語ろうと思えば語れるけど、語らなくてもいいのが写真でありカメラ。

Leica M-P typ240, Carl Zeiss Planar T*2/50 ZM

このブログは「記憶をつづるカメラ」であり「カメラの記憶」でもあるから、カメラのことを書くことも多いんだけど、写真のことはあまり語らない。そもそも語る知識や技術がないこともあるし、何より語ると写真の世界が急に縮こまる気がして。

写真というのは絵を描くことなんかと違って、基本誰でもシャッターを押せば写真を撮ることができる。たから簡単だと言いたいんじゃなくて、誰でも撮れるからその分解釈も広くていいし、とても自由の許される表現だと思うんだ。撮る人、見る人によって無限といっていいくらい広いこの写真のありようを、あえて語ることで狭める必要もない。だから、写真に言葉はいらない、みたいに言われるのはちょっとわかる気がする。

一方でカメラはどうか。これは語ろうと思えばどこまでも語れるよね、こだわりの道具という意味で。けれど、語らなくてもいい。実際、写真は披露してもその機材のことを語らない人はたくさんいる。つまり、カメラや写真がいいなと思うのは、語ろうと思えば語れる楽しさがあるけど、だからといって一言も語らなくても成立するところ。意外とこういうモノ・コトは少ないんじゃないかな。

僕にとっては語ろうと思えばこのブログという場所があるし、言葉少なげで語らないならTwitterやInstagramみたいに、両方のアウトプットを行き来することを楽しんでいる。作品とか展示とかとは無縁だけど、だからといって物足りない感じはなくて、とてもリラックスしてカメラと写真との時間を楽しめている。カメラや写真の本当の奥深さとはそういうことなのかなとか考えている。

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