Netflixで観たテレビアニメ版もよかったな、「四月は君の嘘」。

以前ブログにも書いたことがあるんだけど、あまりマンガにはハマった記憶はない僕だけど唯一というか、大人になってハマったのが「かくかくしかじか」とこの「四月は君の嘘」。たしかまとめ記事かなにかで良質と書かれていて、Kindleで試しにとダウンロードして読んでみたんだけど、これが見事にハマって一気に大人買いして涙した。いやあ、いい歳したおじさんがどーかとも思うけど、とにかく理屈抜きに泣けた。以来、マンガのことを少し見直して、今ではたまに話題のマンガをチェックしたりしてたまにKindleで読んでいる。

で、数日前にたまたまNetflixをのぞいたら「四月は君の嘘」のテレビアニメ版がアップされていて、ちょっと懐かしく思って見始めてみた。心のどこかで原作にはさすがに敵わないだろうと思いながら。そしたらさ、想像を軽く裏切られてすごくよかった。そもそも、このストーリーはピアニストの話だからピアノの音色が流れるというのは想像以上に臨場感が増す。あと、このマンガのキーワードに「カラフル」という言葉があるんだけど、これもカラーのアニメだとより表現がそれを表しやすくなる。そして挿入歌やBGMが抑揚を奏でる。一気に最終回まで没頭した。そしてまた何度も涙した。おじさんは涙腺も脆いのである。

うちの息子は最近になってピアノはやめてしまったけど、ピアノが弾けるというのは僕みたいに縁のなかったにんげんには憧れでね。あの端正な世界にはどこか心惹かれるものがある。ただし、僕らが想像するのはコンクールの華やかな表舞台や、生ライブなんかで見るいかにも艶やかな世界。だけど、本当の芸術性はそのバックボーンというか日頃のストイックなピアニストたちの日常にあるんだろうなと。そして、ピアニストはある日突然はできあがらない。つまり、ほとんどの優れたピアニストたちは幼少の頃からそのストイックな生活をじぶんに強いてきたということ。そういうところに僕はまた心打たれた。

あらすじはここでは触れない。少し興味がわいたひとはぜひNetflixで没頭してその世界に浸りきってみてほしい。それが月額1,000円で観られるなら、こんな安いものはない。いや本当に、世の中の値段の有り様がおかしいんじゃないかというくらい、千円札一枚で素晴らしい体験ができるから。マンガの原作本もまたいい。Netflixの動画はいつか無くなるかもしれないけど、僕のKindleには永遠にこの原作本は残るから、たぶんまた数年後にきっと読むと思う。なんというか、心が乾いた時に、なんか青臭くてもいいからキュンとしたい時にまた読むと思う。表現の世界というのはやっぱりいいよね。それは、音楽でも、写真でも、絵画でも、そしてこのマンガやアニメでも。表現者とはやっぱり素敵なのである。

四季のある国のカメラっ子たちは4倍幸福だ。

根拠はない笑。でも、Instagramなんか見てると、これだけ四季を感じさせる写真がポストされまくっているのは日本がいちばんなんじゃないかと思う。春色、夏色、秋色、冬色。そして正確にはそのそれぞれの間に繊細なグラデーションのような季節の色が混ざり合う。たぶん海外の人たちは日本を色の美しい国と認識してるんじゃないかな。僕らからするとロンドンの湿りっけのある色とか、アメリカ南部の乾いた空気の色、北欧の透明感のある色とかに憧れるけど、こうして四季折々の写真が楽しめるのは意外と日本に住む僕らの特権かもしれない。なかでも夏色はノスタルジーを感じさせて僕のような歳になるとキュンとする。扇風機、蚊取り線香、畳に、ラムネ、みたいなね。あー、フィルムカメラを持って昭和の夏に行ってみたいね。

海を泳ぐ鯉のぼりとKonica C35。

今年のゴールデンウィークは例年になく晴れ模様で、なんだかいい夏がやってきそうなイメージがある。Twitterのタイムラインに鯉のぼりの写真がぼちぼちポストされ始めたから、僕も海を泳ぐ鯉のぼりたちの写真を載せようかなっと。この海は福岡の百道浜の海岸。すぐ隣には福岡ソフトバンクホークスの本拠地、ヤフオク!ドームや福岡タワーがあって、近頃は外国人観光客もほんと多い。福岡の街中からすぐだからバスに乗ってすぐに立ち寄れるのもいい、ほんと福岡っ子たちの憩いの場。反対側には能古島も見えて、心が少し曇りがちの時はここに来ると気持ちがすきっとする。

少し前のブログに書いたけど、子どもの頃からカナヅチだった僕はどこか海が苦手でいたんだけど、昨年末に泳げるようになってからは、海がとても身近に感じるようになった。今年の海は息子たちと海水浴に行くんだ、そしてフィルムカメラで海と暮らす人々と街、そして息子たちを撮るんだと少し張り切っている昭和男がいる笑。潮風とレトロなカメラの相性がいいのかどうかは少し不安だけど、いっそ海専用で壊れても平気なフィルムコンパクトを夏に向けて手に入れようかなとも密かに考えている父である。あ、ぴーかんの空なら写ルンですでもいいね。いや、それがいいかも。なんにしても楽しみな2017年夏である☺︎。

任天堂Switchの「ゼルダの伝説」は大人にも楽しいかも。

そういえば先日、息子と任天堂Switchのソフト「ゼルダの伝説」を買いに行って、一度試しに息子と遊んでみたんだけど、あれはけっこう楽しいかもね。僕はあまりゲームはしないんだけど、ゼルダの伝説はまずグラフィックが美しい。そして舞台は美しい自然の荒野。そこを一人の少年になりきって伝説を解き明かしながら旅をしていくようなストーリーなんだけど、この設定が僕でも感情移入しやすいと思った。いわゆるロールプレイングゲームだと思うけど、ここまで作りが凛としてると、大人でも十分ハマるなあと。誰かと競い合うというより基本は一人でやるゲームだから、大人数でワイワイガヤガヤやるものじゃないけど、そこが僕にはいい。ただ、息子と一緒にやると、僕がやってる横であーでもないこーでもないと息子が余計な?アドバイスをしてくるのがたまにキズなんだけど笑。これは日本の人が作ったソフトなんだろうけど、日本人ってやっぱり繊細というか、こういうゲームの世界の造り込み方もクオリティが物凄く緻密で高いよね。それはカメラづくりなんかにも合い通じる。こうしたプロダクトの傑作たちを身近に扱えるのはやっぱり幸福なことなんだろう。ゴールデンウィーク中はしばらく息子と一緒に、このゼルダの伝説の世界を探求してみようと思う。

休みの日は静かな場所へ。

早朝の静まりかえった部屋でロードバイクを眺めている。このゴールデンウィーク中もこいつと出かけるシーンが多いと思う。僕がロードバイクを愛するのは、その乗り味の楽しさもあるけど、こいつに乗れば少しの遠出でかなり静かな場所へ行けるからだ。車では入り込めないような場所、徒歩ではたどり着けないような絶妙な静かな場所に行くことができる。ヘッドホンもせずに、自然の音だけにからだを預けられるような場所。そういうところにロードバイクを停めてしばらくボーッと景色を眺めたり、軽い考え事をしたり、こうして写真を撮ったりすると、平日の騒々しさをちょっと中和することができる。僕の逃げ場みたいなものかな、いい意味での。

さて、今年も少し遅い「おとなの春休み」へ。

長いような短いような一週間も金曜日の夜になり、いよいよ明日からゴールデンウィークだ。僕は毎年「おとなの春休み」と位置付けている。桜の咲く頃に春休みだった息子たちの春休みから遅れること一ヶ月、おとなにだって春休みがあっていいじゃないかという思いから、そう呼んでいる。

わが家は毎年ゴールデンウィーク最中はあちこちの行楽地へ出かけるようなことはしない。どこへ行くにも交通機関は大混雑で疲れるし、とにかくゆっくりできない。だからゴールデンウィークは出かけても近場で朝晩に移動し、日中はゆっくり過ごすようにしている。だから、本当に春の休みなのである。

今年の暦は土日を休んだら週明け二日間は仕事だけど、それでもトータルすればかなりまとまった休みを取ることができる。まあ、あいかわらず僕はというと散歩カメラにロードバイク、あとは息子とポタリングに任天堂Switchの”ゼルダの伝説”をやることが予想されるけど、それが結局いちばん僕らしい、家族らしい時間を過ごせそうな気がしている。

カメラに関していうと、ゴールデンウィーク用に業務用100を30本買いだめしておいた。現像代のことを考えると軽いめまいがするけど、フィルムを始めて初めてのまとまった休みだし、たぶん撮りまくるであろうじぶんの性格を考えると、まあこれがレジャー代ということでしょうがないだろう。家族サービスとしてはフィルムで息子や妻の写真を撮ってあげられたらいいかなと。二人は撮られることを特に望んではいないのだけど笑。みんなもいい休みになればいいね、おとなの春休み。

コツコツと新しいこと。

さてゴールデンウィーク突入前の金曜日。気持ちがハヤルよね。言うなれば少し遅れた「おとなの春休み」。少しまとまった時間がとれるこの数日間にどんなコトをやってみようかと。ダイナミックなことじゃなくてもいいから、今日のじぶんより少し新しいことをひとつひとつコツコツと。そうやって日々のリズムに弾みが生まれたり、ちょっぴり人生の軌道が変わる。

まるで何十年も使い続けているかのように手に馴染む不思議なカメラ、ライカ。

夜も更けようとするこの時間、またひとつのカメラをケースから出して、その手触りを確かめている。1955年製のライカM3。これまで合計して8台のカメラを所有してきたけど、こうして夜にカメラに触れることだけを楽しむほどのカメラはライカだけだ。このライカが我が家に来たのはつい最近のことだ。まだ使いこなせてもいない新参者のカメラだけど、その手触り、フィルムを巻き上げる音と感触、躾けられたようなシャッター音は、まるで何十年も前から僕が使い続けてきたような感覚に陥る。そんな不思議な魔力のようなものがこのカメラにはある。やれ、オーバークオリティな工芸品のような精密機械とか、そこから生み出される写真は素晴らしいとかカメラの頂点のようにとかく言われるけど、僕が所有してみて思うのは、この所有した瞬間から何十年もの間使い続けていたかのような恐ろしいほど手に馴染む感覚なんじゃないかと思う。何なんだろうな、上手い言葉が見つからないけど、それこそが多くの人を魅了するこのカメラの何かなんだろう。今のところ僕がこのカメラを外に持ち出せるのは週末だけだ。でも、撮る道具としてだけでは我慢できず、こうして週末以外の日も部屋で一緒に時を過ごす。たぶん、このカメラは死ぬまで一緒にいるんだろうと思い、手放すことは考えず傷が入っても構わないと、皮のケースなんかも付けるのは止めにした。そうしてすでにでき始めた細かな傷さえもライトの下では愛おしく感じる。週末まであと一日、今か今かと指折り数えながら土曜日の朝を待っている。今夜も数回、空シャッターを切りながら。

色だけでも記憶しておきたいと思える季節。

何か形を撮ろうということではなく、直感的に「その目の前の色を撮りたい」と思うことがある。それが、ちょうど今の時期の生命力あふれる初夏の色だ。秋もまた見とれるほど美しいけど、心が踊るような目の奪われ方をするのは、やっぱり新緑がまぶしいこの季節ならではのものだろう。

僕にとっては、この季節の色に魅せられるもうひとつの理由がある。それは、カラーフィルムで撮り始めたから、ということ。新年からしばらくRICOH GRでモノクロの写真ばかりを撮ってきた。それが、ある日フィルムに惹かれ、今は練習も兼ねてFUJI FILM業務用100というカラーフィルムで辺りを取り続けていて、この春はまさにカラーで大地や街をファインダー越しに見続けている。そうすると、あらためてこの星の光と影、そして四季のゆらぎが創り出す色とはたまらなく美しいなと感じるのである。もちろん、ファインダー越しではなくても人々はこの季節の美しさに心踊り、街のあちこちに躍動感のある空気をもたらす。でも、ファインダー越しの世界はさらにその美しさを増幅させる何かがある。

写真は目の前の出来事を残したくて撮る。それは人であり、その時期ならではの花であり、祭りであり、事件であるかもしれないけど、「色」もまた主役になるにふさわしい、思わず写真に残したい出来事のひとつなんじゃないかと思う。この写真を撮った日のことを思い出すと、ふと頭上を見上げた時に、この木を撮りたいというのではなくて、この色を残しておきたいと思ったことを鮮明に覚えている。風景写真でもない、スナップでもない、僕の中では「色の写真」というジャンルなのである。

Tシャツの季節がやって来る。Tシャツは自由の象徴なんだよな。

空気も日差しも完全に夏に向かってる。ついこの前まで凍えるような寒さだったのにね。ロードバイクに乗ったり、泳ぎに行ったり、カメラを持ち出したり、夏は活動的なじぶんが目を覚まして楽しいわけだけど、僕がうれしいのは「Tシャツの季節」だということ。学生の頃はアメカジブームだったこともあり、とにかく来る日も来る日もTシャツ。少し寒いシーズンでもインナーはTシャツでその上にザクッとMA-1やL2-Bを着てた。勉強はめっぽう嫌いだったけど笑、やっぱりあの頃は妙にエネルギーがあった。今でこそじぶんの裁量でカメラを買ったり本を買ったり趣味に使うお金に困らない程度にはなったけど、当時はほんとお金は無かった。でも、自由はあった。その象徴が僕にはTシャツなんだよね。

仲間と夜更かしして、なんの話をするわけでもないけど夜通し店で見通しの甘い夢なんか語り合って笑、気がついたら勉強そっちのけで思い出作りに奔走して、まあ青かったけどはちゃめちゃに楽しいひとときだった。その鮮烈な記憶が夏であり、そのどれものシーンにTシャツがらいたんだよな。だから、Tシャツを着るとなんか自由をまとう気がしていい。少しくたびれた当時のようなTシャツならなおいい。501にスタンスミス、それが楽チンだし、妙にやんちゃ基盤が戻って来る。あとは小銭と数枚の千円札を裸で前ポケットにつっこんで、首からカメラをぶら下げて夏の海とか行ってみたいな。ノスタルジックに浸るのはなんか恥ずかしく思う年代もあったけど、今はなんか一周したというか、ノスタルジックをすごく素直に楽しめるような歳になった。フィルムカメラを持つようになったのもそういう影響があるのかな。はやく来い、Tシャツの季節。