あぁ、一眼レフとiPhoneを持って昭和へ行きたい。

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写真はGRで撮ったものだけど、今度は一眼レフを持ってまたこの市場に来たいなと思った。50/1.8単焦点をつけてモノクロで。

僕は3GSの頃からiPhoneユーザーで、写真を大量に撮り始めたのもその頃からだと思う。撮った写真をシェアするというのもiPhoneのおかげで行動としてはセットだ。だから一眼レフもWiFiは必需品で、それで唯一WiFi搭載のフルサイズD750にしたところもある。

つまりiPhoneと一眼レフは僕の中ではセット。この呼吸のようなセットを持って、あの頃、昭和の頃へ行けたらなんと素敵だろうな、と思ったりする。今ならレトロな光景をわざわざ探し歩くようなところがあるけど、目の前がすべてノスタルジックな光景だとしたら、僕はどんな行動をとるんだろうな。

圧倒的だった未来の宇宙旅行も現実味を帯びてきた時代だから、もしかしたらそう遠くない日にタイムマシンなるものも完成するかもしれない。そうしたら、未来よりも断然、昭和に行きたい。やり残したような気がすることがてんこ盛りだ。その時は必ず一眼レフとiPhoneを持参して。当時よりじっくり時間をかけて、歩いて、眺めて、当時は見えなかった時代の空気みたいなものを、ひとつひとつ噛みしめながら、撮って、紐解いて、シェアしたい。

市場ってなんであんなにソウルフルなんだろうな。大人になったら心に突き刺さるようになった。

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こどもの頃はなんとも思わなかった市場の光景に、大人になってからこれほどまで心惹かれるのは何故だろう。漠然とは昭和の時代とかへのノスタルジーだと思うんだけど、それだけじゃない気もする。いつも持ち歩いているRICOH GRを鞄から取りだして、とにかく思うがままに撮る。お店の人も歩いている人もまったくカメラを気にしない。忙しくて気にもしていないのと、たぶん外国人観光客も含めて僕みたいにカメラを構える人間には慣れっこなところもあるんだと思う。もともと暗めの写真が多い僕が撮ると、より暗い写真になりがちなんだけど、いやあ、やっぱりしびれるんだよなあ、市場は。なぜこれほどまでに惹かれるのか、ちょっとじぶんを分析してみたいと思う。

遠くはよく見えるけど、近くが見えづらかったりする時代。

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ソーシャルでつながる時代はほんと世の中の動きがリアルタイムに感じとれるようになった。日本の各地で何が起こってるのか、世界の各地で何が起こってるのか、主要なニュースコンテンツとかフォローしていると、大体つかめるところがある。今までつかめていなかったかというと、新聞もあったし、テレビやラジオもあったわけだけど、リアルタイムってことになるとSNSなんかのアジリティはやっぱりしなやかだよね。

ただ、一見世の中が見晴らせるようになったなあと思っちゃうけど、それに比べると地元というか、身近な社会の動きのほうは実は見えていないなあ、ということをいつも感じている。にんげんが吸収できる情報量が限られていることもあるけど、なんというか世界情勢や国内情勢の情報が大量に降ってきて、もうお腹いっぱいで、肝心の身近な情報はあまり吸収てきていない、という感覚。物理的にそういう地域のソーシャルメディアが成熟していないこともらあるんだろうけどね。

だからというわけじゃないけど、カメラを持って身近な世界をファインダーでのぞくのはなんかバランス的にもいい。世界も大事だけど、まずは身近な世界に目を向けたいというかね。そのあたりのこれからの社会の動きにすごく注目してる。本当の意味での地元ソーシャルの時代を。

激しい夏の終わり感と、何か新たな胎動感も感じながらの夜。上原ひろみのソウルなピアノを聴きながら。

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日曜日のこの時間、ようやくいろんなことを終えてひと息ついてるんだけど、この夏の終わり感は凄いな、と思って、もうひとポストしてから眠りにつこうと思った。ことしは8月最後の週末が8月の終わりと重なったから、なんというか夏の終わりと日曜日の終わりがダブルでTHE ENDな感じというかね。この夏を振り返ると、オープンしたてのロボットホテル「ハウステンボス・変なホテル」に行ったことから始まった。興味がある人は少し前のポストに少し変なホテルのこと書いてるんで見に行ってみてください。それ以降は、そうだな、そんな夏休みらしい夏休みは、僕はとっていないか。こどもの夏休みの行事が目白押しだったから、そっちの準備のほうが忙しい夏だったかな。でもまあ、振り返ると質のあるいい時間を過ごしたなという思いがある。それはたぶん、カメラがあったから。ことしの初めに一眼レフを始めて初めての夏だった。どこに行くにも可能なかぎりカメラと一緒だったし、こどもの姿も自然の様子もたくさん撮れた。誇れるような写真はないんだけど笑、ゆっくり目の前の光景を噛み締めながら過ごすことができたかな。

あとことしの夏がいつもと違ったのは、このブログを始めたことも大きい。ブログをやると、撮りためた写真を振り返る時間ができる。しかも、写真を絵として回想するというよりは、言葉として回想することになる。これがなんというか思考の訓練というか、じぶんなりの学びになる。Instagramをポストする時にも写真の振り返りにはなるんだけど、Instagramはやっぱりタイムラインがどんどん流れてゆく感覚で、今この瞬間を堪能したら後はどんどん時が流れ去って行く感覚なんだよね。それと比べるとブログはストックされてゆく感覚が強い。積み重なってるといってもいいか。だからか、ことしの夏は流れゆくというよりは「夏をひとつ積み重ねた」という感覚が強いかな。あと、ほかの人のブログも近ごろ気になるようになった。みんなほんとに多種多様なブログをやられていて、Twitterで見かける表情とはまたちょっと違った世界を展開されていたりして、それも新鮮だなあと思ったり。

夏は終わるけど、そんなこんなで何かが動き出したな、という胎動感もどこか感じる8月最後の日曜の夜。上原ひろみのソウルなピアノを聴きながら。

好きな色の季節がやってきた。

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僕は夏生まれ。だからいちばん思い入れのある季節は夏。でも色、質感で好きな季節はというと秋になる。写真にいい季節というのもあるけど、歳を重ねるごとに秋を好きになってきたのかもしれない。若い頃はほんとにアメリカ文化みたいなのが好きでアメ車なんかに憧れた。大排気量のV8エンジンでドロンドロン豪快に走るような感じ。それがだんだんとヨーロッパの小型車、ドイツのプレミアムへと変わってゆく。今では海外で好きな場所は数年前に訪れたロンドンへと変わった。大人になると何かが変わる。不思議だね。アメリカの太陽光線が降り注ぐ夏のイメージから、ロンドンの少し柔らかい日差しや落ち着いた秋のイメージへと僕の嗜好も変わってきているのかもしれない。でもそんなことを感じたり、その良さみたいなものが少し分かるようになったのも、こういういい歳になってから。これからもまだまだ変わっていくのかな、惹かれる世界観が。いい歳をしてカメラを始めたのも、その何かなのかもしれないし。いい意味で流されてみたいと思う。行先をたのしみに。

そこはやっぱり男っぽい写真になる。

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写真にそもそも、男っぽいとか、女っぽいとか、もしくは中性的とか境界線があるのかどうかは分からないけど。僕はじぶんが撮る写真は、結果、並べて見てみるとやっぱり男っぽいよな、とよく思う。撮っているものは花だったりするんだけど、どこかこうハードに撮ってる気がする。いや、じぶんではソフトに撮ってたりするんだけどね。一眼レフを持ち始めた頃はふんわり撮ってたものが、だんだんとこっくりした感じになっていったのはじぶんでも認識してる。でも露出が暗めになっただけではない気がする。Instagramでじぶんの写真を一覧で見た時にふといつも「あ、やっぱり、そこは男っぽい写真になるよな、じぶん。」と思うんだよね。みんなはどうだろう。

晴れた週末は、一眼レフを持って。

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きのうは仕事だったから、今朝は晴れてくれて嬉しかったな。大人に夏休みはないけど、8月最後の週末だから、そこはやっぱりちょっと特別の最後の日曜日だしね。60/2.8を連れ出して少し歩く。ファインダーをのぞく。息を止める。シャッターをきる。それだけできのうまでの疲れも和らいで、少しだけ生きかえる。カメラは小難しくもあるけど、優しいんです、時間を止めたり緩めてくれるから。大それた写真は一枚もないんだけど、今朝も小さな秋たちを僕なりには大きく撮れた。その写真たちはまたおいおい。カメラを愛する人たちに、よい週末を。

夏の終わりとスガシカオ。

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夏の終わりの物悲しさは特別だ。誰かがtwitterでつぶやいてたけど、春の終わりはそんな悲しさみたいな感情はない。秋は実りの秋でもあるけども、枯れてく秋でもある。そういう物悲しさなのかな。でも、この物悲しさ、本気で悲しいかと言うとそれとはちょっと違っていて、悲しんだけど割とライトでカジュアルな気分でもある。明と暗、静と動、陽気と哀愁のような両端を行き来するような微妙な気持ちというかね、そういうとこあると思うんだ。音楽でいえばスガシカオの世界。彼の楽曲は明と暗を微妙に行き来してメロディが進んでいくといか、なんとも不思議なところがある。そう、この夏の終わりの微妙な揺らぎの季節には、すごく合うのである。ファンキーだしね。

若いって、まぶしい。

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若いひとの面接に出くわしたんだけど、どこかどんよりしてるこの世の中で、とにかくまぶしかったなあ、すべてが。場慣れしていない表情も、どこか嘘がつけない言葉も、やっぱりぎこちない仕草も、まあすべて全身でまぶしいわけです、彼ら彼女らは。それは、にんげんの成熟度とは反比例するんだろうね。逆を言えば可能性の塊すぎて、言いようのないまぶしさを放ってんだろうね。理屈では捉えきれない輝きというか、まぶしさみたいなものを撮れたらいいな。そう考えるだけでもまぶしかったりするから不思議。

秋になったら、またP340を連れ出そうかな。

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僕の最初のコンデジはGRではなくてP340。Nikonのf1,8のコンデジだ。GRを手に入れるまでは僕の鞄にはいつもP340が入っていたし、Runにいく時の相棒もP340だった。P340を購入したのは、一眼レフD5300を買ったばかりでNikonの操作ロジックを一日も早く身につけたかったこと、それとD5300に装着していたレンズが50/f1.8だったから、いろんなコンデジがあった中で結構迷うことなくP340を購入した。D5300を購入してから二週間も経たない頃のことだ。

そこからは本当にガムシャラにたくさん撮った。花でも街でもモノでも人でも、とにかくたくさん撮った。あ、そうそう、一眼レフでは絞り優先モードで撮り始めてたから、P340でも絞り優先モードでとにかくたくさん撮ってカメラというものに慣れていった。

P340は決してエモーショナルに撮れるカメラではないけど、正確に撮れるというか、そういう意味では紛れもなくNikonのレンズで、ズームこそついてていざという時はたしかに便利なんだけど、この頃は単焦点のように「足で撮る」使い方で、行く先行く先でP340を構えていた。それはとてもいい思い出だし、積極的に外に連れ出すカメラのよさをはっきりと認識したし、この時期がなかったら恐らくその後GRを手に入れることもなかったと思う。

カメラをジーンズのようにラフに身につけたいという人には、このカメラはかなりおすすめだと思う。ラフなんだけど、撮れる写真はラフというよりは品をどこかに感じる綺麗めなカジュアル。そういう意味では「大人のジーンズ的カメラ」かな。秋になったら、夏とはひと味違った品を纏いたくもなる。久しぶりにP340を持ち出そうかな。