第二次ライカ恋愛期。

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Leica M-P typ240

正直いまライカにゾッコンである。平日のスナップも、週末の散歩カメラもほぼライカ一色。これほどまでにライカに心奪われるとは、ライカを選んだじぶんですら想像できなかった。

僕にとってライカは初めてではない。もともとフィルム機としてLeica M3は所有していた。買う気もなかった時、たまたまお店で実機にふれて、その恐ろしいまでの精密さに一目惚れして手に入れた。その後、いろんなカメラを購入するも、常にその中心にはM3がいた。浮気をしても必ず戻ってくる場所。いわゆる別格の存在である。これがつまり第一次ライカ恋愛期だ。

以来、M3を超えるライカは想像できず、特にライカを買い足す気持ちは無かったんだけど、ある日バルナックライカを手にしたことから自体は一変する。バルナックIIIaがたちまち日々のスナップ用カメラに躍り出るのである。小型軽量、控えめなシャッター音、ライカ機が生粋のスナップシューターであることをあらためて認識することになる。それも、かなり強烈なレベルで。

IIIaを街に持ち出すと同時に、フィルムで夜の街を撮ることも覚えた。そして四六時中ライカと過ごすイメージは増幅し、M3を街に連れ出す行為へと熱は飛び火する。二台のフィルムライカを取っ替え引っ替えスナップに連れ出す日々。それだけレンジファインダーと濃密に時間を過ごすと、レンジファインダーで撮るスナップの軽快さに頭と体が濃密に適応していく。そして、本当の意味でレンジファインダー機の魅力に気づくじぶんがいた。

バルナックIIIaを購入してからそれほど日数は経っていなかったが、そこから次の行動に出るのに時間はかからなかった。M型デジタル機のLeica M-P typ240ブラックペイントを迎え入れることになる。そして、直感で手にしたM-Pとの出会いだったけど、それがじぶんの想像すら超えて、じぶんのスナップライフにドンピシャでフィットすることに、また軽い衝撃を覚えた。この行動、何かに似てるなと思ったんだけど、間違いなくこれは恋愛の時の行動だ。これが再び到来した第二次ライカ恋愛期というわけである。

Leica M3, Leica IIIa

バルナックIIIa、M型の原点M3、そしてその延長線上でデジタル的に躾けられたM-P。この3台のライカがあればもはやカメラボディは十分なんじゃないかと思えてくる。軽快に持ち歩くならIIIa、フィルムでも精密に撮りたい時はM3、そしてフィルムではないシチュエーションの時にはデジタルのM-P。僕のすべての日常は、この3台のライカたちが役割や質感を変えながらカバーしてくれる。そんな実感をとても濃いレベルでいま体験している。

この3台のライカだって、それぞれをしっかり使い込むのはなかなか至難の技だ。毎日カメラを入れ替えたとしても、一週間のうちにそれぞれ二回、多くても三回しかスナップに連れ出すことはできない。決して多くない数字だ。僕の残りの人生を考えても、3台のライカと深く向き合うには時間が少なすぎる。少し決心が固まってきた。手元にはこの3台のライカだけを残して、その他のカメラは手放そうと思う。僕にとってカメラは撮るものであって、部屋に飾りコレクションするものではない。いつのまにか多くのカメラがそうならないために、次の使い手の人たちへバトンタッチしていけたらそれが何よりだと思う。

第三次ライカ恋愛期があるのか、それとも異なる恋愛が今後待っているか、それは分からない。でも、恋愛というものはそもそも今しか見えないもの。いま、この時点の熱みたいなものに身を委ねて、流されてみたいと思う。それほどまでにライカたちは僕の心と日常の多くを占めていった。いくつものカメラを経てたどり着いたものなのか、それとももっと早く出会っていたら同じく恋に落ちていたのか、それは誰にも分からないけど、それってまさに恋愛そのものだなと。他のものを手放し、潔く恋する感じ、僕は悪くない気がしている。

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