Leica M3

撮るためだけの道具なら、こんなにも美しくある必要はないだろうにな。美学なんだろうな。

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眠りにつく前にカメラを眺めている。それにしても美しい、必要以上にと思えるほど美しい。Leica M3。なんなんだろうね、この半世紀以上前のカメラに込められた執念のような美しさは。華美なものは一切ない、削ぎ落としたデザイン。いわゆる機能美ってやつなんだろうけど、なんかそういう形容詞では語りきれない何かがそこには宿っている。僕は写真と、写真を撮ることが好きだけど、それと同じかそれ以上にカメラというプロダクトの道具感やその艶かしさが好きなんだな、やはり。だから、こうしてカメラをカメラで撮ることも多い。Instagramなんかも好んでカメラを撮った写真を眺めてはため息をついていたりする。なんなんだ、この美しさはとか心の中で叫びながら。主役が写真であるなら、何もここまで撮る道具に過ぎないカメラの造形にこだわる必要はない。でも、そこにはやっぱり無駄と思えるほどの作り手の美学が貫かれてるんだよな。僕はヨーロッパの街はロンドンしか行ったことがないのだけど、あの街は世界一美しい秩序によってデザインされた街だと思っていて、街のあちこちがとにかくズルいくらいにクールだ。誰かが大昔からアートディレクションしているわけで、それが街の利便性なんかを超えてデザインを成立させている。きっとカメラともう一度行ったら、僕は恐ろしい数のシャッターを押してると思う。そんなヨーロッパのひとたちの美学が、道具に機能美という究極のデザインを宿らせた。世の中はもしかしたら、本来の機能だけで考えたら不必要なものたちがその街や暮らしの中の美しさを形成しているのかもしれない。まいったな、この時代の匠たちには。

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