居場所が変わればにんげんは変わる。いきものだから。

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にんげんは変われるのか、それとも変われないのか。人の性格というか個性、価値観みたいなものは幼稚園の頃までに形成されるとも言うし、大人になるまで両親にどんな育て方をされるかで決まると言う人もいるし、いやいや人間なんてそうそう変われるもんじゃないという人もいる。僕は今の境遇がそういう事を常に考えなきゃいけない、いや考えさせらるところにいることもあって、ここ数年そういう「にんげんは変われるのか」みたいなことに、よくぶちあたる。どちらかというと少し前までは人間はそう簡単には変われない、と思ってたほうかな。でも、今は違う。僕の結論としては人間はけっこう変われる。それも、かなりいい歳をした人でも変われると思うようになった。それも確信に近くそう思う。

ただし、条件がある。それは、人間だけに変われというんじゃなくて、鮮やかに居場所を変えてあげるということである。人間は誰しも同じ場所にいると、この場合長く居心地のいい場合にいると、どうしてもマンネリしてしまう。これはその人の性質がどうのこうのというレベルの話ではなくて、生物の話。生物が進化したり退化するのは、良くも悪くもその長きにわたる環境に適応して変わる。でも、僕はそれ、変わってるというより「変わらないために、変わる」、そんな変化や進化と呼ぶには鮮やかさが足りないものと思っている。

鮮やかに変わる、というのは気持ちいい。人間だって実は相当鮮やかに変わることができる。まるで別人のように変わる。本人はそれほど変わったとは感じなくても、他人から見たら劇的に変わったというような変身と言えばいいだろうか。僕はそういう人を何人も見てきた。実はじぶんも そういう風に変わったよなんて言われる一人だったりして。確信として言えるのは、その過程で居場所が大きく変わる出来事があったということです。もしかしたら居場所が変わらなくても、その人の努力とか気持ちの持ちようの変化でやがて変わることはできたかもしれない。でも、まわりがその変化に驚くくらい短い間に鮮やかに変わることを望むのなら、これは居場所を変えるということが何よりもパワーがある。ある人のことを考えながら、そんなことをまた思い起こしている。これは、僕のにんげんを語るときの最大のテーマかもしれない。

雪が終わる前に。

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それにしても、深い雪だった。こんな量の雪がこんな長く3日間も降り続くのは記憶にないな。ずっと氷点下だったから一眼レフは封印してたんだけど、雪の終わりをカラダが感じたというか、そうなると記憶カメラしておかないともったいないというか、少しD750と歩いてみた。

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ことしの雪はほんとサラサラで、雪だるまなんかもできづらくて、あ、雪の印象ちょっと変わったと思った。あと白さもなんだろう、ことしはすごく綺麗な気がした。空気もそういえばいつもよりしんしんとして浄化されてる気がした。

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雪もいいな、と初めて思ったかもしれない。

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よし、記憶カメラ、完了。また来年かな、雪は。

吹雪の日は音楽と写真整理。

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まあこれだけ見たことのないレベルの吹雪になるともはや抵抗する気も起きなくて、久しぶりに部屋に閉じこもって冬眠するしかないな、みたいな日曜日を送っている。朝はそれでも写真を撮りに出かけ、さっきは息子と庭や公園で雪合戦などしてみたけど、15分が限界かな。手や足が言うことを聞かなくなるから。

というわけでRunにも行かず、ロードバイクにもまたがらず、おとなしく部屋にこもってユーミンを聞きながら写真の整理などしてる。しかし、去年の今頃ふと思い立って一眼レフを購入してからというもの、いろんなレンズやコンデジを買い足しながら、果たして何枚の写真を撮っただろうか。いやあ、何万枚は撮ってるだろうな。

出張先や旅行先にも基本なんらかのカメラは持ち歩いてるから、なんというかいかにも風景写真みたいなものももちろんあるんだけど、ただただ朝晩の散歩の時やRunの時もこのブログのような何でもない自然の写真を撮ってるから当然数は多くなる。ものすごい数の失敗写真があるからね、僕の場合。

誰かが言ってたけど、デジタル時代になったおかげで、これだけふんだんに失敗写真を撮ってもコストは全然かからないからね。これはフィルム時代の人に比べると格段に素人が参入しやすい趣味の世界。iPhoneで写真バンバン撮るのとなんら変わらない気軽さだから、一眼レフとかやらない理由はホントないと思う。

ただ、今なにか夢というか希望が叶うなら、一眼レフとiPhoneを持って昭和の時代に帰りたいかなあ。村上春樹にならって僕のスローガンというかモットーになってる”18 ‘til I die 〜死ぬまで18歳〜”の18の頃に戻ってみたいというのはある。そういう妄想はおもしろい。頭の中がグルングルン動き出す感じ。もちろんこれもコストかからないしね笑。さて、今日はどんな時代のどんなシーンを妄想してみようか。音楽と写真を眺め、整理しながら。

寒い場所では望遠なんだなと、P900と。

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発見というか、これだけ寒いと長時間外を歩き回るのは体力を消耗するし、手も足もかじかんで思うように動かなくなるから、手元で脚の代わりにズームできる望遠レンズは貴重だなとちょっと気づいたり。写真はNikon Coolpix P900でズームして撮ったけど、これ単焦点レンズでそばまで歩いて寄れる状況ではないもんね。雪の光景は広角でパキッと撮るのもいいけど、こうしてほどよく寄って生命力みたいなのを感じ取るのもいいなあと思った。昨夜は、朝起きたら黒い布持ち出して雪の結晶撮りたいなとか妄想してたけど、いざこんだけ雪が降り積もるとそんな余裕はなかった笑。さて、暖房の効いた部屋で音楽を聴きながら撮ってきた写真を振り返る。記憶カメラ。

雪、無音、GR。

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休みの日の朝でよかった。昨夜から降り続いた雪は天気予報通り、目覚めの時間には真っ白い光景をつくってくれていた。カメラ小僧としてはこれは写真撮りに行かねばと変な使命感にかられて、防寒重装備で出かけてみた。一眼レフは故障が怖くて持ち出す勇気がなく、スナップシューターRICOH GRと。

いやあ、にんげん苦労するとちゃんとご褒美がある。もう全身凍りそうな冷たさだったけど、いつもの光景とは全く違うこの星が徒歩圏内で撮れた。これだけ積もると眩しいし、空気もしんしんしていてちょっと感動的。誰もいない場所でひとりポツーンと佇んで撮る写真はやっぱり究極の一人遊びでたのしい。カラダがだんだん凍えていくこととの闘いでもあるんだけど、記憶カメラできたから妙に満足して家に帰る。ところで明日は仕事場に行けるのかな笑。

雨の日はマクロと。

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なにやら40年ぶりの大寒波がやってくるらしい。とはいえ、まだそこまでは寒くなくて、でも小雨は感じる朝で、んーロードバイク乗るのは無理かなあと。じゃあということでD750にMicro 60mm/f2.8を装着して散歩に出る。そう、だから正確にはマクロじゃなくてマイクロね、Nikon的には。これ、けっこうそういう人いるんじゃないかと思うんだけど、水滴好きの人というか、大地の湿りっけ好きの人というか。僕はちょっとそういうとこあって、雨の日は比較的マクロレンズをつけて出かける。植物の世界は平坦な面はまったくないから水がコロンコロンと不規則に跳ねてる感じがたまらないのと、太陽がない分光と影のコントラストは薄いけど湿りっけがなだらかな自然界のラインをちょっと豊かに照らしてくれる。まあ、マクロでのぞかなきゃまったく気にせず通り過ぎてしまうやうな小さな世界の出来事なんだけど、そういうひっそりとした命みたいなのが好きなんです。まあ、ある種変態なんだろうな。マクロレンズをつけて歩くとけっこう道にいろんないいものが落ちてるよ。これほんとに。

ファインダーの中は私的遊び場。

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今の世の中は昔と比べてずいぶん個性や多様性の許される世界になったみたいに言うけど、いやいやコンプライアンス社会じゃないけど、いろんな監視の目みたいなものが増えたなあとも思っていて。意外と他人の声なんかを気にせずに行動したりすることって難しかったりするよなあと思ったり。

そんな今の世の中で、このファインダーの中で一人遊びする感覚はいいんだよなあ。立ち止まる場所も、切り取る構図も、ぜんぶじぶんの思いのまま。誰から何か言われることなんか1ミリも気にすることなく、いい意味で独りよがりの時間を楽しめるんだよね、カメラは。

意外と今こういう時間やシーンってないんじゃないかな。一人で没頭できる遊びは無くはないけど、カメラがいいのはファインダーの中という、ちょっと隠れ家みたいな空間の中で遊べることなんだよね。地面に膝小僧つけて、ジーンズを汚して、息をとめてシャッターの音を聞きながら記憶を確かめる、そんな行為。なんだか近頃、いい一人遊びしてないなあという人にはおすすめだなあ、カメラ。もう一つの視界が開けるよ、ほんとうに。ちょっと呑んで、ちょっと寄って、ちょっと本音など。

時間にささやかなる抵抗を。

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なんだか全国の成人式の愚行みたいなの見てると、若いなあと思っちゃうんだけど、まあ程度の差はあれ僕も若い頃はいろいろくだらない抵抗してたなと。それからすると、それなりに社会に揉まれて今はとにかく何でもかんでも抵抗する感じはない。

でも、近ごろ抵抗してるものがあるとしたら、時間にかなあ。時間って前に進むじゃない、一秒一秒、刻々と。なんかこれ、ある一定のスピードの動く歩道やエスカレーターに乗ってる、乗せられてるか、そんな感覚があって、どこか抵抗したくなっちゃうんだよなあ。ベルトコンベアに乗せられてじぶんでは何ともしようのない流れ作業の中にいるような気がしてちょっと気持ち悪いんだ。そんなへんてこりんなこと考えるじぶんの感性も十分気持ち悪いが。

で、過去にスッとトリップするような音楽聴いたり、妙に時間に余裕を持って行動したり、寄らずに済む場所にわざわざ遠回りしてみたり、とにかく放っておけばついつい惰性で流れてゆく時間みたいなものにプチ抵抗しているのである。まあ、だからといってそれによって別に勝ち負けもないし損得みたいなものもないんだけど、なんか抵抗しているじぶんは割と気持ちよかったりする。なんだろうね、この感覚。

そういう抵抗して作り出してる時間の余白みたいなのに、カメラはすごくいいんだよね。まず、刻々と流れている時間を止められる感覚がいい。そして、目の前にある景色とは少しだけ異なる体温とか時空みたいなものを写し出して教えてくれる。これが数万円で手に入るんだから幸福な時代に生きてるなって思う。さて、時間への抵抗に出かけるとするか。プチ抵抗の満足感を得ながら。

写真と達郎とユーミンと。

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撮った写真の整理をする時にはいつもBGMをかけてるんだけど、やっと念願というか松任谷由実と山下達郎のベストアルバムが加わって、ちょっと僕の中では異次元ワールドに突入している。もともと僕の写真は素朴な自然のスモールワールドが多いわけだけど、それはたぶんスーツなんか着ていない頃のじぶんのオマージュというか振り返り、生き直すみたいなとこがあると感じていて、そんな写真のバックに当時よく聞いた達郎やユーミンをかければ、そりゃあっという間に当時の気分にトリップするんだよね。ストーンズやガンズ・アンド・ローゼズとか聴く前の時代だから、なんというかほんとニュートラルなじぶんでいた時のサウンドというかね。

いい歳になって、ようやく素直に好きなものは好き、と言えるようになった感覚というか。あ、そういえばビートルズのアルバムもiTunesに入れた。ビートルズは若い頃から実はけっこう好きだったんだけど、若気の至りというかまわりがビートルズ好きが多かったから、それに反発してストーンズを聴いてたし、まわりに俺はストーンズ派とか言ってたりね。若かったな笑。まあでも、おかげでストーンズは来日ライブに行くくらい結果ハマったんだけどね。

それにしても、達郎もユーミンもこの今聴いてもサビない感じが凄いなと。全然古くないし、日本語のノリ方が素直なのに凄くモダンというか、あらためてこの人たちのセンスというのは新しかったし、流行とかとは無縁の音楽活動、いや人生観の表現だったんだなと思う。大人になるのは多少残念なことみたいな風に思ってた少年なんだけど、こういう大人たちはそれでもカッコよく見えたなあ。

少し前に、仕事上の偉大な先輩に「いまが男としていちばんやりがいのある楽しい時期だね」と言われたけど、仕事のことだけじゃなくて、なんというか人生を素直に振り返れる余裕みたいなことも含めてそういうことなのかなと思ったり。なんか写真とは関係のない話ばかりだけど、このブログを始めようと思った時も、カメラのことを書こうと思ったというより、僕のなんでもないけど日々の僕らしい記憶みたいなのをカメラを通して記憶しておこうと考えたものだから、僕的にはこれで割と違和感はない。

達郎とユーミンのシャッフル。いまは「魔法のくすり」がかかっている。いやあ、ほんとそのタイトル通りの感覚だ。

しなやかなる強さ。

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強さはたいせつ。負けちゃいけないし、勝つことにこだわらないといけない。相手がいる勝負でも、じぶん自身との闘いでも。ただ、最近すこしだけ、できればそれはねじ伏せる感じより、しなやかにいなす感じがいいなと思うようになった。年齢のせいなのか、時代のせいなのか、経験を重ねてきた結果なのかわからないけど。Runでからだをハードに燃焼させるのは気持ちいいけど、ウォーキングでからだの節々の動きとか筋肉の移動みたいなのをゆっくりと確かめながら疲労する感覚のほうが気持ちいい、みたいな感覚だろうか。そういえば、ロードバイクに乗るようになったのも、一見ハードに見えるけど踵や膝の負担を抑えながら疲労する感じが今のじぶんには心地いいからかもしれない。昔若かりし頃に大人を見ていて余裕みたいな得体の知れないかっこよさを感じていたのも少し近い感覚かもしれない。2016年、どんな進化を遂げるのだろうか、じぶん。未知だけど、しなやかなる強さみたいなものに挑戦したい、いや楽しみたいという心境にいる。