KONICA C35で撮ると、日常は意外と平凡じゃない。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

僕の平日のスナップ用カメラは二台、デジタルのRICOH GRとフィルムのKonica C35だ。どちらもじぶんの第2の目のようなカメラで欠かせないんだけど、できればフィルムで撮りたい、つまりできればKonica C35で撮りたいというのが、まずある。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

それは、C35で撮ると、世界が少し平凡じゃなく見える感覚があるから。理由は、そうだな、まずフィルムの風合いというのがあるんだろうけど、そんな簡単じゃないというのもある。上手く言えないけど、焦点距離38mmというのも大きいのかな。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

僕がそもそも好んで使うレンズはどれも焦点距離50mmのものだ。Nikon FEも、F2も、F6も、そしてLeica M3も、すべて常用レンズは50mmの明るいレンズ。といっても50mmが楽だからというのではない。むしろ50mmはむずかしいと思いながらいつも撮っている。それに対して38mmはもっと自然体なんだ。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

無心というか無欲というか、カメラを構えてることを意識しないで撮れるというか。このKonica C35というカメラは昭和の大衆的カメラで、誰もがほぼオートで簡単に撮れるように開発されたカメラ。そこで選ばれた焦点距離が38mm。それはやっぱり関係があると思うんだ。カメラを難しくしない焦点距離とでもいうのかな。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

狭すぎない、かといって広すぎもしない、スナップとしては実に絶妙で自然体な画角なんだろうね。あとはテッサー型レンズHexanonの存在も大きい。Konica C35を見たことがある人は分かると思うけど、あのどちらかというと可愛らしいフォルムからは想像がつかないくらい、実力派のレンズが搭載されてるんだ。

Konica C35, Hexanon 38/2.8, FUJI 業務用100

Konica C35の愛称は“ジャーニーコニカ”なんだけど、よく言ったもんだなあと。たしかに旅に持ち出しやすい手軽なカメラだけど、それは扱いやすさだけじゃなくて、撮れる写真の質にも言えることで、C35で撮ると毎日が旅のように撮れる。それはこのカメラを所有する最大の歓びと言っていい。僕はそれほど多くのカメラを知ってるわけじゃないけど、カメラビギナーの人におすすめのカメラを聞かれたら、このKonica C35を筆頭にあげるかもしれない。いや、カメラクラスタの人にもおすすめするか。それくらい“やるカメラ”なんだ。

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カメラが生き残る道は、フィルムが鍵を握っていると本気で思っている。

Nikon F2, Konica C35, 撮影はLeica M3

というのも、まずはTwitterで「#film」と検索してほしい。すると、フィルムと出会ってカメラを意識し始めてる人がたくさんいること、そしてフィルムで撮ってる人が実にキラキラしていることが分かると思う。もちろん、デジカメで撮ってる人たちのほうが圧倒的に多いんだけど、どうだろう、スマホカメラが物心ついた時から存在していた若い人たちにとって、デジタルのカメラをあえて買う必要があるだろうか。最近のスマホカメラはほんとよくできてる。サクッと空を撮る時なんかはスマホのほうが綺麗に撮れたりするくらい。だとしたら、どうかしたらスマホで撮れそうな写真のためにデジカメを別途所有するというほうがハードルがかなり高い気がするのは僕だけだろうか。その点、フィルムとフィルムカメラは実に独特だ。フィルムカメラ風アプリこそあるけど、一度でもフィルムカメラで撮ることを体験すると、ほとんどの人がその独特のワクワク感に魅せられる。この独特の写りと現像待ちの楽しさなら、スマホとは別にあえてカメラを所有する理由が明確にできると思うんだ。

フィルムカメラはたしかに過去のモノかもしれない。でも過去のモノだから、撮れるものが古くさいというのはちょっと違う。フィルムの延長線上にデジタルがあるんじゃなくて、そこには別物というくらいの違いがある。デジカメに近いのはむしろスマホで、フィルムはこれらとは異なる場所にいる。だとすると、カメラ産業を確固たる存在にするのは、超デジタルなフラッグシップ機か趣向を凝らした趣味機、またはフィルムカメラたちだと思う。最先端の超デジカメがあまりにも高価だとするなら、カメラビギナーには俄然フィルムカメラの手軽さが際立ってくる。

そういう、なんかとても特別な何かを手にした歓びが、その「#film」というタグを検索すると如実に分かる。昨今、フィルムの行く末が危機的なものであると耳にもするけど、僕が個人的に思うのは「この時代にあえてカメラを所有する理由としては、フィルムがその鍵を握っているんじゃないか」とさえ感じるし、それは日増しに強く思い始めている。フィルムとは懐古主義ではなくて、現代の中の唯一無二の独特のジャンルなのだということ。フィルム、この世から無くならないんじゃないかな。無くなると、むしろデジカメ産業すらも危うくなる。実際、僕はフィルムの楽しさを知ったからこそ、デジタルのNikon Dfを購入したからね。このフィルム時代がいつまで続くのかという話は尽きないんだけど、無くならないと思うよ、フィルム。ここにしか得られない世界があるから。

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愛犬が、僕とカメラを外に連れ出してくれる。

Nikon Df, 50/1.8G

この子が家族になって四ヶ月くらいかな。彼との朝晩の散歩がすっかり僕のルーチンワークになった。実は以前にもミニチュア・シュウナウザーを飼っていた時期があったから、愛犬との散歩を再開したと言ったほうが正解かな。

犬と暮らしたことがある人は分かると思うけど、犬は人生にいろんなものをもたらしてくれる。弱いものを守ってあげる気持ちとか、いつまでもめげない心とか、ひたすら癒されることなんかもそうかな。あと、いちばん生活スタイルに変化をもたらすといえば、やっぱり散歩へ出かけることだろう。

Nikon Df, 50/1.8G

犬を飼っていなかった時期が一年半くらいあったんだけど、その間は考えてみるとあまり散歩に行くなんてことがなかった。Runとかロードバイクで出かけることはあったけど、そういう特別な目的のために出かけるんじゃなくて近所をゆるりと歩く散歩、これがほんとそんな機会がなかった。

Nikon Df, 50/1.8G

でも愛犬と暮らすようになると、またこうして近所をゆっくり歩くようになった。それも毎日、朝晩必ず。これは何でもないようでいて、すごく生活において大きな変化なんだ。毎日少しずつ移ろう風や空気、匂いや日差しなんかを五感で感じとる。四季のある国らしい季節の流れを否応なしに感じるんだ。

Nikon Df, 50/1.8G

そこにはね、カメラがとてもよく似合う。スマホカメラでも悪くはないけど、せっかく五感が豊かに反応してるわけだから、どうせならカメラで少しクリエイティビティな撮影を楽しんだほうがいい。フィインダーの中の少しドラマティックな世界、そして脳を喜ばせるシャッター音。僕はほんともう愛犬の散歩でそうしたカメラ生活を楽しませてもらってる。

Nikon Df, 50/1.8G

この冬場の時期はね、さすがに早朝も夜も暗くてカメラで気軽に撮るのはむずかしいけど、週末はこうして太陽のある時間に愛犬とのんびりカメラを楽しめる。オートフォーカスのNikon DfとNikon F6なら、片手で撮ることができるから、もっぱら愛犬と出かける時は、この二台のカメラのどちらかがいつも一緒だ。

Nikon Df, 50/1.8G

何の変哲も無い住宅地だから、特別おもしろそうな被写体があるわけじゃない。もうほんと撮るものといえば、平凡な道端の草花や公園の遊具とかだったりするわけだけど、それでも四季の移り変わりを感じながらシャッターを切るのはそれだけで心が豊かになれる。日々に少しだけクリエイティビティな瞬間を注入できるんだ。

Nikon Df, 50/1.8G

僕が散歩してる時も他にカメラを持って犬の散歩をしてる人は見かけないんだけど、僕はこれ、すごくおすすめするけどなあ。犬と暮らしてる人は、散歩用にカメラを持ち出してみるのが絶対いいと思う。どうせ歩くなら、辺りをもっと眺めながらシャッターを切って脳も活性化させてみる。なんというか犬の散歩の概念が少し変わると思うから。

Nikon Df, 50/1.8G

12月を越えると日もだんだん長くなる。そうすると平日の早朝でも明るくなってカメラで気軽に撮れるようになる。夏場なら早朝だけじゃなくて夜もけっこう明るくてカメラで撮れるからね。オートフォーカスの一眼レフじゃなくても、コンデジでもいい。僕もRICOH GRを連れ出すこともあるしね。

Nikon Df, 50/1.8G

なんていうのかな、犬もカメラも、生活に必ず無くてはならないものではない。無くても生きていけるしね。でも、犬がいると、カメラがあると、人生に流れる時間がちょっとだけ豊かで創造的なものになるんだ。僕はそう感じている。劇的な光景が毎日現れるわけじゃないけど、感動とは何も劇的なシーンからばかりじゃない。そういうことを教えてくれる、それが犬と日々出かける散歩カメラなんだ。

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ライカとツァイスの組み合わせが生みだす写り。

Nikon F2, Konica C35。撮影はLeica M3, ZEISS Planar T*2/50 ZM、Fuji業務用100

僕が所有するLeica M3にはライカ製のレンズではなく、ZEISS Planar T*2/50 ZMがついている。過去のブログにも書いたけど、M3ボディを購入した時にたまたまいいライカ製レンズが在庫に無く、店員さんに他におすすめのレンズがないかと尋ねたらすすめられたMマウントレンズ。そういう意味ではたまたま巡り合ったレンズなんだけど、カメラやレンズに詳しくない僕でもツァイスだのプラナーだのという言葉は聞き覚えがあり、何より装着した時の雰囲気が何やらクールで、値段もかなり抑えられたし、縁あってボディに装着したまま持ち帰ったものだ。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

以来、Leica M3で撮る時は、レンズは常にこのZEISS Planar T*2/50。もうなんかからだの一部のようになってきたんで、今となってはエルマーなんかもあまり目に入らない。僕にとってライカの写りとは、このM3とPlanarが描き出す世界のことなんだ。そうやって撮り続けるうちに分かったのは、ボディというよりPlanar効果だと思うんだけどど、カリッとシャープな描写をすること。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

いい意味で、僕が当初思い描いていたいわゆるフィルムライカの写りよりはかなりシャープな印象がある。このZEISSブランドのレンズは現代的レンズでもあるから、なんというかクラシックなボディにモダンなレンズが組み合わさった効果とも言えるんだろうか。僕にはその世界がとても新鮮で、すっかりこの組み合わせに魅せられたのである。

Leica M3, Planar T*2/50, Fuji業務用100

とはいえ、この組み合わせにEktar100やFuji PRO400Hなどを入れると、またその写りはいい具合に揺らいで変化する。撮るたびにいつも新鮮だったりするんだ。世界のカメラとレンズをリードしてきたドイツの二大ブランドの共演はダテじゃない?笑。ライカ製のエルマーは、生きてるうちに一度は試してみたいとも思うけど、いまはPlanarに恋してるんで、いつかIIIfを手に入れた時のお楽しみかな。

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真冬に撮影に持ち出すなら、電子部品に頼るF6より機械式のF2のほうがいいのかな。

電気を一切使用しないフルメカニカルシャッター機Nikon F2

きょうは修理から戻ってきたNikon F6を使ってあげたくて、愛犬との散歩に連れ出してみた。電子基板をいくつか交換したF6は快調で気持ちのいいシャッターフィールを楽しめたんだけど、帰り道に11月末の冷たい風をあびながらふと考えた。真冬になったら、極寒の冷気の下だと電子部品で動くF6じゃなくて、電気を一切使わないF2を持ち出したほうがいいのかなと。

何かの記事で見たのかな、F3以降の電子式カメラだとあまりの寒さに電子部品が耐えきれず、時としてカメラが動かなくなるみたいなことが書かれていた気がする。その点、機械式のFやF2はそうした過酷な状況下でもしっかり作動して撮影を敢行することができる、といったような話もよく耳にする。真実は分からないけど、たしかに印象としてはそうかなと。修理に出していたF6の故障もまさに電源が入らなくなるいかにも電気系の故障だったから、大事を見て極寒の冷気の中では使用を控えたほうがいいのかなって。

たしかにF2は植村スペシャルがあったというくらいだから、極限の寒さの中でもタフに使い続けられるイメージがある。それと比べるとF5まではバリバリの報道プロ機であったF一桁機だけど、F6はアマチュア使用にも目を向けたといわれるカメラ。使いやすさは向上したけど、タフさも同時にマイルドになっているかもしれない。憶測だけど、F6を安心して使い続けることを考えれば、極寒の季節はF2メインで使ったほうがいいのかなと、ふと思ったんだ。そのあたり、真相はどうなんだろうね。

F2に触ったことがある人は分かると思うけど、あの手応えとして伝わってくる堅牢性は凄みすら感じるレベル。F3以降のフラッグシップ機がどこか精密すぎて乱暴に扱えない印象があるのと比べると、FやF2は少々乱暴に扱ってもちょっとやそっとでは壊れないような感覚がなんとなくある。僕のF2はそれなりに傷なんかもあるから、今でも大切に使おうとは意識はしているものの、けっこうラフに使い倒している。そういう扱いが似合うカメラでもあるんだよね。

フィルムカメラを始めて以来、初めての過酷な夏は経験したものの、極寒の冬はまだ未経験。冬の入り口の今でもけっこうな寒さだから、零度近くなる真冬はそれなりにカメラにも厳しい環境になるだろうと考えると、ここはF6は暖かい日だけにして、真冬のメインはF2にしたほうが無難ではあるんだろうね。AFのF6が使えなくなるとすると、冬の愛犬との散歩は片手で楽に撮るわけにはいかなくなるけど、それはそれでF2を楽に使いこなすコツをつかむいい機会になるかもしれない。と、ここまで書いてきて、じゃあデジタルのDfも極寒の季節には持ち出せないのか?というと、そんなこともなさそうだなと。ちょっとそのあたり、いろいろ調べてみよう。真冬が訪れる前の今のうちに。

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自然と生きる。カメラがあるとなお味わい深いものになる。

Nikon Df, 50/1.8G

どちらかというと僕は街中が嫌いだ。苦手というほうが近いかな。人を避けて、人のペースにはまって歩くのが苦だし、一瞬きらびやかな空間にハッとはするけど、しばらくいるとひどく疲れる。もちろん、仕事をするにおいては街中へ出社する必要もあるし、それを避けては生きていけない。でも、それがオンなら、オフは自然のそばにいたい。少し歩けば天然色の景色が眺められ、聞こえてくる音もアコースティックで静かな自然の音たち、空が広くて、じぶんのペースでゆっくり歩ける空間。時代がずいぶんとテクノロジーの進化しているのなら、やがてテレワークなんかも当たり前になるかもしれないね。人間が週に5日も人混みの喧騒の中にいると疲れすぎる気がするから。

そうそう、その自然と生きる時間をより豊かにするなら、カメラがあるといい。自然の移ろいを感じながら、ファインダーをのぞいてその光景を記憶する。望遠鏡をのぞくような観察ともいえるし、後から写真を眺めては、こんな色をしていたのかとか気づきがあったり。そのゆっくりなペースをさらに趣のあるものにしてくれる。僕は漠然とだけどそんな日々がいいなと、いまの環境を選んで暮らしている。それほど熟考して決めたわけじゃないけど、むしろ直感で決めたのがよかったのか、とてもじぶんの人生に合っている。まあ、住めば都というから、どこでどう暮らしてもその状況を愛おしく思うのかもしれないけどね。明日は祝日、秋色の大地もたぶんクライマックスあたりだ。また、カメラを持って愛犬と散歩へ出かけよう。じぶんのペースを大事にして。

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レンジファインダーに魅せられてる人の気持ちは分かるんだよなあ。あの、派手さはないけどジワジワと惹かれていく感じ。

Leica M3, Planar T*2/50

一眼レフのように分かりやすく気持ちを高揚させるのとは少し異なる、なかなか言葉に言い表せない魅せられ方。レンジファインダー機に惹かれるありようのことである。

フィルムカメラにおいても一眼レフがキング・オブ・カメラな空気はやっぱりある。けれど、一定の数だけ根強いレンジファインダーファンがいるのもまた事実である。あのなんとも言えない出しゃばらない感じが、普段着的にさらっと写真を撮る人たちの気持ちを、静かではあるけど強く鷲掴みにする。僕もそういうところに魅せられた一人かもしれない。

一度でもレンジファインダーをのぞいたことがある人なら、あの、アレ?って思う感覚を持ったことがあるに違いない。それは、例えばM3のファインダーのようにあまりにも美しいその様子に心を打たれるものでもあったり、そうではなくフィルムコンパクトのファインダーなんかをのぞいて、そのあまりに普通な光景に驚くというようなことも含めて。

僕はNikonの一眼レフたちは大好きだけど、そこにまったく異質な存在としてこのLeica M3が君臨するんだ。君臨するといったら高圧的か。もっと普段着みたいな、その存在があまりに普通で心地よすぎて、あえて強くは意識しないあの感じに近いかな。うーん、このニュアンスを言葉にするのはやっぱりむずかしいな。もし興味を持ってもらえたなら、ここから先は実物を触ってもらうしかない。あの儚い感じを、その目で、その手で確かめてもらうしか。この時代にあって、なかなかの新鮮さで感動が押し寄せてくるよ。

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思い出に残る基準って何なんだろうね。僕はけっこう些細なことを覚えている。

Nikon Df, 50/1.8G

思い出ってくらいだから、本当はどこかへ旅行に行ったとか、派手な体験をしたとか、いかにも思い出づくりっぽいことが記憶として残ってるほうがソレっぽいんだろうけど、僕の場合はけっこう断片的な些細なシーンをいくつも思い出として覚えている気がする。

学校の廊下から見た窓の外の雷とか、通学路の川の淵とか、小さい頃に見ていた夕日が沈む様子とか。どれもイベント性とかはない普通の記憶。そういう意味では、思い出はつくるもんじゃなくて、残るものなんだろうね。無理して思い出をつくろうとするんじゃなくて、その瞬間瞬間を感じる。そこに何かしらのじぶんの感性が合うと、結果として思い出に残る。

写真も同じかもしれないね。僕は何か仰々しい写真より、ふつうの日常のワンシーンを切り取った写真にいつも惹かれる。実を言うと東京カメラ部のような写真は苦手だ。何かこう手が加えられたような写真は思い出とは違うからなのかな。まあ、写真の解釈は人それぞれでいいと思ってるので、あくまで僕の個人的な写真観。思い出のありようと写真の存在についての話でした。さて、きょうも長い一日になりそうだ。

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Nikon社からF6が帰ってきた。久しぶりに聴くシャッター音がたまらない。

Nikon F6, 50/1.4D

Nikon社に修理で里帰りしていたF6が帰ってきた。自室でひと通り眺めたあと、50/1.4Dを装着して空シャッターを切ってみる。そう、この音だ。Nikon開発陣が箱の中に響くあらゆる音にもこだわったといわれるF6のシャッター音は、ちょっとやられる音色なんだ。平日の夜なんだけど、無性に撮りたい気持ちにかられる。明日は仕事をエスケープして朝から撮影に出かけたいところだけど、そこをグッとこらえて週末を待つとする。

で、そのF6なんだけど、故障の症状は電源消失だった。僕は中古でF6を購入したんだけど、多少傷はあったものの程度はよくて、三週末ほど快調に撮影を楽しんでいたんだけど、ある日フィルムを入れて裏蓋を閉じたら、普通なら自動でフィルムを巻き上げるんだけど、その日はまったく反応がなかった。電池がないのかなと新しいものに交換したんだけど、それでも反応なし。よく見ると電源オフでも表示される液晶に何も表示がされない。「ん?きたかな。」と、F6によくあると言われる電源消失のことを思い出す。F6では多くの人が経験しているトラブルらしい。電池を何度も入れ替えたりともがいてみたけどF6は静まり返ったまま。さすがに電気系のトラブルはどうしようもない。幸いキタムラの保証期間だったから修理に出したら、基板交換だろうとNikon社への里帰りとなる。

故障に陥った時はさすがに凹むんだけど、考えようによっては保証期間のうちにしっかり部品交換なんかはしておいたほうがいいと思い直し、無事修理から帰ってくることを願い、待ち望んでいた。いくつかの基板とその他部品を交換したとの記述があり、スイッチを入れると元気に電源が復活した。嬉しかったな。だって、ここ最近で最も感慨深いカメラとの出会いだったから。

あらためてF6にさわってみると、このカメラが他のものとは違うことを再認識する。手の中に吸い付くようにしっくり収まる手ごたえ、各部の操作系ボタン類の絶妙な配置、そのフラッグシップらしい内に秘めた迫力、やっぱりたまらないものがあるなと。F6のあの気持ちいいシャッターフィールを思い出すために数回、空シャッターを切る。電源も快調だ。装着した50/1.4DのAFの動作感触も実に気持ちいい。各部のたしかな動きが、なんとも精密に作られた製品であることを無言の迫力で伝えてくる。

連写も試す。このフィーリングも最高だ。フィルムというアナログなものを詰めるカメラなんだけど、現代のデジタル一眼レフを思わせるハイテクな動きをする。そのフィルムのよさとデジタルのよさを併せ持ったF6の操作感覚は、ちょっと他には見当たらないんじゃないかというくらい官能的かつ上質だ。僕が所有する機械式カメラのF2とは正反対の電子構造のカメラ。それだけに常に電子部品系統の故障は覚悟がいるわけだけど、現行販売機種でもあるF6ならひとまず当面は修理が可能だ。せっかく縁あって手にしたお気に入りの一台だから、なんとかメンテナンスを施しながら末永く使っていきたいなと。あらためてその貴重さを感じとった2週間だった。

そのF6の帰還を祝して、リバーサルフィルムVelvia100を2本買い足した。自宅にもリバーサルの買い置きがいくつかあるんだけど、これで当面F6とリバーサルが織りなすあの独特の世界を楽しむことができる。ずっとこのフィーリングを堪能し続けたいから、大事に使いたいと思う一方で、適度に使ってやることこぞが最上のメンテナンスでもあるから、とにかく撮ろうと思う。この唯一無二の最高のシャッター音を耳元で聴きながら。

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デジタルで撮ることは、フィルムで撮ることの妥協ではない。

Nikon Df, 50/1.8G

僕はフィルムで写真を撮ることが好きだ。撮る機械であるフィルムカメラの味わい深さも含めて、いいモノ・コトに巡り会えたなと思っている。

でも、ここにきてひとつの現象が生まれている。デジタルで撮ることもフィルムと同じくらい好きになりつつあるということ。フィルムとデジタルの境目がなくなりつつあるともいえるけど、もう少し正確にいうと、あえてフィルムとデジタルの差異を楽しみ始めた、という感覚のほうが強いかもしれない。

フィルム好きだと、デジタルで撮ることはとかく「フィルムで撮れない時の妥協」と受け取られがちかもしれないけど、そういうことではないんだ。フィルムにはフィルム特有のよさがあるのと同じように、デジタルにもデジタルにしか撮れないような代わりのきかないよさがある。そのことに気がつきつつあるんだ。

フィルムか?デジタルか?そんなことはどうでもいい。ひとつ言えるのは、フィルムでもデジタルでも楽しむことができれば、これまでできなかったことがいくつもできるようになる。写真やカメラを2倍、いやそれ以上楽しめるようになる、そんな風に考え始めた。

人生の時間はそれほど長くはない。その限られた時間をフィルムに特化してみる、デジタルに特化してみる、少数精鋭のカメラに特化してみるなどなど、楽しみ方はいろいろだけど、フィルムとデジタルの両方を楽しみ尽くしてみるというのもまた、ひとつの選択だと思う。いまはそれが謳歌できる幸福な時代なんだ。

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