連れ出したのがNikon F2とAuto 50/1.4。犬と暮らしていると必ず朝晩散歩をするんで、こうして確実にカメラを一台持ち出すことになる。犬のリードを片手で持ってるから、片手で撮れるAF機を持ち出すことが多いけど、できればMFで撮りたいという気持ちも強くて、たまにこうして機械式カメラを持ち出す。休みの日の朝の静かな住宅街にF2の甲高いシャッター音が響く。そして、少し強めのミラーショックと共に頭蓋骨に響いて目が覚める。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

散歩から帰ると身支度をして、午前中のうちにロードバイクで軽く朝を流す。相棒はコンパクトなバルナックライカ IIIaだ。昨日もロードバイクで出かけた時に背中に積んでいたんだけど一枚も撮らず帰宅したんで、今日こそはとロードバイクを停めて辺りの初夏の緑と共に数枚シャッターを切った。あいかわらず元気のいいシャッター感覚。Nikon F2ほどではないけど、この IIIaのメリハリのあるシャッター感覚もどこか冒険用カメラのような雰囲気があって、街撮りだけじゃなくこうして野山にも持ち出す。

Nikon Df, Ai 35/2.8

そして一日を締めくくる夕方の愛犬との散歩には、Nikon DfとオールドニッコールAi 35/2.8を連れ出した。デジタル一眼レフではあるけど積極的にMFで撮りたいと思わせるDfというカメラはとても貴重な存在だ。僕がDfを手に入れたのは昨年の秋だけど、このDfが登場したのは2014年で発売から四年になる。それでも独特のカメラゆえにニコンのフルサイズ一眼レフカメラの現行ライナップモデルとして今も古さを感じさせないカメラ。というか、そもそも往年のフィルムニコンを復活させたようなモデルだから古くなりようがないところも僕は気に入っている。

というわけで今日は一日で三台のカメラを連れ出すことができて、なかなかメンテナンス日和となった。少し前のポストにも書いたけど、カメラは使うことが最大のメンテナンスだから、一日に複数台のカメラを持ち出せた時はなかなか満足感が高い。カメラは物理的には一台あれば事足りるけど、こうして出かける際に複数台のカメラの中から連れ出すカメラを選ぶ行為はとてもたのしい。レンズの組み合わせも考えたら、かなりのバリエーションを堪能できるしね。さて、明日は三連休の最終日。ほんとは中判のRolleiflex Standardを連れ出したいところだけど、まだ初回の試し撮りの現像あがりも確認できていないから、ひとまず他のカメラの出番かな。カメラやレンズ。趣味としては最高の道具=アイテムだと思う。

ロードバイクとカメラがもたらすもの。

Specialized Roubaix SL4 Sport

きょうは何と言ってもロードバイクな日だったな。今年になって初ライド、GW突入と共に僕にとっての“ロードバイク開き”。太陽も気温も風も最高のコンディションで、実に気持ちよく走り抜けることができた。

実は背中にはバルナックライカIIIaを積んでたんだけど、走ってたらあまりの気持ちよさにシャッター切るのを忘れて、結局一枚も撮らなかった。まあそんな日もあるんだけど笑、僕がロードバイクに乗る時はいつもカメラが一緒だ。乗り始めた頃はRICOH GR、その後フィルムを始めてからはKonica C35と、いつもコンパクトカメラを背中のリュックに詰めて、出かけた先々で休憩がてらカメラで写真を撮ってきた。写真を撮るためにロードバイクで出かける時もあったりね。ロードバイクとカメラは、僕の中ではセットなんだよね。

過去写真。Konica C35で撮影。

いつもはコンパクトカメラなんだけど、たまに一眼レフで撮りたい時もあって過去にNikon FEを積んでみたこともあって、だったらバルナックライカも全然イケるんじゃないかと思い、きょうは初めて実行してみたんだけど、まさか一枚も撮らず帰還するとは笑。それくらい気持ちよかったんだよね、きょうのライドは。というのも、新しいホイールを試してみたんだよね、マビック社のキシリウム プロ エグザリット。いやあ、エグかった。その話はまた別の機会に詳しく。

過去写真。Konica C35で撮影。

で、ロードバイクとカメラの話だけど、そもそも僕がロードバイクを手に入れようと思ったきっかけは、カメラを持って遠出したかったんだよね。徒歩では行けない、かといって車で行くような場所でもない、いつもより少し足を伸ばしていつもと少し違う表情の自然を撮るイメージ。実際にロードバイクに乗ってみると、あまりの走りの本格さに写真はどちらかというとサブな存在にはなったけど、想像通りというかロードバイクとカメラの相性は抜群によかった。駐車場なんか無いところへもどんどん分け入っていけるし、車窓とは違うサドルの上から眺める光景は実に新鮮で、いつもとは違う写欲を刺激されるところがある。肉体を使って走るから、脳もすごく人間的になってるとでもいえばいいかな。だからか、アナログなフィルムカメラが良く似合う。

過去写真。Konica C35で撮影。

カメラをやっていて、どこか撮るエリアがマンネリ化してるなとか感じてる人は、ぜひ自転車で出かけることをおすすめするなあ。何も本格的なロードバイクじゃなくてもいい。僕もふだんは一万円で買ったママチャリのような自称ポタリング号で出かけたりしてる。それでも徒歩よりは行動範囲が広がるから、寄り道がてらちょこちょこスナップが撮れるしね。車とは違う自由さがとても気持ちいい。街中でも電車より自由度高くうろちょろできるんじゃないかな。僕のGWは特に予定もなく始まったけど、このロードバイクとカメラの組み合わせでかえって自由度高く過ごせそうだ。あ、ついでに言うとダイエット効果もかなりある。きょうもカロリー消費量は1200kcalとランニング2時間分くらいあるから。ランニングだと1時間も走るとクタクタだけど、自転車なら半日くらいは平気だし、意外とケロッとして翌日出社できる程度の疲労感だから。というわけで、カメラを始める人なんかの参考になればいいなと思い書いてるブログだったりするんだけど、ロードバイクを始める人のきっかけにもなるとさらにいいなと。

*写真はiPhone8で撮ったものをカメラアプリRNI Filmsでフィルム風に加工してみたもの。

作品じゃない、写真だ。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

作品というのは、僕の中では創作しているイメージがあって、何かしら目的意識をもって、その構想にそって作り出されたものなのかなと思って。あくまで、僕の持つイメージの話だけどね。その意思自体はとても素晴らしいことだと思っていて、作品のためにカメラを持って遠くへ出かけたり、機材を研ぎ澄ましたり、現像レタッチにこだわったり、その熱はきっと日々を頑張って生きぬくエネルギーになる。

僕はそこまでエネルギーを注げないから、ただただ静かに目の前の光景たちを写真に撮っている。移動の路上、散歩の道端、家族や愛犬の写真。実に平凡な日常をカメラで撮っている。記憶してるといえばカッコいいんだけど、そこまでもなくて、カメラで写真を撮る行為が好きだから日々シャッターを切っているというのが正直なところだ。そんな緩い気持ちで写真を撮っていて楽しいのか? その程度ならスマホカメラで十分なんじゃないかと言われそうだけど、そこはやはりカメラで撮るからどこか心地いいんであって、それだから飽きずに日々撮り続けられている。日常とカメラがセットな感じなんだよね。

明らかに作品なんかじゃない笑。紛れもなく写真であって、それ以上でも以下でもない。もちろん、写真を誰かに見てほしいという気持ちはあるけど、それもこうして日々の記憶のブログの中で十分だと思ってる。十分っていうとなんか妥協してるように思えるか。妥協どころか本人としてはそれがむしろ気持ちいい。そのカメラとの距離感、割く時間の長さも、趣味としての適度な労力。どれもが気持ちいいんだ。好きなカメラで、好きな時に、好きなようにシャッターを切る。それが楽しくて、そのうえ気にいるような写真が撮れればそれはもう儲けものみたいな。作品を撮ってる人からすると、あまりに緩いカメラとの向き合いかもしれないけど、それも含めて許容してくれるカメラってのは懐が深いなあと思う。僕の生きてるシーンのほとんどはごくごく平凡な日常だから、そのほとんどを一緒に行動できるカメラというのは実に理に適った道具なんだ。

終わりか、始まりか。二眼レフ。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

同じ職場にいちおうカメラ好きの後輩がいて、いつもカメラを手に入れたりするといちおう報告するんだけど、きょうも何気なく二眼レフを手に入れたことを報告してみたんだよね。「ついに最後のピースが埋まった感じ。これでカメラを手に入れるのは終わりだな」とね。

そしたら、その後輩から思いもしない返答が来た。「いやいや、終わりというより、これ始まりじゃないですか絶対」と。え、始まり?何の?その発想は無かった、そんな感じだった。僕は別に茶化したわけじゃなくて、本当に素直に「これで本当に試したいカメラはすべて試した」と思ったからそう報告したんだけど、後輩からするとこらまた素直に「途轍もない始まり感」を感じとったみたいなんだよね。

たぶん、それは「まったく違う次元のものへまた手を出した」というような始まり感に見えたんだろうね。僕にしてみたらバルナックLeica IIIaの延長線上で手にしたつもりのRolleiflex Standardなんだけど、カメラ好きとはいってもデジタルしかやらない後輩なんかから見ると、35mmフィルムカメラの延長線上にはまったく思えない印象なんだろうと思う。そう言われれば、僕もNikon FEでフィルムカメラを始めた頃は二眼レフを使うことになるとは思いもしなかったかもしれない。Rolleiflexにほのかに憧れはあったものの、僕もまた中判カメラであり二眼レフは異次元の世界だと思ってたんだろうね。後輩から「終わりじゃなくて、始まりじゃないですか」と言われるまではそんなこと考えもしなかったんだけど、ふと、なるほどそうかもと。

そこから、後輩にRolleiflex Standard ならではの撮影所作(オートマット式じゃなくて、じぶんで赤窓を見てフィルムの一枚目をセットすることや、フィルム送りとシャッターチャージが別なこと、ピントを合わせるのにルーペを使うことなど)、またスキャニング代がえらく高価なことなんかを話すと、それだけ手間がかかってしかも割高って、それもう完全にやられてる人じゃないですか!と。たしかにやられてるかもしれない笑。でも、手がかかるもののほうが愛おしいとか言うと、納得しつつも苦笑いしてた。すぐ壊れる?昔のイタ車とかを、手をかけて維持してる、そんな感じで見られるんだろうなあ。まあ、ハズレではないけど。

いまのデジカメしか知らない世代だと、仕上がりの写真がよほど特有の良さでもなければ、この手間暇とコストがかかるものをわざわざ使う意味が正直、理解に苦しむ感じなんだろうね。先輩の僕に話を合わせてはくれていたけど、そんなことをふと思った。僕もまだ現像したものを見ていないのに、その撮影所作だけでこれだけ感動しちゃってるのは、やはりカメラ好きにしか分からない感覚なんだろうね。そっか、世間はそんな印象なんだ、ということにあらためて気づいた日なのであった。

使わないとカメラじゃない。

Leica M3, Elmar 50/3.5

僕がカメラコレクターならそれは悪いことじゃないんだけど、僕は別にカメラを収集するのが好きなんじゃなくて、カメラで撮る行為が好きなんだよね。Leica M-Pを手に入れたのはその究極で、その時にも手持ちのカメラを整理しようと考えたんだけど、まあしばらくはじぶんがどの程度それだけの数のカメラを使い回せるのかちょっと様子を見てみようと思った。そして、一、二カ月。そろそろ使わない(使えていない)カメラが分かってきた。

ちょうど半分かな、ほぼ使えずにいるカメラたちを中古カメラ屋さんに戻そうかなと思ってる。持っていればまったく使わないわけじゃないだろうけど、この出動頻度の少なさだととても「使ってあげることが最高のメンテナンス」というレベルには満たない。どれもまだまだ現役で元気に撮れるカメラたちだから、僕の部屋で眠ってしまうよりは、誰か若い人たちの手にでもわたり、頻繁に外へ連れ出してもらった方が、きっとカメラも長生きができる。飾り物のカメラとしてではなく、撮影機材としてのカメラとしてね。

どれも思い入れのあるカメラたちだから、ここではどれを残してどれを手放すという具体的なカメラ名は伏せておこうと思う。どれも飽きたとか嫌いになったというわけじゃなくて、単に僕が使いまわせなくなったということだけなんで。幸い、僕の過去のカメラたちの思い出は、このブログの中に詰まってる。カメラを眺める、カメラの思い出に浸るという意味においては、ブログをさかのぼれば時空を共有することができる。その名も「記憶カメラ」だからね。

残そうと思っているカメラはデジタルが3台、フィルムが3台と、ちょうど半分半分。いまの僕のカメラとの向き合い具合を象徴してる割合。デジタルとかフィルムとかじぶんの中に垣根が無くなった証でもあるかな。そのどれもを頻繁に使いまわしたい。意外とありそうで無い、じぶんの時間の相棒としては適度なカメラの数だと思う。これまで出会ってきたカメラは、所有したかったものというより、その写りや性能、手応えを確かめておきたかったものたちだから、そういう意味では人生の中で確かめることができて、ほんとよかった。どれひとつ欠けていても、いまの僕にはたどり着けなかったと思うから。GWが明けたら、一つ一つ中古カメラ屋に里帰りさせようかな。そんなことを考える四月の終わりの夜である。

未来は便利になることだっけ。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

ふとね、日曜日世の中の夜とはそういうことを考える。世は2018年。ついこの前まで20世紀だったのにほんと驚くばかりだけど、世界は21世紀になって、ITとインターネットの革命があらゆることを新機軸に塗り替えていってる。日々まるでオセロを一気にひっくり返すように変えていっている。電話に電話線はないし、調べたいものは重たい辞書を開く必要もなく検索一発。カメラはデジタルになって、今年国内のモノクロフィルムは姿を消す。とんでもなく便利にはなったんだろうな。僕らが思う以上に。でも、どうなんだろう。僕らが昭和の頃にワクワクして妄想していた未来とは便利になることだったっけ。便利という名の少し薄っぺらい時代になんかモヤモヤする日常。血の通っていない、なにかを忘れてしまったような感情。僕が昔のカメラやレンズに魅せられるのは、そういう忘れものを取り返しにいってる気がする。まあ、とはいえ時代は前に進むだけ。嘆いてもしょうがない。そこは古いことがいいことでもないから、バランスをとるだけ。変えていいものと、変えてはいけないもののバランス。歳をとってる分だけ何か得したことがあるとするなら、昭和という時代を生きたこと、知っていることかな。さて、そろそろ眠りにつくとする。じぶんらしい未来を妄想しながら。

夏を感じた週末ズミルックス。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

この週末は、ローライフレックス・スタンダードとニコンDf、そしてライカM-Pを連れ出すことができた。といっても、どこか絶景を撮影しに行ったわけではなくて、いつもの僕の暮らすエリアを散歩カメラしただけなんだけどね。それでもゆるりと楽しめるのがカメラのいいところだと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それにしても夏のような2日間だった。こんな時はどこか幻想的な写りをしてくれるズミルックス第二世代がいい。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

それも開放付近。光のすくい取り方と独特のボケ方はズミルックスというレンズの真骨頂だと思う。カラーでもモノクロでもその幻想的な写りは変わらない。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

やっぱりオールドレンズはいいよね。綺麗に写るとか綿密に写るとかそういうことを超越した世界がある。それはデジタルカメラに装着しても感じる、僕は。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd
Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

デジタルライカのJPEGがオールドレンズと相性がいいのも気に入っている。ライカというブランドはたしかにこういうところには手を抜かない。それはバルナックライカ、M3の時代のこだわりともまったく変わらない、ユーザーに対する約束みたいなものなんだろうと思う。

Leica M-P, Summilux 50/1.4 2nd

さて、明日はいよいよ初のブローニーの現像出しだ。計4本、どれもきちんと撮れた感触は無いんだけど、まあこれも一つ一つ慣れていくための第一歩。そういう意味ではとても清々しい気分だ。カメラはいつも僕に新鮮さを注入してくれる。大げさではなくかすかに気づかせてくれる感じ。でも、それがとても心地いいんだ。

ローライスタンダードは、なぜか子供の頃を思い出す遊び道具感がある。

Rolleiflex Standard, Tessar 75/3.5

ローライフレックス・スタンダードを手に入れてから初めての週末。ブローニーフィルムを装填するゆるやかな儀式を行ってから、年甲斐もなく無性にワクワクしながら試し撮りへ出かけた。自転車をこぐ足どりも異様に軽い。新しいカメラを手にした時に込み上げてくるエネルギーみたいなものはあいかわらずだ。

きょうも撮影のみなんで、作例はまだない。でも一昨日1本、きょうは3本ブローニーフィルムを撮り、少し慣れというかじぶん流の作法みたいなものは定まってきたように思う。まず、フィルム装填はもう全然平気になった。赤窓を見ながらフィルム1枚目までレバーを回す作業は小気味いい。赤窓を閉じたらフィルムカウンターを1に手動でリセットする。これも慣れた。

いちばん注意が必要なのがフィルムが多重露光しないように、撮影したら常に次のフィルム送りまでセットで操作しておくこと。これもレバーをストロークさせたらその合図としてレバーを反転させておくことにした。これでフィルム送りしたかどうかの忘却は大丈夫。あとはシャッターチャージして撮るだけだ。きょうはこのルールを設けたからあまり失敗はしていないと思う。

あとは露出合わせだけど、これもきょうはシャッタースピード固定で撮るのがいいなと分かった。どうせスタンダードは1/300までしかないから、無理をしないのであればSSは1/100固定がいい。それで撮る場所の光の差し込み具合で絞りを変えていきながら撮った。これがいちばん楽というか簡単に撮れるんじゃないかな。

それとファインダーだけど、前回は画角を決めたらルーペを出してピントを合わせ、また調整のために画角を確認するという工程を踏んでたんだけど、きょうは画角を軽く確認したらルーペを引き出し、ルーペでピントを合わせたらそのままシャッターを切るようになった。なんだ、顔をルーペに接近するくらい近づけたら画角の四隅まで確認できるんだという気づき。これだけでもずいぶん撮るのが素早くなった気がする。あとはそうだなあ、12枚撮り終えたらフィルム送りレバーを3、4回しか回さなくなったからこれも手早く。フィルムが送り終えると紙が抜ける感触があるから、それでいたずらに何度もフィルム送りレバーを回さなくなった。

どれもちょっとしたことなんだけど、これでずいぶんと撮ることに集中できるようになったんじゃないかな。というわけで、きょうは操作が容易になった分、二眼レフで撮る心地よさをより堪能というか、観察することができた。そうして思うは、二眼レフで撮るのは、実に玩具感があるということ。妙に子供の頃の遊びのような感覚を覚えるんだよね。虫眼鏡をのぞいたりするからかな、とにかく実験装置で遊んでいるような感覚になる。ほら、学研の付録に付いてたアノ玩具で遊ぶ感覚。だから、35mmフィルムカメラに比べて、写真を撮っているというより、写真と遊んでいるという気分がとても強いんだ。ウエストレベルファインダーだから腰を下ろせば地面を撮るのも容易。それをルーペでのぞいて撮るから、土遊びをしていた子供の頃の目線であることも大きいんだろうね。

あとはやっぱり真四角の独自のファインダーかな。これが35mmフィルムで撮っている時とは別物という感触を味あわせてくれる。何かで読んだけど、もともとは曖昧なファインダーゆえにトリミングすることを前提に四角サイズに設計されたらしんだけど、それがそのまま好まれてスクエアで使われてるようになったらしい。たしかに、この真四角で見たままの世界をそのままプリントしたほうがユニークだし、35mmフィルムにはないクリエイティビティがある気がする。そういうことすべてをひっくるめて、35mmフィルムカメラで撮る「写真」とは異なるモノを創造してる感じがおもしろいんだろうね。玩具としての子供心をくすぐられるところもあるけど、独特のファインダーはまるで絵本の中の世界にいるような感覚もある。上手く言えないけど、二眼レフとは記録装置というより、もっとエモーショナルな遊び道具体験なんだ。

この体験は言葉で表現するのはむずかしいな。少しでも興味のある人はぜひ一度体験してみてほしい。国産のものも含めてベーシックな二眼レフはずいぶん手頃な値段で手に入れることができる。フィルム代も現像代も35mmとは特に変わらない。それでこの新鮮な体験ができるのは、僕にはちょっと想像を大きく超えた気づきだったから。あ、もちろん、デジカメユーザーの人でもまったくむずかしくなく馴染むことができると思うよ。いろいろオートではないけど、とにかくシンプルだから。明日もう1本撮ったら週明けに5本をまとめて現像出しかな。一、二週間かかるのかな、でもそのゆったりとしたスピード感もまた子供の頃のゆるやかな時間の流れ方なんじゃないかと思う。

いっそバルナック買うほうがお得かも。

Leica IIIa, Elmar 50/3.5

たまたま見かけたカメラ屋さんのツイートの中でKonica C35の値段が二万円を超えていて、正直すこし驚いた。僕が一年前くらいに買った時の値段はたしか13,000円だったと思う。それもかなりの美品で、まるで新品のような個体だったんだけど。

それでもまだC35は値頃なほうなのかな。Nikon FM2なんかは僕が見かけるお店では45,000円ほどして、これも一年で一万円ほど高騰した気がするし、高級フィルムコンパクトと呼ばれるカメラなんかは10万円を超えてたりする。電子系統が故障したら直らないかもしれないカメラがその値段で人気があるのはかなり驚きなんだけど。

そうやって考えると、もういっそ、ライカでいいんじゃないかと。バルナックライカのIIIaとかIIIf。いまどうだろう、3万円とか4万円で手に入るんじゃないだろうか。レンズも足すと倍の値段になっちゃうかもしれないけど、ロシアンレンズのインダスターとかを装着すれば一万円もしないから、4、5万円あればライカの原点であるバルナックが手にできることになる。機械式だから修理し続ければフィルムがある限りきっと使い続けられる。それで、あの品質を体験できるならそれはもうお得すぎると言っていい。

考えようによっては、ほぼシャッター押すだけのC35のほうが手軽にフィルムを楽しめるとも言えるけど、カメラを操る楽しみでいえば、露出をじぶんで合わせて撮る機械式のバルナックライカは、クラシックカメラの醍醐味を存分に味わえる実はとても貴重な存在。まあ、こればっかりは人それぞれの好みだからあくまで私見なわけだけど、いろいろ高騰するフィルムカメラにおいて、いまバルナックこそコスパに富んだとんでもなくお得な一台なんじゃないかな。

ライカという響きはなんとなく敷居が高い気がするけど、バルナックライカなら世界が夢中になった名機のクオリティを、どうかしたら国産フィルムカメラ並みの価格で手に入れることができる。「いつかはライカじゃなくて、いっそライカ」と思ったりするんだな。どうだろう。