“待つ”って実は楽しいのかも。

“待つ”という行為はあまりポジティブには聞こえなくて、どこかフラストレーションのたまることだという認識があったけど、近ごろ少し違うように思う。

たとえばフィルムカメラで撮るとすぐには写真は見れず、現像があがるまで待つことになる。でも、この待ってる時間というのがなんともいえず、いい。あと、僕に関していえば、いまとあるカメラが修理から戻ってくることを待っている。これも、最初に修理期間が少し長引きそうと聞いた時は一瞬残念に思ったけど、こうして今も待ってるのがどこかワクワクして心地よい。

そういえば、ロードバイクが納車されるまでの間、二週間ほど待ってた時も異常にワクワクしたし、”待つ”という行為はそれだけワクワクが長く続くという意味ではかなりポジティブなことかもしれないと思ったり。まあ、待つのが心地いいのか、何かを手にするより手にするまでの期間が心地いいのかそれはわからないけど、何か”待たなければならない”事象があったとしても、それは今ならそれほど苦痛じゃなくて、むしろ楽しめる余裕があるじぶんに気づいている僕がいる。待ってるうちが華だよ、ということかな。些細なことかもしれないけど、フィルムとの出会いがそんなことも感じさせてくれている。

“チョートクカメラ日記”がジワジワくる。

僕のようなフィルムビギナーは誰かの写真道を手本というかモノサシにしたくなるわけだけど、僕の場合は田中長徳さんがソレということになる。そもそも初めて買ったカメラ本がチョートクさんの「カメラは知的な遊びである」と「カメラは詩的な遊びである」で、この本を読んでカメラとの向き合い方がずいぶん楽になったというか、肩の力を抜いてカメラと過ごすことを意識し始めたように思う。それから2〜3年ほど経ってライカを手に入れた僕は、ライカ本というかたちで再びチョートクさんの著書と再会する。”ライカ・ワークショップ”も”カメラはライカ”も”ライカはエライ”も実に痛快で楽しく読ませてもらった。そんなチョートクさんが地道にブログを更新されていることも知り、たまにのぞきに行っている。その名も読んで字のごとく「チョートクカメラ日記」。意外とこまめに更新されていることに軽く驚いたけど、読むたびに”あゝやっぱりチョートクさんのカメラへの向き合い方は、なんか潔いというか難しく考えないというか、いいなあ”と思う。世の中で言われるカメラの常識とか評判みたいなものには流されず、しっかりじぶんの目や手で感じたことを誰にも気兼ねせず書く感じは、嘘がない感じがプンプンして、あゝこの人の言うことは信じられる、みたいに僕なんかは思うわけである。カメラをやってると何かとその界隈の価値観みたいなものに流されがちになるけど、そんな時にチョートクさんのブログをみると冷静になれるというか、じぶんの本来の価値観やモノサシに素直になれる。過去記事をさかのぼって読めば、カメラ本以上に読み応えたっぷりだったりもする。ぜひ、おすすめです。

“ニコン愛”というのは上手く説明できないけど、あるんだ。

さっき赤城耕一さんのツイートで”ニコンに劇的大復活あるかも”という記事を見て、なんだか嬉しかったなあ。記事の中身までは僕の知識では深く理解はできないけど、こうして記事になるだけでも機運が感じられてワクワクするじぶんがいる。

僕の手元にはいま、Nikon、RICOH、Konica、Leicaという四つのブランドのカメラがあるけど、なんというかNikonは特別なんだ。初めて手に入れたカメラがNikon D5300というのもあるけど、以来複数台所有したカメラはNikonだけ。Nikon D5300、D750、Coolpix P340、P900、そしてフィルムカメラのFEが二台にF2、そして今意中のF3がキィートスからお店に帰ってくるのを待っている。僕はネットオークションで買う審美眼というかボディに手を入れる知識や腕がないのでオークション購入はしたことがなく見るだけなんだけど、いつもやっぱりNikon機ばかり見てる。何なんだろうなあ、このニコン愛みたいなものは。ふと、いつもそう思う。

理屈でいえば、ニコンのその道具感みたいなものが好きなわけだけど、理屈抜きでニコンが愛おしいと思うじぶんもいて、他のニコン好きの人なんかの愛しようを見ても、このニコンというブランドには特別な愛情を抱くファンが特に多いように思う(ペンタックスファンもそういうのを感じるかな)。そこに何か理由を見出そうとするなら、やっぱり実直で生真面目にカメラづくりに取り組んできた姿勢みたいなものにみんな心打たれてるということになるのかな。他のブランドだってみんな技術者たちは相当なカメラ愛なんだろうけど、その中でも特にニコンにはそういう香りがするように僕には見える。あの手から伝わってくる機械に込められた魂のような凄み、あれは僕の中ではニコンとライカに共通する何か特別なものなんだよな。がんばれニコン!僕らもがんばる!というのが密かに思う一ユーザーとしての思いなのである。

現像からあがってくる写真は、ちょっとしたビックリ箱だ。

iPhoneの写真フォルダを見るに、僕はざっと1500枚ほどフィルム写真を撮ってきたようだけど、まだまだ思った通りの写真があがるわけではなくて、毎回現像後に見る写真たちに軽い驚きがある。

それでもフィルムで撮り始めた頃よりは多少、撮る前に仕上がり写真のイメージを抱きながらシャッターを押すわけだけど、撮るものが違えば、撮る時間の天候や光の具合も違うし、何よりカメラやレンズを換えればそれはもう無限の組み合わせのように仕上がる写真のトーンも違う。僕程度のフィルムビギナーならそう簡単にはイメージ通りの写真はあがらない。

でも、それが楽しい。現像があがってくるまで少しドキドキし、現像からあがってきた写真に心の中で一喜一憂する。その場で撮った写真が確認できるデジタルカメラとは最も異なるプロセスだ。好きな写真もあれば、反省する写真もあるわけだけど、それらすべてが次の撮影の励みになる。もしくは新しいアプローチへの入り口になる。このフィルムを買ってから現像して、またフィルムを買うプロセスが僕にはいまだに新鮮でおもしろい。こんなハイテクの時代にアレだけど、フィルムで撮るプロセスは僕には生活の中に常にビックリ箱を持っているような出来事でもある。世の中は、答えを得ることがおもしろいんじゃなくて、問いが続くことこそがおもしろいんだ。

写真の好みが変わってゆくのは、フィルムで撮るようになったからかもしれない。

近ごろ、じぶんでも少し気がついてるんだけど、見ていていいなと思う写真の種類が変わってきたなと。具体的にどう変わったかを言葉にするのは難しいんだけど、いわゆる画像っぽいものはじぶんでも撮ることが減って、シーンを感じるようなものが撮りたいという意識があるし、他の人が撮ったものでもそう感じる写真に惹かれる。これは理屈ではなくて、じゃあ人が写り込んでいたら画像じゃなくてシーンなのかというとそうでもなくて、たとえ人が写り込んでいなくてもその場にリアルな空気をはらんでいるようなものが僕の中のシーンの印象。じぶんでもできればそういうシーンを写真で切り取りたいなと考えている。それはたぶんフィルムを始めたせいで、フィルムという写真の質感もそうだけど、寄れないレンズのせいでもあるし、フレームがアバウトなせいでもある。参考に見る写真関連の本もせいや、過去の写真家の撮ったものを眺める機会が増えたせいかもしれない。とにかく、フィルムを始めたその日から僕の中の写真観が変わり始めている。それはたぶん、いいこと。だって世の中はすべて大なり小なりのシーンがあちこちで起きることで形成されている。そんなことにふと目覚めるだけでもとても価値あることだと思うんだ。撮りたいもの、見たいものは、シーンだ。

フィルムを使い切らずに、それぞれのカメラに残し始めたから、今週の現像は24枚撮り1本に。

いつも週明けの月曜日に職場近くのカメラのキタムラに現像を出すんだけど、フィルムを始めて以来、フィルム1本だけというのは初めてじゃないかな。少なくても2本、大抵は5本、多い時は9本とか現像出ししていたから、僕の中では1本というのはかなり驚きの少なさ。というのも、これまではカメラに一旦フィルムを入れたら日曜日の夜までに撮りきっていたんだけど、撮りきるのをやめにして、撮りたいぶんだけ撮ったら残りのフィルムは無理せずそのままカメラの中に残しておくことにしたから。特に現像を急ぐ理由もないし、忘れた頃に少し前のフィルムを現像するのもまた楽しみかなと。近ごろはキタムラの店員さんもなんとなく顔なじみになってきたけど、いつもの店員さんだったら現像出しがたった1本で内心驚くかもな、とか考えたり。まあ、大好きな写真だから、無理のないじぶんのペースでいろいろ試してみようと思っている。そういえば、別の中古カメラ店からだけど、キィートスに送られたF3HPがいろいろあって7月中旬頃にお店に戻ってくるのでと連絡があった。さて、縁はあるだろうか。帰ってきたらのぞきに行ってみよう。

空シャッターで愛でるのもメンテナンスかなと。

日曜日も22:00になると寂しくなるね。この週末は雨模様だなんだで機械式シャッターの二台を連れ出さなかったから、寝る前にF2とM3を取り出して空シャッターを切っている。カメラは使ってあげることが最高のメンテナンスだと思ってるから。この二台は手に持つとずっしりくる。中身がいかにも機械で堅牢に作られている、そういう種類の重み。また一週間、フィルムを入れては持ち出せないけど、週末を楽しみに仕事を頑張る励みになる。このカメラたちの感触が手に残ってるうちに眠りにつこう。意外と高い確率でカメラの夢を見れたりするからね。

カメラはスポーツだったりする。

じぶんがカメラを持ち始めてからの行動や、他のカメラを持っている人たちの行動とかを見てると、カメラを持つことはスポーツだよなと思う。カメラを持つことで、外に出る機会が増え、あちこちに歩き、知らず知らずのうちに肉体をほどよく駆使して撮影枚数が増えていく。これは、スポーツだと。

僕の場合だと、散歩やRun、ロードバイクに乗る時なんかは常にカメラが一緒だけど、写真を撮りたいからついでに散歩やRun、ロードバイクで出かけているところもある。街撮りスナップなんかは、仕事の移動の合間なんかにも撮るし、待ち時間があれば少し遠回りして歩いて数枚撮ることもよくある。カメラが、外へ、好奇心の何処かへ連れてってくれるところがある。このほどよいカメラとの歩みが、ほどよくからだをスポーツしてくれる。

もちろん、外出先で出来事を写真に収めるということであればスマホカメラで十分なんだけど、スマホカメラで撮るために出かけるというのは僕にはあまりない。カメラがあるから出かけたくなる、そういうところがカメラを持つことの意味というか、大袈裟に言えば人生の分岐点のような気すらする。カメラに出会って僕の人生は確実に変化した。ただ、何気ない日常を撮るだけではあるけど、確実に僕の人生はシフトした。そして、それは僕の好きなスポーツライクな日常も少し濃くしてくれている。

ロードバイクを手に入れた理由は、一眼レフと遠出したかったからなんだ。

6月の終わり、雨あがりの日曜日、ずっと念願だったことがひとつ達成できた。それは、一眼レフを持ってロードバイクで出かけること。これまでもカメラは背負って走ってた。Nikon Coolpix P900で超望遠を楽しんだり、RICOH GRでモノクロショットを楽しんだり、最近はフィルムコンパクトのKonica C35を乗せてフィルム色スナップを楽しんだり。でも、一眼レフを乗せてロードへ出たことはこれまで一度もなかった。

そもそも、僕がロードバイクに乗ろうと思ったのは、一眼レフで遠出する足が欲しいと思ったから。だけど、実際にロードバイクに乗り始めるとロードはけっこう不安定でコケるリスクや雨に降られる危険性とかあって、当時所有していたNikon D750はとてもじゃないけど怖くて持ち出せなかった。だから、コンデジやフィルムコンパクト止まりだったんだよね、ロードバイクとカメラの組み合わせとしてはね。

でも、ロードバイクの操縦にもけっこう慣れたし、数台のフィルム一眼レフを所有するなかで、いちばんタフに使い倒しているNikon FEのブラックボディなら万一コケることがあってカメラにダメージを与えることがあったとしても、まあ許せるかなと思い、今日初めてロードバイクと一緒に一眼レフを持ち出してみたんだ。結果として、楽しかった!。背中のリュックに入れたFEは想像したより重く感じなかったし、ヘルメットを被ったままでもファインダーがのぞけたから、絞り優先で撮れば意外とサクサク撮れる。GRやC35は楽チンだけど、このFEも一眼レフを感じさせない楽チンさがやっぱりいいなと再確認した。

顔に汗が滴り落ちるような状態での一眼レフ撮影にはなるけど、ガシガシ使っているFEブラックなら気にならないし、なによりこうして酷使してあげる感じがこのブラックボディにはよく似合う。カメラは大事に使いたいけど、こうして雨や汗なんかを気にせずに使い倒せるカメラが一台あると、カメラライフの幅がすごくひろがっていいよね。もちろん、壊したくはないけど、壊れてもいいと思えるカメラを所有しておくのはけっこう大事だと感じた。今日は50mmをつけて持ち出したけど、こうなると24mmとか28mmが欲しくなるな。検討しよう。

フィルムで撮るのは最上の癒し。

午前中に撮ってきたフィルムを取り出しながら、あゝやっぱりフィルムの匂いっていいなとか再認識してる。フィルムのパトローネの形や手触りもいいし、フィルムを装填する儀式も実に手作業でいい。たしかに、じぶんの手でフィルムを詰めた手ごたえというのかな。あと、フィルムを巻き上げる感触も味があっていいなとあらためて思う。

そんなフィルムを詰めてかまえるフィルムカメラの感触もすごくいい。半世紀近く前の機械のフォルム、人間味のある手ざわり、そしてひとつひとつの撮影所作。僕がフィルムにこれほどまで惹かれるのは、フィルム写真の風合いだけじゃなく、こうした道具たちの有り様も含めてのすべてだ。デジタルのGRで撮るスナップだってもちろん気持ちいいわけだけど、このフィルムで撮る感触はデジタルにはやはり無いし、デジタル漬けの毎日にあって、こんなにもアナログな感触を感じられることは、僕にはちょっと他に思い当たらないような最上な癒しを感じる。

僕が出会い、感じた、このフィルムで撮ることのおもしろさや気持ちよさを一人でも多くの人に伝えられたらそれは素敵だな、とか思いながら今朝もこうしてブログを書いている。もっと若い頃に出会ってたらなとか思うところもあるけど、少なくとも知らないままの人生で終わらなくてよかったと感じている。それくらい、フィルムとフィルムカメラは僕の人生になくてはならないアイテムになった。