自然の中に持ち込んだ時の一眼レフは、機械というより自然の一部だ。

image

D5やD500が発売されたこともあって、デジタル一眼レフのスペックをあらためて見聞きする。その進化はいかにも現代のハイテク機器のひとつだけど、こうして自然の中に持ち込んだ時のカメラはなんというか微塵もその機械っぷりを感じさせない。にんげんの手にしっくりとなじんで、ファインダーをのぞいた瞬間からもう僕の肉眼となり、僕のからだとひとつになる。もっといえば、一眼レフと僕は自然とひとつになる。この感覚がおもしろいなと思う。なぜだろうとふと考えるんだけど、この一眼レフという存在はアナログ時代から生きていることが大きいのかなと。僕はアナログ時代の一眼レフを知らないから想像でしかないのだけど、作り手も使い手もかつての一眼レフにオマージュを抱きながら、変えることと変えてはいけないものを絶妙にブレンドしているのではないかと思う。僕はD750を使っているけど、ふといつも昭和の時代を感じでこいつにふれている気がする。D750の少々元気なシャッター音が好きなのも、そういう一眼レフのかつてから変わらない様式に思いを馳せているからかもしれない。ハイテクとトラディショナルの狭間をゆくプロダクト、それもまた一眼レフの楽しさなんだろうね。今朝もまた少し早起きをして、いま一眼レフと太陽を浴びている。自然と一眼レフと一体となりながら。

カメラとならどこまでも。

image

僕はどちらかというと出不精なほうだと思う。でも、カメラとクルマとロードバイクと出かける自然なら話は別だ。じぶんでも驚くくらいふらりと出かけてしまう。今朝はそれこそふと思い立って高原へ。人のいないほうへ、いないほうへと車をクルマを走らせ、降りてからも人っ気のない鬱蒼な道のほうへと足を進める。聞こえるのはスニーカーで土を踏む音と僕の少々あがった息、それとD750のシャッター音だ。なんてことないそれだけのシチュエーションだけど、それだけ揃えば僕の中では充分というか、むしろ至福の時だ。カメラは僕みたいな割と一人で行動するにんげんには実にやさしい。一人でいることを感じさせないし、いやむしろ一人でいることが楽しいし、日常から離脱させてくれる。そして、カメラは僕を外へ外へと連れ出してくれる。たぶん一人旅してみろと言われても、カメラと一緒なら何日でもいけるんじゃないかな。どこへでも、どこまでも。

カメラと山道を駆けあがって高原へ。

image

何を隠そう(隠してもないし、知りたくもないだろうけど笑)僕はカメラも好きだけどクルマも大好きで、今朝はこのカメラとクルマのコンビで高原までサクッと駆けぬけてきた。僕は道具感とエモーショナルなプロダクトが好きで、カメラならNikonとGR、クルマは代々BMW党。一度だけオープンカーのZ4に乗ってたけど、基本は3シリーズが好きでなぜか今は3のセダンとワゴンを所有している。今朝はセダンで駆けぬけてきた。

朝起きて散歩に行くまでは遠出をする予定はまったくなかった。でも、久しぶりの青空と鳥のさえずりを聞いていたら、ふと衝動にかられてBMWを山へと走らせてた。音楽はいつもの通り聞かない。エンジン音と路面の感触を楽しみながらワインディロードを駆け上がる。BMWはエンジン屋だからとかくレスポンスのよさみたいなことを言われるけど、僕は前後重量配分50:50のほうが効いていると思っている。路面の凹凸をしなやかにいなしながら、低速でも曲がる楽しみがあるクルマはそうない。途中、ポルシェ・カイエンとすれ違う。この人もけっこう同じ思考だなとかニヤリとしながら、高原の公園をめざす。で、到着したのがこの写真。僕のクルマだけ。それがまた気持ちよかった。係員の人しかいない自然道をカメラとゆく幸福感。やっぱり出かけるなら早朝だなと。そして、撮って、歩いて、撮って、また歩く。おとなの春休みは派手ではないけど、自由ではある。撮った写真とか、この続きは次のブログでまた。