八月最後の夜を、達郎のナンバーと。

この夏もいろいろあった割には、あっという間だったな。こどもの頃はあんなに永遠に思えた夏が、大人になるとこうも一瞬に感じるのはなぜなんだろうね。歳のせいか、仕事を持っているせいか、インターネットがあるせいか、とにかくマッハの速度で夏は駆け抜けていった。

プールのある夏、フィルムのある夏、そしてデジタルカメラを再び手にした夏。あ、愛犬もやってきた夏か。息子が親元を本格的に離れてキャンプに行った夏でもあるし、仕事もなかなかエキサイティングな夏だった。まあ、あっという間だったなと思える時間は、割といい時間を過ごしたという証なのかもしれない。

そんな夏もきょうで気分的には終わり。明日から九月、いよいよ秋がやってくる。秋を好むようになったのはカメラをやるようになってからかな。大地がポジフィルムのように鮮やかに色づく季節。ファインダーの中で見る秋は大袈裟ではなくかなりロマンチックだ。フィルムで、そしてデジタルでも、この秋を濃厚に堪能したいね。みたいなことを考えながら家路へ向かうバスの車内。夏に別れを告げるように達郎のナンバーを聴きながら。

カメラやレンズ、フィルムがどれだったかは、気にしなくなった。

カメラも、レンズも、フィルムも、それぞれのことには興味があるし、考えるのは楽しい。だけど、いざ現像があがった写真においては、それをどのカメラやレンズ、フィルムで撮ったかは近ごろあまり気にしない。それよりは、撮れた写真のじぶんなりの良し悪しだけしか気にしていないじぶんがいる。

本当は、できあがった写真とその時の撮影仕様を照らし合わせて、その後の撮影の学びや教訓にしないといけないんだろうけど、僕はそこまで深くは写真を分析はしない。もうほんとに、直感的にじぶんが好きかどうかしか見ていなかったりする。だからなかなか上達しないんだろうけど、それが僕の写真に向き合う本音のところ。この無頓着さは絶対プロには向いてないね笑。

カメラやレンズに詳しい人はほんと驚くほど詳しくて、僕なんかはそういう人の知識を見るに、ほんといつも凄いなあと感心してる。ボディやレンズ、画角、露出の数字、きっとメモしてるんだろうし、その仕上がり写真と照らし合わせてレンズの違いとかセッティングの微妙な差異を研究してるんだろうなと。僕はとてもそこまで細やかじゃないし、写真をまだまだ感覚的にしか見れていない。もう3年もカメラで撮り続けてるけど、そこのところはカメラを始めた当時と今を比べてもあまり意識は変わっていないから、きっと僕はこれからもこんな感覚的に写真を撮り続けていくんだろうなと。それがいいことなのか悪いことなのかは分からないけど、いちばんカメラたちと居心地のいい距離感で付き合っていきたいと思う。

RICOH GRで慣れ親しんだ28mmを、フィルム一眼レフでも。

週末撮ったフィルムの現像受取でキタムラに立ち寄った際に、ここのところ気になっていた画角28mmのMFレンズを購入した。28mmの世界は初めてではない。半年前にフィルムカメラを始めるまでは、約一年間ほどGRだけで写真を撮っていて、35mm換算で28mmのGRは嫌というほどスナップを撮りまくったおなじみの画角でもある。そんな慣れ親しんだ画角だから、フィルムカメラでもそろそろあの広角の目で撮ってみたいと心のどこかで思っていたのかもしれない。

購入したのはAi Nikkor 28mm/F2.8。Auto Nikkorの広角レンズと見比べてどちらにするか悩んだりもしたんだけど、最終的には僕の手持ちのNikon機すべてで使えるAi Nikkorにした。僕の所有するNikon機はNikon FE、Nikon F2、そしてデジタルのNikon D300の三台。Auto NikkorだとF2でしか使えないけど、Ai Nikkorならデジタル一眼レフであるD300でも使用できる。D300はAPS-Cなんで35mm換算だと42mm程度の画角になるが、それも含めておもしろい画角だなと思った。

28mmという画角は慣れるまでちょっと時間がかかる。少なくとも僕はそうで、GRで撮り始めた頃は正直苦手意識があった。とにかく思った以上に周囲のものが写り込むんだよね。標準レンズといわれる50mmに慣れていると、28mmは”広大”。それは同じく広角といわれる35mmの比じゃない。でも慣れてくると、これくらいスパンスパンとスナップが撮れる画角もないと思えてくる。それはたぶん、上下左右にいろんなものが写り込む分、そこにシーンというかストーリーを想起しやすいからじゃないかと思うんだけど、どうだろう。

フィルムを始めてからは、レンズは50mmと35mm、あとフィルムコンパクトの38mmで撮り続けてきた。そこからさらなる変化を楽しむとするなら、広角に行くか、望遠に行くかという選択肢があるけど、僕はまず広角に行ってみたいと思った。それはGRで見続けていた28mmの世界を懐かしむ感情もあるかもしれない。でもGRと一眼レフが決定的に違うのは”ファインダーの有無”。28mmの世界をファインダーを通して見てみたいという好奇心が、僕を突き動かした。この週末が楽しみになってきた。カメラの楽しみはやっぱり尽きないのである。

アナログでつくって、デジタルで届ける。

世はまさにデジタル時代だ。それは疑いようのない事実で、ありとあらゆるものがデジタル化されて、僕らの日常はたしかに20世紀には想像もしなかったほど便利になった。インターネットしかり、スマートフォンしかり、毎年進化する家電製品、AIを積んだ自動運転車しかり。それでも、それを使う僕ら生身の人間は変わらない。五感で感じ、意志で動き、疲れたり癒されたり、気分で元気になったりする。考えてみると、時代の大きな変わり目である今は、変えてはならないもの、変わらないものも少し鮮明に見えてくる。手段としてはデジタルは計り知れない威力を持っているし、この先の可能性の大きさもとんでもないものがあるけと、そのデジタルにのせるコト・モノは僕らの喜怒哀楽を揺らす限りなくアナログなものでこしらえる必要があり、それはほぼ永遠に変わらないであろうこともしっかり認識しておく必要がある。そんなことをふと思う朝。

全然買う気なくても、中古カメラ屋に寄るとソソられるよね。あぶないあぶない。

週末撮ったフィルムの現像出しで仕事帰りにキタムラに寄ったんだけど、まあやっぱりというか中古カメラコーナーものぞきたくなるんだよね。そして、まったく買う気はないんだけど、あのショーケースの中のボディやレンズを見てると無性に手に入れたくなる感覚は何なんだろうね笑、毎度お店をのぞくたびに理性を失いそうになるアノ感覚。中古のどうかしたら手に入る価格帯もいけないんだろうけど、それよりもなんというかクラシックなカメラやレンズたちは艶っぽいんだよなあ。色気があるというか。最新のカメラにも惹かれないことはないけど、あのクラシックなカメラたちの艶かしい感じを見ると、やっぱり古いモノたちに惹かれる。きょうはFM2の二台を眺めてた。あとF4、F5、F6、それと広角のAiレンズ、ツァイスイコンとかに目がいったかな。ライカは毎度で、M2とバルナックにきょうも釘付け。まあ、見てるぶんにはタダだから、大人の時間の過ごし方としては健全ではある笑。もうカメラは買い足さないと思ってるんだけど、中古カメラ屋に寄るのはやめられないな、やはり。現代が忘れた何かがあそこにはあるからね。

朝の光と、夕方の光。

いやあ、重たかった、朝の散歩カメラ。日曜日の朝、フィルムが残ったLeica M3とKonica C35をカメラバッグに入れて持ち出したんだけど、愛犬と一緒だとせいぜい一台を首からぶら下げて歩くのが精一杯だと痛感した。ジワジワと肩に食い込むカメラ二台分の重さは、軽快な散歩とはいかない。

それでもカメラを持ち出そうとするのは、朝の光で写真を撮りたいと思うから。僕がカメラを始めた時は、以前飼っていた愛犬と朝の散歩で持ち出すのが定番だった。Nikon D5300とNikon D750、初めて持つ一眼レフのファインダーを通した朝の光と影の作り出す世界はこんなにも美しいのかと魅せられたのが大きい。

その経験が、写真を撮るなら朝晩がいいと体に記憶されているようなところがある。何がいいのかな。やっぱり光と影が織りなす情景だとは思うんだけど、明確には言葉にならない。だけど、心静かに朝夕の自然の中でカメラを構えると、心情的にも解放される何がある。一眼レフであれば濃密なファインダーの中の世界、レンジファインダーであれば普通の静寂を切りとる世界、どちらもとてもそそられる。

そういえば、平日用でありロードバイク用であるKonica C35は日中の光で撮ることが多くて、朝夕に持ち出して撮ることは少ない。今朝は二枚だけ愛犬と枯葉を撮ってみたけど、どんな風に現像があがるだろう。カメラとの暮らしは終わりのない実験の連続。そこにみんな魅せられるんだろうな。

僕の中でフィルムカメラとデジタルカメラがリンクし始めた。

ふたつのブリッジになったのは「露出」と「フルマニュアル」。何を今さらと言われそうだけど、僕の中ではこの写真をやるならあたりまえのキーワードでもあるふたつの言葉を意識し始めたのは、半年前に始めたフィルムカメラから。それ以前も三年ほど前からデジタルカメラはやっていたんだけど、恥ずかしながらその時はこの「露出」と「フルマニュアル」という言葉を撮影する際に思い描いたことはほぼなかった。

初めてデジイチを手にした時は本なんかを読んで「絞り優先モード」がいいということだけは覚えて、そうかそれが玄人っぽいのかとか思って、ひたすらそれで撮ってたなあ。最初に明るい単焦点レンズを買ったから、ボケが楽しくて絞り解放でばかり撮ってた。そう、僕の中ではF値というのはボケの度合いというくらいにしか認識がなかった。ISO感度なんかもオートにしてたから、露出補正ダイヤルをちょこちょこ調整しながら撮れば、今の最新のカメラなら撮れちゃうんだよね、なんとなくよさげな写真が。あとはシーンモードとかプログラムモードもあるから、大抵の写真はスマホカメラ感覚で撮れてしまう。それがちょっと精度高く撮れる、そんなくらいにしかデジイチを使いきれていかなかった。

ところがこの春にひょんなことからフィルムカメラを手に入れて写真を撮り始めてみると、もうなんというか写真撮影の概念が根底から覆されたというか、「露出」と「フルマニュアル」というキーワードを通過せずには写真は撮れないということに人生で始めて直面した。絞りとシャッタースピードの組み合わせによって適正な露出を確保するってこういうことなのか!?とか、デジタルカメラってこんなにも機械がオートでやってくれていたのか!?ということがやっと分かるんだよね、フィルムカメラによって。それはもう、カメラともう一度始めて出会ったというくらい新鮮だったなあ。

そうやってカメラを操ること、写真を撮ることの根本的な仕組みが分かってくると、もう一度デジイチをやり直したい気持ちが出てくるんだ。フルマニュアルで露出をじぶんで決めながら撮ってみたいと。そうして、再び手に入れたデジイチでいままさに「露出」を体感露出で決めながら、「フルマニュアル」で絞りとシャッタースピードを調整してデジタル撮影を楽しんでいるところ。これがすごく学びになるし、なにより楽しい。デジタルならどれだけ失敗してもフィルム代や現像代はかからないから、それこそ大量に露出の試し撮りができる。僕の場合だと、ふだんフィルムは感度100が多いから100の時の体感露出は大体分かってきたんだけど、最近使い始めた感度400のフィルムの時はまだまだ体感露出の感覚が身についていない。だから、こうしてデジイチにMF単焦点レンズをつけて、感度400固定でフルマニュアルで露出を決めて撮ると、すごく勉強になる。その場で露出確認や写真の撮れ具合もすぐ確認できるからね。

感覚的には、フィルムを経て、もう一度デジタルをやり直したい、そんな気分。ひと昔前のデジイチからやり直して、本当の意味でステップアップしていけたらなと。ここのところフィルムカメラにずっぽりハマって、デジタルの方はあまり頭になかったんだけど、フィルムを経たことでデジタルがもう一度、カタチを変えて身近なものになった。フィルムとデジタルは別物といえばそうだけど、「露出」と「フルマニュアル」というブリッジがあれば、なんというか同じ写真の延長線上のなかで楽しむことができる、そんなことをいま感じ始めている。

ILFORD XP2の赤みを、iOSで簡単にグレースケール化してみた。

カラー現像機でOKなモノクロフィルムILFORD XP2 400だけど、純粋なモノクロフィルムと比べると赤みというか青みというか独特の色が出る。これはこれで味があるんだけど、ネットで調べてみると多くの人がLightroomでグレースケール化してるのを見て、そっか、それいいなと。でも面倒くさがりで普段からレタッチしない僕には少し面倒なことでもある。もっと手軽にグレースケール化してみたいなと思ってたところ、iOSの写真の編集で簡単にできることがわかり、やってみた。

上の写真がそのグレースケール化したもの。下の写真がキタムラで特に注文せずに現像データ化してもらったもの。本格的なレタッチソフトじゃないから細かな調整はできないけど、こうしてグレースケール化できるのは分かったから、これから使ってみようかなと。キタムラの店員さんにも以前、この赤みを消す方法を相談したことがあり、その時は普通に現像からデータ化をお願いするとカラーネガと同じように補正をかけるから、モノクロにするなら補正をかけないか、もしくは現像を出す時に店員にできるだけモノクロにしたい旨を伝えて試してみましょうか、とか話したんだけどね。

こうやってみると結構緻密に写ってるなとも思う。普段よく使う業務用100よりなんというかみっちり写り込んでる感覚。モノクロだからかな、そのへんは僕にはまだまだ写真を見る目がないからよく分からない。

ただ、僕の撮る写真程度ならこのiOSのグレースケール化で十分いけるなと。たしかキタムラでILFORD XP2は24枚撮りで700円台、36枚撮りで900円台だったから、安くはないけど他のプロ用フィルムと比べても高いわけじゃない。それでいて、いつものカラー現像機で一時間後には現像があがるのはやっぱりありがたい。

というわけで、しばらくXP2でフィルムでもモノクロ撮影を楽しんでみようかなと少しフィルムを買い貯めた。リクエストに応じてキタムラさんがXP2の取り扱いを復活してくれたしね。リクエストした一人としてはそれに応えたいところもある。そして、何よりモノクロが好きだしね。GRで撮ってる頃はもうほとんどモノクロ写真ばかりだったから。カメラやってるとほんとその時々でいろんな発見がある。レンズやボディの沼が深いんじゃなくて、写真の奥が深いんだよね。

使い続けると、この落ち着きのある撮影感覚がたまらなくなる。レンジファインダーという存在。

今朝はフィルム一眼レフを持ち出したんだけど、朝のどちらかといえば静かに撮り歩きたい時は、やっぱりレンジファインダーのほうが心穏やかになれて心地いいなと思った。僕は、だけどね。

一眼レフはその佇まいやシャッター音、ミラーショック、ブラックアウトなど、ひとつひとつのダイナミックともいえる操作感が「俺は今、撮ってる」という点でとても満たされるカメラ。僕のカメラライフの原点だから、それはそれで譲れない魅力があることには変わりないんだけど、カメラが主張し過ぎるんだろうね。いい意味でね。

それと比べると、レンジファインダーは主張しない。どちらかというと存在を消そうとするような要素ばかりだ。小ぶりなボディも、操作音も、シャッター音も、とにかく控えめだ。ファインダーの中の世界も、目の前にある普通の世界そのまま。現像した写真があがってくるまでは、その場の空気を特に劇的にするものはない。いい意味で脇役に徹してるように見える。これが、静かに写真を撮りたい僕には、性に合っているというのもあるかもしれない。

平凡な毎日に刺激を与えてくれるカメラとしては一眼レフはたまらない魅力があるけど、欲しいのは刺激だけじゃない。静寂であり、奥ゆかしさであり、余韻みたいなものにまず包まれていたいという、人間のベースにある欲求といえばいいだろうか。そういうものを満たす、もしくは埋めてくれる存在として、レンジファインダーはこの世に存在し続けているんだろうなと、ふと思った。一眼レフは好きだけど、最も心地いい存在としては、レンジファインダーに僕はたどり着いたようだ。

デジタル一眼レフに初めてMFのAiレンズをつけた日の記憶。

そういえば、フィルムを経て再び楽しむようになったデジタル一眼レフの写真もブログに残しておこうかなと。カメラはNikon D300、レンズはAi 50/f1.8、APS-C機だから35mm換算では75mmの中望遠となる。

なにはともあれ感想としては、楽しかった。一年以上ぶりのデジイチはフィルムカメラと比べるとすべてが複雑だと感じたりもしたけど、そのフィルムカメラで使っているAiレンズをこうしてデジイチにつける日が来るとは思っていなかったから、そういう意味でも感激した。

操作はすべてマニュアル。レンズもマニュアル、D300の撮影モードもマニュアル、これが楽しかったし、これがしたかった。以前、僕がデジタル一眼レフのフルサイズD750では一度もやったことがなかったフルマニュアル撮影、それが今回デジイチを買い直した大きな要因でもあった。

感度は100、200、400あたりでいろいろ試してみた。ホワイトバランスはオート、ピクチャーコントロールはスタンダード、とにかく盛らない写真が撮りたかった。自然体な写真が撮りたいと思うようになったのは、たぶん何も手を加えないフィルムカメラを経たおかげだと思う。

D300はもう一昔前のカメラだから画素数も1200ちょっとと今の高性能スマホカメラ並み、現代のカメラのように高感度でもないからISO1600くらいが常用の限界だと思うけど、それがD300を選んだ要因でもあった。フィルムカメラで撮るのとなるべく変わらない条件のカメラが欲しかったんだ。

画素数もISO感度も落としたくてカメラを選んだというのはちょっと変な嗜好かもしれないけど、フィルムライクに使いたかったんだ、再開するデジタルではね。所有しているMFレンズが使えて、感度はフィルム並みに最大1600程度までとして、画素数も写り過ぎない感覚を楽しみたい。それが僕の中のデジタルを再開した気分だ。

いつもフィルムで散歩カメラしている道でのフィルムとの撮り比べを意識して撮ってみたけど、まあそれでもデジタルはよく写るなあと感心したし、デジタルだとアンダー気味になる僕の性格というか嗜好もよくわかった。もちろんAFのズームレンズも存分に楽しみたいけど、フィルムカメラと共に味わうならこうしてマニュアル撮影の練習も兼ねて、フィルムライクなデジイチを楽しみたいかな。というわけで、久しぶりにデジイチの写真の記憶でした。