夕陽が落ちてく数分間の永遠。

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夕陽が撮りたい日というのがある。僕は今日だ。D750に70-300をつけてまだ陽の高い時間に目的の場所に着く。雲ひとつない空だったから、陽が沈む直前までは空を撮る感じではない。手前の水辺の水面を撮ったり、近くに茂る草木を撮ったり。僕にはそれでも豊かな光景なんだけど、けっこうシンプルな場所だから、横を通る犬の散歩をする人から「何かいいものが撮れるんですか?」と声をかけられる。たぶん本気でこんな殺風景な場所にカメラを向けて何が撮れるんだろうと素朴に疑問を感じたんだろうと思う。僕ももしカメラをやってなかったら、同じことを思っただろう。僕は会釈をしながら「さあ、どうでしょう」と笑って返す。まあでも、実際いいものが撮れるかどうかは僕にもわからないから、この場合この回答はかなり正しい笑。

一時間ほど経っだろうか、ようやく陽が沈み始める。ここからの数分間は慌ただしくもあり、スローモーションのようにも感じる魔法の時間だ。僕はカメラはほんと自己流で夕陽の正しい撮り方なんか全然分かっていない。いつも次に撮る時までには撮り方を調べておこうと思うんだけど、そのままでまたこうして夕陽を撮る日がやってくる。その繰り返し。そうやって今日も「つづく」みたいに幕を閉じる。いい写真が撮れたかといえばこれもまた納得していなかったりもするのだけど、こころは実におだやか。夕陽を眺めた日は、今日をきちんとたためたみたいな気分になるから。直前まで仕事が慌ただしくてノープランのまま突入したゴールデンウィークだけど、自然があれば僕は飽きることなく過ごせる。幸福なことだ。

好きだなあ、この世界観のぜんぶ。

たまたまオリンパスの宮崎あおいさんのCMをYouTubeで追いかけてたら、この動画に遭遇。なんだろう、彼女も、彼女の声も、色も、メッセージも、ぜんぶ僕には来る。たまにこういう”僕のために作られた表現なんじゃないか”と思えるものに出会うことがある。僕らは運命とか偶然性の世界に生きている。

こどもの頃、なんで山の絵は緑色じゃないんだと不思議に思ってた。

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これは僕だけかなあ、密かに思っていたこと。こどもの頃、スケッチ大会とかで山の絵を描くと当然緑色に塗るじぶんがいる。ダイナミックに描けたりはするんだけど、なんとなく目の前の光景とはギャップを感じていたというか。でも、特に誰にそのことをいうわけでもなく、かなり大人になるまでなんとなくそのままだった気がする。いい大人になってから、そうか山は緑色じゃないと気づく。なんか青いぞと。そうして、山の絵を注意して見ると、うん、青いなと。僕の美的センスというか注意力のなさにほんと笑ってしまうんだけど、それで一時期美大とか行きたいと憧れた時期があったんだから笑う。山の写真を撮りながらそんなことを思い出してひとり笑っていた。山は奥行きがあれば何色もの折り重なる色を見せてくれる。鳥の声を聞きながら山を眺める数分間は思考がいろいろめぐる感覚があって気持ちいい。じぶんが大して賢くないことを素直に受け入れることができるからだろうね。

自然の中に持ち込んだ時の一眼レフは、機械というより自然の一部だ。

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D5やD500が発売されたこともあって、デジタル一眼レフのスペックをあらためて見聞きする。その進化はいかにも現代のハイテク機器のひとつだけど、こうして自然の中に持ち込んだ時のカメラはなんというか微塵もその機械っぷりを感じさせない。にんげんの手にしっくりとなじんで、ファインダーをのぞいた瞬間からもう僕の肉眼となり、僕のからだとひとつになる。もっといえば、一眼レフと僕は自然とひとつになる。この感覚がおもしろいなと思う。なぜだろうとふと考えるんだけど、この一眼レフという存在はアナログ時代から生きていることが大きいのかなと。僕はアナログ時代の一眼レフを知らないから想像でしかないのだけど、作り手も使い手もかつての一眼レフにオマージュを抱きながら、変えることと変えてはいけないものを絶妙にブレンドしているのではないかと思う。僕はD750を使っているけど、ふといつも昭和の時代を感じでこいつにふれている気がする。D750の少々元気なシャッター音が好きなのも、そういう一眼レフのかつてから変わらない様式に思いを馳せているからかもしれない。ハイテクとトラディショナルの狭間をゆくプロダクト、それもまた一眼レフの楽しさなんだろうね。今朝もまた少し早起きをして、いま一眼レフと太陽を浴びている。自然と一眼レフと一体となりながら。

カメラとならどこまでも。

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僕はどちらかというと出不精なほうだと思う。でも、カメラとクルマとロードバイクと出かける自然なら話は別だ。じぶんでも驚くくらいふらりと出かけてしまう。今朝はそれこそふと思い立って高原へ。人のいないほうへ、いないほうへと車をクルマを走らせ、降りてからも人っ気のない鬱蒼な道のほうへと足を進める。聞こえるのはスニーカーで土を踏む音と僕の少々あがった息、それとD750のシャッター音だ。なんてことないそれだけのシチュエーションだけど、それだけ揃えば僕の中では充分というか、むしろ至福の時だ。カメラは僕みたいな割と一人で行動するにんげんには実にやさしい。一人でいることを感じさせないし、いやむしろ一人でいることが楽しいし、日常から離脱させてくれる。そして、カメラは僕を外へ外へと連れ出してくれる。たぶん一人旅してみろと言われても、カメラと一緒なら何日でもいけるんじゃないかな。どこへでも、どこまでも。

カメラと山道を駆けあがって高原へ。

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何を隠そう(隠してもないし、知りたくもないだろうけど笑)僕はカメラも好きだけどクルマも大好きで、今朝はこのカメラとクルマのコンビで高原までサクッと駆けぬけてきた。僕は道具感とエモーショナルなプロダクトが好きで、カメラならNikonとGR、クルマは代々BMW党。一度だけオープンカーのZ4に乗ってたけど、基本は3シリーズが好きでなぜか今は3のセダンとワゴンを所有している。今朝はセダンで駆けぬけてきた。

朝起きて散歩に行くまでは遠出をする予定はまったくなかった。でも、久しぶりの青空と鳥のさえずりを聞いていたら、ふと衝動にかられてBMWを山へと走らせてた。音楽はいつもの通り聞かない。エンジン音と路面の感触を楽しみながらワインディロードを駆け上がる。BMWはエンジン屋だからとかくレスポンスのよさみたいなことを言われるけど、僕は前後重量配分50:50のほうが効いていると思っている。路面の凹凸をしなやかにいなしながら、低速でも曲がる楽しみがあるクルマはそうない。途中、ポルシェ・カイエンとすれ違う。この人もけっこう同じ思考だなとかニヤリとしながら、高原の公園をめざす。で、到着したのがこの写真。僕のクルマだけ。それがまた気持ちよかった。係員の人しかいない自然道をカメラとゆく幸福感。やっぱり出かけるなら早朝だなと。そして、撮って、歩いて、撮って、また歩く。おとなの春休みは派手ではないけど、自由ではある。撮った写真とか、この続きは次のブログでまた。

さあ、おとなの春休みがやって来た。

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夜が明けたらという思いが強すぎて、早朝4時前に一度目覚めて驚いた。冷静になってもう一度眠りについて、部屋の窓から朝陽を感じてあらためて布団から出る。太陽のある連休初日。写真の神様ありがとう。24-120/f4をつけて、電池を新しいものに入れ替えて、公園へ向かう。鳥たちの声がすごい。辺りは静かだ。上空を飛行機が飛ぶが、その音は僕にとっては騒音じゃなくて心地いい。昨日までなにかと忙しくて連休の予定はほぼ定まっていない。でもそれがまた急かされない感じでいい。このまえある人が「D750が僕で撮ってよ、と言う」とツイートしてたけど、今朝のこいつもそんな感じかな。さあ、始動だ。遅れてきたおとなの春休み。

夏までは速いよ、きっと。

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クールビズが始まると聞くと夏の到来を意識し始める。実際は本格的な夏の前に梅雨が挟まるわけだけど、この歳になると夏が一瞬であることがわかっているから、カラダが本能的に夏を前倒しして味わおうとするのだと思う。日本には四季があるけど、僕は夏がいちばん短くて、冬がいちばん長いんじゃないかと思っている。あの小学生の頃の夏休みに感じた永遠に続くような夏はぜったい魔法だ。あんなに夏はのんびりしていない。GW明けから一気に加速して夏休みの始まりあたりにピークに達すると、実はひっそり秋に向かい始める。毎年思う。この夏こそは、この一瞬の夏を濃密に全力でたのしむぞと。実際はスーツに汗ばかりかいてなかなかうまくいかないんだけどね笑。みんなの健闘を祈ります。80年代のユーミンを聴きながら。

一度は単焦点にハマるのだけど、いまはズームにたどり着いた感覚がある。

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ほかの人がどうだかはわからないけど、僕は一眼レフを始める時にレンズキットとともに単焦点レンズを購入した。NikonのD5300と18-140mmのセット、それに50/f1.8だ。一眼レフを買う時に少し下調べをして、そうだ僕が撮りたいのはボケのある世界だとわかり、それには単焦点レンズがいいと。だから、一眼レフを買った当初から長らくメインのレンズは単焦点50/f1.8だった。それまでiPhoneカメラしか知らなかった僕からするととにかく単焦点レンズで撮る写真たちは楽しかった。いろんなカメラ関係の本なんかを読んでも、まず画角を体に叩き込むのにも単焦点がいいと書かれていたこともあって、じぶんの中でもデファクトは単焦点だという思いもあった。

でも、望遠レンズ70-300mmを手に入れてからは、このレンズか24-120/f4で撮ることが多くなった。正確に言うといつの間にかズームの頻度が増えていったように思う。それはたぶん、もう何歩か目の前の自然に近づきたいと思うようになったからだと思う。ちなみにこの写真は超望遠コンデジのNikon P900で撮ったものだけど、このカメラを購入したのもそんなことを考え始めた時期だと思う。野鳥を撮るわけでもない、列車を遠くから捕まえるわけでもない。なんでもない普通の自然の光景なんだけど、もう何歩か近づいてその息吹みたいなのを感じたいと思うようになった。あとはどんなシチュエーションにもズームなら機動力があがることも大きいかな。割とラフに自然の中に分け入っても、撮りたいと思った瞬間に目の前まで連れていってくれるスピードとしなやかさがズームレンズにはある。ふだん平日が単焦点レンズのGRだから、週末の一眼レフのときはその反動もあるのかもしれないけどね。たぶん、これからこのズームレンズと単焦点レンズを行ったり来たりするんだろうね。そういう無意識に移ろいゆくじぶんもまたたのしい。そういう心境の移り変わりもこのブログに記憶していければと思っている。

おとなの春休み。

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思い起こせば10代の頃はほんとはやく大人になりたくて、じぶんのお金でじぶんの時間を謳歌したい、つまりじぶんの自由になる術として大人になりたいという思いがあった。実際、大人になってみて想像よりはあたりまえに大変なんだけど、それでもそれなりに自由は味わえている。でも大人になって寂しいなと思うことは、まとまった休みがなかなか取れないこと。学生の頃の春休み、夏休み、冬休み、あれはもうほんと夢のよう。仕事環境によっては長いバカンスを楽しめる人もいるのだろうけど、まあ、まず普通のお勤めの人には無理です。そんなだから、ゴールデンウィークの少しまとまった休みはとても貴重。というかワクワクする。もうすぐ初夏の入り口だけど、僕は少し遅れたおとなの春休みだと思っている。その入り口がいよいよ見えてきた。さあ、もうひと踏ん張りだ。