迷ったら、違和感のある方を選ぶ。

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モノを表現することは「選ぶこと」なんじゃないかと思っている。この場合、たった一個だけしかつくらない、もしくは想起しないという天才は別だけど、そこまではいかない多くのひとは、モノを表現しようとする時、複数の候補や選択肢をまず用意する。いわゆる「案」というもの。案とはいってもじぶんの中ではイチ押し案はなんとなくあって、以下いくつか代替案や次点候補群があるという感じ。僕はこの時すごく迷う。結局のところじぶんの目にまだ正解を選び出す自信がないんだろうと思うけど、じぶんの中におぼろげにはイチ押しがあっても、最終的にそれだけを推す時にすごく迷うのである。じぶんはこれがいいと思いはするが、本当にこれがいちばんいいものだろうかと。この時に、これまでの経験値というか、いい意味でじぶんを疑うというか、僕は最後まで迷ったら、最終的に「じぶんのイチ押しとは少し違和感を感じる案」のほうを選ぶようにしている。なんだ、じぶんのモノサシより他人の目を気にしすぎじゃないか、ひよってんじゃないか、と思われる見方もあると思う。でもこの時の僕の心境は少し違っていて、「いい=予定調和」になってるんじゃないかと疑う感じなのである。僕は客観的にじぶんを見ても、ついついというか「じぶんの意見を通そう」とするところがある。というより人間は誰しもそういうところがある。少なくとも何かしらモノを表現しようとする人はそういうところがあるよね。そこを一回バカになってみるというか、じぶんの目をじぶん自身で否定してみる、みたいなことが必要だと思っている。仕事でもプライベートでも、ダントツのイチ押しがなくて選択に迷ってしまった時は、最後までふたつに候補を絞ったとするならば、最後はどちらかというと違和感のあるほうを選ぶんだ。理由、それは「何かしら人に見せて、人の心を動かそうとするならば、心にザワつきがあるものの方が強い」と考えるから。なんかまとまりすぎているモノは、どこか空気みたいに存在感が希薄なんじゃないかってね。それよりは少々違和感のあるモノのほうが、良くも悪くも見る人の目には止まる。あまりにまとまりすぎて、それが無反応で素通りされるくらいなら、多少悪く思える部分があったとしても、足を止めてもらったほうがいいんじゃないか。そのほうがマシだ、みたいな思いがどっかあるんだよね。いつからそういう思考になったかははっきりとは覚えていない。でもある時からそう思い始め、いまはなるべくそういう違和感が最後のモノサシみたいになってるんだ。確証はないけど、人生を振り返った時、そっちのほうがうまくいったそんな記憶もある。写真選びにしてもそうかな。なんかバランスのとれたモノよりは、迷ったらどちらかというと違和感があるものを選ぶんだ。この話には正解も結論もない。だけど意外に重要なジャッジメントのルールというか流儀だと思って、記憶としてブログに書いておくことにした。皆さんはどうだろう。じぶんを疑うことを信じる、という話でした。というわけで99話までブログ、きた。けっこう感慨深い。

「迷ったら、違和感のある方を選ぶ。」への2件のフィードバック

  1. この記念すべき99話目を読んで、凄く僕のこれからの写真撮影の肝をやっと気づけました。
    僕は撮った写真を暇な時に友人に見せるのですが、「何を見せたいかわからない、ただ綺麗なだけ」と厳しい意見をよく、もらう。
    僕の中ではこの構図が一番美しいと思っているんだけど、足りなかったのはそう、「違和感」だったんだなぁ、と。
    本当に有難うございます。

    1. こちらこそ感想ありがとうございます。嬉しいです。人に見せて心を動かそうと思い始めると、撮り方、選び方、撮る数も変わってくるからおもしろいですよね、写真って。僕はこの違和感がむしろあっていい、と思い始めてから、これまでだったらじぶん的失敗作だったものが「全然、他人的候補案」になったりして、ちょっと写真が楽になったというかたのしくなりました。だから数をたくさん撮ればとるほど違和感のバリエーションも増える。たくさん失敗してたくさん違和感を作り出したいと思います。よかったらこれからもたまにブログのぞきに来てください。ありがとうございました。

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