写真とは、大なり小なりその人の叫びなんだと思う。

昨夜はなんだか眠れなくて、珍しく夜中の3時前くらいにふとTwitterをひらく。するとある人が「みんな、何のために写真を撮っているんですか」とつぶやいていた。半分寝ぼけていたし、そのツイートには何も返すことなくいつの間にか眠りについたのだけど、夢の中でずっとその問いの答えを考えていたような。で、またふと夜明け前に目を覚まして、少し意識が朦朧としながらiPhoneのメモに書き留めておいた言葉が、このブログのタイトルの一文。

“写真とは、大なり小なりその人の叫びなんだと思う”

写真を撮る、ということで言えば、わが子を撮るとか愛犬を撮る、愛車を撮ったり、目の前の光景を収めたり。その場とか好きなものを記録するという行為が気持ちいいし、それをお気に入りのカメラでファインダーをのぞいたりシャッター音をあびながら撮る行為そのものも心地いい。でも、自分が見るためだけなら、人はこれほどたくさん写真を撮らない。人が写真を撮るのは、誰かにその写真を見てほしいから撮るんだよね、やはり。

写真というのは、その人がすべて出る。その時の感情とか、感性とか嗜好とか生きてきた何かとか。だから、写真を誰かに見せるというのは自分をさらけ出すようなところがある。すべてが大声で語りかけるものではないけど、大なり小なりあってもそれはその人の何かしら叫びなんだろうなと思う。共に喜んでほしいという叫びだったり、私を見てという叫びだったり、私と同じような生き方をしている人はいませんか?という叫びだったり。だから、写真とはそんなキラキラと綺麗なものではなくて、もっとザラザラとした複雑で屈折したものなんじゃないかと思う。ネガティヴな意味じゃなくて、写真とは生っぽいものという意味で。

果たして僕は何のために写真を撮っているのか。それはやはり、叫びなんだろうと思う。僕なりの大なり小なりの。

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