Nikon Dfに久しぶりにAi 28/2.8をつけて、マニュアル散歩。

Nikon Df, Ai 28/2.8

今年もあと2日。なんかやり残したことはないかなと考えていた時、ふと修理から戻ってきたレンズAi 28/2.8を、その後ちゃんと試し撮りしてないなと思いつき、Nikon Dfに装着して古い町並みを撮ってきた。

Nikon Df, Ai 28/2.8

28mmといえば僕はGRでいつも使っている焦点距離なんだけど、久しぶりに一眼レフのファインダーの中で見る28mmはずいぶん広大に見えて、なかなかむずかしいなと感じたり。

Nikon Df, Ai 28/2.8

あと、フィルムで撮る時とは違って、デジタルに装着した時のオールドニッコールは想像以上に素直というか平凡というか、あれ?こんなに普通の絵だったっけ?このレンズ?と正直思ったかな。なので、作例といっても僕の写真はイケていないので、そこのところはご容赦を☺︎

Nikon Df, Ai 28/2.8

ミラーレスなんかにオールドレンズをつけて雰囲気ある写真を撮ってる人なんかを見かけたりするけど、僕の場合は全然下手くそで、デジタルボディではいまいちオールドレンズらしい描写は作り出せない。レタッチもしないから、オールドレンズで撮ったと言わなければ分からないレベルだったりする。

Nikon Df, Ai 28/2.8

まあ写真のほうはいまいちではあるんだけど、マニュアルのレンズで撮るのは本人としては楽しくて、まあ良しとしている。Nikon Dfならレンズだけじゃなくて、ボディの操作の方もフィルム時代のダイヤル操作が楽しめるから、撮ってる時間はたっぷりと癒し効果に浸れるのである。

Nikon Df, Ai 28/2.8

絞りはほぼf4でずっと撮ってた。ボケないこともないけど、そこは開放付近よりは締まって見える。ボケが少ない分、僕の腕前くらいではさして一眼レフらしい写りにはならず、iPhoneカメラで撮るのとそう変わらない感じがしないでもないけど笑。

Nikon Df, Ai 28/2.8

つまり写真とはやっぱりカメラやレンズの違いはさして問題ではなくて、やっぱり撮り手の視点であり腕前の問題なんだよね。その人の中ではカメラやレンズの違いはもちろんあって、カメラやレンズを替えると何か新しい気分が写欲を押し上げたりしてくれるわけだけど、他の人との兼ね合いでいえばカメラやレンズの差は大した問題じゃない。写真はそこじゃないといつも思う。

Nikon Df, Ai 28/2.8

Nikon FEと43-86の記事の時にも書いたんだけど、オールドレンズはやっぱりその当時のボディ、つまりフィルムカメラに装着したほうが味があるなあと思う。デジタルでマニュアル撮影を楽しむ分には全然アリなんだけど、出来上がる写真に関していえばそこはその時代ならではの「滲み出る何か」がある気がするから。というわけで、次回はフィルムニコンに装着してAi 28/2.8の試し撮り第二弾としよう。

ありがとう、Nikon FE。

Nikon FE, Ai50/1.8

本日が仕事納めでいよいよ2017年が幕を閉じようとしている。僕の今年を一言でいえば、やっぱり「フィルムイヤー」ということになるだろうな。そのすべては、このNikon FEを手に入れることから始まった。

フィルムカメラのことはほぼ知識がなかったけど、ある日カメラのキタムラの中古カメラのショーケースで目があったNikon FE。このカメラがいつの時代のカメラで、絞り優先の電子式シャッターでなんて知るのは買った後のことで、このカメラを手に入れようと考えたのはその佇まいに惚れたということが大きい。性能は、なんというかそれまでNikonのデジイチを使ってきてNikon機を信頼していたから、フィルムカメラにおいてもあまり心配しなかったな。そして購入した週末にフィルム初の試し撮りをするわけだけど、ビギナーの僕にも驚くくらい普通にフィルムらしい写真が撮れていたことで、一気にフィルムカメラへハマっていくことになる。

その後に街撮りスナップ用にKonica C35、機械式を持っておきたくてLeica M3とNikon F2、シャッタースピードやAF性能を高めたくてNikon F6とフィルムカメラのバリエーションを自然と増やしてゆく。ほぼ毎週、数本のフィルムを現像してたなあ。フィルムの種類のほうも、業務用100にはじまり、PRO400H、モノクロのILFORD XP2 400、あと秋を前にリバーサルフィルムにも挑戦して、まさに実験的な一年だった。なんとなくたまっていったオールドニッコールのMFレンズたちをデジタルでも試したくて、Nikon D300とNikon Dfも日々の散歩カメラに仲間入り。フィルムというカメラの原点に立ち返ったことで、デジタル一眼レフの面白さを再確認した一年でもあった。

でも、カメラのバリエーションのほうはそろそろ打ち止め。来年は撮る時間、カメラより写真そのもののほうに少しこだわってみる年にしたいと考えている。ここ数日は、じぶんへのクリスマスプレゼントに購入したソール・ライターの図録本を眺めたり、写真関連の書籍を引っ張り出して再読したりしている。そうすると、僕のこれまで撮ってきた写真があまりに平面っぽくっておもしろさに欠けることに気づいたり。まあ、シャッターをじゃんじゃん切ることが楽しかったんだろうね。そういう段階からもう一段、じぶんの撮る写真を高められればおもしろそうかなとか考えている。

それもこれも、はじまりはこのNikon FEから。ライカやフィルムニコンのフラッグシップ機も素晴らしいけど、あえてカメラのグレードにこだわることなく、このシンプルニコンといわれる気取らないカメラで、ゆるくラフに撮影時間を楽しんでみたいなという思いもふつふつと。そうだなあ、来年は街撮りにも一眼レフやライカを持ち出してみようかな。とにかくひとつでも新しいことに一歩を踏み出してみたい。そんなささやかな構想を練るのがこの年末年始の休みのひそかな楽しみである。

カメラもスマホも小さいって素晴らしい。片手でヒュンヒュンって操作できるっていうね。

RICOH GR, Konica C35

僕のiPhoneは大きめサイズの6Plusだったんだけど、ここのところタッチのレスポンスや電池の持ちが醜くて、見た目は全然古びていなかったんだけど、ついにしびれを切らしてiPhone8に買い替えた。

まあ使い心地の悪さが買い替えの一番の理由ではあるんだけど、6Plusの大きさともなると両手で操作しないといけないので、それもずっと気になる要因だった。特に写真を撮るときに片手でサッと撮れなくてね。うーん、これじゃスマホの軽快感がまるでないじゃんと、写真を撮るたびに次に買い換えるときは片手で撮れるサイズのiPhoneに戻そうとずっと考えていた。

お店に行くまではね、iPhone5時代のサイズと同じの現行モデルiPhone SEにしようとさえ考えていたんだけど、いざお店で触り比べてみたら、最新モデルのiPhone8もなんとか片手で操作できそうだったから、いつものスペースグレー、容量は写真やるから256GBタイプにした。まあ性能は最新のものだし、デザインもガラス復活ということでなかなか素晴らしいんだけど、僕の場合はとにかくこのコンパクトさが決め手だった。

iPhone 8Plusはカメラは素晴らしいんだけど、大きさが6Plus同様とにかく大き過ぎるのでパス。ホームボタンのない記念モデルiPhone Xも触り比べたんだけど、8と8Plusの中間サイズといえばいいかな。やっぱり片手で操作するには大きすぎて、僕には合わなかった。

で、お店を出てからiPhone8を片手で触ってるんだけど、やっぱり軽快さがまったく違う。片手でヒュンヒュン操作できるってってのは、積もり積もればかなりの使い勝手の良さにつながると思う。そんなことを考えてたら、これ、カメラにも通じるところだよなあと。ニコンやライカを両手で構えて撮るのもいかにもカメラっぽくて本格的で楽しいんだけど、コンパクトなGRやC35を片手で操作して撮る、アノ軽快感はやっぱりたまらないものがあって、カメラもスマホも小さいって正義だなあと。どうかしたら、写りの良さと同じくらい重要な要素だと思うんだ、小ささってね。GRなんかはほんと片手で操作できる場所にすべての操作系ダイヤルやボタンがレイアウトされてるから、とにかく片手でサクッと撮ることに重きが置かれている。なんてったってスナップ用カメラだから、片手で撮りやすいかどうかはとても大事な要素なんだ。

というわけで数年ぶりに片手で撮れるiPhoneが僕の手元に帰ってきた。これでiPhoneカメラで撮る写真も少し増えるかな。なんだかんだ、いちばん身近なスナップ用カメラともいえるからね。いいプロダクトの基準、それは片手で操れるかどうかだったりするんだよね。

とても今更なんだけど、ソール・ライターの代表作たちはリバーサルフィルムだったんだな。

Nikon F6, 50/1.4D, Velvia100

今年のじぶんへのクリスマスプレゼントは、ソール・ライターの本「All about Saul Leiter」にした。Amazonでポチろうとも思ったけど、留守の間に届くのも配達の人に申し訳ないから、いつも立ち寄る書店で購入しようと思う。

というのも、その書店で僕は何度となくこの本を立ち読みしている。その度に買う寸前までいくんだけど、なぜが買わずにここまで来た。なんとなく、買ってしまうとソール・ライターの作風に影響を受けすぎるように思ったところがある。けれど、ひと通りカメラやレンズが揃った今、来年へ向けてこれからは機材よりも写真そのものにもっと興味を持ってみようと考えていて、ふとソール・ライターのことが頭によぎった。いや、正確にいえばソール・ライターのことはドキュメンタリー映画を見てからずっと気にしていたし、渋谷の写真展には行けなかったけどずっと意識していたじぶんがいた。なので、ここは素直にじぶんの心にそって動いてみようと思った。

さて、ソール・ライターのこと、僕は些細なことしか知らないから、まずは少し情報を調べてみようとネット検索を始めたんだけど、けっこう写真展に行った人たちが多数ブログなんかに記事をあげていて、しばらくむさぼるように読んでいた。と、その時、僕はその独特のソール・ライターの撮る写真に決定的な差異を見つけることになる。それが、彼の代表作である1950年代のニューヨークの写真たちは「リバーサルフィルム」で撮られていたということ。なんか猛烈に恥ずかしい思いがこみ上げてきた。なぜ、これまで気づかなかったんだろうと、あのしっとりしたリバーサルフィルムならではの質感に。ほんと、じぶんのことがあまりに無知で恥ずかしいなと思った。

ソール・ライターの使用したカメラがライカだったらしいとか、雨や雪の日の傘やショーウィンドウの写り込みとか、そういうテクニカルなことばかりに目がいって、フィルムはカラーネガなんだとすっかり思い込み、プリントの妙なんだろうなとか、そんなことばかり考えてた。でも、70年代のNew Colorのエグルストンよりもはるか20年前に、カラーでスナップを撮っていたんだよね、ソール・ライターは。しかも、リバーサルフィルムで。少し検索を進めてみると、期限切れのリバーサルフィルムを安く手に入れて撮っていたといった記述もある。そうかと、なるほど、そこに僕が惹かれる独特の質感があったのかと。

フィルムなんてなんでもよくて、要はソール・ライターの腕前というところも相当あるのは分かってるけど、あのしっとりとした質感と色味はリバーサルフィルムだからこその世界でもある。僕は最近リバーサルフィルムを初体験しても以来、その唯一無二の世界に衝撃を受けているようなところがあって、このソール・ライターがリバーサルフィルムを使っていたことを知って、点と点がつながったというか、軽い衝撃に包まれたんだ。僕が好んでRICOH GRのポジフィルム調で撮り続けてきたこと、そしてフィルムで実際のリバーサルフィルムに出会ったこと、そしてずっと気になっていた写真家ソール・ライターがリバーサルフィルム使いだったことにたどり着いた決して小さくない衝撃。

写真に詳しい人からは、今更そんなこと言ってんのと笑われそうだけど、僕は恥ずかしながらソール・ライターが当時の写真たちをリバーサルフィルムで撮っていた事実を今更ながらに知り、あらためて彼の描いた世界をもっと探求してみたいと思った。彼はあの雨や雪のシチュエーションで感度いくつのリバーサルフィルムで撮っていたんだろうか。彼の写真はそのほとんどが縦構図の写真だから、手持ちで撮るとしたら感度100だとなかなか厳しかったはずだけど、どうだっだんだろう。しかも望遠レンズっぽいし、そうなるとピントもよく合わせられたなとか。あと、なんといってもリバーサルフィルムだとしたら、よく正確に露出を合わせられたな、とかね。もう、考え始めるといろんな彼の撮影シーンが疑問と共に思い浮かぶ。少なくともはっきり言えるのは、じぶんで試してみるということだ。曇天のシチュエーションで、リバーサルフィルムを詰めてじぶんで撮ってみる。そこにしか答えのようなものはない気がする。彼の図録「All about Saul Leiter」が手元にきたら、じっくりとそのシチュエーションを凝視して、じぶんのカメラにリバーサルフィルムを詰めて出かけてみたい。曇天の街中へ。2018年、少しテーマのようなものが見えてきた。

急がないカメラと、ゆっくり撮ろう。

Nikon Df, 50/1.8G, 撮影はiPhone

今朝も愛犬と散歩カメラ。カメラはNikon DfとオートフォーカスのAF-S Nikkor 50mm f/1.8G Special Editionだ。なんだかんだで1時間以上歩いていただろうか。何を撮るわけじゃないけど、朝の光と住み慣れた街を撮り歩くのが、僕と愛犬の週末のスタイルだ。

今年はいくつものカメラを手に入れたけど、このNikon Dfは買ってよかったと思える筆頭かもしれない。Nikon最新のヒット作であるD850なんかに比べると、もう発売から数年経つし、スペックもずいぶん劣るモデルになるのかな。それでも、僕のようにカメラに高画素やスピード、高度な補正性能を求めない、フィルムカメラで撮るような気分を求める人にはうってつけのカメラかもしれない。それは機能云々とかじゃなくて、「ゆっくり撮ることを楽しむ」という点においてね。

もちろん、Dfも現代のカメラだから連写もできる。でも、それはもしもの余裕として備えてはいるけど、それはそれでゆとりとして、撮る時は一枚一枚ゆっくり撮ることに重きが置かれている。ISO感度も、シャッタースピードも、絞りも、すべて軍艦部のボタンをカリッカリと指で動かしながら、露出をイメージして撮る。絞り優先でも、すべてオートのプログラムモードでも撮れるんだけど、できればマニュアルがいい。カメラに委ねるんじゃなくて、カメラと対等に対峙しながら共同作業として写真を撮る。そういう感覚で撮れるのがこのDfというカメラの最も愛すべき特徴だ。

世の中はそれでなくても忙しく、猛スピードで未来へ突き進んでいっている。そんな時代を生きる僕らはある意味、否応無しにそのスピードに合わせて走らざるを得ない。そんな時代の真っ只中にあって、カメラを持ってゆるりと散歩するときくらいは急かされずに歩みたい。フィルムカメラが再び脚光をあびているのも、そういうスローなところだろうし、フィルムカメラでなくともそういう「急がない心地よさ」を提供してくれるのが、このデジタルだけど「急がないカメラ」、Nikon Dfなんだな。同じようなカメラでいえば、FUJI FILMのX-Pro2なんかがそうなのかな。このジャンルのニーズは決してメジャーではないと思うけど、無くてはならないジャンルでもあると思う。カメラはハイテクである前に、とてもエモーショナルな道具であり嗜好品だからね。

去年の今頃、僕はGRとだけ撮っていた。

RiCOH GR, 撮影はNikon FE, Ai50/1.8

ふと去年の今頃のブログを振り返ると、ひたすらGRだけで写真を撮っている。デジイチなんかをすべて手放し、RICOH GRだけ残して半年くらいの頃だ。ロードバイクに乗り始めて一年で冬場でもかなり走り込んでいた時期だけど、この頃にトライアスロンを目標にしてスイムに目覚め、GR×バイク×スイムと割と大忙しの年末だったように思う。

思えばカメラはGRだけだったんだよなあ、一年前は。この後、年が明けて3月頃に初めてのフィルムカメラNikon FEを手に入れる。以降あれよあれよとフィルムにのめり込み、今は手元に5台のフィルムカメラがある。おまけに、デジイチも再開してるから、なんというか人間、一年間でいろいろ劇的に変わるよなとしみじみ思ったりしている。

これだけカメラ環境が変わると、ブログをの内容もおのずとフィルムカメラのことが多くなる。このブログのタイトルは「記憶カメラ」なんだけど、フィルムとカメラのことが記事として増えた分、タイトルのニュアンスに近くなったかもしれないね。あ、そうそう、今年は愛犬が家族に増えたこともあるな。愛犬と散歩が日常になったことで、散歩しながら片手でも撮れるオートフォーカスのカメラやレンズまで範囲が広がったのも、僕のカメラ生活には意外と大きな変化だったかもしれない。

来年はどうなるんだろうなあ。じぶんでもまったく予測がつかない。今のところこれといって欲しいカメラやレンズはなくて、どちらかというとフィルムの種類だったり、撮るシチュエーションの種類だったりに変化を持ち込みたいなという漠然とした思いはあるけど、去年の今頃だってまさかフィルムカメラをやるとは思ってもみなかったから、意外と劇的な変化がまたやってくるかもしれない。そして、それはたぶん、まわりの人に何かしらの影響を受けたり、ヒントやきっかけをもらって始まるんだろうなあ。にんげんはやっぱり、じぶんが考える以上にまわりから影響を受けて生きてるんだよね。生かされてるというやつか。そういえば明日は結婚記念日だ。息子が生まれてからはそれどころじゃなくて、今ではもう何回目だかはすっかり忘れたけど笑、ひとまずなんとか生きている。いろんなものに感謝して今年もクリスマスを迎えたい。数日後には新年か。マッハだね。

スイム再開から6日目の朝。明らかにカラダが健やかだ。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji業務用100

今夜もプールに行く予定だから、これでスイミングスクール通いを再開して6日目になる。ズボンを履いても明らかに腰回りが絞れてる気がするし、なによりカラダ全体が少し軽くなった。歩く足どりも一週間前よりは軽快だ。つくづく再開してよかったなと感じている。

人生ずっとカナヅチだった僕が意を決してプールに通い出したのは去年の今頃。新年を迎える前にふとトライアスロンに挑戦したいと思い立ち、Runもバイクもやってた僕は仕方なくというか、泳げるようになるしかないと息子の通っていたスイミングスクールの門を叩く。今思うとほんと緊張したな。というか、いい年したおじさんがカッコ悪いよなという思いもどこかあった。でも、トライアスロンに挑戦したいという思いが羞恥心に勝ったんだよね。

たしか通い始めて10回目くらいにはクロールができるようになり、25mを泳げるようになった。そこから今もクロールを深めるというか、手のかき方や足の使い方、体幹を意識した魚のような泳ぎとか毎回いろいろなことを試してる。シンプルな泳ぎにみえるけど奥が深いんだよね、クロールは。そういう向上心が楽しいのもあるけど、プール再開までして泳ぎたいと思うのは、やたぱりカラダと脳に気持ちがいいからなんだよね。

よく言われるのは、水泳は呼吸を制限する有酸素運動だから、ダイエット効果もあるし心肺機能も高まる。あとは足がからだと同じ位置にくるから、下半身にたまった毒素が全身をめぐり排出されやすいとかね。僕の場合だと、上半身の筋肉を動かすのがいいなと思ってる。肩甲骨が大きく動く感じが、ふだん使わない筋肉をほぐすのにすごく役立ってる。そして、何より気持ちいいのは、水の中にいるということ。水中の様子はなんとも優雅だし、水から顔を上げてゼーゼーと息するのも、生きてる!って感じがする。

毎晩プール通って大変じゃないですか?というのが大半の人の意見だと思うけど、まあ大変といえばそうだけど、それに見合うだけの心地よさがあるってこと。あと、妙に学生時代の部活の気分に浸れて、少し気分も若返るみたいなところもある笑。あー、きょうも脳やカラダがすっきりしないなー、という人はぜひ騙されたと思ってプールに行ってほしい。平日夜のプールの雰囲気はなかなかオツなもんだから。

デジタル前夜、フィルムを諦められない気持ちって絶対あったろうな。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji業務用100

僕がカメラを始めたのはここ3年ほど、フィルムにいたっては今年のことだから、世の中がフィルムからデジタルに変わろうとした時代の真っ只中のことは分からない。でも、容易に想像がつくのは、人々がデジカメで始めて撮って見た時に「え?なんか生っぽくて嫌だ」みたいな印象を抱いたんじゃないかってこと。その渦中にいた人たち、どうだろう。

とはいえ、デジカメは夢の新製品だったろうね。だってフィルム代はかからないし、撮ったその場で写真が確認できる。たぶん、写真をやる人たちのすべてが夢見た製品だったはずだから。でも、仕上がる写真だけは、夢のようではなかった。想像だけど、そうだったんじゃないかな。

今もこうしてフィルムにこだわって写真を撮る人たちが少なからずいるし、僕だって年をとってからフィルムに出会い、いまこうしてフィルムのありがたみを痛感している。それは、フィルムカメラのレトロな味わいもそうだけど、やっぱりフィルムでないと撮れない写真があるからなんだよね。

デジカメの進化はその後凄まじく、画質の向上、恐ろしいくらいの高感度性能、デジタル技術の恩恵であるあらゆる撮影サポート機能、どれをとっても今さらフィルムカメラを選ぶ理由なんて懐古主義以外は見当たらない。フィルムカメラが持っていたいい意味での緩さとは真逆の進化を高速で遂げ、それはたぶんAI化みたいなところまで突き進んでいくんだと思う。思うに、写真とは「フィルムで撮った写真の質感」だったものが、この20年くらいで「デジタルで撮った写真の質感」へと変わったということなんだろうね。フィルムで撮った写真の質感は、ノスタルジックなものへと置き換わっていった四半世紀と言えるのかな。

僕は近ごろ、デジカメで撮ることも多いし、嫌いじゃない。オールドニッコールをNikon Dfにつけて、あれこれマニュアルライクに写真をゆっくり撮る行為はなかなか楽しくて、デジタルでしか撮れない写真の質感をあれこれ探っていたりする。それでも、こうして少々手間暇のかかるフィルムカメラを持ち出して写真を撮るのは、デジカメがフィルム写真の質感をほぼ100%再現できるまではやめられない。ほんと、いっそフィルムの質感の写真しか撮れない(結果、自動で加工するということになるんだろうけど)デジカメが発売されればいいのにとさえ思うけど、そういう動きがないところをみると、あまりニーズは無さそうだけどね。

フィルムにしか出せない光と影、よく言われる粒状感、階調性みたいなものは、利便性という進化に飲み込まれて本当にやがて無くなるんだろうか。このフィルムでしか出せない質感の写真をこの世から無くしていいんだろうか。といってもそれは僕の思いであって、この世の多くの人の思いではないから、この世界の片隅の小さなブログの中でしか叫べないわけだけど。ふと、この写真を見て、そんなことを考えた。

無いものは、じぶんで作るしかない、ということ。

Nikon Df, 50/1.8G

なんのこと?といえば、このことについては世の中のぜんぶ、ということになる。このことについて書こうと思ったのは、Twitterで見かけたご自分でカメラの皮ケースを製作している人の様子とかを見て思ったんだけとね。たしかに世の中たくさんのカメラケースが存在するんだろうけど、使ってみるとなかなかじぶんの心地いいポイントをきめ細やかにカバーした製品というのは少なかったりする。ここで普通の人なら、その納得いかない部分なんかには目をつぶって使い続けるわけだけど、たぶんこのご自分で皮ケースを製作している人は、じぶんやじぶんと同じような思いを抱いている人のために、究極のカメラケースを作っちゃえ!と思ったんじゃないかな。思っても出来ない人がたくさんいる中で、それを実現しちゃうところがもの凄いわけだけど、そういう境遇はともかくとして、「無いものは、じぶんで作っちゃえ」というのは大事な心意気だなと思う。その方の作った皮ケースを使った人たちの感激のコメントを見ると、ほんとそう思う。

僕にはそんな才能はないけど、そうだな、僕に当てはまるとしたら、このブログかな。僕がカメラを始めた時に、ビギナーの情報を得るのにネットでいろいろ検索したんだけど、いわゆる機能面を列挙したブログはたくさんあったんだけど、もう少し何というか「その気分」みたいなものを記したブログ記事が見当たらなかったんだよね。僕はメカに強くないし、カメラの基礎知識もないなかで、できれば機能面の比較や列挙よりも、そのカメラを手にした時の心持ちや、そのカメラがある生活の豊かさみたいなものを知りたいなと思った。だったら、じぶんがそういうブログを書けばいいんじゃないかとどこか思ったんだよね。「カメラを、機能より気分で語ってみる」、そんなブログ。結果からすると、それはとてもむずかしくて、思うようにはスラスラとは書けないんだけど、でもまあゆるりと書き始めて、なんだかんだで1600話くらいまできた。よくもまあ、こんなに機能面じゃないことをこんなに書けるよなとじぶんでも呆れたりもするんだけど、日記のようなものくらいの気分で書けば、書くことに困ることはない。そうやって、一応じぶんなりには「無いものは、じぶんで作っちゃえ」を試みてみたわけである。

にんげんは、見聞きしたり体験したことがあるものしか想起できない生きものだけど、その範囲の中でしか考えられなかったら、どうしても世界は狭くなる。その疑似体験として本を読んだり、映画を見たり、人に会って体験談を聞いたりして、新しく妄想できるネタをインプットするわけだけど、そんな時に「無いものを、じぶんで作っちゃった」人々の話はなかなかのエネルギーになる。この世に見かけないからどこか妥協して、あり物をどこか我慢して使い続ける、もしくはやり続けるより、ひょいっと軽やかにじぶんで腰を上げてみるのもいいかもしれない。そんなことをふと思う年末のある日である。

RICOH GRなら遠回りしたくなる。

RICOH GR,GR Lens 28/2.8

フィルムカメラもコンパクト機が人気のようだけど、なぜだか街中でフィルムコンパクトをかまえて撮ってる人はほぼ見かけない。僕が気づかないだけかな。ちなみに僕は日中はフィルムコンパクトのKonica C35でスナップすることが多くて、太陽が見えない時間帯はデジタルのRICOH GRが相棒だ。

今日は明らかに写真を撮る余裕はないなという日はさすがに重たいから鞄の中にカメラは入れないけど、オフタイムの時はほぼ何かのカメラを持ち歩いてる。Runやウォーキング、愛犬との散歩の時、ロードバイクで出かける時もそうだね、必ずポケットかバッグの中にカメラを忍ばせてる。そうすると、単なる移動時間が少し豊かなスナップタイムになる。少しいつもと違う道を選んだり、通過するだけなら二、三分のゾーンを二、三十分くらいうろうろしたりしてね。このなにかと忙しい時代に、じぶんでもなんとも逆行するような行動だと思ったりもするんだけど、この「日常が少しだけ豊かになる感じ」がすごくいいんだ。

なにもたいそうなロケーションの場所へ意を決して出かけなくても、仕事で、余暇で通りかかった道端が舞台になる。どうせ通る道なわけだから、そこに負担みたいなものはまったくない。そんな力みのないシチュエーションで、カメラさえあればドキドキしたりワクワクしたり、達成感みたいなものとか向上心みたいなものを感じられるわけだから、これは僕にしてみれば一挙両得というか、儲けもん!みたいな感覚なんだよね。Twitterなんか見てると、なんでもない道端の光景を、スマホじゃなくてカメラで撮ってる人たちがいる。そういうスナップ写真を見ると、じぶんの行動と重なるところもあって少しニヤリとしたりする。スナップとはそういう心理的おもしろさもあると思うんだ。

あとはね、このなんでもない街の光景が、今はさして気にならないものだとしても、数十年後の未来にはちょっとしたノスタルジックな一枚になるかもしれない。それもまたひそかなロマンだったりしてね。そんなことを思いながら今日も撮る。なんでもない光景を。少し外が暗くなったらGRを相棒に、少し遠回りして僕はニヤけるんだ、街の雑踏の中で☺︎