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値段やブランドに関わらず、いいものはいいと言える感覚。

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まず全体として、値段の高いものやブランドの真髄が投入されているものは、いいものであることが多い。でも、それはマス的な評価であって、異なる一人ひとりにとっていいものかどうかは、また少し違う話ということ。僕らの世代はまさにブランド神話みたいなものに酔ったバブル真っ只中を経験した世代だから、より値段やブランドを気にするところがあったかもしれない。いや、正確にいうと”まわりの目や、まわりとの同調、まわりへの見栄”なんかを気にして生きてきた世代と言えるかもしれない。けれど、いつの頃からか、そうしたまわりからの評価みたいなものを気にせず、「じぶんにとっていいものはいい」と言えるようになってきた。それはバブル以降に生まれてきた堅実志向の世代の人たちの影響かもしれないし、インターネットによるパーソナライズな時代の流れかもしれないし、僕が歳をとったせいかもしれない。いずれにしても、いいことだなと思う。もともと同じ人間などいないこの世の中で、いいと思えるものが同じはずはないし、個人の幸福の価値観もいろいろ。それは以前から変わらないはずだけど、きっと世の中の空気がそういう個人の価値観の発信をどこか抑制させてきたんだろうね。ファッションもしかり、持ち物もしかり、趣味や住むところ、仕事のあり方だって、今はじぶんらしさをしなやかに言えるし、そういう人はとてもいい生き様にも見える。なかなかややこしい時代になったと言われるけど、案外しなやかで人間らしい時代なのかもしれないね。

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