20世紀のElmar Mと、21世紀のLeica M-Pと。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

土曜日の夕方、3月も終わりとはいえ半袖Tシャツで愛犬と散歩に行ける陽気に、心もどこかフワッとする週末。愛犬も心踊るのか、散歩へ連れて行けと騒々しいので少し早めに二人で家を出る。お供するカメラはLeica M-PとElmar M 50/3.5だ。

そういえば昨夜はまたひとつ、フィルムの販売終了のニュースが飛び込んできて、Twitterの中のフィルムカメラクラスタのみんなも動揺してる感じだった。インパクトがあったのは日本製のモノクロフィルムが消えるということだっだろうと思う。僕はモノクロ現像機が生活圏内に無いこともあって、フィルムで撮る時はすべてカラーネガ。だから、いまひとつ国内モノクロフィルム終了の知らせにリアリティを感じないところがあったけど、モノクロフィルムで自家現像してる愛好家の人たちにとってみれば切実だ。海外製フィルムはまだ残るとはいえ、いずれフィルムがこの世から姿を消すことを誰もがリアルに悟った日でもあったんじゃないかな。

フィルムはいくらブームとはいえ、記憶メディアとしてはデジタルへ転換するのに一手間もふた手間もかかる。それはやはりこのスピード社会においてスタンダードにはなりにくい。僕らフィルムをやる人間たちはその手間を愛情と受け取れるけど、普通の人にしてみれば面倒くさい過去の遺物だろう、実際のところね。もちろん、フィルムでしか描けない世界はあるけど、それをもってしても、時間とコストとの相性の悪さは市場もメーカーにも受け入れがたいことは間違いない。

いつまでもフィルムを楽しみたい。フィルムカメラがまだこんなに元気なのに、フィルムが無くなることでフィルムカメラたちまでも実用品として幕を閉じるのはなんともさびしい。でも、心のどこかでそれを受け入れなければならないんだろうなというじぶんもいる。そんな中、僕は幸運にもデジタルカメラとオールドレンズという楽しみ方に出会い、いまその味を楽しみ始めている。フィルムの代わりという意識はないけど、デジタルで撮ってるという意識もなくて、なんというかデジタルとフィルムの境目の曖昧な世界を浮遊しているような楽しさがある。つまり、アリなんだ、この世界は。

僕の手持ちのデジタルカメラたちはすべてそういう楽しみ方で選んだモノたち。Nikon Dfにはオールドニッコールたちがつけられ、Leica M-Pにはフィルムライカ時代のレンズたちがつけられている。最近手に入れたFujifilmミラーレス X-E2にはロシアンゾナーのJupiter-8がついている。この21世紀のボディたちに20世紀の往年のレンズたちをつけて撮る感覚は、なんとも言えない感慨深さが僕にはある。フィルムがいずれ無くなるかもしれないという恐怖感は常に心のどこかにあるけど、だからといって時代の行く先はマイナスばかりじゃない。時代に適合した新しい写真のありようがある気がする。まだ見ぬ何かもね、きっと。

とはいえ、フィルム。僕はフィルムライカがこの世にあるかぎり無くなることはないと楽観的に思ってるところもどこかある。未だに新品でフィルムカメラを売るライカというメーカーはちょっと特別だ。ライカユーザーの手元にフィルムライカが残り続けるかぎり、ライカ社はきっと自前になってもフィルムをこの世に残し続ける、そんな気もしている。さて、どうなることやら。僕らは実は凄い時代の転換点を生きてるのかもしれない。けど、僕はさびしさは感じない。時代に逆らうんじゃなくて、その風に乗って写真の楽しみ方を再定義することにしなやかでありたい。デジタルカメラとオールドレンズ、僕らにはまだまだ可能性がある。楽しもうじゃないか、バルナックライカが産声をあげた時のような時代の大きな転換を。

軽い、Mロッコール。頭も心も軽くなるレベル。

Leica M-P, M-Rokkor 28/2.8

今朝は広角M-Rokkorに履き替えて、街へ向かう。Leica IIIa×Elmarとどちらにしようか迷ったけど、少したくさん撮りたい気分だったから、デジタルをチョイスした。

いずれにしても軽い気分で出かけたかったんだよね。M-Rokkor 28/2.8もLeica IIIaにしても、とにかく軽いんだ。それだけでスナップする心待ちとしては弾む。これって凄い最高性能だよね。

カメラは持ち出さなきゃダメなんだ。持ち歩かないと、いつのまにか枚数が減って、いつのまにかカメラが日常から遠のいていく。カメラとはそういうところがある。スマホで撮ればいいじゃないかと。いや、あれは違う。残念ながら。カメラが必要なんだ、記憶を写真に残すにはね。出かけようじゃないか、軽いカメラを持って軽快に。

被写体は「いま」。

Leica M-P, Summilux 50 2nd

この人、写真上手いなあと思うのは、やっぱり主役というかテーマ、タイトルといってもいいかな、そういう撮りたいものが明瞭なものがやはり多い気がするけど、そういうものとは無縁のように、撮りたいものがファジーに思えるんだけど「あゝいいなこの空気感」みたいな写真がたまにある。それは何がいいんだろうと思うと、「いま」という臨場感を捉えているからいいんじゃないかなと思い始めている。

この場合の被写体は強いて言うなら、モノでもヒトでも風景でもなくて「いま」なんじゃないかと。街が呼吸してる感じを撮るとでもいえばいいだろうか。僕にそんな写真が撮れているとは思いづらいけど、そういうスタンスというか、そういう気配みたいなものが撮れるといいなあと思ったりする。誰に見せるわけでもない、じぶんが後から見て「あゝ、いいな」という写真だから、もうそれは個人的、とても私的な写真でしかないんだけど、僕はできればそういう写真が撮りたいなあ。

言うほど簡単じゃなく、あがってきたじぶんの写真を見てはため息をつくことも少なくないけど、僕の中に写真を撮る上でのテーマがあるとするならば、そういうこと。街が息づいている様子が、じぶんが「あ、僕は生きている」という感覚を再確認するのにとてもいいんだよね。写真をきちんととっている人からすると、ずいぶん甘々なテーマ設定かもしれないけど、近ごろそんなことを思う。写真にそれぞれタイトルをつけるとするならば、ぜんぶ「いま」。レンジファインダーで街を撮るようになって、そんなじぶんの好む世界に気づきつつあるんだ。こういう感覚ってTeitterでツイートするのはなかなか恥ずかしいけど、こうしてブログの中ならこっそり言える。ブログを続けられている原動力もそこにあるのかもしれない。

エルマー×フィルムで撮ると、どこか懐かしかった。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400

といっても、過去にエルマーで撮っていたわけではない。このMマウントのエルマー50/3.5は僕の手元に来たばかりだ。それでも、エルマーで撮るとどことなく懐かしい気がする。フィルムのせいかな。建物が古いわけでもないのに不思議なもんだ。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400

週末はデジタルのM-Pにつけて撮ってみたんで、今度は本命のフィルムライカにつけて撮ってみようと、M3に装着して仕事鞄の中に入れ、移動の途中のストリートを何枚か撮ってみた。エルマーをつけると何というか撮影ペースがいつもよりゆっくりになる感じもいい。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400

カメラがM3だったのも気持ちよかったのかな。M-Pより軽く、そして薄く、手の中に絶妙におさまる感じ。シャッターの巻き上げも、シャッター音も、実になめらかでM3にしかない撮影フィーリングを堪能させてくれる。いや、正確にいうと僕はM型フィルムライカはM3しか触ったことがないから、そのあたり想像の域ではあるけれど、でもまあM3の感触は撮る者に節度みたいなものを提供してくれる。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400
Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400
Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400

エルマーとフィルムの描写はやはりデジタルライカの時よりまろやかだ。フィルムがLomography400であることも大きいと思うけど、朝夕の光で撮るともっとやさしい街の表情を写し出してくれるんじゃないかな。ストリートのスナップを撮りたいけど、ソリッドな描写はちょっと苦手という人にはもってこいのレンズチョイスかもしれないね。

Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400
Leica M3, Elmar M 50/3.5, Lomography400
Leica M3, Elmar M 50/3.5

というわけで、さらりとElmar M 50/3.5で撮った写真をポストしてみた。本来は静かに自然と向き合う時に相性のいいレンズかもしれないけど、バルナックライカと赤エルマーとの描写の違いなんかも確かめたかったから、ストリートスナップ篇でした。やっぱりなかなか心に染み渡るよさがあるよ、エルマー。

なかなかシンドイことが多い日々の中で、カメラに救われることは少なくない。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

なるべくポジティブにいようと思うけど、世の中どちらかというとシンドイことのほうが多いよね。これはもう人生、ずっと学びの連続だから。兄弟だって家族だって100%理解して過ごすなんて難しいんだから、社会に出れば価値観の違う他人たちに四方囲まれて、それはもう理不尽なことだらけといっていい。そんな日々を反面教師にしながら人はひとつひとつ人生の生き方を学んでいく。戦ってるんだよね、誰しも。

そんな日々に、一人でじぶんの操る何かにおいてモノを創造する時間というのはとてもたいせつ。絵でもいいし、音楽でもいい。少しの間没頭して何かを紡ぎ出す行為は、理不尽で思い通りにいかない世界をちょっぴりだけ浄化してくれる。カメラで写真を撮るという行為も、とてもいいと思う。絵や音楽を創り出すほどは難しくなく、カメラを持って街に出さえすれば写真という創作物を生み出すことができる。一日に数枚でもいい。一人、没頭する時間をもたらしてくれることこそがカメラの最高性能だ。

撮らない日があってもいいから、カメラを鞄の中に入れて持ち歩こう。そして、いい瞬間に巡り会ったら素通りせずにシャッターを切ろう。少し通り過ぎてしまったら、そのまま通り過ぎずに引き返してファインダーでのぞいてみよう。その数秒の思案がこころにスーッとする何かをもたらしてくれる。最近、ほんとにそんな風に思う。引き返すこと多いんだ。明日からまた平日の日常が始まる。カメラを持って戦おう、平静を取り戻すために。

平日はレンジファインダー、週末は一眼レフ。

Nikon F2, Nikon FE

前にも同じようなニュアンスのことを書いたかもしれないけど、もう一度おさらいとして。ここのところレンジファインダー機やミラーレス機を増やしてしまったんで、これはひょっとして頻度として使いきれないものもか出てくるかなと思ってたんだけど、今のところ上手く使い回しができている。

というのも、平日にカメラを持ち出すことが増えたことが大きい。これまでの僕は、平日はコンパクトカメラ(RICOH GRかKonica C35)を持ち出すことがほとんとで、一眼レフやレンジファインダーといったいわゆる本格的カメラは週末だけしか楽しむことができていなかった。もちろん、コンパクトで平日撮るのもおもしろかったんだけど、やっばりマニュアルライクに撮る本格的カメラを操ることが僕にとってのいちばんの楽しみ。とはいえ、本格的カメラを平日に持ち出すイメージはちょっとわきづらい。そんな少し悩める状況だった僕の日常を変えてくれたのがバルナックライカだった。

バルナックライカの中でも板金ライカと呼ばれてひと回り小さなLeica IIIaを手に入れてからというもの、すっかり平日にレンジファインダー機を鞄に入れることが習慣になった。それまで週末用カメラだったM3もスナップシューターとして再評価できたし、それらがきっかけでデジタルライカやオールドレンズ用ミラーレス機も新たに手に入れることになった。

平日はもっぱらレンジファインダー機でストリートをスナップするのが日常になった。オールドレンズをつけて街を撮る感覚は、なにか時空を超えて世界を見つめてる気がして、とてもおもしろい。その日の気分やシチュエーションによって数台のスナップシューターたちを持ち替えて仕事の行き帰りの時間をささやかに楽しんでいる。

平日がそんな速写的な分、週末はゆっくりじっくり撮りたいと思うのも、あらためて再認識した。そうなると週末は一眼レフがいい。一眼レフにオールドレンズやAFレンズ、望遠レンズなんかを付け替えては、散歩しながら道端のなんてことない日常を撮る。平日のレンジファインダーとは異なる、もうひとつのカメラの醍醐味だ。自然と身につき始めたこのカメラの使い分けだけど、今のところとてもしっくりきている。

ただひとつ気がかりなのは、コンパクト二台の使用頻度が減ったこと。RICOH GRとKonica C35のことなんだけど、今の僕はマニュアルライクに撮ることが楽しいから、ほぼオートで撮れてしまうこの二台のコンパクトは、どうしても後回しになってしまう。あと、APS-CデジイチのNikon D300もかな。望遠用にしていたんだけど、Df用にフルサイズ用望遠レンズを買い足したから、D300もどうしても出番が減っている。このまま使いきれない日々が続くようなら、この3台は潔く手放すことも検討しなくちゃいけない。カメラやレンズは使ってあげないとメンテナンスにならないからね。

とはいえ、今のところはまだ様子見の状況。気分転換という意味でもカメラやレンズが複数台あることは楽しかったりもするから、このまましばらくカメラを毎日自然体で使い回してみて、じぶんにもカメラにも幸福な選択をしたいなと考えている。僕なんかよりも数倍、いや桁が違うくらいの機材を保有するカメラクラスタの人たちがいるけど、どうしてるんだろうな、その満遍なく機材を愛する使い回し方。そんなことを考えながら、今夕の散歩カメラと明日のスナップカメラを吟味しているところである。

散歩カメラの写真たち。[Leica M-P, Elmar M 50/3.5]

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

今朝も愛犬との散歩カメラにはM-PとElmar M 50/3.5を連れ出した。新しいカメラやレンズを手にすると、癖をつかむまではある程度集中して使ってみるのが僕の機材との接し方だ。まだまだ慣れない感じだけど、朝の光はやはり気持ちいい。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

絞りはほぼ開放。これも僕の場合、レンズの癖を楽しむならできるだけ開放付近で撮りたいというのがまずある。開放付近はレンズの本能が垣間見れる場所といえばいいだろうか。レンズの野性とも言っていいと思う。そこが好き。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

朝の光がいいのは、こうして絞り開放のままある程度撮れるから。デジタルライカであればシャッタースピードに余裕がある分、太陽が高く昇るまではラフに撮り続けることができる。絞り優先ならさらにシャッターを押すことだけに集中できる。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

Elmarなら開放といってもF3.5だから、そういう意味でも絞りをいたずらに変えずとも撮り続けられる。Elmarのよさが際立つのは、実はこの絶妙な絞り値じゃないかとも思っていて、僕の好きな明るいレンズのボケをあえて封印する意味でも新鮮だ。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

それにしてもエルマー、やっぱりいいな。無理をしていない感じがすごくいい。僕も無理をしていない、レンズも無理をしていない。そういうゆとりのある感じが、写真に滲み出ている気がするのは僕だけだろうか。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

ある人に言われたのだけど、僕がエルマーのことを好きなのが滲み出てるところもあるのかな。こればかりはじぶんではなかなか分からないんだよね。でも手持ちのレンズの中でどれがいちばん好きかと言われれば、ズミルックスとエルマーだと思う。この二つは比べられないけどね。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

あとはやはりボディの気持ちよさも大きい。M-Pのクシャっと静かに切れる独特のシャッター音が、エルマーのリズムと同調する感じがするんだ。不思議だよね、いつもはストリートで速写する相棒なのに、こうしてゆっくり撮る時にも絶妙に気分を合わせてくる。やるなあライカ、と思う瞬間だ。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

エルマーらしさでいえばモノクロのほうが“らしい”んだろうけど、春の大地の色は僕に積極的にカラーでも撮らせる。M-Pフィルムモードのスムーズポジションで撮ると、デジタルでもフィルムライクに撮れる気がして、僕がM-Pで撮る色の比率はモノクロとカラー、半々ではないだろうか。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

アップしたい写真も多かったから、今朝は「散歩カメラの写真たち」ということで、なるべく多くの写真をブログのほうに上げてみた。TwitterやInstagramにこれだけの量を一気にアップすると申し訳ないからね笑。もうほんと、ただの近所の散歩道の写真だから。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

それでもブログがいいなと思うのは、一人でも二人でもエルマーの撮れ具合みたいなものを探してる人がいるなら多少のお役には立てるのかなって、こうして写真を載せておくとね。エルマーMの場合、出回ってる多くはF2.8のものだから、F3.5の作例みたいなものは少ないと思う。そういう意味でもブログには載せておきたいなと、誰かのために。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

フィルムのほうはもうしばらく待ってもらうとして。フィルムはやはりM3で撮りたいと思ってる。試し撮りという意味では全然散歩道でもいいんだけど、できればIIIa×Elmar 50/3.5との比較も兼ねて街中のストリートで撮りたいと思ってる。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

というわけで、ほんとなんてことない散歩の途中の道端の写真なんだけど、春の芽吹きを感じるおかけで気持ちよく撮り歩けた。そして、こうしてレンジファインダーで撮り続けてると今度は一眼レフでも撮りたくなる。いい循環。夕方はNikon Dfで出かけようかな。

エルマーMが僕を静かにする。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

午後からはオフで、夕方の光を待ってから愛犬と散歩カメラへ出た。カメラはLeica M-P、レンズは東京から連れて帰ってきたMマウントのElmar 50/3.5だ。僕はたぶん写真を好きな以上にカメラというプロダクトが好きなんだと思うけど、Elmar Mは見た目にも僕を本能から喜ばせてくれる。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

エルマーM、まさにM3が登場した時にMマウント用に改良されて出てきたレンズだ。M3といえば主役はズミクロンだけど、僕はバルナックライカから続くエルマーという存在にどこか無性に心惹かれる。僕のM3には主にPlanar T*2/50ZMがついているけど、このエルマーMの本命はM3ということになる。でも、きょうはまずその描写や使い心地をいち早く確かめたくて、デジタルのM-Pにつけて連れ出してみた。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

今朝、愛犬と散歩している時に桜が咲いている場所があったことを思い出し、まずは桜の花を撮ってみる。操作感はやはりスクリューマウント版よりもモダンだ。胸下に見下ろして眺めるデザインも1950年代のものとは思えないくらいミニマルで端正だ。歩きながらいつもの要領でまずは目測でピントを合わせ撮ってみる。僕はカメラやレンズの性能差のことは全然詳しくないので、その手の情報はぜひ他の人の詳細サイトを見てもらうとして、エルマーMがもたらす気分みたいなものをここでは伝えたいと思う。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

最初に桜を数枚撮ったものをモニターで確認した瞬間に「あ、やっぱエルマー好きだな」と思った。派手さはないけど、そこには落ち着いた端正な描写が写し出される。綿密に写り込むんだけど、そこから繊細でなだらかにボケが流れていく感じ。大口径のズミルックスとは明らかに異なる落ち着いたトーンだ。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

それでも決して地味というのとは違う。上手い例えが見つからないけど、学校のクラスにもいたと思う、控えめなんだけど芯の強さがあって、まわりの人からどこか尊敬されてる人、そんな確固たる存在感がこのレンズが描く世界にはある。いそうでなかなかいないんだよね、そういうパワーみたいなものを秘めてる人って。あの強さなんだ、エルマーって。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

平日にストリートの喧騒の中で素早くスナップを撮り続けていると、このエルマーがもたらす端正な手ごたえが実に心地いい。少しあたまとからだを休める感じ。急いで撮ることとは違う、どこまでも静かでどこまでもゆっくりとしたモーションをエルマーは僕に伝えてくる。そう考えると、こうして何気ない郊外の散歩道を静かに撮り歩くのにいいのかもしれない。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

使い勝手としては、距離を合わせるのはスクリューマウントのエルマーと同じでピントレバーで操作するんで僕にはむしろ使いやすいんだけど、絞りは少し扱いづらかったかな。レンズ前面てはなくてレンズ前方側面にあるのは使いやすく思えるけど、フードをつけるとやや目盛りがどこに合ってるのか見えづらく、動かしづらさもあった。慣れだとは思うけど。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

とはいえ、それも愛犬のリードを片方に持ってるからであって、街中で素早くスナップするわけでもないから、両手でじっくりゆっくり撮る分には気にならないだろう。というか、このエルマーをつける時はきっと初めから「きょうはゆっくり撮りたいな」という気分でレンズを選ぶんだろうと思う。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

絞りは開放でf3.5だから夕刻なんかは少し明るさが足りないかもしれないけど、それもデジタルに装置するのであれば感度を上げられるから特に問題はない。フィルムで撮るにしてもミラーショックのないレンジファインダーなら決して高感度フィルムでなくても、十分この絞り値で撮れると思う。僕はバルナックIIIaとスクリューマウントElmar 50/3.5に感度100のフィルムで夜の街を撮ってるから、このエルマーMもM3につけて夜の街へ繰り出してみたい。

Leica M-P, Elmar M 50/3.5

まだ手に入れて試し撮り初日だから、当分の間はエルマーMの癖をつかむまでじっくり時間をかけて辺りを撮り続けたいと思う。でも、どう撮れるかより、エルマーで撮るという心待ちにすごく意味がある気がしている。エルマーだけがもたらしたくれる時間。僕はきっとそれを得たくてエルマーMに恋い焦がれていたんだと思う。いい歳して恋とか恥ずかしくもあるけど、エルマーとはそういう特別の存在なんだ。

そしていつもエルマーに帰りたくなる。もうひとつのElmar 50/3.5を迎えて。

Leica Elmar 50/3.5 M-mount

この三日間は雨の中の出張だったこともあり、ひたすら持参したFujifilm X-E2とJupiter-8とでスナップを撮る日々だった。明るめのレンズで撮り続けて発散した後にやってくるのが「無性にエルマーで撮りたい」という思いである。

ズミルックス、プラナー、ロッコール、ジュピター、どれもそれぞれの持ち味があって僕のスナップ心をくすぐってくれるんだけど、それらとは少し異なる場所にいるのがエルマーかもしれない。絞りf3.5という開放値はいたずらにボケで遊ぶことを無くしてくれる。開放値付近のボケ味が好きな僕にしては、なんだか美味しいところを封印されたようなところなんだけど、不思議とエルマーで撮る時はそんなことを微塵も感じない。自然とエルマー流に撮り始めるじぶんがいるのである。決して大袈裟ではなく、そこにはエルマーだけの世界があるんだ。

そんなエルマーに魅せられて、僕の手元にもうひとつのエルマーがやってきた。Mマウント最初期のエルマー Elmar 50/3.5。その後に登場したf2.8よりも内面反射防止を施したといわれるモデル。バルナックライカIIIaと共に手に入れた赤エルマー50/3.5で撮るうちに、そのエルマーならではの世界に僕は魅了され、Mマウントのエルマーもずっと気になる存在だった。願えば叶うというものだろうか、東京でこのスクリューマウントのエルマーと同じ開放値のElmar M 50/3.5と巡り会うことができた。

Elmar M 50/3.5, Leica M3

家に持ち帰って、まずM3に装着してみる。いやあ、シビれた。スクリューマウントのエルマーをアダプターを介してつけた時もシビれたけど、やはりM3登場時に作られたMマウントのエルマーはそれを凌駕する、これぞMの美学というような美しさを放つ。フードITOOYもそれに拍車をかける。撮りたくなってきた、たまらなく。

Elmar M 50/3.5, Leica M-P

そして、M型デジタルのM-Pにも装着してみた。ブラックペイントのM-Pのボディとブラックの先端を持つフードITOOYに挟まれて妖しい光を放つエルマーの姿がなんとも言えず美しい、いやセクシーな感じさえする。ライカというブランドは、こういうプロダクトととしての美しさにもまったく手を抜かない。それも時代を超越して完璧なまでにフィットさせてくる。

絞り値/焦点距離ともに同じ50/f3.5のふたつのエルマーだけど、やはりM型ライカにはMマウントエルマーが映える。そろそろエルマーで撮りたいという気持ちに、このもうひとつのエルマーがさらに火をつける。まずはデジタルのM-Pで試し撮りをしたみたい。そして、週末には満を持してフィルムライカM3で。ただただ無邪気に心が弾む。エルマーとはやっぱり別格なんだ。どんなに他のレンズで撮りまくろうとも、やがてエルマーに帰ってくる。“エルマーに始まり、エルマーに終わる”というあの言葉はダテじゃないんだ。

Jupiter-8は、綺麗に撮ろうと思わせないところが好き。

FUJIFILM X-E2, Jupiter-8 50/1.4

きょうは予想通り、一日悪天候。昨夜手に入れたFUJIFIM X-E2とJupiter-8の出番となった。あ、質問をもらったので一応付け加えておくと、X-E2もJupiter-8もまったく防滴仕様ではない笑。ただ、僕が雨の日はライカを持ち出すのを躊躇するんで、もっとラフに使い倒せるデジタルMF機材を持っておこうと考えたわけ。

で、昨夜のモノクロ撮影に続いて、きょうはカラーも試してみようと思ったんだけど、その目的のメインはボディ性能の確認ではなくてJupiter-8の写りを確かめること。ロシアンゾナーと呼ばれるJupiter-8、コピーというよりゾナーそのものと言われる写りの癖みたいなものをまずは掴めればなと思った。でも、正直きょう一日ではJupiter-8がなんたるかは掴めなかった。もちろん、大口径のオールドレンズらしい味のあるボケが楽しめることはある程度分かったんだけど、絞るにつれて性格を変えるその描写変化までは確認する余裕がなかった。

FUJIFILM X-E2, Jupiter-8 50/1.4

でも、感覚としてはっきり分かったこともある。それが、Jupiter-8だと「綺麗に撮ろう」という意識がいい意味で希薄になるということ。上手く言葉にするのが難しいんだけど、「そんな頑張らずに、もっとラフに撮ろうよ」と語りかけてくるようなところがJupiter-8にはあると思ったんだ。特に僕が装着しているのはデジタルのミラーレス。そもそもいくら失敗しても、そんなこと気にせずに大量のシャッターを切ることができる。そんなことも相まって、とにかくJupiter-8は撮ることの肩の力を抜いてくれるようなキャラクターがある。

FUJIFILM X-E2, Jupiter-8 50/1.4

この感覚は、僕が所有する他のズミルックスやエルマー、ロッコールなんかとはどこか違う。安いレンズだから?、まあそれも無くはないけど、それよりも、その佇まいによるところが大きいかな。同じオールドレンズでもズミルックスやエルマーはやっぱりどこか高貴さや正統性みたいなものを静かに訴えてくるところがある。それに対してJupiter-8は「要は撮れりゃいいんだよ、大事なのは見た目じゃなくて中身だし、結果だろ」みたいに語りかけてくるとでもいえばいいだろうか。

FUJIFILM X-E2, Jupiter-8 50/1.4

これはある意味、僕のレンズ觀をぶっ壊してくれたかもしれない。レンズは高価=写りがいい、というもんじゃないという、何かこれまで抱いていたレンズヒエラルキーの先入観みたいなものをぶっ壊してくれる感覚だ。カメラやレンズにかぎっていえば、ブランドもグレードもまったく関係ない、必要なのはじぶんに気持ちよく撮れるか、写るかどうか。写真家じゃなくて、写真“愛好”家の「愛好」の精神みたいなものを教えてくれている気がするんだ。そういう感覚を味わうだけでもこのレンズを持つ意味がある。僕はそう思った。

FUJIFILM X-E2, Jupiter-8 50/1.4

まあこのへんの話はかなり感覚論でもあるんで、そのフィーリングはぜひ手に入れて感じてほしい。一万円前後で入手可能だから、Jupiter-8はネットでいろいろ調べるより、じぶんの手で、目で撮ってみるのがいちばんだ。あ、この話だけど、Jupiter-8は綺麗に撮れることを期待するレンズじゃないとか、そういう意味ではまったくない。むしろ、いい意味で期待を裏切る写りの良さを見せてくれる。ただ、レンズの効果とは綺麗な写りだけじゃないんだ、ということを教えてくれることがこのレンズの最高性能、そんなことを考えさせるチカラがこのレンズにはあるんだなあ。いやあ、楽しくなってきた、何か新しいとびらが開けたようなね。