自然の中に持ち込んだ時の一眼レフは、機械というより自然の一部だ。

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D5やD500が発売されたこともあって、デジタル一眼レフのスペックをあらためて見聞きする。その進化はいかにも現代のハイテク機器のひとつだけど、こうして自然の中に持ち込んだ時のカメラはなんというか微塵もその機械っぷりを感じさせない。にんげんの手にしっくりとなじんで、ファインダーをのぞいた瞬間からもう僕の肉眼となり、僕のからだとひとつになる。もっといえば、一眼レフと僕は自然とひとつになる。この感覚がおもしろいなと思う。なぜだろうとふと考えるんだけど、この一眼レフという存在はアナログ時代から生きていることが大きいのかなと。僕はアナログ時代の一眼レフを知らないから想像でしかないのだけど、作り手も使い手もかつての一眼レフにオマージュを抱きながら、変えることと変えてはいけないものを絶妙にブレンドしているのではないかと思う。僕はD750を使っているけど、ふといつも昭和の時代を感じでこいつにふれている気がする。D750の少々元気なシャッター音が好きなのも、そういう一眼レフのかつてから変わらない様式に思いを馳せているからかもしれない。ハイテクとトラディショナルの狭間をゆくプロダクト、それもまた一眼レフの楽しさなんだろうね。今朝もまた少し早起きをして、いま一眼レフと太陽を浴びている。自然と一眼レフと一体となりながら。

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