寄れないカメラという縛りが、撮り手を動かす。

僕の所有するレンジファインダー2台は、1mくらいまでしか寄れない。いわゆるマクロっぽい写真は撮れない。これが初めはなかなか馴染めなかったけど、そういう制約というか縛りが、僕の写真を少し変えようとしているところがある。寄りの写真が撮れれば、まあ楽なんだよね、撮る楽しみそのものは。でも、周囲が写り込まない写真は時空でいう前後のストーリーみたいなものを生まない。僕の中では「絵」や「デザイン」という感覚といえばらいいだろうか。そんな気がしている。

寄れないとなると、当然少し広めの世界が写り込み、絵やデザインというよりは「シーン」になる。いくつかの写り込んだ要素が反応しあって、音とか風とか喧騒を見るものに感じさせる写真になっていく、ならざるを得ない、かな。手軽に撮るというわけにはいかなくなるともいえるけど、それが撮り手をシーンのある場所へと連れ出す。さらにいうと、僕はいま38mmとか50mmの単焦点レンズでしか撮っていないから、これも縛りということでいえば撮り手がズームとなって前後左右に踏み出す必要がある。それらの制約であり縛りが、撮り手に安易な行動範囲を許さなくなるというかね、一つの場所で寄りの写真を複数枚撮ることはできない状況をつくりだす。気がつくと、以前よりもあちこちに居場所を移しては撮っているような気がする。”アイデアとは自由から生まれるのでなくて、制約から生まれる”とよく言うけど、カメラの世界も然り、そんな風に思う。おもしろいよね、創造のためにじぶんを縛るというその感覚がね。

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