撮る、ひと休み。GR。

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思ったより暑い秋で、どうせなら移動も少し歩いたほうがと思って歩き出すとけっこう汗ばんでクタクタになったり。でも、その先にポーンと抜けた景色が広がって現れると、「お、ちょっと写真撮っていこ」とひと休みになる。煙草やめたから、このスナップ撮る感じがまさに一服するって感じかな、今は。いつもの通りあんまり考えずに瞬時にGRを起動させて、とにかく撮る、撮る、撮る。呼吸するように撮れるのがGR。水平だけおぼろげながら見てるけど、モニターはほぼ見ずに撮る。それがGR流。あ、でも、Runの時は少しでも荷物を軽くしたいなあと思っていて、Nikon P340をランニングカメラとしてまた連れ出そうかなと思ってる。その話はまた後日に。

走りたくなる道がある場所は、人が生きやすい場所でもある。

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走るというのはRunningのこと。走り始めて6〜7年になると、その間にいろんな場所を走る機会がある。僕はレースには出ないけど、それでも家族で旅行した先や、仕事で出張した先にも僕は必ずシューズやウェアを持って行って走る。そうすると町の構造みたいなのが実によくわかる。初めて訪れる街でも出発前にGoogleMapで軽く辺りの位置関係を予習したら、サクッと道を走り出す。せいぜい長めに走っても10kmくらいだし、今はiPhoneがあるから迷子になることはまずないし、むしろ知らない土地で部屋にこもってじぶんの居場所がよくわかっていない不安な状態より、走って町の看板や道路標識を眺めている方が、その町の有り様がつかめる。

「走りやすい場所」というのは何もランニングコースや公園のことを言ってるのではない。普通の歩道でもいいし、川沿いの土手でもいい。車や人の交通量や道幅とのバランス、眺めだったり傾斜だったり、とにかく総合的に「あ、次回も走りたいな」と思う環境であれば、全然一般の街中でもかまわない。ふだん走ってる場所もふつうの住宅街ではあるし。でもなんというのかな、走りやすそうという見た目の景色だけではわからないことがたくさんあって、じぶんの足で実際にその道をその街を走ってみてわかることが実にたくさんあるし、目で判断するというよりは体全体で判断する気持ちよさのことなんだよね、この場合。僕の場合はRunの時はGRも持ち歩いてるから、写真が撮りたくなる道であるかも実はたいせつな要素だったりする。と、ここまで書くとRunnerだけのものさしの話のように聞こえるかもしれないけど、たぶん、いや間違いなく、走りやすい場所というのはランドスケープ的にもかなり気持ちのいい場所で、人間が五感でストレスを感じない、心が解放される場所になっていると思う。当然、歩いても気持ちがいいし、適度に人がストレスなくすれ違える余裕みたいなものが道の中にある。だからかな、走りたい道を見つけたら僕はその街全体のファンになるところがある。よく言うけど「初めての街を知ろうと思ったら早朝にその街を走ってみるといい」というのは本当の話。と言ってもその感覚はなかなか文章では伝えきれない感覚なので、ぜひ騙されたと思って走ってほしい。いろんな道を、街を。

どこから見るかで景色はがらりと変わる。

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「事件は会議室で起こってんじゃない、現場で起こってるんだ」じゃないけど、現場で複雑に絡み合う心理や事情はそこに行かないと見えない、いや感じないというか、肉体で捉えきれなかったりする。ただ、会議室かどうかは別にしても少し遠くから俯瞰で客観的に物事を見ないと頭で立体的に捉えられなかったりする。この場合、どちらかじゃなくて、両方必要だったりする。というか、できるだけたくさんの方向や角度から物事は見たほうが、本質的な物事、出来事が捉えられると思っている。難しいけどね、行動で示すには。でも、ルーティンワークみたくなってるとふと感じることがあったら、気がついた時から少し視点や動きをずらしてみたり新しくしてみたりすることでいいと思う。他人の意見に耳を傾けることだってそうだし、寄り道してみるなんてこともそう。無駄遣いしてみるなんてことでもいい。海外や長めの研修なんかに行った人が新鮮になって帰ってくるのは、短時間の間に実にいろんな角度から物事を見ることを濃密で広範囲にこなしたからに他ならないと思う。場所とかの問題ではなく、経験の密度の問題。その点、カメラはいい。持つだけで違う角度から見てみたいという欲求が自然とわいてくる。いつもの場所とは違う角度から撮ろうとさまよったり、まったく新しい場所へと足が向いたり。カメラといると、じぶんひとりではなかなか億劫なこのさまよいも、連れの人間が導いてくれるかのように少しアクティブに居場所や頭の場所をスイッチしてくれる。もうすぐロードバイクもやってくる。カメラとロードバイクとなら今よりまた多くさまよえるかなと少しワクワクしている。

すべて立ち向かうんじゃなくて、時にヒラリと風に身を任せてみるのもいいと思うよ。

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僕もそうだった(いまもかな)けと、じぶんの思い通りにいかない時はなんというか自己嫌悪だったり、なんてまわりは分かっちゃいないんだ、という思いがグラグラと頭の中を駆け巡るわけだけと。でもどうだろう、少し長く生きてきた僕の感覚でいうと、けっこうじぶんを取り巻く自然な流れに身を任せてみるというのもアリというか、身を任せてみることの大切さみたいなものを数多く学んできた気もする。若いうちは特にじぶんの意思とは反する流れに遭遇するとついつい立ち向かっちゃうんだけど、そこをある種肩の力を抜いて風に乗ってみるんだ。ほんとにヒラリと。目もつぶって体を預けるみたいなね。世の中はそれほど意地悪じゃないから、けっこういい方向に漂わせてくれて、思わぬ景色が見えてきたりして、意外と落とし所としては結果オーライになることはほんとたくさんあるから。ちょっと若い人を見てて、なんか昔のじぶんを見てるようなところもあって。エールのようなブログということで。

ずっと秋でもいいな。

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まあ、夏は夏で、春は春で、ずっと今のままの季節ならいいのに、とか言ってるんだけどね。でも、カメラを始めて初めての秋はやっぱり写真心がそそられるシーズンだった。本番はこれからだろうけど、もう場所によっては秋色を楽しめるよね。注文したロードバイクも二週間後にはやってくる。クライマックスには間に合いそうだ。一眼レフと行くか、GRと行くか、いずれにしてもカラダが喜ぶことは間違いない。

遠出の相棒はスペシャライズドのエンデュランスロードにした。

自転車を持っていたら一眼レフと出かけたい、そんな秋晴れの日、僕はその相棒探しに自転車屋に行ってきた。もともとはトレックというブランドのクロスバイクFXを買おうかと思い始めたのが発端だったけど、お店に向かうと決めた時点でどこかロードバイクを、それも割と高額のものを買うんだろうな、というじぶんがいた気がする。いや、いた、間違いなく。それにはやっぱり一眼レフを買い直した経験がすごく関係している。僕が一眼レフを初めて購入したのは1月。少しだけ下調べはしたものの、なんといっても初心者だしまずはエントリーモデルともいえるAPS-C機で十分だろうと思いNikonのD5300を購入した。この時一緒に単焦点50mm/f1.8を購入したこともあって、実際このD5300と始めた一眼レフライフはものすごく楽しかった。ファインダーをのぞく静寂やNikonの硬質なシャッター音に惚れたのもこのD5300との出会いのおかげだ。でも、逆に一眼レフに急速にハマりすぎたこともあってか、やっぱり見てみたくなるんだな、その先にあるもっとクオリティの高い世界を。フルサイズの世界が無性に見たくなる、感じたくなる、その感情がもはや止められなくなる。そんな時にレンズにゴミがついたD5300をカメラ屋へ修理に持って行くことに。手元に帰ってくるまでに二週間ほどかかりそうと。二週間も一眼レフがない時間を過ごせるのか、などと自問自答していたら、お店を出る時にはフルサイズD750を買っていた。修理に出した代わりにというのは、まあ言い訳で、僕はやっぱりフルサイズが今すぐ欲しかったんだと思う。それくらいNikonというカメラはプロダクトクオリティへの追求の醍醐味みたいなものを教えてくれた。そして、四ヶ月も待たずして手に入れたフルサイズD750は想像通り、いや想像以上のクオリティを僕に体験させてくれている。職人的プロダクトの世界は、いいものは、やはりいいと。

ロードバイク専門ショップをのぞいた僕にはそういうプロダクトの選択眼のようなものがあった。店員さんも僕のそういう気配みたいなものを感じたのか、初心者だと最初に伝えたのだけど、もう最初から直球でいいものを勧めてきた。フルカーボン、コンポは105、そしてブランドはスペシャライズド。スペシャライズドは米国のブランドで、僕が最初に欲しいと思ったトレックとスペシャライズドそしてアルミフレームで有名なキャノンデールの三社はアメリカのロードバイク御三家と言われるらしい。でも、僕はレースに出るというより、もう少し快適に長い距離を走る感覚でロードバイクと向き合いたかった。そうすると、ボディの硬いアルミより、衝撃を吸収しやすいカーボンが本命になる。あとはコンポーネントを105にするかどうか。ここは拡張性の問題で、やがてロードレーサーをいろいろいじることになる時に105を選んでおくことが生きてくる感じか。初心者だからもっと全然コスパのいいグレードのロードバイクも目に入ったけど、最後は割とじぶんでも驚くくらい、フルカーボンのコンボ105をチョイスした。スペシャライズド。僕も店員さんもなにかすごく納得してる感じが、プロダクト選びの真髄みたいなものを物語ってた気がする。決心してから写真のフィッティングスペースに移動してじぶんのからだの各種サイズをとる。この空間がまた道具感にあふれていてちょっとシビれたな。フィッティングという儀式自体もなんというか心地よい緊張感があって気持ち持ってかれた。ここから工場で組み立てられて二週間後に完成車がやってくることになる。初心者に小一時間ほど丁寧に付き合ってくれたショップの店員さんにはありがとうと言いたい。おかげでいろんなことを学びながら納得ゆくモノ選びができたと思う。

もし僕が一眼レフの時の経験がなかったとしたら、ロードレーサーもほんとにいちばん価格の安いビギナー向けグレードを選んでたと思う。そうして、そのレーサーを乗り倒して上位機種にステップアップするという手もあるわけだけど、僕は最初からステップアップするであろう時のいくぶん身の丈にあわない上位機種を選んだ。結果、このほうが僕にはコスパもいいと思う。だから浪費とは思っていない。奥さんへの言い訳はまだ見つかっていないが、煙草をやめたお金で自転車をチョイスしたと言えば少しは共感してくれるのではと思っている。これは実際ほんとうの話でもあるから。

もし、これからロードレーサーの購入を考えている人がいたら、少し参考になる店員さんの話を。例えば車であれば高級車であったとしてもその車を走らせるの動力はエンジンであり、直接ドライバーが走りのパワーを左右するものではないが、自転車、それもロードレーサーはまさに運転する人間が動力であり直接的かつダイナミックにそのプロダクトの精巧さや品質と向き合い、対話することになる。つまり、車などとは比較にならないくらい「いい材料、いい値段のモノのほうが走りのよさや気持ちよさにモロに直結する」と。これはたしかに説得力のある言葉だなと思った。その時、ちょっといいモノに乗っている時の風みたいなイメージが頭の中をよぎったから。上を見ればキリがないけど、でもやがて向上してゆくじぶんを思い描きながら長く付き合えるいいモノを選ぶという行為は、今の僕はすごくいいなと思っている。誰かの参考になれば嬉しいけど。で、僕は、相棒が手元に来るまでの二週間が長くもありいちばん楽しい時間なんだろうなと思ったりしている。

一眼レフと一緒に遠出できる自転車が欲しいと思った。

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僕はRunの時はGRと一緒に走ってるんだけど、週末のからだを動かす時はできれば一眼レフといたいと思ってた。そか、Runじゃなくても自転車でもいいのかと。自転車なんてずいぶん長い間乗っていないけど、実は子どもの頃は自転車が大好きで、新聞配達もやったし、小学校の作文で将来の夢に「自転車が好きなので競輪選手になること」と書いたくらいだ。いつその夢をどこかに置き忘れたのかはともかくとして、なので僕は自転車に乗るのはけっこう好きな方のはずだ。好きなカメラと、好きな自転車を両方楽しめるのは実はかなり得というか、発見じゃないかと思ったりしている。調べてみると、自転車はロードバイクかクロスバイクということになるよう。普通に考えたら、まずはクロスバイクなんだろうな。ロードバイクのように舗装路をスピードあげてく乗り方というよりは、クロスバイクで車道や歩道、山道なんかもカメラリュックを背負って癒しサイクリング的なね。でも、カメラでまさに経験したんだけど、いずれすぐに次のステップ機種が欲しくなるのなら、最初から少し頑張って本格的なものを手に入れたほうがいいのかなとも。一眼レフの場合だと、最初からフルサイズ。自転車の場合だと、最初からロードバイク、みたいなね。そのあたりの思考まではネットで調べたから、あとは五感を頼りにリアル店舗に自転車を見に行ってみようと思ってる。カメラ×自転車というのは意外とポピュラーなんだろうか。僕には意外と発見でここ数日、実にワクワクしている。とはいえ、やりたいことはまだ他にもたくさんある。やれやれ。尽きないな、人生は笑。

何がいちばん欲しいと聞かれたら、時間かな今は。

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とはいいつつ、もの凄い額のお金をくれるならそれもいいけど笑。でも、今はやっぱり時間がいちばん欲しいかな。やらないといけないことだけじゃなくて、やりたいことがたくさんあって、とにかく時間が足りない。「何かを得るためには、何かを捨てなきゃいけない」とよく言うけど、あれは時間のことを言ってるわけでね。精神が乱れない程度に寝て、そのうえで新しいことをライフワークに加えようと思ったら、物理的に何かを削らないといけないのはやはり正しい。しかもやっかいなのは、何か新しいことを始めるとそれが呼び水になって、けっこう芋づる式にやりたいことが増えてくる。圧倒的な答えはないんだけど、悩んでる時間がまずもってもったいないなということもあって、とにかく新しいこと、やりたいことはやってみる、ということにしている。どうかな、やがて収納しきれない時間にうなされる気もするけど、まあ進もう。本能のままに。

もういちど、ちゃんと、村上春樹。

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村上春樹を最初に読んだのは「ノルウェイの森」だったと思う。でも、なんというか、その時は時流にのってというか、読むこと自体が目的化して、なんだか難解だななどと思いながらあまりいい読後感じゃなかった気がする。以来、短編も含めて何冊か村上春樹本を読んできたけど、じぶんのなかで中途半端感が否めないし、なんかやり残した感じが気持ち悪くもあるんで、もう一度、最初から村上春樹を始めてみようと思った。

彼の本はほとんどKindle化はされていないから、紙の本を注文することになる。ちなみにRunの本はKindle版が最近出たので、いつでも再読できるように購入した。この本はもう何度も読み返している僕のRunバイブルだったりする。

で、もういちど、最初から村上春樹を始めるについては、デビュー作「風の歌を聴け」からだろうと、三部作をまとめてAmazonで注文した。これを書いてた頃はまだジャズバーをやりながら煙草も死ぬほど吸っていた村上春樹作なのかな。彼の環境や心境の変化を感じながら、出版された順番通りに、もういちど、ちゃんと、読んでみる。村上春樹。いまのじぶんにはどう伝わってくるのか、どういう読後感を与えるのか。楽しみでもあり、不安でもあり、そういう行動をとるじぶんも不思議である。

主役だからフォーカスする、というより、フォーカスすれば主役になる。

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岩崎俊一さんという名コピーライターが昔書かれたコピーに「パパが撮ると、僕が主役になるから不思議だね。」というコピーがあったと思う。たしか家庭用ビデオの広告コピーじゃなかったかな。このコピーに出会った時は、わ、やられた、みたいな感激があった。この場合、マーケティング的に言うと、徒競走で1位になる子は1人だけど、2位以下の子は数人いて、当たり前だけどターゲットである親は2位以下の子どもの親のほうが断然多い。だから、2位以下の親が泣けるコピーは正しいし、すごくポジティブな広告にもなる。

というマーケティング上のことは置いといて、カメラというのはそういう意味では公平で、辺りにどんな素敵な世界があっても、ファインダーの中だけが世界になる。他の人はわからないけど、少なくても僕の場合はそうだ。むしろ、そういう辺りをよそに、一点のなんでもないコト・モノを切り取る感じが心地いい。じぶんでは「つかまえた」みたいに言ってるんだけど。

秋から冬、そして春に向けて、大地がどんどんシンプルになっていって、それまで見えなかった存在みたいなものが見えてくる。そういう、ふだんなら脇役のような、いや、存在すら気づかれていないようなモノとかコトにフォーカスをあてられたらいいな、みたいなのはある。ふだん、って想像以上に未知だから。