やっぱりグラフィックデザインは迫り来る強さがある。

ふと顔をあげると前の席に座っていた人たちが姿を消して、代わりに大迫力のポスターが目に飛び込んでくる。B全何枚分だろうか、僕はしばし目を奪われて、この地に無性に行きたくなる。

見事な色彩の沖縄・首里城がライトに照らされ、まるで脳裏の中に浮いているように思える。この静かに大迫力で迫り来る感覚はデジタルサイネージでは表現できない。素晴らしい写真と素晴らしいアートディレクションが融合したアナログな一枚絵だからこそ成立する世界。動いていない絵が、動画よりも臨場感を醸し出す様子はあっぱれとしか言いようがない。

インターネットやパソコンが人々にいきわたり、誰もがちょっとしたデザインやムービーを世に発表できる時代になったと言われる。俗に言う一億総デザイナー時代とかみんながメディアみたいな意味合いかな。でも、これだけ軽いデザインがネット上や身の回りの生活シーンにあふれたからこそ、上質のプロにしか絞りだせないクオリティの凄さが際立つし、その凛とした佇まいが騒々しい世の中に静寂という途轍もないインパクトを放つ。

この広告主ヒルトンと、この制作を手がけたクリエーターたちをリスペクトすると共に、もう一度グラフィックデザインのプロたちに光があたればいいなと思う。こんな迫り来る迫力、テクノロジーの進化なんかじゃ作れるもんじゃないから。グラフィックデザインの復権よ、来い。

山下達郎のBOMBERを聴きながら、気持ちを持ち上げる。

Ricoh GR 秋 VSCO

とはいえ、湿っぽくなってばかりはいられない。ヘッドホンの音量をあげて、五感を敏感にし、秋への抵抗を始める。みんなもあるのかな、じぶんのパワーソング。僕にもいくつかあるけど、かなりいい線いってる部類は山下達郎の「BOMBER♪」。これをいつもより3割増しくらい音量をあげて体に注入する。そうすると、おっさんセンチメンタルを若き日のこの野郎マインドみたいなものが駆逐してくれる。と、そうこうしていたら曲が変わってユーミンの「恋人はサンタクロース♪」が流れ始める笑。やるな、iPodシャッフル。

とか、してたら先輩に声かけられて慌ててヘッドホンはずして会話して戻ったら、曲はさらにスローなユーミンの「青いエアメール♪」に変わってた。というわけで、また気分はなにやらセンチメンタルなんだけどね笑。

まあ、でも、若い頃に聴いてた音楽ってのはいいよね。理屈じゃなく果敢だった日々の思考にひとっ飛びして戻れるようなとこある。僕にとってはそれが山下達郎でありユーミン。この二人のベスト版をシャッフルすればがんばれるっていのも我ながら単純だと思うけど、そんなもんなんだよなあ男は。と、そうこうしていたら、音楽はユーミンの「DESTINY♪」に切り替わる。いやあ、最高だ。さて、がんばるか、もうひと仕事。

せつない季節になりますなあ。虫も泣く秋に。

朝、息子に「夏休みの宿題は終わったのか?」と声をかけると、「もちろん!」と誇らしげな返事があってホッとしながら出社したものの、父のほうは本当にこの夏の宿題をやりきったのか心配な8月最終日の夕方。夏の終わりは何かひどく忘れ物をしているような寂しさに見舞われる。大人の夏の宿題はなかなかむずかしく、どこまでいっても終わりのないもんです。

昨夜、公園まで出かけたら驚くくらい虫たちの声が聞こえて、8月ってこんなに涼しかっただろうかというくらい風がからだを冷やすこともあって、ああこの虫たちは鳴いてるんじゃなくて泣いてるんだなと感じたっけ。夏のうだるような暑さから、何かと爽やかな秋の到来はもっと心弾むはずなんだけど、どこか無性にせつなさを感じるのは僕だけだろうか。

秋から冬へと暮れてゆく季節に、どこか逆行というか抵抗したい、そんな夏の終わりです。

僕は写真を撮るのが好きだけど、それ以上に文章を書くのが好きなんだろうな、たぶん。

Ricoh GR 空 秋

いまさらではあるんだけど。なぜそう思ったかと言うと、僕は写真がそれほど上手くない。だから、写真だけを「これどう?」とソーシャルに投げかけるエネルギーはない。Instagramは写真専用SNSだから、まあ写真単体でポストすることに違和感はないのだけど。なので、日々、GRで写真は撮りためてはあるんだけど、言葉が見つからないとブログには向かわないので、つまり写真だけiCloudにたまってゆく。そんなことを考えると、「あ、僕は写真の人じゃなくて、文章の人なんだな」と思う。

とはいえ、これが文章が上手いかというとそういうことでもないので、じぶんでも少々面倒くさい笑。前にも書いたかもしれないけど、僕は割と古くからの広告人だから「一枚絵×キャッチコピー×ボディコピー」の組合せが好きで、そういうポスターや新聞広告のグラフィック広告に憧れて若き日を過ごしてきた。だから、このブログは正確に言うと写真ブログでもないし、日記ブログでもない、たぶん僕の中で「あの頃の広告のオマージュ」なのかもしれない。

んー、なんの話かよく分からなくなってきたけど、とにかく僕は文章が思いつかないと、写真だけだと何か大切なものをぽっかり忘れたような寂しさがある。本当にいい写真には言葉はいらないみたいなことをよく昔議論していたような気がするけど、そういう意味では写真だけでも言葉だけでもダメな僕は、もうダメダメちゃんなんじゃないかと当時の友人たちに笑われそうだが、まあ人それぞれみんな人に言うほどじゃないけど密かな流儀みたいなものがある。それが僕はかつての広告のオマージュであり、じぶんが心地いいこのスタイルなんだな。今日もまたなにやらかなり独りよがりなポストになったけど、奇跡的にここまで読んでくれた人はありがとうでこれからもよろしく。

ただの地面と思って歩くか、四季のある大地と思って歩くか。

Ricoh GR 大地 秋

ここ二日くらいは台風の影響か、朝晩は割と冷え込んで、どこか秋の到来を感じさせる。僕のいつもの散歩道には桜の葉がいつもより多く散っていて、その道に出た時にパッと視界が夏から秋へとチェンジした。

都会の道ではなかなか四季を感じるのは難しいかもしれないけど、それでも注意して歩くといたるところに自然がひっそり佇んでいることに気づく。僕はカメラを常に持ち歩くようになってから、そういう道端の片隅にある自然の息吹を撮ることが密かに好きになった。

こうして道端を撮るようになったのは、今は亡くなった愛犬との朝晩の散歩をずっと習慣にしていたことが大きい。考えてみると、愛犬との散歩がなければiPhoneで自然の写真を撮ることもなかっただろうし、それが発展してフルサイズ一眼レフの購入にまで至ることはなかったように思う。

平凡な道も、つぶさに見ると昨日から少し移ろいゆく四季の姿を感じることができる。だから僕は自分が立ったり歩いたりする道を「大地」と意識するようになった。どこまでも続く大地。何億年と積み重なった大地。そう考えて歩くと、この大地の上で生きている毎日がなかなか感慨深い。できればカメラがあるとなお楽しい。散歩とカメラは最高の相性だから。

僕が唯一愛用しているカメラアプリが[VSCO]。

Processed with VSCO with x1 preset

GRの基本エフェクトの質感が好きで、ほぼすべての写真は撮って出しの僕だけど、唯一使っているカメラアプリがある。それが海外生まれの「VSCO」。もう数年前から人気のアプリだったみたいだけど、僕が知ったのはここ一年くらい。きっかけはInstagramでいいなと思った写真のタグに #VSCO とあったから。

調べてみると何やらお洒落なフィルター加工のアプリで、iPhoneで撮った写真の加工だけじゃなくて、普通のカメラで撮った写真の現像的加工にも使われているらしいとわかり、早速アプリをダウンロードして使ってみた。そうしたら、なるほど自然な質感でいて僕の中で言うところのフィルム調に写真を仕上げてくれる。無料のフィルターだけでも数種類あって十分使え、そのフィルターのどれもが無料とは思えない味のあるものばかり。これならインスタグラマーたちがトリコになるわけだと思った。

このブログの写真は、iPhoneで撮ったものを僕が好きなマット調のVSCOで仕上げたもの。僕はフィルムで撮ったことはないけど、イメージとしてのフィルム調で仕上がるこの感じはとても雰囲気あるし、元の写真がなにやら蘇ったような嬉しさがある。僕はいかにも現像してイジリましたという写真は苦手で、自分が撮る写真もできれば加工したくないし、加工したとしてもそれを意識しないようなナチュラルな加工が好み。VSCOはそんな嗜好にまさにぴったりの加工加減だ。

さらにフィルターより僕が多用しているのは、写真のサイズを小さくしたい時。Wordpressのブログには写真を貼り付ける時にあまり重い画像は弾かれちゃうんだけど、そんな時はVSCOで軽めのサイズに保存し直して使っている。スマホでこうした写真のサイズ変更をする時は、VSCOのアプリを入れておくと実に便利だ。以下、少しVSCOアプリを使った写真の実例を。

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Processed with VSCO with f2 preset

Processed with VSCO with g3 preset

Processed with VSCO with c2 preset

Processed with VSCO with f2 preset

Processed with VSCO with x1 preset

ね、マットな質感がなかなか雰囲気あっていいでしょ。僕は基本面倒臭がりで写真を加工する手間も好きじゃないんだけど、このVSCOだけは加工も楽しく思えて、いかにも加工しましたというものとは違うナチュラルな仕上がりの写真を楽しんでいます。いまのところこのVSCOから浮気したくなるようなアプリには出会っていないし、僕の中の写真加工アプリはもうこのVSCO一択。これひとつiPhoneに入れておけば、けっこう生っぽくてエモーショナル感に欠ける記録写真のようなものもいい感じに仕上げられてブログやInstagramにも使いやすくなるんで、興味のある人はぜひ一度試してみてください。もちろんアプリのダウンロードは無料。こんな素晴らしいクオリティのアプリが無料なんだから、現代は凄いなと思う。いや本当に。

RICOH GRを愛する人たちのブログは、やっぱりちょっと変わっている。

Ricoh GR 秋 栗

と、そんなことを書いておきながら、それらのブログはご本人の許諾も得ていないんでここでは具体的にサイトを紹介はできないんだけどね。でも、TwitterやGoogleでちょっと検索したらいろいろ出てくるから、ぜひのぞいてほしい。

いまのGRのキャッチコピーが”GET REAL”だけど、まさにそんな感じ。そもそもカメラの機能を云々誇るプロダクトではないから、みんなカメラそのものを誇るブログというよりは、日常の自分の目の代わりみたいな視点のブログが多い。なんて言うんだろう、作品というわけでもないし、かといってiPhoneカメラで撮ったような日常ともちょっと違う。これまで生きていてちょっと見たことないかもというシーンだったりアングルだったりが切り取られていて、あ、普通の日常ってこんなにも劇的なのか、とハッとする感じ。

それからすると、僕のブログはずいぶんマジメでこれはいかんなあと思う今日この頃。縁あってブログをのぞいてくれる人がわずかでもいてくれるなら、もう少し受け手の側に何か気づきとか気持ちの高揚を与えられるブログじゃないといかんなあと思う朝なわけです。この歳になるとなかなか人間変えられないんで、明日から突然GET REALなブログには変身できないけど、こうやって何かしら現状を突破しなきゃという気づきを僕ももらったわけだから、そこはしなやかにトライしていきたいなと思っている。

僕が気になるGRを愛する人たちのブログは、ご本人の許諾をもらってまた後日、紹介しますね。その一角に食い込めるよう記憶カメラもがんばろう。いやほんとに。

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脳の老化を防ぐ大人の睡眠時間は7時間らしい。眠りについて考える。

Ricoh GR 空

僕は昔からショートスリーパーでひどい時は4時間睡眠が普通だった。まあ若さもあってその頃は乗り切ってたけど、さすがに今は4時間だと日中がつらくて、どうだろ、平均すると5時間、6時間というところだろうか。それでも、睡眠をなるべくとろうという意識が出てきただけでもちょっと心おだやかになれる。

WIREDによると、脳の老化をを防ぐという観点でいえば、多くの事例から大人は7時間睡眠が適切らしい。

僕の場合だと理想は朝5時起きして公園でしばらく佇んでから朝の支度をしたいんだけど、そうすると夜は22時には眠りにつかなくちゃいけない。これはちょっと厳しい。だとすると、起床時間は6時にして就寝時間を23時にするのが現実的かな。いやあ、やること多くて23時でもかなり怪しいけど、でも脳の老化はともかくとしても、翌日に健やかに仕事に集中できる感じは7時間睡眠ならたしかに気持ちよく過ごせる気がする。きっかり7時間かどうかは別としても、それをめざす感じは何か本能的に心地よい気もするね。

息子が夏休みの宿題を追い込んでいる姿が、涼しさよりも秋の到来を感じさせる今日この頃だけど笑、夏が終わると人は変わるというから、早寝早起きトライしてみようかな。昼間の仕事をより効率よくこなすチャレンジにもなりそうだしね。

みんな、写真のストックってどうしてるんだろう。

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僕の場合は、このブログへのアップが写真のストックであり、ギャラリー的な役目になっている。もちろん、このブログにあげている写真以外にも家族の写真があったりするけど、そちらのほうはプリントして残すようにしていて、写真データのストック場所としてはこのブログ。これは僕の写真の位置付けが基本ブログ用ということなんだけどね。

カメラを始めた頃から写真データが増えて、それまでiPhoneの中になんとなく撮りためてきた写真データがさすがに容量不足になってきて、最初は米国Flickrの1TBを登録して保存していた。でも、いつの間にか有料になると報道があって、参ったなあと思いながらひとまずiCloudのストレージを50GBまでアップ。iPhone本体のストレージも128GBあるからとりあえずは今のやり方でいけていて、何ヶ月か前からはGoogle Photoを使うようにしていて、まあ今のところは困っていないんだけど、みんなはどうしてるのかなって。

僕の職場のカメラ好き同僚なんかは、ずっとハードディスクに撮りためていたのを最近さすがにAmazon Drive併用(両方に保存)に変えましたとか言ってたかな。ハードディスクも保存形式が今後どんどん変わるだろうから、やっぱりどこかでクラウド上への保存に切り替えていく時期とみんな思ってるところがあるんだろうね。

Twitterの中の写真好きな人なんかを見ているとみんな日々ガンガンTL上に写真をアップしてるでしょ。たまにふと思うんだけど、あの写真たちはTwitterにあげるのはPRみたいなところがあって、きっと本来のというか本当の披露の場が別にあるんだろうなと思ってずっと見てるんだけど、そのあたりもどうなんだろう。撮った写真の使い途によるんだろうけどね。

フィルムで撮っている人たちは現像してるから明らかにプリントしたものをストックしてるんだろうし、それを個展やアルバムにして楽しんでるのかな。でも、その場合でも大量の写真データはどうしてるのかなとか。デジタルで撮っている人たちは、その写真の披露の場があるんだろうけど、それは例えばどんなところで、その場合にしてもその大量の写真データはやっぱり何処にストックしてるのかなとか。

僕の場合は個展に出すわけでもなく、とても作品と呼べる写真たちじゃないから、こうしてブログの中にストックするので十分というか、僕と写真の付き合い方がそんなだからこんな緩い写真データのストックの仕方で間に合っているけど、Twitter上に流れてくる大量の写真たちを見てふとそんなことをいつも思っていました。よかったら、みなさんの写真の披露の場とか、その写真とデータのストックの仕方とか教えてもらえるとうれしいな。いまさらこんな質問というか疑問で恐縮なんだけど、よろしくお願いします。

雨模様、久しぶりにロードバイクに乗れない日曜日、BMW物語を読んで駆けぬけようか。

*写真はBMW公式Instagramから
*写真はBMW公式Instagramから

天気予報通り少し雨がパラついてきて、久しぶりにロードバイクに乗れなさそうな日曜日。とはいえ、いまや週末の日課となったロードを駆けぬける感覚がないとかなり気持ちも寂しい。本でも読む一日にするかと考えていたところもあるから、そうだ「BMW物語」を久しぶりに読もうかと。


この本、もう12年前の本なんだな。何度も何度も繰り返し読んだ一冊で、今でも僕の本棚では貴重な一冊。このBMWという”エンジン屋から始まったこだわり屋”たちの軌跡が濃密に一冊になっていて、これだけBMWの事を凝縮して書いた本は後にも先にもこれ一冊だけじゃないだろうか。BMWという社名はドイツ語で【Bayerische Motoren WerkeAG:バイエルン発動機製造株式会社】の略称、元々はエンジン屋だ。僕が幼い頃にスーパーカーブームがあったんだけど当時はみんな”ベーエムヴェー”と呼んでいた。これはドイツ語読みの発音で、日本では1981年に日本法人ができて以来”ビーエムダブリュー”という呼び方が一般的になってきているけど、僕なんかも当時のベーエムヴェーという呼称は当時の憧れなんかも思い出して好きな呼び名だ。BMWのおなじみのエンブレムは、元々航空機のエンジンメーカーだったことにちなんで、飛行機の回転するプロペラをイメージした世界がモチーフになっていて、BMWの公式ホームページではバイエルンの白い雲と青い空をイメージしていると表記されている。

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BMW物語のほうの話に戻ると、このブランドがいかに全社の隅々まで日本語でもスローガンになっている「駆けぬける歓び」の実現のために一貫してこだわり抜いてきたかが社内や関係者たちの当時の内情も含めて詳細に書かれていてファンであれば相当興味深い。当時でも6気筒エンジンといえばV型が主流になりつつある中で絹のようななめらかさと言われた直列6気筒エンジンにこだわり続けていること、FF車(前輪駆動車)が居住スペース面なんかで同じく主流になりつつあった中で頑なにFR車(後輪駆動車)にこだわり続けていたこと、前後の重量配分を50:50にすることを徹底していて他の類を見ない旋回性をひねり出していたこと、そのこだわりようなもはや意固地であり頑固者という表現の方が近い。とても営利目的を追求する企業がやるであろう効率化とは真逆を行くような姿勢が、当時の僕には最高にカッコよく見えた。あと、いわゆる羊の皮を被った狼というか、一見は小型セダンで俊敏には見えないルックスでその辺のスポーツカーを抜き去る高性能ぶりがあまのじゃくな僕なんかにはめちゃくちゃ刺さったわけです。

そんなBMWも21世紀になり、それなりに企業としての効率化、コストダウンなんかも近頃は見受けられるけど、それでもキドニーグリルや先述したこだわりの多くは継承され続けていて、このブランドは僕らファンの心理をよく知っているなとつくづく思う。この本「BMW物語」の中でもいちばん心を持って行かれるのが冒頭のイントロダクションの部分で、この車がなんたるかは高速道路のPAから合流車線を加速した時のなんとも言えない心地よい加速感、そしてなんの変哲も無い交差点をゆっくりと曲がるだけでも体感するそのハンドリングと旋回性の気持ちよさで物語ってくるみたいなことが書かれている。僕がこの車に魅せられ続けている部分をまさに物語ってくれている。「自分とは何者なのか」ということから1ミリもブレない姿勢の大切さと強さをマーケティング的にも僕に教えてくれたブランド、BMW。僕は若い頃からずっと憧れ続けてきたこの車にようやく乗れるようななった日からもう4台、この車を乗り続けている。そして1ミリも飽きるということはない。じいさんになって免許証を返上するその日まで駆けぬけ続けたいと思っている。