Leica IIIa

電気を使うカメラはサブ。メインは機械式カメラ、という発想について。

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Leica IIIa, Elmar 50/3.5

すごく意図的にそうしたわけではないけど、自然とそうなった。理由はたぶんシンプルで、電池が切れたり充電ができないとシャッターが切れないカメラはどうしてもそれなりに手がかかるし、時に不安と隣り合わせの撮影になるけど、電気を一切使わない機械式カメラはいつだって安定して使える、ということ。

僕の場合だと、フルメカニカルシャッター機はNikon F2とLeica M3、そして写真のLeica IIIaだ。つまりこの3台がメインカメラ。できればこの3台のいずれかで撮ることが、特にワケありじゃない時の理想だ。

ただ、ワケありの時もある。ボディ内露出計を使って少し正確に撮りたい時はNikon FEを使ったり、オートフォーカスでできるだけ手操作を排除して撮りたい時や露出がシビアなリバーサルフィルムを使う時はNikon F6、街中でプログラムAEでそれこそシャッターを押すだけのKonica C35。いずれもフィルムカメラだけど、露出計を基本に電池を必要とする。

あとは、とにかく量を撮りたい時は完全にデジタルカメラを選ぶことになる。フルサイズのNikon Df、望遠用のAPS-C機Nikon D300、そしてRICOH GRだ。つまり、できればフィルムで撮りたいという思いがあるからデジタルはサブなんだけど、フィルムの中でもいちばん気軽で、しかも頼りにしてるのは、電気を使わない機械式カメラだということ。

ポリシーというほど凝り固まった発想ではないけど、できればそれがじぶんには心地いいからそうしようと心がけていること、そんな感じかな。メインにいくほど古く自動では何もやってくれないカメラになるんだけど、でもこれは理にかなってるというか、フルメカニカルシャッターだと撮れないシチュエーションにおいては電気を使うことで手助けをするということで、そういう意味でもやっぱり電気を使うカメラはスーパーサブなんだなと。

もちろん、失敗のない写真を撮ろうと思えば、少しでもハイテクのカメラを使うのがいいんだろうけど、近ごろの僕は「かつて失敗だと思ってきたような写真も、いまは失敗ではなくリアリティのある写真の中の一部」と思えるようになった。だから、多少ボケたり画角が水平じゃなくても気にならないし、精巧に撮れ過ぎる写真は求めてもいない。そうなると、必然的にシンプルな機械式カメラたちがメインになってくるんだよね。

きょうも雪の中をLeica IIIaを持って少しスナップしてきたけど、ファインダーなんてそれほど当てにならないから、少し絞り気味でピントが合う距離を稼いだら、もうシャッターを押すだけの感覚でどんどん撮れる。そうなると、電池を使わない分、とてもシンプルな写真撮影を楽しむことができる。この先、所有カメラがさらに増えるかどうかはわからないけど、この機械式カメラがメインであることだけは変わらないような気がする。そのためにはフィルムがずっと生き続けることと、クラシックなカメラの修理職人さんらが継承され続けることが頼り。ずっと、この理想的なメインとサブの関係が長続きすればいいな、と思う。

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