湿り気のある朝だけど、週末だけのシャッター音が聴きたくて。

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おはよう。今朝はシャッター音について。きのう他の人のブログを見ていたら、D750ともう一台”D810″を持ち始めたとブログで紹介されてた。いろいろ理由はあるのだけど、いちばんの理由は「シャッター音の静かさ」。これはもう本当にそうで、僕もD750を手に入れる際、D810とも触り比べてみた。性能的にはいろいろ差はあるんだけど、構えた時の印象としてはグリップの深さ、重さ以上に、シャッターを切った時にこの二台の個性の差がすごく体に伝わってくる。D750は「カシャン!」と乾いた元気な音を放つけど、D810は「クシュ」と上品な音を奏でる。これだけ違うとミラーショックもずいぶん違うんじゃないか、それくらいカメラ屋の店内では差を感じた。一眼レフはシャッター音と共に生きているカメラだから、撮る人のシチュエーションによってはすごくこだわる部分でもある。自然の中で動物を撮る、静かな屋内でカメラを意識させず撮る、みたいなシチュエーションならシャッター音は響かせないほうがいいから。僕も最初はこのシャッター音の差が2台の性能の差の象徴みたいに思ったけど、今ではD750の少々元気すぎるシャッター音がとても心地いい。慣れといえばそうだけど、もう少し踏み込んでいうとシャッター音フェチなくらいになっている笑。これはもう何だろう、クルマのエンジン音みたいなもんかなあ。ある程度、機械が駆動している音みたいなのを感じながら操縦している歓びみたいなものを僕はたのしみたいタイプなのかもしれない。このシャッター音を聴けるのは僕の生活の中では週末だけ。だから、少々の雨ならこうして一眼レフを連れ出す。僕の週末は一眼レフで撮り貯めするんじゃなくて、シャッター音を聴き貯めしているのかもしれない。そうすると生きかえるから。

レンズが撮るわけじゃない、僕が撮る。

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これもきょうの気づき。ある人がTwitterで「レンズなんかどうでもいいと冷めてみている自分がいる」的なことをつぶやかれてた。でもこの方はレンズは本来大好きで、そういう意味では誰よりもレンズを愛している一人でもある。そんな方がどうしてふとレンズなんかどうでもいい、というニュアンスの言葉を発したか。それは、いいなと思う写真を見つけた時にレンズ情報のことを気にしてなんかいない自分に気がついた、という趣旨のツイートを後でされていた。なにかすごく分かる気がした。もしくは分かろうとしているじぶんがいた。

僕はカメラを持ち出すときはその日のレンズをあれこれ考えながら選ぶ。マクロ、単焦点、標準ズーム、中望遠、超望遠それぞれあるから一応迷う。その日の天候とか撮りたいシチュエーションをイメージして選ぶ。でも選ぶのは一本だけ。旅行の時は二本持っていったことはあるけど、ふだんは完全にD750+一本のレンズだけになった。カメラバッグは持つけど、予備のレンズを入れるというより、もしもの天候の時の雨避けに。一本しかレンズを持たないから、撮り始めたら完全にレンズのことは頭から離れる。それにそもそも僕が持っているレンズはどれも高価ではないし、仮にレンズが高価だとしても僕にはその性能を最大限引き出す知識もない。そういう意味では本当にアマチュアのさらにアマチュアだから、プロっぽい写真を撮ろうという欲もない、たぶん。僕の中の写真は良くも悪くも精巧な記録ではなくて、僕の中のエモーショナルな記憶なんだと思う。とはいえ、それは無我夢中で撮っている時の意識で、それ以外の時は僕も日頃からレンズのことはいろいろと気にはしてるんだけどね笑。でも、そのある人のツイートのおかげでまたひとつ、僕の中でぼんやりしていたことが少し鮮明になった気がする。僕の写真は、レンズが撮っているんじゃなくて、僕が撮っている。

じぶんのことがいちばん分からない。だから人生はおもしろい。

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きょうはまたひとつ気づきをもらった。Twitterにあげた写真に対して、ある方からこんな感想をいただいた。

『記憶カメラさんの写真は素晴らしい。我欲なく被写体の美しさだけを最大限に画角構成に収めようという愛がシャッターを切る時に表れるんだろう。芸術は理論、理屈じゃなくて心と品性の聖域。』

素直に嬉しかったなあ。それは、自然体な写真を褒めてもらったこともあるけど、それ以上に、あ、じぶんの写真は他の人からそんな風に見えるんだ、という気づきも含めて。にんげんは他の人のことはよく見えるんだけど、じぶんのことはなかなか見えにくい。僕はそうで、じぶんの性格とか気質を自己PRしろと言われると本当に迷うし、困る。あまりじぶんのことを実は分かっていないから。その感想を寄せてくれた方も言ってたけど、表現(絵とか音楽とか写真とか)はその人がすべて出るという。僕がじぶんのことを分かっていないように、僕がチョイスする写真もじぶんではおぼろげながら良いと思うものを出してはいるものの、それが本当に良いものなのかどうかはわからないし、不安であったりもする。だからこそ、こうして他の人に「良い。こんなところが良い。」と指摘してもらえると、何というかすごく確信が持てたり、自信になったりする。にんげんは本当に”まわりの人”があってこそ、個性とかこだわりみたいなものを意識するんだなと。写真一枚とってもこれだけじぶんは未知なのだから、人生のすべては途方もなくミステリアスで、一生かけてもじぶんを解き明かせないんじゃないかと思う。だからこそ、人生は途轍もなくおもしろい。たぶん。