日々、失敗して、また再起動する。

Ricoh GR

今日また失敗する。多かれ少なかれその連続なんだけど、まあそれでもまた懲りずに挑戦する。できれば今回よりもう少しだけ強くなることをイメージして。その繰り返し。弱いじぶんを悟りつつ、でも可能性みたいなものもどこか見出しつつもあり。再起動。人生こそPDCAだな。

あー、息が切れるほど乗り倒したい。

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週の真ん中、水曜日の夕刻。適度にうなだれる時間で、こういう時は無性にロードバイクで駆けぬけたくなる。夏場なら早起きすれば出勤前にひとっ走りも可能だけど、さすがに12月も目前になると朝夕は陽が短くてなかなか平日に激走するのはむずかしい。

ロードバイクと出会ってからは、遠出をする時間と体を鍛える時間が両立できていて、とても気持ちいい。ロードを走っていると道行く車にも目が行くんだけど、車の遠出もたしかに楽しいのだけど、よほどのレーシーな乗り方でない以上はドライビングで体をスポーツさせるのはむずかしい。幌を開けて気持ちよく走るオープンカーに”お、いいね”と思うこともあるけど、どうせ遠出するならその分肉体もスポーツできるロードバイクは実に有意義な乗り物だよなと最近つくづく思う。

僕のロードバイクはエンデュランスロードといって多少の悪路なら気にせず分入って走れるタイプ。それが僕には性に合っていて、平坦なアスファルトを滑るように走るのも気持ちがいいけど、砂利や段差を避けたり小刻みに悪路をコントロールしながら走るのが気分を発散させるうえではさらに気持ちいい。完成車についてたいわゆる鉄下駄と言われるホイールを軽いものに変更したいなとネットであれこれ眺めてもいたのだけど、悪路を気にせず楽しむなら当面この鉄下駄ホイールでガシガシと走り倒してもいいなと最近思ったりもしている。

あまりにロードバイクにハマりすぎていて、近ごろGRで写真を撮って帰るのを忘れるこもあるのだけど笑、まあそれもまた夢中になっていることとしてよいかなとも。日々それなりに忙しく複雑な仕事の毎日でもあったりするわけだけど、こうして夢中になれる趣味があれば適度に脳と体のバランスをとることができる。この先、僕の趣味がどんな風に変化していくかは分からないけど、今はただただじぶんの興味に素直になって、今しか味わえない時間を楽しみ尽くしたいと考えている。本能に身を任せて。

過去とか今とかいじるの好きな人は要注意だってこと。

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いやもうほんとに時はものすごいスピードで動いていて、しかも生態系がどんどん変化するような変わり様なのに、現状とか過去を探りましょうと同じようなところをグルグル回りながらさして発見もないのだけど、そのグルグルしていたプロセスに何かやった感みたいなのを見出すのはほんと迷惑だし何も明日を創造しない。でもそういうこれまでの経験値で語れる過去の分析ごっこみたいなのは、古い人たちには居心地のいい仕事なんだろうな。やれやれ。今夜は愚痴だ。まあたまには毒も吐かないとやってられない。悪い手本はスルーするのみだ。

できればアスリート的生活がいい。

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まあプロのアスリートではないし、プロ並みのアマチュアアスリートでもないのだけど、どこかアスリート思考でありたいというのはある。僕の場合だとRunやロードバイク。どちらも、家の前の道にさえ出れば始められるし、逆にいつでも走るのを止めることもできる。走るのも止めるのも、すべてはじぶん次第だ。そして、走ることが日常においてある程度重要な要素になると、食事や睡眠のとり方なんかも意識し始める。別にタイムを1秒縮めるような過酷な世界にいるわけじゃないけど、常にじぶんの肉体と向き合う何かがそこにはある。アスリート”的”生活とはそういうことだ。

できれば毎朝、早朝のロードを30分程度でも走ってから仕事に行きたいのだけど、僕が目覚める時間は暗すぎてロードバイクを走らせるには怖い。まあRunかWalkが無難なんだろうけど、本当はロードバイクで走りたい。そこには遊び心のようなものがあるから。アスリート”的”とはそういうことでもある。

GRと朝陽をあびて、頭とからだを再生する。

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やっと週末がやってきた、今週はそんな感じ。夜の飲み会が続いたせいか、少々疲れがたまり、土曜日の今朝はなかなか目も覚めず遅くまで布団の中にいた。ロードバイクで駆けぬけたいと思ったけど、その前になんとなくGRを持ってひなたぼっこにでる。自然とからだが朝の太陽光線を求めた。

朝陽はやっぱい気持ちいい。何かいろんな凝り固まったモノが溶け出すような心地よさがある。静けさもいい。平日の喧騒から脱出して、シンプルな週末の朝を迎えられるとそれだけでじぶんが再生されてゆく気がする。いま、ベンチに腰掛けてこのブログを書いているのだけど、ブログを書いたり過去のブログを眺めたりすると、脳も浄化されてゆく。

GRとの出会い、ブログとの出会い、ロードバイクとの出会い。僕の週末はまったく華やかさはないけれど、じぶんを再生してまた平日を走りきるという意味では、このシンプルな時間がとてもとても重要で代わりのきかない時間である。

魅せるってたいせつ。

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飾らない素顔な感じが共感される世の中のような気はするけど、そこに少しだけ”よりよく見せたい”という心がそえられるかどうかはすごくたいせつな気がしている。仕事における書類も、服装における小物も、愛用するプロダクトも、そして仕草や歩き方も。日本の美意識的にいえば品というのかな。無くても決定的に困るわけでは無く物事は進んでいくのだけど、進むことが目的じゃなくて何かしらじぶんや相手の体温をポッと上げるのであれば、そこに魅せるという意識をのせる、そえる。なかなか言葉で言うほど易しくはないのだけど、すべてはそういうところで決まっていくと思っている。さて、金曜日だ。

冬が来るよ。あったかくしよう、色々。

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一気に寒くなってきたね。でも風の冷たさとは逆に、正月へ向けて心はあったかくなってく気がしている。クリスマスとか忘年会とか帰郷とか、人が交わる季節になるからかな。僕にはそういう季節感の印象がある。本当の冬はまだまだ先の2月くらい。それまでは凍えるんじゃなくてあっため合う季節をたのしもう。

まずやってみる。話はそれから。

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冷静に考えると、世の中圧倒的にやったことないことばかりで、その意味ではほぼ出会うモノ・コトは初めての素人ということになるんだけど、にんげんある程度年をとってくるとそれまでの経験値みたいなもので良し悪しとか難解さを判断してしまう。僕も例に漏れず気を抜くとそういう知ったかぶりや安易なジャッジをしてしまう面があって、日々はたと気がついてニュートラルに判断しようと軌道修正する。でも、ちょっと億劫だよなとか知ったつもりになって経験していなかったことも気を取り直して挑戦してみると、意外とそれほど難解でもなく、あたりまえだけど続けているとコツとか奥深さなんかもわかって、もう最初の頃のように億劫さを感じていないじぶんを発見したりする。何でもやる前から判断するんじゃなくて、まずやってみるこどだなと再確認していたりする。

そういえば、今朝Instagramにこの記事の写真をなにげにポストしたんだけど、じぶんでは特別いいなと思っていなかった写真が過去いちばんのいいねをもらっていたりして、その要因は不明なんだけど、軽く驚いている。たまたまの偶然なのか、それともいつも投稿する写真より明らかに良い点があったのか、それは定かじゃないけど、何かいつもと違う印象が作用したんだろうから、それは何なんだろうと後から考えたりしている。これも、やってみてから考えるってことのひとつなのかな。じぶんのモノサシとはそれくらいあやふやなものでもあるから、やる前からあれこれ考えるくらいなら、まずやってみる。話はそれから、ということだね、きっと。

本はいいね、生きてる気がする。「クリエイティブのつかいかた」をKindleにて。

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週の真ん中の祝日はいいね、中押しのインプットができる。僕の場合は朝、ロードバイクで軽くトレーニングをしてから、読みかけの本を開いた。「クリエイティブのつくりかた」という本。広告の仕事をしてきたからこうした作り手のひとたちの言葉が載った本は意識して読んでいる。読むたびに初心や原点にかえる感じがあって、生きてゆくうえでのチューニングになる。この本、いま各分野でクリエイティビティを発揮して活躍している人たちの言葉がいろいろと散りばめられている。だからと言ってクリエイティブな仕事をしているひとのためだけの本かというと、そんなことはない。僕らは何をするにしてもひとの心を動かさないと前に進まない世界に生きている。その意味ではそれぞれ世界は違ってもみんないろんな心を動かす発想や仕事が回転することで、この世は回っているみたいなことを感じることもできる。インターネットをひらけば無料の情報コンテンツがあふれている現代だけど、やっぱり本はいい。静かな部屋で人の生きざまが綴られた活字を追いかけていると、この時代を生きていることを感じる。僕はやっぱり言葉が好きだな。

“希望”に敵うクスリはない。

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今日もいくつかの出来事があったわけだけど、どれもに共通する解決策が必要だと感じた、いや鮮明になったということか。それは”希望”がいるということ。こういうと身もふたもないというか、すごくあたりまえに聞こえてしまうかもしれないけど、ひとは意外と問題にぶち当たると理屈的な解決策を見出そうとする。算数ならそれで正解かもしれないんだけど、僕らは心という少々つかみどころのないものをはらんだ生き物で、理屈めいた解答が必ずしもハッピーを生むものでもない。だから、希望。たとえ数式的に百点満点じゃないとしても、じぶんや相手の心に希望が灯る答えがいい。というか、それしか本当の意味での前進を生まない気がする。そして、できれば”希望”を与えてもらう側より、”希望”を与える側のほうが気持ちいい。難しいことだけど、それが今日の僕の中の”希望”だ。