写真を撮る時間は、ひとりになれる時間でもある。

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就職し、職場を持ち、家族を持つようになると、なかなかひとりになるのはむずかしい。だからか、僕はロードバイクを走らせ、車を走らせ、写真を撮るんだとも言える。ひとりになるのがむずかしいこの世の中で、そうしたひとりになれる時間は貴重だ。週末くらいは街を向かず自然のほうを向くのも、僕のそうした志向だと思う。平日も然り、GRと僕はひと気のない方へ、人影のない方へと向かう。そういえば僕の写真にはほとんどひとが写っていない。ストリートスナップだと寄りじゃないかぎり多くはひとが写り込んだ写真を目にする機会が多いけど、僕の写真はそうじゃない。これをスナップと呼ぶのかさえも分からないけど、こうして息を殺して撮る街が好きだ。たぶん僕の中では自然を撮るのと同じ感覚で街を撮っているんだと思う。なんというか、ひとり彷徨う荒野のように。

そして淡い写真の撮り方を忘れてゆく。

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カメラを始めた頃はD5300でけっこうハイキーな写真を撮っていたんだけど、いつからか淡い色の写真が撮れなくなっていった。D750に替えたあたりが転機だった気もするけど定かじゃない。ハイキーじゃないというより、どちらかというと常にローキー気味なくらいかもしれない。Instagramでじぶんの写真を一覧で見たりすると”我ながら暗いなあ”と思ったりするから。とはいえ、なんでローキーなんだろうとじぶんを分析するつもりもなくて、これが僕のいまの気分だからと客観的に見守っていたりする。GRに絞ったのも、モノクロが増えるのも、タテ位置で撮りたいと思うのも、いまの僕の写真観だから。しばらくこのままかもしれないし、明日には変わるかもしれない。もしかしたら、いつかまた淡い写真を撮りたいと思う時も来るのかもしれないし。

本当にたいせつな時間のために。

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今朝ひょんなことから息子が小さい頃にくれた手紙を見つけた。たしか僕と息子が些細なことから喧嘩して、大人げない僕が部屋に閉じ籠っている時に息子が僕に差し出した手紙だ。まだ下手くそなひらがなでそれでも一所懸命にじぶんの気持ちを僕にあてた手紙。いま読んでも目頭が熱くなる。やっぱりね、家族なんだよね、何よりたいせつなのは。個人として生きてればいろんな雑念や誘惑にかられるわけだけど、生きる本質というか立ち返る場所があれば我慢したり、踏ん張れたり、努力できたりする。すごくあたりまえで普遍的なことに思えるかもしれないけど、僕は少々そこを疎かにしてきた反省がある。すこしじぶんを奮い立たせる朝。