フィルムカメラ

とても今更なんだけど、ソール・ライターの代表作たちはリバーサルフィルムだったんだな。

アフィリエイト広告を利用しています
Nikon F6, 50/1.4D, Velvia100

とても今更なんだけど、ソール・ライターの代表作たちはリバーサルフィルムだったんだな。

今年のじぶんへのクリスマスプレゼントは、ソール・ライターの本「All about Saul Leiter」にした。Amazonでポチろうとも思ったけど、留守の間に届くのも配達の人に申し訳ないから、いつも立ち寄る書店で購入しようと思う。

というのも、その書店で僕は何度となくこの本を立ち読みしている。その度に買う寸前までいくんだけど、なぜが買わずにここまで来た。なんとなく、買ってしまうとソール・ライターの作風に影響を受けすぎるように思ったところがある。けれど、ひと通りカメラやレンズが揃った今、来年へ向けてこれからは機材よりも写真そのものにもっと興味を持ってみようと考えていて、ふとソール・ライターのことが頭によぎった。いや、正確にいえばソール・ライターのことはドキュメンタリー映画を見てからずっと気にしていたし、渋谷の写真展には行けなかったけどずっと意識していたじぶんがいた。なので、ここは素直にじぶんの心にそって動いてみようと思った。

さて、ソール・ライターのこと、僕は些細なことしか知らないから、まずは少し情報を調べてみようとネット検索を始めたんだけど、けっこう写真展に行った人たちが多数ブログなんかに記事をあげていて、しばらくむさぼるように読んでいた。と、その時、僕はその独特のソール・ライターの撮る写真に決定的な差異を見つけることになる。それが、彼の代表作である1950年代のニューヨークの写真たちは「リバーサルフィルム」で撮られていたということ。なんか猛烈に恥ずかしい思いがこみ上げてきた。なぜ、これまで気づかなかったんだろうと、あのしっとりしたリバーサルフィルムならではの質感に。ほんと、じぶんのことがあまりに無知で恥ずかしいなと思った。

ソール・ライターの使用したカメラがライカだったらしいとか、雨や雪の日の傘やショーウィンドウの写り込みとか、そういうテクニカルなことばかりに目がいって、フィルムはカラーネガなんだとすっかり思い込み、プリントの妙なんだろうなとか、そんなことばかり考えてた。でも、70年代のNew Colorのエグルストンよりもはるか20年前に、カラーでスナップを撮っていたんだよね、ソール・ライターは。しかも、リバーサルフィルムで。少し検索を進めてみると、期限切れのリバーサルフィルムを安く手に入れて撮っていたといった記述もある。そうかと、なるほど、そこに僕が惹かれる独特の質感があったのかと。

フィルムなんてなんでもよくて、要はソール・ライターの腕前というところも相当あるのは分かってるけど、あのしっとりとした質感と色味はリバーサルフィルムだからこその世界でもある。僕は最近リバーサルフィルムを初体験しても以来、その唯一無二の世界に衝撃を受けているようなところがあって、このソール・ライターがリバーサルフィルムを使っていたことを知って、点と点がつながったというか、軽い衝撃に包まれたんだ。僕が好んでRICOH GRのポジフィルム調で撮り続けてきたこと、そしてフィルムで実際のリバーサルフィルムに出会ったこと、そしてずっと気になっていた写真家ソール・ライターがリバーサルフィルム使いだったことにたどり着いた決して小さくない衝撃。

写真に詳しい人からは、今更そんなこと言ってんのと笑われそうだけど、僕は恥ずかしながらソール・ライターが当時の写真たちをリバーサルフィルムで撮っていた事実を今更ながらに知り、あらためて彼の描いた世界をもっと探求してみたいと思った。彼はあの雨や雪のシチュエーションで感度いくつのリバーサルフィルムで撮っていたんだろうか。彼の写真はそのほとんどが縦構図の写真だから、手持ちで撮るとしたら感度100だとなかなか厳しかったはずだけど、どうだっだんだろう。しかも望遠レンズっぽいし、そうなるとピントもよく合わせられたなとか。あと、なんといってもリバーサルフィルムだとしたら、よく正確に露出を合わせられたな、とかね。もう、考え始めるといろんな彼の撮影シーンが疑問と共に思い浮かぶ。少なくともはっきり言えるのは、じぶんで試してみるということだ。曇天のシチュエーションで、リバーサルフィルムを詰めてじぶんで撮ってみる。そこにしか答えのようなものはない気がする。彼の図録「All about Saul Leiter」が手元にきたら、じっくりとそのシチュエーションを凝視して、じぶんのカメラにリバーサルフィルムを詰めて出かけてみたい。曇天の街中へ。2018年、少しテーマのようなものが見えてきた。

関連記事