SNSしている暇がない。幸福なこと。

RICOH GR

忙しさと体調の悪さが重なって、しかも月末とあって、朝からSNSを見てる暇もなくあっという間に金曜の夜に。

まあ忙しいのはこの時代にあって幸福なことで、しかも僕らはわりと好きなことを仕事にできているほうだと思うし、忙しくてなんぼみたいなとこあるから、忙しさは友達みたいなとこある。平日はね。

そういえばYahoo!が週休3日をとりいれると記事が出ていたけど、実に素晴らしい。そういう休みがあるとね、そこへ向かってひとはふだんの仕事に集中するよね。ぜひアグレッシブなモデルになってほしいと思う。まあつまり、人は集中している時が美しい。

僕という人間もMADE IN JAPANだ。

Ricoh GR

色も形も雰囲気もやっぱりいいよね、朝の築地は。なんというか僕の中の日本心が目を覚ますというか、DNAが反応する感じ。いつもはこういう光景はモノクロで撮ることが多いけど、今朝はカラーで日本を撮りたくなった。単にノスタルジックじゃない日本の今の姿として記憶したかったのかな。

若い頃はアメカジかぶれで、歳をとってからはヨーロッパにやられている人生だけど、こうして市場街みたいな情景にからだが反応するのは、やっぱり僕自身がMADE IN JAPANなんだろうね。そして、そういう絶妙の美意識というか感覚がこのRICOH GRというカメラも生み出している。フィットするのは偶然じゃないよね。

宇多田ヒカルさんのPV、指でフリックするとクルクルと360°回転するよ☺︎

◆YouTubeに飛んで見ないと、動かないね。こちらへ。 https://youtu.be/eMPSWiEdC8k

360°カメラはRICOHなんかからも出ていて気になっていたんだけど、ヒッキーがさっそく試してくれた。SmartNewsでは縦型動画も試したりと、やっぱり宇多田ヒカルというアーティストはWebとの親和性が高い人だし、まず誰よりも先に取り入れてみるというスタイルが僕は好きだなあ。UstのLiveも誰よりも先に取り入れて、当時はそれはそれは衝撃的だった。

そして、この360°動画、指でフリックしても動かせるけど、スマホの人はスマホを傾けるだけでもぐるりと360°見渡せるからぜひお試しを。

それにしてもジャケットもモノクロだったけど、今度のアルバムのプロモーションはこのPVもモノクロで表現されていて、なんかいいよね。お母さんへのオマージュというか、日本語の歌を愛する再確認みたいな意思を僕は感じる。彼女のLive映像もそう思ったけど、宇多田ヒカルというアーティストの歌は、映像とかぶせて聴くのがとても気持ちいい。そういう意味でもこの人はザ・アーティストなんだよな。

「眠る。 #アンプラアート 」について。

Ricoh GR

よくわからないけどやってしまってることってあるよね。僕の場合は眠りにつく前にツイートする、この「眠る #アンプラアート 」というタグと写真の投稿。RICOH GRで調子に乗ってる時はもうほんとヒュンヒュン写真を量産してるんだけど、それだけたくさん撮ると、後から見返した時にじぶんでも”ん?”とか”おや?”という写真が一、二枚ある。じぶんでも無意識に撮った、じぶんのなかでちょっと違和感のある写真を一枚だけピックアップして、こういうのが #アンプラアート なんじゃないかな、とか解釈してツイートしてる。

ブログにアップした写真なんかより全然リツイートされて、じぶんでも少し驚くことがあるんだけど、つまりはみんな、想定外の写真のほうがやっぱり好きなんだろうなと。この人のことだからこんな写真がタイムラインにまた流れてくるんだろうなと思ってるところに、ちょっとそれを裏切る種類の写真が流れてくる新鮮さというか意外性というか、人はみんな驚きたいんだよね。日々驚きたくて生きている。

と、そんな説明をしすぎることすらも野暮な気がするから、この写真のことは多くは語らず寝よう。というわけで、今夜も「眠る。 #アンプラアート 」でおやすみなさい。

雨のち艶、GR。

雨があがったからランニングウェアに着替えてRun&Walkに出る。この街はどこかGRが似合う街で、年に何度かやってくる。皇居から銀座、築地、勝どきを抜けて晴海へ。このラインは昔からちょっと思い入れのあるラインで、僕のノスタルジックな思いがGRを喜ばせるのかもしれない。

雨上がりの築地は特に艶っぽくていい。この街から市場街がなくなるのが未だにイメージがわかなくて、ノスタルジーなことだけでいえばこのままの姿で22世紀あたりまで残せればと思うけど、都内の一等地だから進化する首都の姿にやがてのみ込まれるんだろうな。

しばらく艶っぽい街をクールダウンして歩く。いつもよりシャッターを押す回数が増える。GRと撮った写真たちはInstagramの記憶カメラへ。さて、今夜はぐっすり眠れそうだ。

カメラを持つことは、地球を観察することでもある。

Ricoh GR

カメラを持つ、もしくはカメラを持ち歩くということは少し辺りを気をつけて歩くことになる。深層心理の中で常に被写体を探し続けながら歩いているような。そんな常に何撮ろうを思って歩いてるのって精神的に余裕がなくてキツくないか、みたいな考え方もあるかもしれないけど、これは実に脳や視点にいいことだと考えている。

たぶん、カメラをやってる人は少なからずそうだと思うけど、カメラを持つ前は素通りしていたような場所で今はけっこう写真を撮ったりしてると思う。立ち止まったり、引き返したり、しゃがんでみたり、ファインダーで画角を確かめたり。その度に、これまで素通りしていた場所を少なからず凝視したり、その場の空気みたいなものを確かめたりしている。

廃れた看板だったり、錆びた排水管だったり、先の見えない曲がり角だったり、道の脇にひっそりのびる雑草だったり。写真を撮り始めると太陽の光の当たり方も気にし始めるから、時間によっても光の当たり方が違ったりして、いろんな表情を確認することができる。こんなこと、カメラを持っていなければ道端で少々おかしな行動に見えるかもしれないけど、カメラを首からぶら下げておけば通行人の人たちも”あ、何か撮りたいものがあるんだな”と割と放っておいてくれる。そういう意味では、カメラを持つとこの地球の片隅をいろいろつぶさに確認できるんだよね。要所要所で立ち止まりながらね。

僕とカメラの関係はそんな感じ。モデルさんを撮るわけでもないし、死ぬまでに一度は行きたいような絶景を撮るわけでもない。写真は、僕がふだんを生きている、僕の記憶のようなもの。そうすると、写真そのものも大切だけど、カメラと一緒に人生を立ち止まる瞬間や、地球の片隅に目をやる気持ちみたいなものが大切だったりする。そういう呼吸みたいなものを僕はRICOH GRと楽しみたいと考えている。

出張先にはランニングウェアとシューズ、GRを必ず連れてゆく。

Ricoh GR

Runを始めてもう7年くらいになる。以来、出張先には必ずランニングウェアとシューズを持ち込んで、泊まる夜か早朝の街を走る。そうすると、初めての土地でもなんとなく地形のあり方や街の空気がつかめる。これはほんと不思議とよくわかるんで、ランナー以外の人にも出張の時はおすすめです。

僕がRunを始めたのはタイミング的には単身赴任で転勤をした時から。独り身だから病気はできないし、野菜を食べることと運動を欠かさないことを自分に課した。でも、早朝に知らない土地を走る習慣は仕事でロンドンに滞在した時に同僚が実践しているのを見ていいなと思ってから。その時はいきなり走るのは無理だったから散歩してみたんだけど、たしかに早朝の街を歩くとその街の地形とか空気がすごくつかめる。あ、これはいいなと思い、それ以来は出張先に必ずランニングできる道具たちを連れて行くようになった。

今はさらにGRも連れて。Runの時も音楽とGRがあればさらに新しい街が新鮮に見える。忙しい毎日の中にも早朝なら時間を見つけられるから、出張の予定がある時はぜひ一度お試しを。

スーツは黒か濃紺、シャツは白、と決めている。

RICOH GR

もう何年もこのスタイルである。スーツは黒か濃紺でJ.PRESSかBEAMS、シャツにいたってはJ.PRESSの白ばかりでレギュラーカラーとボタンダウンを10着ほど。J.PRESSはスーツもシャツも行きつけのお店で採寸してあるから生地を選ぶだけですぐ買える。つまり楽なのである。

黒か濃紺のスーツに白いシャツならビジネスから冠婚葬祭までまず困らない。クライアントに行くとか、葬儀に行くとか、急な予定が入ってもオールマイティで動ける。つまり、シチュエーションにおいても楽なのである。だから、ぼくはもう何年もこのスタイルで固定されている。お洒落好きの人からすればなんとも淡白で味気ないかもしれないけど、とにかく面倒臭がりの僕にはこれほど楽でいられることはない。

だから、スティーブ・ジョブズがいつも同じタートルとジーンズでいるのを見てとても共感していた。あ、ジョブズも面倒臭がりなんだなと笑。僕とジョブズを同じにするのは少々気がひけるが、でもまあ男としてはすごくわかるのである。そんな僕がやはり愛用し続けている時計G-SHOCKスカイコクピットからApple Watch2に変えることを検討している。なぜなら、改札や支払いが楽だからである。我ながらちょっと笑う。

別れが寂しくないのは、始まりだからだ。

Ricoh GR

長年僕らの領域を支えてくれた先輩が少し遠くへ転勤する。本日が最終出社日、午後に二人っきりでお茶をして積もる話を時間の許す限りした。僕も過去に転勤し、その良さみたいなものは分かっているから必要以上に悲しいわけじゃなかったけど、常に迷った時に頼りにしてきた先輩が明日からいないと思うと、和やかに談笑しつつもどこか不安な感覚が抜けなかった。

夕方になりいよいよ別れがやってくる。先輩はどこまでも頼もしく、最後まで終始余裕のあるいつもの先輩の姿を僕らに見せてくれた。最後に笑顔だ「じゃあ」と声をかけられた時に、僕らはバトンを受け取った気がした。次の時代を後輩たちに継承しろよというバトン。

世の中はベンチャーやフリースタイルの仕事が勢いあるように言われ、しばし組織みたいなものはトラディショナルに見られたりする。でも僕は近ごろ組織のダイナミズムというものにすごく可能性を感じているし、こうして仕事人としての振る舞いが後輩たちへと文化として継承されてゆくようすがとても大事だなと思っている。

先輩を敬い、その姿に背筋がピンとのびる企業文化であり空気。そういうものは数十年かけて磨かれて強くなる。誰も口に出しては言わないけど、誰もが継承しようと考えるそんな空気。先輩は別れじゃなくて始まりのバトンを置いていった。かつて、先輩の先輩たちがそうしたように。

そして、僕が撮る花はカラーからモノクロへと変わっていった。

RICOH GR

一眼レフで撮っていた時は「花」を撮っていたと思うんだけど、RICOH GRで撮るようになってからは「花の写り込んだ光景」、もっといえば「光景」を撮っていて、花はその一部になったのかもしれない。

とはいっても撮っている時はそんな理屈さえも考えてはいない。ふと、撮りたいという衝動にかられてただ目の前の光景を無条件反射的に撮っているだけ。あとから撮った写真を眺めている時に、ふと僕のそんな花との向き合いの変化に気づく。

花をすべてのモノクロで撮っているわけでもない。日々の写真倉庫にしているInstagramをふりかえると、カラーで撮っている花の写真もある。どこでカラーで撮るかモノクロで撮るか判断しているかも僕自身はあまりわかっていなかったりする。

ただ、はっきり言えるのは、僕はたぶん花を撮っているんじゃないということ。Nikon D750にマクロレンズをつけて撮っていた頃とは違うまなざしを、このGRというカメラから学んだら気づかされている途中だ。この先どんなふうにまなざしが変化していくのか、そういうことも含めてたくさんの量を無意識に撮り続けていきたいと思う。そういう意味でも記憶カメラだ。