地球は宇宙だ。

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ここ数日の月のパワー。火星には水があるというNASAの発表。やっぱり宇宙の、あの説明のつかないようなスケールのニュースを聞くと、いつも興奮する。いい歳になってもそれは変わらない。いや、大人になってからのほうがリアルに宇宙の偉大さを驚くようになった気がする。

もうずいぶん昔の話だけど、昼間は仕事の話しかしたことのなかったメンバーで夜飲みに行ったんだよね。で、最初は仕事の延長線上の話だったんだけど、なにかのきっかけで誰かが「実は俺、宇宙好きなんだよね」とかポツリと言った。そしたら「いや、実は俺も」「俺も」「アタシも!」みたいになって、なんだ、みんな宇宙のトリコじゃないか!みたいなことがあった。その日は、みんな思い思いの宇宙の知識とか思い出をみんなに披露しまくって夜が明けた。

にんげんは誰しも宇宙に魅せられる。それはもうにんげんの根源的なレベルな気がするし、ハッピーなだけじゃなくて怖くもあるという意味でも、こんなにひとの心を動かすものはない。

大人になってからは、自然がとても愛しくて好きになった。それはたぶん宇宙をリアルに好きになるのと同じように、地球を宇宙の一部として認識しはじめるからじゃないかと思う。太陽、雲、蒼、影、闇、ランダムなライン、風、雫、真似できないグラデーション。いやもうほんと、地球は途轍もなく異次元で宇宙だ。

ふと現実にかえると日々仕事に忙殺されたり、泣きたくなるような辛い思いをしたり、後悔しか浮かばない結果に直面したり、けっこう悲劇のヒロインみたいな出来事に見舞われる日常だったりするけど、この地球という星はそんな悩みをぶっ飛ばしてくれるような姿を僕たちに見せてくれる。それは決して世界に秘境に出かけなくたって、少し自然の中に身を置いて、目を凝らして自然と向き合ってみると、宇宙としてこっちをみて、大きな力で包み込んでくれる。その時、カメラがあるとさらに劇的だよ。

素直になるのはむずかしいけど、素直になろうと考えるだけで、からだにはかなり素直だと思う。

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にんげんはどうしても他人の目を気にしちゃう生き物だから、いや動物はみんなそうか、だからなかなか素直になれなくてカッコつけたり見栄張ったりしてしまう。僕もそう、生き物だから。でも、好きなものは好きとか、嫌いなものは嫌いとか、知らないものは知らないとか、流行らないけど実はやりたいとか、たぶん馬鹿にされるけど本当はずっと夢だったりとか、ひとりなら普通に考えてることが他の人を目の前にすると言えなくなったり行動できなくなるバイアス。じぶんに素直に、とかよく言うけど、あれは正確には「誰かに対して素直で」ということなんだろうと思う。これがほんとうに難しいんだけど、意外と飄々とやってのけちゃう人もいるんだよね。そういう人が凄いのは人前で度胸があるとか怖いもの知らずとか、もしくは鈍感力があるとかそういうことではなくて、ふだんから「素直でいよう、とか、素直でいたい」とか考えてる量が多いんじゃないかなと思う。素直でいようと考えてる時はなんというか脳に心地よい血液が流れてるというか、すごくからだにいい影響が出でいる気がする。からだがとてもポジティブな状態といえばいいのかな。そんな状態をより多く保っている人はやっぱりパワーがあって、だから自然と人前でも素直に振る舞えたりするんじゃないかと思ってる。そんなようなことを考えていると、にんげんのからだは宇宙だなと思う。そうそう、だから夢はいつか叶うとか、願い続ければ実現するとか、よく言う格言みたいなことも、あれ僕はけっこう信憑性あると思ってる。脳だけでは変わらないけど、脳が肉体をポジティブにするという意味においては相当パワーのあることだと思うから。そういえばブログが心地いいのも、素直に考えたり書けたりするからだと思う。フィジカルなことなんだよなあ、なんでも。

風、秋桜、GR。

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大地が茶やオレンジの暖色系になっていく中で、私はちょっと違うと主張するようにピンクのグラデーションを放つコスモスは大好きで、見かけたら撮ろうと思っているんだけど、僕のせいか、GRのせいか、よく見る可憐な写真じゃなくて男っぽくなる。どちらかというとコスモスというより秋桜と書いたほうがしっくりくるなと思ったり。Instagramには3枚あげたけど、どれも男っぽい、僕の秋桜。

写真というのは不思議なもので、目の前の風景の色とか明るさ、構図が正確にトレースできればその場の空気を切り取れるかというと、そうではなくて。色が転んだり明暗がデフォルメされたりしたほうがその場の空気を表現できることがある。モノクロ写真はそうだし、このGRというカメラのフィルター「ポジフィルム調」もそう。僕はGRで撮る時はモノクロがこのポジフィルム調で撮ることが多い。スナップ用カメラだからスピード重視で絞りもシャッタースピードもいじらない、いつもプログラムモードだ。いじるといえば露出くらいだけど、これもスピード重視でいつもほぼマイナス1.0。あとはアングルだけ少し考えて撮れば、なんとなくじぶんが目でとらえたその場の空気に近い写真が撮れることが多い。一眼レフはその都度レンズを換えたり絞りを変えたりするから、まだじぶんの中に型みたいなものがないけど、GRは使い方がシンプルな分、じぶんの型が出来てきているのかもしれない。

それでもじぶんの撮る写真を客観視するというのはとても難しくて、たまに他の人から「この写真いいね」と言われても、正直じぶんではどこが具体的にいいのかはつかめていないところがあって。じぶんではあまりいい写真じゃないかもと思っていた写真が、むしろいちばんいい写真と思ってたものより褒められたりして、いやほんとにそんなことばかり。このあたり、みんなはどうなんだろうなあ。

ことしの1月に思いたって一眼レフとコンデジを始めてからもうすぐ9ヶ月か。もう何枚撮っただろう。間違いなく数万枚は撮ってるな。上手くなっている感覚はないけど、撮り始めた頃のガムシャラ感はだいぶおさまって、いまはゆっくりと味わいながら撮れているような気がする。じぶんらしい写真であり、じぶんらしい記憶。そして、撮れば撮るほど、いい写真とはという定義が壊れていく感じが僕にとってのカメラや写真の魅力かなと感じつつある今日この頃。不思議なツールだよ、カメラって。

太陽に焦がされて。土の匂いに包まれて。

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やけに寝つきと寝起きがいいのは、間違いなく煙草をやめたおかげだと思うんだけど、今朝なんかは4時半くらいに目が覚めるし、いいんだかどうだかわからないんだけど。で、窓の外をみたらいい天気そうだったから、少しからだを伸ばしてから、カメラと愛犬と散歩へ。レンズは軽快単焦点50/f1.8にした。そういえばうちの近くのカメラ屋さん、ショーウィンドウに少量の中古カメラやレンズを置いてるんだけど、このNIKKOR 50/f1.8Gはほぼ新品同様の値段で売られてたな。カメラ本体は値下がりしてもレンズは値崩れしないというのはほんとだなあと。誰かが言ってたけど「カメラは消耗品、レンズは資産」てね。

単焦点レンズをつけると、もうじぶんの足がズームだから、花に寄ったり、土に跪いたり、土手をスニーカーで踏ん張りながらズルズル降りてみたり、まあ自然と仲良くなる、というか仲良くなるしかない。かといって接写はできないからほどよい距離感でシャッターをきる。この繰り返し。カメラ始めた頃は明るめの露出で撮ってたけど、今はモノクロが多いかな。露出はだいだいマイナス0.7-1.3くらい。暗いんだなあ、僕は。

D750+50/1.8の軽量感はなかなか気持ちいい。一眼レフでも軽さが命、という人は、ぜひ。

汗をかきながらカメラと遊ぶ。

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あっという間にまた休みが来て、かなり得した気分の週末。少し歩きたい気分もあって朝の散歩はズームなし、Micro 60/f2.8と出かけてみた。

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Microだから相当寄れるけど、ピントはほんと極薄だから、一旦AFでピンを合わせたらあとはじぶんが動いてピント補正、数枚続けて撮る感じ。すると一枚くらいはいい感じのものがある笑。

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それにしてもきょうも暑い。木陰は秋だけど、日向は夏。跪くと秋だけど、全体の景色は夏、そんな感じ。いま、木陰に入ってこのブログを書いている。至福の時間。そう、またお昼になって今度は望遠をつけて散歩カメラに出ている。そんな様子はまた後で。

間違いないのは、時間は有限であるということ。誰にも。

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明日死ぬかもしれないと思って今日をめいっぱい生きると言ったジョブズだけど、それはやはり真理だと思うんだ。いつ事故にあい、いつ病に倒れるかもしれない。じぶんは気をつけていても、だ。朝のニュースで若くして亡くなった著名人の方について話してる人たちが、一斉に「好きなことをしよう」と言ってる気がした。時間はあるようであまりない。

自然とGRもなかなか相性はいい。

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GRは平日持ちなんでどちらかというと街中スナップが多くて、商店街やビル群なんか撮るとハードでシャープな写真が撮れるんだけど、自然に持ち出してもなかなかいい味出してくれます。起動がとにかく速いからパシャパシャ撮れる。というかこれだけ起動が手軽だと、まず写真を撮ることがまったく億劫じゃない。呼吸するようなリズムで写真が撮れます。これがまず、いい。それでいてGRレンズはほんと精密。自然がつくる微細なデザインを精巧に写真に描写してくれる。この写真なんかは、頭上を見上げたら気持ちよかったから何気にGRで記憶しておいたものだけど、僕のその手抜き的撮影には申し訳ないくらい、ちゃんとした写真をあげてくれる。これは一眼レフにはないこと、少なくとも僕には。ポケットがひとつしかなかったとしたら、僕はiPhoneじゃなくてGRを外に連れ出す方を選ぶな、きっと。

オールドレンズの存在を認識した朝。

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といってもオールドレンズを持っているわけではない。オールドレンズという言葉はもちろん知っているし、職場のカメラ仲間なんかから見せてもらったりもする。でも「やってみようかな」みたいな捉え方で認識したことはなかった。たぶん、いま持っているレンズでさえ使い倒せていないのに、オールドレンズなんてはやすぎる、というのがじぶんの中の認識だったと思う。ところが今朝たまたま日経をオンラインで読んでたら、そこにオールドレンズの記事が。オールドレンズに興味があるというより、なぜ日経がオールドレンズをとりあげるんだろうみたいな感覚でクリックしてみたら、これが動画でのオールドレンズの紹介で、朝の寝ぼけた頭にもすんなり入ってくる内容で笑。というわけで僕の中では今朝はっきりと「オールドレンズ」の存在を認識しました。買う、とか、試してみる、とか、そこまでの認識じゃまだないんだけど、でもたぶん、カメラ屋に行けばこれからはオールドレンズのことも意識すると思う。その前に、職場の同僚やネット上のブログとか、オールドレンズのことをしばらく意識して調べてみることから始めよう。買わないけどね、まずはね。

カメラという趣味に出会えてよかった。

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考えてみると僕には趣味らしい趣味がなくて。少しかっこよく言えば仕事がずっと趣味のようだった。それはそれで充実感はあるんだけど、歳をとるとともにだんだんと創造性がモノづくりからマネジメントへと転換してゆく。そんな時に一眼レフと出会う。表現するというクリエイティブな部分が気持ちよかったこともあるけど、なんというかゼロからモノゴトを学び始める感じが気持ちよかったんだよね、とても。メカやプロダクトという観点からも一眼レフはびったりだった。あと、ピースを埋めたり組み合わせたりするという点でレンズを揃え、使い分けるというのも僕にはとてもおもしろく映った。

ブログやSNS、デジタルやインターネットの時代なのも大きいかな。フィルム時代だったら破産するんじゃないかってくらいデジイチはたくさん失敗作が撮れるし、撮った写真を保存したりシェアしたりするのも実に便利な時代だ。そして大きいのは、ブログやSNSの中に同じカメラを愛する人たちがたくさんいることを日々感じられること。あ、そんな風に撮るんだ、とか、あ、そんな風に思って撮ってるんだ、とか、すごく身近にカメラ好きな人たちの呼吸を感じられるのはやっぱり大きいよね。

5連休もいよいよ最後の夜。撮り貯めた写真を振り返りながら、あれこれ思案するのは実に至福の時間。そして思うのである、カメラという趣味に出会えてよかったと。カメラが仕事になってたとしたら、こんなフワフワした気持ちじゃすまないだろうけど笑。でも、それも含めて僕には趣味としてのカメラでよかったなとも思うんだな。

この星のデザイン力はすごい。

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この星というと少し大袈裟だけど、でも何も地球の果てに旅に出かけなくても、住んでいる場所から少し歩けばこんな自然が作り出すデザインを目にできるんだから、やはりこの星はすごいと言わざるを得ない。ほんとうに。

僕はどうやらファインダーの中に見るデザインが好きみたいだから、あ、デザインとしていいな、と思うとシャッターを切っているところがある。なんでもない光景がなんでもなくなるからカメラとはすごいのである。この星のすごさとともに。