Leica M-P typ240

20世紀のElmar Mと、21世紀のLeica M-Pと。

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Leica M-P, Elmar M 50/3.5

土曜日の夕方、3月も終わりとはいえ半袖Tシャツで愛犬と散歩に行ける陽気に、心もどこかフワッとする週末。愛犬も心踊るのか、散歩へ連れて行けと騒々しいので少し早めに二人で家を出る。お供するカメラはLeica M-PとElmar M 50/3.5だ。

そういえば昨夜はまたひとつ、フィルムの販売終了のニュースが飛び込んできて、Twitterの中のフィルムカメラクラスタのみんなも動揺してる感じだった。インパクトがあったのは日本製のモノクロフィルムが消えるということだっだろうと思う。僕はモノクロ現像機が生活圏内に無いこともあって、フィルムで撮る時はすべてカラーネガ。だから、いまひとつ国内モノクロフィルム終了の知らせにリアリティを感じないところがあったけど、モノクロフィルムで自家現像してる愛好家の人たちにとってみれば切実だ。海外製フィルムはまだ残るとはいえ、いずれフィルムがこの世から姿を消すことを誰もがリアルに悟った日でもあったんじゃないかな。

フィルムはいくらブームとはいえ、記憶メディアとしてはデジタルへ転換するのに一手間もふた手間もかかる。それはやはりこのスピード社会においてスタンダードにはなりにくい。僕らフィルムをやる人間たちはその手間を愛情と受け取れるけど、普通の人にしてみれば面倒くさい過去の遺物だろう、実際のところね。もちろん、フィルムでしか描けない世界はあるけど、それをもってしても、時間とコストとの相性の悪さは市場もメーカーにも受け入れがたいことは間違いない。

いつまでもフィルムを楽しみたい。フィルムカメラがまだこんなに元気なのに、フィルムが無くなることでフィルムカメラたちまでも実用品として幕を閉じるのはなんともさびしい。でも、心のどこかでそれを受け入れなければならないんだろうなというじぶんもいる。そんな中、僕は幸運にもデジタルカメラとオールドレンズという楽しみ方に出会い、いまその味を楽しみ始めている。フィルムの代わりという意識はないけど、デジタルで撮ってるという意識もなくて、なんというかデジタルとフィルムの境目の曖昧な世界を浮遊しているような楽しさがある。つまり、アリなんだ、この世界は。

僕の手持ちのデジタルカメラたちはすべてそういう楽しみ方で選んだモノたち。Nikon Dfにはオールドニッコールたちがつけられ、Leica M-Pにはフィルムライカ時代のレンズたちがつけられている。最近手に入れたFujifilmミラーレス X-E2にはロシアンゾナーのJupiter-8がついている。この21世紀のボディたちに20世紀の往年のレンズたちをつけて撮る感覚は、なんとも言えない感慨深さが僕にはある。フィルムがいずれ無くなるかもしれないという恐怖感は常に心のどこかにあるけど、だからといって時代の行く先はマイナスばかりじゃない。時代に適合した新しい写真のありようがある気がする。まだ見ぬ何かもね、きっと。

とはいえ、フィルム。僕はフィルムライカがこの世にあるかぎり無くなることはないと楽観的に思ってるところもどこかある。未だに新品でフィルムカメラを売るライカというメーカーはちょっと特別だ。ライカユーザーの手元にフィルムライカが残り続けるかぎり、ライカ社はきっと自前になってもフィルムをこの世に残し続ける、そんな気もしている。さて、どうなることやら。僕らは実は凄い時代の転換点を生きてるのかもしれない。けど、僕はさびしさは感じない。時代に逆らうんじゃなくて、その風に乗って写真の楽しみ方を再定義することにしなやかでありたい。デジタルカメラとオールドレンズ、僕らにはまだまだ可能性がある。楽しもうじゃないか、バルナックライカが産声をあげた時のような時代の大きな転換を。

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