文章を書くのが嫌いじゃないのは、学生時代に文章を褒めてくれた先生がいたからだろうな。

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このブログ「記憶カメラ」もいつの間にか1,400話を超えた。こんな短めの文章の連続だからとても誇れるレベルではないものの、1,400回も書いてきたのかと思うと、書くの好きだなあじぶん、とも思う。じぶん的にはある程度の分量で文章を書いていいなら、大抵のことはほぼ伝えきれる自信みたいなのもどこかある。

考えてみると幼い頃は特に文章を書くのは好きでも嫌いでもなかった。それが、ある程度長い文章を書くのが苦じゃないというか、文章を書ける自信みたいなのものが芽生えるきっかけがあったとするなら、それは学生時代の経済学の試験の時かな。問題の答えがどうにも思い浮かばない時があって、でも試験時間はまだまだある時に、どうせ分からないなら答案用紙に何か経済に少しかすっている話題について、プチ小説というかコラムみたいなものを書いて提出しようと考え、実行に移した時があったんだ。たしか選んだテーマは武器輸出の問題が沸き起こったココム問題についての独自見解を解凍用紙の裏面いっぱいに書いた時のことだ。僕はといえば、試験の解答が分からないから、なかばヤケクソみたいな感じで書いたんだけど、それを当時の先生がマル(正解)にしてくれたんだよね。後から先生にマルにした理由を聞いたら、読んでいておもしろかったからと言ってたんだよね。子ども心にあの時は嬉しかったな。以来、コピーライターをめざしたり、企画書だけで相手に説得を試みたりと、文章をじぶんのアイデンティティにしてきたようなところが僕にはある。好きな文章家はそれこそボディコピーの上手いコピーライターや、流行りの村上春樹とかだったかな。もともと単細胞なところがあるから、小難しい文章は書けない。だったら、頭良さそうな文章より、リズムよく読みやすい文章をめざそうじゃないか!と考えていたフシがじぶんにはあるんだよね。考えてみると、あの日以来、文章を褒められることはなくなったけど、たまにTwitterなんかで文章の読みやすさ?みたいなのを褒めてくれる人がいる。それがたまに励みになってブログを書き続けるエネルギーになったりしてるんだ。おもしろいよね。

文章というのは、僕は生きてきた何かが滲み出る行為だと思っていて、そういう意味ではカッコだけつけてもすぐバレるんで、ある意味開き直って素直に書いている。このブログなんかは最たるもんで、このブログの中なんて誰に向けてもカッコつける必要はこれっぽっちもないから、とにかく本能に任せて即興でスラスラ書いてる。誤字脱字もけっこうあるけど、それも含めてその時の僕のあり様だから、よほどの間違いじゃない限り、書き直したりもしない。でも、だからこそ、なんとか続けられてるんだよね、ブログを書き続けるということ。

文章もちょっと写真に似ていて、キメすぎてもいけないし、読む人をナメすぎて簡単に書きすぎてもいけない。そのへんは何かしらほどよいポジションを意識してる。そういえば若い頃、小説家になりたいとか一応考えた時期もあったな。でも、フィクションを書くにしてもそれなりに書くテーマの必要最小限の知識はないといけない。それが想像以上にハードルの高いことだと気がついたのはほんの最近のことで、だったら平易で何気ない日常の思いみたいなのをブログにでも書いてみよっか、と思い至ったのがほんの2年前くらいのことだと思う。まあ、文章というのは上手いに越したことはないけど、日本人である以上、意味不明な文章を連発するほどおバカでもないだろうと心の中のどこかで考えているフシがある。だから、とりあえずリラックスしても書けてるとは思う。でも、そのくらいかなあ、気をつけてることは。おっと、昔話を思い出しながら書いてると、少し書きすぎた。上手いか下手かは別にして、文章に対する感想をたまにもらえると、それはやっぱり嬉しくなるんで、よかったらたまにひと言感想を寄せてください。そうすれば僕はひとまず体力的に書けなくなるまでは、懲りずに書き続けられると思うので。というわけで今日はこのへんで書き納め。おやすみなさい:)

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