画像じゃなくて写真が好き。

これはもう本当に個人的な”好き”の話なんだけどね。レタッチした写真が苦手というね。レタッチという解釈もいろいろだろうから、レタッチすべてが苦手という意味じゃなくて、写真とは目の前の光景や空気感を写し取ろうとする行為だったり努力みたいなものの結晶だと思うから、その範囲を超えて撮った写真をイジるというのは個人的にはするのも見るのもちょっと苦手、という話。

僕はじぶんで写真を撮るようになるまでは、レタッチというのは汚れをとったりトリミングしたり色を整えたりという、撮る時に目の前で見た光景に近づける作業がそうなんだと思ってたんだけど、そうではない写真も数多いことに気がついてくる。デジカメで撮るようになった時、”現像”という行為があまりにいろいろ後からイジれることに驚いた記憶がある。僕はなんか少し意固地になってデジカメで撮ったものもひたすら撮って出ししか使わなかった。なんというか、カメラやレンズ、そのセッティングとか撮る前の努力じゃなくて、撮った後に必要以上に写真をイジる行為は、写真というより”画像”だと感じたから。あと、逆の意味もあって、デジタルで撮ると目の前の光景とは異なる沈んだ色味やきつい発色になることがある。これは画像に見えるから、それを見た光景に近づける再現性という意味でのレタッチは写真という意味では必要だとも感じたり。

上手く言えないけど、僕の中には写真と画像の間に境界線があって、僕が惹かれるのはその写真のほうということ。あくまでも僕の中の境界線だから、レタッチが悪いわけじゃないし、画像がダメなわけじゃない、単なる好みの問題。あと、写真をスマホのモニターなんかで見る時代環境のことも関係あるのかな、デジタルのモニター映えする写真という意味でレタッチされたような必要以上に発色の強い写真は画像にしか見えなくてやっぱり苦手。写真が昔のようにプリントすることがベーシックな環境であればそうした画像は生まれないのかもしれないけど、とも思った。僕がこうしてフィルムに惹かれるのは、たぶんデジタル色の”画像”に少し疲れて、フィルム色の”写真”に触れたいと感じていることも大きいのかもしれない。

最後に。デジタル時代ならではの作品として画像制作というのはアリだと思うんだよね。画像というもののかもモチーフに写真を使うという意味で。それを写真というジャンルと同じにしようとすると少し無理があるということかな。写真というのは、撮った後にあれこれ加工するのが楽しいんじゃなくて、撮る前の準備や工夫、撮った後の再現というプロセスを通して、撮る時に見た光景の空気感を切り取ったり封じ込めたりすることだと思うから。あくまで、僕の中の写真という解釈なんだけどね。

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