写真愛、あるいはニコン愛について。

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出会いというのは本当にたいせつで奇跡なもの。世の中これだけモノやコトに溢れている中で、奇跡的にも出会え、しかもそれが何かしら人生に影響を与えるようなモノゴトだった場合、本当に神様に感謝しなければ、そんなことを大袈裟ではなく、思う。僕がカメラを持ち始めたのは去年の年明け。きっかけは、そもそもはiPhoneで写真を撮り始めたのが最初だと思うけど、その後にInstagramやFacebookで写真をやりとりするようになって、明らかにその中で出会う写真に「質の違う写真たち」「写真を愛して止まない人たち」を意識するようになったからだと思う。

それとなくその人たちにカメラのことを聞いてみたところ、一眼レフという言葉が耳に入ってきた。広告の仕事をやっている仕事柄、写真というアウトプットには親和性がある方だったと思うけど、それをインプットする機材にはあまり目を向けたことがなかったじぶんに気づく。もっと詳しくカメラのことを聞けばよかったんだけど、じぶんの無知さが少し恥ずかしくもあり、そこからは自力でネットを使って一眼レフのことを調べ始める。ミラーレスのことも気にはなったけど、無意識のうちに「出遅れているじぶん」みたいなものを感じていたのか、カメラを始めるなら最初から一眼レフでという気持ちがあった。

調べてみると、一眼レフはキャノンとニコンのいずれかならまず失敗はないというのがわかる。どちらにするか。ここも迷いはほぼ無かった。メジャーさでいえばキャノンなのだろうけど、どちらかというと無骨でいかにも道具然としたニコン機に心惹かれた。ビートルズよりもストーンズが好きであったじぶんらしい選択だなあと妙に感心したり。でも、理屈ではなくプロダクトとしてニコン機のほうがスーッと心に入ってきた。男らしさをニコン機のほうに感じたのも大きいかもしれない。この時点ではニコンとキャノンの機械的違いなんてまったく分からないから、ほぼイメージだけで選んだといってもいい。

さて、ニコン機の中からどの機種にするか。この時点ではAPS-C機とかフルサイズ機とかの違いもまったくわかっていないから、金額と雰囲気をネットで検証してゆくこととなる。最初に気になったのは発売直前で記事露出の多かったNikon D5500。というのも、僕はiPhoneから写真に入ったからWiFiを搭載してそのままSNSに投稿しやすい一眼レフというのは必須だった。しかもこのD5500はタッチパネルで操作ができ、iPhoneクラスターには馴染み深い使いやすさのイメージがあった。でも、発売まであと数週間はある。どうするか。そろそろ、カメラのプロに聞いてみる必要があると思い、仕事帰りに近くのカメラのキタムラに寄ってみることにする。

当たり前だけど、カメラのキタムラにはD5500の実機はまだ無い。代わりに現行機のD5300が展示されていた。実はこのD5300のことも事前に少し調べていた。カメラ本体のサイズがコンパクトになること、またタッチパネルになることを除けば、カメラの基本性能はD5300もD5500も変わらないことはわかっていた。で、単刀直入にカメラ屋の店員さんに聞いてみる。D5500の発売を待ったほうがいいかと。そうしたら、回答はあっさりと「タッチパネルは使わないでしょう。D5300でまったく問題無い」と。その場で売りたかったのか、本音でそう答えてくれたのか、真実はよくわからないけど、あまりにも即答であっさりD5300をおすすめされたんで、ちょっとおかしくなって笑、実はボケの写真が撮りたいんで単焦点レンズも欲しかったりみたいな話を店員さんとくだけて話し込んでみた。そこからは早かったなあ、30分後にはレジでD5300と18-140レンズキット、あと単焦点レンズ50/f1.8を購入してた。誇らしいというか、少し緊張しながら会計をしていたのを覚えてる。

購入したのが金曜日の仕事終わりだったから、翌朝の仕事のない土曜日の朝に、早速単焦点レンズをつけて家の近所を散歩してみる。一月の冬の住宅地周辺だから、特にこれといって花々が咲いているわけでもなく、あまり撮るに値するものはないんだけど、試しに木々の枝や大地の葉っぱ、散歩を一緒にしていた愛犬なんかを撮ったんだけど、その時の感動は忘れられないな。なんだ、このボケの美しさは、と本当に感激した。カメラのことはわからないなりにも「絞り優先モードで練習したほうがいい」とか「ボケを出すならF値は最小で」とかはなんとなく見聞きしていたから、そんな感じで撮り始めたんだけど、明らかにiPhoneカメラとは違う仕上がりに、一眼レフにしてよかったと小さなガッツポーズを決めたくらいだから。それ以来、しばらくいつも絞り開放で露出も明るめの、なんというか「心も絞りも開放!」みたいな写真を撮ってたな。

週末の過ごし方が俄然変わった。朝晩の散歩は必ず一眼レフと一緒。日中も一眼レフとあてのない散歩をするようになる。季節もちょうど梅や桜が咲き始めて、大地に被写体が増える。この頃になると、週末だけのカメラライフでは我慢できなくて、平日用にF値1.8のコンデジNikon Coolpix P340を購入。その数ヶ月後にはスナップのおもしろさに魅せられてRICOH GRを手に入れることになる。このへんがいわゆる「沼」 の入口だったんだと思うけど、その後望遠レンズ70-300を購入。そして、今のフルサイズ機D750へとたどり着き、レンズもMicro 60/f2.8、24-120/f4と増え、サッカーシーズンを前に超望遠コンデジのNikon Coolpix P900を手に入れることになる。さすがにちょっとハマりすぎたと反省もしたりしてるけど、自分の中ではこれでほぼ撮りたいイメージをカバーできる体制が整って、今はレンズを揃えることは当分もういいかなというフェーズで、撮ることに集中できている状態かな。

写真は、この動画全盛の世の中でどちらかというと古風な形に見られてしまうところがあるかもしれないけど、Nikonの開発者の方もサイトで言われていたと思うけど「三次元を二次元にて表現する」という部分がとてもおもしろい。慌ただしく動いてるこの世の中をファインダーの中で「時間を止めてみる」ことができる感覚。ファインダーの中には密度のある世界が宿っていて、そこに僕はすごく惹かれる。息を止めてファインダーの中にあるデザインを見る。小さいけどとても大きくもある偶然性を期待して被写体と数秒、数分を過ごす。捕まえる、仕留める、切り取る、そんな感覚を覚えたらあの独特のシャッター音を響かせる。なんとも言えない極上の儀式だ。この感覚がハマった人はもうこの世界からは絶対離れられない快楽がそこにはある。そして、撮った写真を確認しながら、同じくらいの頻度でニコン機を眺めているじぶんがいる。この機会、美しいな、愛おしいなとか思いながら、写真とカメラを行き来しながら眺めている時間。写真愛というよりはカメラ愛、いやニコン愛なのかな、これって。

僕はまだまだビギナーの域だから、カメラの世界はわからないことだらけ。でも、それがよかったりするの。いい歳になって、なんか仕事も世の中も少しわかったような気がしているじぶんが、こうしてゼロからわからないことに遭遇して素直にじぶんの駄目さ加減とか、他の人の凄さとかを身にしみるというのは、本当に貴重な体験だから。僕はカメラに出会わなかったら大袈裟ではなく世の中を少しなめた大人になり続けていたかもしれない。でも今は素直にじぶんなんかまだまだの未熟者だと思える。それもけっこう清々しく。これは発見だったかもなあと。あと、写真というのは言葉を持っているなとも思った。僕は広告の世界を歩いてきたから、大体において写真には(キャッチ)コピーがセットという認識できたところがある。でも、写真を撮るようになるとほとんどの場合、言葉を添えることはない。写真そのものが言葉の意味を持つから。これも僕には新鮮だった。答えはいらない、問いがいる。そんなことを昔、広告をつくる際に先輩たちに教わったけど、そんなことを思い出す機会にもなった。そういう意味ではこのブログも写真にあまり言葉を添えちゃいけないのかもしれないけど、広告づくりの名残で、一枚の写真と一言のタイトルで構成されている。僕の中でもう一度辿ってきたこの組合せの世界を検証しているのかもしれない。

このポストを書き始めた時とずいぶん書きたかった内容が変わった気がしないでもないけど、即興で書きながらツラツラとここまで書きなぐった。誰の参考になるかはわからないけど、こらから一眼レフを始めようとしている人なんかに、何かしらの参考というか希望みたいなものになれば嬉しいかな。去年の夏頃に書き始めたこのブログももうすぐ300話くらいに到達。いい機会だから、このブログのあり方みたいなものも少しヴァージョンアップできればなとか思ってる。記憶カメラと題してしまっているから、そのためにはやはりまずはたくさんの写真を撮らないといけない。ありがたくも失敗写真がいっぱい許されるデジタル時代に一眼レフに出会えたわけだから、大いに失敗して大いに学びの時間を謳歌したいと思っている。

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