走っていると無になる瞬間がある。ロードバイクとは”走る禅”かもしれない。

土曜日の朝、日の出と共に起き出して午前中のうちにロードバイクを連れ出す。できるだけ車の少ない道を選びながら、川沿いの走りやすい道をめざす。僕は車の運転も好きだからドライバーの立場からみてロードバイクがなるべく邪魔にならないような走り方をしたいという気持ちもある。だから、車と並走する道では無茶な走りはしない。明らかに歩道が広く人もいなければそこを徐行することさえある。とにかくロードバイクが安全に快走できるポイントをめざす。そこまでの道は移動でありポタリング。景色を眺めながらロングライドの有酸素運動を楽しむ。

そうこうすると、車のいないポイントに入る。見渡すかぎり車の存在、歩行者の存在がなくなったらギアを2段ほど落として加速を開始する。コンポーネント105はそれなりに本気にさせてくれる動きと音を発する。Roubaixはタイムアタックタイプのハードなバイクではないけど、僕はこの柔らかさの効いたヌーッと加速していく感じが好きだ。こうしたアタックを何度か繰り返すんだけど、そうすると頭が空っぽになっていく感覚が訪れて、やがて風切り音もフェードアウトするような瞬間が来る。なんだろうな、あの感覚。僕的には「無」になる、という言葉でしかうまく表現できない。脚にも相当な負担をかけているんだけど、それも電動アシストが付いたかのようにふっと軽くなったような風にのる感じ。体力を総動員して自転車を走らせているのに、その疲れをふっと忘れる。僕なんかの走りでもそういう感覚を体感できるんだから、プロのロードレーサーなんかはどれほどの無の世界を体感してるんだろうかと思う。しぶんなりのアタックが終わればペダルの回転を緩めて自転車の上でクールダウン。この繰り返し。僕はソロで走るから、アタックも休憩もどこでどれだけやるかは僕次第。その合間合間にGRを取りだして、その時の気分みたいなものを写真に記憶する。

ロードバイクはおもしろい。エンジンもサスペンションもすべてじぶんの体だからかなりの体力を消耗するハードな「動」の極みのような乗り物でもあるんだけど、スピードにのった先にやってくるなんともいえない「静」の瞬間。僕はあれ、禅の世界に通じる何かがあるんじゃないかと思う。ランニング・ハイともまた違う、スピードにのったスーッと高速移動するロードバイクの上で味わうならではの無の世界であり、禅の世界のような境地。うまく言えないけど、それがロードバイクの本質なんじゃないかと思う。僕は僕の時間を堪能させてもらったから、午後は息子との時間にあてたい。花火セットを買ってきた。夜は庭で小さな小さな花火大会だ。

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