無いものは、じぶんで作るしかない、ということ。

Nikon Df, 50/1.8G

なんのこと?といえば、このことについては世の中のぜんぶ、ということになる。このことについて書こうと思ったのは、Twitterで見かけたご自分でカメラの皮ケースを製作している人の様子とかを見て思ったんだけとね。たしかに世の中たくさんのカメラケースが存在するんだろうけど、使ってみるとなかなかじぶんの心地いいポイントをきめ細やかにカバーした製品というのは少なかったりする。ここで普通の人なら、その納得いかない部分なんかには目をつぶって使い続けるわけだけど、たぶんこのご自分で皮ケースを製作している人は、じぶんやじぶんと同じような思いを抱いている人のために、究極のカメラケースを作っちゃえ!と思ったんじゃないかな。思っても出来ない人がたくさんいる中で、それを実現しちゃうところがもの凄いわけだけど、そういう境遇はともかくとして、「無いものは、じぶんで作っちゃえ」というのは大事な心意気だなと思う。その方の作った皮ケースを使った人たちの感激のコメントを見ると、ほんとそう思う。

僕にはそんな才能はないけど、そうだな、僕に当てはまるとしたら、このブログかな。僕がカメラを始めた時に、ビギナーの情報を得るのにネットでいろいろ検索したんだけど、いわゆる機能面を列挙したブログはたくさんあったんだけど、もう少し何というか「その気分」みたいなものを記したブログ記事が見当たらなかったんだよね。僕はメカに強くないし、カメラの基礎知識もないなかで、できれば機能面の比較や列挙よりも、そのカメラを手にした時の心持ちや、そのカメラがある生活の豊かさみたいなものを知りたいなと思った。だったら、じぶんがそういうブログを書けばいいんじゃないかとどこか思ったんだよね。「カメラを、機能より気分で語ってみる」、そんなブログ。結果からすると、それはとてもむずかしくて、思うようにはスラスラとは書けないんだけど、でもまあゆるりと書き始めて、なんだかんだで1600話くらいまできた。よくもまあ、こんなに機能面じゃないことをこんなに書けるよなとじぶんでも呆れたりもするんだけど、日記のようなものくらいの気分で書けば、書くことに困ることはない。そうやって、一応じぶんなりには「無いものは、じぶんで作っちゃえ」を試みてみたわけである。

にんげんは、見聞きしたり体験したことがあるものしか想起できない生きものだけど、その範囲の中でしか考えられなかったら、どうしても世界は狭くなる。その疑似体験として本を読んだり、映画を見たり、人に会って体験談を聞いたりして、新しく妄想できるネタをインプットするわけだけど、そんな時に「無いものを、じぶんで作っちゃった」人々の話はなかなかのエネルギーになる。この世に見かけないからどこか妥協して、あり物をどこか我慢して使い続ける、もしくはやり続けるより、ひょいっと軽やかにじぶんで腰を上げてみるのもいいかもしれない。そんなことをふと思う年末のある日である。

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