Leica IIIa

機械式のライカたちがもたらしてくれる、週末のまったりした時間について。

Leica M3+Planar T*2/50, Leica IIIa+Elmar 50/3.5

じぶんでも想像してなかったなあ、フィルムライカがこうして二台、わが家にやってくることになるとは。カメラを始めた頃に耳にしたライカという名称はじぶんとは関係のない世界のモノと思っていたし、意識すらしたこともなかったように思う。フィルムカメラを始めた時も手頃なNikon FEとフィルムコンパクトのKonica C35を手にしただけで十分満足していたし、不満なんてひとつもなかった。でも、ある日、ふとLeica M3に直にふれる機会があり、理屈抜きでその質感にハートを撃ち抜かれ(古めかしい表現だけど、それが素直にいちばんしっくりくる)、以来、僕の週末に機械式カメラとのひとときが加わることになった。

機械式カメラとは、電気を一切使わないフルメカニカルシャッターのカメラのこと。電気を使わないから、いわゆるオート撮影はできない。写真を撮るには露出(絞り値とシャッタースピードの組合せ)を決めて撮る必要があるわけだけど、電気を使うカメラはこの調整を電気で自動的にやってくれる。あと光を取り込んで画像を作り出すカメラは、ISO感度というものが存在するけど、最近のデジタルカメラは驚くほどの高感度性能を持ち、暗所でもわずかな光を取り込んで自在に写真を撮ることができる。でも、機械式カメラはそうはいかない。予め決まった感度のフィルムを入れたら、その感度をもとに撮れる範囲で露出を試行錯誤して撮る必要がある。つまり、今のカメラと比べるとずいぶん面倒くさい操作をじぶんでやって写真を撮る必要がある。この世の中で数少ない「電気を必要としない機械」の生き残りなのである。

そんな時代に取り残されたような、恐竜のようなカメラのどこがいいのか。僕もそんな風に思う一人だった。けれど、そんな理屈を吹っ飛ばしてくれたのが、ライカの機械式カメラ〈Leica M3〉だったのである。僕のM3は1955年製、ちょっと感覚が麻痺しそうな年代だけど、それもそのはず、60年以上前に作られたカメラだから普通に考えたら「そんな大昔のカメラが使い物になるのか?」と目を疑うことだろう。ところが、使えるのである。しかも、電気を使うハイテク機械に余裕をぶっかますように、精密で知的な操作感と写りを提供してくれるのである。何なんだ、この奇跡のようなカメラは。それが、僕のM3に抱いた偽らない感想だったのである。

そのM3よりさらに古く、時は1939年により送り出されたのが、僕のもう一つの機械式ライカ、Leica IIIaである。クラシックカメラ通の人たちの間ではバルナックライカと呼ばれる型のカメラ。M3と比べると、もう見た目からして明らかにレトロを地で行く懐古的ルックスと操作感。こんなものでまともな写真なんか撮れるはずがないときっと誰もが思う。レトロな置物、つまりアンティークなインテリアですか?といった趣なわけだけど、これもまたまったく現役のカメラの中のカメラなのである。フィルムカメラに馴染みのない人がこのブログを読むと、何をいかれたことを言ってるんだ、このブログの著書は、ということになるんだろうけど、ごめん僕はいたって冷静にこのブログ記事を書いている。正真正銘、このバルナックライカも今なお最高の撮影感覚をもたらしてくれるカメラなのである。

M3を手にして以来、僕はもうこれ以上素晴らしい機械式カメラとは出会うはずもないとずっと考えていた。つまり、最初で最後のライカだったはずなんだ。けれど、今思うとM3はこのIIIaに引き合わせてくれる結び手のようなカメラだったのかもしれない。M3がもたらしてくれた、他のカメラにはない最上の癒しが、じぶんでも気がつかないうちに、そのさらにルーツであるバルナックライカへの興味、欲求と言った方がいいだろうか、そういう気持ちをジワジワと僕の中に芽生えさせてきたのかもしれない。

機械式のライカたち、とひとくくりに言いつつも、実際に手にして撮影した感覚でいえば、この二つのライカは意外と感触が異なる。M3は未だにこのM3を超えるライカはないと言われるほど、時代を超越した驚くほどのオーバークオリティで、撮る者の度肝を抜く。冷静沈着、実にクールな大人のカメラとでも言えばいいだろうか。対してバルナックIIIaはもっと野生的で肉食的とでも言おうか。このバルナックライカを持ってひとたび外に出れば、そこら中が冒険の大地になったような独特の軽快感を味あわせてくれる。意外にもこの二つのライカは、対照的と言ってもいいくらい別物だたりもするのである。

つまり、クールに過ごしたい時も、アドベンチャー的に過ごしたい時も、この二台のライカがあれば、デジタル時代の喧騒におさらばらして、実に芳醇な時間の経過を味わい、時空を超えた大人の少年的時間を過ごすことができるのである。いや、言葉で表現するのはむずかしい。これはもう、ごめん、手にしてもらうしか説明はむずかしいかもしれない。M3もIIIaも趣味のアイテムとしては決して安いとはいえないかもしれない。でも最新のカメラに比べればずいぶん割安で、途轍もない造り込みの世界を堪能することができる。そんなプロダクトはもはやこの世には存在しないと思う。しかも、それは骨董品じゃなくて、写真を撮るというとても実用的に使っていけるモノなんだ。

その使用感やスペックなんかは過去記事や他の方が書いた詳細ネット記事なんかを参考にしてもらうとして、ここではとにかくこの機械式ライカたちがもたらしてくれる感情、それらがある日常や週末の気分を少しでも伝えられたらなと思って書き始めた。まるで伝え切れたとは思わないけど、読んでくれた人がいるとするなら、その人の人生を豊かにするきっかけになったらうれしいなと思う。IIIaにいたってはまだ手に入れたはがりで、フィルムの現像もこれから。約80年前のカメラで果たしてきちんと写真が撮れているかの確認はこれからではあるけど、僕は今日このIIIaで初めて街中で試し撮りスナップを体験し、このIIIaはM3と同様、僕の人生の友になると確信したんで、このブログに「僕の機械式のライカたち」として記憶を残しておこうと思った。

人生は一度きりだ。しかも、その週末は実はそれほど多くない。だったら、他人から見たら少し馬鹿馬鹿しく思われるようなことでも、没頭してみるのも悪くないんじゃないか。僕はそういう思いをこの二台の機械式ライカたちに気づかせてもらったような気がしている。誰かの参考になるかな、いやかなり独りよがりの記事になっちゃったかな。いずれにしても、これが僕の今日という日の素直な気分なのである。

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