写真を撮ることは、光と戯れるってことか。

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なんとも恥ずかしかったのだけど、今夕のTwitterで「完全にフィルムに恋してしまった…」とツイートしてしまうじぶんがいた。いやほんとうに、それこそ無意識につぶやく、そんな感覚。撮るのも、見るのも、学ぶのも、とにかくフィルムがいい!とビビッときてしまったというか。そのつぶやきをツイートしてからちょっと考えてみた。じぶんはフィルムの何がよくて恋してしまうなんて感情になるのか。と、その時ヘッドホンでヴォーカルの音楽を聴いていたんだけど、あ、これに近いかもと思った。つまり、にんげんの声の不安定さに心奪われる、あの感じにフィルムは近いと。どんなにデジタルが発達して演奏が完璧に近いものになっても、ヴォーカルの歌声だけはどこかしら不安定でにんげんらしさをにじませる。少しスピードが遅れたり、声が裏返るような感覚があったり、ブレスが大きく感じられたり。ヴォーカルの声は決して破綻のない完全なものじゃなくて、むしろ不安定で、でもそれが僕の心を打つ、そう思った。そして、それはフィルムで撮る写真やレトロなフィルムカメラの操作感にすごく似ていると。

フィルムのいい意味での不安定さがにじみ出るのが、特に「光」だと思う。写真はたしかに光と影が大事という。僕も意識はしてきたけど、デジタル以上にフィルムは光のわずかな揺らぎみたいなものをより写し出す気がする。そもそものシチュエーションとか構図とかも大事なんだけど、フィルムは特に光のかすかな抑揚を意識させられる写真のあり方だと思う。そして、それがやっぱり完全ではなくて不安定なうつろいを感じさせて、あのヴォーカルの不安定さにひきこまれるように、僕はフィルムの光のいい意味での不安定に惹かれるんだろうなと。上手く言えないけど、そんな風なことを今夕ふと思ったんだ。何かが降りてきたように。

僕みたいなフィルムビギナーがなんか分かったような話をして小っ恥ずかしいのだけど、なんか個人的に腑に落ちたというか、少なくともじぶんがフィルムが好きな理由が見えてきた気がする。デジタルとフィルムは比べるものじゃないし、どちらも同じ写真であって両方を垣根なく楽しめばいいのだろうけど、僕の中ではデジタルとフィルムは明らかに違っていて、そしてそれはデジタルを撮る時の何かしら参考になる対比でもあると思った。カメラやレンズは極端なことをいえばなんでもいいと言えるけど、フィルムとデジタルはいい意味でなんでもいいという類いじゃなくて、そこには明確に違いがあると考えるほうが僕には自然だと、そんなことを思った。フィルムカメラで写真を撮るということは、僕の中では不安定な光と戯れることなんだと。

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